卒論ミステリ

 
今を去ること数十年前の大学生時代。
ぼくは国文学科に在籍し、中古文学を専攻していました。
ようするに、万葉だの古今だの源氏だのといった国文学を学んでいたのです。
といって、なにもぼくが幼くして源氏や百人一首に親しむ、雅な家庭に育ったわけではありません。
有り体にいえば、大学というところにはミステリ学科というものがないものですから、泣く泣く。
いわば妥協の選択で選んだのでありまして。
まあ、そうはいっても入学当時は一見マジメで小心な学生を装ってましたから、
たとえば源氏の読解なんぞにもきちんと出席していたんですよ。
実際、成績だってなかなかどうして。けっして悪くはありませんでしたし。
 
……が、なんといってもしょせんは妥協の産物。「ミステリもの」の本性は隠しきれません。
1年経ち2年経つうちに、どうもまっとうに勉強しているのが物足りなくなってくる。
ミステリの虫がうずく、とでも申しましょうか。
スキあらばこの厳粛なる学問の場を、「ミステリ化」せんものと目論むわけです。
やがては、隠された暗号を解くと称して万葉和歌を分析してみたり、
作者不詳の歌の作者を誰やらだ!決めつけてみたり。
いま思うと、まったくもって不届き千万。学問を何と心得る!って感じなのですが……。
当時のぼくのゼミのセンセはたいへんにさばけた方で、
そういうぼくの寄り道・回り道を妙に面白がって下さったんですね。
まあ、センセとしてはたぶん、息抜きか洒落のつもりだったのだろうと思うのですが、
ぼく自身は鬼の首でもとったような気分で……こうなってくると、もう止まりません。
図に乗りまくって、好き放題やり倒し。
揚げ句の果ては、あろうことか卒業論文で「ミステリ」をやりたい、と考えるに至ったわけです。
 
それにしても……卒論で?ミステリ? なんじゃそら。
いや、まあ、さすがに創作ミステリを、卒論がわりに書こうとは思いませんでしたよ。
思いませんでしたが、実はそれに近いことを目論んでしまったのですね。
当時、ぼくが専門としていたのは和泉式部。
皆さまも名前くらいはご存知でしょう。
敦道親王とのラブ・アフェアを赤裸々に描いた「和泉式部日記」で有名な、平安中期の女流歌人です。
その天衣無縫な書き振りが、ぼくはとても好きだったのですが、
こともあろうに、ぼくはこの敬愛すべき和泉式部をネタに、なんとかミステリしてやろう!と考えたのです。
学問としていろいろ研究した揚げ句にそういう結論に至った、というのではむろんなく、
まず、「ミステリするゾ」という思いが先にあって、アレコレ考えるわけですから、これはもうどうにもこうにも……。
本末転倒もきわまれりというか、われながらトンデモナイ学生でありますな。
 
しかし、そうはいっても実際に和泉式部からミステリ風のネタをひねくりだすのは、容易なことではありませんでした。
なんせ、狙いが狙いだけにセンセに相談することもできない。ともかく自力更生あるのみ。
だからまあ、この段階でけっこう勉強したといえばいえるのかも知れませんが……
ともあれ。ああでもない、こうでもないとひねくり回して、ようやく考えついたのが、
ひと呼んで「和泉式部替え玉説」というものです。
すなわち、巷間和泉式部の作品とされている諸作は、実は別人の作であったという……。
はい、これ以上ないくらいの珍説でありますね。
実際、ぼくの知るかぎりでは、そんなコト考えた方は学者さんに限らず世の中に1人もいません。
オリジナリティがある、というより、あまりにもバカバカしい妄説といっていい。
もちろん、それなりにそのきっかけになる記述を見つけたから、なのではありましたが、
それにしたって、どこからみても牽強付会を絵にしたような「証拠」であることはいうまでもありません。
 
ともあれ、ナニがナンでもこの結論に持っていく、と。
とりあえずそう決めてしまったわけですから、その線に添って「研究」しなければなりません。
まずはものの順序として「んじゃあ、その代作者は誰だったのか?」を考えたわけですが、
これはそれほど候補がいるわけじゃありませんから、すぐ決まりました。
ぼくが比定したのは「小式部内侍」。和泉式部の娘さんですね。
彼女が母親である和泉式部の名を借りて和歌を詠み、「日記」を書いたのだッ!……という論をブッ立てたわけです。
何度もいいますが、そんな無茶苦茶な論に前例はありませんし、そもそも和泉式部には代作説すら存在しません。
つまり、なんら根拠のない、きわめつけの暴論です。
まあ、そんなことは百も承知で妄想をおっ広げているのですから、何をいわれたって畏縮なんぞしませんが、
だからといってその妄説を縷々述べるだけでは、むろん「論文」とは認められません。
論証すること。それがなければ、学問ではありませんからね。
 
さあ、問題はここからです。
早い話が、自分でも「絶対ありっこない」とわかっている「結論」を、
実際の資料にあたって証拠を抽出し、分析し、とにもかくにもなんらかの裏付け(と思えるようなモノ)を見つけて、
そのうえで合理的に(見えるように)証明(したかのように)しなければならない。
エラソな言い方をさせていただけるならば、都合良く手がかりやら伏線やらを張ることができる創作よりも、
ある意味、はるかに困難な芸当だったかもしれませんね。
けれど、こういうヘリクツを捏ね回すような、相手をいいくるめるような作業、というのが、
当時からぼくはけっこう好きで。おこがましいけれど、どうやらそれなりに才能もあったらしい。
国会図書館に入り浸りで七転八倒しながらも、二カ月ほどかけてなんとかかんとか。
それなりに証拠を作り出し、論証らしきものをこしらえあげてしまったという……。
思えば、後年のインチキライターとしての素質は、この辺りから花開いていたのかもしれません。
なんとなれば、この珍妙きわまりない卒業論文で、
結果的にぼくはセンセから「良」をいただいてしまったのですから。
いや、まあ……「学問的には茶番です」という厳しいメモ付きではありましたけれども。
 
いうまでもありませんが、学生さんはこんなやり方、絶対にマネをしてはなりません。
(……っていうか、いないよね。そんなヒト)
ともかくこれは、学問というものをバカにした行為でさえあったかわけで、許されることではありません。
今さらながら、己が行為を海より深く反省している次第です。
ことに最近はあの頃の己のスチャラカぶりを悔やむ気持ちが強くて。
もっぺん大学できちんと勉強し直してみたいのぉ、などという思いがしきりに湧いてきます。
最近は社会人大学なんちゅうものもあるようですし、
機会があったら、ぜひチャレンジしてみたいものですね。
ええ、たぶん今度こそはまじめにね。
 

 
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