街のオキテ

 
いた話ですが、鉄道の駅の自動改札というやつ、関西ではずいぶん昔からあったそうですね。
まあ、東京でもここ数年でほとんどがこれに置き換えられて、
いまや有人改札はほとんどなくなってしまいました。
当然ながら僕も毎日利用しているわけですが、
いまだにあれを通り抜けるときはかすかな緊張を覚えてしまいます。
そう、定期券を入れ違えやしないかという恐怖です。
 
も一・二度経験しましたが、あれは実に嫌なものですな。
「お〜ッとッとッ、そうはいかねェ!」という感じでドアが閉まり、
「出会え!出会え!ここな狼藉者じゃッ」とばかりに、とてつもない警報音を鳴り響かせる。
「いや、決してそのような。キセルなどとは滅相も」と言い訳したって許しちゃあくれません。
「ええい、ならぬならぬ!そこへ直れぃ」とばかりにけたたましく叫び続けます。
こちらは人間としての尊厳を奪われ、ひたすら赤面し、困惑し、立ちすくむしかない。
ことに朝の通勤ラッシュの時間帯ともなると、
背後に並ぶ勤め人たちのイラつきぶりも察せられて、なんともかとも恐悦至極。
穴があったら入りたいとはこのことです。
 
まり、裏返せばこやつをスマートに通過するのは、
練達の勤め人にとってもはやルールとなっているわけです。
定期や切符を入れ違えて人々の流れを止めるのは、とてつもない犯罪行為だという共通認識があるわけで
……これすなわち街のオキテであります。
 
ころで、この恐悦至極の事態、実は現在もそう珍しいことではありません。
実際、1本電車が到着しワッと改札が満杯になると、きまって1度はキンコンキンコン鳴り始める。
乗客の方も慣れっこで、たとえ目の前でやられても何事もなかったかのごとく身を翻して隣の改札に向かう。
実にクール。中には舌打ちなんぞしている方もいらっしゃいますが、これはいけません。
涼しい顔してやり過ごすのがプロというもので、これまた街のオキテの1つといえましょう。
 
様のオキテはエスカレーターにもありますね。
永田町や新御茶の水あたりの長い長いエスカレーターを見れば一目瞭然ですが、
勤め人の間では右側が追い越し車線というのが暗黙のルールとなっています。
左側はじっと立って運ばれていく人々、右側はそれが待てずに己が脚にてわっせわっせと登る人々という具合に、
ものの見事に二分された人の流れは毎朝のことながらちょっとした奇観といえましょう。
しかしながらこの美しい眺めも、ひとたびそこに異邦人が紛れ込むやたちまち大混乱の惨状を呈します。
すなわち連れと話し込みつつ立ち止まり、右側の流れをば遮断する「異物」の出現です。
こうなるとその異物の前にぽっかり空間を開けたまま、行列はむなしく運ばれていくはめになる。
 
をかければよいようなものですが、
それをやっては「プロ」としての沽券にかかわるというもので、何よりクールでない。
ではどうするか。
プロは全身全霊の「気」を込めて、
その異物に「ここなオキテ破りのイナカモノめが!」というイラダチビームを発射するわけです。
たかが視線と侮るなかれ。プロたちの念が一点に集中すれば、まともな神経の持ち主には耐えられません。
ほどなく己が失敗に気付いて道を空け、反省の念に深く頭をたれること必定です。
 
かしながら世間は広い。この無言イラダチビームが全く通用しない相手もまた存在します。
いわゆるオバサマたち、がそれであります。
なにしろ彼女たちの鋼の無神経は、あらゆるものをばバリアし弾き返す特性を持っていますので、
いかな練達のプロたちといえどもお手上げです。
運良く気づいていただけるケースもありますが、それはそれで不幸の始まりというもので。
彼女らは一転して攻撃に転じ、
「なあに?右側通行なんてどこにも書いてなかったわよ」「まあまあ慌てちゃってオソロシイわねえ」などと、
聞えよがしの悪口雑言吐き放題。
練達の勤め人達をして一挙に憂鬱のどん底に叩き込んでしまいます。
 
に恐ろしきはオバサマたち。
天下御免の無法者たる彼女らの、徹底した想像力欠如と厚顔無恥バリア、そして責任転嫁攻撃には、
いかな練達のプロといえども絶対に勝つことはできません。
ここはひたすら恭順の意を表して、安全圏に脱出してから軽く肩をすくめる。
その程度で諦めておくのが、プロの知恵。
哀しいかなこれも、街のオキテだったりするのです。
 

 
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