難儀な性格-2

 
なさんは、ひと月に何冊くらい本をお読みになりますか?
ぼく自身のことをいえば、雑誌やマンガ本をのぞくと、そうですね、15から20冊というところ。
実はこの読書量、ぼくには少しも多いとは思えません。
なにしろ最低でも1日1冊、本を読むのがごく当然だった時期が、ぼくはずいぶん長かったのです。
 
校生だった時のことです。
当時、すでにぼくは重度の活字中毒者で、
ミステリのみならずありとあらゆるジャンルの本を、なんの脈絡もなく読み漁っていました。
ともかく、その当時は、読んでも読んでも読み足りないという感じで。
登下校に使う時間が惜しくて走ったり、授業中に本を開いたり、
本が読みたいばかりに学校をサボったなんてことも1度や2度ではありませんでした。
ヒマさえあれば学校の裏手の河原に寝転がり、シケモクふかしながら読書するのが習慣だったように思います。
しかし、そうしたところでむろん、読みたい本の全てが読めるはずもありません。
それどころか1冊読み終えると新たに3冊読みたい本が出てくる。
さらには、自分の知らないところで「すんげえ面白い本」がこっそり出てるんじゃないか、という疑いまで湧いてくる始末で。
それこそネズミ算式に読みたい本が増えていくわけです。
なんともはや。こうなるともう一種の病気としかいいようがありません。ほとんど、アブナイやつといっていい。
そして、そのわけの分からない焦燥感にかられるまま、
ある時ぼくは、自分が一生の間に何冊くらいの本を読めるのだろうかと試算するに至ったのです。
 
に、計算といっても大ざっぱなものです。
当時のぼくはだいたい1日1.5冊のペースで読んでいましたから、
そのあと50年ほど生きるとして、1.5×365×50=2万7375。
まあ、映画にも行かなけりゃならんし、ちょっとは勉強もせにゃならん。
とうぜん読書ペースはどうしても落ちるでしょうから(なぜかこのあたり妙に冷静なんですね)、
キリの良い数字にして後は切り捨て、約2万5000冊というところでしょう。
ともかく、いちおうそう結論付けたわけです。
2万5000冊。……正直いってこのときぼくは、愕然としました。
たった、それだけ?
 
なさんはそうは思いませんか?
かなりのハイペースで読んでも、18歳以降の生涯にたったの2万5000冊しか読めないんですよ。
2万5000冊といったら小さめの図書館1つぶんじゃありませんか。
ともかく、ホントにたったそれだけなのか?……ぼくは何度も自問しました。
だけど、そう。それだけなんですね。こんな簡単な計算、間違えようがありません。
で、思ったわけです。
こりゃあ大変だ、と。ムダな本なぞ読んどるヒマはないんだ、と。
マトモに考えれば、読みたいジャンルを絞り込み、順序立てて読み進めるのが合理的なのでしょうが、
あいにく当時の僕にそういう発想は一切ありません。
なぜなら狙いを絞り込み、厳しく選んでしまったら、手に取ることもなく見落としてしまう良書も増えるに違いないから。
ともかく当時のぼくは、ミステリもSFも純文学も詩集もエッセイ集もノンフィクションも哲学書も名作も古典も新刊も……
全て読まなければ気が済まなかったわけです。
つくづく欲の張った浅ましい発想ですよね。まさに、難儀な性格もきわまれりという感じで。
 
あ、ともかく。
そういった経緯を経て、ぼくはそれまでの、気が向いたら本屋を廻り、なんとなく本を買い漠然と読むようなやり方は、
あまりにも無駄が多すぎると判断しました。
もっともっと合理的に、システマティックに。
広い範囲から読むべき本を選び出し、確実に読みこなしていかねばならない。
そう結論し、18歳のひたむきさで独自の探書・読書スタイルを編み出したのです。
今となってはこれもさして独創的ともいえないシステムなのですが、
いまだにぼくの探書・読書の基本となっているわけですから、それなりに実用的だったのでしょう。
それにしてもねえ。2万5000冊。
当時ほど重症ではないにせよ、いまだに活字中毒から抜けられないぼくにとっては今もちょっとだけ気になる数字です。
試しに同じ計算を「映画」にあてはめてみると……いや、止めておきましょう。
また「発病」してしまいそうですから。
 
え?ぼくが開発した探書・読書システムの内容ですか。
そうですね。それはまた、別のお話。
 

 
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