一千億の理想郷【定義篇:評論家】-1
 
※敬称略。発表年代順。新しいものほど下(後)に配置してあります。「本格ミステリ」という呼称自体に異同がある場合は、カッコ付きで補っています。また、発言の年月は、書籍からの引用の場合は基本的に当該書籍の初版刊行日に準じています。
※基本的に全て「原文からの部分引用」です。
※同じ筆者/発言者の文書・発言が複数の項目に収録されている場合、各文書末尾に「※>定義篇」といった形でリンクが張ってあります。
 
 
戦前(〜1945)

●「飾りや装飾をとりのぞけば、探偵小説はその根本においてはただひとつのもの、犯人と探偵の間の機知の争いにすぎない。そしてこの争いは、伝統的に、探偵が相手のことを考え抜くことによって勝利をおさめる。プロットのどの重要な事件も、小説のどの構成のステップも、この犯罪と追究との中心的な戦いの完全な論理的な結果である」
……ハワード・ヘイクラフト(評論家 『娯楽としての殺人』 1941年)
 

戦後〜新本格(1946〜1986)

● (純粋パズラーは)「不可能興味の濃い謎を、天才的な名探偵あるいはそれに近い人物が、論理的に解決することを特徴とする推理小説、といえばいえるかも知れない」
……権田萬治(評論家 『現代推理小説論』 1985年1月)
 

新本格〜(1987〜)

●「推理小説のうち、謎解き、トリック、頭脳派名探偵の活躍等を主眼とするもので、1841年、ポーの『モルグ街の殺人事件』によって原形が確立された」
……新保博久(評論家 『日本ミステリー事典』 2000年2月)

●「結末部分で読者に意外性を感じさせるための知的なアイデアが盛り込まれており、そこから逆算して全体のプロットが作られているような物語」
……市川尚吾(探偵小説研究会・評論家 『本格ミステリこれがベストだ! 2003』所収「ジャンル原論」 2003年4月)

●「私の「本格観」を述べれば、それは「知的な探偵小説」であり、正確には「知というパースペクティヴから探偵小説を見たときに見出されるジャンル」である」
……田中 博(探偵小説研究会・評論家 『本格ミステリこれがベストだ! 2003』所収「『奇偶』クロスレビュー」 2003年4月)

 
 
 
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