一千億の理想郷【批評篇:評論家】-1
 
※敬称略。発表年代順。新しいものほど下(後)に配置してあります。「本格ミステリ」という呼称自体に異同がある場合は、カッコ付きで補っています。また、発言の年月は、書籍からの引用の場合は基本的に当該書籍の初版刊行日に準じています。
※基本的に全て「原文からの部分引用」です。
※同じ筆者/発言者の文書・発言が複数の項目に収録されている場合、各文書末尾に「※>定義篇」といった形でリンクが張ってあります。
 
 
●「作者の説得力、読者の想像力をかきたてる能力、これらが凡庸以下とあっては、どうやって現実味のない殺人事件の犯人探しに興味を覚えることができるだろう? 単に紙の上の名前にすぎない、特徴のない登場人物のなかから、どうやって犯人の目星をつけろというのか? ようやく理解したのは、真の探偵小説通というのは、文学の審美眼や想像力をとりあえず棚上げして、純粋に知的ゲームを楽しむ人々のことだということである。私にはどうやってその境地にたどり着けるのかわからないが」
……エドマンド・ウィルソン(評論家 『誰がアクロイドを殺そうが』1945年)

●「密室に夕暮が訪れた。閂のかかった分厚い扉をこじあけようとする者は既にない」
……紀田順一郎(評論家・作家 『密室論』 1961年)

●「なにがミステリーに属するか、属さないかなどといった議論は、きりがないし、まったく無用である。およそどんなスタイルだろうと、悪を扱ったものであるかぎり、受け入れる余地があっていい。『罪と罰』をミステリーと呼ぶ例もあるくらいなのだ。また、来年にはなにがひそんでいるか、だれにわかるだろう?」
……デリス・ウィン(Murder Ink店主 『ポーから現代まで』:『ミステリー雑学読本』所収 1977年)

●「私は、問題は名探偵の否定ということではなく、現代にふさわしい名探偵、つまり現実感にあふれた、人間的魅力に富む探偵役を創造できるかどうかという問題ではないかと思う」
……権田萬治(評論家 1980年頃?)
……参考:名探偵論争-3 ※>1へ >2へ

●「アメリカ探偵小説にとって、探偵役の思想ドラマはきわめて本質的な、避けて通れない命題だった。ヴァン・ダインしかり、クイーンしかり、である。かれらを苦しめた道義上の審判を軽々と通過することによって、カーはかれ自身の「祖国脱出」を完璧に証明してみせたのである」
……野崎六助(評論家・作家 『北米探偵小説論』 1991年9月)

●「しかし、島田荘司が推薦するにたる“本物”の作家がいつか出てきてほしいとの思いは変わらない。いくら変形異形の建物ミステリーを書いても、作品の内容と自らの姿勢を別にして、これは違法ではないからいいのだ、というような屁理屈をこねる作家だけは我慢がならない」
……関口苑生(評論家 『島田荘司への個人的ファンレター ―アンチ<新本格>の読者として―』:講談社文庫版『斜め屋敷の犯罪』解説 1992年7月 ※>批評篇2
……参考:新本格バッシング

●「クロスワードパズルでは、なぜ鍵があるのかが、問われることはない。しかし、パズルストーリィでは、手がかりが残った必然性は必要なのである」
……小森収(評論家 『小森収の12番勝負』:『本の雑誌』1995年11月号)

●「わたしがおぼろげながらに考えていることは、ミステリーもまた伝統芸術であり、落語や歌舞伎のごとく、常に先人たちの仕事を参考にしながら新しい技術、解釈を加えていくものではないかということである。その中心に「本格」がある。本格が崩れてしまえば、ほかのジャンルも危うくなってくるのではないか」
……関口苑生(評論家 『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』 2000年5月 ※>批評篇1

●「推理小説は、現在から過去へ時間を遡り結果から原因を示そうとする特質において、作中世界の時間が本質的に逆流しているから、推理小説の世界は正常な時間の存在しない無時間性の空間である」
……波多野健(評論家・探偵小説研究会 『創元推理20』所収『無時間性の芸術へ―推理小説の神話的本質についての試論―』 2000年)

 
 
 
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