一千億の理想郷【批評篇:読者】-1
 
※敬称略。投稿到着順。新しいものほど上(前)に配置してあります。「本格ミステリ」という呼称自体に異同がある場合は、カッコ付きで補っています。また、発言の年月は、書籍からの引用の場合は基本的に当該書籍の初版刊行日に準じています。
※備考に《投稿》とあるものは、メールその他でご投稿いただいた単独の文書。それ以外は全て「原文からの部分引用」です。Web上に原本が存在する場合は備考に当該文書名をあげリンクしてありますので、必ず原文を参照してください。
※同じ筆者/発言者の文書・発言が複数の項目に収録されている場合、各文書末尾に「※>定義篇」といった形でリンクが張ってあります。
 
 
●「我々が「ああ、本格っぽい」と感じるのは、謎とその解決であるとか、トリックであるとか、論理のアクロバットであるとか、意外な結末であるとか、「名探偵全員集めてさてと言い」であるとか……、結局、どれをとっても「要素」なんですよね。だから、純粋に本格ミステリを志向して書かれた物語でなくても、「読みようによっては本格」といったことが起こりうる」
……大盛有閑(『大盛有閑堂』管理人 『続・夏休みの宿題』03年8月17日 より ※>定義篇へ

●「本格ミステリってのはそもそも「小説」という不純物を抱えてしか生きられない小説なのだ。で、小説とは「本格以外」であり、だから限りなく純度が高い「本格ミステリ」であろうと「本格以外」のものが混ざらざるをえないのである。だから、もともと境界はあいまいで、定義もつけづらいのだ」
……春都(『謎の街』管理人 『謎街日記』2003/7/24より)

●(本格ミステリの) 「定義を考えるのなら、まず「意外性」という要素は排除して考えなければならないのではないか。つまり、ある人が意外と思ったことでも、別の人は意外と思わないのなら、それだけで本格ミステリの定義は「人それぞれ」という結果に終わってしまう。……(中略)……そもそも究極的に、「結末の意外性」というのは何なのか、本格ミステリにとってどのような意味を持つのか。この謎を破らない限り、本格ミステリの「定義」は困難なような気がする」
……郭公亭(『郭公亭讀書録』管理人 2003/07/15付「ほぼ書き殴り」より)

●「目的のない徒な定義論に意味などない。必要なのは基礎理論だ。ミステリに関わるあらゆる事象を汎用的に語ることが出来るようになるための道具である」
……市川憂人(『Anonymous Bookstore』管理人 「推理小説のエッセンス 第1回 」より 2003年6月29日)

●「いかにも「1たす1は2」であるかのように論理的に選択肢が現れるように読まされて、読者は感心させられるのだが、小説内世界で、どこまでが論理的な判断の範囲に含まれるのかあきらかでないかぎり、本当にフェアとは言えない。つまり、足し算にたとえて言えば「足す」とは何か、実は他に使える演算子があるのか、演算される数は整数なのか実数なのか、などといった規則が最初に開示されるべきものだが、それは通常「ミステリ的なお約束」として、語られなくてもいいことになっている。それに我慢できない作家が、小説の中で突然「密室講義」「アリバイ講義」を始めてしまうのだと思う。あれは単純に歴史やテクニックを総括したり、あるいは蘊蓄を垂れようという目的のものではなく、自分の書くものの論理的構成要素をあらかじめ提供しようという、きわめてフェアな態度なのではないか」
……mutronix(『焚書官の日常』管理人 2003年6月1日分日記より)

●「脱格三人衆の作品を本格として論じる、というやりようは、たとえていえば、昔よくあった“『カラマゾフの兄弟』はミステリだ”とか“『罪と罰』は倒叙モノだ”とかいう、あの手の論議を彷彿させます。いずれも“論”としては面白いのですが、だからといって『カラマゾフ』をミステリというレッテルを貼って販売する出版社はあまりないでしょう……中略……どうもぼくにはこの評論の世界でも小説分野と同様に、“本格のこと”を語ると称してじつは“本格で”別のことを語ること、が流行っているように思えて仕方がないのです。本格“で”語ろうとするから、本来本格ミステリとはとてもいえないような別ジャンルの作品を引っ張ってくるハメになるわけで」
……MAQ (『本格・破格・脱格』(未収録)より 2002年10月 ※>定義篇1 >讃歌篇 >批評編1 >定義篇2
……参考:脱格論議3 >1へ >2へ

●「探偵小説が他の分野と全く異る特徴、それは、読者がポオ以来の全ての探偵小説を読んでると想定されていること。こんなジャンルが他にありますか。そのため、必然的に探偵小説は伝承の文学となります。名探偵と語り手の存在、いくつかのトリックの型など、探偵小説はポオとディケンズによって完成させられたと言っても過言ではありません。では、後継者は何をするか。型をくずすのです。伝承と破壊の二律背反。探偵小説の稚気には宿命的に自らの存在を虚無へ化そうとする強烈な毒があるのです」
……宮澤(『宮澤の探偵小説頁』管理人 『探偵小説論の試み』より 1990年8月15日)

●「論理的文章というのは大抵がパズルであったり、数学の証明であったり、あるいは論文であったりする。そこに「人間の感情」が入る余地はあまりない(論文の方向性によっては、感情だけで書かれたという方が正しいのもあるが)。そのような機械的論証に対し、文学としての価値観を与えたものが本格ミステリの源流だとタカハシは考える。少なくとも、本格ミステリの起こりが「洋館」だの「嵐の山荘」だの「人間関係」に裏打ちされたものでなく、ただひたすらにパズルを提示してその解答を提示するだけのものであったら、それはそもそも「小説」であるとは言えないのだろう」
……マコチーノ高橋(『天変地異ノ』管理人 『日々是妙日』2003年5月28日分より ※>定義篇

●「本格としては良くできているが面白くない、という言説がときおり聞かれることに首をかしげる向きもあるかもしれません(事実こういった書き方を僕自身したことがあります)。これについては、単純に「本格」としてあげられる要素を照らし合わせてみた結果は本格といえるのだが、自分の読後感とは合っていないと言うことを言い換えたにすぎないと思います。だれだって「本格」だけ、が好きだと言っているわけじゃないんですから当然です。あくまでも「おもしろさ」の区分としてジャンルというのが存在しているのではないでしょうか。僕にとって「本格として面白い」作品はかならず「物語として面白い」とイコールです。勘違いされると困るのですが、 本格ミステリも物語です」
……松本楽志(『天使の階段』管理人 『日記』2002年8月7日分より ※>定義篇

●「本格ミステリの論理的解決は「変数を最小限に抑えた数学の式」のようであるほど優れていると思います。Xがない、つまり解明不能な場所が極限まで取り除かれているパズル。唯一無二の解決。これが美しいミステリの形の一つだと思うのです」
……ガム(『[AAA]肉じゃが三段キック!』管理人 『俺的ミステリ原論2』 2002年12月15日 ※>定義篇1 >定義篇2

●「ミステリの本質は、謎を手がかりに即して論理的に解きほぐしてゆくプロセスであり、結末の意外性やトリックやアイディアの独創性、機知の要素などではない。無論、意外な結末があってはいけないというわけではなく、論理的な解明のプロセスを阻害しない限りはあっても別に問題はない。ただし、同じ意外性でも、手がかりの意外な解釈や、意外なロジックの展開など、細かなレベルの――しかも読者が丹念に読み込んで考えを巡らせたうえでなければそれが意外であることに気づかないような――意外性の積み重ねのほうが、ミステリを特徴づけ他の文芸形態と隔てる重要な要素であると私は考える」
……滅・こぉる(『たそがれSpringPoint』管理人 『幸福な少数者の理想郷』より 2003年5月21日)

●「現在の本格ミステリにおける多様性を杉本は肯定したいと思います。確かに多様性を得る代わりに本格ミステリとはなんなのか共通理解を得られなくなってきています。しかし、本格ミステリの進化とはそもそも論理ゲーム空間(限定された登場人物、閉鎖的空間、人工的整合性)の拡張と逸脱、掟破りの歴史ではないかと思うのです。その意味において、本格ミステリ定義論とは常に実作品により裏切られることにこそ意義があると認識しています」
……杉本@むにゅ10号(『*the long fish*』管理人 『本格ミステリ伝説』より 2003年3月)

●「ちょっと極端かもしれないが、次のように提唱したい。「本格推理小説」または「本格探偵小説」あるいは「本格ミステリ」という言葉を無意味なものとみなして議論の場から排除しようと。これの言葉のもつ曖昧さは無視できる程度を越えており、かつ多義的でもあり、さらに相対的ですらあるかもしれない。これらの言葉が表している(はずの)事柄について話を進める前に、言葉そのものの意味の泥沼に足をとられるくらいなら、回避したほうが身のためである」
……滅・こぉる(『たそがれSpringPoint』管理人 『「本格」とは何か』より 2002年3月26日)

●「本格ミステリという“器”はじつはひどく小さくて、何をするにも融通の利きにくい・使い勝手の悪い容れ物だから。それはたぶんSFよりもホラーよりも純文学よりも小さく……あまりにも小さいので、本格以外のものは容れられないほどなのです。無理に他のものを容れようとすると、たちまちあふれて全体が“まるきり別のもの”になってしまう。そんな器なのです」
……MAQ(『Junk Land』所収『本格“で”書くということ』より 2003年5月 ※>定義篇1 >讃歌篇 >批評編2 >定義篇2

●「もし彼らがミステリの古典的名作から学んだミステリの最良のエッセンスを自分の作品に注ぎ込んでいるという自負があるのなら、現代ミステリの読者は彼らの作品を通じて、古典的名作の中にあるミステリの精髄を受け取っているわけで、思い切って言い切ってしまえば、その意味では、別に現代ミステリの読者が古典的名作を手に取る必要はないだろうと思うんです」
……樋口康一郎(『underground』管理人 『伝言ゲームは失敗したか?』より 2001年5月)

●「私たちはもはや、苔の生えたオカルティズムや不自然きわまりない密室のための密室に用はない。 謎はもちろん必須だが、それとてもまた犯人が仕掛けるものなどではなく、むしろ状況から生まれた謎であるべきだし、トリックもまた全否定するものではないにせよ、“そうせざるをえなかった”という必然性が大前提とならなければならない。トリックにせよ謎にせよ動機にせよ、あくまで無理の無いこと……必然性をすべての前提とすることで、新時代の“リアル”を実現するのである」
……aya (『Junk Land』所収 “「物語」から「ゲーム」へ”より 1970年代後半 ※>定義篇

 
 
 
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