トップに戻る

過去日記

2002年6月17日(月):未明

アウディ1-2-3

 アウディの1号車が1位、2号車が2位、3号車が3位という、あまりにも順当な結果になりました。

 …昔は、勝つ為に本気で臨んで来たワークスが大量にエントリーして来ていて、ほんとに熱い戦いが繰り広げていたモノだが、いつしか欧州勢を中心とした特定のワークスを勝たせる為にそれ以外の国のワークスに不利な規則をバリバリ立てていったのも、ル・マンが盛り下がった大きい要因だろう。かつてマツダがぶっちぎりで勝ってしまったときに、マツダといえばロータリーエンジンだったがそのロータリーエンジンを、適当な理由を付けて禁止してしまった事は未だに記憶の底にこびり付いている。

 まあ、世界的な不況がエントリー減少の原因ということになってはいるけれど、それを差し引いても『ル・マンの方針にはついていけない』と撤退してしまうワークスを引き止める事は出来なかったろう。

 で、エントリー数が減ってしまった対策として、ワークスのように金の掛かる車でなくてもル・マンを走る事が出来るようになってしまった。
 まあ少ない予算でもエントリー出来るのはいい事なのかもしれないがそれにしても限度がある。
 市販車を改造しただけの車がサルテ・サーキットを走るなんて、十ン年前にはとても考えられない事だった。
 トップスピードが300km/hの車と200km/hの車とで同じコースを走らせるなんて狂気の沙汰としか思えない。速い車にしてみれば、相対速度差100km/hで迫ってくる車を避け続けなければならないんだから。

 これが原因で深刻な事故が起きていないから、これからも安い車がル・マンを走り続ける事が出来るのであろうが、もしこれで安い車が原因で深刻な事故が起きようものならそれはル・マンの終焉を意味する物になるのだろう。

 …なんて、何だかんだ文句たれてもけっきょくル・マンを観続けちゃうんだろうけど。

前後の過去日記

↑2002年6月17日(月):昼

千葉

↓2002年6月16日(日):深夜

本文データ入稿

過去日記一覧
トップに戻る