立山・剱

夏休みの最後に、今年の目標として計画していた。立山・剱を歩いてきました。ルートは一般ルートですが、北アルプスのいいところを思う存分楽しめたと思います。今回は、会社の同僚2人に同行いただきました。
コース概略は、「室堂〜一の越〜立山縦走〜剣沢小屋〜別山尾根〜剱岳〜剣山荘〜剱沢〜真砂沢ロッジ〜ハシゴ谷乗越〜内蔵助平〜黒四ダム」です。


【日 程】96年8月24日(土)〜96年8月26日(月)
【目 的】立山・剱岳
【天 候】24日 曇・霧 25日 晴のち曇り 26日 曇り時々雨
【コース】1日目 室堂より立山を縦走し剣沢小屋へ
      0940 室堂→ 1027/1040 一の越→ 1125/1215 雄山→ 1230/1300 大汝山 → 1335/1345 真砂岳 → 1425/1440 別山 → 1515 剣沢小屋
     2日目 剱岳を往復し剱沢を下って真砂沢ロッジへ
      0530 剣沢小屋 → 0550/0605 剣山荘 → 0620/0630 一服剱 → 0710/0720 前剱 → 0900/1000 剱岳 → 1125/1147 前剱 → 1220一服剱 → 1240/1340 剣山荘 → 1500 真砂沢ロッジ
     3日目 真砂沢ロッジから内蔵助平を経て黒四ダムへ
      0645 真砂沢ロッジ → 0815/0820 ハシゴ谷乗越 → 0932 内蔵助カール分岐 → 1100/1140 1ルンゼの押出 → 1155 内蔵助谷出合 → 1240/1330 黒四ダム直下 → 1400 黒四ダム
【山 名】雄山 3003m 大汝山 3015m 真砂岳 2861m 別山 2874m 一服剱 2618m 前剱 2813m 剱岳 2998m
【メンバー 】会社の同僚 TさんとYさん と私の3人
【山 域】北アルプス
【参考書】フルカラー特選ガイド 立山・剱岳を歩く(山と渓谷社)
     昭文社エアリアマップ 剱・立山


メンバー紹介 Tさん 剱岳のルートは一般的な 尾根・岩稜・雪渓 はすべて歩いた、某大学WV部OB。年は私と同じ。今回のリーダー。
       Yさん 比良・鈴鹿等を歩く。3000m級は今回が2回目。年は..若い

1日目

1.登山口まで(千葉〜扇沢)

金曜日の夕方7時に千葉を出発し高速に乗ると、いきなり篠崎まで渋滞。それを抜けたと思ったら、小松川〜代々木まで渋滞。結局高井戸までのろのろ運転である。これこそ殺人的な渋滞という。扇沢の駐車場には翌朝1時過ぎに着き仮眠する。四日市から扇沢に向かった両氏は駐車場でテントを張っているはずであるが発見できず。翌朝駅構内で発見、雨が降りそうなので駅の中でテントを張っていたとのことだった。

2.アルペンルートで室堂へ

始発のトロリーバスにのり、いろいろ乗り継いで室堂へ。10キロ超の荷物は別料金をとられるが、3人とも13キロ前後。もう少しまとめれば、一人だけ払えばよかったのに....アルペンルートであがる時は、水等よけいなものは抜いて、9.9キロに押さえましょう(^^)。扇沢7:30の始発でスタートしたものの、スムーズに始発が接続しているわけではなく、乗り継ぎの度に待ちがあり、室堂には9:25着。途中黒部平(ロープウェイの乗車駅)からまわりを展望するが、高いところは霧の中。かろうじて後立山連峰の一部が見渡せる。最後のトンネルバスは、今年からトロリーバスになったようだ。

3.立山縦走

室堂に来るのは実に17年ぶりだ。だがその時の風景とはほとんど変わりがないあるとすれば、当時の晴天と今日の曇天、当時の紅葉と今日の緑と雪渓。あとは記憶のかなたの室堂と同じである。今日は雄山・大汝山等高い部分は雲の中に隠れてしまっている。今回はあくまでも剱岳がメインで立山はおまけ的行程なので、本当の素晴らしい立山をまた味わいにくるとして、今日はしっかり歩くことを楽しもうと思う。
準備を整えて出発。一の越までは緩やかに遊歩道のような道を空身の観光客と団子になって登っていく。途中雪渓を何回か横断する。まだまだ消えない。雄山へもたくさんの観光客と一緒である。これも抜きつ抜かれつの登りである。同行の両氏はどんどん先に行ってしまうが、足の遅い私はだいぶ遅れて雄山着。標高差は400m程度の結構きつい登りなのだ。雄山は人でごった返しており、居場所がないほどだ。せっかくきたので山頂に登る列に並ぶ。400円の拝観料を払い、狭い雄山の頂上部に通されて祈祷をうける。健康と登山の安全祈願である。おみくじ100円で合計500円の山頂だった。
一人、下で待っていたTさんと合流し、大汝山へ。立山の最高峰である。岩礫の頂上であるが、展望は霧の為皆無である。晴れていれば、北アルプスのほとんどすべての山が望まれる展望の峰のはずだ。ここでゆっくり休憩する。
大汝山からは、富士の折立のピークは巻いて過ぎ、真砂岳に向かう。鞍部には内蔵助カールの壮大な風景が広がる。2000年前の雪渓が残るこのカールは形がよく実に雄大な眺めだ。真砂岳は平坦な頂上でどこが山頂なのかよくわからないまま、室堂側から吹き付ける雲が霧雨になって寒さを感じてきたので、早々に通過する。ただ、のびやかな稜線は雰囲気のいい山には間違いない。
別山への鞍部に下って登り返す。靴紐をなおしている間にまた2人は先行してしまったので、のんびり霧の中を歩く。別山直下は、霧がでると方向が非常にわかりにくくなる。途中でよく方向がわからなくなってきたので、霧の中かすかにチラチラする高みをめざして登ると山頂であった。硯池はパスしてしまった。
剱岳の代表的な展望といえば別山と仙人池であろう。その別山からの展望は、今日は濃い霧の中で無い。しばらく待つが、全く気配もないのであきらめて剱沢の方へ下りにかかる。
ある程度下ったところで剱岳がちらっと顔を出した。写真で見た姿そのままだった。(アタリマエカ....)少し霧が晴れてきた剱御前や、別山から北に延びる別山尾根の稜線をみながら下ると剣沢小屋に到着した。

4.剣沢小屋

剣沢小屋は8畳の部屋に6人となった。土曜日の夜というのに余裕である。剱岳方面に20分歩いたところにある剣山荘は、この日は布団1枚に2人の盛況であったらしい。さて、翌朝緩やかな下りを20分だけよけいに歩いて、剣沢小屋の8畳の6人をとるか、その日のうちに20分だけ剱岳に近づいて1枚に2人をとるか....これはできれば前者をとりたい。おまけに、剣沢小屋からは剱岳の全容がかっこよくはっきりとみえる。剣山荘からは一服剱を見上げるのがせいいっぱいで、前剱がちょっと頭をだしている程度の眺めなのだ。
夕食後、ストーブのある談話室でのんびり過ごす。立山に関するものを中心に他の宿泊客は部屋に引き上げていったので、冬季登攀のビデオをじっくり見る。私には技術もないうえに、あれだけの体力と精神力はとてもじゃないが無いと思う。
8時ころ外に出てみると、月や星も出ており、月明かりに剱岳がもう雲も霧もなく、はっきりと浮かび上がっていた。明日のいい天気を約束しているようだった。8時半就寝。

2日目

1.剱岳に登る

剣沢小屋では、朝4時半に目覚める。外に出てみるとまだ暗いが剱岳には雲がかからず全体がはっきりと見える。天候は全体的には快晴とはいかないが、すべての雲は山を隠さない程度の高いところにあり、展望も期待できそうだ。食事後準備をしながら眺めていると、日が登るにつれ剱岳の山肌は赤く染まり徐々に白くなっていく。山の朝で迎える最高の一瞬だ。
5時半に剣沢小屋をスタートし、剣沢を横切って剣山荘へ。ここで荷物をデポして、超軽い身となりいよいよ剱岳への登りのスタートだ。
剱岳は危険個所も多い山で、特に一服剱から本峰までの間は、一歩一歩を慎重に、足を乗せる石を全く動かさないようなつもりで、かつ迅速に歩くことに心がける。私が先頭で、Yさん、Tさんの順。今日は離れることなく終始一緒に行動する。
剣山荘から一登りで、一服剱に立つ。一服剱とはなかなかの命名だと思う。登ってきて一服もさることながら、下ってきてもここで危険個所が終了するのでまさに一服なのである。一服剱からは前剱が大きく迫ってきた。この迫り方は結構迫力があるとともに、いよいよ本格的なスタートだと改めて気持ちを引き締める。
武蔵のコルから、大岩を経て前剱までは、ガラガラした道の急登が続く。大岩の横の狭い部分を抜け、少し登ると道は若干緩やかになり展望のいい前剱山頂に出る。この間、浮き石が多く落石には注意したいところだ。前剱に登っている途中で、太陽は厚い雲に隠れてしまい、陰気な雰囲気になる。どうも、立山剱上空にだけ雲がいるようだ。ただし山頂までは降りてこないので、展望が遮られることはない。
さて、ここからいよいよ核心部にはいる。前剱から下ってしばらく歩くと岩を横にトラバースする高度感のある鎖がある。足もとは広いので思ったほどでもなく、途中振り向いてTさんに写真を撮ってもらう。
しばらく歩くと渋滞している。平蔵のコル手前の岩峰を越える鎖場だ。ホールドも豊富で、しっかり捕まえればそれほど鎖に頼らず通過できる。下りの傾斜もそうきつくはないので、前向きに降りられた。
平蔵のコルを過ぎると、こんどはもっと渋滞している。カニのタテバイである。平蔵谷から岩峰にとりつくクラーマーを見ながら、順番を待つ。カニのタテバイは、みんな渋滞して次々と登っていくので、一緒になって手足を動かしているうちに最上部に出てしまった。だが高度感のある急な登りには違いない。終始慎重に登っていった。
ここを過ぎてしばらく急登すると、下山のヨコバイとの分岐になり、さらに岩礫のゴロゴロした道を登っていくとやがて傾斜も緩やかになってくる。最後に少し登ってついに剱岳の山頂に到着した。
山頂はたくさんの人で賑わっており、また、タテバイを通過するあたりから雲も取れたので最高の展望となった。ここでゆっくりと今年の目標の剱岳が天候に恵まれたことに感謝しつつ展望を楽しんだ。
近景は長次郎谷と源次郎尾根、八ツ峰の岩稜。北方稜線と、それに続く毛勝三山、朝日岳から白馬、後立山と続く稜線。立山とその向こうに見える、槍穂高・三俣蓮華を経て薬師へと続く広大な北アルプスはほとんどの山が一望できた。中でも、笠ヶ岳の形はよく目を引いた。遠景は富山湾に白山、雲海に浮かぶ南アルプス、八ヶ岳、富士山。東には、浅間山、志賀草津の山。そして頚城の山と申し分のない大展望であった。結局この3日間で、これだけ遮るもののない。展望があったのは、この1〜2時間のみで最高に幸運でもあった。
1時間の滞在ののち、下りにかかる。一服剱まではまだまだ危険個所の歩行であるので、気を引き締めて歩かなければいけないことは言うまでもない。
カニのヨコバイへは、タテバイからの合流の随分手前からの大渋滞となっていた。渋滞中、平蔵谷から登攀中のクライマーを見ていたら、大きな音とともに相当な落石を起こした。アッっと思ったが、幸いそれより下に人がいずクライマーも何事もなかったようだ。
ヨコバイは高度感のあるトラバースだが、最初の一歩を進行方向より少し手前のスタンスに一歩置けば、あとはするすると通過していく。この一歩を省略しようとしたら、足がとどかずもがくだけだった。(^^;;
ハシゴを降りて、行きに越した岩峰を別のルートから通過し、慎重に歩いて前剱の山頂へ、ここまで渋滞もあって随分時間がかかった。
前剱から本峰を見上げたが、すでに雲が掛かって見えず、また北アルプスの山々もずいぶん靄がかかったため展望はなくなりつつあった。
前剱からの下りは、浮き石も多く、石を落とさない様ことさら注意したが、ここまでくると、多少安心感で、少しラフになったのか、また疲れも出るころで、ちょっと足下がふらついていた。一服剱を通過し最後に剣山荘まで一気に下って、早速ビールを求め乾杯!(^^)。うまかったなぁ。

2.剱沢雪渓を下る

ここからは、ほとんどの人が別山乗越を経て室堂方面へと帰っていく。剣沢山荘で同室となった人に会ったが、今日中に東京に帰るとのことで、あわただしく出発していった。Tさんは、かつて真砂沢のテント場での定着を繰り返していたので、「剱に来て別山尾根しか知らずに帰って行くのはもったいないなあ」と言っていた。
剣山荘からは、剱沢雪渓に出て一気に真砂沢ロッジまで下った。アイゼンをつけたが、傾斜は緩いので必要ではなかった。他の2人は付けなかったし、付けない人の方がよっぽど早く下っていった。
広々とした雪渓は真砂沢ロッジまで問題なく続いていたし涼しく快適な下りだった。
平蔵谷の出合からは、源次郎尾根の取り付きが確認できたし、平蔵谷も長次郎谷も雪渓は充分しっかりしているようだ。雪と岩の殿堂の名の通りの、剱沢からの剱岳のまた違った顔を見ながらの充実した下降となった。
15時真砂沢ロッジ着。ここからは、一服剱が剱沢の正面にピョコンと頭を出しているのが見える。深い谷に立つ小屋だ。宿泊客は12名テントは4張程度。6畳の部屋に3人で宿泊できた。今日一日の天候に感謝し、7時ころには就寝。

3日目

1.ハシゴ谷乗越を経て内蔵助平へ

今日は最後の日。真砂沢ロッジからハシゴ谷乗越を経て内蔵助平を通り、黒四ダムに向かう。
朝7時前に出発。真砂沢ロッジの宿泊客は仙人を経て欅平に向かう人。長次郎谷を詰める人と人それぞれだ。
剱沢雪渓を少し下り、対岸に渡ってハシゴ谷乗越の道に入る。雪渓を渡る所は、スノーブリッジになっていたり亀裂があったりするので、Tさんを先頭にして慎重に通過、右岸に入り口を見つける。ここからは、少しだけ下ったあと、樹林帯の急登になる。今回初めての樹林帯の道だ。この急登は果てしなく続くかと思われるほど長く、どんどん高度を稼いでくれる。いい加減大汗をかいたころ、岩のゴロゴロした地点を横切り休憩する。
この黒四ダム〜真砂沢の道はTさんが学生時代に新人合宿で良く使ったそうだ、新人は45キロ、先輩は55キロ程度を背負って途中内蔵助平でテントを張り2日で越えていく。まだ山慣れない人もいる新人さんは相当鍛え上げられたことだろう。
尾根に取り付く頃には、雨になり雨具をつけての歩行となる。立山杉の根を越えて登っていくと道は緩やかになり、ハシゴ谷乗越に到着。10メートルほど黒部別山側に入ったところで、内蔵助平を展望する。上から見ると広々とした樹海だ。
乗越からは急斜面を下ると、傾斜が緩くなり岩のゴロゴロした涸れ沢を歩くようになる。このあたりは内蔵助平にもう入っているのだろうか、比較的平坦な道が続く。沢床は時折流木が塞いでおり歩きにくい所もある。上部の最近雪渓がとれたばかりの所は、草木が芽吹きつかの間の春となっているが、一方ではナナカマドには少し赤い葉が出てきている。
沢から右岸に上がり、笹の覆い被さった道をしばらく行くと内蔵助カールからの道と合流する。この内蔵助カールへの道も相当草に覆われている。

2.内蔵助谷出合へ

内蔵助谷に沿って急下降する様になると、道は原生林の様相を呈し、倒木も多く、また上から雪で押し下げられて育った木が行く手を何度も塞ぐようになる。道はしっかりしているが、急下降で露岩や倒木を越えて行く道であり雨で滑りやすくなっている。いつのまにか、雨具が破れているのに気づく(;_;)
かなり下ったと思うころ、ハシゴを2本通過する。丸山東壁が右手に聳えるようになると、崩壊地を通過する。ここは不安定で崩れやすく、慎重にルートと足の置き場を選ぶ。このあたりで、真砂沢のテン場に泊まって先発していた、若い男2人女3人のパーティーが休憩していた。
そこから少し行った丸山東壁の1ルンゼの押出の岩の上で、内蔵助谷の急流を眺めながら休憩した。上を見ると丸山東壁がすごい迫力で迫っている。そして、眼下は内蔵助谷が急流となって流れ落ちる。黒部の原生林と深い谷と急流を体験していると思う。
休憩していると、女性の長く大きな悲鳴が聞こえた。どうしたんだろうと思っている間に、男性が一人あわてて向かってきて無線をもってないかと聞く。落ちて動けなくなったらしい。生憎持ってないことを告げると彼は、黒四ダムの方向に走り去って行った。Tさんが様子を見に行く。どうやら崩壊地を通過する時に石が抜けてしまい2〜3メートル落下し足を岩にぶつけたため足から出血がとまらず、動けない状態らしい。再び応急処置の用具をもってTさんは現場に行った。また戻ってきて、出血が止まらず急を要するので、伝令は行っているが、何かあった時の為に2重に伝令に向かって欲しいとのことなのでYさんと2人で黒四ダムに向かうことにした。Tさんは男が一人しかいないので、とりあえず何か男手があればと、扇沢で待ち合わせることとして、残ることにする。

3.黒四ダムへ

ほどなく、内蔵助谷出合に出て、水平歩道にはいる。ここからは道も断然良くなり、スムーズに歩ける。右手から落ちてくる沢が小滝をかけ美しい。
黒四までの道を半分くらい歩いたところで、先ほどの伝令の男性に会い、無事連絡がとれて出動したとのこと、とりあえずホッとする。ダムの下までくると、放流の水が迫力がある。また黒部川を木橋で渡るところは、すぐ下を流れる急流に目がくらみ吸い込まれそうだ。
橋を渡った時点で、関西電力のパトロールの方が立っていた。その方が無線で連絡したとのことで、県警の救助隊が来るのを待っているとのことなので一緒に待つ。30分くらいたって、4人の富山県警の方が来たので、パトロールの方はついて行った。
我々は、黒四ダムの横につけられた道を登って行き、最後に一汗かいて、指導標に従って、駅構内のトンネルにはいって行くと、なんと直接トロリーバスのホームに出た。月曜日だというのに、アルペンルートの観光客は多くごったがえしている。しばらく、黒四ダム周辺にいたが折りを見て扇沢にバスでおり、Tさんの帰りをまつ。我々とは3時間ほどの差で現れた。

4.帰路

遭難現場では、県警の方が到着後無線でヘリを呼んだらしい。地面すれすれまでホバリングして近寄りそのままかつぎ込んだそうだ。訓練をかさねて、登山者を守ってくださる山岳警備隊の方々はほんとうにありがたい強い味方であり、本当に感謝したい。
帰路は大町温泉郷の薬師の湯(400円)に入り、豊科で2人と別れ一人東京に向かう。全く渋滞がなく、豊科から千葉まであれよあれよという間に2時間45分で帰着した。

3日間、北アルプスで充実した日を過ごすことができました。2日目の剱岳登頂の時の絶好のコンディションは本当に幸運でした。
また、月曜日は長次郎谷上部の二俣でも事故があり出動したようです。安全には気を抜くことなく充分過ぎるほどに気をつけましょう。
帰りに、次は槍〜西穂にしようか、なんて3人で話していましたが、どうなることでしょうか。