こんなんで作業に集中できるわけもなし。回復を期して休むことにする。
治ったら休日だろうがなんだろうが出勤せねばならない、と日記には書いておこう。(このギャグも20台前半の人には通じないんだろうなぁ)
∀ガンダムの最終回をようやく観る。
最後の戦闘シーンが最初のガンダムのパロディになっていたが、それ以外にこれまでのガンダムが全肯定されたと思しき部分は判らなかった。
もしかすると、いままでのガンダムとタイトルに付いているアニメ作品(SDガンダムってアニメになってたっけ?)で描かれた出来事が実際にあったことである、とした黒歴史を称して全肯定と言っているのだろうか。そんな薄っぺらなことで良いのだろうか。
結局、最後のシーンは「生き残った少数の人間が、回復した地球環境を享受することになりました」という解釈で構わないのだろうか。戦争はしばらくしないかもしれないが、資源が枯渇して環境が疲弊するまで文明の拡大は繰り返すのではないか。
元々、そういう問題に焦点が当たっている物語であるわけではないのだから、そんな点を突っ込んでもしょうがないのだろうが。
んで、それを観た直後に意識を失い、次に目が覚めたらバリチェロが1位でM.シューマッハが8位だった。
結局、マクラーレンが1,2(でもハッキネンは2位)でM.シューマッハは3位、バリチェロは途中、トラブルでリタイアとなった。バリチェロがもうちょっと踏ん張ってくれれば、少しは展開が変わってきたかもしれないだけに残念である。
藤浪智之本人による「だんじょん商店会」のノベライズが出ていたので買ってくる。
……ゲームブックになってる。うーん、ゲームにこだわってるなぁ。
最近、Internetのごく一部で話題になっているのが、漫画家木城ゆきとによる、"銃夢"という文字列を含むハンドル等の使用差し止めである。
差し止め要求を受けた人のページでやり取りが公開されているが、これがまた慇懃無礼を絵に描いたようで、漫画家って人気商売だと思ってないらしいということだけはよく判る。
しかも「差し止めを行う権利はないはずだからお願いである」などとも書いてあり、見ず知らずの人間にお願いをする時に当然払うべき礼儀というものを弁えていない事も判る。
売れた漫画家というのは、若くして大金を得てちやほやされるので、人格が歪んでしまうことが多い、などという風聞の例とも思える。
まあ、作者の人格が歪んでようが卑しかろうが、作品の質にはなんの関係もないのだが。
昨日書いた木城ゆきと騒動だが、意外にも自分に関わる問題に発展する可能性を考慮に入れている人が少ないのに驚く。(私も昨日の時点では気付いていなかったのだが)
例えば、もし、木城ゆきとが、これから「龍一郎」というタイトルのマンガを描こうと思い立ち、それが売れてしまったりすると、私のところに例の慇懃無礼なMailがやってきて、何ら法的根拠が無いにも関わらず、脅迫的な調子でペンネームの変更を要求されてしまうのである。
少なくとも、あのMailを読んだ限りでは、この想定は間違っていないと私は思う。だって、こちらが先に使用していたとしても「変更するかどうかは両者の話し合いによるでしょう」なんだし、どうもあのMailは話し合いのつもりらしいし。
私は、そういう事態になるのは非常に嫌なので、事態の推移を注意深く見守るつもりである。当面は見守るだけだけど。
Leafの「こみっくパーティー」がDCに移植されるという発表が行われたようで、SEGA BBSの「DCソフト(その他)」がなんだか楽しい状態(人の悪い言い方)になっているようである。
いつも思うのだが、なんで特定のジャンルのゲームを毛嫌いして、しかも「俺はこのジャンルは嫌いだ。ジャンルを支持するお前らも嫌いだ」などという、無意味な意見を開帳したい人々というのが、いわゆるギャルゲーに関してそれなりの数いるのだろうか。
これがシミュレーションやアクション、シューティングなら(どれも最近は一般人お断りなジャンルだと思うが)、そんな事を言うのが如何に虚しいことであるか、容易に想像できると思うのだが。
なんだかんだ言って、日本は明治以降に発生したキリスト教と儒教が入り交じった妙な倫理観の影響を未だに受けていて、性的な問題に関しては完全に隠蔽すべきである、という観念を抱いているのではないだろうか。
それは一種の信仰であるから、他人がそれを理解できないことが理解できないし、論理的説明はする必要はないと感じるし、そもそも論理的に説明することなど出来る筈も無い。
ゲームプラットホームに対応するソフトについて、ジャンルや内容による統制を行った結果がどうなるのか、Nintendo64を見れば容易に想像できると思うのだが。(それだけがNintendo64の現状を招いているわけではないが)
SaturnがPlaystationに負けた理由は、18推やX指定の存在が大きく影響していると思い込んでいる人間も多いが、ポリゴン流行時代にポリゴン性能で負けていたことと、宣伝戦略で負けたこと、の2点以上に影響していたとは私には思えない。
販売店で全年齢向けゲームと混在していたことを問題にする人間も多いが、現状の販売店のDVDの棚を見ると、それが大きな問題であるとも私には思えない。私が行く範囲でのDVDソフトを扱っている店では、子供向けタイトルの隣り(同じ棚の違う段とか)に、18禁タイトルが並んでいるところが2軒ある。私の歩いていける範囲内でDVDソフトを大々的に扱っているのはその2軒くらいである。それが好ましい状態でないことを否定はしないが、その事が、すぐさまDVDというプラットホーム全体への攻撃に繋がるわけではない。
要するに、私にはギャルゲー排撃論を展開する人々が、狂信者にしか見えない。
相手はこちらを説得しようとしているようには見えないし、こちらが向こうを説得することもたぶん不可能なのだろう。
「俺はとあるゲームがDC用ソフトとして発売されて、雑誌で大きく取り上げられることが気に食わないからなんとかしたい」
「お前、そりゃただのわがままって言うんだよ」
今日は16時間も会社に居たので、何も書く事がありません。
米国で暴力的なゲームとそのプレイヤーの暴力性には関連がある、という論文が発表された。(リンク先は当然英語なので、それなりの英語力がある人でないと辛いでしょう。ちなみに私には無理)
そりゃまあ、普通は経験に多少の影響は受けるでしょう。
あと問題なのは、2つの論文のうち一方は「最初からそういう性向を持った人間が暴力ゲームを好んでプレイする」という可能性を考慮に入れるべきなのではないかと思うがどうか。
最終日だというので、五島プラネタリウムの「星と音楽の夕べ」Zabadak特集に行く。仕事しなきゃいけないんじゃなかったのか。
やまいし氏との待ち合わせは17:45分だった。東急文化会館に着いたのは17:20頃だったので、下の階の三省堂で新刊書を眺める。
恩田陸と田中哲弥が寄稿している「血の12幻想」が出ていたので、買う。続巻が出るということは、前の「12幻想」シリーズもそれなりに売れたということか。
アンソロジーが売れるというのは、みんな誰の本が面白いのか判らなくなっているからなのか、とちょっとだけ思う。
んで、三省堂から非常階段側を見ると、五島プラネタリウムから続いていると思われる列がこの階の下まで延々と続いている。
こりゃいかんと思って、慌てて8Fに向かう。
が、45分を過ぎてもやまいし氏は現れない。これはいつもの事なのだが(そして、私も他人のことはとやかく言えないのだが)、その間にあれだけの列が次々と館内に飲み込まれていくのを見ていると、並び席が確保できるのかどうか怪しくなってきた。
しょうがないので、一足先に入り、席を確保した上でロビーで待つことにする。ロビーと外とは透明なガラス扉で仕切られているので、双方からの視界がクリアなのだ。
やまいし氏はいつも奥方の石岡和己氏とやってくるので、3並びの席を探すが、さすがに2並びならともかく、3並びは残っていない。
一番後ろの列に残っているのをやっと発見し、ロビーに戻るとやまいし氏が一人で現れた。
事情を聞くと、石岡氏はイベントの準備が忙しくて来れなかった由。
ならば2並びの席を探したほうが良いだろうとなるが、結局あったのは東側の一番前であった。それでも後ろよりはマシだったかもしれない。
最後に掛かった曲が、撮りおろしの「遠い音楽」だったのだが、私は今のバージョンよりも上野洋子ボーカルバージョンの方が好きなのは秘密だ。
夕食は、東急文化会館内にある紅虎餃子房という中華料理屋。
味はまあまあだったが、はやっている店でとにかくうるさくて忙しない。
これなら、いつも渋谷で利用している餃子屋台の方が、落ち着いて食べられる分良いと思った。
恩田陸「月の裏側」読了。
とにかくこの本は、帯のネタバラシが痛恨。これがなければ、倍くらいわくわくして読めたのではないか(逃がした魚の典型か?)。
後半の展開は、なんとなく尻切れトンボな感じがする。いきなり現れていきなり完結する心理描写がなんとなく中途半端な気がするのは、読み方が悪いせいなのだろうか。
とにかく、これから読もうと思っている人は、極力帯に書いてあることは目に入れないようにすることをお勧めする。そうすれば、私のこの座りの悪い思いを経験せずに、幸せな読書体験が出来るかもしれない。保証はしないけど。
その後、休出して作業……、のつもりが全然能率が上がらない。
一応、最低限やっておくべき事だけ片づけて、21:00に帰る。
昨日渋谷のTUTAYAで2800円だったので思わず買ってしまったDVDソフト「The Right Stuff」を開けてみたら、両面1層方式になっていて、盤面が裏も表もレーベルの面積はほんのわずかしかなくてびっくりする。中心の穴を取り巻く幅3mmくらいの帯に「The Right Stuff Side B」とか書いてあるだけなのである。最初は裏表間違えて入っていたのかと思った。
何がびっくりって、両面方式って生き残っていたのか、ということにまずびっくり。SONYが提唱して却下されたものだとばかり。これって要するに、2枚のディスクを貼り合わせて1枚にしている筈で、ディスクの重量とか……、良く考えてみたら、2層方式もそうなんだっけ? だったら別に不思議でも何でもないのか(自己完結)。いや、193分という無茶苦茶な長さにもびっくりしたんだけど。いつ観るんだ、こんなの。