京極夏彦「どすこい(仮)」読了。
一昨年辺りに売れた小説のパロディ(ほとんどタイトルだけだと思うが)短編の連作集。
下らない話ばかりなのだが、ちゃんと最初と最後が符合するようになっているのには感心。こうしてまとまっているとそういう芸にも気付きやすいが、掲載誌に連載されたものだけを読んでいる場合は、それも結構難しいのではないか。
そもそも、最後の短編は書き下ろしだったりするので、連載のみを読んだ印象と、単行本を読んだ印象はかなり異なるのではないだろうか。というか、連載のみでは作品として不完全になってしまうことになる。
これはつまり「雑誌連載は単行本の広告である」ということを示しているのだろうか。
清水文化「気象精霊記3 うかれ頭とサクラン前線」読了。
最近、寝床に入っても寝付けないので読書量が増えている。
このシリーズは、最初の長編からして「内容がない」ことが問題とされている。曰く「キャラクターが終始どたばたを繰り広げるだけ」だというのだ。
私も最初は、いわゆる「恐いもの見たさ」で一作目を買ってみたという記憶がある。
しかし、こうして読み続けているのだから、私はこのシリーズがそれなりに気に入っているのだ。
それは多分、「作品世界がある程度の範囲まで破綻せずにきちんと構築されていて、なおかつ私がその作品世界に納得している」からなのではないかと思う。
具体的に言えば、作品に登場する気象精霊達が気象現象をいかにして操作しているか、が素人目には充分な説得力を持って描写されていることがそれに当たる。
私が気象現象にたいして詳しくなく、それでいて気象現象がカオス的振る舞いをするものであるということを知っている程度には詳しいということが、このような印象を受ける大きな要因になっているのは間違いないだろう。
しかし、このシリーズに対して「内容がない」などと大声で論えるほど内容のある富士見ファンタジア文庫収録作品は、数えるほどしか……いやいや、他社の文庫とごっちゃにしているかもしれないから、不用意なことは言うまい(言ってる、言ってる)。
ついでに言えば、いつもいつも内容があるものばかりが欲しいわけじゃないって人も絶対いるはずで、内容がないならそれなりに楽しめればそれでいいのである。楽しくないし、内容もないものならいくら批判したって構わないと思うが。
PowerBookの方は、動作している分には問題がないのだが、閉じてもSleepしなくなってしまった。
いったん再起動を掛けてやると、何事もなかったかのようにSleepするようになるので、長時間連続運用を続けると、何かしらのシステム領域がおかしな状態になってしまうのだろう。
これもシステムを再インストールしてやれば問題は解決するのだろうが、そんな気力はない。
The Big-OのDVD 2巻目を観る。
パクリだと評判の悪いオープニングは、確かにパクリに見える(というか、あれがパクリでなくてなんなのか、オマージュ?)上に、元ネタより明らかに安っぽい。
あんな短い時間に2回も3回も同じ絵を使いまわすのはどうかと思う。批判を受けるのは、パクリそのものよりもこの安っぽさが原因ではないのか。
雨でツインリンクもてぎで行われる予定だったCartの決勝が明日に延期されたそうな。
へー、Cartって雨で延期になるのか。
そりゃ、Ovalコースのレースを雨の中でやっても面白くもなんともないだろうけど。
とある事情があって読んでみる気になった水無月ばけら「友井町バスターズ」読了。
デビュー作であることを差し引いても、いろいろな問題点の方が気になって、話の方に集中できない話だった。
無邪気で素直な頃(驚くことなかれ、私にもそういう頃はあったのだ)なら、少しは楽しめたのだろうか。
ちょっとネタを詰め込みすぎだし、主人公のキャラは今一立ってないような気がするし、他のキャラの個性を生かすのなら、主人公の一人称視点で話を進めるのはまずいと思うし、etc. etc.
ちなみに、とある事情の方は私の勘違いだったので、そういう意味では無駄骨だったのかも。いや、別に時間と金を返せ!と言うほどひどい作品だというわけではない。そういうのだったら最後まで読まないだろう、たぶん。
大石まさる「みずいろ」。
男という生き物は、美人に振り回されつつ後ろをついて回っている生き方が、一番幸せなのかもしれない、と思わせる作品。
御厨さと美「裂けた旅券(パスポート)」の全巻読了。
作者による解説が各巻にあるのだが、最終巻にある「ものかきは自らが持つ狂気を切り売りして生活するものである(深井要約)」という言葉に考えさせられることしきり。
果たして、自分の中に狂気はあるだろうか。自分が狂気だと思っているのは、単なる未熟な精神ではないのか。
腰痛から始まった背中の痛みと肩凝りの軽減を目論んで、低周波演芸治療器を導入してみる。(実は買ったのは昨日なのだが)
これが実に面白い。気持ち良いわけじゃなくて、面白いのだ。
高々単四電池二本分の電力(しかも半月くらいは持つらしい)で、自分の身体が意思に関係なく反応するさまをじっくりと観察できる。もう、動かしてないのにびくんびくん、あー面白い。
調子に乗って何度もやっていたら、却って疲れて疼痛を持ち始めた。本末転倒。
背中に使った時は、この方が効きが良かろうと思って、うつ伏せに横たわって、普段は見ない「知ってるつもり」を見るともなく眺め、やがて気持ち良かったのかどうかはよく判らなかったが、うたた寝をしてしまった。
んで、うたた寝から目覚めた時に、明治時代の超能力研究者、福来博士と彼の研究対象であった二人の透視能力者に関して、その毀誉褒貶の責任を大衆なるものに押し付けていたが、ありゃどう考えたって、当時のマスコミ=新聞の責任だろう。それを全く無視しているところに胡散臭いものを感じる。それでも、自らの行状に頬かむりして新聞の不見識をがなりたてるよりはマシか。
今日も春の嵐ふうな天候。稲光はまだ見えないが、雷が鳴っている。
朝は青空が見えていたので、傘は家に置いてきてしまった。
そういえば、土曜だか日曜だかの雷では、瞬停で一瞬だけ部屋が暗くなったな。だが、SETI@home計算中だったPowerMac G3/450は何事もなく計算を続けた。
これが8Bit機なら(私のコンピュータ所有歴から、16Bit機はきれいに抜け落ちているのだ。68000を32Bit CPUとすれば、だが。68000は、Intel風に言えば32Bit CPUだしMotorola風に言えば16Bit MPUなのである)、まず間違いなく暴走しているか、リセットが掛かっていると思う。電源もそれなりに進歩しているのだなぁ、とほんの少しだけ感心。
朝っぱらから腰に重大な危機が迫っている。
これまでの重苦しい痛みではなく鋭く痛む。この症状が進めば、また早晩動けなってしまうだろうことは容易に予想できる。ついでに右肩甲骨裏にも同様の痛みを覚える。これは非常にヤバイ。
低周波演芸治療器の導入は失敗だったのか。いや、運用の失敗だったと思いたい。面白がって必要以上に使い続けた、お調子者の私が悪いのだ。過ぎたるは及ばざるが如し。
いずれにせよ、ここ2,3日は様子を見つつ、おとなしくしているのが吉、のようだ。
それに加えて、なんだか腹の調子までおかしい。
もう腹が痛いんだか腰が痛いんだか良く判らん状態。午後になって、喉もなんとなく痛い感じ。……これは現在各所で流行っている、風邪?
最近、世間で流行る少年法が適用される年齢の人間による犯罪(少年犯罪とすると、男ばかりが起こしているような印象になってしまう)だが、どうにもこうにも頭が悪い印象を受ける。
世の中に希望が持てなくなっていることが、若年者を犯罪に走らせる要因である、とする意見を聞くが、以前に比べて今の世の中が格段に暮らしにくくなっているということは絶対になく、緩やかかもしれないが、改善の方向には確実に進んでいると思う。
それらを踏まえて、このような仮説を思い付いた。
昔は、世の中の仕組みに関して、馬鹿には判らないような隠蔽がなされていたために、馬鹿は馬鹿なりに納得して人生を過ごしていた。だが、最近は世の中の仕組みが馬鹿にも判るようになってしまったために、馬鹿は絶望して凶悪犯罪に走る。
昔から「知らぬが仏」と言うではないか。世の中には知らぬほうが良いことも多いのだ。主に本人以外の人間にとって都合が良いことが多いが。
真面目な話をすれば「望みが高くなった」のと「諦めが良くなった」のが両方作用した結果、世の中は悪くなっていないが世の中に絶望している人間が多いという結果を招いたと思うのだがどうか。
世の中がどうこうとか教育がどうこうなどという話をする前に、このような性向がいかにして出来上がったのか、それを防ぐ方法はないのか、ということを議論すべきなのではないか。
GUIN SAGA74「パロの苦悶」読了。
……そうですか、100巻では終わりませんか。これで読むのをやめる人が結構いそうな気がするのだけど、そんなことはないのだろうか。
もしかすると、こうやってしょうがないからつきあっている人間があまりに大量にいるので、あのしょうもない文章が世の中に受け入れられている、という錯覚が生じてしまっているのではないか、と思うこともあり。
でもここでグインがこけちゃうと、早川書房はやばいことになるのではないかという気もしないでもない。
なにせ、オリコンの文庫本売上チャートに顔を出す早川の本は、グインとペリーローダンくらいしかないのだから(最近は、ダニエル・キィスの本もいくつか顔を出していたか)。
木城ゆきと騒動は、結局あのガイドラインの取り下げで幕を下ろした。
私的には、あのガイドラインがなくなってしまいさえすれば、他に何も言うことはない。