00年6月上旬の世迷い言


2000/06/01

 睡眠障害継続中。昼間ずっと眠ってたから眠れないだけかもしれない。
 にしては昼間はしっかり眠い。活動時間がズレているだけでもやはり昼間は眠いだろうから、なんの証明にもなっていないか。

 体調は一昨日と同じ程度。来てみると、一昨日まで休んでいた人間と入れ替わりで違う人間が休んでいる。これで私が感染源だったらかなり申し訳ない気がする。

 ほんの時たま、1年に1回か2回くらい、距離感がおかしくなることがある。
 周囲が妙に遠く感じるのだ。自分の手でさえ遠く感じる。視覚だけじゃなくて触覚もなにか頼りなく霞んでしまって、透明な膜を隔てて世界に接しているような気さえする。
 気にしないでいれば、30分〜1時間程度で元に戻るのだが、これは何の前触れもなしにやってきて、後から考えても何故その時に起こったのかが全く分からないのだ。疲れている時や病気をした後などに必ずなるというわけでもない。今回はたまたまそうなったけれども。
 確かに、元気溌剌な時(それは躁狂時の間違いではないのか、という突っ込みは不許可)や何かに集中している時には起きていないような気がするが、単に他のことに忙しくて無視しているだけかもしれない。本に熱中していて、ふと我に返った時に起きたこともある。
 なんとなく気持ち悪い以上の実害はないので放ってあるのだが、こういう症状の精神病があったような気がする。なんだったか。離人症はちょっと違うようだし。
 こんな調子で続けていくと、他の病例などが掲示板に書かれるようになり、ここが精神病サイトになっていったりして。

 あなたは「何」作家かというのを試してみる。
 幾つか迷った項目もあったのだが、最初に出た結果は「恋愛小説家」。一度戻って迷ったところを考え直してみたら「ユーモア小説家」。むぅ。合っているような合っていないような。
 確かに文章作品集に収録してある短編はこれらのうちのどちらかにカテゴライズされそうな気もする。

 この話は何度も書いたが、BOOK OFF関連の話が耳に入ってくるようになったので再び書く。
 ぶっちゃけた話、中古の商売ってのは、新作の市場がなければ存在し得ないし(短期的に存在できても、それは単に資源を食いつぶしているだけだ)、新作を圧迫するような規模でやらなかったからこれまで文句を言われなかっただけで、既得権益だからって、人様の作ったもので儲けておいて、儲けは独り占めってのは倫理的に見てどうかって話な訳だ。
 物を作る人が儲からなければ物は作られなくなる。資本主義社会では当たり前の話だ。近視眼的に物が安く買えるからといって、長期的に見たら資源をやせ細らせているだけになっていることに気付けないようでは、リサイクルだ何だというのは単なるお題目にしか聞こえない。
 中古ゲームにせよ、BOOK OFFを初めとする新古本にせよ、ちょっと大きくなりすぎた。自分達が誰かに寄りかかって存在できていることを忘れてしまったとしか思えない。私は新しい本が読みたいし、新しいゲームがやりたい。一人で倒れるならともかく、出版社やゲームメーカを巻き込んで倒れられるのは迷惑なのだ。私が中古ゲーム市場や新古書店を基本的には利用しないし、ことあるごとに苦言を述べるのはこういう理由からだ。


2000/06/02

 睡眠障害継続中。でも軽くなってきたかも。相変わらず眠ってから2〜3時間で目が覚めてしまうが、それから眠れないということはない(ような気がする)。
 その割には朝からしっかり眠いが。それはいつもの事か。

 なんとなく、最近になってSPAMメールが良く来るようになったような気がする。
 単なるエロサイトの広告から、エロサイト管理人宛てのクリック広告の広告(ここのどこがエロサイトだっつーんだ)、果てはどう考えても無限連鎖講だとしか思えない「おいしんぼクラブ」とやらの広告まで。
 その中の一通に「掲示板でメールアドレスを拾った」という一文があったので、どこかの掲示板への書き込みが収集されたためだと思う。掲示板に書き込みを行うようなユーザならネットワークを積極的に利用しているわけで、メールを読まれる可能性は高い、という判断だろう。それにしたって、読むかどうかは内容によるとは思うが。
 実現可能性のことは全く考慮しないでただ言っているだけなのだが、掲示板管理者の人は、掲示板にロボット除けを付けておいたほうが良いのではないだろうか。意味があるかどうかはともかくとして、暇が出来たらここもそうしよう。

 中古著作物流通に関して、昨日書き忘れたこと。
 中古屋に物を売ったユーザは、その金で新しい[本|ゲーム]を買うから、間接的に原著作者に還元しているのだ、という意味の意見を言う人がいるが、還元するかどうかは金を手にしたユーザの勝手であり中古屋はコントロールできないので、中古屋が還元していることにはならない、とまでは言わないにしても、そんなあやふやなものは商売を認めるための保証になりえない、くらいは言っても構わないだろう。
 普通、利益の還元というのは、中古の買い値を削るか売り値に積み上げて出来た金を中古屋自身が原著作者に戻す、という形を取るのだ。
 そもそも、中古売買の利益を原著作者に還元すべきなのか、という議論もされている(頒布権云々という議論は、結局のところ、ここに落ち着く)。もし、還元する必要はない、という結論になった場合、中古業者が得る利益は、原著作者が背負うか、最初に著作物を買うユーザが背負うことになる。前者の場合は利益の減少、後者の場合は購入価格の上昇という形を取ることになるだろう。
 ここで、なんで中古業者の利益を原著作者やユーザが背負ってやらねばならないのか、その形が果たして正しいあるべき姿なのか、ということを考えてみて欲しい。私にはどうしてもそれが正しい姿だとは思えない。それとも、有体としての著作物を所持し続けることはそんなに贅沢なことなのか?

 こうして考えてみると、資本主義で儲けるには、いかに手付かずの資源を見つけて誰よりも早くそれを消尽するシステムを作るか、に掛かっているのではないかという気がする。なんて環境に負荷の掛かるシステムなんだろう。


2000/06/03

 一日頭痛に悩まされる。
 洗濯だけして寝て過ごす。
 おかげで夜は眠れない。なんだかなー。


2000/06/04

 結局、眠ったのは6:00を回ってから。起床は12:00。
 頭痛は去っているが、何かをする気にはなれない。適当に本などを読んで過ごす。

 サイモン・コンウェイ・モリス「カンブリア紀の怪物たち」(講談社現代新書)読了。
 いま、gooのTV CMで見ることのできる、アノマロカリスを含んだカンブリア紀の生物について、当のバージェス頁岩の再評価を行ったチームの一員が書いた本。
 グールドの「ワンダフルライフ」(ハヤカワ文庫)よりも新しい知見によって、当時はバージェス頁岩の生物たちが現在の生物の分類に収まらないという結論だったものが、きちんと分類できるという結論になり、グールドの唱えた「生物の多様性は最初が極大で、その後の絶滅によって刈り込まれた生物が放散したのが現在の世界である」という説に対して反論を行っている本である。
 反論についての材料もちゃんと提示されていて、論旨も明快なのだが、今一説得力に欠けると思わされるのはなぜだろう? 反論のための材料の提示が、ばらばらになっていて、一貫性に欠ける印象を受けるのが悪いのか。
 文中で、モリスはグールドの本についてしきりに「冗長だ」と書いているのだが、一般向けの文章を書くという技術については、グールドの方が上だったということになるのか。


2000/06/05

 依然、なかなか眠れない状態が続いている。この分だと今週末まで続きそうだ。良いんだか悪いんだか。

 昼間は眠くて仕方なく、夕方になって頭痛がしてきたので頭痛薬を導入。
 以後は眠気はあるものの、昼間よりは快調。

 F1 モナコグランプリ。
 シューマッハー!
 もう涙で目が霞んで何も見えない。←大袈裟。
 唯一の救いは、ハッキネンもマシントラブルで下位に甘んじたところか。
 次回までにはエグゾーストのトラブルを解消してもらいたいものである。

 ゲーム批評購入。
 あっ! 悪趣味ゲーム紀行がなくなってる! 次は目次を確認して、やはりなかったらもう買わないことにしよう。
 しかし、継続して携わり続けるスタッフが編集長一人ってのはなかなか壮絶なものがある。阿呆な穴埋め記事なら新人でも問題はないということか。


2000/06/06

 睡眠障害継続中。朝から眠くて仕方がないが、こういう日は、22:00頃力尽きて一度眠り、1:00頃に目が覚めるのである。
 こういうパターンでなければ、単に生活時間がずれただけだと確認できる。さて、どうなることやら。
 そんなことよりも昼間に眠くて仕方がないことや、左右の手の連携が上手く行かないことがある(キーボード入力の順番が入れ替わってしまったりする。"か"と打とうとして、"a"→"k"と打ってしまったり)ことの方が余程問題なのだが。

 朝松健「魔術戦士1 蛇神召喚」(ハルキ文庫)読了。
 先頃、紆余曲折を経て完結した魔術戦士(マジカル・ウォーリアー)シリーズの1巻目。
 紆余曲折を経てもなお完結させようという力が働くだけの人気作品なのだろうと思って読んでみたのだが、印象は魔法風味大藪春彦。
 ネタは沢山散りばめられているが、いかんせんバラバラな感が拭えない。好みの問題だろうか。
 個人的には、強力な魔術を行使するための隙を巡っての虚々実々の駆け引きのようなものが出てくれればそれなりに楽しめたと思うのだけど、まるで戦隊ものの名乗りの如く、儀式に入ると相手方は何もしてこなくなるのが、なんだかなー感を強めたかもしれない。元々が古い作品であるということを差し引いても、レベルが低めであるという評価は厳し過ぎるものではないだろう。
 作中に性魔術の使い手が登場するので、官能描写を制限したという小学館スーパークエスト文庫版では彼の扱いはどうなっているのか、ちょっとだけ気になる。

 公開された、コナミの(ほぼ公知だと思われる)恥知らずな特許出願に関して。
 こういう下衆野郎のために、自力開発した新技術の特許出願を処理する時間が食われているかと思うと、コナミの製品は二度と買いたくなくなる。そもそも私はソフトウェア特許に関しては否定的でもある。
 どちらにせよ、私は最近のコナミの製品にはあまり縁がないのだが。
 ちなみに、今更こんなものが見逃されて成立したりする筈もないので、成立してしまった場合の影響に関しては考慮しない。

 OS占いというのをやってみる。
 どういうわけだか結果はMacOS。生年月日しか入れてないのに。
 しかし、人物評はともかく、MacOSを装飾のみで実力が伴わないOSと評しているのはちょっと引っかかるものを感じる。
 余計なものが入っていないMacOSは、しばらく使ってるうちに勝手に腐っていくWindows95/98よりよっぽど質実剛健だと思うがね。
 そりゃ、UNIXやNTみたいに最初からマルチタスクを指向したOSに比べれば安定度に勝るとは言えないけれども。

 著作物の価値は、そこに含まれている情報の価値である。
 情報の価値は、その情報を知っている人と知らない人では、大幅に異なる。古本屋や中古ゲーム屋はその価値の落差を利用して金を稼ぐ業種である。
 通常、古物はその物を所有している(いた)かどうかには関係なく、明らかに新品よりも価値を減じている。しかし、まだその情報を知らない人にとっての情報の価値は、その情報が情報源から直接来たものであるのか(=新品)、それとも、一度誰かの手を経て来たものであるのか(=中古)によってさほど変化しない。この点で、他の古物取り扱い業と、著作物の中古を取り扱う業は性格を異にしている。
 中古であることが商品価値をさほど減じないことで、中古を扱う業者の競争力は、著作物の新品を扱う業者に対して当然のことながらかなり大きくなる。
 なぜならば、中古業者がその著作物を入手するために必要とする費用は、その著作物を不要と考えている人間から買い取る金額のみであり、その他の営業に関わる経費は新品を扱おうが中古を扱おうが等しく掛かるものだからである。
 新しい著作物を制作するために掛かる費用と同等の金額を支払って、不要と思う人間から著作物を買い取るならばいざ知らず、通常はそのようなことはありえないので、結果として、全くと言っても良いくらい同等の商品を、より少ない経費で売りさばくことになる。この競争力の格差は大きい。
 新しく物を作り出して商売をするよりも、その資源を消費して商売をする方が競争力が高い(=儲かる)なら、近視眼的な人間は後者を選択する。しかし、全員が後者を選択してしまったら、遅かれ早かれ全体が立ち行かなくなる。新しい資源が導入されなくなるのだから、当然である。
 通常、このような場合には、物を作り出さない方は不当なことをしていると見なされる。物を作り出して資源を供給することは社会にとって必要不可欠だからである。社会に要請に反する行為は、それだけで不当なのだ。
 よって、新品が流通している著作物の中古を取り扱う業者は、不当な利益を得ているという結論が導き出せる。規模が小さければ見逃される程度のものではあるが、不当であることに変わりはない。つまり、規模が大きくなりすぎた新古本、中古ゲーム業界は、何らかの規制を受けて当然である。


2000/06/07

 睡眠障害継続中。結局、昨日は22:30まで会社にいたのだが、家に帰ってきて、シャワーを浴びても力尽きることはなく、少なくとも3:00くらいまでは布団の中で二転三転していたと思う。
 6:00くらいに一度目覚めたような記憶もあるが、夢かもしれない。
 こうして考えてみると、5時間程度は眠れているわけだし、症状は緩和されてきているのかもしれない。
 朝から午後の頭くらいまでは眠くて仕方がないのは相変わらずなのだが。

 会社のポストに、「コスモス長生療院」なる所のチラシ(といっても、葉書大で紙質も葉書っぽい)が入っていた。
 なんでも、<長生医学>なるもので治療してくれるそうだ。
 名称は怪しげ極まりないが、能書きを読むに、どうやら整体やカイロプラクティックの類らしい。要するに腰痛の治療だ。
 私の腰は、現在のところ小康状態を保っている(夕方になると少し痛み出すが、一晩寝れば回復する)のだが、再びやばい状況になったときにはものはためしで利用してみようかと思う。
 地図を見ると会社から徒歩5分程度の場所にあるらしいし。

 上遠野浩平「殺竜事件」(講談社ノベルス)読了。
 普通に楽しめた。どうも異世界ものには点数が辛くなってしまう。ほんのちょっとだけ、その片鱗はあったと思うのだけど。
 魔法文明を発達させた異世界というのなら、我々とはまったく違った文明形態を見たいし、そこで生活する人間はそうそう我々がすぐに納得できる思考の流れを取ったりはしないと思うのだが。そういうものを描くのが本筋ではないということは重々承知しているけれども、私が求めているのはそういうものなのだ。
 だったらお前がやれっていう突っ込みは、誰かにされると痛いから自分でしておこう。


2000/06/08

 睡眠障害継続中。昨日、あんなことを書いたせいか、それともなにか他の要因が働いたのか、眠ったのは確実に3:30を過ぎていたのに5:30に目が覚めてしまう。
 そのまま眠ってしまっても良かったのだが、ついでだからということでゴミ出しなどをしてもう一度寝る。なにせ最大でも2時間ちょっとしか眠っていないのだから、寝ないことには体が持たない。
 次に目が覚めたら10:15を回っていた。完全に遅刻である。慌てて会社に電話を入れ、大急ぎで支度して家を出る。
 眠いというより、頭がボーッとしている。歩いているといつのまにか目の前のシーンが入れ替わっている感じがする。マイクロスリープにでも陥っているのだろうか。

 良く考えたら、昨日の晩は寝酒になるかと思ってサッポロ黒生ビールを2缶開けたのだった。
 もしかすると、いつもにもまして眠れなかったのはその所為だろうか。

 ここの6/2の2番目のパラグラフの記述を見て、なんとなく反発を感じたので、その理由を自己分析してみる。
 どんなものでもその9割は屑なのだから、コミケであろうが2ちゃんねるだろうがその9割は屑には違いない。
 しかし、両者には一つ大きな違いがある。屑であることを自覚して、それを良しとする送り手の割合だ。責任追及のない場である2ちゃんねるでは、屑を送り出している連中のほとんどはそうである筈だ。だが、コミケの屑がそうであるとは思えない。
 これは志の問題だから、受け手にとっては関係ないことなのかもしれない。とはいえ、同人活動から志を取ってしまったら、後に何が残るというのだろう。
 私が同人誌を読む動機の半分以上は、送り手の志を感じたいから、である。だから、志などほとんど感じられない2ちゃんねるの投稿者とコミケで売られている同人誌の製作者を一緒にされることに、感情的な反発を抱くのだろう。
 本当はこんなのは単なる装飾に過ぎなくて、単に私が2ちゃんねるが嫌いでコミケはどちらかといえば好きだからなのだけど。……一応、何故2ちゃんねるが嫌いなのかの説明にはなっているか。

 SCEが予告していた新製品は、小さいPSだった。PS Oneというそうな。
 しかし、完全ポータブルならともかく、単に小さくしただけの製品を出して、今更売れる当てがあるのだろうか?
 どう考えても、PSを持っている人がこれを新規に購入するメリットというものが思い浮かばない。PSはもう一千万台以上売れているのだ。需要は既に満たされていると考えて構わないと思うのだが。
 そういえば、諸元から通信端子が無くなってるな。私も使ったことはないが。


2000/06/09

 睡眠障害継続中。……なのか? 眠れたのは3:00近くだと思うが、早い時間に目覚めることはなく、会社からの電話で起こされる。また遅刻だ。非常によろしくない。
 やっと明日、病院に入れた予約の日になるので、ここで有効な解決手段が見つかることを期待しよう。そもそも、始業時刻よりも早い時間にされてしまったので、ちゃんと起きて行くことが出来るのか、という問題もあるのだが。
 というわけで、今日もとにかく眠い。ついでに気持ち悪いし、鼻水もやたら出る。午後になって腹具合も悪くなってくる。……風邪?

 再販制度の所為で、書店がメンバーズカードなどを使った割引サービスを行えないという話を聞くが、別に本自体を割り引かなくても、スタンプが溜まったら図書券をプレゼントする、というのでは駄目なのだろうか。
 図書券をプレゼントした場合、それが自分の店で使われる保証はないが、図書券利用時にもメンバーズカードへのスタンプを押すようにしていれば、使ってくれる確率はかなり上がると思われる。
 確か、図書券の裏側には発行店のスタンプを押す欄があったように思うから、普通に売ったものとプレゼントしたものの区別はそこで付ければ良い。
 こういうサービスを行う書店がほとんど全くないのは、書籍の価格が低すぎるため、スタンプカードというシステムと上手く合致しない、と考えられているからだろうか? それとも、単にそういうシステムを導入してまで集客を行う必要はない、と考えられているからだろうか? もしかして法律でそういうサービスを行うこと自体を禁止されている? 薄利多売でそういうサービスをするような余力はない?

 ここで、著作物の評価と作者自身への評価を切り離して判断できないという意見が、その理由と共に表明されている。
 なるほど、論評や意見の類なら確かにその通りだと思う。
 しかしながら、一般にこの「奇麗事」が使われる場面であるところの、エンタテイメント的性格を持つ著作物の場合は、一概にそうとも言えないのではないだろうか。
 ある小説なり漫画なりを読んでいる時に、作者の人となりを気にしている人間がいるだろうか? いるとすれば、それは評論家的視点で作品を分析しつつ読んでいる人だろう。
 だいたい、作者の他の作品や普段の言動などを踏まえた上でしか楽しめない作品があったとしたら、それは欠陥品とまでは言わないにしても、二流品なのではないのか。
 つまり、エンタテイメント作品を楽しむ上で、その送り手の情報というものはほとんどの場合、阻害要因にしかならないのではないだろうか。「作者の人柄が滲み出ている作品だ」という言辞が、作品自体には語るべき事がない、ということを匂わせるから、誉め言葉には余りなっていないように感じられるのだから。


2000/06/10

 睡眠障害継続中。というわけで、医者に行く。
 就寝は4:00過ぎだったと思うが、目覚めたのは7:30。医者の予約は9:00なので、少々早かったが、ここで眠ってしまうと絶対に起きられないので、適当にTVなど観て時間をつぶしつつ準備する。
 道が判らなかったので、早めに出るが、予想よりずっと近かったので30分近く早く着いてしまった。
 寝ていないので眠くて仕方がない。待合室でぼーっとして過ごす。
 ほどなくして診察。診察自体は簡単なもので、症状の聞き取りはその前に違う人間によって行われた。今から思い返してみると、少々大袈裟に症状を訴えてしまったかもしれない。
 SSRI(セロトニン選択再取り込み阻害薬)と入眠剤、そしてどういう訳だかリタリンまで処方される。
 次の予約はもっとも前に予約が空いていた6/30。

 帰ってきて、gooでリタリンをキーにして検索してみると、まぁ、出るわ出るわ、恐ろしげなページがわんさかヒットした。
 これはかなり気をつけて服用すべき薬であることはよく判った。溺れないように気をつけよう。

 その後、頭痛がしてきたので寝る。目覚めたら18:00を回っていて、これで一日が終わってしまった。
 医者には行けたのでまったく無駄に終わった訳ではないが、虚しいことではある。


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