という訳で、二日ぶりにシャワーを浴び、上がって来て体を拭きつつ時計を見たら13:00を回ろうかというところ。
私が今所属している会社には、昼飯の賄いが付いていて、その供給時間は一定していないので、今から行って食べられるかどうか確認。
食べられることは食べられるが、独りで食べることになる、という回答を貰ったので、家でインスタントのリゾットを暖めて食うことにする。
そんなこんなで出社は14:00近くなってしまった。なんだかなぁ。
家を出る時に、ちょうどヤマト運輸の配達員と思われるおばちゃんがポストにbk1から送られた本の入った封筒を突っ込んでいるところに出くわした。あの特徴的なヤマト運輸の車ではなく、学研の科学と学習を持ってくるおばちゃんが使うような籠を荷台に括り付けた自転車で配達を行っているようだ。
今度は場所と本人の確認もなしである。いや、事故時の対応がちゃんとしているのなら、その方が不在時にも受け取れて、ずっと有り難いのだけど。
しかし、同じbk1で買い物をした人の中には、不在者通知票を受け取っている人もいるらしいので、地方によってヤマト運輸の対応が異なるということなのだろうか。大体、良く考えてみたら、私も最初に受け取った分に関してはきちんと受け取りの印鑑を押しているのだ。
謎が謎を呼ぶ。風雲急を告げる次回を克目して待て!
昨日からの傾向なのだが、昼間でもなんかすごく眠い。
毎晩2:00過ぎまで起きているのだから、それも当たり前だという話もあるかもしれないが、だったら夜は眠れてしかるべきだろう。
ところが、夜はあまり眠れなくて、昼間、特に午前中が眠くて仕方が無いのである。
そこでふと気付いた。
もしかすると、現在処方されている睡眠薬でアルコールが禁忌とされているのは、別に作用が強くなるからではなくて、肝臓での代謝速度が追いつかなくて、身体の中で高濃度状態が長期間に渡って続いてしまうから、なのではないのか。
……やっぱり禁酒しよ。
さて、契約会社を変えることを決心したPHSだが(データ通信をする可能性は常にあるので、携帯という選択肢はない)、上のURL欄を見れば判るように、私はRIM NETを利用している。
「サービスさえ上等なら多少高くても良い」という思想のためにRIMを利用し続けているのだが、RIMは東京電話アステルと提携関係にあるらしく、アステルのPHSを利用すれば、一部地域で通信料の割引が受けられるようなのだ。
さて、他社のPHSに、それを凌駕する魅力が果たしてあるのだろうか。アステルのPHSは埼玉県大宮市近辺で使い物になるのだろうか。
とりあえずはカタログあさりをする必要がありそうだ。
最近気付いたのは、どうもズボンのポケットにPHSを入れていると、むき出しの状態では電波の強さが3段階まで達するような場所でも、電波が全く届かなくなってしまうようなのだ。
たぶん、アンテナのそばに誘電体(人体のことだが)があるために周波数特性が変わってしまい、電波を上手く受信できなくなってしまっているのではないかと思う。
しかし、ということは、このPHSを持ち歩くためには、鞄に入れるか上着のポケットに入れるか、ともかく人体からなるべく離しておかなければならないということで、そんなものは使い物にならないことは明白である。
なぜ明白か判らない? 私は他人に無理矢理音を聞かせる趣味は持っていないので、通常はバイブレーションモードにしてあるのだ。しかし、人体から離さねば本来の性能を発揮できない電話機では、そのような使い方は出来ない。鞄の中で震えていても、それに気付くことなど出来ないからである。よって、私にとってこの電話機は使い物にならないのである。
恩田陸「ネバーランド」読了。
学園物。青春小説なのだろうか。少なくともミステリではない。人は死ぬけど。緊張した人間関係も「木曜組曲」に比べれば続かない。
「六番目の小夜子」の読後と同じように、自分の過ごした高校生活のあまりのつまらなさに身悶えしたくなる。大学生活がこれに近かったかもしれないが、女っ気は全然なかったのう。今でもないが。
私はどうも青春小説ならほとんど面白いと感じるようで、これも面白かった。ちょっと心に痛い部分も含めて。
ところで、これをミステリだといって売らなければならないとしたら、その状況は自分で自分の首を絞めていることにならないだろうか。
今日も今日とて、外はクソ暑い。
確か昨日の天気予報では、昨日よりは涼しくなるという話だったように記憶しているが、それは多分嘘か間違いだったのだろう。
それとも、吹き付けてくる風が変わりなく熱風に思える程度ではあるが、昨日よりは1度くらいは気温は低いのだろうか。
仕事。先週悩んでいた奇妙なディスクアクセスの原因が、やってきて作業を開始して10分で解明する。さほど頭脳は明晰な訳ではないのだが。
やっぱプログラミングは根を詰めてやることじゃないね、とこういう時には思う。
問題は、これをどのように回避するか、なのだが、こっちの方のプログラミングは、一度方針が固まってさえしまえば、集中して一気にやってしまったほうが効率が良いんだよな。難しいものだ。
午後から調子は少し戻すが、ちょっと熱っぽい上に眠くて仕方がない。やはりただの風邪なのだろうか。それにしちゃ長引きすぎだが。
職業柄、起きている時間のうちのほとんどをディスプレイを眺めている時間が占めているので、目薬は手放せないのだが、目薬が鼻涙管を抜けて鼻孔を通り、やがて喉へと至ったときの味、というか喉で感じる感覚、というか、とにかく目薬を注した後に喉に残る甘ったるいような感覚が私は大嫌いだったりする。涙を補充する系統の目薬ではこの感じは味わわなくて済むのだが、その系統の目薬は疲れ目に効かない。
以前、千葉に住んでいた頃は、駅前に良く出来た薬局があって、ビタミンEは含まれているが、この感覚は与えないという優れものの目薬を扱っていた。しかし、その薬局以外でその目薬を見たことがない。
仕方なく、私はビタミンEもしくはBは入っているものの、その不快な感覚を味わわせてくれる目薬を使い続けるしかないのである。今度実家に帰ったらまとめて買って置くとしよう。
昨日の特命リサーチ200Xの後半の話題、メディアの耐用年数がだんだん短くなっている、という問題は、少し前に日経サイエンスで問題にされていたネタだな。
個人で出来る対応は、番組中で言われていた、こまめにバックアップを取りなさい、以外にはないのだけど、CD-RはCDそれ自体よりも耐用年数が短いことや、MDへのコピーは情報の劣化を伴うこと、などは言われていなかったのは片手落ちだと思う。
メーカの言うことを信用するのなら、MOはCD-Rよりも耐用年数が長いし、ずっと下位互換性を保っている、なかなかバックアップ用途としては優秀なメディアだと思うのだが、なんでMOの話は出なかったのだろうか。ややこしくなるだけだから?
映像記録用DVDのフォーマットが未だにバラバラな上に、規格として何年保つのか不明なのも、現状では大問題だと思うのだが、そこにも突っ込みがなかったな。そういう深い部分を期待するのはそもそも間違いなのだろうけど。
他人の夢の話ほど退屈な話はないという。それではこれから退屈していただこう。
今朝見た訳ではないが、禿げる夢を見た。
いつものように寝床から起き上がって、トイレに行く。が、なんとなく頭の辺りに違和感がある。
なんだろうと思って鏡を見てみると、見事なまでにカッパ禿げになった自分の顔が中に映った。
うわっと思って、触ってみると、しっかり地膚の感覚がする。ぴたぴたと頭皮を叩く音まではっきりと聞こえた。
なんだ、突然どうしたんだ、ストレスの所為なのか、と慌て始めたところで目が覚めた。
はて、何故にこんな夢を突然見たのだろうか。私は脂性で髪質が細く、禿げるといわれる要因は満たしているのだが、親類縁者に明らかな禿は居ないので、自分が禿げるか、などという心配はしたことがないのだ。
最近あまり夜に眠れなくなってきているように思える。
37℃程度の熱が出ているのだから、辛くて眠りたいのだ。しかし、電気を消して暗闇の中にじっとしていると、また電気を点けて本を読み始めたり、ネットに接続してしまったりする。なんとなくしないといけないような、すごく損をしているような気分になるのである。
一体、私は眠れないのか、それとも眠りたくないのか。そう思うこともある。
昨日も、結局、3:00過ぎまでそんなことを繰り返し、最後は缶ビールを一気飲みして、もう駄目だと思うまで無理矢理本を読み、ようやく眠る。こんなことをやっていればそりゃ身体も壊れようというものである。
春日武彦「不幸になりたがる人たち」(文春新書)読了。
なんとなく最近、フィクションよりノンフィクションの方が、読み始める時の心理的障壁が低いような感じがするのはなぜなのだろう。
内容は非常に面白かったが、こういう精神病理関連の本は鬱の時に読むべきではなかったかもしれない。途中、自省の泥沼に足を取られて、読み進められなくなること数度あり。いや、本当に鬱の症状が悪くなっているような気がするんですが、気のせいでしょうか。鬱者が自己分析を試みるのは鬱に悪くないんでしょうか。直感的にはすごく悪そうな気がするんですが。
筆者自身が、ここで紹介している奇矯な行動をする人々に対して共感を示し、不幸になりたがるという性質は実は人間の本性として存在するのではないか、という説を、それに紙面を割いてきちんと論理だてて説明する訳でもなく、繰り返し繰り返し実例を挙げて持ち出すことに、強い不安感を覚える。
そういう意味では、前書きに書かれた「後味の悪い読後感」というものをしっかり感じた訳で、筆者の術中にただはまっただけなのかもしれない。
私は、このようにキーボードを使って文章を綴ることに馴れきっているので、紙と鉛筆を使って手で字を書くことは苦手である。
特に、漢字はキーボードとかな漢字変換を使うようになる前から、書くのは苦手である(読むほうは平均よりは出来ると思う)。小中学校を通じて、習字の時間などは苦痛で仕方がなかった。
最近よくやる間違いは、「任」「仕」などの、一部だけ違う字を書く時に、ついつい画数の多いほうをいつも書いてしまうというものである。気を付けようと間違えた時には思うのだが、意識しないで字を書いていると(字を書く時にいちいちそんなことを気にする人間も珍しいと思うが)、すぐに間違う。
これは、なにか深遠な理由があるのだろうか。それとも、単に私にそういう能力が欠如しているというだけの話なのだろうか。
最近、SONYの頭の後ろにアームを回す形式のヘッドホンでさえ鬱陶しく感じて、あまり仕事中に音楽を聴くこともなくなってきた。昔はのべつまくしなく聞いていたのだけど。
ところが、眼鏡を掛けていない状態だと、ほとんど鬱陶しくないことが判明した。それどころか、非常に具合がよろしい。そうか。この製品は眼鏡とは相容れない製品だったのか。だったらそう書いといてくれ。>SONY
野尻抱介「銀河博物誌1 ピニェルの振り子」(ソノラマ文庫)読了。
一言で言ってしまえば、「SPACE1889」(GDW)+「ベムハンター・ソード」(星野宣之)+「トゥインクルスターのんのんじー」or「乙女アトラス」(竹本泉)<ちっとも一言じゃない上に、判る人が少なすぎ
地球生命体が宇宙のあちこちの惑星にコピーされて広がり、一部の惑星の住人はオーバーテクノロジーの産物で恒星間航行が可能になったという世界で、19世紀の大航海時代を宇宙に持ち込んで、大航海時代の博物学者大活躍を宇宙レベルでやる、という話だ。
基本的に19世紀の海の世界は男の世界だったが、特異な才能を持った綾波ライクな美少女も登場して、サービスシーンも満点(サービスしすぎなんじゃないかと思うんだけど)。
よくよく考えてみると、物語の基本構造がデビュー作と同じような気もしないでもないが、SF的大ネタもちゃんと新しく用意されているので、全然気にならない。
さあ、こんな文章を読んでないで、さっさとソノラマ文庫を扱っている書店に行って買ってきて読むのだ。売れれば続きが早く出るではないか。
たぶん風邪の症状は治まりつつある。朝起きても寝汗だけで鼻水は出ない。
しかし、だるいのは相変わらずだし、舌の右の付け根に口内炎が出来てしまっていて、喋るのもものを食べるのも億劫だ。
ビタミンB剤を貪り食っているのは相変わらずなのだが、これはやはり服用している薬の量が尋常でないために胃を壊しているというのが妥当な推論だろう、多分。
充分に睡眠時間を取っているにも関わらず、やたらと眠いのは鼻炎薬の副作用だと思いたい。
喉が痛いんだか舌の付け根の口内炎が痛いんだかよく判らないような状態だというのに、昼飯はカツカレー。
カツだけでも口内炎には辛い。カレーのみでも然り。しかし、今回はカツカレー。ダブルパンチである。
唯一の救いは、カレーが昨日作られた一晩置かれたマイルドな味になっているものだったことだろう。
とにもかくにも、口の左側を優先的に使って何とか咀嚼し、飲み下す。食事中に飲む茶の消費量は普段の1.5倍。
某所で良いという評判を聞いた、SONYのステレオイヤフォンを買ってくる。MDR-EX70SLという製品だ。
通常のステレオイヤフォンは、振動子が中に入っている本体をスポンジやゴムで包み、それ全体を耳の穴にはめ込むが、これは密閉型のイヤフォン本体からゴム製の袋(というかなんというか)が伸びていて、その袋を耳の穴に入れる。形を説明すれば、上と下を切り落とした真っ黒な雪だるま、とでも言えば良いだろうか。その雪だるまの一方の玉が振動子を内蔵した本体で、もう一方が耳の穴に入るゴム製の袋だ。
今まで使っていたアームが首の後ろに回るタイプのヘッドフォンは開放型で、周囲の音も結構耳に入ってきたのだが、これはかなり密閉度が高く、装着すると周囲の音がほとんど聞こえなくなる。ゴムの耳栓がイヤフォンになっているようなものである。
最近流行の耳に掛けるタイプのものは、多分原理的に眼鏡と相性が良くないはずなので、これを選択したのだが、なるほど、噂に違わず具合がよろしい。耳栓をしているのと同じなので、周囲の音がほとんど聞こえなくなる。これは私のように作業中に音楽を聴くには理想的状態かもしれない。しかしながら、これで音楽を聴きながら道を歩く気にはなれない。私は状況判断に耳をかなり使っているので、こんな状態では恐くて歩けない。
また、耳栓と同じ効果をもたらすので、体内の音(歯が当たる音や物を飲み込む音、身体の表面がこすれる音 etc. etc.)が強調されて聞こえてしまうのは、原理的な欠陥かもしれない。私があまり音量を上げないで曲を聞くのが拙いのかもしれないが。
まぁ、結構良い買い物だったといえよう。流石、伊達に4000円もしない。
洗濯が終わって、ぼーっとしていたら、16:00を回ってしまった。
今から会社に行ってもしょうがない。明日に賭けることにして、だるいので寝ることにする。体温も36.8℃だったし。
次に目覚めたら、22:00を回っていた。典型的なない日になってしまった。
晩飯をコンビニ弁当で済まし、SFマガジン9月号で完結したので、野尻抱介の「太陽の簒奪者」をまとめて読む。
なんか、段々尻すぼみになっていくような印象がある。私の身体状況が良くない(体温が37℃を越えている)状態で読んだからだろうか。
少なくとも今年中には本にまとめられるだろうから、最終的な評価はそれを読んでからにしよう。
はやみねかおる「少年名探偵 虹北恭助の冒険」(講談社ノベルス)読了。
「狩野俊介シリーズ」(太田忠司)+「円紫さんと私シリーズ」(北村薫)といった趣だろうか。最近、こんなことばっかり書いているような気がするが。
メフィストでの連載時の時期に合わせたのか、冬から春にかけての話が多く、なんとなく今読むのはアンバランスな感じがする。刊行時期をもう少し遅らせた方がよかったのではないだろうか。
作者の本業は小学校の教師だそうで、そんな忙しそうな仕事をしていて、よく小説など書ける物だと感心するのだが、それはともかくとしても、子供の心理の描写に関しては、太田忠司よりは上手いと思う。そう感じるのは、狩野俊介が少々優等生過ぎる所為なのかもしれないが。
さて、これから続けるにも終わらせるにもどちらにも都合のいいような終わり方をしているけれども、続きは読んでみたい気がする。まずは講談社青い鳥文庫から出ている別シリーズを読んでみるか。
F1 ドイツグランプリ予選。
予選開始直前に降り出した雨のおかげで、あやうくバリチェロが本戦出場できないかと思われたが(あんな足切りルールがあるとは知らなかった)、なんとか17位でクリア。最後のアタックでM.シューマッハが2位に食い込んだので、バリチェロの援護がない状態で、どれだけマクラーレン勢と戦ってみせてくれるのか、本戦が楽しみである。
さくらやが今日までポイント13%還元セールをやっていると知ったので、以前から導入しようかどうか迷っていたポータブルMDレコーダを買う。
SONYのMZ-R91(白)である。やはりデザインを考慮すると、SONY以外のメーカの製品は買う気になれない。再生専用機ならまだ考慮の余地があるのだけれども。
さくらやの店員にはPanasonicの新製品も勧められたが、私はボタンにクリック感がないと嫌な質なので、操作がタッチパネルだと聞いた瞬間に却下。カラーバリエーションに黒のモデルがあればまだ考えたのだけど、黒はなかったし。
最近のオーディオのトレンドとして、黒はもう流行らないのだろうか。オーディオといえば黒、というのはもう15年くらい前の流行になるだろうか。私の中のオーディオ時間はその当時で止まっている感がある。
目的は、仕事中に録音しておいたコサキンを聞くためなので、レコーダである必要は全然ないのだが、私の中にはどうせ買うなら買える範囲で一番高機能で高いものを買おう、というポリシーがあるのだ。これはどうも私の親父のポリシーでもあるようなのだが。
開けてみると、昔、録音可能なWalkman(当然、カセットテープのものだ)を買った時には付属していたステレオミニマイクが付いていない。それもそのうち買わねば。
ところで、ポイント還元の点数を見ると、なにやら納得の行かない数字になっているのだが、これは一体どういう事なのだろうか。払った金額の10%でも13%でもない、不思議な数値なのだ。もしかすると、消費税が含まれない価格の13%なのだろうか。それとも、3年保証とやらの金額を含まない金額の13%なのだろうか。
ついでに本屋に寄り、宮武一貴のインタビューが載っているモデルグラフィックス 9月号、その他もろもろの本も買う。恩田陸の新刊「麦の海に沈む果実」が出ているの発見し、すぐさま買ったりする。もしかすると、もうすぐSFマガジンで連載していた「ロミオとロミオは永遠に」も出たりするのだろうか。恩田陸、専業になっただけあって仕事してるなぁ。読むペースが追いつかないぞ。
これまでも何度も書いていることだが、一週間に一度程度しか本屋に行かないと、自分が如何に本を大量に買う人間なのかが良く分かる。なにせ一回の買い物(この時、複数書店に寄る)で一万円近く遣ってしまうのだから。
閑話休題。
件のモデルグラフィックスのインタビューを読んでいるとダンバインがもう一度見たくなるが、DVD Boxを買っているような余裕はない。ないはず。ないんだったら。
ねぇ、ここを読んでいるはずのはら君、ダンバインのDVD Boxを買って、後で私に貸してもらえないだろうか。(私信)
帰りに一番大宮駅に近いサンクスに寄ったら、フルタの「百鬼夜行 妖怪コレクション」があるではないか。
嬉々として、置いてある商品にダブりがないことを確認し、全て買う。つっても五個だけだけど。
網剪と鎌鼬が夜光バージョン(正直、嬉しくない)、狂骨と青坊主と牛鬼が通常塗装バージョン。
いやぁ、こんなものが300円で手に入るなんて、良い世の中だなぁ。
無人の会社に来て、しばらくうだうだしてから仕事。今週、二日も休んでしまったのでその埋め合わせである。
普段よりリラックスして出来るのは当然なのだけれども、リラックスしすぎて集中力がまるでない。気晴らしに文庫本を読んでみてもそれさえも続かない。
良く考えてみたら、朝(つーか昼)にリタリンを飲んでいなかったことを思い出し、飲む。そしてしばらく時間を潰す。
世間で言われているような劇的効果は私には感じられないのだけど、まぁ、飲まなかった時よりはマシかも。飲まない前は、もう何もしないで寝ていたくなっていたから。
この症状(ただ何もしないで寝ていたくなる)がしばらく続いたら、一月くらい休むべきだと本気で考えるかもしれない。そういう意味では、リタリンは確かに効いているのだろう。
同じく昨夜の話。
早く寝ようと思って、F1 ドイツグランプリは録画。しかし、NHKでマンガ夜話の再放送をやっていて、そのネタが「機動警察パトレイバー」だというので、終了時間もF1よりは早いし、見てから寝ようと思う。
んが、地震報道のために、放送時間が40分以上ずれていて、昔のドキュメンタリー番組の再放送(演出が古臭くて妙に笑える)を延々とやっている。
諦めて一回ドリラーをやり、そのまま寝ようと思って、もう一度NHKに戻してみたら始まっていた。
そのままずるずると見てしまい、結局就寝は3:00を回ってしまった。なんだかなー。
起床は10:00少し過ぎ。
エアコンを除湿27℃設定のまま掛けっぱなしにしてしまった。いつもは90分のタイマーを掛けるのだが。
その所為かどうかは知らないが、なんとなく頭が重い。単なる寝不足かもしれない。
ぼーっとしていると、ヤマト運輸が来る。bk1からの荷物である。愛・蔵太氏のサイトで紹介されていた新刊本から、気になってものだけをピックアップしたものである。
あぁ、とうとうやってしまった。少なくともこいつらを読み終わるまでは同じ事はしないぞ。
現在の宇宙では、反粒子が通常の粒子に比べると極端に少ない。
高校の物理を習った人なら知っているだろうが、エネルギーが物質に変換される時には(具体的には、光子から電子に変わる時など)、元々のエネルギーには電気的な偏りがないために、粒子とその逆の電荷を持った反粒子が対になって生成される。
つまり、この宇宙には本来なら通常の物質と同量の反物質があるはずなのに、どうやら通常の物質の方が反物質より圧倒的に多いらしいのだ。
これは長い間、物理学の世界では謎とされてきたが、実験によって、反粒子は通常の粒子よりも崩壊しやすい傾向があることが分かったというのだ。
つまり、充分に長い時間が経過すれば、通常の粒子のみになってしまうのが自然だ、ということだ。
何故、反粒子の方が崩壊しやすいのかはまだ判らないが、方向性さえ定まってしまえば、結論を導くのは難しいことではないだろう。
要するに、今我々が暮らしているこの世界についての疑問が一つ解消したわけで(「なぜそうなるのか」という疑問が一つ増えてるんだからプラマイゼロという話もあるが)、めでたい話である。なに? 何もめでたくない? あなたとは友達になれそうにありません。あっち行ってください。
あ゛〜。もう7月が終わっちゃうよ。仕事のプログラムは理由が未だに判らないBugで動いてないよ。どーすんだよー。
家に帰ってきて、ビデオに撮ってあったF1 ドイツグランプリを観る。
……なんか凄い展開のレースだった。
予選でほとんど本戦出場ぎりぎりだったバリチェロが優勝してしまったことだけを書いておけば、どれだけ凄い展開だったか想像できるだろうか。
まるで、カートのレースを観ているようだった。
いずれにせよ、M.シューマッハは三戦連続リタイアながら、ドライバーズポイント1位、コンストラクターズポイント1位を守ったので、フェラーリ原理主義者の私としてはまぁまぁ満足な結果といえる。