00年7月中旬の世迷い言


2000/07/11

 今日も遅刻はしなかった。朝飯も食べた。なんと、髭まで剃った。<それが普通なんだっつーに。
 私の今いる会社は、外見と言うものにほとんど頓着しない上、通勤路は高々500m程度なので、他人の目も気にする必要がない。よって、髭は二日に一遍程度剃ればそれで充分だったりするのだ。下手すれば一週間も無精髭を伸ばしっぱなしにすることさえある。

 髭といえば、私は電気剃刀は個人的理由からあまり使いたくない。メンテナンスがめんど臭いし(最近の高級機はそうでもないのだろうが)、汗っかきの脂性なので朝にシャワーを浴びないと夏場はもちろん、冬場でも気持ち悪くてとても一日やっていけないから、ついでに安全剃刀を風呂場で使えばそれで済むのである。
 んで、私は常々、Shickの製品よりGelletteの製品のほうが良く剃れると思っている。刃を支える機構全体が曲がるよりは、刃自体がある程度の自由度で角度を変えられる方が、フレキシビリティは高いと思うのだ。実際に使ってみて、こっちのが良いや、という感想を得たという部分もある。私は基本的に新しい物好きなので、ある程度安い製品なら余程気に入らない限りはとっかえひっかえいろんなモノを試してみる。
 その私が驚嘆の思いを持って受け止める性能の製品が、Gelletteの新製品(つったって、出たのはずいぶん前だが)Mach Thin 3である。所謂三枚刃ってやつ。
 出た当時のCMを見て、私はこの製品を馬鹿にしていたのである。三枚にしたからって、性能は最高でも0.5倍増しにしかならんだろう、増やしゃあ良いってもんじゃない、と。
 ところが、それまで愛用していた二枚刃のGelletteの製品の替え刃がコンビニの棚から消えてしまい、仕方なく新しくこの製品を導入したのだった。その時は、古い製品を愛し続ける消費者を置き去りにして悪びれぬコンビニという流通機構に憎悪をさえ抱いたものだった。これは、私が愛用している製品が消えるということが未だに頻繁に起きるので、思いを新たにすることしきりなのだが。閑話休題。
 しかし、使ってみてその憎悪はあっという間に私の心から拭い去られた。とにかくこれがすごく良いのである。
 これは、今までの製品と刃の数だけが違っているわけではない。取っ手と刃の角度自体が変更されている。今までは、立てた時に刃の表面が下を向いていたが、これは刃の表面が上を向いているのである。こんな説明より実物を見てもらうのが一番速いのだが。
 まず、この角度が非常に使い易いことに驚く。一度慣れてしまえば、今までの剃刀の角度は一体なんだったんだろう、と思うこと間違いなしである。実に自然な角度で刃が顔に当たり、自然な力で刃を滑らせることが出来る。これが正しい人間工学の成果というものだろう。
 また、本当にこれが良く剃れるのである。今まで二回剃っていたところが、一回で済むというのは誇張ではない。私は鏡を見ずに、手で触って剃り残しがないかをチェックし、手に抵抗を感じた部分はもう一度剃るという神経質なやり方で髭を剃るため、剃刀負けが絶えなかった。しかし、この製品を使うようになってからは、ほとんど剃刀負けしなくなったのである。
 と、いうわけで、電気剃刀でない普通の剃刀を使っている人で、この製品を使っていない人は、騙されたと思って一度使ってみて欲しいのである。
 最近、貶すことばかりしていたので、たまにはモノを誉めるということをしておかないと、ここの信用度自体が疑われるかもしれないし。この辺で一度、私は本当に良いと思ったモノをきちんと理由を挙げて絶賛することが出来るということを示しておきたかったのである。

 そう言えば、この例も人間が微分により敏感に反応するという性質を如実に物語っている。
 最初に馬鹿にしていて、仕方なく使い始めたら、思いの他使い易かった、という流れは、この間説明したパターンのちょうど逆である。
 つまり、私が上で書いたような絶賛記事を読んでから使い始めた人には、その製品を余程気に入らない限りは、何の気なしに買ってから使い始めた場合よりも薄い感動しか得られないのである。
 誉めている記事が実際の商品の印象を薄くするというのは、なんか、すごく理不尽な気がするのだが、人間心理の働きがすべて理性に拠っているわけではないのだから仕方がない。

 ところで、表面上は普通の社会生活を送っているようなふりをしていても、実はえらい寝不足で朝っぱらから眠くて仕方がない。
 どういうわけか、昨日は2:00過ぎまで眠くならず、眠れなかったのである。疲れてはいたと思うし、別段普段と違うことを寝る前にやっていた覚えもない。
 もしかすると、土曜、日曜と鬱の薬を一回分飲まなかったことによる影響なのだろうか。そんな馬鹿な、とは思うが、その可能性を考えるだけで慄然とするものがある。久々に自分が生きていることの意味や損得勘定を考えてしまったりしたし。
 抗鬱剤というものは、医者からの処方を患者が勝手に変えて服用するのが一番良くないと話に聞く。その影響でないと言い切る自信は私にはない。これからは週末であっても規則正しい生活を心がけるとしよう。
 こうやって、色々と思い煩うのが本当は一番いけないのだろうが、これは性分だから直しようがない。

 眩暈に見舞われる前の頭の中のもやもやを感じた時に、イブプロフェンを服用することが半ば習慣化している。
 これが確かに効くのである。結局眩暈から逃れることが出来なかったとしても、確実にそれを遅らせ、軽くする効果はあるように感じられる。飲むともやもやは消え、しばらく経つとまたもやもやが復活し、そのうち眩暈へと至るのだ。もやもやからいきなり眩暈になるよりはずっと良い。
 これは要するに、眩暈は抗鬱剤の副作用ではあるが、頭痛もしくは発熱の結果現れている副作用だ、ということだろうか。
 なんとなくこういうことを繰り返していると、自分がアメリカ人になってしまったような気がする。ビタミン剤も飲んでるしな。

 仕事は、どうにかこうにか動くようになった部分の動作が遅くてしょうがないので、その改良作業。
 後から見ると、私は実に無駄なコードを書いていることが判る。しかしながら「昨日の自分は他人」というプログラマの格言を念頭において作業を進めないと、今まで動いていたコードをいとも簡単に動かなくしてしまうのである。困ったもんだ。
 とりあえず、倍まで速度を上げることに成功するが、これでもまだ遅い。さて、どうしたものだろう。いや、こういうところが楽しいんだけどね。

 下らない疑問。
 Phiser製薬の製品は、私の知る限りでは全てに「バイ」という接頭辞がついているが、これには理由があるのだろうか?


2000/07/12

 大遅刻。全然起きられなかった。それもその筈。眠ったのはたぶん4:00を回ってからだ。
 別段、寝ないで何かに熱中していたわけではない。いつもと同じことをいつものようにやっていただけだ。
 要するに、現在処方されている睡眠薬およびマイナトランキライザが効かなくなったために、不眠症が再発したということだろう。
 精神系の薬というのは、こうも簡単に耐性が出来てしまうものなのか、それとも私の鬱の病状が進んだのか。鬱に悪いことをした覚えはあまりないのだが。強いて言えば、浦沢直樹「MONSTER」を読んだくらいか。あれは鬱には悪そうなマンガだ。面白いけど。
 まぁ、現在処方されている睡眠薬であるレンドルミンは、精神関連薬系のサイトに行くと、大抵「ちっとも効かない」という評価をされているものなので、そもそもこれが効いていたことが幸せだったのだ、と楽観的に考えておくことにしよう。
 しかし、次の診察の予約は来週の火曜なのだ。それまで不眠が続くのかと思うと、今から憂鬱である。

 遅刻して会社にやってきても、冷房の掛かった部屋の中で汗をかいていたりと、風邪の症状っぽい兆候がちらほら。
 相変わらず扁桃腺もるとごろごろする程度に腫れているようだ。これは、酷くならないうちに医者に行っておくべきなのか。

 昼飯を食べたら体調がいくらか持ち直す。
 なんとなく体温は高いような感じがするが、体温計はさすがに会社に持ってきていないので判らない。

 17:00頃に眩暈がしてくる。
 今日は目覚めたのが12:00過ぎだったので、朝飲むべきSSRIと抗鬱剤を飲んでいない。よって、それらと一緒にイブプロフェンを服用する。
 体内の薬物濃度を保つために朝昼版に飲むとするならば、こういう飲み方をしても晩の服薬を遅らせれば、特に問題はないと思うが、さて、どうなのだろう? ずれをまた戻す時にちょっと問題があるか。昼間よりも夜のほうが次の服用までの時間が空くので、調整は可能だと思うが。
 今のところ、イブプロフェンを服用すると何故か眩暈が止まる。一体、いかなる作用によるものなのか、次の精神科の受診時に相談してみる必要があるだろう。服用して問題ないであろうことは、その前に掛かった内科医が保証していたので大丈夫だとは思う。熱が下がらない場合には市販の解熱剤を飲むよう指示され、イブプロフェンで問題ないか、と聞いたら、全く問題ないという答だったのだ。
 眩暈は止まるが、代わりに矢鱈と眠くなる。午前中いっぱい、うとうとして過ごしたので睡眠時間は足りていると思うのだが。これはイブプロフェンの副作用だろうか。副作用を押さえる薬の副作用に悩む。まるで末期のガン患者のよう、なんてことを書くのは本当の患者さんに失礼か。

 性能改善のための真っ当な策として、デバッガのコードプロファイラを使ってみる。
 もんのすごい遅いのだが(0.2秒で終わる筈の処理のプロファイルに2時間以上掛かっている)、果たして使い物になるのだろうか。そもそも、使い方を間違っていたりしないのだろうか。
 これが、原理的にこういう遅い動作が当たり前なものなのだとしたら、就業時間中にやるのは愚の骨頂ということになる。いつまで待とうかしばし思案。
 その後、いくらなんでも変なので止めて調べてみたら、全然所定の目的が果たせていないことが判明。マニュアルを読み返すも、日本語化されているマニュアルにはプロファイラの説明自体が存在しない。
 しょうがないから英語のHelpファイルを参照して、ようやくそれらしき個所を発見し、動きそうな設定もしてみる。んが、動かしてみてもCPU使用時間などの数値が変わらない。動作自体は遅くなっているので、プロファイル動作は行っていると思われるのだが。
 結局、Break PointでプロファイラをOn/Offする機能というのがきちんと働いていない(プロファイリングの数値が上がらない)ので、Onの部分のBreak Pointを普通にStopするように設定しておき、手動でプロファイラをOnにすることで解決した。
 こんなことで時間を潰していて本当に良いのだろうか、と我に返ってふと思う、気だるい初夏の午後であった。最終的には結果に結びついたから、まるっきり無駄になったというわけではないのだが。

 ちなみに大量のmalloc(), free()を繰り返していたことが性能を落としていた原因であった。
 さすがに細かいメモリ空間を90程度allocしてはfreeするのは、無理があるらしい。<当たり前だ
 メモリを一回確保したらあとはそれを使いまわすようにして解決。

 ツールのBugに関して、サポートからようやく返事が来る。
 曰く、「再現できないので、そちらのデータを下さい」
 馬鹿者。そんなメールは2日で返してこい。4営業日経過してから送ってくるようなメールではない。
 すぐさまデータを採集して送り返してやる。そのツール自体で採集するデータなので、どういう性質のデータなのかは今一つ判らないが。


2000/07/13

 大遅刻再び。起床は10:30。それから会社に行こうという気になるまで2時間。単なる怠惰な人である。
 昨日の就寝は多分3:00ちょっと過ぎ。改善の秘訣は、力尽きて途中で半端に寝ないことだと思う。
 今日はもう少し早めに寝る努力を始めてみようと思う。昨日は何だかんだで1:00を回ってから始めたので。

 遅刻するので、昼間に外を出歩くことになる。
 ちょうど期末テストの時期なので、帰宅途中の高校生とすれ違う。
 アパートの前で、久々に「おっ」と思うような正統派美少女を見かけた。
 目が大きくパーツがはっきりしている顔立ち、日焼けも化粧もしていない肌、染めても色を抜いてもいないストレートロングの黒髪、すらりとした体型と長い手足、背筋をピンと伸ばして真っ直ぐ前を見て歩く姿。
 こちらは社会に背を向けた半分引きこもりのオタクそのものであることは自覚しているから、じろじろ眺めるような失礼なことはこういう娘にはなかなか出来ない。<たまにはやるのか
 一瞬だけすれ違って、前を向いた状態で自分の視界内に収まっている間だけの邂逅だった(つまり、振り返りもしなかったのである)が、幸せな経験であった。これから先も真っ直ぐな人生を送って欲しい。
 完全に余計なお世話だし、きっと彼女は私の幸せのタネなんかにはなりたくないと思うであろうが。

 どういう経緯でかは知らないが、日本の総理大臣を現在やってるらしい森という男が、新聞記者と揉めていて、お前らとはもう口を利いてやらん、という子供じみた対応をしているらしい。
 どうやら、彼も自分の言動をマスコミが広く世の中に報道すると、色々拙いことになる、ということをようやく学習したようだ。
 しかしながら、その反応がこのような子供じみた行為につながるようでは、やはり馬鹿であるという評価を下すしかあるまい。
 「人間は自らが無能になる階層まで出世する」という法則もあるが(この法則にはちゃんと理由もあるのだ。長くなるから説明はしないが)、だからといって国の代表が無能な馬鹿であることを看過することは出来ない。さっさととり返しのつかない失言をして退陣してもらいたいものだ。ところで、なんで総理大臣はリコール請求できないのだ?

 牛乳は、結構私も好きだし、猫も要求するので常備しているのだが(私は支配されている訳じゃない、訳じゃないったら!)、雪印の牛乳を積極的に飲んだことはあまりない。
 何故かといえば、有名メーカブランド品よりも農協ブランドのものや、居住地に近い中小メーカブランドのもののほうが美味いと私は感じるからである。
 何年か前、実家で生活していた頃に、確かフルヤだったと思うのだが、瓶入りの宅配牛乳を飲んでいた。それは低温殺菌牛乳で、これの美味さと来たら、他の牛乳を飲めなくなってしまうくらい美味かった。
 今でも、低温殺菌牛乳を見かけるとふらふらと買ってしまう。しかし、あまり見かけないのだよな。高価いから売れないのだろう、多分。
 世の母親達は、子供に牛乳を飲ませても自分で飲む人は少なくて、味よりもコストを重視するのだろう。一概に悪いとは言えないが、500円も違うという訳ではないのだから、それくらいの贅沢はしてもいいのではないかと思う。

 下らない疑問。
 雑誌について言及する時に、「〜は〜社の登録商標です」という注意書きがある物や、ロゴの横に(R)が付いているものを見たことがないのだが、そもそも、雑誌や書籍という適用項目が商標登録時に使えるのだろうか?


2000/07/14

 だるいー。発熱ー。
 一回休みー。

 丸川トモヒロ「成恵の世界」(角川コミックスA)読了。
 こ、これは面白い。人類とは異質なものが彼女になるという同モチーフの高橋しん「最終兵器彼女」よりこっちのが好みかも。
 「最終兵器彼女」はどうしてもあれが最終兵器の候補になった理由に納得が行かないので、その辺が邪魔していまいちなのである。
 しかし、このタイトルが洒落だとしばらく判らなかった私は、薄すぎる自分を恥じたいと思う。


2000/07/15

 承前。
 本を読むも長続きせず、適当なことをWebの掲示板に書き込むのが関の山。
 体温はずっと37℃近辺を上下し続けている。「熱さまシート」を手放せない(というか、次々と額に貼り付けているのだが)。
 というわけで、近所のやる気のないファミリーマートに夕食を買いに行く以外には外出できず。今日は早く寝て直さないことには。

 昨日、ついついbk1で大量に本を買ってしまったのだが、それの第一便が早速届く。
 なるほど、こりゃ速い。びっくり。注文したのは昨日の夜で、昼に届いたから、本当に24時間以内に届くのか。
 送料無料という太っ腹なことをやっているので、まとめて送ってくるもんだとばかり思っていたが、よく考えてみたら、それじゃ便利さをアピールできないんだな。
 一冊、発売前の本が混じっているのだが、他のはその本の発売以降にまとめて送ってくるだろうか。そんな面倒なことはしないか。
 ヤマト運輸を使っている割には、配達の時間帯指定ができないのは片手落ちだと思う。配達員に愚痴を言われるんだから、さっさと直すように(ってここで書いても効果はないだろうが)。

 Webの掲示板上で質問をしたら、8時間もしないで回答を得られてびっくり。
 いやぁ、互助精神って素晴らしいなぁ。仕事にはきっと使えないと思うけど、趣味に使うにはこれで十二分だ。

 12モンキーズをやっていたのでついつい見てしまう。ブルース・ウィリスはこんな役ばっかりだな。
 「記録された映像を何度見ても映像自体は同じで、見る人間の側が変わるから変わって見えるのだ」というモチーフは、精神病院のシーンから出し続けるのが良いと思うのだがどうか。
 映画には入っていない年代表記の字幕を勝手に入れるのは視聴者の知的レベルを低く見ている行為で、如何なものと思うのだがどうか。


2000/07/16

 鼻水が出て、扁桃腺が腫れて、喉が何となく痛いが、頭痛がしないので無視することにする。
 洗濯をし、布団を干し、TVを観ていたら牛タン料理を見せられて無性にタン塩が食いたくなったので、昼飯に焼き肉と冷麺を食い、買い物に出かける。
 一応コミケットカタログも買ってくる。いつもながら、厚いことである。

 小田光雄「出版社と書店はいかにして消えていくか」(ぱる出版)読了。
 まずは内容に関係ないことで非常に気になったことを二つ。
 最初の一つは、何の断りもなく、ずっと筆者と正体不明の話者の二人の対談という形で進むという点である。
 正体不明の話者の喋ることは、当然それだけ中身を割り引いて聞くことになる。正体不明なのだから当然だ。あとがきまで読めば、作者が架空の聴き手を置くという形式を取って、全て自分で書いたことが明かされるが、これは前書きでやるべきだっただろう。
 また、私はこのような形式を、我田引水、牽強付会が非常にやりやすい形式であり、真面目に論陣を張るのには向いていないと考えている。二人の立場が違う人間が互いに話し合った結果を語っているように見せかけて、一つの結論を最初から導くことを目的に書くことができるからである。よって、いかに真面目な内容を語っていたとしても、そういうフィルタを掛けて読まざるを得ない。当然、所々、我田引水としか思えない箇所が見受けられたように思える。
 次の一つは、再販制廃止ありきがまず念頭にあり、その論理的必要性を説明することをほとんどしていないという点である。再販制の弊害は判る。しかし、再販制の利点は当然あるはずであり、それを廃止した場合の影響をメリット、デメリット合わせて説明した上で、廃止した方がよい、という結論を導くべきなのに、それを全くしていないのである。
 よって、この本で唱えられている再販制廃止論はほとんど説得力を持たない。折角の論もこれでは勿体ないというものである。
 以上、データ本としては役に立つかもしれないが、それ以上の意味はこの本にはないと私は感じた。
 閑話休題。
 最初に読み始めて感じたことなのだが、要するに、現在の書籍市場の問題点というものは、多品種小量生産品と少品種大量生産品の二つに二極分化していて、それが少品種大量生産品にのみ対応した流通ルートに乗って流通しているのが問題だ、ということに尽きる、ということだろう。
 少品種大量生産品の市場というものは、体力勝負の潰し合いになるのは当然であり、それは他のどの業界を見渡してもそうなっている。
 また、現代資本主義社会で経済的に成功するためには、大量生産大量消費の流れに乗るのは自然なことであり、それを止めることはできない。止めたとすれば、亡びるか、良くて細々とした趣味の世界を相手にする商品になるだけの話である。どうもこの著者は、出版業種が大量生産大量消費に向かうこと自体を悪と見做しているようだが、その論理的理由は全く説明されていない。私の見たところ、これは彼の信仰なので、説明は不要だし不能なのだろう。
 ベストセラー本、文庫本、マンガ本、雑誌、つまりはコンビニ流通に乗っている本たちは、少品種大量生産品であることが明白だが、他の大量生産品に比べれば、まだまだ宣伝が甘い。ベストセラー本やマンガ本のTV CMなどほとんど見たことがない。文庫はフェアをやっているときだけだ。まともにTV CMをやっているのは一部の雑誌だけということになる。移り気な消費者をつなぎ止めるための広告を、もっと大々的にやるべきだろう。それともその体力さえもないのか?
 話を多品種小量生産品である本に戻す。そこで、多品種小量生産品の流通機構を作る努力をせずに、現行制度の批判ばかりを繰り返すのは単なる間抜けがやることではないのか。率先してできる体力がないにしても、頭くらいは使えるはずだろう。批判は一度だけやればよく、批判をした後に新しい制度を模索するのが正しい頭の使い方ではないだろうか。
 それが、再販制が邪魔しているからできない、と頭から思い込んでいるために、そこで思考停止してしまっているように見える。多品種小量生産品という言葉を文中で使っているにも関わらず、である。
 再販制の中においても書店の廃業が相次いでいるのなら、別に再販制がなくても体力がなくて頭を使わないところは潰れていくということである。つまり、書店側に頭を使う理由は既に訪れていると言っていいだろう。
 ここで、多品種小量生産品を扱うことにより、新たな市場で勝負をするというビジョンを示してやれば、それに乗る書店だって現れるだろうし、そのような本を作りたい出版社を集めて新たな取り次ぎを作るのだって、不可能ではないはずだ。何故それをしない。
 再販制があろうがなかろうが、そのような取り組みをすることは可能であるはずである。
 というわけで、この本の印象は、単に現状の分析をしてそれが崩壊状態にあることを示し、未来のビジョンはほとんど何も示していない本、ということになる。
 少品種大量生産品と多品種小量生産品は、商品性質がまるで異なる。違う商売の仕方をしなければならないものなのである。それを、この著者は同じ本であるということにとらわれて、見失っているように思える。
 いわんや、最後の方に現れる、新しい本など必要ないのではないか、という論に至っては、読者をバカにするのもいいかげんにしろ、と言いたくなる暴論である。この著者は図書館や古書市場の役割を完全に間違えている(今の図書館員や図書館の利用者が間違えていないとは言っていない)。
 著者は、続編である「ブックオフと出版業界」の前書きに、「ミステリーのように書いたのです」と書いている。ならば私は著者に対して言いたい。「最初から犯人が割れてるようなつまんねーミステリなんか読ませんじゃねーよ」
 なるほど、読んでいて退屈だった理由はここにあったのだ。下手な人間が書いたミステリほど退屈なものはない。ミステリ界は激烈な競争にさらされているというのに、よくもまぁ、この程度のレベルでミステリ界に参入する勇気があるものだ。
 本の流通業界に居て、現状を知らない人の蒙を開く役には立つだろう。これが古書店やBOOK OFFの存在して良い理由になることは絶対にないと私は断言する。それについては以下で述べる。

 古本屋で入手する本は、自分にとってどうでも良いか、さもなくばもう新刊書店では基本的に入手不可能なものだ、という認識は、決して不変のものではないらしい。
 古本屋で、出版されたばかりの本を買ってきて読んで面白かった、などと何の躊躇いもなく書けるのは、どういう神経なのだろう?
 物を作っている人への感謝の気持ちを私は忘れたくないし、だからこそ物を作りたいと私は思う。この世で一番偉いのは、日々の食い物を作ってくれる農家の人々、漁業の人々である。これが私の価値観だ。
 資本主義社会において、物を作ってくれた人に感謝を捧げるためには、金を払うしかない。古物商という商売は、その経路に割り込んできて不当な利益を得ている人種にしか私には見えない。流通経路が腐ってようが崩壊していようが、その完全な代替を提供しているならともかく、そうでないのなら、経路の崩壊はその不当利益を得る人間の存在理由にはならない。何であろうが、不当なものは不当だ。
 要らないものを取り引きするな、とは言わない。取り引きの過程に入り込んで、それで利益を得るからには、その取り引きされるものを作り出した人間への還元があってしかるべきだろう。通常は、古物の価値は新品より大きく落ちるとして、新品価格に古物取り引きによる損を予め織り込んでおき、物を持ち続けることを贅沢なこととして、解決している。
 しかし、単価が充分に高い同一機能のものをどんどん買い換えていくような、例えば中古車市場や、単価が高いためにその損を織り込んでおくマージンが十分取れる商品ならともかく、情報メディアの市場というのはそれにそぐうものではない。大抵の情報メディアは、少品種大量生産品なのだ。
 その解決法は要するに、最初に新品を買うユーザが払う対価に古物商の得る利益が完全に含まれていることになるわけだが、情報メディアの価格、つまり本やゲームソフトの価格にはそれだけのマージンは存在していない。少品種大量生産品なのだから当たり前である。そして、情報の価値は人の手を経ることによって低減したりは普通しない。
 中古取り引きもマージンが低いことで、還元するだけの利益が得られないのなら、せめて中古市場が新品市場と競合しないようにするべきだろう。自分達が得ている利益をその提供元に還元できないなら、せめて提供元の邪魔はしない。人間として当然の仁義だ。仁義がないなら法で取り締まるほかはない。
 新品市場の流通が崩壊しているから、中古市場でそれを補完し、ユーザ側で作成者に還元しろ? 寝言は寝てから言って欲しい。取り引きすることで利益を得ている中古市場の業者が還元する義務を持っているのだ。偉そうなことはまず自分の義務を果たしてから言え、と私は主張する。

 続いて「超激辛爆笑鼎談「出版」に未来はあるか」(編書房)も読んだ。
 対談ものにありがちな、自分は賢くて他の奴等は全員バカだと思っていてそれを隠す知恵も持ち合わせない連中が、無責任な発言をただ垂れ流しているだけのもの。新しい見解は何も得られない。不愉快になるために読んだようなものだ。自分がつくづくお人好しの阿呆に思えてくる。私も自分が同種のバカであることは認識しているので、これは同族嫌悪というものだろうが。
 多品種小量生産品である本を作り、それを流通させるというアイデアに気づいている分「出版社と書店はいかにして消えていくか」よりはマシかもしれないが、気付いていて、自分でやろうとしない奴に偉そうなことは言われたくない。
 市場が存在しないことによって、彼らの言う白痴でない読者層に届けられる本がないのならば、それは願ってもないビジネスチャンスであるはずだ。なぜそのチャンスに乗じないのか、私にはさっぱり理解できない。隙間が空いているところを見つけて、そこに入り込むことこそが、金を儲ける秘訣ではないのか。
 再販制批判では、再販制と委託制をごっちゃにして、委託制の弊害を再販制の弊害だと言って憚らない間抜けさ加減である。自分は賢いなんて認識をしてるような奴のレベルはこんなものだ。まさか喋ったきりでテープ起こし原稿のチェックをしていないわけでもあるまい。その可能性だって捨てきれはしないが。
 再販制の利点というか、導入理由を、中小企業の保護にある、としているのはその通りだろう。しかし、保護されたくないなら、再販指定を行わず、異なった流通経路を通じて売ればいいだけの話であり、再販制があることがその障害になるとは思えない。
 委託制に重大な問題があることは判るが、再販制と委託制がセットになって語られるのは何故なのか、さっぱり判らない。
 委託制が本屋にプロ意識をなくし、本屋の棚を代わり映えしないものにしているのはその通りだが、その状況で本屋が潰れているのだから、生き残りたいなら嫌でも頭を使わざるを得ないのである。それは上に書いた通り。
 再販制に寄りかかって面白くない本を作り続ける出版社だって、再販制があろうがなかろうが、今の状況が続けば、どんどん淘汰されていくだろう。
 再販制の廃止は、状況を急変させることによって業界に活を入れる、以上の意味があるとは私には思えないのだが。そちらの方が商売になるのならば、積極的にやってみせればいいだけの話である。
 もしかすると、資本主義経済と出版事業は相容れないものであると考えているのだろうか。

 なお、何度か書いているが、著作物で商売を行うということは、情報で商売を行う、ということである。
 情報は、知っている人と知らない人の間で価値が大きく異なる。その性質からして、商売に乗せるのが非常に難しい商品である、と私は思う。著作権法などの法律は、その性質を考慮した上での保護を行うための法律なのである。
 よって、再販制によって著作物は保護されるべきものであり、現在の一部の著作物のみが再販指定商品になっている状態というのは、非常にアンバランスな状態であると言える。
 著作物全てを再販指定から外すか、全てを再販指定にするのが筋というものだろう。
 私は、現状の著作物の保護は、それが商売になるかどうか、という点においてまだまだ弱い部分があると考えている(JASRACなどの対応を見ると、一部では突出していると思われるため、バランスを欠いているというのが正しい認識だと思うが)。
 よって、全ての著作物を時限再販指定品および、時限古物取り引き禁止品にするのが現状で必要な対応だというのが私の意見である。

 F1オーストリアグランプリ。
 時間を間違えていて、スタートを見逃したら、M.シューマッハが早々にリタイアしていて、3位がアロウズのベルスタッペン、4位にようやくバリチェロという状態。
 その時点で観るのを止めてやろうかとも思ったが(どうもフジのアナウンサーはマクラーレン贔屓が裏に透けて見えて気にくわない。ホンダのエンジンを積んだチームを応援するのはまだ判るが)、惰性で観続けてしまう。
 結局、ベルスタッペンはエンジントラブルでリタイア。バリチェロが繰り上がって3位。マクラーレンの1,2。
 今回のフェラーリは、予選からしてマシンセッティングが全然なっていなかったので、しょうがない結果といえばそうなのかもしれないが、2戦連続リタイアってのは悲しすぎるぞ。

 伊豆諸島の地震って、だんだん本州に近づいてきているような気が個人的にしているのだが、これって、日本沈没ってやつ?<実際に被害に遭われている方、不謹慎ですいません


2000/07/17

 今日も今日とて大遅刻。
 もう、午前中というか、10:30を過ぎるまでは起き上がる気力もない。鬱が進んでいるのか。
 とりあえず、明らかに風邪も引いているので、風邪の所為だということにして、会社には内科の医者に寄ってから行くと連絡する。
 明日はようやく精神科の予約日だが、なかなか眠れなくなってきたことと午前中に気力がなくなったことを言ったら、絶対休めって言われるよなぁ。これはいよいよ社長と相談しないと駄目かなぁ。

 連絡したとおり、会社に一番近い内科医に寄ってから会社へ。内科では一応風邪との診断。処方された薬が切れても症状が出ているようなら、検査のためにもう一度来いと言われる。ま、そりゃそうか。
 時系列は前後するが、家を出る直前に、bk1から「鉄コミュニケイション」が届く。インタフォンで対応に出たら、名前だけ確認して、こともなげに「ポストに入れときますねー」と言われてしまった。あれ? そういうことで良いの?>ヤマト運輸
 通販のカタログとか、事故が起きても文句を言う人が余りいないようなものならともかく、通販で買った商品なのだ。もし間違いが有ったらえらいことになると思うのだが。それで、事故時の対応もそれなりにやってくれるんだったら、その方がこっちとしても有り難いけど。だったらポストに表札を出しておこうかな。<出してなかったんかい

 bk1旭屋書店 NetDirectはサービスという点では甲乙つけがたし。企業などから注文する場合は、Faxによる注文も受け付けているNetDirectの方が多少有利かも。
 現状では、24時間以内に配達されるとなっているものはbk1で買う、そうでないものは、時間帯配達指定が出来る旭屋書店で買う、くらいだろうか。旭屋書店は紙のカバーを必ず付けてくる点で、カバーが欲しい人はそちらを選ぶかもしれない。今は無料だから気にしていなかったが、bk1の送料体系はどうなってたんだっけ?
 jBookはCDやLD, DVDが注文できるのが強みだが、一回注文したらずっとなしのつぶてで、2週間以上経ってから初めて「注文したが入荷しなかった」というメールを寄越しやがった(注文した時点で現在注文中だというステータス報告のメールを寄越さんかい)のと、それにも関わらず、そのLDがその後も注文可能になっている点で私の評価は著しく低い。
 そういえば、jBook(とamazon.com)はSharlockにも対応していたのだった。bk1も旭屋書店もさっさと対応させるのだ。jBookはそれ以外のサービスがいまいち(私評価)だから、今がチャンスだと思うぞ。
 これから切磋琢磨して、サービスの質をどんどん上げていって欲しいものである。取り残されている感のある紀伊国屋書店はどうなるんだろう? 個人的には現状のサービス体制を続けるなら、なくなってもらっても一向に構わないのだが。

 会社に着くのとほとんど同時に昼飯を食いに行こうということになり、なんかとても申し訳ない気分に。
 食欲はあまりなし。出されたものを残すのは、幼い頃から続けられた条件付け(一般的にはこれを躾という)で、私にとってものすごい罪悪感を感じさせる行為なのだが、全部無理矢理食うともっと勿体無い事態になりそうなので、止めておくことにする。
 こういう言い訳を考えることが出来るようになることを「大人になる」と言うのだと思う。

 飯を食い終わると体温が一度ほど上がった感じ。身体全体が熱っぽくなり、だるい。でも外の暑さがあまり気にならなかったりする。
 頭があまり回っていない感じはするが、全く集中できない訳ではないので、ここは根性で仕事しないと本気で駄目人間だぞー、と自分を脅かしつつ仕事。眩暈がしてる時より余程仕事に向いた体調だ。

 わぁ、びっくりした。
 いつものように、巡回予定の日記の一覧を求めてWebにアクセスすると、今までなかったはずのものがそこにある。何時の間にか、「世迷い言」がSF系日記更新時刻に登録されている。やったー。これで私もいっぱしのSF者だって認めてもらえたのか。
 いやしかし、ここに登録されるということは、並み居る作家の方やディープな(誉め言葉。本気で)ファンの方と等しく並ぶということで、そんな価値がこんな(「成恵の世界」の駄洒落にしばらく気付けないような。当然原典も読んでないし)薄い私にあるのだろうか、などとちょっと謙虚ぶってみたりして。
 最近、鬱から来る人恋しさ(自分の行動の理由を何でも病気に結び付けるのは、単なる言い訳なんじゃなかろうか)で、矢鱈とそこら中の掲示板に投稿しまくっていたのだが、その影響だろうか。まさかコミコミ.ねっとで検索キーワードにSFを入れたからではあるまいな。
 この手の時間更新取得エンジンへの登録というのは通常は手動で行われるものなのだから、登録するだけの価値があるとは思ってくださったということなのだろう。有り難いことである。
 だからといって、書く内容を変えたり、発言に気を遣うようになるというのは私のスタイルではないので、特にしないのだけど。
 このhtmlファイルにある内容を見れば、ここがどんなところで私がどんな人間なのかは大体分かるようになっていると思う。内容のバラエティも濃さも薄さも長さも短さも、全体を見渡すのにちょうどいいレベルで混ざってる期間だ(どういう訳だか)。
 と、いう訳で、(もしいるなら)新しい読者の方々、このファイル全体を見渡してみて、嫌いでなければたまには見に来てくださいね。

 昨日買ってきた小野リサ「prettyworld」及びアントニオ・カルロス・ジョビン「波」を聞きつつ仕事。あー、和む。やっぱ仕事のBGMに最適。いい買い物をした。
 動作ののろい部分を直したら、変な動作をするようになってしまったので、それを直さねばならない。
 結構簡単に原因が見えてきたので、俺って捨てたもんじゃないかも、などという根拠のない自信が涌いてくる。これに突っ込みを入れるのは、鬱に良くなさそうなので以下略。

Q:夕方になって精神状態が安定してくると、猛烈に腹が減って仕事が手に付かなくなるのはどうしてですか。
A:無理してでも腹に溜まるものを昼に食べなかったからです。それと、仕事が手に付かないのは病気でないとしても怠惰な人間だからです。

 よく、企業の歴史などを振り返る番組(例えば、NHKのプロジェクトXなど)で、いかにも会議中ですよ、とか図面の検討中ですよ、なんていう写真が使われるが、あれって絶対後から社史の編纂用やリクルート用パンフレットのために、そういうシチュエーションに見えるように撮られた写真だと思う。実際に仕事の作業や議論をしてる時に現場の写真なんか撮ってるやつがいたら、下手すりゃ殴られる。つーか、煮詰まってる時にそんな奴がいたら私は殴るぞ。
 そういうことに自分自身が付合わされたことは(確か)なかったと思うが、前の会社で同期入社のやつとかがそういう写真のモデルをやらされていたし、学生向け事業部紹介用パンフレットにもそれと思しき写真がふんだんに使われていた。まあ、事前にいついつにそういう写真を撮るから、と説明は受けるものの、写真を撮らせてくれと言われるのは大抵は実際の会議中や、ドキュメント作成中もしくはコーディング中だったりするのだけど、シチュエーションは誰だかよく解らないカメラマンがアレンジしてた。机やモニタの上も片づけさせられていた。当たり前だけど。
 それなりの大きさのメーカというのは、どこでもそういうことをやっているものだと思う。
 そういや、今の会社でもプロモーション用資料を作るとかで同じようなことをしたな。やっぱその時舐めてた飴のパッケージとか、飲みさしのコップとかはどけてくれって言われたな。

 桜玉吉「幽玄漫玉日記」3巻(エンターブレイン)読了。
 最初のうちのエピソードが、まるっきり鬱病のそれなので、知らぬということは恐ろしいことだと思いつつ読む。
 鬱病者が一人でひなびた温泉宿に気分転換の旅行に出かけたりなんかして、よく自殺しなかったものだ。どうも桜玉吉は方々を出歩くのが好きらしいので、それで助かっている部分はかなりあるのだろうけど。
 途中から個人輸入したプロザック=SSRIを服用するエピソードもあったりして、なんとなく親近感。でも平坦には別にならないけどな。量が違うのか知らん? それとも、何事にも無感動という鬱の症状があちらには出たけれども私には出ないということか知らん?

 私の家から二番目に近いコンビニ、セブンイレブンにて、フルタの「レッド・データ・アニマルズ」を発見したので、哺乳類はあまり好きではないにも関わらず、その場で有ったのを全部買ってしまう。ちなみに私が一番好きなのは甲殻類である。エビ、カニの類は見て良し食べてよし。口脚類とか橈脚類なんかもイカす造形だよねぇ。海洋堂が甲殻類シリーズなんてのをリリースし始めたら、万難を排して集めるね。
 ちなみに買ったのは、東ローランドゴリラと西アカガシラエボシドリとカルフォルニアコンドル。
 モデルの出来が良いのはここで今更書くことでもないが、入っている飴が佐久間のドロップライクで個人的にとても嬉しかったりする。
 謎の11番がなんなのか、とても気になるところではあるが、チョコエッグ時代のように遊び(ツチノコとか)が入る余地はないだろうから、あまり面白い動物だったりはしないのだろうなぁ。

 帰る直前に、社長と今後について相談。
 結局、明日の医者の意見を参考に考える、という事にまとまる。なんだかなー。


2000/07/18

 10:00から精神科。
 会社に行くべき時間より遅いにも関わらず(ついでにその医者は私の家からは会社と同じ方角のほとんど同距離にある)、遅れないように起きるのがものすごく辛い。単なる怠惰な人である。
 結局、2分ほど遅れて到着したが、少々待たされた上に特にお咎めはなかった。咎めると精神衛生上良くないから単に怒らなかっただけで、本当は困っているのだろう。申し訳ないことをした。
 医者の話では「本当なら(三ヶ月以上)休め、でも仕事をするならなるべく楽な条件で、無理しないようにしろ」ということだったので、それを素直に伝えて社長と話し合うことにする。
 薬の量は微妙に増えていっているので、症状は改善していないと認識されているのだろう。一時期に比べれば全然楽になってきているのだが、社会生活を真っ当に送れないのだから説得力に乏しいか。

 会社で昼食後に社長に報告。医者に言われたことを素直に話して12:00始業の変則シフトへの移行の了承を得る。
 借りが出来てしまったので、ぐーたらな仕事は出来なくなる……、なんて考えるのは鬱に悪そうだから以下略。
 いずれにせよ、ぐーたらとやってきたとはいえ、これまでの作業の積み重ねがまったくの無駄になってしまうのは自分としても嫌だ。それだけは避けるべく、作業を進めていきたい所存である(自分に言い聞かせるためにもこういうことは書いておかないとな)。

 むぅ。でかいメモリリークはすぐに原因を突き止めたのだが、細かいものが残っている。
 こうなったら心当たりを一つ一つ潰していくしかない。蟻の巣を全滅させるために、蟻を一匹一匹爪で潰しているような気分。

 時雨沢恵一「キノの旅 the beautiful world」(電撃文庫)読了。
 モトラド(この世界でのオートバイのこと)に乗って城壁に囲まれた都市国家間を旅する、パースエイダー(この世界での銃のこと)使いの少女を描いた連作短編集。
 読んで最初に思い浮かべたのは「銀河鉄道999」。主人公は既に自我を確立していて、星野鉄郎のように成長したり揺らいだりはしないのだが、「郷に入れば郷に従え」という原則に従って流れる世界と、そこで巻き込まれるトラブルから銃を使って切り抜けていく主人公。そして、それぞれの国が社会風刺を含んだ歪んだ世界になっている、という点が似ていると思う。
 個人的には、新世紀の銀河鉄道999になる可能性は充分に秘めている作品だと思う。中学生くらいの人に読んでもらって、色々考えて欲しい作品である。松本零二作品のように、男のロマン成分は含まれていないけれども。
 作者はかなりのガンマニアのようなので、ガンマニアの人も満足できるかもしれない(私自身が銃器関係には疎いので、よく判らない)。
 登場する主人公以外の人物描写から、あまり人間味が感じられない、というのは多少あるかもしれない。
 イラストの黒星紅白氏の絵は端正で可愛らしいのだが、文中の主人公の描写と若干齟齬があると思う。キノは細面で精悍な顔付きをしているし、長いコートの余った部分を足に巻きつけているのだ。

 調子は悪くないが、眠い。昨日寝たのは何時だったっけ? 1:00より前だということはないのだが。

 最近、唇が荒れていて、気が付くと出血している。
 鼻をかむとちり紙に血が付いていたり、何かを飲んだ後にコップに血が付いたりして気付くのだが、これはやはりビタミンB不足だろうか。
 口内炎がようやく治ったので、ビタミンB剤の服用を止めていたのだが、良く考えてみたらこういうものは飲んだり飲まなかったりするようなものじゃないな。食生活は慢性的にビタミン不足の筈だし。

 なにー?! F1 オーストリアGPのM.シューマッハのリタイアは追突が原因だとー?! それじゃフェラーリは悪くないんじゃん。それでコンストラクターズポイントを逆転されてしまうのでは、あまりにあまりだ。いや、フェラーリがマシンセッティングをしくじっていたのは明白なので、M.シューマッハがリタイアしなかったとしても、マクラーレンの1,2が揺らぐかどうかはかなり厳しいところだとは思うが。
 一瞬だけ映った映像では、どうも追突しやがったのは黄色いジョーダンのマシンのようだ。予選順位的にも不自然ではない。
 馬鹿ヤロー、なんてことしやがるんだ! 俺はもうジョーダンは応援しないぞ。
 ハッキネンのマシンセッティングにレギュレーション違反の可能性があるとのことで、失格になればコンストラクターズで逆転というのはなくなるのだろうが、今度はM.シューマッハとクルサードのポイント差が縮まってしまう。世の中ままならぬものよのう。
 ところで、4位のコンストラクターズポイントって何点なんだ?
註)この部分の記述は、私がフェラーリ原理主義者であることを念頭においてお読みください。
註その2)7/20の日記にこの事故について、私の認識が誤っていたことに関する記述があります。ジョーダンファンの方は、気分を害されたことと思います。どうもすみませんでした。


2000/07/19

 今日から変則勤務。
 十分間に合う筈の時間に起きたのだが、寝汗を流すためにシャワーを浴びていたら、突然湯が出なくなる。
 間の悪いことに、頭にシャンプーをつけて泡立て始めたときだったから、寒い思いをして水を浴びるはめになる。
 とりあえずなんとか汗だけ流して、早速東京ガスに電話。すると今日の午後には修理に来てくれるとのことで、PHSの番号を教えてとりあえず切る。PHSに掛かってきたら、しばらく会社を抜け出させてもらおうと思ったのだ。
 そんなこんなで結局3分ほど遅れて会社に着く。

 今か今かとPHSを開きっぱなしにして掛かってくるのを待つも、全然掛かってこない。
 17:00を回ったところで、伝言サービスから掛かってきた。時間は……16:10!? 伝言から1時間も遅れて連絡して来やがったのだ。
 当然、業者と落ち会える筈もなく、結局今日の修理はパーに。
 PHSがずっと電波が届かない状態にあったわけではないのは、アンテナの状態をちらちら確認しつつ仕事をしていたので、よく判っている。それで1時間も遅れて連絡されるとはどういうことか。しかもこの伝言サービス、基本料金以外に金を取っているのだ。
 NTT Docomoのサービスは以前から腐っているとは思っていたが、ここまで腐っているとは思わなかった。
 即刻解約したくなるが、今はその暇も惜しい。
 余裕ができたら、すぐに解約して、今後二度とNTT Docomoの電話は持たないと心に誓う。
 利用者を嘗めているとしか思えないサービスしか提供できない奴等に金を払うほど私は心が広くない。本当はNTT東日本にも金は払いたくないのだが、他に選択肢がないので仕方なく使ってやっているのだ。
 よく考えてみたら、このPHSは、NTT東日本のサービスがヘタレなために導入を余儀なくされたものだったのだ。ちょうど良い機会というものだろう。

 昨日の晩の話だが、21:00頃にむちゃくちゃ眠くなり、それ以降はちっとも眠くならないという以前の不眠症のパターンに陥りそうになった。
 そこでふと思い出したのが、現在処方されている睡眠薬の禁忌のところに、アルコールがあったということ。理由は、作用が強くなりすぎるから。
 これは試す価値があると思い、前に買ってきてそのまま冷蔵庫に眠っていたキリン一番絞り黒生ビールを、喉が渇いていたこともあって、ほとんど一気飲み。
 偽薬効果かもしれないが、あっというまに眠くなって、そのまま朝までぐっすり眠ることができた。これは良い。今度からその方法で行こうと思う。<不健康

 これは日曜の話だが、ご多分に漏れず、月蝕を観測。
 FinePix2900zによる写真撮影も試みるが、F4でISO100相当の感度では、シャッタースピードが長くなりすぎ、手での保持ではぶれぶれで何の写真だか判らない代物しか撮れなかった。よって公開はなし。


2000/07/20

 休みだというのに、東京ガスの修理員の人が来る。うぅっ、あなたの爪の垢をNTT関連会社の連中に煎じて飲ませたいよ。
 んが、調べてみたら今日は入手できない部品の交換が必要だということが判り、風呂なし生活が一日伸びることになってしまった。

 修理費の請求先をはっきりさせておかないと、部品の入手が難しいと言われたので大家に電話。
 あっさり向こうが払うという回答を得て、拍子抜け。ここは日当たりは悪いが、その他の点では非常に満足しているのだ。大家の対応が良いのもその要因の一つ。

 シャワーも浴びずに外に出る気にはならず、ずっとごろごろしている。というか、ほとんど眠っていた。

 Appleの新製品、G4 Cubeと新マウスの格好良さに痺れる。iMacの新色も良い感じ。
 しかし、メモリスロットが2つしかないというのでは、ちょっと導入には踏み切れない。モニタ出力もデジタルしかないという話だし。ファンレスというのは非常に魅力的な特徴なのだけど、上に放熱スリットがあって、中が見えるので、私の部屋では埃が心配だ。
 まぁ、今のG3 B/Wの速度に不満はないので、まだしばらくはこいつとつきあうことになるだろう。

 7/18の記述で触れた、F1 オーストリアGPでM.シューマッハのリタイアの原因となった追突事故だが、御意見板で、寸゛さんから情報を頂いた。
 要約すると、あれはフェラーリ側のブレーキタイミングが速すぎたためで、フェラーリが悪いように見える、とのこと。
 なるほど、私の記述はジョーダンへの誹謗中傷にも取れる記述になってしまっていたというわけだ。
 よって、ここにジョーダンファンの皆さんへ非礼をお詫びし、記述は訂正させていただくことをお許し願いたい。ごめんなさい。


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