00年8月中旬の世迷い言


2000/08/11

 えー、とあるよんどころない事情で、いきなり洗濯をする事を余儀なくされ、起床は10:00だったにも関わらず10分ほど遅刻。
 そんなもん、遅刻の言い訳になるかい。

 昨日はバリバリ仕事をしたが、今日は気が抜けた。ぷしゅ〜。

 一日7〜8時間は眠っているはずなのに、眠くて仕方がない。
 日が落ちると解消されるので、単に生活時間がずれているか、睡眠薬が効きすぎているか、鬱の症状の一つであるかのどれかだと思う。今度医者に相談してみるとしよう。

 昨日の補足。
 昨日やったのは、500行にならんというExcelのファイルの一列が短文になっていて、それに対する校正作業、とでも言っておけば守秘義務契約にはひっかからんだろう。
 終わりはそれなりに近くに見えるが、作業を続ける事自体はとても辛いという、まるで中距離走のような仕事であった。
 しかし、驚くべき事に、私は、途中、食事による休憩が入ったとはいえ、23:00以降までその作業を続け、とにもかくにも一周目は終わらせたのであった。
 これまでの私からしたら、信じられない集中力である。鬱が快方に向かっている。
 相変わらず、起きた直後には何もする気が起きないし、あまつさえ、立ちあがると足元がふらついたりするのだが、これはひょっとすると睡眠薬の作用がまだ残っている所為なのか?
 自分を分析するに、全面的没を宣告されたこれまでやっていた仕事は、私にとって大変なプレッシャーだったのだろう。そう考え当たると、いくらでも思い当たる節は出てくる。
 これまで一度も書いた事のない、リアルタイム処理が要求される、単独使用のツールレベルの規模じゃないコード(.cと.hの合計サイズを見たら、1MBytes近くあった)を、まともな仕様書も書かず、複数人数による仕様書の検討も行わず(仕様書は簡単なものなら書いたのだが、「こんなものを見ても判断はできない」と突っ返された。どうやらうちの会社の構成員には、他人の仕事のレビューを行うという能力を持つ人間がいないようだ。個人のプログラム能力がごく高いので、それでもなんとかなっていたのだろう)、とにかく動くコードを寄越せと言われ続けるのは、これまでの私の仕事のスタイルとは大きく異なるし、私のプログラムポリシーにも反することで、これがプレッシャーにならない訳がない。しかも1年近くに渡ってまともな結果は出せなかったのだ(これだけ上手く行かなそうな要因があれば、当たり前な気もするが、主な原因はメモリ管理を複雑にしすぎて把握できなくなった事で発生した後戻り工数である)。
 この先、リアルタイム処理のコードの担当を任された場合は、仕事のスタイル自体を自分自身のスタイルに合うように変えてくれと要求して調整するか、自分の中でどうにか調整を付けて、ここのスタイルに合わせるしかない。
 たぶん、そういうシチュエーションが再び現れるのは、今の仕事の全体的な片が付いてからだろうが、今から考えておかなければならない問題である事は確かである。

 ついでに言うと、昨日の日記が短かったのは、疲れている所為ももちろんあったのだろうが、私の「人間が一日に生成できるテキストの総量には制限がある」説に拠って、校正作業でその分を使い果たしてしまったからだ、という仮説も考えてみた。
 追試はできないので考えてみただけだが。

 人を好きになる事に理由が要るのだろうか。
 長い間知り合いだった同士以外の恋って、一目惚れ以外で始まる事ってあるのか?
 いつも書いているように、私は世の中に起きる事象に意味を付けたがるのは人間だけだという持論を持っている。恋にそれが適用できない筈もない。
 当事者達と、当事者と関わりを持ちたい人間以外に、意味を与えてメリットのある人間などいない。ついでに言うと、当事者達にはそんな事はどうでも良くなっているに違いない。恋というのは人を思考停止状態に追い込むものなのだ。
 世の中には、原因が明確にあって起きる事と、どれが起きても良いけどたまたまそのうちの一つが起きた事の二種類しか現象は存在しないのである。
 恋、特に一目惚れは、絶対後者だと思うのだが、それを小説に当てはめて語るのは、現実世界のリアリティを持ち込み過ぎなのだろうか。


2000/08/12

 コミケ3日目のサークルチケットを、先輩から頂いたら突然本が作りたくなり、この間書き上げたショートショートをプリントアウトしてみる。
 すると、文字に細かい白い線が乗るので、とりあえずプリントアウト可能な状態まで作業を進めておいて、新しいインクカートリッジを買いにいく事にする。プリンタのヘッドとインクカートリッジは一体型なので、ヘッダに不具合がある場合はインクが残っていようがインクカートリッジを交換しなければならない。
 こんな生活をしていて今更ではあるが、資源の無駄ではある。
 バイクに乗って街中へ。当然のように本屋に寄り、「電撃アニメーションマガジン」と「ゲーム批評」とその他いろいろを買う。

 いつも最初に立ち寄る、単独で営業してる本屋では「ゲーム批評」が見当たらなかったので(扱っているはずなのだが)、LOFTのジュンク堂書店を利用する。当然の如く、同じ建物に入っているWAVEにも寄る。すると「遠い空の向こうに」のDVDが出ていたので買う。いつ観るんだよぅ。
 本当は、某所で「未来少年コナン」のDVDボックスは店頭在庫のみであるという情報を得て、それがあるかどうか確認するためにWAVEに寄ったのだった。なかったけど。

 銀行に寄り、コミケの軍資金を下ろしてまずはさくらやへ。
 AppleのStyleWriterのインクは扱っていない事は承知しているのだが、同じプリンタエンジンを使っているBJC-400シリーズ用のインクカートリッジが使えるかどうか、試してみるためにとりあえず買う。
 釣りに500円玉が混じっていたのだが、ちょい黄色味がかった新しいものだったのでちょっとびっくり。

 続けてSofmapのMacフロアへ。なんと店頭にCubeが展示されていたので、嬉々として色々いじる。
 キーボードは前(1代目のUSBキーボード)より更に悪くなった印象。機械式でない上に光る電源スイッチはすごく気持ち良い。放熱スリットは上から覗くと本当に中身が丸見えで、埃対策は絶対しなければ駄目。というか、Cubeを設置する部屋は毎日掃除すべきだろう。煙草を吸うなどもってのほかだ。とりあえずCubeに関する印象はそんなところ。
 ここでは、保険としてStyleWriter2500用のインクカートリッジを買う。どうせいつかは必要になるはずのものだ。

 「未来少年コナン」のDVDボックスを求めて、上の階にあるNack5 Townへ。
 コナンは見つからなかったが、映画版エスカフローネのサントラを発見、急ぎ保護する。

 帰って来て、プリントアウト&コピー。
 表紙のレイアウトの左右を間違えていた事にコピー機の前で気付く。
 とりあえず作るのは20部。絶対そんなに売れない筈だが、この数字を決めた時の私はどこかがおかしくなっていたに違いない。
 帰って来て、コピーが終わった紙を折る作業(これがコピー誌作りで一番辛い)と表紙の作り直し。ここで、はたとクジラのDraw系図表を表紙に張り込みたいと思い付き、AppleWorks6のクリップアート検索機能を使ってみる。
 おぉ、これは面白い。Webにアクセスして、次々と画像が検索されてくる。英語サイトなのに、ちゃんと日本語での検索が通るのにも感心した。
 気に入った画像が見つかったので、SuperPaintのDrawモードで白黒に編集して、EG WORDに張り込む。
 んが、SuperPaintでは確かにDraw画像だと認識されてそのように編集できる画像が、EG WORDはどういう訳だかDraw画像だとは認識してくれず、72dpiで出力しやがるのだ。ええい、この役立たずめ。
 しかし、他のソフトを試している余裕はなかったので、諦めて表紙をコピーしに行く。
 作業中のBGMは映画版エスカフローネのサントラ。これは素晴らしいアルバムだ。ボーカル曲じゃなきゃ聞かん、などという私と趣味が合わない人間以外はぜひ買って聞くべし。

 表紙を折って、まとめてホチキスで止め、製本テープを貼って完成。
 出入りのチャットでちょっと宣伝して(メンバーはほとんどコミケに来ないので、宣伝効果はほとんどなかったが)、1:00頃就寝。
 そういえば、カタログのチェックは全くしていない。


2000/08/13

 起床は6:45。目覚ましを掛けたのは6:30だが、起きるまでタイムラグが15分。
 慌ててシャワーを浴び、髭を剃る。着替えて、前日に用意してあった荷物を持って家を出たのは7:15頃。
 北大宮から7:23の電車で大宮へ。大宮から7:37の電車で上野へ。上野から山の手線で新橋へ。新橋からゆりかもめ。
 新橋に着いた時点で8:15を回っていたので、ぎゅう詰めの車内になんとか身体と荷物を押し込む。昔は毎日やっていた行為だが、久しぶりにやると疲れる。
 ビックサイト着は8:55。ぎりぎりセーフ。サークルの場所は東3ホール。男性向け創作の真っ只中であり、小説など売れる筈もない場所である。

 本を並べてカタログをチェックしていたら、途中で10:00を回ってしまった。とりあえず、事前にチェックしていたサークルを回る事にする。
 まずはみのうらさんのロケガ本を入手すべく、東456館へ。
 在庫を確認し、首尾良くクイズにも答える事ができて(「野田大元帥の……」と言っただけで正解ですと言われてしまったのだけど、それで良かったのだろうか?)、壁以外の456のサークルを一通り回ってブースに戻る。
 東123のサークルのチェックの続きと地図への転写を行い、再度出撃。
 途中、うイろうさんのところへ挨拶に立ち寄ったら、開口一番「やつれましたね」と言われてちょっと自分でもびっくり(周囲の人間にその話をしても驚かれる。そこまで体重が減っただろうか?)。
 壁サークルでも、すたじお生以外では列らしい列には並ばず、買い物は順調に進む。
 と学会に行ったら、相変わらず唐沢俊一本人が店番をしてる。今度はサインでも頼んでみようかな。
 作った本の半分を、旅行系のブースに出ている和己さんのブースに委託し、元のブースに戻る。この時点で13:00少し前。
 続いて、東456の壁サークルをチェックして地図に書き移し、再度出撃。この時点で、少年向け創作が西館に配置されていると知り、西館にも行かねばならない事を知る。
 東456の壁サークルでも列らしい列には遭遇しなかった。不思議だ。無意識にそういうサークルを避けていたのだろうか。
 西館のチェックサークルを地図に書き移し、西館へ。ホール内より通路の温度、湿度共に非常に低く、不快指数は50は違うのではないかと思う。普段なら、西と東の移動は苦痛で仕方がないのだが、今回はこういう事情もあり、人の流れもスムーズで、ストレスを感じない。距離は相変わらず長すぎると思うが。
 西館では、14:00を回っている事もあり、さすがに売り切れているサークルが多い。それでも紙袋いっぱい買い物をする。
 宮武一貴画集を売っているという事前情報を得たサークルに行ってみたら、そこは委託分を既に売りきっており、元のサークルを教えてもらう。東に戻らねば。
 元のサークルでも最後の2冊で、他人にも頼まれていた分を含めて最後のものを買ってしまった。その時横にいた人、もし、委託分が回収されなくて買えなかったらごめんなさい。
 15:00になったので撤収。撤収作業中にコミケ自体が終わり、いつもの通り拍手喝采する。
 結局、本はほとんど身内にしか売れず、10冊残った。予想された結果だが。和己さんがワンフェスで売ってくれるというので、残りは預ける事にする。

 帰りもゆりかもめを使ったのだが、有明駅で非常に理不尽な扱いを受け、今回のコミケで一番長い間並ばされた。
 並ぶ事自体に文句はないが、始発列車の席が半分しか埋まらない程度の乗車制限を行ったり、乗車待ちの列への割り込みを制限するための駅員がいなかったり、切符を買った人間を乗車待ちの列とは別に優先して通したり(これが一番腹が立った)と、対応に馴れていないとかそれ以前の理不尽な扱いの数々に私はかなり怒った。
 少なくとも次回はゆりかもめなんぞ利用してやるものか。

 新橋に着いて、駅近くのライオンで打ち上げ。酔っ払う。
 続いて、隣りにあった文教堂書店と喫茶店が一緒になっているという不思議な店でお茶。
 続いて、文教堂書店内を本を探してそぞろ歩く。私の好みとは品揃えが微妙に違っていたので何も買わず。

 帰宅は23:30頃。
 シャワーを浴びて、ネットをちょっとチェックして、F1の触りだけ観て(ビデオは当然回している)、寝る。


2000/08/14

 会社の先輩が、就業時間後に話がしたい(仕事の話なのに、会社の外でしたいと彼は言うのだ)と言うので、正規の就業時間内に帰る事ができるように、9:30出社。
 目覚ましを8:50にかけて、ちょっとまどろんでいたと思って時計を見たら9:20を指していたので、薬だけ飲んで他はほとんど何もせずに着替えて慌てて出てきた。

 作業は校正作業の二周目。
 見落としがかなりあるし、要求が途中で変わったので、時間が掛かる。

 結局、全体で1/3程度まで終わったところで時間切れ。会社の先輩と一緒に会社を出る。
 その後飲み屋で仕事の話。さんざん説教される。こちらは立場が弱いので、ひたすらかしこまって聞く。
 飲み食いした後は、ゲーセンでMr.ドリラー2の対戦を行う。すげー楽しい。やはりゲームには殺し合いの要素が不可欠なようだ。

 帰ってきて、フレッツISDNが開始されているはずなので、設定。
 少々のトラブルの後に無事つながる。あぁ、いくら繋いでも定額って良いなぁ。


2000/08/15

 ぐわっ、思いっきり寝坊した。
 起きて、時計を確認すると、既に12:25を回ろうかと言う時間。
 慌てて会社に電話を入れ、大急ぎで支度をして家を出る。
 途中、朝の薬を飲みわすれていた事に気付いて、家に戻るという慌てよう。サザエさんか、私は。
 ていうか、一日10時間以上眠れてしまう現状ってなんか変じゃないか? ここ2週間の平均睡眠時間はそんなものである。これじゃ平日は仕事以外何もできないよ。

 これが、年を取って、疲れが一日置いて出るようになった、とは解釈したくない。
 これはやはり、疲れが昨日から溜まっていたが、昨日はこの時間に起きねばならぬという緊張感があったから起きられたのだと思う。
 たとえそれが正しくなかったとしても、自分の中だけではそう思わせておいてくれぇ。

 そういえば、一昨日から昨晩にかけては、水分を摂取するとそのほとんどが汗として排出されて、尿としてはあまり排出されなかった。打ち上げでビールを散々飲んだにも関わらず(ビールには利尿作用がある)。
 軽い熱中症だったのかもしれない。

 17:30くらいから、喉が痛痒くなってくる。これはヤバイ兆候だ。
 こういう時に限って、のど飴を切らしていたりするのだ。普通の飴を舐めてなんとか誤魔化そうとするが、効果なし。
 こりゃ、遅刻分だけ残業して、さっさと帰るべきだな、と判断する。

 会社の先輩からの指摘で、自分が杓子定規に物事を考えがちな人間である事を再認識。一応、鬱病になり易い人間の特徴は持ってる訳だ。
 ついでに、散々態度が偉そうだ、と言われる。確かに、私は世の中のほとんどの人間を自分より馬鹿だと心の奥底で思っている。それが態度ににじみ出ているのだろう。
 いやしかし、今更そう申されましても。高校時代くらいに指摘してくれれば直しようもあったんだろうが。

 とあるページで、個人で使っているWindowsのメンテナンスをしているという記述を読んだのだが、それを読む限り、どう考えてもMacOSの方が優れているようにしか見えない。
 MacOSで言うなら、機能拡張を標準以外ではIMEしか入れず、Webブラウズとテキストを編集するくらいの仕事しかその人はしていないように見えるのだが、MacOSならそんな環境ならほぼメンテナンスフリーであるはずである。たまにOS起源の問題が発生したりもするが、それは再起動で直る。ファイル共有を使っていなければ、OS起源の問題だってほとんど起きない。
 もし、本当に調子が悪くなっても、MacOSなら、初期設定フォルダくらいをバックアップして、一度HDDをフォーマットし直し、クリーンインストール(当然、システムとアプリケーションのパーティションは別にしておくのだ)し、初期設定を元に戻して、必要な機能拡張を再インストールすればそれでお終い。Windowsとは違い、インストール済みのアプリケーションには何の影響もない。
 なんで世の中の人々がWindowsなどをありがたがって使っているのか、さっぱり判らない。宗教的な理由じゃなくて論理的にも判らない。ちょっとした初期投資金額の差で、そんなに苦労をして割に合うと思ってるの? 相談できる人が周囲にいれば、トラブルの嵐に見舞われても収支は合うの?
 相手先が出力形式としてdocを要求するという理由で、docを出力したいなら、メインのOSとしてWindowsを使わずに済ます方法なんぞいくらでもある。例えば、普段は別のOSを使い、必要に応じてWindowsをWORDのラウンチャとしてのみ使う、とか。なんでそれを選択しないの? そういう方法がある事を知らないから?
 件のページの掲示板で聞いてみようか知らん。

 一度眠ろうとして、眠れないので冬コミの申込書を書いていたら、5:00を回ってしまった。なんてこったい。
 寝坊して郵便局に行く暇が無くならないよう、目覚ましを掛ける(医者に止められたのでいつもは掛けていないのである)。


2000/08/16

 色々とごたごたがあり。こちらの一人相撲である可能性もあるが、感情的な行き違いもあり。このページの更新されている部分を全部見ているような人には判るだろうが、ここに詳しく書くべきことでもないので、詳しい事は省略。

 これはあくまで上とは関係ない話として読んで欲しい。
 とある情報をやり取りするという趣旨の場所で、雑談に花が咲き、本来の情報のやり取りがあまりされなくなったとする。これは結構頻繁にある事である。
 ここで、本来の情報についての話題を積極的に振るなどして元の趣旨を取り戻そうという努力をせず、そういう状態になった事に文句を言う人間が現われ、その意見が肯定されてしまった場合、大抵の場合、その場所は衰退する。
 これは私の経験則で、しかも実際に経験した例は10指に満たないが、理由を推測する事もできる。
 そのような意見が肯定された場合、その場所への情報提供に関して心理的障壁が確実に高くなるのである。
 人間の感じ方などそれこそ十人十色で、ある情報がその場所の趣旨に合致しているかどうかなどの判断は、余程確実なもの以外は誰かしらから文句が出るものである。
 そういう状態になった時に、その場所への情報提供をしようと考える人間は、元の趣旨が余程魅力的でもない限りは、減る事こそありすれ、増える事などありえない。
 よって、その場所への情報の提供は減り、その場所は衰退していくのである。
 つまり、そのような文句を言う人間がいたとしたら、その人間の意図はともかくとして、その場所の衰退を促進しようとしていると見て良い。そんな意見はそれこそその場所の趣旨に合わない情報であり、積極的に無視されるべき性質のものである。

 10:00に目覚ましを掛け、1時間かけてゆっくりと準備をして、郵便局へ。
 コミケの申し込みをする。
 昨晩、眠いんだかなんだかよく判らない状態で作業をしたので、少なくとも短冊の切り取りには失敗し、裏からテープで補強してある。つくづく、自分が丁寧な手仕事ができない人間だと思い知る。
 冬コミの時期に仕事が一段落着いている可能性はほとんどないので、落ちてしまったほうがいっそ気が楽といえば楽。
 本は作りたいんだけどねー。

 私の実家では犬を飼っている。
 何度かここでも触れた事があるかもしれないが、基本的には躾に失敗した我侭な性格の犬である。多分私は「美味いものをくれる自分と同等の地位の人」という認識しかされていない。
 ついでに、たぶん飼い主(犬の面倒を見る責任を最終的に負う人)は私の母親なのだが、この人は基本的に田舎者なので、周囲がもう充分に東京のベッドタウン化して、舗装されていない道など存在せず、田舎とはとても言えなくなっているにも関わらず、犬を放し飼いにする事に何の抵抗も感じていないらしい。
 ちなみに、私の実家が今の場所に引っ越してきた頃は、終電が23:00よりも前であるようなものすごい田舎だった。家の前の道は砂利道の私道で、家の裏は野っ原で、なんとそこには牛が放牧されていた。
 ある日、放していたこの犬が車に轢かれたらしく、それ以降、彼の右前足は動かなくなってしまった(医者には当然連れていったが、駄目だったようだ)。私はその前から口を酸っぱくして犬を放さないように言っていたのだが、これ以降、言わずとも自分の目の届かぬ範囲で放すような真似はしなくなった。
 まぁ、そんなことはどうでも良い。この犬の名前は「ロン」というのだが、この名前に関して、わたしは少々の罪悪感を抱いているのである。
 事の始まりはこうだ。ある日、突然に母親が「犬を飼いたい」と言い出した。以前にも犬を飼っていた事はあって、その犬が死んだ時には「もう飼わない」と言っていたはずなのだが、そんな事を突っ込んでも仕方がない。
 私の家族は全員大人で、責任ある大人のやる事だから、こちらの迷惑にならない限りは何をしたって別に構わない。よって、犬を飼う事自体はすんなりと決まった(私の父親は散歩などの世話を押し付けられて迷惑しているのかもしれないが)。
 ところで、その犬は茶の模様が入った黒い犬で、柴犬よりは少し丸っこい風貌をしていた(仔犬だったからそう感じたのかもしれないが、成犬になった今でも柴犬よりはもこもこしている)。
 飼いたいと言い出した母親に命名の権利はあるだろうと、家族の誰もが思っていた。しかし、彼女は彼に「クマ」という名前を付けるのはどうか、と私に相談してきたのである。
 私は思った。「いくらなんでもそれはないだろう」 そして、正直にそれを口に出した。私の家族間では、基本的には言いたい事をそのまま直接言うというルールになっているのである。
 私の母親はすぐに反論してきた。「では、どのような名前が良いのか?」 尤もな反論である。
 しかし、私はその時、犬の名前を付けるのは私の母親だと思っていたので、自分では何も考えていなかった。まさにその時の私の頭脳は白紙であった。
 そして、どういう脳神経ネットワークのつながりが作用したのか、咄嗟に出てきた言葉が次の言葉だったのである。
「えーと、例えば、ロンとかヤスとか」
 ある程度の年齢の通常の記憶力の持ち主ならば、これが中曽根元首相とレーガン元大統領が交互に使っていた渾名であるという事はすぐに了解いただけるであろう。つまりは、これは苦し紛れの答であって、真面目に考えた結果などでは決してないのである。
 そして、犬の名前はロンに決まってしまった。私の苦し紛れの答が採用されてしまったのである。
 いや、たぶん犬自身はそんな事は気にしていないだろうし、私の母親は、そもそも苦し紛れの答だったという事を認識していないだろう(彼女の国際政治に関する認識力はごく低いと私は見積もっている)。この経緯を知っているのは、私と私の母親だけなので、問題だと思っているのは多分私だけだ。
 しかし、苦し紛れの答で名前を決定されてしまった犬に対して、私はずっと引け目を感じ続ける事になるだろう。
「だから彼の本当の名前は、『ロナルド・ドッグ』である」
などというつまらない洒落を考えたりもするが、そもそも洒落のネタになるような経緯で名前を決定されてしまうのは不憫である。
 という訳で、私は帰省すると、まずJRのキオスクで買った「ボンタンアメ」を彼に与える事にしているのである。別に私の食べ残しなんだけどね。


2000/08/17

 さすがに前日の5時間睡眠は効いたらしい。
 仕事のペースを誤って、さっさと終わってしまった(もっと掛かるもんだと思ってシャカリキにやっていたのだ)ので20:30にそうそうに帰宅し、TV番組ではロクなものをやっていなかったので、コミケ疲れとコミケの申し込み作業のために見ていなかったF1 ハンガリーグランプリのビデオを観ていたら、フェラーリのマシンセッティングがいまいちらしくてM.シューマッハがポールスタートなのに苦戦しているのにいらいらしているうちに眠り込んでしまい、結局何が何やら判らなくなってしまった。観直しだ。

 その割には一度目が覚めてしまうと眠れず、3:00を回ってからようやく就寝。
 やっぱ今処方されている睡眠薬は私には合わないらしい。途中で目が覚める事こそないが、入眠の役にはちっとも立っていない。
 明日相談すればいいんだけど。

 起床は9:00。
 寝転がってのんびりとウェブブラウズしながらウィダーを腹に入れ、朝の薬を飲む。
 そのまま起き上がる気力が出るか、準備を始めなければならない時間までのんびりする。こういう、時間が区切られている時にはあまり落ち着いて読めないので、本は読まずにもっぱらウェブのブラウズをする。
 良く考えたら、似たような状況だった通勤時に本が読めていたのだから、アラームでも掛けておけば本も読めるのかもしれない。でも、私はアラームが掛かっていると時計が気になって仕方がない人間なのである。はて? なんでこんな変な性癖を持っているのだろう?

 シャワーを浴びて、着替えて歯も磨いて出勤。
 当たり前に見えるかもしれないが、時間がなくて歯磨きを省略する事がしばしばあったりするのだ(夜は磨いたんだから、問題ない筈だ、と言い訳しながら)。

 私は人ごみが嫌いだ。
 何故嫌いかといえば、自分の思う通りのコースを自分の思う通りに歩けないからである。大抵の場合、私は人ごみを人間の形をしたベクトルが移動し続けている平面と見做し、そのベクトルと干渉しないコースを絶えず頭の中でシミュレートしながら歩くのだが、そんな余地がないほどの人ごみや、他人に遠慮して端を歩くという気遣いと無縁の阿呆頭を使う事が得意でない人がいたりして、結局自分のペースを落とす事になり、いらつくことになるのである。
 時折、自分の目の前をちんたら歩いている奴等を全員なぎ倒して進みたいという欲求に駆られる事がある。もちろん、そんな事をやったら、良くて喧嘩、悪けりゃ警察沙汰になるからやれる筈もないのだが。
 コミケに行くと、そういう意識と無縁そうな馬鹿頭をあまり使ってなさそうな人がいるので、ホンの少しだけ羨ましくなるのである。ああやって、他人のことを気にしないで生きていけたら楽で良さそうだなぁ、と。

 ふと思い付いた事。
 現在、流行しているらしい「山姥メイク」なるもの、昔のドラえもんで、秘密道具を使ってのび太が流行させた変なメイクとネガポジの関係にあるとはいえ、同じ物なのではないだろうか。


2000/08/18

 とか何とか言って、21:30くらいから0:00直前まで寝て、そのままだるい頭を抱えて3:00頃まで眠れず。
 起床は6:30。さすがに溜まりすぎたので、久々にゴミなどを出していたら眠れなくなってしまい、そのままずっと起きている。これじゃトータルの睡眠時間は昨日とたいして変わらん。
 しかも出勤間近になってから眠くなってくるし。
 今日は絶対睡眠薬変えてもらわにゃ。

 仕事で紙の校正が回ってきて、眠くて仕方なくなる。
 5分くらいは寝たかもしれない。拙いなぁ。

 とはいえ、以前とは比較にならないほどの集中力で仕事は片付ける。
 自分でもちょっとびっくり。そろそろ飽きが来る頃なのだけれども、「もう一周やれ」とか言われると切れるかも(都合、同じリストを3周チェックしているのだ)。

 医者に行ったら予約制なのに1時間も待たされた。
 17:00の予約だったのだが、やはり遅れがだんだん累積していっているのだろうか。
 とりあえず、現状が暇になったことと、一ヶ月なら休めることを伝えたが、それでは短すぎるので今勤めていられるのなら、そのまま続けなさい、との指示。
 というわけで、私の夏休みは本当に無くなってしまった。まぁ、週末に休んでいられるのだから、それは贅沢というものだろう。
 ……しまった。社長に、最長でどれくらい休めるのか聞いておくのを忘れていた。しょーがねーか。

 恩田陸「上と外 1」(幻冬社文庫)読了。
 中南米の某国(私がどこだか判らないだけで、作中で遠回しに示されてはいる)を舞台にした、離婚した考古学者の家族の兄を主人公にした話。
 途中には、マヤ文明に関する蘊蓄がたっぷり。
 最初はゆったりと進み、だんだんペースが速くなり、最後に急展開。
 続きは二ヶ月後だということで、今から楽しみである。


2000/08/19

 洗濯。途中で洗剤が足りなくなり、中断。
 当然、買いに行かねばならないのだが、気力が出ない。咳は出る。
 どこかで、今流行している夏風邪は咳ばかり出て熱はあまり出ず、長く続くと聞いた。
 ううむ。コミケ会場ででも貰ってきたのだろうか。
 とにかく、買ってきた同人誌を適当に読みつつ、ごろごろして気力が回復するのを待つしかない。

 17:00を回るころ、ようやく気力が出て買い物へ。
 それから洗濯しても、当然のごとく日は落ちている。どうせ明日まで干すのだから関係ないのだ。

 NHKスペシャル「四大文明」のエピローグがマヤ文明とか、四大文明に含まれていない文明の話である。なんとタイムリーな。


2000/08/20

 急な連絡などをするために、大学時代の友人に二三本の電話を入れる。
 回答はどちらも否定的。当たり前だわな。
 その後に、ちょっとむっとすることがあったが、フォローも入ったので、ここにあったことだけを書くに留めよう。
 よく考えたら、連絡の順番を変えればそれほどむっとせずに済んだかも。まあ終わったことだ。仕方ない。

 まず、ジュンク堂へ、明日からのPerlの勉強のための本を買いに行く。
 結局、選んだのは全部動物本で、しめて15000円弱。高い本をまとめてどかって買うのは快感だなぁ。
 他にも「メフィスト」とか川崎康宏の新刊とかを買う。新城カズマの新刊はジュンク堂には見当たらず。

 本は重いので、一度家に帰って適当に時間を潰してから新宿へ。
 昨日から、レイトショウで「エスカフローネ」の上映が始まっているのである。
 新宿に着いた時点で、ちょいと時間に余裕があったので、紀伊国屋書店で新城カズマの新刊を買い、その隣のさくらやホビー館で、ダンバインのHGモデルが素組で見栄えがするような出来にはなっていないことを確認。そして秘密の買い物。

 そして映画館へ。コマ劇場を目印に、と説明があったので、目印にしていたが、100m位は向かって左手にあるので、その情報だけだと多少戸惑う。
 館の横に入場者整理列が出来てはいたが「遠い空の向こうに」程度なので座れるのは確実。
 案の定、真ん中の列ではないにしても、前からそれなりの距離で、横で一番内側の席を確保できた。

 映画は、とにかく作画はすごく奇麗。久しぶりに奇麗なアニメーションを見た、という感じだ。
 菅野よう子の曲も印象的に使われていて、「エスカフローネ」は映像と音楽が命、というのは健在。
 話は、ちょっとはしょってるなぁ、という感じを与えないでもない(特に、ひとみの心理描写ははしょり過ぎなのでは?)のだけど、まあ、上手くまとめてるでしょ。ガイメレフ(劇中ではただ「よろい」と称していたが)が一般的なものでない、というのは、最後の方の戦闘シーンの派手さ具合から言っても、正解かもしれない。
 エスカフローネ登場シーンのマントの出方は必見。鳥肌立つよ。
 基本的には、TVシリーズに準じた感想なのだろうか。「どっかで見たような話や展開が、もっと高品質で再現されている。もう少し消化できなかったものか」てな感じ。褒めてないじゃん。
 まぁ、もう一度見たいことは確かなので、DVDが出たら買うでしょう。


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