00年9月下旬の世迷い言


2000/09/21

 間が開いてしまった。
 この期間、何をしていたかといえば、37℃近辺の熱を出して寝ているか、ドラクエをやっているか、そのどちらかだったのである。他にも色々あったような気もしないでもないが、とりあえずはそういう事にしておく。

 久々に出社して仕事。
 集中力が戻っていて、それなりに進む。一応寝ている間にも考えてはいたので、進むのもむべなるかな。

 恩田陸「麦の海に沈む果実」(講談社)読了。
 最初のうちは集中力がなくてなかなか読み進められなかったのだが、後半は展開の速度の上昇と共に読み進む速度も上がった。
 恩田陸の作品は、コミュニティの神秘的側面を強調しているものが多いが、これも最初はそのように見える。
 場面の描写がどうにも浮世離れしていて、私は「少女革命ウテナ」を連想した。後半の展開も似ているかもしれない。

 秋山瑞人「イリヤの空 UFOの夏」(電撃hp掲載)上下読了。
 基本的には好きになれそうな話なのだが、描写や登場人物や散りばめられたネタがてんでんバラバラでちっともまとまっていない感じは免れない。
 これだけのネタを詰め込むには枚数が足りないのではないだろうか。リライトして単行本化希望。シリーズ化はしないほうが良いと思う。


2000/09/23

 一日の間の半分は(夜に眠っている時間は考えなくても)、眠っている。熱は37℃近辺を上がったり下がったりしている。
 精神科医は、これを対人関係に関係するストレスに対する反応だというのだが、こうやって誰とも会わずに部屋に閉じこもっていても起きるのだから、それは間違いであるような気がする。

 最近これが途切れがちなのは、そういう日常を送っているからだと思っていただきたい。

 DVD版を買ってきた「ブギーポップは笑わない」を観た。
 確かに、原作の小説と同じような体裁を取っている。しかし、人物の解釈など、原作とはまるで異なっている部分の方が多い。
 例えば、末間和子。彼女は、原作では理知的で自分の周囲に起きていることが自分と関係なく進んでいくのに我慢ならないだけの人間だった。しかし、映画では霧間凪への倒錯しているとも思える慕情を抱く、ただ周囲に流されて生きているだけの目立たないおとなしい人物に変えられてしまっている。
 キャラクター造形的には、その役割は新刻敬とかぶる部分があるので、映像化に際してはそういう、観客に無用の混乱を与えるような要素は排されたのだろう。しかし、私は末間和子のキャラクターが結構好きだったので、この処理にはかなりのショックを感じた。
 また、エコーズが人類に関する評価報告を送る、という要素も全く排除されてしまっていた。マンティコアはブギーポップと田中志郎によって倒されるのではなく、エコーズと一緒に光に帰るのだ。
 確かに、台詞を喋ることのできないエコーズが、人類の評価をする使命を帯びていて、マンティコアの事件はただの不確定要素の排除だったとしても、原作の舞台だけを描写しただけでは観客はなんのことやらさっぱり判らないに違いない。
 しかし、私はこの物語は紙木城直子とエコーズの物語であると認識しているので、この処理はとても不満だ。これでは、ただ平和な学園に紛れ込んだ危険な異分子を排除しただけの話で、スケールが一気に縮んでしまう。
 紙木城直子の果たした役割が、そのように卑小化されてしまうのは、なんとも悲しい。この脚本を作り上げた脚本家には、猛省を要求するものである。
 キャスティングに関しては、語るだけの知識を持ちあわせていないので多くは語らないが、酒井彩名の演じるマンティコア/百合原美奈子はなかなか良かった。霧真凪も悪くはなかったが、やはり原作のイメージでは長髪なので、ショートだったのが違和感。というか、登場する女性の半分がショートだったのは、最近の流行を反映しているからなのだろうか。
 全体的な評価としては、アニメ版がマニア向けに作られたものだとすれば、これは一般向けに作り直されたブギーポップだ。これを観て喜ぶのは誰だろう、と考えると、この作品の存在価値というものはあるのかどうか、少しばかり考えてしまう。


2000/09/25

 精神科と内科を梯子(日は空いているのだが)。
 精神科では、現在の症状はストレス反応が身体に出ている(要するに神経症患者の訴える不定愁訴である)と説明され、なんとなく納得行かない気分。
 なぜならば、ストレスなど与えられようもない状態であるところの、休日に一日寝転がっている場合でも夜になると発熱する理由はその場合何になるのか? 明日の生活への不安か? 連休の中日だったりする場合は?
 と、面と向かって聞けば良かったのだが、話がややこしくなりそうだったので、止めにする。

 内科では検査の結果が出ていて、何もなし、だそうな。
 まあ予想通りではある。
 しかし、結核の場合、こういう症状が二ヶ月以上続いて、やっと検査に引っ掛かるようになるそうなので、その点にだけ注意せよ、と言われる。
 10月下旬まで続いたら、また来いといわれたが、10月下旬までこんなのが続くんじゃやってられない。結核をもっとすばやく検出できる技術はないのだろうか。

 ドラクエVIIをやっと終わらせたのだが、ラスボスを倒した後のデータの保存方法が判らなくて4時間分ほどの経験値をパーにした。そりゃさ、セーブしないでラスボスを倒しに行った私が悪いんでしょうけどね。この脱力感は何物にも代え難い。
 最初から最後まで首尾一貫して不親切なゲームであった。謎解きとかその他の印象よりも、何よりも「不親切だった」ゲームとして私の心に長く残るであろう。
 ちなみにそこら中で止まる止まると言われていたこのゲームだが、私がやっていた限りでリセットしなければならなくなったのは一回きりだった。止まることは確かなのだろうが、止まると騒いでいる人間の声が大きいだけなのではないか(あとそいつのPSがボロい)。
 もう一つ不親切極まりない点を思い出した。
 私は、最後のダンジョンで必要なあるアイテムが、貰ったはずなのにパーティーの誰も持っていないことを不思議に思っていた(そのアイテムは別のアイテムで代替可能なものだったので、ゲームの進行には支障はなかったのだが)。
 んが、一度エンディングを見た後に、とある人物に話し掛けてみると、ゲームの根幹を揺るがしかねないある事実が判明したのだった。どんなシステムだったかは書かないが、聞いてみればなんということもない。
 誰の何の説明もなしに、最後にいきなりこんなシステム作られても、こんなもん判るかぁっ!
 という訳で、そのシステムのおかげで私は持っているはずのアイテムを持っていないという不思議な現象に悩まされたのであった。下手をすると、大体可能な全アイテムがこれで失われてしまっている可能性もあるのだ。やはり今回のドラクエは不親切極まりない。なんというか、ヒントが少ないとか、そういうレベルの話ではなく不親切だ。誰かに聞くか、可能な場所で可能であることをすべてやらなければ先に進めないシステムというのは、私には合点が行かない。

 DVDで買ってきた、「MACROSS PLUS MOVIE EDITION」を観る。
 最近、TVではオリンピック関係番組ばかりやっていて、観るものがないのだ。
 「MACROSS PLUS」の通常版の方はLDで揃えていたので、これは映画館に観に行くに留めておいたのだが、やはり良い。
 書き下ろされたYF-19とYF-21の空中戦の映像は、何度観ても鳥肌が立つ。マクロスシティにおけるシャロンのコンサート映像も同様。
 映画版エスカフローネでも同じような感動が味わえるに違いない。早くリリースしてくれないだろうか。

 ビデオに撮ってあったF1 アメリカGPを観る。
 うわはははは。見たか、フェラーリにまつろわぬ愚か者どもめっ!
注)毎度毎度ですが、F1の話をするときはフェラーリ原理主義者になっているので、そのことを念頭においてお読みください。


2000/09/26

 菅浩江「永遠の森 博物館惑星」(早川書房)読了。
 既知宇宙中のあらゆる美術品、自然物などを集めた博物館惑星(ラグランジュ3にあるのだから、惑星ではなく、衛星だと思うのだが)を舞台にした、コンピュータに直接接続された学芸員の物語である。
 美しいものが好きだから学芸員などという道を選ぶのだろうけれども、そうすることで美しいものを単純に美しいと感じられなくなってしまっているという、ジレンマが描かれていて、「本当に好きなことはアマチュアで止めておけ」という格言(?)を地で行っているような気がする。
 美しく、良くまとまった連作短編集だとは思うが、オチはちょっとありきたりな気がする。

 いくら寝ても寝たりない。目がすごく疲れている。鼻水や痰や微熱があるのに、白血球数は通常と同じ? 何だろう、これは。
 昔の白血球顆粒球減少症の再発ではあるまいな。


2000/09/27

 どうも最近変だと思ったのだ。
 いくら体調が悪いからと言って、睡眠時間が足りているはずなのに午前中いっぱい眠ってしまったり、これはどう考えてもおかしい。
 そこで、医者には止められていたのだが、目覚ましを掛けてみて起きることができるかどうか試してみた。
 一日目は目が覚めると11:00を回っていて目覚ましは止まっていた。お決まりの、無意識のうちに止めてしまうという事をやったらしい。
 二日目はちゃんと目が覚めた(様な気がする)。目は覚めたのだが、起き上がる気力がない。横たわって目をつぶっている以外のことをしたくない。究極の無気力状態。さまざまな妄想だけが頭の中に沸き上がっては消えていく。これらをメモしておけば、良いネタになったような気もしないでもないのだが、そんな気力さえ沸かない。
 これは要するに、鬱が悪化したということなのだろう。鬱というのは、このように良くなったり悪くなったりを繰り返す病気であるらしいので、それはそういうものだ、という風に受け取っておく。気に病むのは鬱に悪いのだ。

 鬱の時に小説を読むと、心の中に透明な壁ができていて、その壁に文章が当たって肝心の部分に届かずに下に落ちていってしまうような感じがする。
 せっかく読むのにこれではもったいない、と思いつつ読み進めるのだけれども、なにせ積ん読の本が多分もう100冊以上たまっているので、それでも読み進めたほうがいいと思ってとりあえず読む。なんかすごくもったいない。こういうときはグインサーガでも読むのがいいのか(おっと)。
 それはともかくとして、最近、小説よりもノンフィクションを読む傾向が強いのは、その理由がかなり強いように感じる。良く考えてみれば、貧乏性も良いところである。


2000/09/29

 一度寝てしまうと、午前中は起き上がれないので、ほとんど寝ないでそのまま会社に行くという裏技(?)を使って会社に行く。
 少々身体がふわふわする(徹夜した時にはよくなる)が、なんとかなるもんだ。

 午後になって、多少頭痛、そして吐き気。
 いつもの鎮痛解熱剤を投入してその場をしのぐ。

 ずっと酷い勤務状態だった割にはそれなりに仕事は進む。
 それなりと書くと酷い進行状況の方を連想するかもしれないが、この場合は、普通程度に、という意味である。我ながら不思議。


2000/09/30

 朝からだるい。
 何もしないでただ寝ている。洗濯は洗濯機が勝手にやるので、洗濯だけはする。

 伊吹秀明「出撃っ! 猫耳戦車隊」(ファミ通文庫)読了。
 基本アイデアや戦闘シーンの描写などはなかなか良いと思う。
 んが、主人公の主体性というものがあまり感じられないので、感情移入できず。
 各エピソードがバラバラにやってきてバラバラに通り過ぎていった感あり。
 続きを買うかどうかは微妙なところ。

 ところで、生体工学の成果として、人間に近い形と機能を持った人工の生命体が作り出された場合、我々がそれらに対して取る態度はどういう物になるだろうか。
 被造物に対する造物主の一員としての態度か、それとも、もっと無邪気な態度を取るのか。個人としては人それぞれだと思うのだが、社会としてはどうなるのだろう。


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