00年12月下旬の世迷い言


2000/12/21

 ふと気が向いて、近所に出来たサイゼリアに行ってみる。
 久々にまともな昼食を食べる。といっても15:00頃なのだが。
 安い割にはそれなりに量がある。サラダは結構びっくりした。味は値段なり。
 これからちょくちょく利用するかもしれない。


2000/12/22

 ジージャンのポケットにポケットティッシュを入れたまま洗濯してしまい、洗濯物がティッシュの欠片まみれになる。
 しょーがないのでもう一度洗い直す。水道代は管理費に含まれているので痛いのは電気代だけ(それもエアコンで暖房している時点でなにを今更、という所だ)だが、資源の無駄であることは間違いない。

 医者に行く。
 別段状況は変わらないので、薬をもらってくるだけ。

 原稿はまだ出来ない。


2000/12/23

 奇跡的に(いや、多少の努力もあったかもしれないのだが)原稿が上がる。
 編集作業のために調布の友人宅へ(彼に、本名もしくはリングネームを出しても構わないという承諾もしくは要請を受けたのだが、文章としての一貫性を保っていないと読者はともかく書くほうとして気持ちが悪いので、このままで続けさせていただく)。
 まぁ、調布の友人宅のMacのOSが古すぎて、今回原稿の整形に用いたEGWORDが動かなかったり(私は文章を綴るときにワープロを使うなどという非効率なことはしない主義だ)、プリンタから吐きだされる紙がことごとく白紙だったりするトラブルが続出したのだが、つつがなく編集および製本作業は終了。
 いつも無茶なスケジュールに合わせてイラストを描いてくださる佐伯涼氏には感謝を。

 時間軸は前後するが(こんなことを気にするのは実際の体験を私と共にした人間だけだろうが)、夕食は調布の友人お勧めの焼鳥屋。確かに美味かった。金を払って納得以上の経験をするのはなかなか得難いことだ。

 その後、先週も寄った気がする(たぶん気のせいではないと思われる)、TWINS CAFEという喫茶店兼バーで(カフェバーという固有名詞が相応しい気がしないでもないが、その名前で呼ぶのは失礼に当たるような気もする)ケーキなどを食べる。一応クリスマスパーティーの代わりである。


2000/12/24

 起床は11:00(位だったと思う)。
 本当は目が覚めていたのだが、肉体が起き上がることを拒否していたので、素直に寝たふりをする。
 驚いたことに、起こされて連れていかれた調布のステーキ屋で、食事を普通にできた。腹が減っているとは感じていなかったのだが、ものは食べられるらしい(そりゃそうだ。本当にものが食べられなかったのはもっと状況が悪かったときだけだし)。

 昼食後、帰宅。
 力尽きて寝る。

 起きてサイゼリアで夕食を食べる。
 こんな日だというのに結構混んでいて、意外とみんな吝嗇家なのだなぁ、と思う。

 日本SF作家クラブ編「2001」(早川書房)読了。
 最初の新井素子の作品が読みにくいと以前書いたが、次の荒巻義雄のはもっと辛かった。
 他の作品は面白く、別段障害なく読み進むことが出来た。
 気に入ったのは野阿梓「ドリームアウト」と谷甲州「彷徨える星」、藤崎慎吾「猫の天使」


2000/12/25

 起床は11:30。洗濯をする。
 驚いたことに、腹が減ったので東武ストアに買い物に行く。

 昼食後、と学会の本が出ているという話を聞いたので、それを探すために市街へ。
 目的の本は見つからなかったが、家賃を振り込んだりと雑用色々。


2000/12/26

 無茶苦茶体調悪し。
 背中の真ん中から腹にかけて、疲れ切ったときの痛みにも似た不快感がわだかまっている。
 寝てれば少しはマシになるので、一日寝ている。明日も続いていたら、医者に行くことにしよう。

 森博嗣「工学部・水柿助教授の日常」(幻冬社)読了。
 これまでの作品に比べると、文章がWebサイト上で公開されている日記に非常に近い。つまりライブ感覚とでもいうものを感じてしまうのだが、これは作者の叙述トリックに見事に引っ掛かった結果なのだろうか。
 元々私はこういう回りくどい文章はとても好きなので、すぐに影響を受ける。しばらくは影響が抜けないかもしれない。

 栗本薫を見限るきっかけを作ってくれたページ
 私自身はこのサイトの運営者の方が行っている抗議活動には心理的にニュートラルなのだが(正直に言えば無関心)、栗本薫から返ってきたメールの内容を読むにつけ、グインサーガの内容がこれ以上悪くなることがあっても良くなることはないと確信し、すっぱりと縁を切る決心をしたのである(おせーよ、という突っ込みが方々から聞こえてきそうだが)。
 そういう意味では感情に流されるまま、自分に絶対不利になる情報でさえも吐き出してしまう栗本薫先生の性格には感謝すべきなのだろう。

 服装で人間を判断することはまるで間違った方法であるかのごとき風潮が流布されているが、それはおかしいのではないか。
 その服装で外に出ることを決定したのはその服を着ている人間本人であることはほぼ間違いなく、そうであるからにはその服装は着ている人間の内面の発露であるわけだ。
 つまり、服装を見れば、その人間の内面の一部を見ることが出来るわけで、ある程度までは、その人間がしている服装でその人間の評価を行うのは、はなはだ妥当な手段である。
「見かけで判断すんじゃねー」などとほざいている阿呆は、服装によって自分の内面を表現することを放棄しているか、服装によって判断できる内面をそのまま当てはめてしまっても構わないような人間に違いない。


2000/12/27

 朝、7:00頃目が覚める。
 このときにはまだ昨日の痛みが残っていたので、医者に行くこと決定。
 一番近所にある医者が開く9:30まで布団の上で転々として過ごす。

 医者に行き、レントゲンを撮られる。肺気胸の疑いありとのこと。結果はしばらくかかるらしいので後で電話すべしといわれる。
 家に帰ってちょっと横になったら眠ってしまい、起きたら12:00を回っている。医者は昼休みだ。なぜか胸の痛みもなくなっている。単なる疲れ?

 街中に出て、大量の千円札を確保すべく銀行へ。
 次いで「と学会年鑑2001」を入手すべく、本屋を片っ端から回る。
 最後に行った一件で棚にひっそりと置かれているのを発見。ついでにSFマガジンとModel Graphixも買う。

 医者に電話する。
 なんともありませんでしたと言われる。
 多分そうだろうと思っていても、何となく釈然としない気分。この気分が痛みを起こしているのだろうか。

 家に帰って早速「と学会年鑑2001」読了。
 一番受けたのは、イギリス製二次大戦ドキュメンタリー番組の日本軍快進撃の項。
 しばらく笑いの発作が治まらず。


2000/12/28

 何をやっていたのかさっぱり思い出せない。
 確か、昨日は0:00過ぎまでかかって、29日分のカタログチェックを終わらせたはずなのだが。

 それはともかくとして、29日のサークル参加のために、恒例の調布の友人宅へのお泊り。
 なんか酒も飲んだような気がする。
 アルコール率の高い週になった。


2000/12/29

 コミケ59の1日目。
 6:00起床。京王、都営、臨海副都心と乗り継いで、東京ビッグサイトへ。
 パスネット導入のおかげで、これまでよりも幾分早く着くことができた。
 昨日、よく眠れなかったため(理由は武士の情けで書かないでおくことにしよう)、やたらと眠い。
 いつものように、チラシを片付け、布を敷き、本を並べる。いつもはここでカタログチェックなどをしたりして、あたふたするところなのだが、今日はのんびり。
 開場と同時に佐伯涼氏に店番を任せ、出たきり同人と化す。とはいえ、回るサークル数も大して多くはないので、すぐに戻ってくる。
 すると、新刊の売れ行きが予想以上で、どうも午前中になくなりそうな勢い。しまった、もっと強気な部数にするべきだったか。
 西館の巡回だけを残して、店番を替わる。
 新刊は11:30には売切れてしまう。少しだけ作った再販も12:00少し前には完売。ありがたいことである。
 西を回る。時間が遅いので、売り切れ多数。往復に30分ほど掛かるのだが、中は10分で回り終える。
 売る本がなくなったので、15:30をめどに撤退する事にしたのだが、「遅くとも15:30には戻る」と言って出て行った、出たきり同人筆頭の調布在住の友人が帰ってこない。
 結局、会場を後にしたのは15:45を回った頃。駅は無茶苦茶混んでいる。列車に乗ってみると車内はそれほどでもないのだから、駅の設計が如何にまずいかを如実にあらわしたものであろう。

 帰りは新宿歌舞伎町の居酒屋に寄って打ち上げ。
 料理はまずますだったのだが、大ダメージ物件がひとつ。
 明日に響くとまずいので、酒はほどほどにしてソフトドリンクにしようと頼んだ「生ストロベリージュース」500円。
 読者諸賢は、この品書きを見て、どのようなものが来たとご想像だろうか。
 私は、ローカルな話題ながら、JR秋葉原、上野、東京などで売っている生ジュースのようなものが来ると期待していた。
 で、来たものはなんとなくピンクに色づいた白い液体の上に生クリームが乗ったもの。見た目はちょっと期待を裏切るものの、たいした破壊力はない。
 問題なのは液体の正体である。一口飲むまでは、私は薄めながらも生ジュース(果実をジューサーにかけて液状にしたもの)であると信じて疑わなかった。
 んが、一口飲んでみて「あれっ?」と思う。二口飲んでみて脱力する。
 その液体は、どう考えても「いちご牛乳」以外の何物でもなかったのである。
 どこの世界に、「生ストロベリージュース」を頼んで、「生クリームが乗ったいちご牛乳」が出てくると想像しうる人間がいるだろうか(反語表現)。
 というわけで、私はそれ以上の食事行動が取れないほどのダメージを負ってしまったのである。

 悪いときには悪いことが重なるもので、新宿より埼京線に乗って大宮まで帰還する途中、大宮宮原間で人身事故が起きたとかで、電車が止まる。
 結局40分ほどの遅れで済んだとはいえ、心理的ダメージはそれなりにある。
 今回のコミケ1日目は、終わってからの方が疲れるという妙なものになった。

 疲れた頭で2日目のサークルをチェックして就寝は0:00過ぎ。なんだかなー。


2000/12/30

 コミケ2日目。
 今日は一般参加なので、最近の一般入場はそれなりにスムーズだったことを踏まえ、会場に10:00頃着くことを目標にして、起床は7:00。
 こういうときは目が覚めるのだから人間、現金なものである。

 JRで有楽町駅まで、そこから都営、臨海副都心線と乗り継いでビッグサイトへ。着いたのは9:30頃。
 一般行列のある駐車場まで誘導されるが、既に広大な駐車場の半分が人で埋まっている。いつもより参加者が多いような気がする。
 しかし、寒い。無茶苦茶寒い。曇っている上に風が強い。座らせられるので、地面の冷たさもこれに加わる。こんなところで徹夜なんぞしたら、確実に凍死しそうである。震えつつ「20世紀SF 1」を読んで待つ。
 入場できたのは11:10頃。まずは荷物を置きに、高岡和巳氏のブースにお邪魔する。
 そこにいた山石氏に、「唇の色が紫色である」と指摘される。
 そんな調子なので、少し休憩してから東456を回る。人が多い。いつもより気合を入れてチェックしていないので、12:00少し過ぎには回り終える。チェックしたところでも、行列が多いとパスしたりするので、いつもよりペースは速い。
 続いて東123も回る。こちらもつつがなく回り終える。1:00少し過ぎ。
 高岡氏と山石氏は14:00には撤収するとのことなので、急いで西へ。行って帰ってきて14:00少し前。西は昨日よりは平和に見える。これはいつものことなのだが。
 14:00を少し回って、高岡氏は他の人に店番を任せて撤収。それについていく。
 昨日より時間が早いからそれほど混んでいないかと思ったらさにあらず。列車の中は昨日よりよほど混んでいた。
 有楽町まで戻って、マリオン前のニュートーキョーで打ち上げ。解散は良く覚えていないが多分19:00頃。
 何事もなくまっすぐ帰って、シャワーを浴びてすぐ寝る。


2000/12/31

 目覚めたら昼過ぎ。
 荷物をまとめ、実家に帰る。
 強制的に紅白を見せられ(小林幸子は風呂に入っていて見なかったが)、BSの薬師寺中継を見て、適当に寝る。


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