昼に食パンをトーストして食べたのだが、2枚目をトースターレンジに放り込んで、過熱開始ボタンを押してしばし待っている間、どうもレンジの中からパチパチと弾けるような音がすると思ったら、トースターモードではなく電子レンジモードで動かしていることに気付いた。
慌てて停止ボタンを押し、トースターモードに切り替えるも、既に2分以上被爆してしまった食パンは、水分が飛んだのかまるでラスクのように小さく固くなってしまっていて、すこぶる不味かった。
勿体無いから捨てるようなことはしないで齧ったが。
パン粉を作るためにパンを固くするには良い手法かも知れない。こうやって人間はノウハウを貯めていくのである。実際に使う場面があるかどうかはともかくとして。
新型のiBookが発表された。
一回り小さく、軽いPBTiという風情で物欲を刺激される。
5月下旬出荷という単語を呪文のように唱えて気分を落ち着かせることにする(すぐに手に入るのと、しばらくしないと手に入らないのとでは、物欲への遡及力がずいぶん違うと思いませんか?)。
デュアル文庫編集部編「少女の空間」(徳間デュアル文庫)[bk1で購入]読了。
だいぶ前に読了した「少年の時間」と対になるアンソロジー。
まず、編集部の人間が書いたと思われる「はじめに」なる文章で気力をそがれる。これは、商業誌に載せて良い文章なんでしょうか。というか、書店の店頭でこの文章を読んでいたら、私はたぶんこの本を買わなかっただろうと確信できる。
それはともかくとして、収録されている作品の中で一番気に入ったのは梶尾真治「朋恵の夢想時間(ユークロニー)」。でも少女は書いていてもこれは時間を書いていて、空間は書いていない点でちょっと反則だと思うのだけど、まぁいいか。ここで示される、過去の時間についての描写は何の理論的裏打ちがなくても、納得することが出来る。そして最後の一文がまた良い。これがあるからカジシンのファンは止められない。
次に話として面白かったのは、篠田真由美「セラフィーナ」。
しかしこの作品には少女は出てこないと私は思う。あれが少女の本質であるとすれば、私は世界に絶望したくなるので、あれを少女だとは認めたくない。
小林泰三「独裁者の掟」は、SFとしてはかなりまっとうな作品だと思うが、このアンソロジーを買うであろう層が期待しているものとは違う物が提供されているような気がする。
独裁者の周辺描写をもっと増やせば良いのではないかと思うのだが、これはこれで難しいのだろう。
青木和「死人魚」はタイトルから受ける印象そのままの作品だと思った。
少女の空間というタイトルにはこの作品が一番相応しい物になっていると思う。
んが、こういう救われない作品が一番アンソロジーの趣旨にあってるのは、果たして望ましい事態なんだろうか。
二階堂黎人「アンドロイド殺し」は、タイトルからしてオマージュなのだが、そのオマージュを成立させるためにわざわざ変な文章を読者に読ませる手法は私は嫌いだ。断片的に作中に登場するならともかく。
別に気に入った順番に並べていたというわけではないのだが、最後に大塚英志「彼女の海岸線」
はぁ、これが「おじちゃんがほんまもんの耳&しっぽ美少女もの読ましたる」という作者の序文付きで出てきたんじゃなければ、普通に読んで、普通の感想を持ったんだろうけど、「ほんまもん」と言われてこの内容では、「それは既に古い」つーか、いかにもブーム初期に美少女マンガ誌に載っていたような形の私小説めいたファンタジーじゃないか。そんなのはもう山ほど読んできた。なにか一ひねりくらいはないの?とか思ってしまうのである。
んで、今日は調布の友人宅に呼ばれているのでいく。
風邪はまだ治りかけで、不安定な気候と半端な温度に保たれている電車内の空気でかなり悪化した感じだったが、そんなことは気にしないで飲んでばか話。
その後、友人のヘタレPSOプレイをみて矯正作業。武器ボタンを連打する癖を持っているので、まずそれが治らないとどうしようもないのだけど、これは本人が自覚を持って直すことを心がけなければ治らないような気がする(もしくは、常に後ろについていて「連打はやめい」と言い続けるか)。
その後就寝になるが、酒を飲んだときの友人のいびきは、不眠症気味の私が眠れるレベルを疾うに越えていて、別室(ただの台所)に一時的に避難して気分を落ち着けてからでなければ眠りに就くことは出来なかった。
というわけで睡眠時間はとても短い。
ボウリングの後は、調布の友人行きつけの犬と遊べる喫茶店でお茶とブランチでは足りなかった分の食事。
近所の人が毛足の長いダックスフントも連れてきていて、犬嫌いではもちろんない私はたいへん楽しい時間を過ごした。
いや、正確には身体機能のかなりの部分が休息モードに入ってしまっていて、何もせずにぼーっとしていた、というのが正確かもしれない。
多少時間をだらだらと潰してから夕食がわりに酒を飲む(いや、つまみもそれなりに食う)。
メニューがちょっと替わった店で、「タコライス」と書いてあって想像するものはかなり違う物が出てきたりする店であったが、料理は美味。
連日であるので酒は程々に。
例によって群馬方面に向かう後輩の車に便乗して大宮着。
あ、今は「さいたま」って書かなきゃいかんのだよな。……やっぱできない。
夜からPSO。
オフラインじゃなくてオンライン。
まずはHardで、続いてVery Hardに移行。
気がついたら3:00を回っていた。これじゃ身体に良いわきゃないよ、判っちゃいるけど止められない。
というわけで今日は何もしていないに等しい。
よってネタがない。
ネタがないときのCM頼み。
LOWSONのCMで気になるのは、何故に全ての人形(でないものも多いが)が電話を持っているのか、ということである。
誰でも知っている非常に判りやすい理由があるのに、自分だけが気づいていないような不安に駆られるのである。
アリナミン7のCMはベタベタなのだが、原曲が名曲なので、ついつい耳を奪われてしまう。
別にこれを進んで飲もうとは思わないが、ウルトラセブンのDVDも揃えたくなってしまう。違う物の宣伝をしてどうする。
咲田哲宏「竜が飛ばない日曜日」(角川スニーカー文庫)[bk1で購入]読了。
第四回角川学園小説大賞優秀賞受賞作品、だそうだが、そのような賞が存在していることはおぼろげに知っていても、これまでに賞を取った作品を全く知らない。
閑話休題。この作品は、発売直後にWeb上の所謂ライトノベルを読む人々の評判になっていたのは覚えていたのだが(というか、だから買っておいた)、なるほど、ストーリーはなかなか大したものだと思う(なんか偉そうだな)。
しかし、文章はなんか所々に引っかかりを感じる。むやみに主語を省略する癖は直した方が良いと思う。というか、編集者は気にならなかったのだろうか。
ちょっとSF的なギミックがあったので、どういう説明がついているのか少し楽しみだったのだが、SFじゃなくてがっかり。いや、ちゃんと結末に絡んでるし、良いと思うのだが、ほら、私、SF原理主義者だし(なんかどんどん原理主義増えてってないか?)。
全体的には、作品単体では他人にも勧められるが、この作者の第二作を無条件に購入するかどうかは保留、といったところだろうか。
LOFTに行ったら、トミカやらチョコエッグやらの特設コーナーが出来ていた。
そしてそこを見るともなしに(嘘です。本当は詳細にチェックしてました)眺めていたら、現時点では関西方面限定商品であるところの、UHA味覚糖のチョコラザウルスが置いてあるではありませんか。しかも箱買いできるように箱のままで陳列までしてあったり。
ちょっと財政的には良好とはいえない状態なので、箱買いは理性が押さえたけれども5個ほど購入。
ティラノザウルスの色違いとディアトリマとパキディスクスが出たのでとりあえず終了にしておくべきだろう。いやいやオパビニアとプシコビゲとディプロカウルスも欲しいぞ、いやいやいや。
頑張れ、理性。
その後、ジュンク堂書店に寄ったら(というかこちらがメイン目的だったはずなのだが)、「バターはどこに溶けた?」という本が出ていて苦笑。
こんなもん、タイトルだけの一発ネタだと思うのだが、ちゃんと形にして世の中に流通させるという間違い判断はどのようにしてなされたのだろう。出版不況って本当なのか。
起きてみると予報通り雨。しかし、予報より長く降り続いている。
只でさえ外出が億劫だというのに、雨が降ると余計に億劫だ。
左目に違和感があるので鏡を使って調べてみたら、ものもらいが出来ていた。
ものもらいは眼の風邪であるという話を聞いたことがあるのだが、感染経路はやはり空気感染なのだろうか。飛沫感染とか?
他人に眼を触らせた覚えはここ数カ月ないし、風呂やプールなどで眼に他人の使った水を触れさせた覚えもない。
手を経由しての接触感染という可能性もあるのか。
昨日書こうと思って忘れていた出来事。
外出から帰ってきた私が、バイクにカバーを掛けていると、アパートの前にRV車が止まった。
見るともなしに一瞥すると、運転していたおばはんが「ちょっとお聞きしてもよろしいですか?」と声をかけてきた。
私は知らない人には人当たり良く対応するように躾けられているので、明瞭した声で「はい」と答えた。
「あなた、小野さんですか?」
「違いますよ」
それだけの会話をかわすと、おばはんを乗せたRV車は去っていった。
なんだったんだ、一体。あのおばはんと小野さんとやら(仮名。プライバシーどうこうではなく、記憶が曖昧なので)の関係はなんなのか。
それとも私は何か大がかりな陰謀に巻き込まれていて、おばはんはどこかの秘密諜報員で質問は単なるダミーだったのか。以下次号(続きません)。
ポストに「牛乳」と大きく書かれた紙片が入っていたので、てっきり宅配牛乳のチラシかと思ったら、まず一行目が「夫が冷たい」
何事かと思って末尾に目を移すと、何のことはない。近くにある天理教のチラシだったのだ。そういえば、以前にもなんとなく趣旨が一貫しない文章の載ったチラシがポストに入っていたこともあった。
なんでタイトルが「牛乳」などというものになっているかといえば、「冷たい牛乳に文句を言う前に自分で温めましょう」ということらしい。何故牛乳。というか「冷たい」の方に趣旨があるわけで、「牛乳」をタイトルに持ってくるのはいまいちなのではないか。
なんでこう宗教関係の文章は突っ込み甲斐のあるものが多いのか。善良な人々に囲まれているうちにこういうものしか書けなくなってしまうのか。
ブライアン・ラムレイ「タイタス・クロウの事件簿」(創元推理文庫)[bk1で購入]読了。
うーん、これは私の趣味には合わなかった。
まずは、オーガスト・ダーレスがぐだぐだにしてしまったクトゥルー神話以降の作品であって、ダーレスが浅はかにも持ち込んだ「善と悪の対立」という概念がしっかり入ってしまっている点。
なんでまたこういうしょうもないものが世間に受け入れられているのか、私にはさっぱり判らないのだが、やるのは構わないからHPLの名前は使わないで欲しいものである。
もう一つは、タイタス・クロウに関する描写が、えらく格好良く、強そうなイメージを抱かせるのだけれども、実際にやってることは対したことがないように見える点。
ホラーとヒーローというのはなんとなく相性が悪いような気がする。なのにこういう枠組みの作品が多く見かけられるというのは、世間一般の意見とずれてるからなのだろうなぁ。