親から荷物が届く。
何かと思ったら、枇杷だった。独り暮らしでは果物を食べる機会はあまりない(たいてい腐らせてしまうので)から、有り難い。
昨日観た「オースチンパワーズ」と一緒に借りた、「オースチンパワーズデラックス」を観る。
下ネタオンパレード。映画のパロディや洋楽のパロディもあるらしいのだが、詳しくないのでよく判らない。
駄洒落は字幕が苦しい訳をしているのが聞き取れる(程度の英語力はある)ので、ちょっと楽しい。
MacOS XのClassic環境で、英語版のソフトウェア(具体的には、SuperPaint3.0)を使っていると、日本語の入力ができないことが判明。
OS 9.1上でも、IMEのウインドウが出るような状況(例えば、変換候補ウインドウがでるなど)では、SuperPaintで日本語入力ができないことが判ったので、これが一般的に全てのアプリケーションに適用できるのかどうかは判らない。要調査。
IE5.1.1previewは、ダウンロードマネージャに登録されるようなファイルをダウンロードすると、それが終わったタイミングで必ず強制終了してしまう。
はっきり言って、これでは使い物にならない。自動的にデコードする設定をオフにするというTipsも試してみたが、変化なし。
Fizillaを試してみることにする。
森博嗣「恋恋蓮歩の演習」(講談社ノベルズ)[bk1で購入]読了。
これは最近とんとお目にかかれなかった本格的ミステリになっている(森作品としては)。正直に面白かった。
ストーリー紹介を読んでから読み始めると、前置きが無茶苦茶長いように感じるのだが、それはちゃんと伏線になっているのだ。最後の一行で「なるほど」となるミステリは久しぶりに読んだ気がする(単に私の読書傾向が偏っているだけの話なのだが)。
洗濯で疲れたので(当然、乾いた後にはどかした大量の書物を元に戻すという作業が待っていたのだ)、夕食は久々にサイゼリヤにした。
メニューが刷新されていたのだが、内容は前と同じ。なんかおかしいと思ったら、以前はワイン半額セールで、グラスワイン一杯90円だったのだが、正価が90円になっていた。当然飲む。
Fizillaは、メニューからエンコードを変更できないので(メニューはあるが機能しない)、日本語のページは見に行けない。使えん。
代わりにOmniWebを試してみたが、これはこれでエンコードを自動では切り替えてくれないので、いまいち。HTMLレンダリング速度も少々遅い。
モデルの出来の差があまりにチョコラザウルスと開いているためか、はたまた買う前に何が入っているのか判る商売っ気のなさが禍しているのか、各所で余りまくっている様が哀れを誘うカバヤの「ダイノワールド」だが、近所の東武ストアで余りまくっているのを全部チェックしてみたらシークレットになっている20番があったので、買ってみた。
……これはなかなか良い。アイデア賞。古生物好きならたぶん喜ぶ。
シークレット扱いなので、実際にどういうものなのかは、各人でチェックしていただきたい。
「ガメラ 大怪獣空中決戦」を観る。これも例によって発売日近くに買っておいて、観る気力がなくて放置してあったものである。
実はこのシリーズは映画館では、2からしか観ていなかったので、これが初見である。
二作目以降では何の説明もなかったので、只の電波さんに見えていた藤谷文子がどうしてああなってしまったのかやっと判った。伊原剛志が悪かったのか。
それはともかく、日本があんな状態になったら米軍が黙っちゃいないだろうとか、そういう無粋な突っ込みが思い浮かばないこともないのだが、この映画はともかく自衛隊が格好良い映画なので、そういう自分が許せなくなるのである。
2も3も「それはちょっと……」という部分が少なからずあるのだが、格好良いので許せてしまう。私にとってこれはそんな映画だ。
医者に行く。前回の轍を踏まぬよう、一応午後に予約を入れておいた。
最近の状況を一方的に話して終了。処方を多少変えられたが、それによってなにがもたらされるのかは説明がないので謎である。
いや、薬の機能は調べてあるから、セロトニンはそれなりにあるがノルアドレナリンが足りない状態にあるという判断がされたらしいことは判るのだけど。
大平洋高気圧の勢力下にあるためか(今日の気圧配置図は確認していないのでいいかげんな推測に基づく)、今日は空気自体がもう夏のそれである。
陽射し自体が一番強いのは確か今ごろの筈(今年の夏至は6/21なので、その前後が一番強いことになる)で、太陽が出ていれば充分暑いのであるが、今日は日影に居て風が流れていても暑い。
元々、私は肌が白く、虹彩もほんのわずかだが茶色みがかっている。よって直射日光には強くないのだが、こういう気候自体に耐えられなくなってきているのは、日頃の不摂生と年齢のおかげなのだろう(だからといって摂生するつもりなどさらさらない)。
所有している市販のビデオテープソフトをこれ以上劣化させないためにデジタイズしてみる。
当然、自分が繰り返し観るためであり、配布したりは絶対にしない。これはプライドの問題である。
当初、まともな作りであることを期待したEditDV unpluged 1.6.6を使ってみるが、QuickTime5になっているのが拙かったのか、FireWire機器が認識できないと吐かして取り込みできない。使えん。
というわけでiMovieを使ってみることにする。最初はOS X版を使ってみたのだが、取り込み途中でフリーズしてくれた(OS Xはどうもリアルタイムプロセス周りとFireWire入出力周りにまだBugがありそうである。カーネル自体が生きていても、ユーザからの入力を受け付けなくなってしまうことがあるのも良くない)ので、OS 9.1版に変えてみたところ、取り込みは無事完了。
ところが、Sorenson Video/15fps/640x480でレンダリングしてみたところ、一日経っても終わらない(つまり、デジタイズ作業自体は昨日行なったのである)。
プログレスバーは進むし、レンダリングしているシーンが刻々と表示され続けているので、遅いだけでフリーズしているわけではないことは判る。しかし、これではiMac DVの初期型などを使っている人はあきれて二度と使わないのではないか。640x480などという高解像度は、アマチュアの使うべきものではないとでもいうのだろうか。ファイルサイズが640MBytesに収まってなかったら、レンダリングのやり直しをしなければならないのだが(MO一枚に収まらないので)。
よく考えてみたら、Strata VideoShopで同じことをやってみたことがあったが、こんなに時間はかからなかった(筈。Cowboy BebopのTV東京版最終回をデジタイズしたときに、一日で何回かレンダリングのトライ&エラーを繰り返した覚えがある)。Strata VideoShopには、取り込み時に動画と音声の長さが変わってしまうという(音声が短くなる)これまた致命的なBugがあるし、動作もちっとも安定していないのだが、この違いは一体何?
17" 液晶ディスプレイとPowerMac G4欲しい熱がまた高まったが、ここはじっと我慢の子である。マルチプロセッサの800MHz辺りが今の533Mhzマルチ位の値段で出ないだろうか(そんなことは有り得ません)。
なかなかよくできた原子力利用に関するページが見つかった。
政府側の資料なので、多少突っ込みどころもあるが、大学を卒業した程度の教養を持つ人間ならば(高校で物理を選択し、ちゃんと授業を聞いていた人間も)、容易に理解できる良質なテキストと言える。特に放射線障害に関する資料とチェルノブイリ原発事故による健康被害に関する調査報告は必見。
個人的には、むやみに恐怖心だけを煽り続ける反対論者の意見よりはこちらの方がよほど納得できる。「安全ですよ」という主張のところに具体的な数値を挙げていない部分が散見されるのだが、そこは眉につばをつけて読めばいいだけのことである。データの元論文へのリンクがないものがあるのは頂けないが、探そうと思えば探すことのできる程度のデータは提供されている。このページに対する反論のページとかないだろうか。
清水文化「ラジカルあんてぃーく 魔神を呼び出すドジ妖精」(富士見ファンタジア文庫)[bk1で購入]読了。
積ん読スタックからの抽出。
うーむ。骨董品関連に関してはちゃんと調べてある感じがするが、「気象精霊記」シリーズに比べると、「ちゃんとした感」が多少薄いような気がする。
というか、このタイトルの付け方、かなり問題がないか? 内容とほとんど関係ないぞ。ドジ妖精は主人公じゃないし、魔神は呼び出してるけど、ストーリーにほとんど関与してないし。
取り敢えず、続刊も積ん読スタックに既に積まれてしまっているので、続刊も読んでみて様子を見よう(様子を見るにはすでに手遅れという話もある)。
復刊ドットコムが創立一周年記念のプレゼントキャンペーンをやっている。取り敢えず個人情報は、名前とメールアドレスと年齢と都道府県だけを答えれば良いという親切設計。
この際だから、ユーザ登録もして、投票してくれ。いや、ください。
昨日の分の文章を書き上げた後で、ムービーのレンダリングが終わった。641MBytes。ちっ、やり直しだ。微妙なサイズなので、他の要素はいじらずに、ちょっとだけ画像のクオリティを落としてみる。結果が分かるのは明日になるであろう。
プログラマには創作性が必要だろうか?
創作性というと意味が通りにくいかもしれない。マーケティング用語で言うならば、シーズ指向は必要だろうか?
フリーウェアの作者など、最初から最後まで自分でやるプログラマには、当然必要であろう。なぜなら、「こういうのを作ってくれ」と言ってくれる人などどこにも居はしないのだから。
しかし、職業的プログラマには必須だとは思えない。なぜなら、大抵の場合は、自分が作りたいものを作るわけではなく、注文(もしくは企画)があってそれを実現するためにプログラミングを行なうのだから。
私にはどうもこのシーズ指向というか、発想というものが欠けているようなのである。創作者や研究者には一番不向きな人格なのではないかと思ったりもする。
書くのをすっかり忘れていたが、Sonnet TechnologyのTempo ULTRA ATA66 PCIボードを秋葉のIKE SHOPで購入。12800円。
ついでに、980円で投げ売りされていたUSBハブも購入。旧iMacの5色のうち、寒色系の方が断然人気があるということが判る在庫。ちなみに買ったのは赤。在庫としてあったのは赤とオレンジと紫。
で、TempoをYosemiteのPCIバスに挿し、取り敢えず、二つあるポートのうちの一つのマスターとスレーブに新しく買った30G HDDと古い20G HDD、本体のATAバスには購入当時に入っていたQuantumの8G HDDを接続する。
起動。……認識しねぇ。30Gも20Gも認識しねぇよ。何が悪いんだかさっぱりわかんねぇよ。
泣きそうになりながら試行錯誤をした結果、20G HDDと30G HDDを、Tempoの違うポートのMasterとして接続してやると認識されることが判明した。何故?
それはともかく、認識されたTempoの先のディスクは、ドライブ設定によるとSCSIだと認識されているようだ。何故? ということは、STF-66の説明は単に正直だっただけで、実は全てのPCI ATAカードはそういう仕様なのか?
この世界はまだまだ我々には伺い知ることができない多くの謎を秘めている。
それはともかく、ようやっとシステムは安定を取り戻し、OS Xはインストールでき、HDD容量は30GBytes増えたのであった。めでたし、めでたし(いや、金を使ったんだからめでたくないと困る)。
レンダリングの質を50から45に落とし、後は同条件でのムービー作成終了。451MBytes。うむ、これならMO1枚に収まる。画質も、並べてみても判らない程度の低下。素晴らしい。
しかし、画質を落としたということは、圧縮率を上げたわけだから、圧縮に関する計算は増えたと思うのが素人考えなのだが、なぜかレンダリング時間が短くなっているような気がする。
確かに出力データ自体は小さくなっているわけなのだが、ということはあれか、ディスクアクセスがボトルネックになってるとでもいうのか?
毎月第一水曜日は東京の映画館は1000円だそうで、ついでに調布の映画館で押井守の「Avalon」をレイトショウでやっているという情報を得たので、わざわざ調布まで足を伸ばして観に行く。
演出でびっくりしたところもあったが、これは確かに退屈な映画だ。というか、脚本のメインアイデアを使えばいくらでも派手にできる筈なのに、敢えてやっていないというか(予算の都合もあるんだろうが)。押井守らしいといえばらしいのだが。
何よりびっくりしたのは、メインのスタッフが日本人なのに、全編ロケ地であるポーランド語と思しき言葉で会話が進み、字幕になっているということだ。これってなんか意味あるのか? その割には、コンピュータは英語で扱うし、劇中でヒロインが借り出す本は日本語だったりする。日本語吹き替えをやった方が良かったのではないか。
非合法なネットワークゲーム上でプロのゲーマーという職業が成り立っているという背景もちゃんと説明されてないし、ネットワークゲームを供給する側が出てくるのに、そっちの話に入るかと思うと極個人的なクライマックスを迎えておしまいなのである。すごく欲求不満が溜まるぞ。あんなんでカタストロフィが得られるものか。ゲームシステムもイメージ先行でなんかよくわかんないし。
まぁ、「赤い眼鏡」よりは全然娯楽作品になってるのだが、「坑殻機動隊」に比べるとどうかな。あれも多分に思弁的作品だったけど。
個人的に中島97式艦上攻撃機の活躍が気になる(うちの父方のじいさん(故人)は太田の中島飛行機の工場に勤めていたのだ)ディズニー映画「パールハーバー」の特集が載っていたので、NewsWeek日本語版を買ってみる。
なんか、映画の最初の90分がメロドラマで、残りの40分が真珠湾攻撃シーンとその後のアメリカ参戦の話になってるそうで、観るかどうかは非常に微妙なところ。メロドラマシーンが観るに耐えないものであろうことは容易に想像がつくからである。
一緒に取材した史実としての真珠湾攻撃作戦の話を読むと、当時のアメリカ大使館職員の業務放棄が日米開戦に関してものすごい悪影響を与えていることが如実に判る。外務省なんか一回取り潰して全員国外追放(大負けに負けて生涯公職追放)、そして完全に新しい人員にすべきだ、などと思う。
他に目を引く話題としては、シアトルのMSの本社を取材したものがあって、ここに書いてあることが本当だとしたら、なんであんな製品群が出てくるのかさっぱり判らない、というのが正直なところ。それとも最近になって改善された? そんな訳もない。
大阪の小学校襲撃事件に関して。
こういう事件を起こされると、精神科に通っている人間としてはとても迷惑なのである。一番迷惑なのは、身内の私に対する扱いが変わるであろうことが容易に予想されること。
精神障害を持っている人は、世の中にごまんといるわけで、その中で犯罪を犯す人間の割合とそうでない人間の割合が、健常者に比べて有意に大きいとかそういうことでもない限り、精神病者に対して人権の制限を行なう理由は何もない。ついでに言えば、保護しなければならない理由も何もない。
結局なにが言いたいのかというと、犯罪を犯すかどうかというのは、精神病に関わりなくその人間固有の性質に基づくものでしかないのではないか、ということである。
だとすれば、刑事責任能力云々という議論は意味がないし、更正を基本とした日本の刑法も意味がないということになる(更正という名目でその人間の性質を入れ換えてしまうことが―もしそのようなことが可能なのだとして―、応報刑よりも非人間的所行かどうか、という話になるが)。刑罰後の再犯率も考慮に入れなければならないのは当然なのだが。
私は人間の可塑性というものに関して、あまり信用を置いていない。人間は、本当に自ら変わりたいと思い、そのための手段も努力も選ばない、という決意でもしない限りは変わらないものだと考えている。
そして、他者からの観測でその人間の心を推し量ることは、厳密な意味では不可能である。テレパシーでも使わない限り、その人間が何を考えているかはその人間の発するメッセージに頼るしかなく、そのメッセージに意図的に嘘が混入している可能性を排除することはできない。
少なくとも人間の精神的内部に関しては、我々は客観的に観測する手段を持っていないのだ。
だから、我々は他人の行動に対して自分のものさしを当て、自分がそういう行動をするときはどのような心情であるだろうという想像を働かせて、他人の心を推し量ろうとする。自分のものさしには絶対に当てはまらない行動を目にしたときには、便利なレッテル(そのような行動をする人間、という意味以外のなにも持っていなくてもよい)を貼っておき、心の中の物置に放り込んで安心する。
心の中の物置に放り込むためには、目を反らさなければならないので、安易な隔離策などが出てくるのである。それは逃避でしかない。
なんか上手くまとまらないなぁ。後でまた考えよう。
フジテレビは、中継の前にニュースで結果をバラすようなことをなんで平気でやるのか。
実はF1ファンを憎んでいるとか?
現在関東で放映されているDoCoMoのCM。
広末涼子がマラソンにメールを読みながら参加して完走するという間抜けなシチュエーションなのだが、これは、移動しながらの携帯電話の利用をDoCoMoが推奨しているように思える。
会話をしながらでさえ注意力散漫になって危険だというのに、メールを読むということは、視界まで塞いで移動することになる。マラソンとはいえ、走りながら何かを読み続けるのが危険極まりない行為であることは議論の余地はない。
馬鹿馬鹿しいシチュエーションなのだから本気にする奴は居ない、という意見は正論だろう。しかし、移動しながらの利用が危険であることをきちんと広めないうちに(そんなことをDoCoMoがやっているという話は寡聞にして聞かない)、このようなCMを打つDoCoMoの見識を疑う。
自転車でも危険だというのに、スクータや自動車で移動中に携帯電話を使用している馬鹿は後を絶たないのである。深夜、私の目の前の交差点を、携帯電話で会話しつつ信号が赤にもかかわらず無視して走っていったスクータを目撃したこともある。結構交通量があったので、あれで事故が起きたら、相手のドライバーは可哀想だと思ったものだ(交通事故では対歩行者でもない限り、責任が0にはならないので)。
早期の道路交通法の改正も含めて(当然、運転中の使用は何を使おうが全面禁止にすべきである。そのような行為を行なう人間は、免許停止でも構わないと思われる。30km/hの制限速度超過と、運転中の携帯電話使用、どちらがより危険だろう?)、重大な事故が起きる前に対応をすべき問題なのではないか。
大阪の小学校襲撃事件に関しての続き。
父親のコメントというものが発表されたが、とても身内とは思えない突き放したコメントである。犯人が身内にも見捨てられるような行為を繰り返してきた、という見方もできるのだが、そのような人格が形成されてしまった背景には家族の抱える問題もあったのではないかと疑う。
また、次第に明らかになる犯人のこれまでの行状を聞くに、妄想とかそういうこととは関係ないとしか思えない。小学校を舞台にしたのは、精神安定剤の多量摂取による意識混濁が関係しているかもしれないが(なんかこう書いた後に、意識して小学校を選んだという供述してるし……)。どちらにせよ、現在の日本の精神医療の現場で治療できる性質の人間だとはあまり思えない(家族も含めて)。
少し前に出版された「診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者たち」(ハヤカワNF文庫)[bk1で購入]で紹介されていたサイコパスとも違う。非常に自己中心性を感じるが、人間的魅力や根拠なき自信はまるでないように見えるからである。
風野春樹さんのサイコドクターあばれ旅の精神分裂病に関する記事を読むと、どうも精神分裂病患者のような気もするのだが、これは単なる素人判断に過ぎない。というか精神分裂病とされる患者の症例のあまりの多様さに、精神分裂病とされている一連の症状を示す精神疾患が本当に同じ機能障害の結果なのか、と疑いを持っている。要勉強。一応、役に立ちそうなサイトは発見。
どうやら、マスコミの論調としては、措置入院が必要な患者(すなわち、今回の犯人のような人物)への社会的ケアが足りないので、それを早急に確立させることが急務である、というなかなかまともなことになっているようではある。社会的コンセンサスを形成するにはあまりにも複雑な意見のような気もしないでもないが。その前に精神疾患というものに対する理解を一般に浸透させることが先なんじゃないかとも思う。
その前に、犯罪の被害者への取材は全面的に禁止にすべきだと思うのだがどうか。現場上空をヘリで飛ぶのも禁止すべきだと思うがどうか。
学術的価値のあるものに値段を付けて売り買いする傾向が最近ある。
ティラノサウルスの完全な骨格標本「スー」が競売に掛けられたことが最近のニュースとしては記憶に新しい。
こういう傾向は非常に良くないことなのではないか、と思う。学術的には特に見るべきところがないものが、市場に流れて売り買いされる分には何も問題はないが、学術的価値があるものに経済的価値まで上乗せされてしまうと、研究に無駄に金が掛かるだけで、人類全体には損失しか与えていないのではないか。
資本主義という宗教に魂を売ったからには全てを金銭的価値に換算するべきだ、という内なる声もあるのだが、そもそも学問というのは基本的には資本主義とは相容れないものなのではないかという気もするのだ。
しかしなんだね。どこの局を観ているのか非常に判りやすい話題のチョイスになってるね、これは。