01年6月下旬の世迷い言


2001/06/21

 一時間くらい掛けて書いていた今日の分の記述が、システムエラーにより失われる……。
 こんなことがしょっちゅう起きていれば、こまめなセーブなどの防衛策も取ったのだろうが、こんなことはPismoを使い始めてからほぼ初めてかも知れないくらい起きていなかったので、完全に油断していた。
 長い間、IEを使い倒していたので、システムが不安定になっていたというのが妥当な解釈か。別にMSに含むところがあってこういう判断をしてるわけではない。実際、IEはシステムを不安定にするのだ。使い勝手は悪くないのだが。

 というわけで、本日は仮更新ということにさせて頂く。もう寝ます。

 で、続き。というか昨日書いたものの再入力。

 X-Files Box2を(観ないんだけど)とりあえず開けてみるか、と思い、パッケージの上を見ると、外装のフィルムに傷が付いていないのに中のプラスチックが破損していることに気づく。
 破片は見つからないし、振ってみても音もしないことから、これはフィルムラップを掛ける前に破損していたと判断し、LOFTのWaveに交換を頼みに行く。
 限定生産品なので、再入荷まで交換できないとか言われるかと思いきや、店員さんが裏に引っ込んでしばらくしたらあっさり交換してくれて拍子抜け。レシートの提示も要求されなくて、これで良いのかとちょっと思う。
 生産行程での破損ではないか、という判断の下に交換をお願いする、と説明したにも関わらず、店員さんが矢鱈と恐縮して謝ってばかりなので、なんかこちらが悪いことをしているような気分になる。そういう細かい部分はきちんと伝わってなかったのだろう。交換さえしてくれるのであれば、こちらには怒る理由はほとんどない(手間がちょっと掛かったくらいなもの)。しかしながら、日常生活に於て、そういう理性で行動することというのはあまり多くないのだろう。
 いずれにせよ、丁寧で迅速な対応には好感度アップ。正直言って、Waveの品揃えと私の趣味はあまり一致していなくて、発売日に探しに行ってものがない、という経験をよくしているのだが、当面は最初に探しに行く店にしておくことにする(丁寧な対応をするだけでこんな効果があるんだから、安いものである)。

 笠原嘉「精神病」(岩波新書)[bk1で購入]読了。
 タイトルは「精神病」だが、臨床医である著者による、精神分裂病の入門書である。
 少しGoogleなどで調べたり、風野春樹さんのサイコドクターあばれ旅にある精神分裂病に関する記事を読んだりすると、精神分裂病と診断される病気は、実に様々な症状を呈するもので、どうしてそれらが同じ病気として分類できるのか、という疑問を持ったので買ってみた本である。
 この本の冒頭の説明によると、心の不調というものは、まず「精神病」の系列と「パーソナリティの歪み」という系列の二つに大別されるものであるらしい。
 このうち、「パーソナリティの歪み」というのは耳慣れない言葉であるが、これは世間一般では「人格障害」と呼ばれている。著者は、臨床医としての立場からこの用語の使用について反対を表明しており、言い換えを行なっている。ここでは著者に敬意を表すために、「パーソナリティの歪み」という用語を使用していくことにする。その他の用語についても、基本的にはこの本の用語を使用する。
 「パーソナリティの歪み」は、簡単に説明すれば、「その人のパーソナリティ(≒性格)が、社会生活を営む上で障害になり得る状態」を指す。例えば「きれい好き」という性格は、程度が軽ければむしろ美徳とされるだろうが、それが社会生活をしていく上で障害になってしまうほど極端になってしまえば(例えば公共物を全く利用できないので外出できなくなるなど)、それは「パーソナリティの歪み」として病気に分類される。
 また「パーソナリティの歪み」は病的状態であっても、意識の混濁などの原因にはなり得ないため、刑事責任能力についてはこれを問うことができる、という見解が、法曹界と医学会の共通見解となっているそうである。また、この「パーソナリティの歪み」は病気として認識されてはいるが、治療は非常に難しいとのことである。素人考えでも、既にでき上がってしまった、ある人間の人格を外部から矯正するのは、困難を究めるであろうことは容易に判る。
 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤被告が、精神鑑定の上で「パーソナリティの歪み」(ややこしいが、これは「人格障害」として報道された)とされたことはご記憶の方も多いと思う。
 さて、もう一つの「精神病」であるが、これは原因から大きく3つに分類できる。「身体原因性」「心因性・環境因性」「内因性」の3つである。
 「身体原因性」は読んで字のごとし。身体のどこかしらに病変があって、その影響で精神活動にも支障が出ている状態を指す。脳自体に損傷を受けて精神活動に影響を受けたり、病気による高熱で精神活動に影響を受けたりするものが解りやすいだろう。その他にも、薬物中毒による精神活動の病変も身体原因性に含まれる。
 「心因性・環境因性」も解りやすいだろう。要するに、何らかの精神的ショックを受けたことによる精神活動の病変である。現在よく話題になっているPTSDがこれに当たる。
 最後の「内因性」だが、これは要するに原因不明のものが全て含まれる。特に原因が外部に見つからないので精神の内部自体に原因があるのだろう、ということで「内因性」となっているわけである。
 この「内因性」のもののうち、「気分病」(所謂、躁鬱病のことであるが、最近ではこの用語を使うのが主流らしい)ではないものが、「精神分裂病」である、と説明されている(ように私には解釈できる)。「えぇっ? そんなんで良いの?」と思ったので、何度も当該箇所を読み返してみたのだが、この本の説明の範囲内ではそれ以外の判断の材料を得ることができない。これは他の文献も当たるべきだろう。
 さて、本題の「精神分裂病」の特徴に移るわけだが、この病気の特徴は「外界と自分の内面の境界が曖昧になってしまう」ことに尽きると私は感じた。この病気の一般的な症状として認識されているであろう妄想も「自分の考えではないものがどこからか流入してくる」「自分の考えが理由は判らないが周囲に流出している」というものだろう。言葉は良くないが「電波」と呼称される症状である。これは、明らかに自分の内面と外界の境界が曖昧になってしまったゆえに起きると考えると理解しやすいと思う。
 その他にも、陽性症状として「概念の統合障害」「幻覚による行動」「興奮」「誇大性」「猜疑心」「敵意」などがあり、陰性症状として「感情の平板化」「情動的引きこもり」「疎通性」「受動性/意欲低下による社会的引きこもり」「抽象思考の困難」「会話の自発性と流暢性の欠如」「常同性」などが上げられている。これらの説明は敢えてしないので、興味を持たれた方は原本を参照していただきたい。
 最初の根本である疑問、「どうしてこれらが同じ病気として分類できるのか」であるが、実はこの本を読んだだけではよく判らないのである。臨床学的立場からの入門書という性格からか、精神分裂病の周囲からの説明が多く、歴史的な説明はあまりない。精神分裂病という名称は、それ以前の早発性痴呆という名称から変わったものだという説明はあるので、それ以前の伝統があるのだと思う。これも他の文献を調べる必要がある。
 ちなみに、最初に精神分裂病の治療に使用されるようになった薬物は、実は麻酔薬として開発されたクロールプロマジンという物質で、麻酔薬としての効き目はいまいちであったが、たまたま精神病患者に麻酔薬として使用したところ、精神病の症状が劇的に改善されたために、治療薬として使用されるようになったらしい。
 その他にも、精神病という病気に関する偏見をなくすことができる知識が非常に豊富な本である。日本人はすべからくこの本を読むべきだろう。文章も柔らかく、読みやすいのでお勧めの本である。


2001/06/22

 なんか時間が半端に空いたので、X-Files DVD Box1のDisk1を観てみる。
 集中しながらは観たくなかったので、日本語音声、字幕オフ。声優がテレ朝バージョンと違うので、ちょっと違和感。
 モルダーの方はじきに慣れたのだが、スカリーの方はなかなか違和感が取れない。やっぱ知的で強気な女性の声で戸田恵子を越える人はそうそういないでしょう。
 流して観るつもりが、いつしか画面に引き込まれていたりする。やはりX-Filesは面白い。全部観たことのある話のはずなのだけど、それでも面白い。
「アメリカって、国家組織に突っ込み甲斐のある国なんだなぁ」とかいう変な感想を抱いたり(いや、たぶん日本政府も突っ込み甲斐はあるんだろうけど、ベクトルはまるで違うものになりそう)。

 仲間内でPSO Ver.2への移行が4人まで済んだので、チャレンジモードをやってみる。
 最初に「ロードに2分かかります」とか表示されてちょっとびっくりしたけど、そんなに掛からなかったような気が。最悪値なのか。
 いやしかし、非常に新鮮な気分。まさかラッピーに一発はたかれていきなり死ぬとは思わなかったよ。そういえば、フォースの最初の方はそんな感じだったような気もしないでもない。
 そんな状態でも結構スムースに進んで、なんだかんだでドラゴンも倒せてしまったし(パワーアップアイテムが非常に豊富に出るので、Lv5位でもなんとかなるのだ)。
 その後は、一人抜けてアルティメットモードに入れないキャラを鍛えるためにVeryHardの遺跡へ。
 Lv17以上のテクニックは、詠唱時間が短くなっててとても快適! ありがとうソニックチーム! 見直したよ!(Lv15ディスクとかの出現率は相変わらずだけど)


2001/06/23

 不調。発熱もしくは下痢。たぶん精神的なもの。集中力も出ない。マンガの単行本を読んだり、雑誌を拾い読みしたり。

 RIMのディスク容量が限界になってしまい、アクセスログとカウンタが妙なことになってしまっていたので、いらないファイルを削除したり。
 もう1Mbytesくらいしか余裕がないみたいなので、iToolsのサービスを利用することを考えるべきか。
 全面リニューアルして文章オンリーサイトにしてしまえば、もうちょっと余裕が稼げるか。ううむ。

 夏の衆議院選挙で、自民党が勝つと、表立って小泉総理に反対を表明しても良いと思っている自民党議員は多いと思う。
 かといって、負けてしまうとその責任を取れという形で総裁を下ろされるだろう。
 というわけで、どっちにしろ小泉改革路線の寿命は参院選まで、というのが私の予想なのだが、悲観的すぎるだろうか。


2001/06/24

 宅急便にたたき起こされる(つっても9:00くらいだったが)。
 bk1に予約しておいた森博嗣「スカイクロラ」が届いたのだ。ちなみに、bk1は注文の中に予約書籍が含まれていると、その時注文した全ての本の送料が無料になるのだ。当然、既刊と予約の本は別々に届くのだが、送料はどちらも無料である。そんなことで本当に利益が出るのだろうか。ヤマトの本の配送サービスはそれだけ安いということなのだろうが(通常の宅配便の荷物の隙間を利用して運んでいるらしい)。
 「スカイクロラ」はちょっと意表を突かれる装丁。本にバーコードが必ず入るようになって、装丁のデザインの邪魔だという声が多かったのだけど(私もそう思う)、この本はそれを見事に回避している。なるほど……この手があったか……。

 今日はUFO記念日らしい。
 世界で初めて、謎の飛行物体に遭遇した(と彼が語っている)、ケネス・アーノルドが空飛ぶ円盤を目撃した日付が今日なのだ。
 と、いうわけで、X-Files DVD Boxのディスク2とディスク3を観る。
 ディスク2は見覚えのあるエピソードばかりだったが、ディスク3は観たことのないエピソードだし、宇宙人関係のエピソードが続いているので、UFO記念日にはぴったり。
 私はUFOがエイリアンクラフトだとは思っていないが、エンタテイメントとしてのUFO=エイリアンクラフト説は大好きである。突っ込み甲斐のあるところも好きだし、ファンタジーとしても好きだ。
 X-Filesは、単純なビリーバーものと思わせておいて、実は違いました、というひねりがあるところが良い。

 F1ヨーロッパグランプリ。
 フェラーリ原理主義者としては、M.シューマッハがポールトゥウインである以上、何も不満はございません。
 とはいえ、何も書かないのもなんなので、適当に思いつくことをだらだらと。
 ウィリアムズの速さはもう完全に安定している。後はドライバーの単純ミス(R.シューマッハのペナルティとか、モントーヤのブレーキングミスとか)がなくなれば、無敵に近いのではないか。フェラーリはM.シューマッハ偏重体制のよう。バリチェロは結構ストレスを感じているのではないか。マクラーレンは、遅くはないけれども速くもないという、地味な展開(でも、しっかり両ドライバーともポイントは獲っている)。今回はこの三強チームがポイント独占という、力の差がはっきりと出たレースであった。
 ジョーダン、BARのホンダ勢は、マシンの安定性に問題ありあり。4台出ていて完走1台というのではお話にならない。
 ジャガーがホンダ勢と並ぶくらいのパフォーマンスを示してきているのは、ちょっと気になるところ。でもまだ予選で上に出てこれないのはまだ力不足ということか。ザウバーのライコネンは、同じルーキーのモントーヤよりも好印象なので、もうちょっと上まで来て欲しい感じ。でもFinal Lapのアレジとのバトルは面白かった。


2001/06/25

 世間と隔絶してX-Files三昧。
 ようやくBox2に突入。
 しかし、アレシボ電波天文台って本当にあんな施設なのか?


2001/06/26

 AvalonとPSOに触れた人間が思い付くヲタク的夢想。
「PSOのゲームシステムで、グラフィックと世界観がWizardryなゲームを遊んでみてぇ!」
 当然、グラフィックは末弥純であることは言うまでもない。緒方剛志でも悪くはないと思うが集英社スーパーダッシュ文庫版の「隣り合わせの灰と青春」[bk1で購入]のイラストを見る限りでは、緒方剛志はファンタジー関係の小物の勉強が少し足りないような気がする(ブギーポップだって、一作目の弓道の衣装とかすごいことになっているのだ)ので、やはりここは末弥純にお願いしたいところである。ポリゴンとの整合性とか考えると頭が痛くなってくるが。
 話が横道にそれたが、Wizardry(I〜IIIとV)とPSOをプレイしたことのある人間には、この夢想は理解してもらえる(共感はできなくても)ものだと思うのだがどうだろうか。たとえ、"Blade Casinart'"がぐるぐる回ったとしても、だ。

 一昨日の日記で触れた「スカイクロラ」の意表を突く壮丁の話だが、「日本語の書かれているものは全て帯である」という事前情報を知らないと、意表を突かれることはないかもしれない。
 少なくとも、作者の意図としてはそういうことらしいので、既に見て「はぁ? これがなにか?」と思った人(普通は、あれを帯だとは思わない筈)も、まだ見ていない人も、この事を踏まえてご覧になっていただきたい。

 小泉内閣メールマガジンの発行部署を小泉総理大臣が視察したという報道を観たが、人が多すぎ。あの内容なら3人で十分。馬鹿にしてんじゃねぇぞ。本当に一億掛けてんじゃねぇだろうな?


2001/06/27

 埼玉県警が、あおり行為によって事故を誘発した人間に対して、傷害致死罪を適用して検挙したというニュースがあった。
 なぜそんな当たり前の事が今まで行なわれていなかったのか、不思議でならない。
 自動車は、他人を死に至らしめる事ができる一番手軽な凶器であることは明白である(手加減するのはなかなか難しいだろうが)。そのことを意識して免許制度を導入しているからには、その危険な道具を誤って使う人間には厳罰を与えるのは当然のことだ。
 ちなみに、自動車を運転しない人には「あおり」と言ってもピンと来ないかもしれないので蛇足ながら説明しておくと、車間距離を詰めたり、ライトをハイビームにしたり、蛇行運転をしたり、パッシングをかけたり、クラクションを鳴らしたりして、前方の自動車の運転者にプレッシャーを与える行為のことである。
 群馬県に住んでいた大学時代には、誰かがそういう行為をしている場面には何度か遭遇したことはある。自分自身がやられたことはあったかどうかよく覚えていないが、群馬の場合は大抵は道を譲ってやれば(道路が広いので、車を止めなくても道を譲るのは簡単なのである)そのまま通り過ぎてくれる。自動車が生活に密着しているので、自動車文化はそれなりにソフィスケートされていたのである。暴走族と呼ばれるような人種は、走っていてつまらない道(≠山道)にしか出現しないので、住み分けは簡単にできた(だいたい、連中は遅いし)。南関東より生息数が少なかったのかもしれない。
 話が逸れた。映画「激突」を観たことがある人は判るだろうが、実際にやられてみると、あおりというのは、相当なプレッシャーを感じるものであり、事故の誘発原因になり得るのは火を見るより明らかである。そのような行為を意図的に行なう者に刑法を適用するのは当然である。

 航空自衛隊の誤射事故だが、現在発表されている事故原因が本当ならば、20mm機関砲の電装が現在の設計にされてからこれまでに何故起きなかったのか、まで解明しないといかんと思う。
 いくら改装が何度も行なわれているとはいえ、F4EJは既に枯れている機体であるし、訓練以外の運用実績も充分あるはずで、これまでにFCSがOnの状態で操縦桿が原因となった動き方をしたことがない、ということはとても考えにくいからである。それとも不明機の領空侵犯でのスクランブルでは、FCSがOffで発進するとかそういう事になってたりしないだろうな(なんか充分有り得そうで怖い)。


2001/06/28

 大貫隆「グノーシスの神話」(岩波書店)[bk1で購入]読了。
 読者諸賢は「グノーシス主義」という言葉にどのようなイメージを持っているだろうか。私は「ローマカトリックによって異端とされたキリスト教の一分派」という認識だった。
 しかし、それは間違いであることがこの本によって判った。グノーシス主義は、ユダヤ教からギリシア哲学ストア派の影響を受けて誕生したものであり、キリスト教などの他の宗教の影響も受けてはいたが、決してキリスト教から分派したものではなく、独立して長く信仰された宗教だったのである。
 なぜそのような間違った認識が広くまかり通っているかといえば、グノーシス主義に関する文献が、キリスト教者による異端反駁という形でしか存在しなかったからである。ところが、1945年にグノーシス主義者の手による文献が発見され、コプト語で書かれたその文献の研究が進んだことにより、それまでの認識が誤っていたことが判った(誤っていたのは私だけかもしれないので、この記述は少々問題がある可能性を含む)。
 この本は、発見されたグノーシス主義文書(ナグ・ハマディ文書と呼ばれる)から、その神話体系を明らかにする部分を抜きだし、グノーシス主義から発展したマンダ教とマニ教の神話も併せて紹介し、グノーシス主義の世界観を説明したものである。
 多少でもオカルトに興味のある人は「デミウルゴス」もしくは「ヤルダバオト」という言葉を聞いたことくらいはあると思う。これはグノーシス主義におけるこの世界の造物神の名前である。キリスト教は一神教であるがゆえに、造物神はすなわちヤハウェ/エホバである。しかし、グノーシス主義においては、デミウルゴスは、至高神から生じた上位の存在の過誤によって闇から生み出された存在であり、無知蒙昧であるがゆえに自らを全知全能だと思い込み、その奢りゆえにこの世界を創造したことになっている。
 つまり、この世界自体が過誤の結果生じたものであり、それゆえにこの世界は悪や苦しみに満ちている、というのがグノーシス主義の世界観である。
 そして、人間は、過誤の過程で闇(=悪)に光(=善)が混じり合ってしまった結果創造されたものであり、人間が死ぬことは、人間の中にある光の部分が光の上位世界に返還されることに繋がる。人間が増えるのは、人間の中に含まれた光をより分散させて回収を困難にする為に闇の陣営が仕組んだ罠であり、人間が生涯を信仰ではなく悪行の中で過ごせば、光の部分も含めてふたたび闇に取り込まれてしまう。
 つまり、グノーシス主義は、この世界と人類の繁栄を拒否する思想である、とこの本の著者は切って捨てる。
 しかしながら、全知全能である筈の神が「私は妬む神である」と言ってみたり、「この世界の全てをこのように創造した(悪魔も含めて)」などの(突っ込みどころ満載の)聖書の記述に対して、苦しい言い訳を考えているキリスト教よりよほど筋が通っていると私は感じる。これは私が、この日常が永久に続く灰色の現実世界に対して絶望しているからだろうか。それとも、キリスト教を嫌っているからだろうか。
 全ての宗教は「人生はなぜこのように苦しみに満ちているのに我々は生きていくのか?」という疑問から発していると私は考える。グノーシス主義の思想は、確かにこの世界を拒絶しているかもしれないが、この世界が苦しみで満ちている理由と、そのことを人間が認識できるのは何故なのか、そして人間が生きていくことの意義、という疑問に見事な解答を用意している。
 少なくとも、我々人類の共通の先祖が犯した罪を子々孫々まで償っていかなければならないからである(しかもその罪は、知性を得るという行為なのだ)、などという間抜けな文言よりずっと説得力があると私には思える。
 「グノーシス」という言葉は「認識」という意味であり、これは、我々自身の中に光の上位世界の欠片(=神性)を認識し、その神性を如何にして上位世界に返還するのか、という事に通じている。しかしながら、光の上位世界で生じた過誤は、情熱を伴った知識欲のゆえであり、度の過ぎた認識欲は悪い結果を導くことにしかならない、ともされている。
 世界に対する拒否はともかく、その認識に対する態度には、我々現代社会に生きるものが大いに参考にすべき思想が含まれていると考える。
 しかし、この本の著者によると、グノーシス主義からマンダ教、マニ教に移るにつれて、宗教的な完成度は上がっていったとあるのだけれども、正直、戯言の比率がどんどん上がっていったようにしか見えなかった。思想から宗教への移行というものはそういうものなのだろうか(原始仏教が明らかに思想であるのに比べて、現在の仏教が思想的には形骸化しているのと同様に)。
 正直いって、神話の文章は回りくどく難解で(しかも私の目には単なる戯言の羅列にしか見えない)、読み進めるのにひどく難渋したが、全体としては読んで良かった本だと思う。

 環境保護は、大抵の場合情緒的に行なわれているが、本来ならば一番情緒的に行なってはいけないものだと考える。
 我々は既に増えすぎた。情緒的に問題が解決できるレベルはとっくの昔に通り過ぎているのである。理性によるコントロールを外れた環境保護運動は、単なる宗教活動に過ぎない。やってる連中以外には百害あって一利無しである。
 全ての場面において、本当に自分が何をしたいのか、全員がきちんと考えて行動すべき時代になっているのだ。相手の言葉に耳を傾けることは重要だが、相手が何を考えてその言葉を発しているのかを推測することはもっと重要である。
 我々は、既に素朴さとは縁を切ってしまった。素朴で居たいのなら、どこか他所で完全な自給自足の生活でもやってくれ。
 考えたくないやつは考えなくても良い。ただし、後から文句を言うのは無しだ。文句が言いたいなら今考えろ。

 樹川さとみ「楽園の魔女たち〜まちがいだらけの一週間〜」[bk1で購入]読了。
 前巻が重い内容だったカウンターウエイトのつもりか、インターミッション的な軽い内容。ネタとして一つのエピソードになりそうなものを適当に放り込んである感じがして、なんか勿体ない感がある。
 それにしても、軽く読める本って素晴らしい!


2001/06/29

 洗濯をする、家賃を振り込む、日経サイエンス8月号を買うなど、毎月のルーティーンをこなす。

 旧大宮市立図書館を利用してみる。
 開架式で貸し出し可能な蔵書は、実はジュンク堂の方が本が多いのではないかと思う程度であったが、資料として探している本は幸いなことに見つかったので、良しとする。
 貸し出し手続きがあっという間に終わったのは好印象。とはいえ、公立の図書館を利用するのは実に中学時代以来なので、今時はこんなものなのかもしれない。
 同じ市内(すなわち、さいたま市内)の図書館になら、どこに返却しても良い、と言われたのはちょっとびっくり。たぶん、家からはここが一番近いと思われるので、返すのはここになるだろう。
 閲覧室があったので、利用してみようかと思ったのだが、平日にも関わらず満席とのことで諦める。ノートPCを持ち込んでの作業が可能かどうかくらいは聞いておけばよかったと後で後悔する。

 デイヴィッド・コノリー「天使の博物誌」(三公社)[bk1で購入]読了。
 主にキリスト教を中心にした、西洋の天使信仰に関する入門書。
 入門書だけあって内容は軽いが、その分読み易い。
 天使を全肯定する立場から書かれた本なので、平均的日本人の目から見ると、なんというか、無邪気すぎるような気もするのだが、天使と呼ばれる存在が、欧米の人々にとってどのような位置にあるのかを知るためには良い本だと思う。


2001/06/30

 P.L.ウィルソン「イメージの博物誌31 天使 神々の使者」(平凡社)[bk1で購入]読了。
 イメージの博物誌シリーズは、オカルティックな主題を、図像をメインに据えて紹介しているものである。その手の人には有名なシリーズだと思う。
 これは、タイトルの通り「天使」について、宗教にとらわれずに、様々なイメージを紹介している。ちょっと宗教的に節操がない感じがするのと、章ごとにばらばらな話題を取り上げていて一冊の本としては今一つまとまりを感じられない点がマイナス点か。
 それなりに知識がある人は初歩的すぎて楽しめないかもしれないし、あまり知識のない人は一貫したテーマがないので混乱するかもしれない。

 午後になって、ホームパーティーに招かれた(名目はとりあえず秘密としておく)ので、調布の友人宅へ。
 昨日はあまりよく眠れなかったので、眠い。行きの電車内ではもっぱら居眠り。
 途中、十条などで雨が降っていたが、調布到着時には曇り。しかしながら、友人宅までの行程の途中で雨がぱらついてくる。それほど濡れずに済んだが、無駄に走ることになった。たまには運動をせよとの天からのメッセージか。
 夕食兼パーティー後、ガンダムバトルオンラインなどを見せプレイ。期待していた程度には面白い。ネットワーク対戦時にどう処理されるのかが不明な点もあるものの、これは期待できそう。
 しかし、やり込んでいる人との対戦は辛そうで、とりあえずはオフラインプレイのミッションを全てこなしてから、ということになりそうではある。
 就寝は0:00前後。なんて健康的な!


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