映画「パールハーバーに対する、在米日本人俳優の意見」。
産経系の雑誌への投稿だから、そういうバイアスが掛かっていることは承知した上で読まなければならない。しかし、文章自体には装飾の気配はあまり感じられない。
米国社会に差別がないなんてことは有り得ない。日本社会にもどこの社会にもある筈だ。それを助長する動きも、抑制する動きも、当然あるだろう。ただ米国社会においては、金のある奴の声が大きくなる傾向にある、ということはある。
ディズニーが日本を敵視する可能性は充分有り得る。エンタテイメント市場を奪い合うライバルとして、全体としての日本の影響力は敵視するのに十分なだけ大きくなっていると思う。
私自身は、ニューズウィーク日本版の記事を読んで、観に行く気はほとんど失せていたのだが、この文章を読むことでよりいっそう、観に行く気が失せた。
ディズニーとブエナビスタ・ジャパンが、日本市場向けでは台詞と字幕の不統一を行なっていたり、宣伝文句があからさまに変えていたりする理由は、商業的にはすぐに判る。日本市場に日本人を悪役にした映画を売り込んで、売れるはずがないと考えるのは正しい判断だと思う。正しいことと消費者に対して誠実なことは必ずしもイコールではない。誠実なのは市場に向いてない製品は売らない、という態度だと思うが、それは営業としてはちっとも正しくないだろう。北極圏の住民にクーラーを売りつけるのが正しい営業の姿なのだから。
だから、問題はやはり受け取る側の我々に委ねられているのだ。無邪気に受け入れるのもいいだろう。憤りの声を上げるのもいいだろう。ただ、複数ソースからの情報を仕入れた上で自分で考えることだけが必要なのだ。
「新しい歴史教科書」に関する韓国、中国の動きの報道が喧しいが、他の東南アジア諸国の動きはどうなってるのか。
韓国や中国は、とりあえずふっかけとけばいい、という外交姿勢が見え見えなので、今さらなにを言ってこようが、好きなように言わせておけばいいのである。あれは単なる向こうの外交カードの一つに過ぎない。
復刊ドットコムから相互リンク依頼のメールが来る。
「蓬莱学園の革命!」に関して、蓬莱関係のページを検索して、そこのオーナに送っているようである。
既にこの「世迷い言」は登録してあるのだが、ここは単なる一コーナであって、ホームページ自体は相互リンクされていないという判断をしたか。所謂リンクのページであるLoad to Xanaduに登録されていないからメールを出してきたのか。そんなに詳しいページ閲覧をしていたらいくら時間があっても足りないと思われるので、トップページか検索に引っかかったページを眺めた程度で送っていると思われるが。
それはともかくとして、私にメールが来たのは私が変則的な相互リンク方法を取っているからであって、復刊ドットコムのスタッフがきちんと取り組んでいることの証左には間違いがない。50票程度集まると、こういうことをするのであろう。こんなに人員を割いて、どこで儲けているのだろうか?
五代富文・中野不二男「ロケット開発「失敗の条件」技術と組織の未来像」(ベスト新書)[bk1で購入]読了。
プロジェクトXのLE-7引き上げの回や、H-IIロケット開発の回で感動した人間なら読んでおくべき本。
科学技術関連の予算に嘴を突っ込もうと思っている政治家も読んでおくべき本である(そんな人間がここを読んでいる可能性は全くないと思われるが)。
内容のほとんどは、対談形式で進むので、それなりの予備知識を持っている場合は、すいすい読める。宇宙開発というプロジェクトの性質が良く判るので、日本のマスコミの宇宙開発関連の報道が如何に偏っている(もしくは理解しないでやっている)かがすぐに判るだろう。
途中、何度もその辺りの愚痴が話題に上るのには少し閉口したが、それ以外にはさして欠点が見つからない良書である。
宇宙開発に関しては、米国が決して友好国ではないということも判る。
H-II8号機のLE-7が不調を起こした原因であるキャビテーションに関しては、少々説明足らずなところがあるように思える。日経サイエンス2001年8月号「謎の超音速魚雷」という記事に、キャビテーションに関するもう少し詳しい説明があるので、それを平行して読むと良いだろう。
我々国民の見えないところ(もしくは見えにくいところ)で官僚が全てを制御している、現代日本の構造の問題点について判るという点においても良書である。文句なくお勧め。
三菱東京フィナンシャルグループのCM。
年金の運用を三菱東京フィナンシャルグループでやっているとしたら、そこの株を買うのは絶対間違っていると思うのだがどうか。博打を勧めているのか?
2008年のオリンピック開催地が北京に決まったらしい。
ニュース映像を見ていると、北京の群衆の中に、ピカチュウの形をした風船を持っている人がいたように見えたのだが(全体が黄色で、先が黒くなっている耳が飛び出ているように見えた)、あれは一体何だったのだろうか。
大阪に誘致しようとしていた人々は、長野の惨状に関してはどういう見解を持っているのかちょっと聞いてみたい。
このページを見てから、ヘッダにocn.ne.jpが含まれているメールは受信時にごみ箱行きにするように設定したのだが、それ以降、見事なまでにSPAMとウイルスメールしか来ていないのが笑える(面白いのでいちいち確認しているのだ。ちなみに、ヘッダにAchi-kochi Mailという文字列が含まれている場合にもごみ箱行きにしてある。作者の方には申し訳ないことだが)。フレッツISDNなので、データ転送量のことは気にしていない(実際には余計に電力を食ってるので、こちらが一方的に損をしている構造は変わらないのだが)。
OCNユーザの人は、OCNがネットワーク的に切り放されてしまう前に他のプロバイダに乗り換えておくことをお勧めする。
復刊ドットコムで、D&Dエンサイクロペディアの投票数が100に達したそうである(100票で復刊交渉開始となるのである)。
ヘタレとはいえ映画も公開されることだし、復刊が実現することを強く願うものである。
欧州共同体が商業ベースの衛星打ち上げサービスとして提供しているアリアンVによる、日本のデジタル衛星放送のバックアップ用衛星(BSAT-2b)の打ち上げが失敗した模様。
状況としては、第二段の推力、燃焼時間ともに予定よりも少ない状態で終了してしまった、というもの。要するに、打ち上がりはしたが、予定の軌道には乗せられなかった(予定の軌道よりもかなり低い軌道に留まってしまった)、ということである。衛星に搭載されたロケットモータによるリカバリを試みるようだが、リカバリはほとんど無理と言っても間違いはないだろう。
放送衛星は、静止軌道になければ意味を成さないので(短い周期で受信できたり受信できなかったりする放送が役に立ちますか?)、科学実験衛星に比べると状況としては深刻である(科学実験衛星は、軌道に上がってさえしまえば、予定していた実験のほとんどをこなすことが可能である。つまり、スケジュールに狂いが出ることはあっても、結果に差が出てしまうことは少ない。単体運用の場合に限られるが)。今回の衛星はバックアップ用であることと、当然保険に加入していることで、直接デジタル衛星放送のサービス提供状況に影響を及ぼす可能性は低い。
アリアンVの第二段は、技術的には枯れたものであるというのが一般的(ここの一般は業界一般であって、世間一般ではない)見解だったのだが(なにせ、燃料と酸化剤は常温で保存可能で、混ぜると勝手に燃えるのだ。H-IIの液酸液水エンジンLE-7およびLE-5とは技術的難易度が天と地ほども違う)、それでもこのようなトラブルは起こり得るのだな、というのがとりあえずの感想。よくもまあ、商業ベースの衛星サービスが成り立っているものだ。
詳しくは、こちら。
F1イギリスGP予選。
マクラーレンは予選では良い感じになってきた。今回はウィリアムズがあまり速くなかったので、余計にそう見える。
しかしながら、M.シューマッハは余裕の走りでPP。決勝はM.シューマッハが得意とするウェットコンディションだというし、プロストの通算51勝に大手か。
ジャガーは決勝では結構良い走りを見せるのに、予選では相変わらず。地元なんだからもうちょっと頑張って欲しいところではある。
「アルジェントソーマ」は、ネタ的には使い古されたものだが、最後まで破綻していないという点では評価できると思う。いや、素直に面白いと言って構わないんじゃないだろうか。
ユーリに関する謎解きは前半で終わらせて、ユーリが巻き込まれてしまった現象に関して突っ込んで行くというのがSF的には正しい道筋のような気もしないでもないが、アニメ的に正しくやるのはとても難しいだろう。「ガサラキ」が失敗作だったことを考え合わせると、敢えてストーリーを一つに絞ってしまったことは正しい判断だったのだと思う。
「地球少女アルジュナ」に関しては、突っ込みどころしかないアニメっつーかなんというか。
高校生の時に、年表というものが大嫌いだった私は受験科目として地理を選択した。んが、地理の担当教師は非常に教育熱心な人で、授業中にNHKスペシャル「人間は何を食べてきたか」などを見せるなどをしてくれた。おかげで共通一次試験(歳がばれるね)の試験範囲が授業時間と補講時間(という制度が私の通っていた高校にはあったのである。一科目500円くらい払って、放課後も授業を受けるのだ)を足しても終わらず、しかもしっかり試験にその箇所が出題されたという思い出も残っている。当時は恨んだものだが(生来の怠け者である私は、自習などというものにはまるで身が入らないのであった。当時の私にとっての勉強は、強制されなければしないものだった)、私の知識というものの態度に関して多大な影響を与えてくれた人だと思う。
話が逸れた。何の話がしたかったかといえば、「人間は何を食べてきたか」という番組の話である。
ドイツを取材した回では、ドイツの畜産農家を、育てた豚を屠殺し、解体し、ソーセージを作る過程をつぶさに記録していた。今まで生きて動いていた哺乳動物(これが同じ脊椎動物であっても、魚類だったりすれば、全然話が変わってくる。我々は、やはり自分に近いものに思い入れをするものなのだ)が、人の手によって動かなくなり、血を流し、解体されていく場面は、全くショックではなかったといえば嘘になる程度のインパクトは私に与えた。しかしながら、私は肉は好きだったし、肉を食べることを止める気は毛頭なかった。人間が生きていくということは、そういうことなのだ、という割り切りをすることにした。人間に留まらず、動物というものは遍く全てそういうものなのだと。
農家の人にとっては、当たり前過ぎてわざわざ書くようなことではないかもしれない。そう、そんな当たり前のことを、ハンバーガーを通じてことさら情緒的に(マイナスイメージで)描写するのは、視聴者を馬鹿にした態度である。
作中で登場人物が口にする、世界に食えない人間がいることと、我々が肉を食うことの直接的相関はないと言っても過言ではない。食えない人間がいるのは政治の問題である。まともに生産活動が行なわれていないから食えないのだ。そこに余剰食料を送ったとして、まともな配分は全く期待できない。それを我々の食生活にのみ結びつけるのは、単なるセンチメンタリズム以外のなにものでもない。そのような態度は、問題の本質をぼやかしてしまう結果しかもたらさない。むしろ有害だ。
自然農に関して。
私の母親の趣味は園芸である。そして、私の実家の周辺は、単なる野原であった期間がかなりあった。だから、植物に対して昆虫がどのような振舞いをするものなのか、普通の人よりは実体験を多くしている。一夜にして新芽を全て食い尽くすとか、それくらいのことは昆虫は当たり前にする。昆虫にとっても、柔らかくて新鮮なものの方が美味いのは当然である。水は低きに流れる。それは自然の摂理である。
自然農は、それはそれでメリットのあるものなのかもしれないが、少々行きすぎている感のある現状の農業の過激な反動に過ぎない。農薬も化学肥料もなかった江戸時代に飢饉が何度も起きていることを故意に無視しているように見える。明治に入ってからも東北地方では深刻な飢饉があったのだ。自然農だけでは、現在の日本の人口は絶対に支えられない。劇中で描写されていた、自然農とやらを実践しているじいさんの使っていた田畑の面積が、明らかに一人分の収穫を得るためには広すぎることに気づいた人はどれくらいいただろう。国民一人当たりにあの面積が必要だとしたら、日本の面積で支えられる人口はどれくらいだろうか。
最終回近くに現れた石油分解バクテリアによる災害描写に関して。
あのバクテリアが一体何を分解するのか、劇中の描写ではさっぱり判らないのだが、たぶん重合体を分解するのだろう。なぜならば、容器は分解しても中身の薬品は分解していないという描写があるからである。どちらも石油製品であるが、容器しか分解しないらしい。だとすれば、ガソリンや軽油は分解されないし、世の中の石油化学工業の成果である物質のうち、容器や被覆や接着剤や塗料以外のものはほとんど分解されないだろう。こんなのは、高校の化学レベルの話である。ついでに言うと、このような作用の細菌に石油分解バクテリアなどという名称を付けるのは間違っている。実際に存在する石油分解バクテリアは、文字どおり、石油そのものを分解するバクテリアなのである。タンカー事故などで、原油によって汚染された環境を浄化するために使われているものだ。まだプラスチック分解バクテリアと称する方が正しい。
だとすれば、缶詰は表面の塗料以外には影響を受けない。瓶詰めもそうである。電力線は致命的な打撃を受けるだろうが(何かと接触する箇所に使われている碍子は分解されないのだから、雨が降らなければ大丈夫かもしれない。電車の送電線には被覆がないのにきちんと動作し続けていることを考慮に入れれば、それほど致命的影響があるとも思えない)、建造物が影響を受けることはあまりないだろう(外装や内装は駄目になってしまうだろうが)。
要するに、石油分解バクテリア(?)の影響で、あのような災害的事態にはなりようがない筈だ。飲み物や食べ物に困るなどという事態には、相当の期間を経過しなければならない筈だし(瓶詰めや缶詰の飲食物が市場在庫としてどれだけあるか、考えてみればすぐに判る。缶ジュース、缶コーヒーは、缶詰である)、医薬品も、市販薬に関しては大抵が瓶詰めであるし、中身が重合体であるということは、市販品、医療品の両方に渡ってほとんどない。だから、薬がなくて困るなどという事態にもならない筈である。生活に必要不可欠なもので重大な影響を受けるのは、自動車くらいか。生産ラインも一部は影響を受けるかもしれない。
我々の生活が石油化学工業の成果によって支えられていることは確かだが、生活必需品に関しては、大量生産されて使い捨てされるような容器にかなり偏っている。だからこそゴミ問題などが起きるのだ。物語の最後の〆に持ってくる重要な場面が、こんな説得力の感じられないもので良いのだろうか? 日本を閉鎖しなければならない理由もほとんどない。
その後に関しては、只のナウシカの劣化コピーなので、言及する必要性も感じられない。
結論。どうせ吐くんだったら、もっとマシな嘘を吐きなさい。
黒田洋介「ぷにぷに☆ぽえみぃ〜小林伝説〜」(角川スニーカー文庫)[bk1で購入]読了。
毒文章小説だという風評を聞いたので、買ってみたもの。
まー確かに毒文章かもしれない。でもこれじゃあ日本で2番目だ。毒文章度が途中で失速してるし。
「なにっ? じゃあ一番は誰だっ!」
「(口笛) ちっちっちっちっ、この俺さ」
F1イギリスGP。
スタート直後、1コーナでクルサードとトゥルーリがクラッシュ。トゥルーリはそのままリタイアしたが、クルサードも2周回ほどですぐにリタイア。
チャンピオンシップ的にはぐっと楽になったM.シューマッハだが、今日のフェラーリはマシンセッティングがいまいちのようで、ようやく復活なったハッキネンはとても押さえられない。まるで道を譲るような形でハッキネンにトップを譲る。
予選ではパッとしなかったウィリアムズが、決勝ではしっかりセッティングを決めてきて、スタートでジャンプアップ、モントーヤがM.シューマッハを脅かす。
しかし、ピット作業のもた付きや、バリチェロが絶妙に押さえることで、M.シューマッハの2位は確実になる。バリチェロはスタートのもた付き加減から、かなりの量のガソリンを積んでいたようで、41周目でのピットイン。こんな状態でもしっかり3位表彰台に上がるのはすごい。
後半、R.シューマッハが途中でマシンを止め、リタイア。ウィリアムズは速いマシンを作るのだけど、どちらか片方が必ずリタイアしているのではないだろうか。
優勝は余裕でハッキネン。ようやくマクラーレンがまともになったか。2位M.シューマッハ。51勝はドイツGPまでおあずけ。
心がわくわくする日って素晴らしい。
きっと明日はApple株も大幅伸だ。希望だけを胸に生きていこう。
教科書問題について、色々調べてみた。
これまで私が無知でいたいろいろなことが判った。例えば、検定規定に「近隣諸国条項」なるものが含まれていて、韓国の抗議はそれを背景にしたものであること。
「近隣諸国条項」は、マスコミの誤報によって始まった外交問題を場当たり的に解決するために導入されたものであること。
京都議定書に関してもそうなのだが、ここ最近の日本に起きている問題は、これまでの先送り体質のツケが一気に回ってきている状態なのではないか。
「近隣諸国条項」は、どう考えても思想信条と言論の自由を背景にした、検閲を禁じた日本国憲法違反の内容である。とりあえずの追及の矛先(しかもそれは誤った情報を元にしてなされていたのだ!)を躱すためにこのような条項を盛り込んでしまうような政府を、私は信用することができない。
その後、外務省が教科書検定に色々口を出していた、という情報を得るに当たり、外務省は国賊の集団であるという意識をより強くした。外務省は直ちに解体し、全く新規の人員でやり直すべきである。個々の外務省職員にそのような意識はたぶんない。彼らは彼らとして良かれと思ったことを全力で(手を抜いている可能性もあるが)遂行しているに違いない。組織としての意識がおかしくなってしまっているのだ。これを正すには、完全な解体と完全な新規構築しかない。職員には気の毒かもしれないが、公務員というのは国のために奉仕することを選択した人間なのだ。組織として国のためにならないことをしている場合には、組織ごと切り放されても致し方ない(変な活動を行なっていたお蔭で潰れてしまった会社の従業員と、扱いの差を付ける必要性は、私には感じられない)。組織が自己浄化作用を自らの中に組み込んでいるならば、こんなことをせずに済むのだが。
話が逸れた。先送りしてきたことのツケの話だった。
先送りを繰り返すことが、どんなにまずい状況を生み出すかは、不良債権問題で充分判っていることだ。つまり、全ての問題に対して、今回は先送りの解決は絶対にするべきではない。日本政府は、自らの立場を明確にし、その立場から導き出された結論を早急に世界(と日本国民)に対して示さなければならない。
それは参議院選挙の前に行なうべきことであるのは当然である。参議院選挙が終わるまでは何をするのか不明確なままにしておく、という行動は、民主主義をないがしろにした行為である。これまでの自民党が、国民の審を問うたことなど実はほとんどないのである。
色々調べてみて感じたのは、日本の右翼も左翼も言っていることはどこかしら「変」だということ。例えば、産経新聞も、朝日新聞も、言っていることはどっちもどこかしら変である(朝日のここ10年の壊れっぷりは目に余るものがあるが、トンデモ観測者としては面白くて仕方がない)。
これらの言論に対して、逆側からしか突っ込みが入らないのは、明らかな知の退廃である(逆側から突っ込みを入れるのは、知的活動ではなく、感情的活動である可能性がある)。戦後の日本の教育者(親も同罪)は、一体何をやってきたのか? こんな状況では民主主義がまともに機能する筈もない。
どちらも圧倒的な支持を受けていない、という点に関しては、多少の安心材料ではあるが、隠れ支持という可能性はあるので、大きな声でどんどん変なところに突っ込みを入れていく必要性はある。