毎月1日は映画が1000円の日(ただし、日曜は除く)。
というわけで、それほど遠いわけではないワーナーマイカルに「千と千尋の神隠し」を観に行くことにする。
今日は大宮市街で祭りをやっているので、そっちに人が流れて多少は観客も減るだろうとの計算もあった。
んが、20:50開始のレイトショウ以外は全部売り切れ。ワーナーマイカルは完全入れ替え制で立見は作らない方針なので、実質指定席なのである。
しょうがないので、本屋をぶらついたり、早めの夕食を摂ったりして、二時間ほど時間を潰す。ゲームをやり込んだり、ネットワークを逍遥したり、座って本を読む以外の方法で時間を潰すのが如何に難しいか(というより私がそれ以外の方法で時間を潰すのが下手なんだろう)ということを思い知る。
途中で「すいんぐあずまんが2」を発見し、400円の投資で「榊さん」を入手できたのはよし。今日は良い日だ。
ワーナーマイカルは、完全に階段状の客席で、前の奴の座高が2mでもない限りは誰かの後の席になったとしても全く気にならない。後から数えた方が早いような席だったが、ちっとも気にならなかった。これからは他の映画館の粗ばかり見えてしまいそうな恐ろしい施設だ。ついでにレイトショウは1200円だという情報も入手し、これだと映画をバリバリ観てしまっても良いかも、と思わせてしまう。
「千と千尋の神隠し」は、ところどころ、これまでの宮崎アニメで登場したモチーフが再登場していて、ちょっと考えさせられる部分もあったが、そういう部分を込みにしても良い映画だと思う。
でもまだまだCGIとその他の部分の違和感はある。今回は動画に関してはデジタルで作業したらしいが(日テレのメイキングが嘘でなければ、原画はバリバリの手描きだった)、それでも埋まらないというのは、どちらかからの歩み寄りがさらに必要なのだろう。そういう違和感の部分を解消した映像という点では、映画版ファイナルファンタジーにはちょっと期待しているのだ。
ストーリーに関しては、ラピュタの変奏曲と言ってしまうと言いすぎなのだろうか。まぁ冒険映画であることは確かだ。
主人公がしっかりし過ぎているような気がするのだけど、これは私が子供の頃にちっともしっかりしてなかっただけなんだろう。今から思うに、10歳の頃なんて、何もできないし、何かをしようとも思っていなかったと思う(本だけは学校の横にあった図書館を使って山ほど読んでいたが)。たぶんあのような状況に置かれたら、なす術もなく死んでいる。きっと今でも死ぬだろう。
日が落ちてから、小雨がぱらぱら。
祭りだというのにツイてないね。私は基本的には人混みが嫌いなので行かないからいいんだけど。
私が、この世でもっとも危険な団体だと考える団体は「目的のためなら手段を選ばない」団体である。
え? そんなの当たり前だって? 日本にそんな団体はオ○ムくらいしかないだろって?(伏せ字にしてしまうところが弱気。新しい名称って、私がファンタジー系のCRPGをやるときに主人公に付ける名前と同じなんだよな。嫌だなぁ)
そんなことは全然ない。自分達の主張が正しいと信じて疑わなければ、結構なんでもやる団体は沢山ある。例えば「子どもと教科書全国ネット21」という団体は、内容の秘密が保たれる筈の検定前の教科書のコピーを販売していたという実績がある。なに? 程度問題?
程度で法律違反が見逃されるような場所は、法治国家とは呼ばないのである。
自分達の主張が正しくて、その主張を通すためなら違法行為を厭わないと思うようになってしまえば、そこから先の防波堤は何もない、と言ってしまうのは言い過ぎかもしれないが、心理的障壁はぐっと低くなるだろう。
だから、言ってる内容に関わらず、私はそういう傾向を持つ団体の言うことは聞かないことにしている。大概の右翼団体も然り。
なぜならば、連中にいったん肩入れしてしまって、違法行為が当たり前のことになってしまった後に、自分が連中の敵だと見做されない、などということは保証されないからである(いくら私が年表が嫌いだからといっても、過去の事件を全く覚えてない訳ではないのだ。過去にこんな事例はいくらでも転がっている)。
というわけで、高橋保行「ギリシャ正教」(講談社学術文庫)[bk1で購入]読了。
あー、しんどかった。つまらなかったわけではないのだが、はかどらない読書であった。
正教というと「ロシアの国教だった」とかそれくらいの知識しかなかったのだが、(本当かどうかは確認していないが)色々なことが判って面白かった。
そうか、御茶ノ水のニコライ堂って正教の施設だったのか(日本には正教なんか入ってきていないと思っていた)。キリル文字はギリシャ正教のキリルという名前の主教が伝道のためにギリシャ文字を元にして作ったものだったのか。カソリックはローマ帝国から西方の蛮族の中に取り残されてしまった(元は正教の主教区だった)ローマが蛮族の中で生き残っていくために生み出したものだったのか。イコンは絵で表された聖書なのか。へー。
私は、カソリックが持っている一種の押しつけがましさが大嫌いなのだが、この本で紹介されている正教からは、その押しつけがましさの匂いはあまり感じられない。
ただ、人間中心主義の一神教であることに変わりはないので、その思想は、一般的日本人にはあまり受け入れられるものではないような気がする。これは、他のキリスト教やイスラム教、ユダヤ教でも同じことなのだが。
この本には、人間の堕落を死に直結し、堕落からの解放は不死性の獲得につながる、などと書いてあるのだが、それが正教の一般的教義なのかどうかはともかくとして、不死性ってそんなに欲しいものだろうか? 仏教とはあまりにもかけ離れたこの前提は、一体どこから来るものなのだろうか。
それ以前に、私は、キリスト教に於ける不死というのは、所謂「最後の審判」の時に叶えられるものであるという認識でいたのだが、この本では終末思想に関しては意図的に触れていない、と書かれていて、不死がどのように獲得されるのかについての説明も一切ない。
あとがきで、そのことは同著者の「日曜日」(南窓社)という本に書いてあるから読んでね、とか書いてあって「うーん、この商売上手」とか思ってしまうのだが、bk1でこの本は見つからない。……絶版?
それはともかくとして、不死を獲得した聖人というものがいないように見える以上、上の前提が正しいとする。その上で、キリストと同じ人生を生きて不死性を獲得したとして、それが発揮されるのが最後の審判の時って、嬉しいか?
おー、なんてこったい、OURS本誌9月号を買うのをすっかり忘れてたよ。
というわけで街中へ。例によって色々買い込む。かねこしんや画集がいつの間にか出ていたので買う。
一部で「ライジングザン」−ギャグという評判のあるPS2用ソフト「Devil May Cry」のCMがなかなか洒落が利いててよろしい。
別に買う気なんかなかったんだけど、ちょっと気になるソフトに昇格。
荒井章三「ユダヤ教の誕生 「一神教」成立の謎」(講談社選書メチエ)[bk1で購入]読了。
昨日読み終わった「ギリシャ正教」ではよく判らなかった、一神教の思想背景を知りたいと思って買ってみた本。
んが、一神教の成立に関する記述は、「ゾロアスター教の影響」と、「国家宗教として、封建君主制を支えるのに便利」という二点しかない。これはタイトルに偽りあり、なんでないか。ゾロアスター教について知らないと、ほとんど何も説明していないのと同じである(私はゾロアスター教についてほとんど何も知らない)。
後者の理由では他国の侵略によって国家が崩壊した後も一神教としてあり続けた理由がよく判らないし、なにより、一神教としての性格が強く打ち出されたのは、バビロニアによる虜囚生活の最中だと書いてあるのだから、矛盾している。
ちなみに、ユダヤ教の成立過程に関しては、ちゃんと解説してある。だから正確には「サブタイトルに偽りあり」になる。
教徒によるテキストではないので、研究書としてすいすい読めるのはありがたかったが、疑問はちっとも解消しない。もしかして、理屈では判らないところに答がある、ということなのだろうか。
恩田陸「上と外 6 みんなの国」(幻冬社文庫)[bk1で購入]読了。
一年間に渡って、広げた風呂敷をまとめる巻。
前巻を読み終わった時に「あと一冊しかないのにこんな大風呂敷を広げてしまってちゃんと畳めるのか」と書いたような気がするが、畳んでないこともない、くらいか。
それでも、充分面白いのはとても不思議。こういうのは食い足りないくらいに書くのが良いのだろうか。
中野不二男「ニュースの裏には「科学」がいっぱい」(文春文庫)[bk1で購入]読了。
日本の科学関連報道の問題点を指摘した本。報道関係者の無知も問題だが、日本の科学者が無口過ぎるという問題点も指摘している。
三年前の本の文庫本化なので、多少、扱っている話題が古目だが、指摘されている問題点に関しては今でも全く変わっていないと言っても良い(それってダメってことじゃん)。文章もこなれていて読み易く、科学知識の有無を前提に置いていないので、この国が技術立国だと思っている人なら読んでおいた方がなにかと良いと思われる。
この本で指摘されている問題点の解消に、ベストセラー作家である瀬名秀明氏が科学ジャーナリストとして活動することは、非常に役に立つのではないかと思われる。あ、でも実際にはあんまり読まれてないんだっけ。うーむ。1500万円を本当に使うなら、とりあえず自分の科学ノンフィクションの宣伝に使うのが良いのではないだろうか。
私もノンフィクションが面白くなってきたのは、社会に出て、ヌルいなりにも揉まれることで、現実世界に対する疑問が湧いてきてからで(最近宗教関係の本を読みまくってるのは「資料として」なのでちょっと違う。この本は息抜きとして読んだんだけど)、昔はエンタテインメントとしての読書しか認めない、とか思って娯楽小説しか読んでいなかったのを思い出す。
ちなみに、一冊の本を読んだからといって疑問点が解消するなんてことは全然なくて、むしろ増える一方なので、最初に面白いと感じた分野以外は止めておいた方が無難かもしれない。
面白いと思った分野の勉強は、非常に面白い。なんで世の中の大抵の人が勉強は嫌いだとか言ってるのかといえば、興味のない分野を強制的にやらされているからである。初等教育における、学問へのモチベーションの惹起というのは、非常に重要な項目だと思う。解決案は持ってないが。
こういう問題は、学士論文の発表で突っ込まれたりしたので(CAIの研究だった。実際にやっていたことの大半は、これまで卒業生たちが残していったPrologコードのデバッグだが)、多少は興味があるのである。
興味があるとはいえ、もう私は自転車に乗れる=ノンフィクションを面白いと思う人間なので、自転車が乗れない人達に乗り方をどうやって教えればいいのか、さっぱり判らない。「とにかくやってみろ」という、体育会系的な精神論に陥ってしまうのだ。こういう思考停止は良くない。良くないとは思うが、今はちょっと打開の糸口も見えない状態である。とりあえずペンディング。
書き忘れていましたが、本日より夏コミ戦時体制(笑)に入りますので、毎日の更新はできなくなります。少なくとも今夜の更新はありません。
緊急連絡(なんてものはないと思われるが)はPHSにお願いします。留守電サービスには入ってるので、つながらなくとも半日程度のタイムラグで連絡がつくと思われます。
8/13追記。
昼食を食べた後、ぼーっとしていたら15:00を回ってしまったので、慌てて支度して調布へ。
毎年恒例の、コミケ前の泊まり込みである。時間的には大宮の方がビックサイトには近いのだが、現地で待ち合わせをするよりも最初からまとまっていた方が何かと都合が良いので、こういうことになっている。前日まで編集&製本をやっていた時代の名残と言えるかもしれない(私の部屋は床が板張りで布団を納めておくスペースもないので、誰かが泊まるのにはかなり無理があるのである)。
飲んべがいるので、夕食は必然的に飲み会の様相を呈する。今日は新しく開店した「創作料理」の店だったが、同じ値段を出すなら安楽亭で焼き肉を食った方が精神的充実感はあるかな。貧乏人根性というのは、子供の頃に染み付いて一生抜けないものなのだ。
売る側としての準備は、本作りは既に終わっていて、後は同人慣れした友人の奥方がやってくれるので、とくにする必要がない。
まだチェックしていなかったカタログのチェックをとりあえず二日分だけやり、風呂に入ってから寝る。