台風11号は本当に足が遅い。
上陸したら偏西風に乗って、足早に通り過ぎるのが台風のパターンだと思っていたのだが、これはそのパターンにはどうやら乗っていないようだ。
上遠野浩平「私は虚夢を月に聴く」(徳間デュアル文庫)[bk1で購入]読了。
徳間デュアル文庫での前作「ぼくらは虚空に夜を視る」[bk1で購入]と同一世界観の続編と言っても構わない作品(世界観だけならば、「冥王と獣のダンス」(電撃文庫)[bk1で購入]も明らかに同一だし、「霧間誠一」という切り口から眺めれば、上遠野浩平の作品は、全て同じ世界観の作品であると言えないこともないのだが)。
体裁としては、一章、一章が独立している短編として読むこともできる。前の章の後半に出てきた人物が次の章でも登場するという体裁の連作短編集としても読める。「虚空牙」と遭遇する前の人類社会に関する断片的な情報がそこかしこで拾えるのはなかなか楽しい。
ところで、冷凍睡眠している人類が観ている仮想の世界が、未来社会ではなく、現代(文字どおりの)である理由はなにか考えてあるのだろうか。とある技術的ブレイクスルーがあったという設定になっているらしいが、虚空牙に遭遇する時点での人類の発展は、現代とはあまりに隔絶している。判りやすく言えば、現代に大がかりな仮想現実空間を作り上げるとして、その時代設定が「明治時代」になっているようなものである。
それが仮想現実だとみんな判っていて、エンタテイメント性のために敢えてそのようにしている訳では絶対にないので、何らかの理由がある筈である。現状において現代という時代が、後々の時代において精密に再現できるほど、きちんとした記録がされているとはあまり思えないので、やはり敢えて現代を選ぶというなにがしかの理由があると思うのである。
最後のシーンを考えると、この世界と現代とはリンクしていない、という可能性も捨てきれないのだけれど。
ちょっと思いついたことのメモ。
エキスパートシステム的な知識データベースの管理エージェントに「知的好奇心」を埋め込むことができれば、所謂「常識」を教え込まなければならない問題は解決するように思える。
知識の欠落をどうやって感知するのか、どこまで欠落の追及を行なった時点で探索を打ち切ることにするか、という問題があることにはすぐに気付いたが、解決方法に関しては棚上げ。
LOFTで、とうとう「ミニビアサーバー」を発見。
これは、ビアサーバーという名称こそついているが、別に二酸化炭素タンクや圧縮空気を用いるわけではなく、缶の注ぎ口に取りつけて、ビール自体を素焼きの陶器の棒に触れさせることで細かな泡を発生させるという代物である。
早速、GUINESSのEXTRA STOUT(泡発生装置が付いていない)で試してみる。
おぉー、確かに普通に注いだ時とは比べ物にならない細かい泡ができる。というか、一杯目はほとんど泡になってしまった。これはやはり350ml以上の容量を持つグラスに、一気に注いでしまうべきものらしい。
しょうがないからダイエー辺りで買ってくるとするか(このような連鎖買い物現象は、広く一般に観測することができる)。
OS9.2.1アップデータがダウンロードできるようになっていたので、早速落してくる。
一回インストールに失敗する。
不定期(もしくは定期的)に何も入っていないDVDドライブにアクセスするようになる。
いきなりAirMacカードを認識しなくなる(再起動で直った)。
……なんかすごい不安なんだけど、大丈夫なのだろうか?
USBスマートメディアリーダのWindows2k版ドライバがないってのはどういうことだよ?>富士フィルム
そう。私はH-IIAロケットの打ち上げを見学する予定で種子島まで来たのである。打ち上げは既に延期されていたが、まだ正式に打ち上げ日が発表されていないので、最悪28日までここに留まるつもりで。
ありがたいことに、現地での運転手役を引き受ける代わりに旅費を持ってもらった。なんか割が良すぎる気もしないでもない。
射点見学を堪能し、次の目的地である宇宙科学技術館へ。やっぱり道に迷う。なにせ、ある場所からある場所へ移動するためには、ほとんど必ず山道を経由するので、方向感覚が非常に掴みづらいのだ、と言い訳しておこう。
ここの目玉は、N-1の実物大模型(立っている)とH-IIの実物大模型(寝ている)だけかと思っていたら、展示もかなり充実していて、LE-5Aのノズルの中を覗けたりなど、メカフェチには堪らない場所である。LE-7の液体水素を送るターボポンプなども中身が判る形で展示されている。
将来の探査計画の展示もあったが、月探査計画はかなり縮小されたんじゃなかったかと少し心配になる。
ここで、普通の本屋では買えそうにもない「日本最大の宇宙基地」(かごしま文庫11)[bk1で購入]を発見。急ぎ保護する。
ここを回り終えた時点で15:00を回っている。ここの食堂はいっぱいだったので、近所のホテルのレストランを利用しようかと思ったら、既に営業が終了していた。しょうがないので南種子町まで戻って開いている店を探すも、いずこも閉まっている。東京と同じ感覚でいてはいけない。
その道中で、事前に情報を得ていた「ロケットの部材を運搬するために折れ曲がるようになっている信号」を発見。だが迂濶なことにカメラを置いてきてしまった。仕方ないので明日の朝にでも撮ることにする。
ぐるっと町内主要地を一周し、ようやく開いているお好み焼屋を発見。メニューに「ロケット焼」なるものがあったので当然注文する。
食事を終え、「たねがしま赤米館」なる施設に向かう。今度は、南種子町に向かうまでの道にランドマークを見つけておいたので迷わない。
施設自体は小規模なものなのだが、種子島で栽培されている赤米が我々が普段口にしているジャパニカ種でも、いつだったかの米不作騒動の時に大変不評だったタイ米を思い出す(あれはタイの人達に非常に失礼なことをしたと個人的には考えている)インディカ種でもなく、ジャバニカ種であるという展示があり、ジャバニカ種という種類があること自体を知らなかった私は少々驚いた。
館内のビデオで見た赤米関連(とは限らないが)の行事は、何故か顔を布で覆って踊る女の人がいたり、正月に膳の前に座った男たちが稲穂を模してドミノ倒しになったりと、諸星大二郎の世界である。
この辺の米の伝達経路に関しての研究をやっている人は当然いるのだろうけれども、証拠が少なくて大変そうである。私ごときが心配するような話ではないが。
館を出て、赤米栽培の神事に関わっているという宝満神社に足を運ぶ。道を挟んで反対側にあるので、わざわざ車を出すこともないかと思っていたら、結構な登り坂で往生する。ツクツクボーシが喧しい。夏も終わりだ。関東では聴くことのない、クマゼミの声も混じっている。
神社自体は普通の田舎の神社より少しだけ豪華(拝殿の奥に本殿がある)で、今も行事が続いていることを示すように、枯れた雰囲気ではなく派手な丹塗りの建物だった。横手にゲートボール場があったのにはちょっと苦笑。
左右に違う鳥居が並んでいたので何かと思ったら、片方は戦没者慰霊碑でもう片方は何を祭っているのかよく判らない謎の石造りの構造物があるだけだった。もしかすると個人の墓なのだろうか。
赤米館の裏手にも鳥居があって、こっちは西南戦争で西郷方についた兵士の慰霊碑だった。どうもこの辺りは、死者を弔うのに仏教形式よりは神道形式をよく使っているようだ。道のそこかしこに鳥居が建っているので、そんなに神社が多いのかと驚いていたのだが、それらが個人の墓だとすれば合点が行く。
時間が半端なので、これから大きな移動はできない。というわけで、近そうな種子島最南端の門倉岬に向かう。やっぱり迷う。
鉄砲伝来紀功碑を見て、ガジュマルが上に掛かった(当然、気根が垂れてきている)道を抜けて、あと5年くらいで崩れそうな鉄筋コンクリート製の展望台に上がり、一番先にあったのはやはり神社。ここの由来を記した碑の文章が、つぎはぎだらけで文末の言葉遣いも統一できていないというすごいもので、石に彫る前にチェックする奴は居なかったのか、と突っ込みを入れる。
もうそろそろ日が傾いて暗くなりそうな感じになりかけたところで、宇宙ヵ丘公園に到着。やはり道には迷う。なるほど、射場を観るには絶好と言っても良いロケーションである。今来たからといって、別段何があるわけでもないのも確かだが。
ここで「世界人類が平和でありますように」の四カ国語バージョン(普通のは板だが、これは柱になっていて、各面にそれぞれの言語バージョンが書いてある)を初めて見つける。英語とフランス語は分かったのだが、後の一つはなんだったのだろう。ラテン系語族であることは確かなのだが。
いい加減暗くなったので宿へ戻ろうとして、一番楽そうな道を選んだら、工事中でふさがっていた。さんざん迷ったあげくに、すごい遠回りをしてようやく南種子町に辿り着く。なんか迷ってばっかりの一日だったような気がする。
旅館を出て、港のある西之表市にある種子島開発総合センター(鉄砲館)に向かう。
途中で、とても空港に向かっているとは思えない横道にそれて、空港を見物。脇に廃墟(巨大信楽焼狸付き)があったりして、かなりキッチュな雰囲気。いやまあ狙ってやってるわけじゃないんだろうけど。
それはともかく、種子島開発総合センターだが、さすがにここに向かうまでの道では迷わなかった。私はあんまり道を把握していなかったが。
んで、展示は鉄砲だけ観て時間切れになってしまった。なんでこう人殺しの道具ってのは美しく見えるのか。現行のマシンガンなどより、未発達な状態である先込め式銃の方がややもすれば美しいということは、洗練が美しさを産んでいるわけではないと思うのだが。
時間切れで慌ただしくレンタカーにガソリンを補給し(借りた時満タンだったのでやはり満タン返しが普通だろうと判断した)、港に向かう道で方向を間違えて一回ぐるっと廻り、レンタカーを返して水中翼船で鹿児島へ。
鹿児島でも意外と時間がなく、郷土料理の店に入ったら高価いなりに美味い店だったのだが、とりあえず腹に収める程度の量しか食べられなかったので後ろ髪引かれる思いで空港バスを使って空港へ。空港では多少余裕があったのでここでも土産物を物色し、最早全国区のボンタンアメを作っているセイカ食品の製品である「兵六餅」を買い、飛行機に乗り込む。
羽田着は20:50少し前。
疲れが限界に達しているらしく、軽い頭痛を覚えていたので空港で解散として大宮にまっすぐ帰る。
シャワーを浴びて帰還報告をし、ぼーっとしていたら日付が変わってしまったのでコンビニに飯を買いに行き、食って寝る。
恩田陸「MAZE」(双葉社)[bk1で購入]読了。
カバーが掛かっているので、積ん読状態になってそのまま買ったことも忘れ去っていた本。
中東の、人も通わぬ荒野のど真ん中に存在する、切通し一本で外界とつながれた盆地の中にある白い直方体の遺跡。その遺跡に入った人間は消えるらしい。そんな伝説を調査する名目で雇われた臨時安楽椅子探偵。この作品の導入部を簡単に説明するとこんなところだろうか。
一気に読ませるが、なんとなく最後に不満が残る。なんか最近の恩田陸の作品に関して、ずっと同じようなことを言っているような気がする。
SFともミステリともホラーとも違う、どっちつかずな感じが残るのである。何かを期待して読んではいけないのか。雑誌連載ならば、その雑誌のカラーにある程度合致した作品であろうことは了解して読めるのだろうけれども。
今日まで屋久島などを廻り、現地にとどまった猛者が動画を撮ったということなので、それを観るのも楽しみ、楽しみ。
飯を食うのにあまり手間を掛けたくないのと、夜から雨という予報だったので、必然的に(どこがだ?)晩飯は歩いて行ける距離のサイゼリヤに。
隣に座っていた高校生と思しき二人組が、私を挟んだ先の席に座っている女性二人組のことをしきりに気にしていて、こっちをずっと見ている(私を見ているわけではないのだが)ので非常に居心地が悪かった。
こういう時期って自分にはなかったような気がする。珍しいので、視線は全く向けないで子細に観察してしまった。
「20世紀SF 5 1980年代 冬のマーケット」(河出文庫)[bk1で購入]読了。
やっとシリーズに追いついた。6巻が予定どおりに出ていたら、追いつけていなかったのだけど。
80年代というと、ギブスン、スターリングに代表される、サイバーパンク全盛期だと思っていたけれども、この本のチョイスでは必ずしもそうなってはいない。
今まで、ギブスンの長編に挑戦して敗退したこと二回(ニューロマンサーとディファレンスエンジン)。自分にはサイバーパンクは向いていないと思っていたが、この本に収録されているギブスンの作品は、ストリート的表現が鼻につくものの、格段読みにくいものではなかった。
気に入ったのは、グレッグ・ベア「姉妹たち」、ポール・ディ・フィリポ「系統発生」、マーク・スティーグラー「やさしき誘惑」。いまいちだと思ったのは、ジェフ・ライマン「征たれざる国」、コニー・ウィリス「リアルト・ホテルで」といったところか。「リアルト・ホテルで」は、ルーディ・ラッカー「時空の支配者」(新潮文庫)[絶版]くらい露骨にやってくれないと、なにがなんだかよく判らない。
複数ソースのそれぞれ異なった経済学者が、現在の日本の不況の悪玉として、日銀を挙げている。
要するに、もっと量的緩和を進めなければ日本経済は上向かないのに、日銀の速水総裁はインフレが進むことを理由にして、それを拒み続けている、という趣旨の批判である。
インフレが進むと、預貯金者の総資産が目減りする。それは当たり前である。しかしながら、現状で預貯金されている金というのは、経済の循環にほとんど寄与していない。そのような金を守るために経済を停滞させるというのは、完全な倒錯ではないか。
経済が停滞すれば、人生の先に不安が募る。そうなれば、収入を今使わずに預貯金に回す。これは一市民の感情としては当然の帰結である。インフレが進むのであれば、その金が預貯金に回らずに、株などの投資に回る可能性も出てくる。それだけでも、停滞した経済を再び活性化させる材料としてはかなり大きいのではないか。
以前は、日銀は政府のコントロール下にあったと記憶している。バブル崩壊の折だったかに、現在の方式に改められたのである。もし、本当に日銀の施策が誤ったものであるのならば、時限立法で、もう一度日銀を政府の管理下に置くべきではないか。
どうせゼロ金利の時点で、預貯金をしていても減ることはあっても増えることなどないのである。その流れを多少押し進めたからといって、すぐさま生活に困るような人間はいないはずである。
廣中直行「人はなぜハマるのか」(岩波科学ライブラリー)[bk1で購入]読了。
主に薬物依存のメカニズムを中心にして、「ハマる」という状態の機序を説明した本。
これによると、「ハマる」という性質は、脊椎動物であればほとんど全ての種が持っているらしい。また、一番「ハマり易い」のは、その事象が、変化に富んではいるが、平均すれば十分結果が予測できる程度に結果が得られることが必要であるらしい。
「ハマる」メカニズムに寄与しているのは、とても有名なA10神経なんだけれども、ここが興奮したからといって、必ずしも「気持ちよい」訳ではないらしい。むしろ「気持ち良いかも知れない」という期待が高まった場合に興奮し、それが好悪のどちらに振れるかは、人間の場合はかなり状況に依存するものらしい。もし、個人的に嫌悪を感じたとしても、社会的要因によって乗り越えられてしまうことがある。例えば、最初の喫煙などは判り易い例だろう(大抵は最初の喫煙は不快な体験として語られていることが多いが、自分で経験したわけではないので誤解している可能性はある)。
これからの商売は、如何にして消費者を「ハメる」かにかかっているような気がするので、そういう気がする人で商売をする気がある人は読んでおいた方がいいかも知れない。文章はブルーバックス程度の平易さなので、別に心理学やら薬理学やら生物学に詳しくなくとも理解できると思う。
小林めぐみ「道楽貴族オアジズの冒険 殺され女神の箱庭」(富士見ファンタジア文庫)[bk1で購入]読了。
お気楽貴族と苦労性の従者の冒険物語と見せかけておいて実は、という話。
ストーリーの仕掛けは楽しいのだけど、文章が設定を生かしきれていないような気がちょっとするのが残念といえば残念。「ねこのめ」三部作の頃に比べて、文章が堅くなっているような気がするのは気のせいだろうか。
それにしてもタイトル長すぎ。もうちょっとなんとかならなかったのか。
宮部みゆき「R. P. G.」(集英社文庫)[bk1で購入]読了。
ネットワーク上で仮想の家族を持っていた男が殺された事件をめぐるミステリ。
実際に、TRPGもネットワーク上の人間関係も持っている身から見ると、「向こう側」の人の論理で書かれたストーリーに見える。
「得体の知れないことをしている連中がいる」という匂いがするのである。別にそれで小説を書いちゃいかんということではないんだけど、なんかこう、底が浅く見えるというか、そんな印象を持ってしまうのである。一般受けを狙うならその方が良いのかもしれないが。