01年8月中旬の世迷い言


2001/08/11

 コミケ二日目。
 作業の進捗状況によっては参加は諦めようかと思っていたが、チェックしたサークルで欲しいところが幾つかあったので、行くことにする。
 起床は7:30。起床直後のメールチェックで、昨日送ったつもりだったメールがError Returnedになっていたので、慌てて送り返す。
 家を出たのは8:00少し前。ビックサイト到着は9:30を少し回ったところ。昨日流れた「西側の行列は企業ブースに流れるので、サークルを回る場合は東側に並ぶより先に入ることができる」という風説を信じて、西側に並んでみる。西館のサークルの方が、入手したい本がさっさとなくなってしまう可能性が高いので、西側のサークルを入った直後に回るのも理にかなっている。
 列が動かない間に三日目のチェック。雨がぱらついて多少不安になるが、不安以上のものにはならなかった。
 入場は11:30少し過ぎ。昔に比べれば全然早い。西のサークルは原稿を落しているところが半分。でも本にならないからと言って、小説をペーパーで配ってしまうのはサービス精神旺盛すぎなんではないか。>あふなさいと
 というわけで東に向かい、大手の行列に並ぶ。「日本ワルワル同盟」の本以外は順調に入手できる。しかし、開場直後の「限定30」ってなんだよ。一般入場フリーになるまで限定1にすべきだろ。だから開場前にサークルチケットで入場して並び始める人間が後を絶たないのだ。大手の人はその辺のことも考えて欲しい。
 これから三日目の本の編集作業が入るので、重い荷物は行動のネックになると考え、生まれて初めて宅配便の世話になる。……全部で1050円ですか(入れ物込み)。
 会場を出てから三日目のサークルの代表者(ということに一応なっている)のやまいし氏に電話を入れ、これから向かうことを伝える。
 そして、電車に乗って移動、移動、移動、ひたすら移動。ここは本当に東京都ですか? という場所にたどり着く。なんかこう、浦和の駅からちょっと離れた場所の風情である。
 とりあえず、文字原稿(私の担当)の校正と、編集(つっても丁割りくらい)、目次、奥付、裏表紙の作成(環境がMacだとこういう作業は無茶苦茶楽)。やまいし氏は表紙を作成。できた原稿から順次近所の7/11のコピー機でコピー。この7/11のコピー機が優れ物で(Xeroxの製品だった)、速度は速いわ、設定は変えない限り覚えておいてくれるわでとても使い易かった。
 後はひたすら折る。作業人員が限られているので、30が限界か。50は絶対無理(つーか、そんなに売れる筈もない)。
 なんだかんだで作業は23:00ちょい過ぎに完了。なんか、絵担当のやまいし氏が、頻りに感動していたが、世ほどのことがない限りはこれが普通だと思うんだけど。
 雨の中、夕食をためにサイゼリヤへ(びっくりドンキーにしておけばよかったかも)。
 帰ってきて風呂に入って寝る。


2001/08/12

 相変わらず眠りは浅い。でも目標の5:30にはしっかり目を覚まして、すぐに支度を終える。
 会場入りは8:30くらい。昨日の作業の空き時間にチェックは終わっていたので、ブースの設営(というほどのことはやってない)をして、PSIONにデータを移す。
 とりあえず、開場直後に店番をやまいし氏に任せ、出たきり同人。
 でも東456の主要サークルを回り終えたのは11:30以前。この時間で「ワルワル」の本が既に売り切れってのはどういうことだよ。昨日より早いじゃんか。開場直後の冊数制限を1冊もしくは2冊にすることを強く希望する。最初に「限定30」などという間抜けな政策はさっさと止めれ。限定は段々増やしていくのが、広く読者を確保するための方法だろう。そんなに中古同人誌屋に転売されたりオークションに掛けられたりしたいのだろうか。開場前に並び始める馬鹿ども(こやつらの存在が徹夜組の言い訳にもなっているのだ)を駆逐するための消極的対策にもなると思われる。
 ブースに戻り、しばらく店番をしてから、東123を回る。本の売れ行きはまぁまぁ。買って行ってくださった方の中に、三人も「頑張ってくださいね」との声を頂いたのはどういう訳なのだろうか。初参加なんだけどなー。事前の広報も全然やってないんだけどなー。
 それはともかくとして、東は外周をメインで回る。Tear Dropの新刊を逃したのは痛いが、たぶん123を最初に回っていなければ買えなかっただろう。掲示板に書かれていた総集編に期待。
 その他はだいたい希望の本を入手することに成功。いや、コピー本とか出ていたりすると判らんけど。
 もう一度ブースに戻り、やはり少々店番をしてから西館へ。本当に回りたいサークルは1つしかなかったのだが、東から西に向かう流れが完全に停滞していて、偉い目に遭う。
「東京ビックサイトを良くするための提案募集中」などという看板を幾つか見つけたが、一番良くするためには、一度全部ぶっ壊して、メッセと同じ建物を建てることだと思う。少なくともエスカレータにのみ頼る移動方式を見直せ。全部階段にしてもいいから。あと意味不明のオブジェは全部撤廃すること。それだけじゃ「多少使い易くなる」以上の効果は見込めないがな。
 ともかく、西での買い物は無事に済んで、ブースに戻る。店番をするが、いまいち売り上げが伸びない。14:00以降は、他の創作ブースで暇になった人が廻り始めて、新たな需要が生じると読んでいたのだが、甘かったようだ。
 とにかく、最後のお客さんの対応をしている間にコミケ終了。拍手をしてから料金を受け取る。
 売り上げは結局21部。やはり最初から30はちょいと強気過ぎたか。まぁ、内容が古びるようなものでないので、これから売れていくだろう。
 例によって有楽町のニュートーキョーに寄って、打ち上げ。オタク話に花が咲く。
 帰宅までに張り詰めていた精神がぷつりと切れて、立っているのも辛くなる。帰宅してシャワーを浴びて、泥のように寝る。


2001/08/13

 目が覚めたら、身体中が痛くて動けない。所謂筋肉痛というものではなく、限界に達した疲労がそのまま残っている感じ。
 とにかくこの3日間で溜まった洗濯物を片づけ、後はぼーっとして過ごす。

 小泉首相が靖国参拝を今日行なったようで、マスコミはその話題で持ち切りである。
 だから中国と韓国以外は何を言ってるんだよ。日本の外交先はそこしかないのか? がたがた吐かすようなら、財政再建を楯にODAを全部切っちまえ。どうせ中国はODAなんか核武装のためにしか必要としていない。阿呆臭い使い方のNo.1だと言っても言い過ぎではない。
 50年間も過去のことを引き合いに出してねちねち言い続ける国と、友好を保つ必要なんか個人的には感じない。今起きていることが問題なのであり、過去はこれから間違わないための教訓でしかない。
 中国と韓国の歴史教育が、そういう視点でなされているようには私には思えない。


2001/08/14

 あー、ここに書くようなことはなーんにもしませんでした。しませんでしたともさ。
 精神力燃え尽き中。


2001/08/15

 なんか無性に眠いのは、飯を食ってないせいか(現状一日二食)、それとも精神力が消耗しているせいか。
 生活に困らないための一番楽な手続きを取ってきた(やらなくてもたぶんそんなに困らない)が、本質的な手続きは手つかず。今週中にできるのだろうか。

 終戦記念日。
 一部では敗戦記念日という自虐的な用語を使いたがる人もいるが、敗戦を記念してどうすんねん。敗戦国であることを50年間もねちねち突かれてきた歴史を鑑みるに、それは記念するようなもんじゃないぞ。
 まぁいいや。色々公式行事があったようだが、参加する気もなし。私は自堕落な享楽主義者なもんで、戦争なんかないに越したことはない。戦没者には、他の死者と同等の弔意を持つが、それ以上の感情はない。なんでそうなのかは数日前の記述を見ると判ります。

 ところで「侵略戦争」なる言葉が、この時期になるとなんの検証もなしによく使われるが、ある国の植民地に出張って行って、そこの宗主国の軍隊を追っ払う行為は果たして侵略なんだろうか。そりゃ、宗主国に取っては侵略だろうけど、その場合は「アジアに対する侵略」にはならんのではない?
 韓国は日華事変が始まる前から日本だったので、侵略戦争は起きていない。韓国併合に至るまでに戦争と呼べるような軍事行動は行なわれていない。つまりは、日本が侵略を行なったのは、中華民国に対してだけであり(ボツダム宣言に書かれている中国代表は中華民国であり、中国共産党はその時点では単なる反政府組織だった)、あんまり広範囲に渡って「侵略」という言葉を使うのも如何なものかと思うのだがどうか。


2001/08/16

 今日も眠い。読書がはかどらない。
 一応、明日やるべきことの準備は整ったので、明日は一日外出となるだろう。早いところ終わってくれると助かるのだが、どうなることやら。


2001/08/17

 やるべきことはやった。そしたらやるべきことが増えた。世の中はこうやって回っている。
 ほんの2,3時間しか動いていないのに、疲れ果てるのは寝不足のせいか、運動不足のせいか、はたまた病気のせいか。
 いずれにしても不健康なことである。

 埼玉県内の道路が奇々怪々な構造をしていることには、これまで何度も驚かされてきたが、パッと見、地図上で十字路になっているように見える道が、行ってみると二車線道路一本分ずれて連結されているというのにはちょっとびっくりした。しかも信号の扱いはどうやら十字路扱いのようなのだ。
 なにをどうやったらこんな道ができるんだろう?

 IQテスト。要JavaScript&集中力。仕事中にはしない方が良いです。ちなみに私は120.8。


2001/08/18

 部屋を片づけて、溜まっていた汚れた食器を洗い、買い物に行って、レイトショウで本日開始の「ドリブン」を観に行く。
 その前に、一緒に行く群馬在住の友人達の買い物につきあって街中をぶらぶら。
 なんかものすごく沢山のことを一気にやったような気分になる。こんなことじゃいかんのではないか。

 それはともかくとして「ドリブン」の感想をば。
 なんつーか、ストーリー展開やら映像表現やらに色々突っ込みどころが多い映画ではあったが、レースシーンは迫力があり、まずまず楽しめた。
 プロットは単純極まりないので、いちいち突っ込みを入れずに、迫力のある画面を楽しむのが正しい見方だろう。
 しかし、レイトショウであるにも関わらず、席がほとんど埋まっていたのは少々驚き。隣に座ったのが小学生で、中盤まで喋るわ動くわで鬱陶しいこと極まりなかったが(この映画、小学生が興味を持つようなストーリーだとはとても思えないのだが、親は何を思って連れてきたんだか)、レースシーンが続けて展開される中盤以降はおとなしくなった。要するにこういうことである。カーレースが好きならば、楽しめると思う。


2001/08/19

 F1ハンガリーGP。
 予選で、二回のアタックのみで二位以下に0.8秒もの差を付けてポールに座ったM.シューマッハが、好スタートで3位からジャンプアップして、しっかりクルサードを押さえたバリチェロの援護射撃もあり、全く危なげないレース展開で、2001年度ワールドチャンプと通算51勝、そしてフェラーリのコンストラクターズ優勝まで決めた。
 ひゃっほう! 世界中のティボシ達とこの喜びを分かち合おう!
 いやまぁ、予選ではM.シューマッハが走った直後くらいに、最終コーナー辺りのコースコンディションが変化して、M.シューマッハのタイムには到底追いつけなくなってしまったというのが真相だと思うのだけど。
 それにしても目出度いことに変わりはない。

 時間は前後するが、秋葉へ行商に出かける。
 行商に出かけたはずなのだが、SHARP製の液晶ディスプレイの「色温度が数字で示されない」という仕様に驚愕したり、他人にモンティ・パイソンのDVD Boxを買わせたり、IKE SHOPでPSION Siries 5の解説本を買ったり、同じくIKE SHOPで14800円のVisor Platinumの誘惑に打ち勝ったり(明日、後継機が発表されるという噂を知らなかったら負けていたかも知れない。恐ろしい敵であった)、何故か新宿で酒を飲んだりする。
 おかしいなぁ、行商に行ったはずなのだが。

 瀬名秀明「ロボット21世紀」(文春新書)[bk1で購入]読了。(お、文芸春秋社、科学啓蒙書連発じゃん)
 P3から火の点いた感のある、日本のロボット工学に関する広範な話題を扱った本。
 事前に、こばやしゆたか氏の書評で触れられていた、柳原望「まるいち的風景」(花とゆめコミックス)[bk1で購入](なんでbk1では4巻しか検索にヒットしないんだろう?)を読みながら読んだ所為かどうかは判らないが、やけに読むのに時間がかかった。
 一言で「ロボット工学」などと括られてはいるが、実はこの言葉にはきちんとした実体は存在しない。薄い人々は「ガンダム」も「鉄腕アトム」もいっしょくたに「ロボット」と呼ぶが、この二つは違うものである。「ガンダム」は人型をした乗物であって、ロボットではない(ラストシュートのシーンではロボットだったかも)。
 まぁ、そういうことを言い出すと、P3やASIMOも厳密な意味ではロボットではなくなってしまうので、ロボット工学ではどちらも研究分野として扱っている。
 これは要するに、自律型なのかそうではないのか、という話に集約される。人が乗って操縦するのであれば、キャタピラの足にパワーショベルのマニュピレータを二つ付けてやれば、ガンタンクに近いもののでき上がりである。これをロボットと呼ぶ人はあんまりいないと思う。この線引をどこでするか、という話である。
 この本では、日本のロボット工学研究の実情に合わせて、このような厳密な解釈に基づく区分をしていない。そんなことをしたら、ホンの一部しか紹介できなくなってしまっただろうし、普通の人は混乱するだけなので正解だろう。
 閑話休題。メカトロとか制御関係の話には、全然異論はないのである。違和感を感じたのは、こばやし氏の指摘する、人間とヒューマノイドロボットの関係の設計図を我々はまだ手にしていない、という指摘と、人間のような知性は人間の身体がなければ成立しない、という指摘の二点である。
 前者に関しては、「まるいち的風景」でひとつの形として見事に描写されている。工学的には、実現不能な夢物語に見えるかもしれないが、「ロボットが身近に存在する社会」というもののビジョンはくっきりと表されている。私もこばやし氏のコラムを読むまでは存在を知らなかった作品なので、単に知られていないだけなのだろう。
 後者に関しては、長年にわたる人工知能研究の停滞と、ブルックスのGenghis(環境フィードバック制御型の昆虫型ロボット)しか、それを証明する証拠はない。つまり、人間の身体があれば人間の知性を獲得できるかどうかはまだ判らないのである。そのベクトルによる研究は、その端緒にしか到達していない。そりゃまあ、その研究をしている人はモノになると思ってやっているのだから、確信的に語るだろうが、そのバイアスを引き算しないでそのまま提示するのは如何なものかと思う。
 やはり人工知能に関しては、一応学士号取得に関連した分野であるし、多少はこだわりがあるのだ。Genghisは、かなり詳しくその制御メカニズムが明らかになっている、下等生物のシミュレータ(しかも歩くという行動のみ)に過ぎないわけで、そこから一足飛びに人間に来てしまうのは、かなり危うい道のように私には見える。ましてや知能などという、一番高度なものに手が届くのか? まだ研究の前段階にあるのだから、その答は誰も知らないわけだが、過大な期待を抱かせるような書き方は止めておいた方が無難だろう。


2001/08/20

 予報に反して晴。台風11号の進行速度が予測よりもずっと遅いようだ。
 明日は雨だろう。

 「20世紀SF 4 1970年代 接続された女」(河出文庫)[bk1で購入]読了。
 表題作になっている、ティプトリーJrの「接続された女」は別格として、面白かったのは、ル・グィン「アカシア種子文書の著者をめぐる考察ほか、『動物言語学会誌』からの抜粋」、ジョージ・R・R・マーティン「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」くらいか。後者はちょっとばかり何が起きたか、がよく判らないところもあるのだけど。
 巻末の解説を読むに、私にとっての海外SFというのは、ちょうどこの辺りと、後は90年以降のものであるらしい。これなら翻訳されていた時期に日本で発表されていた作品群の方が魅力的に思える。80年代のサイバーパンクは、これっぽっちも面白いと思えないので、ここでは取り上げない。
 クリストファー・プリースト「限りなき夏」は、時間テーマの梶尾真治を思わせる作品だが、これよりはカジシンの方が上手いと感じる(それは私が日本人だからなのかもしれないが)。
 解説で言及されている「フェミニズムSF」という代物も、どうも肌に合わない。攻撃的性格を持つ思想があまりに前面に押し出されているので、居心地が悪いのだ。そういうものは、あんまり表立ってやるのは下品だ。もっと遠回しに、鈍い人間には気づかれない程度でやるのがスマートだと思う(自分ができているかどうかはともかくとして)。


世迷い言へ戻る
HomePageへ