以前からの懸案であった座椅子を導入。SATYの電器屋にあった背の低い奴で、一応座ってみて腰がちゃんとホールドされることを確認してから買った。
これが予想以上に快適。私は新陳代謝が活発なので、背中全体が何かに押しつけられている状態を長く続けると、濡れているのがはっきり判るくらい汗をかいてしまうのだが、これだとその心配もない。
もっと早く導入していれば、現状腰痛持ちではなかったかもしれないと思うとなんか悔しい。
チョコラザウルス第二段のダブリ状況は尋常ではない。
一つの箱(大人買いの一単位ね)に同じフィギュアが三つ入っているというのは如何なものか。ランダムだったらもっと散らしてくれ。
ちなみに、大人買いしたからそのことが判明したわけではなくて、同じ箱から五つ買ったらそのうち三つが同じものだったのだ。え? あんまり大人買いと変わらん?
昨日、チョコラザウルスのダブリ状況が尋常でないことを書いたが、昨日買った箱の残りを今日買ってみたら、昨日三つ出たものがまた出た。
要するに、一つの箱に四つの同じモデルが含まれていたということで(一つの箱には十しか入っていないのに!)、これは要するに、大人買いは絶対しない方が良い、ということのようだ。それどころか、同じ店を継続して使うことさえ避けるべきなのかもしれない。
ちょっと製造体制を考えた方がいいのではないだろうか>UHA味覚糖
F1ベルギーGP。
予選では、タイミングも良かったのだろうが、次元の違う速さをまた見せつけて、ウィリアムズがフロントロー独占。107%ルールで四台ものマシンが予選落ちしてしまうことになったが、予選がウエットからドライに移行するという特殊な状況で行なわれたことを鑑みて、特例で決勝にも参加できるようになったようだ。
そして決勝のフォーメーションラップが終わり、スタート、……と思ったら、予選で四位につけたプロストエイサーのフレンツェンがスタートできないことを知らせ、Abortに。
気を取り直してフォーメーションラップから始めようとしたら、モントーヤがスタートできず。折角のポールをふいにした。
スタート直後、上位陣はだいたい予選順位順に並ぶ中、今回から新しい空力パッケージを導入したというベネトンルノーのフィジケラがジャンプアップで四位につける。
そしてミシュランタイヤの性能が発揮できない一周目に、あっさりとM.シューマッハがR.シューマッハをパスして一位に。そのまま逃げの体制。
んが、五周目でジャガーのアーバインとプロストのブルティが大クラッシュ。ブルティのマシンはほとんど減速できずにまっすぐ突っ込んでしまってタイヤバリアにはまり込んでしまい、ここでまたレース中断。あそこはアーバインはもうちょっと譲ってやっても良かったような気がする。たぶんブルティはそれでも抜けなかったし、アーバインもリタイアせずに済んだだろう。
そして再度気を取り直しての再スタート。今度はラルフがスタートできず。なんかシーズン始めのマクラーレンを見ているような気分。
これでほぼ一位は磐石になったM.シューマッハは余裕で流して一人旅。スタートでまたもやフィジケラがジャンプアップ。マクラーレン勢とバリチェロを押さえて二位をキープする。
バリチェロは、マシンのセッティングが上手くいっていないのか、それとも精神的に不安定なのか、それともベネトンのマシンがよほど上手く仕上がっているのか、抜きあぐねているうちに、ピット作業でマクラーレンの二台に抜かれ、バスストップシケインの縁石でフロントウイングを破損してさらに順位を落してポイント圏外に。なんだかなー。
モントーヤのマシンがエンジントラブルでリタイアしたり(やはりウィリアムズのマシンは片方しか完走できないようだ)、トゥルーリがメカニックトラブルでリタイアしたおかげでバリチェロがポイント圏内に復帰したり(どうもその前にアレジを抜いて自力でポイント圏内には入っていたようだけれども)、色々あったが、終盤の見どころは、アレジとラルフのポイントをめぐってのバトルだろう。
レース開始直後は、セッティングに失敗しているのではないかと思えるようなパフォーマンスを見せていたウィリアムズのマシンも、レースが進むに連れてバランスを取り戻してきていて、アレジに猛追を掛けるが、それを巧みに押さえるいぶし銀のアレジ。
結局、M.シューマッハは余裕で世界一である通算52勝目を獲得。おめでとう!
クルサードは二位、フィジケラは三位に。シーズン始めの状況からは、ベネトンのレーサーが表彰台に上がることなど思いも寄らなかったことだが(なにせ、ミナルディのマシンに抜かれるような状態だったのだ)、これはルノーのワークスチームになる来期には相当期待できそうである。しかし、ほとんど溝がない状態でタイヤ交換を行なわない、という判断ができるようなミシュランタイヤは、ルール違反なんでないか?
バリチェロは五位で2ポイント、アレジはラルフを抑え切って一ポイント獲得。引退なんてとんでもない話である。
ところで、表彰台を写すカメラ前で思いっ切りカメラを遮って振られていたカナダ国旗は一体なんだったのだろう? 誰かカナダ人が絡んでいた?
エリック・シュローサー「ファストフードが世界を食いつくす」(草思社)[bk1で購入]読了。
原題は"FAST FOOD NATION"(直訳すれば「ファストフード国家」とでもなるだろうか)。内容も、ファストフード産業が、農業従事者や食肉加工労働者、実際に店舗で働くパートタイマーへ対して行なっている搾取構造は明らかにしているものの、「世界を食いつくす」なんていう事は書いてない。著者は、ファストフード業界が米国経済の一つの頂点であること自体は問題にしていない。問題にしているのは、その産業の中で行われている社会正義に反した行為だけである。ファストフード国家=米国なのである。反米主義者でもなければ、ファストフード産業そのものを問題にする態度は取らないだろう。そういう観点から見ると、この邦題は明らかに煽っている。誰が考えたんだか知らないが、頭が悪いタイトルであることは間違いない。
前半は、ファストフード産業の勃興期からの人物伝などで構成されており、退屈。少なくとも第一章は飛ばしてしまっても全然問題がないと思われる。また、同じような立志伝が各章のあちこちに散見されるが、それらも飛ばしてしまってもあまり問題はないだろう。
後半に入ると、効率優先の為に産業構造や労働者を食い物にしていくファストフード産業(ここには、食肉加工業者やジャガイモ加工業者も含まれる)の姿を克明に描き出しており、レポートされている事実が米国社会の内部に留まっているとはいえ、外食産業全体に不信感が募ることは間違いない。とはいえ、前半と異なって、迫力のある筆致で描き出されていくその様子は、非常にエキサイティングで前半とは好対照を成している。
しかし、驚かされるのは、米国政府の食品に対する権限のなさである。本の中の文章を引用すれば「サーカスに対し、象を虐待したといって罰金を科すことはできるのに、われわれは、食品安全基準を犯す企業に対し、罰金を科すことができないのです」という台詞が象徴的である。米国といえば、CDCに代表されるような「国民の不利になるような製品は徹底して排除する社会」というイメージがあるだけに、余計にインパクトがある。
そういえば、米国に滞在した日本人の話の中に「米国産の鶏卵は生で食べてはいけない」というものがあることを思い出した。卵かけご飯を食べたかったら、オーストラリアからの輸入品を買わなければいけないらしいのだ。この基準が鶏卵だけに留まるものであるということは考えにくい。実際に、この本でも、ある精肉会社の生産する挽肉の47%がサルモネラ菌に汚染されていたという調査結果が出ている。これが悪質な業者の例だったとしても、米国に旅行したとして、タルタルステーキなどは間違っても食べてはいけないことになる。タルタルステーキが好きな日本人というものもあまり考えにくいけれど。
もう一つ驚かされるのは、著者がマクドナルドのフレンチフライポテトの味を絶賛していることだ。私の基準からすれば、どこのファストフード店で出されるフレンチフライも「別段不味くはない」というレベルでしかなく、決して美味い食べ物だとは思えない。少なくともマクドナルドは、どこへ行っても同じ味がするという評判だから、私が食べている物とこの筆者が食べている物に大きな差はないだろう。これは単に私の口が奢っているからなのだろうか。
閑話休題。少なくとも私は、米国社会の成り立ちについての新しい知識も仕入れることができた(例えば、二大政党がどういう性格を持っているものなのか、等)ので、米国について普通に日本のメディアで報道されているレベルの知識しか持っていない人にはお勧めの本と言えるだろう。必読とまでは言わないが、読むものに飢えているようなら読んでおいて損はない。
しょうがないので、小雨がパラつく中、バイクを駆って街中へ。図書館にリクエストした本を取りに行ったりしなければならないのである。図書館は駅から歩いていくには少々遠い。
またもやいろいろと無駄な買い物をして、帰宅。早速蛍光灯を切り替える。……蛍光灯自体を見つめていると明らかに点滅しているのが判るが、部屋全体が微妙に点滅している状態からは脱したようだ。もっと早くやっとけばよかった。
徳田八郎衛「間に合わなかった兵器 もう一つの第二次世界大戦」(光人社NF文庫)[bk1で購入]読了。
元防衛大教授という著者が、太平洋戦争において、米国にはあって日本にはなかった兵器(もしくは、あったけれども運用に耐えなかった兵器)に関して、良く語られる「物量」という観点ではなく、技術の「質」という観点から論じた本。
ちなみに、筆者の専門はレーダー関連だったらしく、紙面の半分はレーダー(海軍のものと陸軍のもの)に費やされている。私は出身が出身なので、だいたい内容を理解できたが、結構話は専門的で、電波工学に関する基礎知識(というか、電波関連の物理学の基礎知識か)がないとちょっと辛いかもしれない。
一般的には、太平洋戦争時の日本の技術力は連合国側に劣るものではなく、日本は主に米国の圧倒的な物量によって敗れた、と信じている人が多いだろう。私も漠然とそう考えていた。
しかし、この本に書かれているお寒い実情を見ると、技術の質においても日本は米国に遠く及ばず、基本的な工業力、技術力がないために、鹵獲した米英製兵器のデッドコピーはおろか、ドイツからの技術移転もままならない状況であったということが判る。
要するに、太平洋戦争の日本は、質、量共に敗れるべくして敗れた、とこういうわけである。
しかしながら、敗戦後に訪れた朝鮮戦争特需では、米軍の要求に耐えるだけの品質のものを作ることができたわけだから、お話にならないほど劣っていた、というレベルでもない。
ここで筆者は、日本陸軍および海軍の用兵思想がそもそも古臭かったために市場からのニーズが発生せず、技術が発展しなかった、また研究においても大局的な見地から「今どのような兵器が必要なのか」という、今から考えれば当然であろうと思われる思想を持ってコントロールを行なう人間がいなかったために、集中すべき技術力を無駄にあちこちに分散させてしまっていたという見解を出す。
日本と非常に良く似た兵器開発状況にあったのはナチスドイツであり(もっとも、技術レベルでは日本とは雲泥とも言える差があるためにドイツでは制式化量産化にこぎ着けた兵器が多かったわけだが)、反対に非常に対照的であったのはスターリン政権下のソビエト連邦であった。本書の後半では、ドイツとソ連の兵器開発がどのような状況であったかについても触れられている。
良く「スラブ的合理主義の塊」と評されるT-34戦車を筆頭として、ソ連では国情に合わせた兵器が開発され、徹底的にその兵器の生産に力を集中した。設計も単純で頑健な為、運用面でも問題は少なかったらしい。
技術を使うのは人であり、まず人が進歩しなければ技術の進歩はない、ということである。戦争という極限状況が、そのことをより鮮明に描き出したのだろう。技術屋の端くれとして碌を食むつもりならば、肝に銘じておくべきことだと思う。
そういう意味では、面白かっただけでなく、非常に自分にとってプラスになった本である。上の一文を「今頃になってなに寝惚けたこと言ってやがる」と思わなかった技術屋は必読の書であると言える。
その後、「究極超人あ〜る」のDVDを探し求める人間につきあって、池袋と秋葉原を彷徨。
台風前で蒸し暑く、時折通り雨が降る中、うろうろ歩き回るのは、想像以上に疲れるようだ。
どうも「あ〜る」は市場在庫が尽きている状態のようで、なんで一月で再プレスが掛からないのかは謎だが、要するに入手はほとんど無理な状態のようだ。途中で寄った中古LDを扱っている店で、LD版の中古が9800円の値段で売られていたのは笑った。そりゃあんたバブルだろ。
大宮に戻ってきて、夕食は安楽亭。
久しぶりに挽肉になってない肉をたらふく食べたような気がする。というか、明らかに以前より胃が小さくなっている。以前では考えられないほどの量で満腹になる。経済的だし、健康にも良さそうなのでこの状態を維持しよう。
戻る途中、いつもチョコラザウルスを買っているセブンイレブンで友人がチョコラザウルスを買うと、私が欲しかったものの一つ、プテラスピスがサクっと出る。
これはあれですか。私の引きが異様に弱いってことですか。くれたのでありがたく押し頂く。
20:30過ぎに家に戻ってきて、ぱたっと倒れて気がついたら日付が変わっている。そんなに疲れていたのかと自分でも驚く。
牧野修「呪禁官」(NON NOVEL)[bk1で購入]読了。
牧野修は注目すべき作家だとは思っているが、実はそれほど沢山読んでいるわけではない。読んでいるのは「MOUSE」(ハヤカワJA文庫)[bk1で購入]と「月世界小説シリーズ」(これは単行本にまとまっていない)と「スイート・リトル・ベイビー」(これは文庫じゃなくてKADOKAWAミステリに掲載された時点で読んだ)くらいで、後は買ってあるだけで読んでない状態だったりする(アロマパラノイドなんかはそうこうしているうちに文庫落ちしてしまった)。
そんな人間がこんなことを言うのもなんだが、この「呪禁官」はなんかこれまでの牧野修の作品群と違う。別につまらないと言ってるわけではないが、なんか違う。
私は、牧野作品の、読み進めていくうちに現実と虚構の境界線がどんどん崩れて行ってしまうような酩酊感を感じさせるところが好きだったのだけれども、これにはそういうところはあまり感じられない。「作品の幅が広がった」と言ってしまえば、それでおしまいのような気はするが。
魔術をOSに例える説明は「コンピュータのことを解ってない人」の説明だな、と思う。
通常の場合、OSはまず実装ありきである。そして実装のためにはハードウェアが不可欠であり、そういう意味では、実際に動作するコンピュータは「まずハードありき」なのだ(たまに例外があるが、それは通常、特殊な意図を持って作られたものだし、下層レイヤにおいてソフトウェアがハードウェアに拘束されることに変わりはない)。
つまり、世界が一つであるからには(そのような描写は作品中には一つもないが)、ハードウェアは一つであり、そのハードウェアへのアクセス方法が多数存在するのは、ハードウェアの仕様が一部しか解っていないブラックボックスだからだ、とするのが学術的なアプローチと言えるのではないか。卑しくも「工学」を名乗るのであれば、それくらいの基本は抑えておいて欲しいところではある。
では、一体どう説明すれば良いか。それを考えるには脳の活動があまりに低下しているので、宿題として今日のところは逃げることにする。こんな話題に興味を持つ人がどれくらいいるかは知らないが、期待せずに待たれよ。
21:00からのNHKスペシャル「日本人」で、南方ルートからやってきた民族の話をしていたので、種子島に伝わる米の種類がジャバニカであるというネタをやるかと思ったら、やらなかった。
ここで取り上げられていた年代は縄文後期なので、ちょっと時期がずれてるか。いやいや、インドネシア付近で米が栽培化された年代によってはそうでもないかもしれないぞ。まだそういう研究をしている人がいない(か、結果が出せている人がいない)のか。現状栽培されているジャバニカ種と種子島のジャバニカ種のDNA鑑定とかやれば、結構簡単に枝分かれした年代とかを特定できそうなものだが(1000年単位だと無理?)、そうでもないのだろうか。それとも予算がなくて手が付かない?
中国自動車道の女子中学生監禁致死事件の容疑者が逮捕され、その職場の上司(ぶっちゃけて言えば教育長と校長)が被害者の家に謝りに行った様子がマスコミで報道されたが、謝りに来た人間に対して怒りをぶつける親の姿を見て、とても釈然としない気分がした。
怒りたい気持ちは解らんでもないが、部下のプライベートまで管理なんかできないぞ実際。校長はともかくとしても、教育長なんか管理のしようもないだろう。つーか、自分が職場でプライベートまで管理されたら嫌じゃないのか?
職務上の延長で行なった不正行為に関しては、その上司は責を問われても仕方がないと思うが(例えば、外務省の詐欺事件とか)、プライベートで起こした事件で管理責任なんか問われるんじゃ堪ったものじゃない。みんないい大人なんだからさ。
それより、自分自身の子供の管理体制に関しては棚に上げたままかい。中学生の分際でテレクラに出入りするような不良娘を持ったことを恥と思う気持ちはないのかね。
世間的に被害者の立場が強い方に振れている時期で良かったね。
プライベートで何か事件を起こした人間がいるとして、その人間の職業がなんであろうが、その事件とはほとんど関連性はないと思うのだが、そこに関連性を見出したがるのはどういうことですか? 偏見って言葉、知ってる?
後、「容疑者のプライベートについて学校内で噂になっていた」なんて報道をするマスコミもあるが、現代刑法の思想は「疑わしきは罰せず」だってことを判ってやってる?(判ってないと思うが) マスコミがこれまで何度も誤報とそれに伴う風評被害を引き起こしてきたっていう反省はなし?(あったらマスコミなんかやってられないと思うが)
しかしなんだな。客のプライバシーを考慮しないレンタルビデオ屋なんてのは絶対利用したくないね(もともと利用してないけど)。警察が令状持ってくるならともかく、マスコミに客が借りたビデオの履歴をぺらぺら喋られるんじゃ堪ったもんじゃない。
容疑者と同じ街に住んでる人は、どこのレンタルビデオ屋かを特定して、そこを利用しないようにした方がいいだろう。
良く考えてみたら、銀行なんぞに税金を投入するくらいなら、それを直接貸し渋りの対象になっている中小の自営業者に融資してやった方がなんぼか景気浮揚に貢献するんでないの?
銀行に投入したからって、まともに戻ってくる可能性なんかゼロに近いんだから、自営業者に貸したからって問題が大きくなるわけじゃあるまい。つーか金額的には全く変わらん訳だし。ちょっと役人の仕事が増えるかもしれないが、無駄な仕事をしてる連中は山ほどいるんだから、それくらい絞り出すのは無理ではないだろう。
一応書いておくが、そのための特殊法人作るってのはなしな。国や自治体が直接やれ。中間に何か入れるんじゃ銀行に投入するのと変わらない。
SHARPのZaurusのCM。
エスカレータの出口でぼさっとつっ立ってられたら邪魔でしょうがないだろがボケぇっ!
「携帯端末もしくは携帯電話を路上で操作していて交通の邪魔になる人間は突き倒して踏んで行っても構わない」という法律を作りたい。