だとばかり思っていたが、22:00を過ぎて大事件が飛び込んできた。
NYの世界貿易センタービルに、ハイジャックされたB767とB757が突っ込むという、まるで映画のような事件である。世界貿易センタービルは二棟あって、その両方に20分も置かずに二機の飛行機が突っ込んだのである。一機目が突っ込んだ後にその後の世界貿易センタービルの様子をNHKがずっと中継していて、二機目が突っ込むところは生中継された。唖然。二機目が突っ込むところをクローズアップすると、衝突寸前に建物の中央部に向かうように姿勢制御していることが判って二度唖然。
結局110階建てのビルは二棟どちらも倒壊してしまった。確か米国東海岸側は地盤が安定していて地震は起きないという話なので、そういう前提で作られた建物なのだろう。日本の高層建築物はそう簡単には倒壊しないはずである。倒壊しないからといって、中にいる人間が無事でいるわけは無いし、周囲への損害はむしろ増える可能性もあるが。
同時多発的に、国防総省(!)の建物にも単数もしくは複数の航空機が突っ込み、連邦議会でも爆発があったらしい。かなり組織だったテロ行為である。
今のところ、誰がやったのかは判っていないが(犯行声明が報道された組織は、その後、取材に対して犯行を否定した)、地下鉄サリン事件に勝る事件である。
結局11機の旅客機がハイジャックされたというニュースが流れたが、実際に落ちたという報道がされているのは4〜5機である。後のはどうなったんだろうか。
太平洋戦争で日本が米国に対して苦し紛れに実行に移した間抜けで非人道的な戦術が、よもやこのような形で半世紀後に蘇るなどと、誰が想像できただろう。
なんつーかこれは、航空輸送というシステムそのものに対する攻撃である。それは、航空輸送に頼った経済への攻撃となる。この事件への対応を行なわないままに航空輸送システムを使い続けることは、航空機の利用者および搭乗員への攻撃手段ばかりではなく、その航空機が到達できる場所への攻撃手段を与えてしまうことになる。この対応がされるまでに航空輸送を使うというリスクを冒すものが、そうそういるとは思えない。その経済的打撃を考えるだけでもくらくらする。
欧州市場では株価が急落。明日の東証は開けるらしいが、たぶんこちらも急落するだろう。ただでさえ不況だというのに、えらいことになったもんだ。
しかし半面、こういう手段だとは思わなかったが、米国に対して大規模なテロが起きた、という事実に対しては「さもありなん」と感じている自分もいたりするのである。
「またどこかで戦争が起きるんだろうな」とまるで他人事のように感じている自分もいるのだ。自分がここでこうしてこのような駄文を綴っていられるという事実を支えるものには目をつぶって。
昨日(というか今朝まで)は、NHKばかり観ていたのだが、民放もそれなりに違う情報を流しているようだったので、今日は主にザッピング。
しかし……こういう事件を報道していると、如何にCMが能天気なもので溢れているかということを実感できる。続けて観ていると、深刻な番組の内容とのあまりの落差に、頭がくらくらしてくる。
ところで、アメリカの国内線は手荷物のX線検査をやってないって本当ですか? いや、日本とは便数の桁が違うのは確かだけど。
昨日「このようなことを誰が想像しただろうか」などと書いたが、どうやらトム・クランシーの「日米開戦」(新潮文庫)という本に、似たようなシーンが出てくるらしい。
しかし、"DEBT OF HORNER"という原題に、なんというセンスのない邦題を付けるのか。>新潮社
世界貿易センタービルが倒壊したことに関して、寸゛さんから御意見のメールを頂く。
勝手ながら要約すると、「如何に地震に強い日本の建造物でも、航空機が突っ込んで来て構造の一部が破壊されてしまった場合には、倒壊しないとはいえないのではないか」ということである。
某匿名巨大掲示板の建築関連の話題を扱う場所(URLは自力で探してください)でも色々議論されていたようだが、結論としては「そんな想定外の出来事に耐えられる建造物なんか作れない」ということのようだ。むしろ「よく一時間も保った」ということらしい。なんで伝聞形かといえば、そこで使われている専門用語が理解できないからである。
しかしながら、世界貿易センタービルは、日本の建造物では考えられないような特殊な構造であったようだ。建物を支えているのは柱ではなく、四方の壁だというのだ。なんでそんな設計であんな巨大な構造物が保つのか、私にはまるで魔法のように思える。
確かに私は、建築や機械設計に関する力学の授業は、一単位しか取っていないし、真面目に授業を聞いていたとはとてもいえないので、素人にほぼ近い。
よって、日本の高層ビルに航空機が突っ込んだ場合に一体何が起きるか、という命題に関しては、あてずっぽうの想像でしか答えられない。
国際貿易センタービルがそうであったように、吸い込まれるように中に入り込んでしまうのか、それとも表面(もしくは支持構造のどこか)で跳ね返して建物自体は弾性振動するのか、それとも当たった場所でぽっきり折れてしまうのか、「きっとこうなるに違いない」などと胸を張って言うことはできない。
世界貿易センタービルがあまりに綺麗に(言葉は悪いが)崩壊してしまったので、ついつい筆が滑った、と言い訳しておくことにする。よくよく考えてみれば、阪神大震災の時も、地震に強いはずの日本の構造物(高速道路の高架)が簡単に倒壊してしまったのだ。世の中、実際に何かが起きるまでは、予測などそうそうできるものではない。反省。
空港に乗り捨てられたレンタカーに残されたアラビア語のマニュアル。一旦報道されて、その組織のスポークスマンによって後から否定される犯行声明。
これが小説世界ならば、あまりにも明らか過ぎる下手クソなミスリードだと思うのだが、事件自体が小説にすると「そんな荒唐無稽な話では読者がついてこない」と一蹴されるようなものなので、素直に解釈すべきなのだろうか。
参考資料:エレクトロニック・コマース推進事業 「非接触ICカードに対応する汎用端末用リーダライターユニットの技術開発」 セキュリティ部会勧告「非接触ICカードにおけるセキュリティ確保」(PDF文書)の91ページ〜95ページ
なんか要求のレベル自体が全然違うような気がしないでもないが。
ようやく復刊ドットコムに「蓬莱学園の革命!1」の交渉情報が載る。
……「原本捜索中」って一体? 出版社の原稿管理体制ってどこでもそんなレベルなのか?
NHKの放送体制が週末まで変則になるとは思わなかったよ。
「茂七の事件簿〜ふしぎ草紙」の最終回はいつやるんだろう? 来週から始まる予定だった山田風太郎原作の明治警察ものも面白そうなんだけど、どうなるんだろうか。
NHKの金曜時代劇は一週間予定をずらして放映するらしい。帳尻合わせはどこでやるのだろう?
F1イタリアGP予選。
テロの影響によって開催が危ぶまれていたが、FIAの英断によって開催された。大リーグのように不可抗力(選手の移動手段が事実上ないに等しい)の場合は仕方がないが、開催できる条件が調っている場合には開催するのがテロへの抵抗となると思う。FIAの英断には拍手を送りたい。
フェラーリは、犠牲者への追悼の意を表すために、全てのスポンサーの広告を外し、ノーズを黒くしたマシンで参戦である。フォード資本のジャガーチームは参戦見送りかと思われたが、車体のジャガーのマークを黒く塗って参戦。
やはり高速コースではウィリアムズが速い。特にモントーヤは速い。これでクラッシュしなきゃ良い選手なのだが。フェラーリも同程度のラップタイムを出すのだが、追いすがっている、という印象は否めない。
対照的なのはマクラーレン。順位もパッとしなければ、来期一年間の休養を発表したハッキネンが、アタックラップでもない周回でクラッシュ。レースが一時中断となった。もう集中力が途切れてしまったか。
結局、モントーヤがPP。次いでバリチェロ、M.シューマッハ、R.シューマッハとなった。バリチェロはここで踏ん張って、フェラーリの今期完全勝利への道を一歩前進してもらいたいものである。
OS9.2.1にしてから、突然死の確率が確実に上がったと感じられるInternet Exproler(特に「リンクをディスクに保存」を選択した瞬間に死ぬことが多いような気がする)に嫌気がさして、もうそろそろまともになってるかもしれないと思ったNetscape6.1を使ってみる。
ローカライズやった奴、出てこい。設定ダイアログの表示がダイアログからはみ出していて使えない。全然駄目。ふざけんな。
F1イタリアGP決勝。
レースセッティングではフェラーリの速さはウィリアムズに引けを取らない。
というわけで、走り出してからしばらくするとずるずると性能が落ちるミシュランタイヤの性質も手伝ってか、9周目にはバリチェロがポールのモントーヤをパス。M.シューマッハも追いついてきて、モントーヤにプレッシャーを掛けまくる。
しかし、危なげなシーンも幾つか見られたもののモントーヤは踏ん張り続け、根負けした訳でもないだろうが、M.シューマッハは早々にピットイン。ものすごく長いピット静止時間(≒給油時間)で、一回ストップかと思わせる。
次の周回でバリチェロもピットインするが、ここでタイヤ交換を終えてから給油を始めるという痛恨の作業ミス。モントーヤはもちろん、R.シューマッハにもかわされてしまう。
一回ストップかと思われたM.シューマッハだが、もう一度ショートストップ。バリチェロも続く。今回のフェラーリの作戦は正直言って、良く判らない。
早くもウィリアムズ1,2体制かと思われたが、48周目でバリチェロがR.シューマッハをパス(シケインのショートカットで前に出てしまったR.シューマッハがペナルティを避けるために譲った形ではあるが)。
結局、モントーヤが最後までトップを守り抜いて初優勝。続いて、バリチェロ、R.シューマッハ、M.シューマッハ。
ちなみに、マクラーレン勢はクルサードがエンジンブロー、ハッキネンはメカニックトラブルでリタイア。今年はとことんツイてない感じがつきまとうマクラーレンである。
レース中にはあまり映像が入ってこなかったジャガーのデラロサ、予選ではパッとしなかったBARホンダのヴィルヌーブがしっかりポイント圏内に入ってきているのと対照的と言うと言い過ぎだろうか。
稲森謙太郎「知られざる特殊特許の世界」(太田出版)[bk1で購入]読了。
タイトルと装丁から、と学会的な本かと思われたが、内容は至って真面目で、変な特許への突っ込みも「特許としてはどうか」という視点からなされている。
以前は特許を書くことがノルマとして課せられていたこともあったので、一応、明細書の概略を書ける程度の知識はあるのだが、それでも色々勉強になる内容だった。
特許を書かせる際に、社内講習で一日か二日潰させるよりは、この本を読ませた方がなんぼかマシのような気がする。この本はそういう内容である。変な特許を見て笑いたい人は、どこかのサイトを見に行った方が笑えるだろう(URLは忘れたが、そういうサイトがあることは覚えている)。ただし、どこが面白いのか理解するための予備知識としてこの本を予め読んでおいた方が、より楽しめるかもしれない(そんなことは全然ないかもしれない)。
米国は着実に戦争の準備を整えているように見える。米国民もそれを全面的に支持しているように見える。
しかしそれは、英語を解さない日本人としては、米国のマスメディアと日本のマスメディアという、二重のフィルタが掛かった情報に基づく主観に過ぎない。
先日、本多勝一のこの間よりは前の本を読んでみたのだが、前書きとして朝日新聞の先輩記者とやらの文章が掲載されていて、そこには「ジャーナリズムにおいては、他の誰も流していない情報を流すことに意義があり、その意義の前には情報の裏を充分に取っていないという非難は、非難のための非難と呼ぶべき価値しか持たない」などという風に取れることが書いてあり、それだけで本を読む気力を削がれてしまった。要するに、他でやってないことを流している分には、正しさの検証など必要ないと言い切っているのだ。流石朝日の記者だ、というのは偏見に満ちた言説であるが、正直な印象である(当然、まえがきだけ読んでその本は放擲した。そんな無意味な文章につきあっている精神的余裕は今の私にはない)。
つまるところ何が言いたいのかといえば、私は今、ジャーナリズムというものに、これまでの人生の中で一番幻滅している。
個人がインターネットという情報収集手段を入手した今となっては、ジャーナリズムの権威など地に落ちたも同然である。その気になれば、マスコミで流れている情報の裏を取ることなど容易にできる(当然できない場合もある)。
そういう態度で今回の事件の報道に触れると、例えばこんな例とか、こんな例とかこんな例とか、マスコミの流している情報が如何にうさん臭いものであるかという例がぼろぼろ出てくる。
また、ここに書いてあるようなことは全然マスコミの話題には上らない。同じ場所でやったらしいNYのロウソクイベントは取り上げられているし、当然そこを取材している人間の目に入らないわけはない。ヒューマニズムを全面に押し出したいと考えている場合には格好の材料のはずなのだが。
つまり、今の我々は、ある意図でもってある方向に誘導されようとしている。それは穿ちすぎだという人もいるかもしれない。逆に、マスコミの報道に何らかの意図が含まれていない等ということは有り得ない、という人もいるかもしれない。
しかし、我々が誘導されていく先に待ち受けているであろう事態は、ちょっとばかり見過ごすことのできない深刻さを伴っているように私には思える。
この流れに対して、そろそろ我々は「否」という意思を叩きつけてやるべきなのではないだろうか。もしくは、無邪気に自分達の力に気付かずに力を揮っているとしたら、その事実を指摘してやるべきなのではないか。我々は彼らが思っているほど馬鹿ではないということをしっかり認識させてやる必要があるのではないか(馬鹿で居たい人は馬鹿のままでいてください。その方が生きていくのが楽なのは保証しましょう)。
(2001/09/23追記):一番最初のこんな例は、デマであることが判明したそうです。その情報はこちらへ。
一つがデマでもあんまり大勢には影響しないので、修正は行なわないことにします。
VAIO SRなどのファイル整理を始めたら、それだけで一日が終わってしまった。
Windows→Macのファイル転送手段としては、デスクトップをMac OS Xに切り替えてftpサーバを動かすのが一番信頼が置ける方法なのだが、それも何かと面倒臭いので、USBで直結してファイル転送を行なうツールを買ってきて(買ったのはだいぶ前。一度書いたかもしれない)、それを今日、本格的に運用してみたのだ。
……駄目だ。単独で動かす分には問題がないが、裏で転送をしている間に他の作業をしようとして他のアプリケーションを起動した瞬間にファイル転送が止まり、そのままアプリケーションはフリーズする。Macは再起動時にQuitイベントを処理せずにOption + Command + Escを押して強制終了させなきゃいけないし、Windows2Kに至っては、再起動しようとすると青画面に落ちてからリセットが掛かる。なんじゃこりゃ。
典型的な「単独でしか動作試験をしていないアプリケーション」である。だったら動かした時に他のソフトは動かすな程度のダイアログは出さんかい。阿呆め。判ってなかったとしたら、もっと阿呆なので掛ける声もない。
しかし、Windows2KのUSBってちっともホットプラグじゃないな。いちいち抜いた時に文句を言うんじゃない。鬱陶しい。
あ、何か買い忘れてると思ったら、「トンデモ本の世界R」だったよ。明日は午後には台風が居なくなるかな?
帰り道の途中にあるファミリーマートに寄り、深海生物フィギュアコレクション2が付いたMIUをとりあえず6本。出たのは01,02,04,08(04ダブリ)。
深海探査艇にカラーバリエーションがあるってのは、コレクターは死ぬほど買いなさいってことですか。
森博嗣「六人の超音波科学者」(講談社ノベルス)[bk1で購入]読了。
英文タイトルと和文タイトルが珍しくほとんど一致している。それとも、今までのタイトル群もちゃんと訳せばそうなるのだろうか。いや、英文タイトルそのものがネタバレになっていた例もあるので、そんなことはないだろう。
うーん。なんというか、作者はたぶん自分の小説群をミステリだと思って書いていないような気はするんだけど、今までのVシリーズは「How done itもの」として読めていたわけで、読者としてはその辺りをどうしても期待したくなる。
が、これはあまりに起きることが「普通のこと」ばかりなので、「How done it」としては面白くない。「Why done it」だと思えば良いのかな? 拘束条件が緩すぎて「Who done it」には絶対ならない。
この小説で描写されていることが「普通のこと」に見えるのは、私が工学部出身だからなのだろうか。無響室にも一度だけ学生実験で入ったことがあるので、あの自分の発する音が周囲から返ってこないことで感じる独特の感じも知っている。
閑話休題。
この話も、キャラクタ小説だと思えば普通に面白く読めると思うので、もうミステリのふりをするのを止めたのかもしれない。でも話の枠組みは紛れもなくミステリのそれなので、その辺の齟齬がこの気持ち悪い読後感を作り上げているのか。
MIUの深海生物2はダブリ率が異様に低く、12本を買った段階でユメナマコ、ホソミクジラウオ、深海探査艇(白)以外が揃ってしまった。深海探査服も、一つだけ買い足したら赤(つーか実物はオレンジ)が出た。
隠しでダイオウイカ vs. マッコウクジラがあるという噂だが、そんなものを揃えようなどと思った日には金がいくらあっても足りないので、無視することにする。
水分が足りていないのか、他の食玩に比べると消化率も非常に良い。一日3リッターも飲んでいて大丈夫なのか、と我ながら心配にならないわけではないが。
なんかWindowsな世間は、またぞろ新種のウィルス(だかワームだか)で大変なことになっているようである。
いい加減に、JavaScriptなどで砂場より外へのアクセス方法を用意しておくのは止めていただきたいのだけれども。
まぁ、マイノリティをやってる間はそういう騒ぎとは無縁でいられるので、メジャーな人々はこれからもずっとメジャーでしょうもない仕様で居続けて貰えると、こっちに変なのが流れてこなくてありがたいかもしれない。
ところで、こんなマイナーなサイトであっても、Hybrisは月に一通か二通は来ていたのだけど、SirCamは全然来ない。やはり社会的認知度が上がったせいで、感染したPCが限定されているのだろうな。
今日のTVで不審に思ったこと。
「どっちの料理ショー」で、男爵イモの種芋を使ってコロッケを作る、ということをやっていたのだが、美味い作物の種が美味いとは限らないと思うのだがどうか。
というか、ジャガイモの場合は遺伝的には完全に種芋とそこから作られた芋は同一のものになるんではないだろうか。
あれ? そうすると、ジャガイモの品種改良ってどうやってやるんだ?