長嶋監督引退のニュースっていつまで引っ張るんだ?
私は巨人ファンではあるが、別に長嶋のファンではない。年代的に、物心ついた頃には既に長嶋は引退していて、私にとっての野球のヒーローは王なのである。
その王にしたって、監督としての能力はかなり疑わしいと思っている(ダイエーではそれなりにちゃんとやっているようだが、巨人の監督の時は正直酷かった)。いわんや長嶋においてをや。
というか、二期目の長嶋は、エンターテナーとしてはともかくとして、監督としては下の下だったと私は評価している(選手のときからそうだった、という話もある)。
長嶋辞任のニュースを最初に聞いた時、正直言って「やっと辞めやがったか」という感想しか持てなかった。巨人は強いから巨人なのであって、オールスター並の選手を集めておいて優勝できない巨人にははっきり言って存在価値はない。
しかし、後任が原では、正直言って不安である。原が監督ができるほど頭が回る人物だとはとても思えないからである。山倉や中畑よりはマシかもしれないが。
清水文化「気象精霊記5 思惑違いの流星豪雨」(富士見ファンタジア文庫)[bk1で購入]読了。
三巻に渡って続けられた、気象変動誘発局との対決はこれで一旦終了のようだ。近年騒がれている地球温暖化の影響とされる一連の出来事が、気象変動誘発局とその影響を排除しようとする気象管理制御室が行なった、氷河期突入阻止の結果としているところがなかなか面白い。
また、まだ裏が取れていない最新の学説を取り入れているのもなかなか大胆というか何というか。あの学説によると、地球上の水分はどんどん増えていってしまうような気がするのだが、その辺のフォローはどうなっているのだろうか。
とにかく、実際の気象現象に関しては、カオス理論なども絡んで、現状ではどうしても予測できない部分がある。その部分に精霊が絡んで、我々を含む地球上の生命になるべく都合のよい結果を出すように努力している、というのがこの話の骨子である。精霊が使うのは、基本的にはエネルギーを与えることだけで、状況の解析も数式を使ったシミュレーションを用いているなど、SF者でも許せるファンタジーになっていると私は思う。
キャラクターの性格など、富士見向けの要素もかなりあるが、それを乗り越えて読んでみる価値は十分にあると思う。
F1アメリカGP決勝。
今朝のウォームアップ走行で違反があったということで、ハッキネンの順位が繰り下げられ、4位になる。M.シューマッハ、R.シューマッハ、モントーヤ、ハッキネンという順番でスタート。
スタート直後の三周目で、バリチェロがスタートでジャンプアップしたモントーヤを抜き去り、フェラーリ1,2体制を早くも築き上げたかに見えた。
が、レース中盤でウイリアムズのマシンがペースを上げ、ハードタイヤを選択したにもかかわらず2ストップのバリチェロが後退し、同じく2ストップだったR.シューマッハもピット作業ミスで順位を落した中、M.シューマッハをモントーヤがメインストレートエンドで抜き去り、トップに。
しかしながら、やはり今年のウイリアムズは信頼性に欠ける。1位で走行中だったモントーヤのマシンがメインストレートでスローダウン、そのままリタイア。時系列は前後するが、R.シューマッハもインフィールドセクションでスピンしてそのままグラベルに捕まってリタイア。
またもやフェラーリの天下かと思われたが、マクラーレンの2台はピットインをクルサード43周、ハッキネン45周まで引っ張る1ストップ作戦で、2回目のピットストップに向かったバリチェロをかわしてハッキネントップ。
そのまま、ハッキネン、バリチェロ、M.シューマッハ、クルサードの順番でレースが終わるかと思えたのだが、69周目にバリチェロのマシンがエンジンから煙を上げてスローダウン、M.シューマッハ、クルサードに道を譲り、72周目に完全にリアをロックさせてリタイア。これでフェラーリ完全制覇への道はかなり険しくなった。
結局、ハッキネン、M.シューマッハ、クルサードの順位のままフィニッシュ。今回はマクラーレンの作戦勝ちと言えるだろう。ウイリアムズのマシンが生きていたらどうなっていたかは判らないけれども。
発売日に買って放置してあった「シャーマニック・プリンセス」2(DVD版)を観る。
謎の構成。あまりの展開の唐突さに呆気にとられてしまってちゃんとストーリーを追えたような気がしないので、暇を見つけて再見してみたい(時間はあるものではなくて作るものだというのは、スケジュールに追われていない状態を作って初めて実感できるものだなぁ)。
前巻の予告を観た時に触れた、LD版発売時のCMに使われていたウヨンタナの曲は、作詞が小峰公子であることが判明。早速駄目元でこの曲が収録されているアルバムを注文してみる。
……金ないんじゃなかったのか。
FFのアニメ、Final Fantasy Unlimitedの第一回を観てみるが、手抜きとしか思えないオープニングアニメーションで激しく脱力。
FFだから割り引いて考えてもダメダメな脚本で二重に脱力。ついでに、その前に観た「オコジョさん」の作画が一回目ということもあって非常に良かったので、その印象に引きずられて作画の粗さも気になる。
こりゃ、駄目だな。映画も一本こけたら止めちゃうみたいだし、いい加減、映画業界ワナビーはとっとと映画業界に行って野垂れ死んでくれ。
NOIR SOUNDTRACK IIを買う。
別にマウスパッドなど欲しくもないのだが、初回版しか置いてないのでしょうがない。
音楽やる人は皆さんフランス語できるんでしょうか?
まんがの森に行ったらHellsing Pre-Orderなどが置いてあるのでついつい買ってしまう。
でけぇよ、これ。持って帰るのに一苦労。
ああいう血沸き肉踊る(文字どおり)原作をどうやって地上波に乗せることができる映像にするのかと思っていたのだが、やはりこうですか。
キリスト教圏で放映できるようにするにはどうするのか。たぶん放映しないんだろうが。
SEGAが一回だけ再プレスして、あっつー間になくなってしまって、その後一向に再プレスされる気配のない「Princess Crown」を、試しにEasySeekで探してみたら、一日で見つかってしまう。しかも2900円。
なんだかんだで4000円強の値段になったが、売ってないよりはマシ。それが今日届いたので、久しぶりにSaturnを起動。あ、バックアップ電池が切れてる。
ポリゴンでは表現できないドット職人の芸。これを再現できるようになるまでは、私はポリゴン技術が完成されたなどとは認めない。
国府田マリ子がPentium 4マシンを使って速いと言う。
そら、家で使ってるマシンがLC630だったら今のコンピュータはみんな速く見えるだろ(ページに飛んだ後に「級長くん」で検索するとトピックがすぐ見つかります)。
LC630って、68LC040の40MHzマシンですよ(PowerPCでさえない!)。1994年のマシンですよ。1994年のIntelのCPUはi80486DXで最高動作速度は100MHzですよ。ちなみに68LC040は廉価版のMPUだったことに注意。
たぶんLC630レベルの予算でLC630でできることと同レベルのことをしようと思ったら、同じような動作クロックの386マシンを使わなければならなかっただろう。
ちなみに1994年時点のMacの最上位機種はPower Macintosh 8100/80。PowerPC601の80MHzマシンである。94年は680x0からPowerPCへの過渡期だったのか。
普通の人って物持ちが良いのね。
アクセラレータも入れないで同じコンピュータを7年も使い続けるなんて、仕事でもなければやってられない(仕事でも確実に文句は言う)。
がっぷ獅子丸「悪趣味ゲーム紀行2」(マイクロデザイン)[bk1で購入]読了。
ゲーム批評の存在理由「悪趣味ゲーム紀行」をまとめた本の2冊目。ゲーム批評本誌には載っていない原稿も収録されていてとってもお徳。
私は個人的に、クソゲーハンター(1号、2号、その他)の文章よりもこちらの方が好きである。読者へのサービスがちゃんと感じられるというか。
しかし、ゲーム業界もどんどん世知辛くなっていて、こういう企画が成り立つのも難しくなっているのかもしれない。基本的には過去の遺産の食いつぶしな訳だし。
この閉塞感はどうやったら打開できるのか。結局景気が良くならないと駄目なのか。
なんとなく、景気が良くなっても駄目なような気がするのは、さんざん市場を食い荒らした結果が現状である、という認識を私が持っているせいなのか。これが私の気のせいであってくれればこんなに嬉しいことはないのだが。
OS Xの新開発環境がADCメンバーのページで公開されていたので、落してくる。
一体のデータ(180Mほど)は一度50M強落したところでエラーになってしまったので、10Mづつのバラのファイルを落すことにする。当然ファイル数は18個。掛かる時間は一つにつき30分弱である。単純計算では9時間掛かることになる。
で、落したのは良いのだが、が。
「これ、どうやって一体化するの?」
特にドキュメントもないし、ダブルクリックでも勝手にまとまる気配がないし。
もしかして、Terminalで手動ですか?
午前中に一度、注文したシャーマニックプリンセスOST2を届けに来た宅配便のおっさんに起こされたが、またすぐ眠ってしまったようだ。その時の自分が一体何を考えていたのかは良く判らない。というか覚えていない。
というわけで、今日もない日で終わるものかと思っていたのだが、ふと思いついてVAIO SRにWindows98を入れてみようかと思い立つ。
出荷状態でパーティションが二つに切ってあるので、今Windows2000が入っている方ではないパーティションに入れてやれば楽勝だと思っていたのだが、それが大間違い。というか、Macではそれで良い筈なのだ。どのハードディスクのどのパーティションも一部の例外を除いては平等に扱われ、どこにシステムをインストールしようが、そのシステムがどんなに古かろうが、どんなに新しかろうが、そのマシンで動作するものであれば動く。起動するシステムを切り替えることなど造作もない。
が、誰が何と言おうが、いつまで経ってもDOSとPC/ATという古臭いシステムに引きずられているという事実は否定しようもないWindowsでは、そんなに簡単に話は進まないのであった。
Windows95/98を先にインストールし、Windows2000/NTを後からインストールすれば、切り替えは可能であるらしい。しかし、VAIO SRはWindows2000プリインストールマシンであり、Windows2000のインストール用ディスクなど付属しない。多分そういう配布形態にすることでOSの代金のディスカウントを受けているのだろう。
そんなことはあまり関係のない話である。とにかく、Windows98をインストールしたら、Windows98でしか起動しなくなった。そして、Windows98はVAIO SRの機器をほとんどまともに動かすことができないのであった。
USBのFDDは、起動時にDOSのシステムを転送したFDを入れておけばかろうじて動作する。しかし、その状態ではCD-ROMのドライバなど組み込めよう筈もない。ディスプレイは標準VGAとやらでしか動かず、640x480で16色である。各種ドライバをインストールしようにも、これではどうしようもない。
というわけで、さっさとWindows2000環境に戻そうとしたのだが、これがどういう訳か上手く行かない。試行錯誤の末、ようやく本体付属のリカバリCDから起動することに成功し、工場出荷当時のまっさらな環境に戻った。
戻ったと単純に喜んではいられない。なにせ、サービスパックが何にも当たっていないWindows2000である。早急にSP2を当てて、とりあえずNimda対策はしておかなければ安心できない。
そのためにはまず、無線LANカードのドライバのインストールをしなければならない。これがまたマニュアルを読まないと動かない難物なのであった。最初は読んでやった筈なのだが、そんな大昔の一瞬で終わったことは欠片も覚えちゃいない。
とか何とかやっているうちに日付が代わり、晩飯を食っていないことを思い出し(それどころか、何も食っていないし飲んでもいなかった)、夜食としか呼びようがない飯をコンビニで買ってきて掻き込んで、なんとか昨日のレベルにまで回復させたのであった。せんでも良いことをして余計に仕事を増やしたときの労働ほど疲れるものはない。
とかやってるうちに、米軍と英軍がアフガニスタンに対して攻撃を始めたとの報。
まー、気の済むようにやっちゃってください。あの調子じゃどうせ止めたって聞かないだろうし。
秋山瑞人「イリヤの空、UFOの夏 その一」(電撃文庫)[bk1で購入]読了。
電撃hpの7号、8号、9号に掲載されたものに、短い番外編がくっついているという構成である。この番外編というのが、UFOとタイトルに付いてるからといって買ってしまうようなビリーバーに強烈なカウンターパンチを食らわせるような代物で、やっぱオタク(と呼ばれるまで調べ上げる人間)はビリーバーにはなれないものだと実感する。
基本的には、本編は電撃hpでの連載時に一通り読んでいるので、再読とほとんど変わりない。細かいところには手が加えられているようだが。
一つ、校正ミスを発見。P138で水前寺が持ってきたヒマワリの花束が、伊里野に手渡された途端、P139でバラに早変わりし、P140でまたバケツに突っ込まれたヒマワリに戻っている(おいおい、雑誌掲載時はちゃんと全部ヒマワリだぞ)。早く出るのはファンとしては嬉しいが、拙速はちょっとご勘弁。
なんか来月に続きが出るとか書いてあるんですが、本当に大丈夫なんでしょうか。確かに、原稿の量的には今月の18日に出る電撃hp14号の分で一冊分になっている計算だけど。
乙一「夏と花火と私の死体」(集英社文庫)[bk1で購入]読了。
なんか方々で誉められまくっているので、買ってみた次第。
で、感想は「普通じゃん」
確かに、じゃあお前これを17の時に書いてみせろったって私にはできません。多分今だって書けない。だけれども、読者からみれば別段良くも悪くもない普通の話だと思う。少女マンガだったらこういう作品如何にもありそう。
どうもこの作品が賞を取ったときの選考委員だったらしい小野不由実が解説を書いているのだが、当時のメモとして残っている他の選考委員である(らしい)安孫子武丸と法月倫太郎の発言も合わせて、誉めすぎ。こんなに誉めると却って上滑りして行ってしまうような気がする。いわゆる誉め殺しに近い状態なんじゃなかろうか。
まぁ、だからといって私が困ることじゃないんだから別に良いのだけど。
ノーベル化学賞に名古屋大教授の野依良治氏が選ばれたとのニュース。
光学異性体を工業的かつ選択的に生産する方法を確立したとのこと。
光学異性体というのは、その分子を構成する原子の数と結合方法が同じであっても、立体構造が、鏡に写されたように反転していて重ね合わせることができないものを言う。
有機分子においては、その立体構造が性質を決めることが多い。例えば、サリドマイド薬禍は、光学異性体によって引き起こされたものである。
これまでの工業的有機分子の合成方法では、光学異性体を選択的に作り出すことはできず、最終的な合成物をみれば、右手系のものと左手系のものが半分づつ作られてしまっていた。つまり、これまでの方法では、安全なサリドマイドと催奇性のあるサリドマイドがどうしても半分づつ作られてしまうのである。
これを選択的に作ることができるようになれば、サリドマイド薬禍のような事件は起こさずに済むようになる(サリドマイドに関しては、体内で光学異性体へ移行するという現象が認められるので、完全に安全とは言えないようだ)。
光学異性体を分離する方法は今までもあったようで、合成後に分離してやればそのような危険は避けられる。しかし、分離するということは、合成されたものの半分を捨てるということで、必然的に生産物の価格は倍以上になってしまうだろう(どちらの異性体にも同じくらい需要があるならともかく)。
つまりは、光学異性体を選択的に作り出すことができるということは、光学異性体を持つ化学物質の工業価格が単純に考えれば半分になるということで、これは物凄いことである。後から分離するコストを考えて、これまでは生物による合成に頼ってきた物質も、工業的に生産されるようになるかもしれない。
例えば、我々地球上の生物が利用しているアミノ酸は何故か片方の光学異性体に偏っている。つまり、工業的に合成したアミノ酸で作られた食物は、その半分は我々が消化吸収できない物質(たぶんとても不味い)に占められていた。しかし、これを選択的に合成できることが可能ならば、最初から我々が消化吸収できる物質だけでなる食物を作ることができる。
たぶん、大概の物質は、まだ生物を利用した方法の方が安上がりだろう。しかし、いったん方法が確立し、広く利用されるようになった技術は、どんどん安く、簡単になっていく。それが科学技術というものだ。
何でこんな話をするのか。それは、完全にコントロールされた有機物の循環系を作り出す道に続くものだからである。これまでは、地球を構成する生物圏のミニチュアを作り出すことでしか、有機物の循環系を作ることはできなかった(たぶんコストの問題だと思われるが)。人間がその環の中に入ることを前提にしたそれを、人間以下の大きさにすることは多分不可能だろう。また、バランスのコントロールは体積を小さくすればするほど難しくなる。
だが、この技術によって生物は必要不可欠ではなくなる。全体を機械で構成することが可能ならば、エネルギーと工業的メンテナンスさえ欠かさなければ、半永久的に稼働するシステムを構築することも不可能ではないだろう。
つまり、人間が宇宙で長期間生活するためのハードルが一つ取り除かれようとしているように私には見えるのだ。これを素晴らしいと言わずして何を素晴らしいと言うべきなのか。
Appleが2500円分のクーポン券を送ってきた。やはり、OS X 10.1の無償アップデートCDがあっという間になくなってしまったことと、有償アップデートのやたらややこしい方式がよほど苦情を集めたのだろう。
なんでも、25000円以上の買い物をAppleStoreでしないと使えないそうだ。しかも使用期限は11/9まで。……使えん。
げげっ、佐藤琢磨がジョーダン入りして、代わりにアレジが引退かい。アレジ今シーズン結構活躍してたのに。