01年11月上旬の世迷い言


2001/11/01

 新城カズマ+新籐キミテル「特命転攻生 <人別帳>は燃えているか?」(ファミ通文庫)[bk1で購入]読了。
 ……なんかこう、新城カズマほど文章が上手くない人間が新城カズマっぽい文章を書いてみました、という雰囲気がするのだが、気のせいだろうか。
 後、TRPGセッションで、パーティーが完全に詰まってしまって、プレイ時間が残り少なくなったのでマスターが無理矢理事態を進展させたようなストーリー展開は如何なものか。いくらなんでもこれはないんでないか。

 竹内薫「「場」とはなんだろう」(ブルーバックス)[bk1で購入]読了。
 この間、湯川秀樹の伝記番組を観て疑問に思った、場の相互作用を粒子のやり取りとして解釈できるのは何故か、という命題をクリアにすべく買ってきた本。
 ……よく判らん。
 電磁気学は必修だったので、マックスウエルの方程式についてはおぼろげながら憶えている。回転と湧き出しという用語もなんとなく憶えている。微積分の世界だったような気がする。
 んが、電磁気学の担当教授は極めて工学的なものの考え方をする人で、学問に燃えているわけでもない学生連中に理論なんぞ教えて理解させようなんて無駄なことをせずに、数式の扱い方だけを教えてくれた。つまりは、他のことのために電磁気学的な操作が必要になったときに困らないようにしてくれたわけだ。
 よって、電磁気学の単位は理論なんかこれっぽっちも理解していなくても取得することが可能だった。
 閑話休題。
 この本は、あくまで物理学的アプローチから量子場を解説したものなので、数式の操作より理論に重きを置いている。もちろん、ブルーバックスという本の性質からして、物理や数学の素人にも解るように書かれてはいる。実際、それぞれの記述を読んでいるときには、なんとなく解ったつもりになれるのである。
 が、それらを全部繋ぎ合わせて理解できたかというと、全然解らない。
 無限次元(しかも引数は実数。自然数じゃない)の関数空間とか言われても、さっぱり解らない。イメージできない。頭を抱えて唸るしかない。
 途中に、場の相互作用を説明するファインマン図というのが出てくるのだが、何の説明もなしに陽電子と電子と一緒に生成された光子が、その後に対消滅する電子と陽電子に作用していたりする。いいのかそういういい加減なことで。電子から出ていった光子が他に何の作用も受けていないのにまた戻ってきて、電子に吸収されたりする。その戻ってくるためのメカニズムはどうなっているのか。
 途中に出てくる次元解析の話もなんか納得できない。途中までは、距離、面積、体積と来て、これは納得できるのだが、次に時間が来るのだ。体積が変わると時間の経過が変わるという話で、経験的にはそういう関係があるらしいということになっているが、理論的裏付けは何もされていないと思うし、この本でも特に説明はない。いいのかそういういい加減なことで。
 というわけで、さらに謎が増えてしまっただけの結果に終わってしまったのである。納得いかん。


2001/11/02

 昨日、書くのをすっかり忘れていたが、ZABADAKの新譜「COLORS」を買う。
 前作、「IKON」とはまた路線が変わり、「Something in the Air」や「LiFE」の路線のように感じる。
 それよりもなによりも、大宮の街中にあるCD屋を4件回って、やっとそごう内の山野楽器で入手したのだった。まったく、WAVEもNack5 Townも扱っているジャンルが私の趣味とズレていて、使えないこと夥しい。あぁ、そごうが潰れなくて良かった。本当に良かった。
 ところで、昨日のうちに登録しておいたはずの「COLORS」のCDDB情報をわざわざ上書きして壊してくれたのはどこのどいつか。まぁ、自分の送信した情報がちゃんと送られているかは自分では確認しようがないのだけど(トラック名が短くなっているものがあったので、誰かが上書きしたことは確かなのである)。

 10/31で書いたRAY CRISISの魅力について、寸゛さんからメールを頂く。
 いつものように勝手ながら要約させていただくと、「RAY CRISISはステージが進む毎に、シームレスで繋がっているBGMがどんどん狂気を孕んでくるところが魅力」なのだそうだ。んが、PS版は必然的にステージ間にCDからの読み込みが入り、BGMをシームレスで繋ぐことができない。よって、PS版は単なる駄作になっているという評価になっているそうである。要するに音楽以外には魅力がないの魅力は素人さんには解りにくい、ということで、それはそれでとてもタイトーらしいゲームだと言えよう。
 ゲームとして純粋に見た場合には駄作であっても(例えば、ヘビーシューティングゲーマーでもなければ、最近のシューティングゲームは只辛いだけのクソゲーであろう)、全体として提示されている「雰囲気」とでも呼ぶしかないものからにじみ出してくる世界観が魅力的ならば、それを好きだと言うことは否定しない。
 とはいえ、RAY CRISISには私に感じられるような「雰囲気」は醸し出していない。「ズレている」というのはそういうことだと思っていただきたい(え? やっぱり解らない? そうだろうねぇ)。

 おぐわっ。
 SPAM業者にReply-To:とFrom:を使われてしまった。
 エラーメールが山ほど来る……。

 iTunesのOS X版で、OS 9から持ってきたMP3ファイルで不可思議な現象が起きる(ちなみにここのSJISパッチは当てていない。
 それは、曲名やアルバム名、歌手名が、正しく表示されているのに、再生を始めた途端に化けるというものだ。
 何故? 取り込む時に参照している情報と再生時に参照する情報が違っていて、再生時にわざわざ上書きする?
 後、OS X上からCDDBに情報を送信すると化けることも判明。というか、自分で入力して送信した情報が正しくなっているかどうかは、違うPreferenceを参照しているiTunesから確認しないと判らないのだが(わざわざ試してみた)。


2001/11/03

 「目撃!! ウガワさん。」なる同人誌即売会に行ってみる。
 どういう即売会かといえば、知ってる人には説明不要で知らない人には説明しても無駄だろうが、現在YOUNG KING OURSにて好評連載中の「朝霧の巫女」の作者、宇河弘樹氏作品のオンリーイベントである。どーでもいいけど、カタログ表紙の名前、間違ってるぞ。「宇川」になってる。
 なんでまたそんな気を起こしたかといえば、本人が参加していて、たぶんそこでしか配布しないであろう、過去の作品をまとめた本が頒布されるからなのであった。
 11:00開場だったが、余裕を見て10:00頃に会場に着くように移動。一般参加行列に200人くらいは居ただろうか。
 開場してすぐに、一番長い行列になっている本人のスペースに並ぶ。一人限定一部。刷数が400部だと予告されていたので、妥当な処置だと思う。
 切りがいい値段(500円)と一人一部、中身をわざわざ確認してから買う人間など居ない(確認して買わないようならこんな即売会には来ないだろう)という理由から、この行列はあっという間に捌かれ、30分程度の待ち時間で目的を達成する。
 後は他のサークルを流し見て、良さそうな本をぽつぽつと買っていく。とはいえ、総参加サークル数20なので、それもあっという間に終わってしまう(コピー誌をその場で製本しているところが結構居て、その製本待ちという事態は発生したが)。
 で、ふと本人のブースを見ると、本の配布は終わったのにまだ長蛇の列。何かと思ったら、今月号のOURS Liteに付録として付いたポスターをサイン入りで配布しているのであった。
 というわけで再び並ぶが、途中でポスターが尽き、それでもサインをしてくれるというので並んでいたら、後6人くらいのところまで来て「本が買えなかった人のスケブを処理するから、いったん解散して1時間後に再び並べ」との御達示。
 サインだけしているのかと思ったら、しっかり絵も描いていて(私が見ることができたのは日瑠子陛下の絵だったが)、こりゃ列が進まないわけである。
 その時点で一時間半ほど並んでいただろうか。疲れ果てていた私は、一時間待ってその後にサインを貰えるかどうかも微妙な気がしたので諦めて帰ることにした。こういうところは人間歳を取ると淡白になるものである。
 そのまままっすぐ家まで帰ってきて15:00。背中が痛くて仕方がないので低周波治療器を掛けてしばらく寝る。

 北野勇作「かめくん」(徳間デュアル文庫)a href="http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?aid=p-rfukai00094&bibid=01976229">[bk1で購入]読了。(北野勇作で検索を掛けたら表示されなくて焦った。なぜかこれだけ「北野 勇作」で登録されているのであった)
 うーむ。なんとも不思議な話。
 木星、戦争、軍事機密、知識フレーム、戦闘用ヒューマノイド、暴走した人造生命体、人工冬眠、などなど、出てくるキーワードはえらく殺伐としているのだが、この本は至ってのんびり和やかに進むのである。主人公がかめくんだから(かめくんはかめくんであって亀ではないのだそうである)。
 一応、四つの章によってこの本は構成されているが、章は一見あまり関係なさそうな短いエピソードの積み上げによって構成されている。だから、漫然と読んでいるとストーリーもあるんだかないんだかよく判らない。
 でも決してつまらないわけではない。むしろ積極的に勧めたくなるくらい面白い。こういうストーリーがはっきりしないような話は、私の好みではなかったような気がするのだけど、これも不思議だと感じる一因である。


2001/11/04

 少しばかり体力が落ちすぎてしまっているようで、ちょっとした負荷を掛けるだけで(例えば、昨日みたいにイベントで合計二時間くらい並んでみたり)、翌日は全く使い物にならなくなってしまっている自分がいる。
 身体を鍛えるなんてことは生まれてこの方やったことがないし(今の私を知る人間はみんな納得しないだろうが、私は子供の頃は本当に身体の弱い子供だったのだ。一月にいっぺん、定期的に病院に通ったりなんてことを二年ばかり続けたり、冬休みだか春休みだかを入院で潰されたり、まぁそんな経験がある。私よりもっと大変な人は世の中にごろごろしているだろうけど、平均よりはずっと下だったと思う)、おかげですっかり怠惰な性格が形成されてしまった。
 目標があってそれに対する情熱があったとしても、身体を鍛えるために毎日運動するなんてことは考えられないし、そもそも今はその情熱がない。
 飯を食うのも、必要だと思っているからやっているだけで、おかげでかなりせっぱ詰まらないとやらないようになっているのもいけないのだろう。一日一食か二食しか食べないで一日ごろごろしていれば、体力だって落ちるというものだ。
 要するに今の私は何を面白がって生きていけばいいのかよく判らない状態になってしまっているわけで、たぶん生きることだけで精いっぱいな状態に放り込んでしまえば、治るか死ぬかするのだろう。
 そんな状態でもなんとなく毎日を過ごせてしまう現状に、果たして感謝すればいいのか恨み言を言えば良いのか、それすらも判らない。たぶん、北欧諸国で高齢者の自殺が増えた状況ってのはこうやってやって来たんじゃないかなんて勝手に想像したりする。

 まぁ要するに今日一日ほとんど寝ていて何もしていないことに対する言い訳みたいなものをぐだぐだと語っているわけで、心配してもらうほどひどい状態じゃない(と自分では思う)。
 細かく凹むことも起きていて、こうやって愚痴を誰かに聞いてもらいたい気分なだけなので、聞き流してもらうのが一番良い。なに? そういうことは最初に書いておけ? それじゃ愚痴を聞いてもらえないじゃないか。

 北野勇作「昔、火星のあった場所」(徳間デュアル文庫)[bk1で購入]読了。  戦争の話である。舞台は火星。
 しかし、これは「かめくん」よりはずっと切迫した話になっている。なにせ主人公は訳の判らないまま状況の最前線に立たされているのだ。
 その戦争は、最初は火星の開発権を掛けた二企業同士のものだったはずなのに、いつの間にかその開発の過程で偶然に発生してしまったタヌキと称される生命体との戦争にすり変わっている。とにかく、企業体とタヌキの戦争である。派手に銃弾が飛び交ったりはしないが、けっこうえげつないことは起こる。そしてそのモチーフは何故か日本の昔話なのだ。例えば、桃太郎だったり、カチカチ山だったり、猿蟹合戦だったり。
 舞台が火星なのに「昔、火星のあった場所」とはこれ如何に。この火星は、量子論を基礎とした空間超越航法技術によって、量子的確率の重ね合わせ状態になってしまっているのである。作中では「分解している」と表現する。なんとなくそういう表現は似つかわしくないと思うのだが、とにかく量子論的に不確定になってしまった分解した火星では、全ての事象とまではいわないが、かなりの事象が非常にいい加減で、世界はめまぐるしく変転する。
 なにせ主人公は事件に積極的に関わっていくようなことはせずに、周囲に流されるままに関わるものだから、世界の変転に彼の意思が影響することはあまりない(たぶん全くといってなかったのではないか)。
 周囲に流される人間の周囲がめまぐるしく変転するのだから、物語は二転三転する。それらの変化は、因果律には必ずしも従わない。だって量子論的世界だから。
 などと一見判った風の解説めいたことを書き散らしているが、私が量子論をほとんど全く理解していないことは、既に告白済みである。つまり、正直に告白してしまえば、要するに私はこの話はよく判らなかったのだ。
 誰がどういう思惑で動いて、結局何がどうなったのか。何かが起きたことくらいは判るが、それ以上のことはさっぱり判らない。ついでに言えば、この作品が面白いのかどうかもよく判らない。いつも自分に知識が足りないので面白さがよく判らない状態に感じる「あぁ、これを知っていればここはもっと面白いんだろうな」という感覚も得られない。かといって全くつまらないわけではない。そうだったら途中で放り出していただろうから。
 というわけで、今の私は非常に宙ぶらりんな中途半端な気持ちなのである。誰か私にこの話を馬鹿でも判るようにかみ砕いて説明してください。例によって賞品は出ません。


2001/11/05

 どうも風邪を引いたようだ。
 頭痛、発熱、下痢。終日臥床。
 というわけで、非生産的というものを絵に描いたような一日だった。


2001/11/06

 日のあるうちはそれ程でもなかったが、日が落ちたら無茶苦茶寒い。もう冬か……。秋がなかったような気がするのは気のせい?

 OCNがウィルスチェックサービスなんてのを始めたそうだ。ウイルス付きメールフィルタリングは有料だが、PCのスキャンは会員なら無料でやってくれるようだ。
 前に書いたように、うちに来るウイルス付きメールの8割はocnドメインからなので、よほど苦情が来たに違いない。
 しかし、無自覚にウイルスを撒き散らしているユーザが、自主的にサポートページなど見に行くとも思えず、どれだけ効果があるのかはかなり疑問だ。


2001/11/07

 あー、テンションが一日持ちません。
 こういうのは人間としてどうかと思う。

 「FUTURE BLUES」……要らない映像の方が長いってのはどうなのよ。
 日本の実写映像作家にストーリーとかそういうものになにか期待を掛けることを止めて久しいけど、画作りもだっさださなのはどうなのよ。
 主演が馬鹿にしか見えないってのはどうなのよ。

 SFサイトへの100の質問に答えてみたらSF読みじゃなくて単なるアニオタの回答になっちゃった。


2001/11/08

 11月発売予定だったコミック単行本などが軒並み延期されて、ソニーマガジンズが全面撤退するのではないかと噂されていたコミック部門(コミックバーズ等)は、なんと幻冬社が買ったそうで、コミックバーズやバーズコミックスも幻冬社から出続けるようだ。なにかこのタイミングで切られるものがあるのだろうか。
 今のところバーズコミックスのシリーズものは「夜刀の神つかい」(原作 奥瀬サキ/作画 志水アキ)くらいしか買ってないが。

 OS Xの某アピアランス変更ソフトと某アピアランスを使ったら、あろうことかDock.app内のリソース(pdfイメージだが)を何の断りもなしに(ドキュメントちゃんと読んでないけど:-p)書き換えやがって、そのアピアランスが気に入らないからAquaに戻してもそこだけ直らない(当たり前)。そもそもDockの背景だけを置き換えて、枠が元のままなのが一番気にくわなかったのだが。
 ちなみに悪いのはたぶん某アピアランス(ややこしい)の方だと思われ(そういうことをできるようにしてあるくせに復旧手段をちゃんと用意しておかないアピアランス変更ソフトの方もかなりなんだが)。
 しょうがないので、他にOS Xを持ってる人にリソースを貰って、置き換えることで正常化。本当はOS XのインストーラからDock.appだけを抽出してリソースを取り出すべきなんだろうけど、そんなめんどくさいことはやってられん。もうちょっとめんどくさくない方法としては、別パーティションにOS Xをインストールして、そこから持ってくるべきなんだけど、それもめんどくさい。というかそんな都合よく空きパーティションはありません。
 OS Xのインストールボリュームは、ややこしい方法を使わないとちゃんとバックアップできないので、バックアップを取ってなかったというのが一番悪いんだけどさ。
 でもOS Xって、プログラマの端くれとして考えてみて、どうも必然的ではない理由でこういう不自由さがOS 9に比べて明らかに増えてる感じがするんだよな。「なんか知らんがOS Xが嫌い」って感情はこういうところから来るんだろう。Windozeに似てるぞ!って印象があってさ。

 ちなみに、昔書いたOS 9風のアプリケーション毎のウインドウレイヤ管理(あるアプリケーションが管理するウインドウをクリックすると、そのアプリケーションの管理している全てのウインドウが一番上に来る。当然、クリックされたウインドウを除いてアプリケーション内でのレイヤスタックは保持。OS Xでは、クリックしたウインドウだけがアクティブになると共にウインドウレイヤの一番上に来て、他のウインドウは下に居るままだった。複数ウインドウを開いていることが前提のソフト―例えばARENA―を使っている場合は不便なことこの上ない。Finderを使いたくてDesktopをクリックするという習慣を持っている人は、この仕様変更でかなり困ったことになっているのではないか)は、ASMというフリーソフト(たぶん。「フィーを払う」というボタンを押すと、「気にするな」というダイアログが英語で出る。英語なので間違って理解している可能性はかなりある)で解決されたので現状では満足している。
 しかしなんだね。GUIの動作を言葉で書き表そうとするとえらい長くなってしまって往生するね。
 閑話休題。
 OS X的には、そういう場合はDock内のアプリケーションアイコンをクリックしてくれ、ということなんだろうな。アプリケーションメニューで切り替えてた人はそれで構わないんだろうが。まー「OS X方式の方が便利で良い」なんてことを言う人も居るから、それは人それぞれなんだけど。選択肢を減らすな。

 どうでも良い話だが、コミケの企業ブースってのは結構狭き門なのだろうか。
 実際の話、Softbank Publishingのように、コミケだけで売るんじゃなくてその後にWebで売ってくれれば、あんなところにわざわざ並んで買うような苦行を強いられることもなくて、消費者としてはありがたい限りなんだけど。
 まずWeb上で予約を取って、その分だけ作って売るという方式にすれば、企業側にもメリットがあるんでないか。
 ああいうお祭りの場だからしょーもないものでも売れる、って話はあるかもしれないが。


2001/11/09

 北野勇作「クラゲの海に浮かぶ舟」(徳間デュアル文庫)[bk1で購入]読了。
 うーん。一つ前に読んだ「昔、火星のあった場所」みたいな宙ぶらりんな感じがますます強まったような。
 例によって主人公は会社員なのだけど、既に馘首になっていて、なおかつ記憶を操作されていたりする。その記憶を巡る話……というだけではないのだが、何せ語り手が何が本当で何が本当でないか判らないで語っているものだから、読んでいるこちらも混乱する。
 最後に混乱が収まるか、主人公共々混乱したまま終われば、まぁ納得しないでもないのだが、こちらは混乱したまま主人公は納得して話が終わってしまうのである。
 なんかすごく損した気分になるのは私の性格のゆえなのか。
 ちなみに、執筆順は「昔、火星のあった場所」「クラゲの海に浮かぶ舟」「かめくん」の順なので、だんだんこなれていっている作家の本をその順番に従わずに読んでいるからこういう印象をより強く受けるのかもしれない。でも、最初に「昔、火星のあった場所」を読んでいたら、そのまま読み続けたかどうかはちょっと疑問。最初に「クラゲの海に浮かぶ舟」を読んでいたら、間違いなく読むのを止めていただろう。


2001/11/10

 電波さんからSPAMが来たり(Received:ヘッダを見る限り、なんか独自ドメインを取得してそこから直接送りつけてきているようだ。その割にはOutlookのHTMLメールだったりするのが謎。金持ってるだけの初心者?)、事故で亡くなった大学の先輩の墓参りに行ったり、カラオケで喉を潰したり、先輩に自動車で送ってもらったり(ありがとうございました)、日本語の通じない馬鹿の相手をして心底疲れたりと、まあバラエティに富んだ一日であったことよ。
 最後のが無ければ良い一日だったんだけどね。馬鹿の相手をするのは非常に疲れる。疲れる上に虚しい。しかしながら、これを回避するためには、何せ相手には日本語が通じないわけだから、馬鹿が出入りしている場所からこっちが退散すべきなのか。
 我ながら、対人交渉に向いていない性格であることよのう。

 なんかOS Xのコンパネ(という名前じゃないのだが、こっちの方が通りが良さそうだし書き易いのでこう書く)の「Classic」で「ログイン時にClassicを起動」をオフにしても相変わらずログインするとClassicが起動するので変だ変だと思っていたのだが、ふと「ログイン設定」を確認してみたら、「Classic Startup」という項目が登録されていた。こんなものを登録した憶えは全く無いのだが、なにぶん私の記憶なので非常に怪しい。
 でも登録方法も憶えていないので、自分で登録したようにはどうも思えない。思えないが、これを削除すれば問題は解決するのでまあ良しとする。

 こんな記事を発見したが、これは要するにOCNが自分で言ってることなのであんまり信用できない。なんで信用できないかはここでこれまでのOCNの行状を見れば判る(なんでこのページの管理者氏はOCNが対応をきちんとすると思っているのだろうか?)。
 私のところにやってくる"ocn"という文字列がヘッダに含まれているメール(From:はないか偽造されている)は、相変わらずSPAMかウイルスメールばかりなのだが(一応ゴミ箱行きになったメールがあった場合は確認している)、そういえば最近はウイルスメールばかりでSPAMは減った気がしないでもない(SPAMはさっさと消すので本当に減ったかどうかは確認できないのだが)。
 最近はhotmailからのSPAMが鬱陶しいので、しばらく様子を見てゴミ箱直行のメールを"ocn"から"hotmail"に切り替えるとするか。

 北野勇作「ザリガニマン」(徳間デュアル文庫)[bk1で購入]読了。
 北野勇作消化週間完了。
 最初のうちは、田中哲弥にも似た、長いがリズム感のある文章で読みにくさを感じさせずに生物関連企業に勤める会社員の日常を描いたりしていて、けっこう好印象。
 が、最後までやってきてまたもやメタフィクションに。あんたの引き出しはこれしかないんか。
 引き出しの多い少ないはともかくとして、メタフィクションじゃない部分は面白かったのでなんか非常に悔しい気分になる。
 どうもこの人が書きたいのはメタフィクションであるようなので、私の好みじゃない作家という分類をすべきなのだろう。なんか勿体ないなぁ。メタフィクションじゃないところは面白いのになぁ。


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