01年11月下旬の世迷い言


2001/11/21

 実は今、千葉の実家に帰ってきている。
 んで、水道(つっても電動ポンプで汲み上げる井戸水なのだが)の調子が悪いので直してくれと言われ、いろいろと試行錯誤を繰り返す。
 最初は、台所の蛇口ユニットごと全部交換してしまうつもりだったのだが、壁から出ているクランク状のパイプがどうしても外れず、断念。その代わり、コックの外し方(コックを外さないとコマの部分を外せない構造になっていたのだ)を学習し、コマを交換することで常時水が出ている状態は回避する。
 などと書くとスムースにコトが進んだように見えるだろうが、事実はトンでもなく複雑で、まず、なんとか取り外したクランク状のパイプから先のユニットを手に、近所の(つっても自転車で5分程は掛かる)DIYショップに赴き、店員に互換性のあるものはどれか、と訊ねた。すると店員曰く、クランク状のユニットまでは互換性があり、通常はクランク状のユニットまでが一つの製品なので、互換性はそれを持ってこないと保証できぬ、とのこと。
 しょうがないので一旦家に戻り、クランク状パイプを外そうと試みるが、なにせ建ててから四半世紀もの間、まったくいじらなかった場所である。クランク状パイプはいくら力を入れても回らず、しょうがないので壊れているユニットをまた付けることにする。
 が、クランク状パイプとユニットの間のパッキンが経年劣化でぼろぼろになっており、井戸水を汲み上げるモータのスイッチを入れた途端に水が吹き出す(そう。通常ならシンクの下に付いている、ユニット交換をする際に使用するコックがないのである。あまつさえパイプさえ壁の中にあってどうしようもない)。
 慌ててモータを止め、互換性がなかった場合には返品をしても構わないか、という言質を取った上で、一番互換性のありそうだったユニットを買ってくるが、やはり全く合わない。しょうがないので取って返し、返品と共にコマを購入。先ほど、製品を選ぶ際に他の棚を観察していて気付いた、コックを取り外す方法を用いてコマを交換し、ようやく水が止まるようになる。
 が、話はそれだけでは終わらず、井戸水を汲み上げるモータの圧力センサが壊れているらしく、一向にモータが止まらない状態になる。水を使っていないのに汲み上げ続けられていたら、あっという間にシステム全体が破綻しそうなので、スイッチだけが2.5m延長できるタップを買いに行き、それでモータのOn/Offを室内から制御できるようにする。
 ここまで、自転車で四往復である。私の実家の近所は坂が多く、自転車を使う場合は非常に脚力を必要とする。
 ここ一年でほとんど動かないような生活を送っていた私の足は、二往復くらいから悲鳴を上げ始める。我ながら情けないことである。やはり自転車を購入し、日々の足とすべきなのか。でもあっという間に盗まれそうだし。


2001/11/22

 朝もはよから、本来の目的である自分の部屋の整理に掛かる。
 元々、六畳間に無理矢理セミダブルベッドとフルセットのコンポーネントステレオと学習机が入れてある時点で一杯いっぱいなのだが、私は、田舎の農家出身の母親の影響(田舎の農家というのは、ふんだんにあるスペースを使うことで、二度と使わない物をテンポラリ領域(通常は納戸とか納屋とか呼ばれている)に永久に仕舞い込んでも生活に支障を来さないのである)で、物を捨てる技術と、効率的に物を収納する技術という物を全く持ち合わせていない。
 よって、社会に出てから数年間で、私の部屋は完全な混沌状態に陥ってしまった。主に体積を占めているのは、膨大な書籍であるので、それをがーっと捨ててしまえばたぶん問題は解決するのだろうが、二度と入手できない同人誌を筆頭として、既に絶版になってしまった商業出版物も少なからず含まれているので、それは性としてできぬ。
 とりあえず、本には目をつぶってももう明らかに必要のない物(例えば、現在CDとして所有しているアルバムをテープに落した物など)はそれなりにあるので、まずはそちらから片付けることにする。
 ……それだけでもえらい疲れる。ついでに全然進まない。まずは本のスワップ領域を確保しなければならないのだが、その進捗が50%行ったかどうか。これ、いつまで掛かるのだろう。

 実家に帰ってきたら、母親が風邪を引いていて、免疫力というものを死なない程度にしか持っていない私はしっかりうつされる。
 現在、喉が痛くて仕方がない(それ以外の症状が出ていないところがまだ安心材料といえば安心材料なのだが)。明日からはまた別の予定があるのだけれど、大丈夫なのだろうか。


2001/11/23

 大事を取って23:00前に就寝してみたのだけど、状況は悪くなりこそすれ、良くはならなかった。
 発熱はないのだが、喉の痛みに加え、鼻水も出るようになる。親が訴えていた症状とまるきり同じである。
 しょうがないので予定をキャンセルして一日寝ていることにする。明日までに治れば、明日からの予定はこなせる筈である。……そうであって欲しいなぁ。


2001/11/24

 風邪は回復の傾向を見せていたので、予定通りに行動することにする。
 予定とは養老渓谷への旅行である。
 昨日の予定よりも優先すべきだと思われたのは、宿を予約している以上、直前になって中止すればキャンセル料が発生すると思われ、それに伴う様々なことどもを煩わしいと思う気分が強かったからである。
 閑話休題。
 昨日はほとんど眠っていた一日だったので、朝に自然と目が醒める。
 時間通りに指定の待ち合わせ場所に到着。移動中、MDを聞いていたためにPHSへの連絡に気付かなかった。しかし、留守録はされていたので、多少の齟齬が生じたものの、無事に合流。当然のことながら、他のメンバーは昨日から一緒に行動しているのだ。
 まずはJR外房線を使い、大原まで。茂原までは良く見知った風景(とはいえ、実家より南の風景を観ていたのは高校時代の話だから、相当昔だ)で、変わったところもあるが、実家近辺に比べれば遥かに田舎なので、変わらない部分の方が多い。非常に懐かしい。
 外房線は上総一ノ宮から先は未だに単線である。複線化する需要もなければ土地もない(南房総は山と海に挟まれた狭隘な地形と言っても間違いではないので無理もなかろう)のだから、無理もない。
 上総一ノ宮から先は電車を使って行ったことがなかったので(バイクもしくは車では行ったことがあるのだが)、結構新鮮な体験である。元来が私は車窓を只眺めているのは結構好きなのだ。
 単線で、その駅での擦れ違いを意識しないで作られている駅というものを初めて見る。結構なカルチャーショックである。出不精な私が知っている単線の鉄道というのは、そのほとんどがJR東金線と東部野田線の柏―舟橋間だけで、それらの路線は全ての駅が駅で列車がすれ違うことができるようになっていた。私にとってはそれが常識だったので、それを覆されたショックは、他人には理解し難いと思われるが、大きい。
 そんなこんなで大原に到着。一の宮から先の道路は、海沿いに走っているので、線路も当然そうだろうと漠然と考えていたが、海は一度も見えず。
 大原からはいすみ鉄道に乗り換えである。ディーゼル機関の一両編成の列車(一両でも列車と呼ぶべきなのだろうか?)。電化されていない鉄道を利用するのも初めてかもしれない。ディーゼル機関車は、加速している期間が良く判って面白かった。普段から利用している人には只煩いだけだろうけれども。
 いすみ鉄道終点の上総中野到着は12:29。ところが、そこから先の小湊鉄道の列車の時刻は一時間後である。
 仕方がないので、ここで昼食を取ることにし、店を探すが、観光地でもない山の中の寒村(地元民が聞いたら怒るだろうが)では、食堂は一件しかなく、そこは既に一杯。他の店を探して歩き回るが、500mも歩かない内に商店街自体が終わってしまい、しょうがないので昔ながらの食料品全般を扱っている店(としか形容し難い)でパンと飲み物を買って、駅舎内で食べることにする。まぁ、これも旅の風情と言えば言えないこともない。
 小湊鉄道より前に同じ方向に向かうバスがあるということなので、それを利用して宿泊予定の宿のそば(というか、バス停が宿の目の前にある。しかも宿の名前が付いている。流石観光地)まで移動。道は大渋滞。鉄道は大回りになるように付設されているので、自動車を使って移動すれば、距離的には最短経路で行けないこともなさそうだと考えていたが、この渋滞を見て気が変わる。というか今ここで路駐を取り締まれば、物凄い成果が上がると思われるほど路上駐車が多く、それが交通を妨げている。現地の人間は客のことを通報するわけにはいかないだろうから、通報してやればよかった。というか他に車で来てる奴が通報すれ。
 チェックインまでは時間があったので、荷物だけを預けて周囲を散策することにする。ここで、山歩きには全く向いていない靴を履いていることに気付く。が、もっと向いていない靴を履いてきた人間もいたので良しとしよう(それは理由にならないという気もしないでもない)。
 紅葉は、確かに綺麗。渓流の水も澄んでいて美しい。が、基本的に植わっている木の大半が杉なので、なんとなく実家の近所のだだっ広い公園を散歩しているのとあまり変わらないような気分。川に来たら普通はやる水切などに熱中するなど、客観的に見るとかなりしょうもないことで時間を潰す。まぁ、これも旅の風情ということで。観光地価格の食い物をやたらと飲み食いするよりは健全だろう。
 散策の最後に行った「出世観音」なる寺(だよな? 観音だし)が、さらに山を昇ったところにあり、行程もかなり適当な整備の仕方をされている(場所によって階段だったりかなり急な斜面だったりする。ついでに地面がむき出しだったりコンクリートで舗装されていたりして一貫性というものが見られない)ので、行くのにかなり往生した。
 というか、階段の類は一気に駆け昇りたくなってしまう性分が禍して、上り詰めた頃には息が切れていた。自分の現在の体調をもっと考えるべきだったというのは後から回想して出てくる感想であって、この頃には既に観光地ハイと山歩きハイがない交ぜになった奇妙な高揚感に包まれていたような気がする。
 とりあえずお参りして、おみくじを引いて(「病気:長引くが命に別状なし」ってなんかかなり深刻で嫌なんですが。命に別状はなくても生活に支障が出そうなもので)、ハイになった状態のまま駆け降りる。途中の橋が忘れかけていた高所恐怖症を思い出させてくれるような代物で、そこは周囲を見ないようにして一気に抜ける。しばらく、高所恐怖症を誘発するようなシチュエーションに遭遇していなかったので、その恐怖を忘れかけていた。いや、そのまま忘れてしまっていた方が幸せだったに違いない。
 疲労困憊とまでは行かないまでも、かなり疲れて宿に到着。
 その後はだらだらとTVを眺めて過ごす。夕食は結構豪華だった。鯉というものを食べたのは初めてかもしれない(基本的に魚は嫌いな子供だったので、私の食習慣は魚に関してはかなり偏っている)。まぁ、不味いものではないが、食べなければ損であるというほど美味いものでもない、という感じか。
 その後も黒い温泉に入り、TVをだらだらと観て、23:00頃には就寝(なんて健康的な!)


2001/11/25

 8:00少し前に起床。風邪は一進一退。ちり紙を大量に持ってくるべきところをポケットティッシュ二つにしてしまったために、あっという間に消尽してしまったのが失敗といえば失敗。ブラシも忘れてきてしまったので(いつも持ち歩いているものを実家で使い易いように出しっぱなしにしてしまったのが主な敗因)、露骨についた寝癖を直せない。これで一日歩き回るかと思うと多少憂鬱。
 10:00少し前に宿を立ち、小湊鉄道の養老渓谷駅に向かうバスに乗り込む。んが、養老渓谷駅で五井に向かう列車の時間までやはりブランクが一時間ほどあるのである。さすがは田舎の交通機関。地元の人はそれに合わせた生活をするから良いのだろうが、観光で生計を立てているような場所でそれで良いのか、という気はかなりする。そんなことだから自動車を利用する人間が絶えないのだ。エネルギー効率という観点からすれば、鉄道は自動車の何倍もの利点を持っているはずで……この話を始めると長くなるので次回に譲ることにしよう。
 というわけで、空いてしまった時間を消化するために適当に散策。近くの渓谷に渡された橋まで行って戻ってくるという、至極単純なものである。それはそれで変なもの(例えば、朽ちかけた自動販売機とか)が道沿いにあったりして楽しい。
 ようやくやってきた小湊鉄道の列車は、普段は二両編成であるところを四両編成にしてあり、ホームからはみ出している。それでも観光にやってきたオバちゃんで一杯である。日曜日の午前中とはいえ、もう昼も近いこの時間にやってきて、彼らは何をして帰るのだろう? 翌日は平日なので、日帰りというのが普通だと思うのだが、それはかなりの強行軍である。それとももう退職していて平日でも構わないのだろうか? だとすると、混むことが容易に予想される日曜日にわざわざ移動する理由が判らない。謎である。
 それはともかくとして、ようやくやってきた列車に乗り込み、延々と時間を掛けて内房線を経由して千葉へ。千葉で昼食。このご時世なのでわざわざ牛のステーキを頼んだのだが、メニューにしっかり「オーストラリア産」と書いてあって拍子抜け。普通は書くか。
 千葉から総武線を利用して下総中山へ。下総中山と本八幡のちょうど中間点あたりに昔あったニッケの工場跡地に作られた千葉県立産業博物館というところへ行く。
 基本的には、国立科学博物館の体験コーナーのようなもので、子供が仰山いる。原理の説明などはほとんどないのであんまり面白くない。それでも、液体窒素を使った実験の実演と、人工雷の実験は面白かった。人工落雷の方は学生時代に実験でやったはずなのだが、あまり記憶に残っていないところをみると、ここの実演の方が面白かったのだろう。これらを見学する場合には無料なので、暇がある人は行ってみるといい。
 ただし、先に書いたように、駅と駅の中間点あたりにあるので、結構歩く。普段なら気にしない距離なのだろうが、旅行のための荷物を抱えて、ついでに昨日までの疲労も抱えた身には結構堪えた。
 飛行機の時間がある人もいるので、16:00少し過ぎには博物館を出て、東京へ向かう。
 東京ステーションホテルの食堂で夕食。メニューはなんということはない。普通のビアホールである。ホテルのレストラン、というイメージからはかなり遠い。それでも味が悪いわけではなかったし、酒を飲むこと自体が楽しかった。
 東京を19:30頃解散。総武線快速と外房線を使って帰宅(いつもなら京葉線直通を使ってしまうので、結構新鮮な体験)。風呂に入ってバタンキューと寝る。


2001/11/26

 実家にやってきた目的の一つである、自室の荷物の片づけが終わっていないのだが、風邪が治りかけというにはちょいとばかり悪いので、一日寝ていることにする。これで治って明日からバリバリ片付けられれば言うことなしなのだが、……難しいか。

 森博嗣「そして二人だけになった」(講談社ノベルス)[bk1で購入]読了。
 ハードカバー出版時に、たぶん金がなかったのだろう。買い逃してそのままになっていた作品。
 なんだろう。ミステリではないとは言わないが、これは結構卑怯な部類に入るのではないか。特に何が真実で何が虚構なのかをわざと解りにくくしてあると思われる部分は気になる人は気になるだろう。
 最後にはどんでん返しに次ぐどんでん返しが待っているので、そういうのが好きな人で森博嗣が嫌いではない人にはお勧めしておこう。
 しかし、一人称で物語を進める人物が、最後までanonymousであるというのは何かの象徴なのか。


2001/11/27

 今日も今日とて部屋の片付け。
 なんでこんなものが取ってあるのか不思議なものが山のようにあってうんざりする。
 習慣というものは恐ろしい。

 勤労などという言葉とは無縁の人生を送ってきた私にはどうでも良い話なのだけれども、私は自分には関係のないことの方が気になったりすることが多いので、このようにわざわざ文章にして残しておいたりするわけなのである。
 閑話休題。私が風邪で寝込んでいた(というよりは無理矢理寝て速く回復させようと目論んでいた)先週の金曜日は、勤労感謝の日だったわけですな。
 んで、不況のせいもあって、それを当て込んだハウスのCMが金曜日までにはやたらと流れていた。
 ここで疑問に思うのは、実際に外に出て社会的に勤労という言葉の定義どうりのことをやっている父親は脇にほっぽっとかれていて、母親だけが感謝の対象になっているというあのCMのストーリー構成である。
 フェミニズムに燃えている活動家の皆様方におかれましては、「主婦は立派な勤労であり、社会にも貢献している」と言いたいところなのかも知れませんが(そういう論調のフェミニズム関連の話は見たことがないような気がするが)、だからといって母親だけに感謝を捧げるなんてのは単なる逆差別に過ぎないわけで、例えお為ごかしに過ぎないとしても「男女平等」を謳う観点からすれば、これは相当に問題のある描写なのではないかと思うわけですよ。
 多寡がCMごときに目くじらを立てるのは馬鹿馬鹿しい、と仰る方もいらっしゃるでしょうが、もっと馬鹿馬鹿しい言葉狩りなどというものをやっているTV局が、そういう無神経なことでいいのか、と私は問いたい。問い詰めたい。小一時間(略)。
 ハウス食品工業の主ターゲット消費者が家庭の主婦であるとしても、家庭の主婦の購買決定の過程に、亭主がほとんど関与できないのが一般的だとしても、こういう捻れた描写を見逃さない目を培っておくことが、最終的にはより良い社会を気付くためには必要なんではないか、なんて偉そうなことを書いたりもするが、実はこれで一日分のネタができたと喜んでいるだけなのは明白なので、そのような秘密でもなんでもないことはわざわざ指摘なんかしてはいけません。そういうのを野暮というのです。


2001/11/28

 約10年間に渡って集積された書籍類の要不要を判別し、とりあえず現在集積されている場所から別の場所に移動する、という作業を延々と続けているわけだが、埃の溜まり方が尋常ではなく、タオルで口と鼻を覆い、頭もタオルで覆っているにも関わらず、ハウスダストが原因と思われる鼻炎の症状はしっかり出る。
 その前に、微妙に視界が曇っているなぁ、と思って眼鏡を外してみると、レンズに埃が溜まっていたりする。
 とりあえず、明日で一端作業を打ち切り、大宮に帰らねばならぬ。家賃を振り込んでないし、11/30締め切りの入金があったりもする。12/1には医者の予約も入れてある。
 元々が、こんなに長期滞在になるとは思っていなかったのだ。精々一週間程度で片を付けるつもりだった。しかし、風邪をうつされて二日間寝込むという事態は予想できなかった。明日の大宮に帰ることができる時間までに残りの作業(パッと見で1/3くらい)が終わればいいのだが。

 実家に帰ってきてからというもの、フレッツISDNからPHS接続になってしまっていたのだが、やはりネットワークは常時接続でなんぼであるということを痛感する。転送速度はでかいファイルを落さない限り気にならないが、時間を気にしながらのネット接続は、形式自体を大きく変えてしまう。
 どっちが良いのか、という話になるとちょいとばかり微妙な気がしないでもないのだが。私にも古き良き時代を懐かしむ気分はあるのだ。


2001/11/29

 とりあえずの懸案までは片を付けて、大宮に帰還。あぁ、Fletsはやはり偉大だ。
 しかし、なんかもう一生分掃除した気がするよ。もうしばらく掃除はしたくない気分だが、大宮の部屋はしっかり埃まみれなのである。いや、掃除なんかしないんだけど。そもそもそういう人格でないと、魔窟は作れない(魔窟と言うには少々薄いか)。
 今住んでいる部屋のレイアウトを早急に改善しないことには大変な事態が待ち受けているということは強く思い知ったが、さりとて何から手を付けて良いやら。とりあえず要らないものは捨てるようにしよう。……今の疲労が身体から抜けたら。

 しかし、まさか一週間以上実家に居ることになろうとは夢にも思わなかった。当初の予定では今週の頭には戻ってくる算段だったのである。
 この期間中、ネットワーク的にはほとんど隔離されているに等しいくらい不便だったのだが、それで解ったのは「人間、Web巡回なんかしなくても別に死んだり病気になったり気が狂ったりなんかしない」ということである。
 別にそんなことは考えてみなくても当たり前の話なのだが、当たり前であるということは、理屈では解らないということでもあるので、実体験してみるのは悪いことではない。
 結局、Webなんてものは単なる娯楽の一つに過ぎないわけで、代替物があったり、それどころじゃなかったりする場合には、簡単に無視できてしまう程度の重みしか持っていないのだ。少なくとも私の中においては。
 そうして考えてみると、自分が趣味としている物事のほとんど全てが私の中で最重要事項にはなっていない(普通はそういうものだと思うが)し、さりとて社会参加が最重要事項でもないという、事実に気付いて戦慄(のふりを)してみたりもするのである。
 なんか、こうやって薄く生きていくのが楽で良いのかなぁ、なんてことを考えているのは人間失格ですかそうですか。


2001/11/30

 先週の旅行で、面子に「腹に来る風邪」を引き込んで、かなり辛そうにしている人がいたのだが、そのウイルスをしっかり貰っていたらしい。
 昨日の晩から発症。私はT4ファージ実験用の大腸菌かなんかか。

 提出用書類のフォームを、WORDファイルでしか用意していないというふざけた野郎のために、WORD v.X Test Driveを使ってみることにする。
 まぁ、普通に使えるのだが、とにかく重い。入力がリアルタイムに反映されないという状況を久しぶりに体験した。やはりG3 450MHzでAquaは駄目か。フォームなもんだから、先にエディタで作っておいて整形するという訳にはいかないのが腹立たしい。
 実はまだ書類を書かねばならぬのだが(本当はもっと早く書いておかないと拙いような気がしないでもない)、腹に来る風邪は、親から貰った気管支に来る風邪と違ってしっかり発熱するので、頭がさっぱり回らないのである。昔、風疹を貰ってきた状態で締め切りの迫ったレポートを書いているときがこんな感じだったか。


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