私に複数の風邪と莫大な体力の消耗をもたらした、先週の帰省および部屋の片づけだが、本当に良かったと思えることが一つだけあった。
それは、引っ越しのどさくさで無くしたと思っていた、ZABADAKの初期アルバム「Welcome to Zabadak」が出てきたことである。
というわけで、早速iTunesに取り込んで聞きまくっているのだが、今の耳で聞くと、多少軽いながらもしっかりZABADAKなのである(当然のことながら)。
しかも、吉良テイストと上野テイストはこの頃でもしっかり分かれている。聞いていて「あ、これは上野さんの曲だ」と思うところが少なからずあるのである。上野さんの曲というよりは「吉良さんの曲ではない」と言う方がより正確かもしれない。
これが「飛・行・夢」の辺りになってくるとその境界線が一度曖昧になり、「遠い音楽」で完全に融合してしまう。そしてその後は急速に分かれて行き、やがてのれん分けに至るのである。
ZABADAKファンでない人にはさっぱり判らないだろうが、他人には価値の判らないことを重大なこととして扱えるかどうか、ということがオタクの本質なのではないか、というのが私の最近の持論なので、ここを読むからにはこういう話題にも我慢して付いてくるなり読み流すなりしてもらいたい。もちろん読むのを止めるという選択肢もある。
内親王殿下御誕生に関しては、お祝いする気分の方が強いことは確かなのだが、テレビ東京以外の民放がこぞって特番にすることはないんじゃないかと思わないわけでもない。それと特番にCMを入れるのは不敬なんではないか。特番中にニュース速報でワールドカップの情報なんか流すのも不敬なんではないか。
むぅ。提灯行列なんかやった人達が居るですか。うーん、戦後の平和教育の嵐に揉まれた身としては「提灯行列」という単語自体に拒否感を覚えてしまう。
「朝霧の巫女」フリークとしては、是非とも内親王殿下が「日瑠子」様と御命名され、要するに維新時の武家の都合で作られた上に、たかだか明治以降の歴史しか持っていない今の皇室典範が改正されて日瑠子陛下の御即位が実現し、NHKで「日瑠子陛下行幸の御様子」が流れることを希望するものである。
本日の疑問。
皇室になしかしら起きると毎回行なわれる「記帳」なるもの。あれは一体なんのために行なわれているのだろうか?
国民の自己満足とか言ってしまうと実も蓋もないので、他の答があれば知りたいものである。
なんか、大宮のナガサキヤがまた閉店セールとかやってますが、今度は本当に閉店するのだろうか。
SATYが潰れない限りは不便はそんなにないか。実はもっと近所のマルエツが24時間営業だということについ最近気付いたばかりだし。雨が降ってる時は東武ストアで諦めればいいだけの話だし。
岩本隆雄「ミドリノツキ」(ソノラマ文庫)上中下巻[bk1で購入] [bk1で購入] [bk1で購入]読了。
上中巻のペースに比べると、下巻は明らかにハイペースだし、構成もとっちらかっちゃってる感が強い。なんかもう、こう、ちょっと構成を考え直して、ソノラマの厚めの一冊にまとまるボリュームに編成し直せば、いい感じになると思うのだが、どうなんだろう。もしくはいっそのこともっと長くするとか。
作者のあとがきを見るに、締め切りが追っかけてくる連載状態で書かれたようなので、それを知ると余計に惜しい感じがひしひしとする。<お前は何様だ
近ごろやたらとCMを目にするPENTAXのOptio430だが、「世界最小、最軽量」という惹句に引かれて仕様を調べてみた。何故か店頭ではあまり見かけないのである。人気商品なのだろうか。
とにかくWeb上で仕様を見ると、CANONのIXY Digital 200よりもでかいし厚い。
これは要するに、Optioは400万画素で光学三倍ズームを備えているので、「クラスでは最小、最軽量」ということらしい。IXY Digital 200は200万画素で光学二倍ズームなのである。
私はIXY Digitalの何が気に入らないって、APSのIXYで実現されているあの薄さが再現されていないところなのである。あの大きさからすれば、あの厚さはあまりに美しくない。前から見た面積は大きくなるものの、FujiFilmのFinePixシリーズの薄さの方が私にはアピールする。ただし、MP3再生機能という要らん機能が付いているのと、付いていない機種はデザインがダサいので購入には踏みきれない。現在使用しているFinePix2900Zの資産が流用できるので、その点では魅力的なのだが。
まぁとにかく、後は店頭で物を触ってみないことには始まらない話である。そんなもんを買う余裕なんぞ、急上昇を続けるApple株を売り払いでもしなければないのだけど(ひそかな自慢)。
要らないことを言っておけば、今回のSF Japanが手塚特集だったので、手塚に対して何の思い入れも持っていない私は買わなかった。徳間もDual文庫以外は老人ホーム化がかなり進んで……げふんげふん。
いや、本当に気管支に入っちゃった風邪は抜けなくて困る。うん。実に困る。
MacOS 9.2.2アップデートが出ていたので早速掛けてみる。
主にClassic環境の安定性向上が目的だったようで、特に大きく変わった部分はないように思える。
一つ大きく変わったのは、コントロールパネルのソフトウェアアップデートを使ってアップデートを掛けても、アップデータのファイルがデスクトップに残るようになったことである(これは9.2.1のソフトウェアアップデートの変更なのかもしれないが)。
これまで、PismoとYosemiteの二つの環境を維持していくためには、二回ソフトウェアアップデートを使って同じ物を同じ時間だけ掛けて落してこなければならなかったので、この変更はとてもありがたい。早速MacLHAで圧縮してYosemiteに転送し、Classic用OS 9環境をアップデートした。
こういうちょっと気の効いた変更があるからMacOSを使っていて良かったと思えるのである。
Zabadakの"COLORS" TOUR 2001に行く。会場は渋谷ON AIR EAST。
開場時間に遅れて行って、整理番号順の入場で後回しにされていたにも関わらず、幸運にも空いた席を見つけ、確保。年寄りにはStandingはもう辛いので助かる。
愁眉はアンプを通さない生ボーカルによる「光の庭で」。素晴らしいの一言。
これで「光降る朝」を聞きたいな、と思っていたら、なんとアンコールで掛かる。ちょっとびっくり。
吉良さんのびっくり誕生日祝とかあって楽しいLiveであった。
marsh marrowのLive情報を得たはいいが、平日の14:00からって普通の人は行けませんがな。
上野洋子ソロアルバム2002/1/23、2枚同時リリース、とか色々とマイナーなニュースが多い日であったことよ(いや、単に私が今まで知らなかっただけなのだが)。
一般世間ではそろそろ賞与という臨時収入の季節で、それを当て込んだ商戦が繰り広げられているわけだが、私はここ2年ほどそのような臨時収入とは縁のない身であった(去年の冬のボーナスは出なかったのである。実は他の社員には出ていたのかもしれないが、私は知らない)。
とはいえ、この時期になるとなんとなく普段は使わない額の買い物をしてみたくなる習性をしっかり植えつけられていて(自分で受け付けたんじゃないかという気もしないでもない)、ふと気がつくとVisor Platinumを持って立っている自分に気付いたりする。
いや、本当のことを言えば、「Edgeの赤はあるか?」と聞き、さんざん探し回った店員が「ありません」と答えたのに続いて「ではPlatinumをくれ」と言ったことは覚えている。どうせSnapConnect fot Visorを着けっぱなしにして、日常的に持ち運ぶのが苦にならないメールチェックマシンにするつもりだったので、必ずしもEdgeである必要はないのだ。
んで、入手したはいいが、肝心のSnapConnectがSofmap大宮店の棚卸しに伴う混乱で当日入手できず、ついでにわざわざ秋葉のIKE SHOPまで行ってみたら今度は別売のPHS用接続ケーブルの在庫がなかったりして、パッケージを開けてちょっとだけ起動してみて、今日まで放置していたのであった。
今日、ようやくSofmap大宮店にてPHS用ケーブルを入手し、ついでに突発飲み会が両国で開催されたので秋葉のIKE SHOPに寄ってSnapConnect for Visorも入手してきた(Sofmapとは実に5000円近くもの価格差があるのである。何故?)。
というわけで、PismoにPalm Desktopその他をインストールし、ATOKなどをインストールし、Snap ConnectとPHSをつないで接続を試みる。
が、なんか接続に行くと「メモリを整理しています」などという表示がPHS側に出て、一向に接続できない。
何回か試しても駄目だったので、ASTELがやっている全国一律接続料通話料込み込みサービスの番号である「*555」を止めて、RIMのPIAFS接続ポイントの番号にしてみたらあっさり繋がる。なんでじゃ。Pismoでは何の問題もなく使えているサービスなので、SnapConnectに由来する問題なのだろう。なんか釈然としないものがあるが繋がったのでそれで良しとする。
良く考えてみたら、dot.i端末に機種変更すればもっと安く上がったような気もしないでもないのだが、最近電車内などで良く見かけるようになった、携帯電話を一心に見入っている姿というのはなんとなく格好悪いような気がするのでこれで良しとする。
中島河太郎編「君らの魂を悪魔に売りつけよ 新青年傑作選」(角川文庫)[bk1で購入]読了。
ミステリな人には釈迦に説法だろうが、かつて「新青年」という雑誌があり、多くの推理小説作家を世に送り出した。これはその「新青年」に掲載された短編を編んだものである。
書かれた時期は大正から終戦直後くらいまで。よってかなり古めかしい作品が並ぶことになる(そういう趣旨のアンソロジーなのだから当然だが)。
「輻輳」などという単語は、今ではもう通信関係でしか使われないが(例えば、ある番号に電話が集中して掛かりにくくなっている状態を「輻輳している」と言う)、昔は雑誌への投稿を断るために「記事輻輳のため」という言い方をしたらしい。
一時期、大正や昭和の初めを舞台にした話が流行したことがあったように思うが、このような言葉遣いまで気を配った作品はついぞ見かけなかった。世界を説明するためにはこういうデティールにこそ拘って、読者をして今とは違う世界なのであるということを納得せしめるべきではないかと思うのだが、そういうのは今時は流行らないのだろうか。
閑話休題。
舞台立てや文章などは古色蒼然としているものの、ストーリーの骨格はちっとも古びていない。というかこのストーリーに立っているキャラを配置したら「新本格」になるんじゃないかという気がしないでもない。高木彬光の「月世界の女」や佐藤春夫の「家乗茶飯」などは、文章さえ直してしまえば新本格といっても通じそうな気がする。
というわけで、とっくの昔に同じネタの使い回しに突入しているのではないかと思われるミステリ界よりは、科学知識の発展によってネタがどんどん供給されるSFの方がまだ小説として幸せなんではないかということを感じさせられた。こういうのを牽強付会と言うのである。
なんかYosemiteのOS Xの調子が悪いのである。放置するといつの間にかフリーズしている。iTunesでCDを読み込んでいる間に、演奏させないで最大速度を出そうなどと考えていると、いつの間にかフリーズしていたりするので油断も隙もない。何故か演奏させているとフリーズしないのが謎。一度、演奏中にフリーズして0.5秒分くらいの音が延々と繰り返し鳴ったりしたこともあったのだが、あれは一体どういうことが起きたのだろうか。
とにかく、OS 9ではSETI@homeをずっと掛けっぱなしにして放置しても、一週間までは動作し続けた実績があるので、少なくとも私の環境においてはOS XはOS 9よりも堅牢なOSだとは言えない状態である。困ったもんだ。
どうも私の見聞きする範囲では言及されていないようなのだが、皇室に「日瑠子」殿下はご誕生なされなかったが、「あいこっち」はご誕生なされたのである。関西弁は喋りそうにもないが。デコキャラにもなりそうもないが。
江戸屋猫八師匠の訃報を聞く。
江戸屋子猫は四代目猫八を襲名するのだろうか?
米国がようやく公開したビンラディン氏がテロに関与していた証拠とされるビデオだが、この内容では彼が事前に事件を知っていたことは証明できても関与していたことは証明できないと思うのは私だけだろうか。
というか、アフガニスタンで見つかったって、どういうことだよ。これまで散々言っていた証拠ってのはこれとは別にあるのか?