01年12月下旬の世迷い言


2001/12/21

 あっはっは。しばらく使った後に、Context Menuから「URLをファイルにダウンロード」(もちろん、実物は英語なのだが)を選ぶと突然終了するというBugは残ってるよ。<IE5.1 Classic
 たぶん、ファイルダイアログ関連のAPIを呼び出してエラーが返ってきたときの処理にexit()とか書いてある所があるのだろう。コードレビューとかやってないんだろうな、この規模になってくると。これ、どうもリソースを離さないらしくて、これが起きるとOSを再起動しないと1時間もしないうちにフリーズしてくれるのだ。だから困ってる人もそれなりにいると思うのだけど。
 昨日書いた、購読モニタの表示が切り替わらない問題は、どうもテキストエリアに対して描画はしてもリフレッシュを掛けていないようだ。ウインドウを後に回した後にまた前に出したり他のウインドウを前に出したりすると、その時にチェックしているURLのタイトルが表示される。全機能に対する検査もやってないんじゃないか。

 毎度毎度のCDDBネタだが、オリジナルサウンドトラックのアーティスト名を「音楽」でキャスティングされている人間にして登録しておいたら、「主題歌のヴォーカリスト・他」というのに上書きされていて激しく憂鬱になる。
 日本じゃヴォーカルが入ってないアルバム=インストゥルメンタルのアルバムは売れないと聞いて久しいが(YMOで最初の音楽的洗礼を受けた身としては「はぁ?」と思ってしまうのだけど)、その現れの一つだと思ってしまう出来事ではある。
 主題歌のヴォーカリストが関わった曲は、全19曲中、バージョン違い(TV Size)を含めて三曲だけなのである(つまりは18曲中2曲と言っても構わない)。それなのにそういうことをするか、普通。どういう神経をしてるとそういうことができるのだろうか。そういう奴はアルバムなんぞ買わんでいいからシングルだけ買っとけ。シングルが出てないんならともかく出てるんだから。
 どうも最初にCDDBを参照に行かないで、とにかく自分でトラック情報を入力して闇雲にそれを送信してる阿呆がかなりの数いるような気がしてならない。
 まぁ、根本的には同じアルバムに含まれている曲には1アーティストしか許さないというCDDBの仕様が拙いのだけれども。

 OS X 10.1.2 Updateが出たので早速掛けてみる。
 前回のUpdate時に散々文句をここに書き、AppleのTellUsにも文句を書いた、Dockを右に配置していると強制的にDesktop上のボリュームアイコンが一つ左のグリッドに移動させられてしまう、という仕様がどう変わったか、試してみた。
 ……確かに一つ左のグリッドに強制移動させられることは無くなった。しかし、これは。苦笑を持って迎えるしかない。
 例によって文章でGUIの状況を説明するのは面倒臭い上に理解しにくいと思われるのだが、敢えて書くと、Desktop上のボリュームアイコンは、Dockを囲むように配置されるようになったのだ。
 百聞は一見に如かず、という状況を如実に表しているな。相変わらず、Dockとアイコンは絶対重ならないようになっている。しかし、全て一律に一つ左にグリッドに移動してしまうわけではなく、Dockと重ならないような位置にあるものは、一番右のグリッドになるべく留まるようになっているのである。
 アルゴリズムを説明した方が判りやすいかもしれない。Dockを右側に表示したとしよう。当然、Desktopはその分だけ占有される。しかし、Desktopを構成する長方形の右辺全部を埋めてしまうわけではない。Dockはセンタリングされて表示されているので、画面の右上と左下には空きスペースがある。まず、その空きスペースをアイコンで埋めていく。そして、そこに入り切らなかった分を一つ左のグリッド上に配置していく。
 これがどういう結果をもたらすかといえば、画面の右上と左下に分割されて配置されたボリュームアイコンとなる。
 こんなもんが使い易いわけがないだろうが。脳みそ腐っとんのか。>Apple
 だからさっさとグリッドを可変にしろと言ってるだろうに。ついでにDesktopにごみ箱が表示されていれば、Dockを右に配置する理由の半分以上が無くなるので、それも実装すれ。こんな下らん自己満足につきあっているほど私の心には余裕はない。
 どうやら、Desktopでアイコンをグリッドに沿って整列させる設定にしておかなければ、強制的にアイコンを移動させるような暴挙は行なわなくなった(10.1.1ではDockを隠すようにしておかなければ、Login時に必ずDesktopのアイコンを左に移動させていた)ので、これで勘弁してやるとするか。
 相変わらずFinderはカラム幅の設定を覚えないし、Logout時にはいちいちダイアログを出して確認するくせしてShutdownやRestartはいきなりやるという変な仕様は残っているけれど。


2001/12/22

 電話で叩き起こされる。
 気分によってメールと電話を使い分けて連絡してくるのは止めてくれぃ。電話じゃ記録が残らんじゃないの。

 退屈なサッカーとかそういうことは、別にサッカー好きなわけじゃないんでどうでもいいんだけど、フィールドの芝の上でバイクの後輪をドリフトさせるような奴は碌な選手じゃないと思うぞ。

 Penguin's Lunchコンプリート。最後はコウテイペンギン。
 なんか、これくらいでコンプリートできるとホッとしてしまう。そんな脅迫的な事なら手を出さなきゃいいもんだと思う。


2001/12/23

 寝不足というのは、それがあまりに顕著な場合、私には二日酔のような症状をもたらす。
 頭の中央部に、鈍い痛みがわだかまり、頭脳を使う一切の作業を行なう気力を削ぐ。
 もとより、寝不足の頭脳が明晰に働くわけもなく、ひどい寝不足の日は一切何もできないということになる。単純作業ならできないこともないのだが、頭痛が集中力を削ぐために、やはり効率は格段に落ちることになる。
 こういう日はさっさと眠ってしまって、寝不足を解消するのが一番良いと思われるのだが、眠ろうにも頭痛が邪魔して眠れないことも良くある。
 こうなってくると、この頭痛は本当に寝不足が原因なのか、という疑問も湧いてくるが、眠いのは確かでひっきりなしに欠伸が出たりもするのだ。でも眠れない。
 こういう時には何をすればいいのだろうか。眠れなくてもとにかく部屋を暗くして床に就くのが一番無難かつ健康的だろう。健康な人間ならばそれで解決してしまうに違いない。
 しかし、不眠症で一度でも悩まされた経験がある場合、床に就いてまんじりともせずに時間が過ぎるのを只待つのは、非常に精神的苦痛を伴う作業なのだ。思考が螺旋を描いてどんどん悪い方へと導かれていく。結果として更に眠れなくなる。
 起きていてぼーっと過ごすのも悪くないかもしれない。なにもしないでいる、ということが苦痛に感じる自分を変えなければならないのかもしれない。
 余人から見れば私などは十二分に日々を無為に過ごしているように見えるはずだが、コンピュータの前に座ってなにごとか駄文を書きつけたり、ネットに接続して暇に任せてどうでも良いような文章を読みあさったりするのは、既に私にとっては脅迫的にしなければならない儀式と化している。
 本当に「何もせずにボーっとしている」のは難しい。半年くらい前だと易々とできたのだけど。
 かといって、本を一冊読み切ったり、ゲームをクリアしたり、プログラミングをしたり、絵を描いたり、小説もどきを書いたりする集中力もないのである。集中できるのは、ゴールが比較的近くに見えている(例えば、一時間くらいとか)単純作業くらいなものなのだ。
 まずは「何かしなければならない」という考えを変えないことにはどうしようもないような気がする。こういう視野狭窄的なものの考え方も良くないのは承知しているのだが、今は視野狭窄だと判っていてもそこから逃れることはできない。

 とか言ってたら熱出てるし。風邪かよ。

 実は私は西村しのぶなんか読んでたりもする。
 大野安之の「That's イズミコ」目当てで、Comic劇画村塾を読んでいるようなヒネた高校生だったので、デビュー作の「サード・ガール」から読んでいる。
 西村しのぶって要するにトレンディードラマ(ってもう死後になってしまって久しいが)なんだよな。でもマンガだからこういうのは許せるんで、役者がやってたりするのを見たり、小説で読もうなんてことは考えない。
 マクルーハンが言うように「メディアはメッセージ」なのである。私はマンガというメディアに載ったメッセージしか、この手のメッセージは受け付けない。多分西村しのぶの絵とコマ割でしか受け付けないだろう。


2001/12/24

 今日の文章は世間をひねた死に損ないの戯言以外のなにものでもありません。読んだらほぼ確実に不快になりますので、読まない方が精神衛生上、よろしいかと存じ上げます。
 そもそも最近は他人を笑わせようと思ってここを書いてません(昔はそうだったのかというと、そういうことを目指して滑っていたことはあるような気がする)。今の私は正常ではないような気がします。一度他人に狂気を保証された人間が、どうして自分の正気を信じればいいのでしょうか。

 えー、世間ではクリスマスだとか呼ばれている一日限りの商戦が繰り広げられてますが、精神的に危うい状態に置かれつつ、懐の寒まり具合も極まった私にはなんも関係ありません。特に良いものを食う予定もなし。医者に酒と肉と油と甘いものを止めろと言われて、何を食えってんだ全く。毎日ささがき牛蒡の味噌汁と玄米ご飯でも食えとでもいうのか。言われても実行なんぞできないが。
 閑話休題。
 クリスマスなんていう行事は、それほど日本には多くないクリスチャンを除けば端から単なる商戦であることは明白で、そもそもサンタクロースの衣装が赤いのはコカコーラのキャンペーンのおかげだし(それ以前のサンタクロースの衣装は白かった)、なんでイブには騒いで25日には祭の後の様相を呈するのか知っている日本人は極少数だと思われるし(キリスト誕生当時のユダヤの一日の始まりは日没だったので、日没後、つまり現在の24日の夜は当時の25日の夜であり、現在の25日の夜は当時の26日の夜なのである)、まーぶっちゃけた話、日本においてはクリスマスなんてものは金を使わないといけないような雰囲気を作り出す口実な訳ですよ。それが昔は子供向け(というよりは子供を持った親向け)ばっかりだったのが、今となっては全方位射撃に移っちゃって、見苦しいったらありゃしない。ここまでエスカレートすると逆に白ける人も多いんでないか。そのうち中元や歳暮のごとく虚礼廃止なんてことになりそうな感じはする。バレンタインデーとホワイトデーももうあからさますぎて馬鹿馬鹿しいよね。
 そんな口実なんぞなくても普段から金をごりごり使ってる人間は、別にクリスマスだろうが正月だろうが盆だろうが金をことさら使う必要なんか全くなく、静かに閉門蟄居して年の瀬を迎えようと、そう思うわけである(クリスマスであろうがなかろうが、閉門蟄居してるだろうというツッコミは不許可ではないが受け付けません。あしからず。ついでに言っておけば、あんたのは閉門蟄居じゃなくて単なるひきこもりだという指摘は、すると自殺したりするのでしないように、と予め脅迫しておけばする奴もそうそういないだろう。そもそもツッコミなんぞ来ることは希だ)。単なるひねくれ者の反応だという話もある。
 昔から、私は後ろ向きでひねくれ者だった。自分が何かしら努力しないで入手できるものまで拒否したりはしないが、何かしらの努力の末に入手するものからは意図的に目を背けていたし、世間が右に倣えをしているときには左を向いたり後を向いたり上を見たりするのが格好良いことだと信じてきた。今となってはそれもみっともないことだと判ってしまったので、わざわざ世間の風潮に逆らうようなことはせず、表面上は適当に合わせつつもこうやって目立たない場所(ここは全然目立たない。公表している割には、という前置きを置かなくても目立たない。こんな所が目立ったりする世の中は間違ってるとさえ思う)で適当な鬱憤ばらしの文章を書きなぐって自らの卑しい心を慰めるのみである。
 こんなのにつきあう必要なんかありません。さっさと巡回路から外しましょう。時間の無駄です。人間に許された時間は有限なのだから、もっと面白くて有益なことに使うべきです。私は自分で金を払ってやってるわけだから、私の責任において時間と金の無駄遣いを楽しんでますが、それにつきあう必要なんぞこれっぽっちもありません。賢い人々は既に皆そうしているようです。

 自分が何故この場所にいることができるのかという命題について、我々はもう少し真剣に考えるべきなのではないか。我々が踏みつけて立っている人々の存在に思いを馳せる時間を、一瞬でもいいから持つべきなのではないか。自然環境なんかについて考える前に、考えなければならないことがあるのではないか。


2001/12/25

 SFマガジンって2300円もしたっけ?
 記念特大号だからといって、普段の倍も厚いわけでもなし、そもそもこういう場合は「特別定価」とかいうことが書かれているのではなかったか。
 なんか買っていないと無くなってしまいそうで不安である。それとも早川書房はペリーローダンとグインサーガがあれば不朽なのか。

 色々と話題は先行している「ときめきメモリアル3」だが、ここで公開されている動画を見る限り、モデルに全部同じ芝居を付けてないか?
 キャラクタが全面に押し出されるようなゲームで、そういうことで良いのか? そんなんだったら、わざわざ3Dにしないで絵でいいんじゃないのか? いや寧ろ絵の方がいいんじゃないのか?
 気にしない人は気にしないだろうし、そこが改善されようが単なる私の下衆の勘繰りであろうと、私がコナミのゲームを買うことはないのでどうでも良い話ではあるが。


2001/12/26

 いつもの通り、どうでもよい話題で場をつなぎましょう。
 マクドナルドでは、豪州産の牛肉を使っていることやHACCPで安全性の管理を行なっていることは謳っていても、特定危険部位を使っていないという事を謳ってはいないのね。
 あ、ロッテリアはやってるわ。
 単に、消費者にはそんなことをアピールしても理解されない、という理由かも知れんけどね。ちなみにHACCPは米国で猛威をふるった病原性大腸菌O-157の汚染対策として導入された物(それまでは、解体時に消化器官から漏れ出す牛糞まみれの肉を使っていたということなんだが)なので、BSEに関して何を規定しているかは私は知らない。マクドナルドも説明する気はどうもないようである。米国や豪州はBSEフリーだということになっているので(日本でも見つかるまではそういうことになってましたが)、何も盛り込まれていない可能性もゼロではない。
 ついでに言っておけば、私はそういう下らないことは気にしないで牛肉はもりもり食ってます。焼き肉屋には金がないから行けないけど。牛丼、ハンバーガー、安すぎるとは思いつつもついつい食ってしまうのは貧乏人の業か。
 私は普段の移動の足として原付きといえバイクを使ってる時点で、死亡リスクとしてはこれが桁が一つか二つ以上違うくらい高いのだから、BSE由来の変異性クロイツフェルト・ヤコブ病(この病気が本当に存在するかどうか、現状では疫学的に証明されたといえるほどのデータは集まっていない。患者数が少なすぎるのである)なんぞ、気にする方がおかしい。英国産の牛肉を食ってる訳でもなし。
 気にする奴はタバコも酒も止め、周囲の奴には徹底してタバコを止めさせ、空気の良い田舎(日本に果たしてそんなところが存在しているのかという命題はさておき)で無農薬の野菜を自分で栽培して食いなさい。自動車の利用など、以ての外である。自転車に乗って車道を我物顔で馬鹿みたいな走り方をしている奴は、さっさと死ね……ってこれは関係ないか。いや、奴等を轢き殺してその後に、自転車に乗っている一部の馬鹿に対する恨み辛みを延々と書き綴った遺書を残して自殺したらさぞかしすっとするだろうと思う。まぁ、自分もそう思われている可能性は否定しないが。
 ついでに言っておけば、私が乳幼児期を過ごした頃(高度成長期が終わりを告げていた頃)が、一番環境の化学物質汚染は進んでいたはずなので、いまさら環境汚染を気にしてももう遅いと思っている。その頃に比べれば自分の身体の生体活性は十二分に下がっているのだから、今駄目になってなきゃ当分は平気なはずだ。もしくはもう駄目になっていてそれが表面化するのを待つだけか。
 工業的に合成された成分と、自然由来の成分を区別する必要も、光学異性その他の問題があるならともかく、無意味だ。自然由来だろうが人工的に合成されようが、同じ構造を持つ分子は同じ性質を持つ。
 自然が人間に優しいなんてのは妄想もいいところ。なんで自然が人間に優しくしなきゃいかんのか。寧ろ駆逐したがってるんじゃないか。食中りや自然由来の毒物で死亡する動物が皆無であるという資料でもあるのかね?
 極論ばっかりだと芸がないので、少しだけ現実的なことを書いておくと、日本で発見されたBSE発病個体は全て乳牛である。これが何を意味しているかといえば、我々日本人が味を気にするような牛肉にはBSEが広まっている可能性は零に等しいということである。乳牛が潰されて使われるとすれば、挽肉か合い挽き肉であろう。でなければ、我々日本人の奢った口に合う筈もないからである(米国産の牛肉のステーキ、美味いと思って食ったことありますか? 私はないです)。況してや焼肉店で出るような生でも食える肉は、畜産農家が独自の飼料を自分で配合して与えるなどということは当たり前に行なわれているので、肉骨粉が紛れ込む余地はほとんどない。所謂「さし」は、時間を掛けて育てないと入らないので、成育を速める効果を持った肉骨粉を与えることは逆効果なのである。

 本当は中性脂肪が通常値の倍以上ある身としては、三食和食にすべきなんだよな。
 とてもじゃないが、そんな手間を食事に掛ける余裕はないのだけど。<だったら運動すれ

 現在のクリスマスイブは当時の暦では25日の夜で、決して前夜祭なんかではない筈なんだけどなぁ、とか言ってみるテスト。


2001/12/27

 OS X 10.1.2アップデータは、ビデオボード関連のDebug及び最適化が含まれているとAppleのリリースには書かれていた。
 どうやらそれは事実だったようで、明らかにメニューの描画速度は向上し、IEのFaveriotesをクリックした時に、これまでは一拍置いてからメニューが表示されていたのだが、それが無くなり、多少の時間は掛かっているけれども「待たされている」とは感じない程度の時間に収まるようになった。
 同時に、ディスプレイのスリープをオンにして一日ほど運用してみたが(一日とはいえ、同じ部屋でYosemiteのファンが回っていたら眠れないので12時間程)、画面からメニューもウインドウも消えうせてしまうという現象は起きなかった。こういう点は、Microsoftの方が、具体的に取り除いたBugを羅列するので、好感が持てる。プログラマでもなければ意味のない情報だと言ってしまえばそれまでだが(ヘビーユーザであっても、あまりに項目が多岐に渡れば読む気が失せるだろうし、現象の切り分けがメーカとユーザで共通できていない場合は無意味になる)。
 まずは確実に完成度が上がっているということで、目出度いことではある。後はCocoaフレームワークにリソースやファイルタイプ、クリエイタを扱う枠組みが用意されれば、私としては言うことが無くなるかも。
 とか言ってたらシステム終了を選んで、FinderやDockが終了してもAqua(というかGUI)がずっと生きていて電源が落ちない現象が起きた。勘弁してくれ。やはりrlogindは生かしておくべきなのか。こういうところでターミナルが使えないってのは、UNIXだと判ってるだけに凄くストレスを感じる。

 コミケカタログをチェック。
 今回はベースキャンプが存在しないので、極力買い物は抑える方向でチェックしたつもりだが……多いよ。
 PSIONに移すのは明日にしよう。


2001/12/28

 PalmDesktopのCarbon版がβだが公開された。
 んが、重くて全然落せない。ほぼ全世界向けに公開するFTPサーバのアクセス上限を300人に設定するというのも如何なものか、と思うが、その設定にしてさえ重くてFTPが途中で止まるというのはもっと如何なものかと思う。

 Mac OS XにDreamcastのルータをさせるべく、色々やってみる。
 特に何もドライバ等をインストールしていないはずなのだが、/dev/tty.usbmodem06223などというデバイスが既にあるので、使えるのかと思って、/etc/ttysに登録してみたりするが、pppdは/dev/cu.usbmodem06223がBusyだというエラーをsyslogに出して再起動を繰り返すばかり。モデムの通話状況を示すLEDが点滅していて、何をやってるんだかさっぱり判らない。
 大抵のBSD向け解説ページでは、カーネルのリビルドでトンネルデバイスを作成せよ、などとしているので、そのままOS Xに適用することはできない。
 どうもFreeBSDにはtinもしくはcuという、モデムに直接ATコマンドを送ることができるコマンドが存在するらしいが、cuは見つけられず(文字列が短すぎてヒットするページが大量にあり、読み切れない)、tinはソースを発見するもmakeできず。
 最初に見つけたページにはkermitを使うスクリプトが乗っていたのでC-Kermitのソースを落してきてmakeしてみたのだが、どうもkermitは関係ないらしい。ついでにkermitは起動はするが、set lineをするとなにやら動いていない機能があるというエラーを出すので使えない。
 もう何が何やらさっぱり判らん。やはりARAがOS Xに移植されるのをおとなしく待つべきなのだろうか。なんとなく移植されないような気がしてならないのだけど。

 コミケカタログのチェック結果をPSION Siries5mxに移動。つーか打ち込み。
 打ち込み作業自体は、Palmに対して行なった方が楽である気がしてならないが(なにせUniFEPはほとんど単漢字変換に近い文節変換しかサポートしていない)、会場でチェックを行なうにはPSIONの方が楽そうなので(単にPalm用のまともなエディタを探していないだけだが)、取り敢えずPSIONにしておく。
 抑えたつもりでも結構な数になる。今回はベースキャンプになる場所が全くないので、ちゃんと優先順位を決めておかねばならない。それは一般行列に並んだ時にでもするとしよう。


2001/12/29

 コミケなので当然のごとく有明へ向かう。
 こういう日は起きられるのだから現金なものである。
 で、ここからは一般行列でPalmを使って書いたものである。
 大宮から、武蔵野線を経由して東京へ向かう列車などというものがあるという情報を、当の大宮駅に到着してから知った私は、遠回りになるであろうことを半ば承知しつつ、利用してみることにした。京葉線内では、舞浜、葛西臨海公園、新木場に止まるので、有楽町線経由で行くよりも乗り換えが一つ少なくて済む。
 もとより、早く会場につくことを目指したところで待ち時間は大して変わらないに違いない、その時はそう考えていた。時刻は8:49のことであった。
 案の定、武蔵野線経由というものは非常に迂遠な経路を通る。たぶん、普通に高崎線を使って、有楽町線経由にすれば、10分は速かったに違いない。
 国際展示場に到着したのは、10:20頃であった。ほとんど変わらないと言ってしまえば、そう言えないこともない。
 一日目にしては、一般参加の行列が長いように感じる。現在、11:30を回っているが、列が動き出す気配はない。
 寒くないと言えば嘘になるが、夜にバイクで走るよりは寒くない。陽もたまに射し込む。
 結局、入場できたのはぎりぎり12:00を回ってしまった頃であった。

 ここからはいつものようにPowerBookのキーボードで書いている。
 午前中で売り切れの大手サークルがあるのは勘弁して欲しい。部数を増やせとは言わない。午前中は一人一冊に制限してくれ。
 コミケカタログに500円ほど上乗せして資金を貯め、西館のエスカレータを全て階段に改装する工事をしてしまうというのはどうか。東京都にやれと言っても金はないだろうし。
 問題は、税金である。公共施設の改装のための基金には課税しないという法律でも作ればいいのだが、それってゼネコンの節税に絶対利用されるよな。やはりここは一つ、コミケットサービスを宗教法人にしてしまうのが早道で良いのではないか。サークル参加者は信者ということで一つ。

 新城カズマ「浪漫探偵・朱月宵三郎2 無謬邸は暁に消ゆ」(富士見ミステリー文庫)[bk1で購入]読了。
 もう舞台の道具立ては把握できているので、安心して読める。何が出てこようが「それはそういうものなのだ」と思えば良いのだ。
 論理のアクロバティックを示したいのならば、どういう論理が常道なのかを先ずは示さなければならない。飛行機が須らく曲芸飛行をする世界で、安定した飛行を行なえば、拍手喝采を受けるだろう。しかし、我々読者は曲芸飛行をする飛行機の方が希だという世界に住んでいるので、小説世界に於ても先ずはその前提を適用する。
 その前提、すなわち常識を打ち壊し、その小説世界の理をきちんと示さなければ、どんな曲芸をされても読者は戸惑うだけだろう。
 そういう意味で「屍天使学院は水没せり」はミステリにはなっていなかったと思う。必要な前フリが足りないのだ。
 幸いにして、既に私は「富士見ミステリ文庫はミステリではない」という情報を得ていたので事なきを得たのだけれども。
 それはともかくとして、最後に起きる出来事は、単なる偶然で片付けてしまうのはあまりに勿体ないような気がするのは気のせいか。わざとそうなるようにしておいた奴が居た方が楽しいと思うのだが(却って野暮?)。


2001/12/30

 コミケ二日目。
 現在8:20。有明の一般行列にいる。
 我ながら現金もここに極まれりといったところで、今日は5:30に目覚ましを掛け、しっかりと目を醒ます。
 シャワーを浴びて三十分。飯を食って身支度を整えて三十分。多少時間を掛け過ぎているような気もするが、許容範囲だと思っておこう。
 今日は素直に、高崎線と有楽町線を使った。国際展示場着は、8:00十分ほど前だったと記憶している。
 国際展示場から一般行列までの人の渋滞がひどく、一般行列の作られている駐車場までたどり着くのに偉く時間を食った印象がある。
 途中、恒例の信号待ち行列(渋滞と呼んでも差し支えはないだろう)に捕まりつつ、「これを、人間が粒子に見えるような位置から観測したら、粒子媒質中を粗密波が伝達しているように見えるのだろうなぁ」などと下らぬことを考えていた。
 体感温度は、昨日ほど寒くはない。これは、昨日は一番下に着ていたのが半袖のTシャツだったのに対して、今日着ているのが長袖のTシャツであることが関係しているのだろうか。それとも、昨日よりは寒くないのかもしれない。風は少しあるものの、昨日のように定期的に太陽が雲に隠れることがない分、暖かい。
 昨日は、少なくとも片手には常に手袋をはめていなければいられなかったのだが、今日は平気だ。確か天気予報では、昨日よりも今日の方が天気は悪いはずだったのだが。
 入場は11:30であった。真っ先に行ったかもはうすもう完売ですか。通販があるからいいけど。
 なんか今日はやたらと巡回の手際が悪く、会場を行ったり来たりしてしまった。脳が働いていないのかもしれない。


2001/12/31

 コミケ疲れで廃人中。本を読む気力もない……ってなんのためにコミケで本買ってますか。
 ……とか言ってられないので、取り敢えず洗濯だけして帰省。
 眠いぜ眠いぜ眠くて死ぬぜ。

 一年の締めくくりがこんな事で良いのだろうか。ま、生きてりゃそのうち前向きな事もしたくなるかも知れないから良いか。


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