毎度毎度のCDDBネタだが、オリジナルサウンドトラックのアーティスト名を「音楽」でキャスティングされている人間にして登録しておいたら、「主題歌のヴォーカリスト・他」というのに上書きされていて激しく憂鬱になる。
日本じゃヴォーカルが入ってないアルバム=インストゥルメンタルのアルバムは売れないと聞いて久しいが(YMOで最初の音楽的洗礼を受けた身としては「はぁ?」と思ってしまうのだけど)、その現れの一つだと思ってしまう出来事ではある。
主題歌のヴォーカリストが関わった曲は、全19曲中、バージョン違い(TV Size)を含めて三曲だけなのである(つまりは18曲中2曲と言っても構わない)。それなのにそういうことをするか、普通。どういう神経をしてるとそういうことができるのだろうか。そういう奴はアルバムなんぞ買わんでいいからシングルだけ買っとけ。シングルが出てないんならともかく出てるんだから。
どうも最初にCDDBを参照に行かないで、とにかく自分でトラック情報を入力して闇雲にそれを送信してる阿呆がかなりの数いるような気がしてならない。
まぁ、根本的には同じアルバムに含まれている曲には1アーティストしか許さないというCDDBの仕様が拙いのだけれども。
OS X 10.1.2 Updateが出たので早速掛けてみる。
前回のUpdate時に散々文句をここに書き、AppleのTellUsにも文句を書いた、Dockを右に配置していると強制的にDesktop上のボリュームアイコンが一つ左のグリッドに移動させられてしまう、という仕様がどう変わったか、試してみた。
……確かに一つ左のグリッドに強制移動させられることは無くなった。しかし、これは。苦笑を持って迎えるしかない。
例によって文章でGUIの状況を説明するのは面倒臭い上に理解しにくいと思われるのだが、敢えて書くと、Desktop上のボリュームアイコンは、Dockを囲むように配置されるようになったのだ。
百聞は一見に如かず、という状況を如実に表しているな。相変わらず、Dockとアイコンは絶対重ならないようになっている。しかし、全て一律に一つ左にグリッドに移動してしまうわけではなく、Dockと重ならないような位置にあるものは、一番右のグリッドになるべく留まるようになっているのである。
アルゴリズムを説明した方が判りやすいかもしれない。Dockを右側に表示したとしよう。当然、Desktopはその分だけ占有される。しかし、Desktopを構成する長方形の右辺全部を埋めてしまうわけではない。Dockはセンタリングされて表示されているので、画面の右上と左下には空きスペースがある。まず、その空きスペースをアイコンで埋めていく。そして、そこに入り切らなかった分を一つ左のグリッド上に配置していく。
これがどういう結果をもたらすかといえば、画面の右上と左下に分割されて配置されたボリュームアイコンとなる。
こんなもんが使い易いわけがないだろうが。脳みそ腐っとんのか。>Apple
だからさっさとグリッドを可変にしろと言ってるだろうに。ついでにDesktopにごみ箱が表示されていれば、Dockを右に配置する理由の半分以上が無くなるので、それも実装すれ。こんな下らん自己満足につきあっているほど私の心には余裕はない。
どうやら、Desktopでアイコンをグリッドに沿って整列させる設定にしておかなければ、強制的にアイコンを移動させるような暴挙は行なわなくなった(10.1.1ではDockを隠すようにしておかなければ、Login時に必ずDesktopのアイコンを左に移動させていた)ので、これで勘弁してやるとするか。
相変わらずFinderはカラム幅の設定を覚えないし、Logout時にはいちいちダイアログを出して確認するくせしてShutdownやRestartはいきなりやるという変な仕様は残っているけれど。
退屈なサッカーとかそういうことは、別にサッカー好きなわけじゃないんでどうでもいいんだけど、フィールドの芝の上でバイクの後輪をドリフトさせるような奴は碌な選手じゃないと思うぞ。
Penguin's Lunchコンプリート。最後はコウテイペンギン。
なんか、これくらいでコンプリートできるとホッとしてしまう。そんな脅迫的な事なら手を出さなきゃいいもんだと思う。
とか言ってたら熱出てるし。風邪かよ。
実は私は西村しのぶなんか読んでたりもする。
大野安之の「That's イズミコ」目当てで、Comic劇画村塾を読んでいるようなヒネた高校生だったので、デビュー作の「サード・ガール」から読んでいる。
西村しのぶって要するにトレンディードラマ(ってもう死後になってしまって久しいが)なんだよな。でもマンガだからこういうのは許せるんで、役者がやってたりするのを見たり、小説で読もうなんてことは考えない。
マクルーハンが言うように「メディアはメッセージ」なのである。私はマンガというメディアに載ったメッセージしか、この手のメッセージは受け付けない。多分西村しのぶの絵とコマ割でしか受け付けないだろう。
えー、世間ではクリスマスだとか呼ばれている一日限りの商戦が繰り広げられてますが、精神的に危うい状態に置かれつつ、懐の寒まり具合も極まった私にはなんも関係ありません。特に良いものを食う予定もなし。医者に酒と肉と油と甘いものを止めろと言われて、何を食えってんだ全く。毎日ささがき牛蒡の味噌汁と玄米ご飯でも食えとでもいうのか。言われても実行なんぞできないが。
閑話休題。
クリスマスなんていう行事は、それほど日本には多くないクリスチャンを除けば端から単なる商戦であることは明白で、そもそもサンタクロースの衣装が赤いのはコカコーラのキャンペーンのおかげだし(それ以前のサンタクロースの衣装は白かった)、なんでイブには騒いで25日には祭の後の様相を呈するのか知っている日本人は極少数だと思われるし(キリスト誕生当時のユダヤの一日の始まりは日没だったので、日没後、つまり現在の24日の夜は当時の25日の夜であり、現在の25日の夜は当時の26日の夜なのである)、まーぶっちゃけた話、日本においてはクリスマスなんてものは金を使わないといけないような雰囲気を作り出す口実な訳ですよ。それが昔は子供向け(というよりは子供を持った親向け)ばっかりだったのが、今となっては全方位射撃に移っちゃって、見苦しいったらありゃしない。ここまでエスカレートすると逆に白ける人も多いんでないか。そのうち中元や歳暮のごとく虚礼廃止なんてことになりそうな感じはする。バレンタインデーとホワイトデーももうあからさますぎて馬鹿馬鹿しいよね。
そんな口実なんぞなくても普段から金をごりごり使ってる人間は、別にクリスマスだろうが正月だろうが盆だろうが金をことさら使う必要なんか全くなく、静かに閉門蟄居して年の瀬を迎えようと、そう思うわけである(クリスマスであろうがなかろうが、閉門蟄居してるだろうというツッコミは不許可ではないが受け付けません。あしからず。ついでに言っておけば、あんたのは閉門蟄居じゃなくて単なるひきこもりだという指摘は、すると自殺したりするのでしないように、と予め脅迫しておけばする奴もそうそういないだろう。そもそもツッコミなんぞ来ることは希だ)。単なるひねくれ者の反応だという話もある。
昔から、私は後ろ向きでひねくれ者だった。自分が何かしら努力しないで入手できるものまで拒否したりはしないが、何かしらの努力の末に入手するものからは意図的に目を背けていたし、世間が右に倣えをしているときには左を向いたり後を向いたり上を見たりするのが格好良いことだと信じてきた。今となってはそれもみっともないことだと判ってしまったので、わざわざ世間の風潮に逆らうようなことはせず、表面上は適当に合わせつつもこうやって目立たない場所(ここは全然目立たない。公表している割には、という前置きを置かなくても目立たない。こんな所が目立ったりする世の中は間違ってるとさえ思う)で適当な鬱憤ばらしの文章を書きなぐって自らの卑しい心を慰めるのみである。
こんなのにつきあう必要なんかありません。さっさと巡回路から外しましょう。時間の無駄です。人間に許された時間は有限なのだから、もっと面白くて有益なことに使うべきです。私は自分で金を払ってやってるわけだから、私の責任において時間と金の無駄遣いを楽しんでますが、それにつきあう必要なんぞこれっぽっちもありません。賢い人々は既に皆そうしているようです。
自分が何故この場所にいることができるのかという命題について、我々はもう少し真剣に考えるべきなのではないか。我々が踏みつけて立っている人々の存在に思いを馳せる時間を、一瞬でもいいから持つべきなのではないか。自然環境なんかについて考える前に、考えなければならないことがあるのではないか。
色々と話題は先行している「ときめきメモリアル3」だが、ここで公開されている動画を見る限り、モデルに全部同じ芝居を付けてないか?
キャラクタが全面に押し出されるようなゲームで、そういうことで良いのか? そんなんだったら、わざわざ3Dにしないで絵でいいんじゃないのか? いや寧ろ絵の方がいいんじゃないのか?
気にしない人は気にしないだろうし、そこが改善されようが単なる私の下衆の勘繰りであろうと、私がコナミのゲームを買うことはないのでどうでも良い話ではあるが。
本当は中性脂肪が通常値の倍以上ある身としては、三食和食にすべきなんだよな。
とてもじゃないが、そんな手間を食事に掛ける余裕はないのだけど。<だったら運動すれ
現在のクリスマスイブは当時の暦では25日の夜で、決して前夜祭なんかではない筈なんだけどなぁ、とか言ってみるテスト。
コミケカタログをチェック。
今回はベースキャンプが存在しないので、極力買い物は抑える方向でチェックしたつもりだが……多いよ。
PSIONに移すのは明日にしよう。
Mac OS XにDreamcastのルータをさせるべく、色々やってみる。
特に何もドライバ等をインストールしていないはずなのだが、/dev/tty.usbmodem06223などというデバイスが既にあるので、使えるのかと思って、/etc/ttysに登録してみたりするが、pppdは/dev/cu.usbmodem06223がBusyだというエラーをsyslogに出して再起動を繰り返すばかり。モデムの通話状況を示すLEDが点滅していて、何をやってるんだかさっぱり判らない。
大抵のBSD向け解説ページでは、カーネルのリビルドでトンネルデバイスを作成せよ、などとしているので、そのままOS Xに適用することはできない。
どうもFreeBSDにはtinもしくはcuという、モデムに直接ATコマンドを送ることができるコマンドが存在するらしいが、cuは見つけられず(文字列が短すぎてヒットするページが大量にあり、読み切れない)、tinはソースを発見するもmakeできず。
最初に見つけたページにはkermitを使うスクリプトが乗っていたのでC-Kermitのソースを落してきてmakeしてみたのだが、どうもkermitは関係ないらしい。ついでにkermitは起動はするが、set lineをするとなにやら動いていない機能があるというエラーを出すので使えない。
もう何が何やらさっぱり判らん。やはりARAがOS Xに移植されるのをおとなしく待つべきなのだろうか。なんとなく移植されないような気がしてならないのだけど。
コミケカタログのチェック結果をPSION Siries5mxに移動。つーか打ち込み。
打ち込み作業自体は、Palmに対して行なった方が楽である気がしてならないが(なにせUniFEPはほとんど単漢字変換に近い文節変換しかサポートしていない)、会場でチェックを行なうにはPSIONの方が楽そうなので(単にPalm用のまともなエディタを探していないだけだが)、取り敢えずPSIONにしておく。
抑えたつもりでも結構な数になる。今回はベースキャンプになる場所が全くないので、ちゃんと優先順位を決めておかねばならない。それは一般行列に並んだ時にでもするとしよう。
ここからはいつものようにPowerBookのキーボードで書いている。
午前中で売り切れの大手サークルがあるのは勘弁して欲しい。部数を増やせとは言わない。午前中は一人一冊に制限してくれ。
コミケカタログに500円ほど上乗せして資金を貯め、西館のエスカレータを全て階段に改装する工事をしてしまうというのはどうか。東京都にやれと言っても金はないだろうし。
問題は、税金である。公共施設の改装のための基金には課税しないという法律でも作ればいいのだが、それってゼネコンの節税に絶対利用されるよな。やはりここは一つ、コミケットサービスを宗教法人にしてしまうのが早道で良いのではないか。サークル参加者は信者ということで一つ。
新城カズマ「浪漫探偵・朱月宵三郎2 無謬邸は暁に消ゆ」(富士見ミステリー文庫)[bk1で購入]読了。
もう舞台の道具立ては把握できているので、安心して読める。何が出てこようが「それはそういうものなのだ」と思えば良いのだ。
論理のアクロバティックを示したいのならば、どういう論理が常道なのかを先ずは示さなければならない。飛行機が須らく曲芸飛行をする世界で、安定した飛行を行なえば、拍手喝采を受けるだろう。しかし、我々読者は曲芸飛行をする飛行機の方が希だという世界に住んでいるので、小説世界に於ても先ずはその前提を適用する。
その前提、すなわち常識を打ち壊し、その小説世界の理をきちんと示さなければ、どんな曲芸をされても読者は戸惑うだけだろう。
そういう意味で「屍天使学院は水没せり」はミステリにはなっていなかったと思う。必要な前フリが足りないのだ。
幸いにして、既に私は「富士見ミステリ文庫はミステリではない」という情報を得ていたので事なきを得たのだけれども。
それはともかくとして、最後に起きる出来事は、単なる偶然で片付けてしまうのはあまりに勿体ないような気がするのは気のせいか。わざとそうなるようにしておいた奴が居た方が楽しいと思うのだが(却って野暮?)。
一年の締めくくりがこんな事で良いのだろうか。ま、生きてりゃそのうち前向きな事もしたくなるかも知れないから良いか。