02年1月上旬の世迷い言


2002/01/01

 実家で飼っている犬の散歩がてらに、実家から歩いて15分ほどの距離にある山奥の神社に初詣でに行ったのだが、興奮した犬に引っ張られて転び、ジーンズに穴を開けた。当然それだけでは済まずに膝を擦りむく。
 転んだのは、靴が走るのにはとても適当とは思えない革靴だったのと、コミケで散々歩いた疲れ(というか筋肉痛)が残っていて、足首の柔軟性が通常時よりも低下していたためだと思われる。正月早々から情けない話である。
 今年はこんな年かい。

 MacOS 9.2.2の起動画面の新年の挨拶(MacOSにはそういう遊び心が多分に含まれているのである)のCopyrightが、1999年で止まっているのだが、そんなことで良いのだろうか。

 古橋秀之「サムライ・レンズマン」(徳間デュアル文庫)[bk1で購入]読了。
 確かに面白い。私はレンズマンに関する知識は、アニメでやっていた関係で一通りの設定と用語を知っているだけなのだが、それでも十分楽しめた。
 しかし、これはサムライ・レンズマンは主人公ではないな。まるで怪獣映画の怪獣のような扱いである。小説として書き込まれているのは、むしろ敵役の方ではないか。
 面白ければなんでも良いと言ってしまえばそれまでなのだけれど。


2002/01/02

 寝る前にPPP接続を切ったつもりだったのだけど、朝起きてみると、PHSの電池が切れていた。PowerBookはiTunesで曲を掛けてそのまま眠ってしまったので、ずっと電源が入っていた。
 絶対にそうだとは言いきれないのだが、まさか通電状態の本体にUSBで接続してある限り、電池を消耗するとかそういう怖い仕様になっているのだろうか。

 正月のTV番組は、詰まらないものであるという頭で観ていると、意外と楽しめる番組もあったりする。
 どう考えても面白そうな番組がない時間帯があるのが問題といえば問題だ。もっと本を持ってくればよかった。

 昔は、正月といえば街中で開いている店などなく、大変不便な思いをしたものだったが、最近は正月に休んでいる店の方が珍しくなってしまった。
 一概に悪いとばかりは言わないが、正月という期間の持つ「特別性」は確実に薄れてしまったと思う。
 「特別性」というのは「非日常性」と言い換えても良い。つまりは正月が単なる日常の延長になってしまってきているように感じるのだ。
 日常の何が悪い、便利な方が良いではないかと考える人も居るだろう。しかしながら、人間は長く同じ刺戟だけを受けているとそれに麻痺するか、飽きるかするものなのである。
 そのことを考えると、果てしなく日常だけが続くような方向へと進んでいる現状に、一種の危うさを感じてしまう。


2002/01/03

 最近は金がなくて(というか他のことに金を使いすぎて)食えない、焼き肉を両親にたかってから大宮に帰還。
 牛肉って幸せな味だよねぇ。これを食わない奴ぁ馬鹿だね。馬鹿。
 焼却処分にしたとかいう在庫の牛肉を、1Kgばかし譲って欲しかったよ。どんな被害が出ても文句はいわないっていう念書を書いてもいいから。燃やすよりはこっちの方がよほど良かった。

 閑話休題。
 やはりネットは常時接続が本質だということは、常時接続環境から切り放されてみると良く判る。
 昔は個人で接続する場合は、ほとんどの場合、接続時間に比例して課金されるようになっていた。その頃には、Webの巡回先とそのリンク先を予め全部ローカルマシンに落してきて後で読むという姑息なソフトウェアも存在したが、ニュースサイトを回って、気になるものだけを拾ってリンク先を読む、とか、更新アンテナを見てから更新された良く読むサイトだけを読む、とか、サーチエンジンを使って調べものをする、等という使い方には向いていないか全く不可能だったりする。
 既にWebの環境自体が、常時接続を前提にしたデザインに変わりつつあるのだ。元々、Internetは常時接続しているのが当たり前であり、ユーザがコントロールする形で接続したりしていなかったりする形態は特殊なものなのだ。
 そういう特殊な状況にあると、ネットにつなぐこと自体を止めてしまったりもする。私の実家の場合は、居間以外の場所はほとんど暖房されていないので、コンピュータに向かうということはすなわち寒いということを意味するということも関係しているかもしれないが。
 なにが言いたいのか自分でも良く判らなくなってしまったが、要するに「あぁ、常時接続の世界に戻ってこれて本当に良かった」という事なのである。つまらなくてすいません。


2002/01/04

 ワーナーマイカルにゴジラを観に行こうと思い、なるべく子供が少ないであろう21:00以降を目指すも、15:00台の回で上映終了。しかもチケットは完売。ハム太郎なんぞ観たくもないので、別々のタイムスケジュールになっていればありがたかったのだが、あいにくとそうはなっていなかった。東宝営業部の差し金に違いない。百万回地獄に落ちて反省しろ。
 しょうがないので、原作も読んでないのに「ハリーポッターと賢者の石」を観ることにする。
 原作のイメージをなるべく壊さないように作られている、ということで、キャスティングはほぼ最高。この映画のキャスティングを見てから、ゲームなんかのヘタレ絵で我慢できるものなのか、一度米国人に聞いてみたいところではある。
 ストーリーは良くも悪くも児童文学。判り易すぎる悪役と、血筋に秘められた自覚していなかった力。大きな力はコントロールされなければ危険極まりない代物になるはずだが、そのことを伺わせるエピソードは入っていない。
 後は、一つのストーリーとして見ると未消化の伏線とか、無意味に思えるシーンとかがある。これは続き物として考えれば、たぶん問題はないし、原作を読むと受けるイメージがまた違ったりするのだろう。
 ファンタジー系の用語が多かったので、字幕と台詞の落差に突っ込みまくる。指輪物語の字幕は本当に戸田奈津子で大丈夫なのか?

 帰ってきて、NHKスペシャル「宇宙」の再放送を見ているうちにうたた寝して起きたら4:00を回っていた。


2002/01/05

 発熱及び頭痛。

 午前中に起きて医者に行ったのだが、それ以外にはほとんど何もせず。


2002/01/06

 睡眠薬を試しに飲まなかったら、ほとんど眠れずに朝を迎える。
 というわけで一日寝ている。


2002/01/07

 正月も今日で終わりですな。最近は年賀状も書かないのでなんも関係ないのだが。

 NHKでやった、"FROM THE EARTH TO THE MOON"を撮ってあったものをようやく観る。<いつから貯めとるんだという
 米国ではマッチョなことが格好良いことなんだなぁ、というのが第一印象。軍隊がベースの組織だからなのか。あと、登場人物達がのべつまくしなく煙草を吸いまくっているのも印象的。
 有人宇宙開発は、コンピュータよりも人間の方が性能が高いうちは、絶対に意義がある。そこが未知の世界であり、なおかつ物理的距離が離れている限り、コンピュータだけではフォローできない部分が必ず出てくるはずだ。
 だから、敢えて有人宇宙探査計画に関する部分については触れないことにする。

 長谷敏司「楽園 戦略拠点32098」(角川スニーカー文庫)[bk1で購入]読了。
 評判が良かったので読んでみたのだが、まぁ悪くはない、という程度か。
 アマツというネーミングからして、日本起源の文明を考えているのだろうが、日本の死生観からはこういう世界は出てこないという気がする。靖国神社は明治政府が適当に作ったもので土着のものとは程遠いということはどうでもいいんだろうな、ここまで時間が経つと。
 あのオチはどう考えてもSFじゃないだろう、というのも減点対象か。スニーカーに何を求めとるんだという話はあるのだが。


2002/01/08

 MacWORLD EXPO SFの基調講演を観る。昨年とは違い、ストリーミングが切れることもなく、ずっと連続して観ることができた。いやこれが当たり前なんだけど。
 Appleの新製品は、iPhoto、14" iBook、新iMacの三点。
 やはりインパクトが強いのは新iMacだろう。最上位機種とはいえ、G4 800MHz搭載、SuperDrive搭載、15"TFTモニタ付きで224000円って、QuickSilver733の立場は全くない。つーかこの状態で一体誰が買うのか。1Gメモリサービスの対象外だし。
 ステージ上に、本体が全く置かれていなかったので、ハイエンドデスクトップのリプレースもちょーっと期待していたのだけど、それは東京でのお楽しみということか。東京では大概新しいPowerBookが発表されていたのだが。いや、出ても買えやしないんだけどね。
 後、個人的に注目したのが、Aqua上で動作するPhotoshopのデモが行なわれたこと。発売時期に関する具体的な発言こそなかったものの、それなりに複雑なレイヤが扱える程度のものはでき上がっているようだ。夏までには出るのだろうか。それとも東京で?
 14" iBookは、上位機種がPismo - PCカードスロット + 100MHzという感じ。下位機種はシステムバスクロックが66MHzなのでWallStreetか。なんのためにある機械なのか良く判らないところではあるが、米国人は性能には関係なく大きなものの方が好きという性質を持っているので(日本人は性能が同じならば小さいものの方が好きだが)、そのための製品なのだろう。
 iPhotoは、Appleのサイトでへろっと落してくることができた。Palm Desktop for Xのちゃんとしたβ版もあるようだし、これも落してこないと。
 取り敢えずインストールして使ってみるが、山ほど溜め込んだFinePix2900zの写真を一気に読み込ませようとさせると落ちる。ディレクトリに分けて読めば落ちないので、ある程度以上大きなデータを扱う場合に不安定になるようだ。できることは、JobsがAquaのデモで示してみせたこと+α程度なのだが、iToolsとの連携などは写真を公開しまくっている人には便利かもしれない。

 昨日に引き続き、ビデオの消化。今度はRED DWARFの第一期。観てるうちにちょっとした事務連絡あり。
 なんかこう、もうこの期に及んで先端を走るような仕事は全くできないような気分がしているのだけれども、どうなんだろうか。というか、自分の全能力を一点に集中させたことなんか今までないのか、それとも単に自分の能力の限界を高く見積もりすぎているだけなのか。
 キャパシティに足らない仕事しかしてなきゃ、自然とキャパシティは下がっていくわけで、そういう意味では私の性格は能力の向上にはまったくと言ってもいいほど向いてない。努力は大嫌いだし自己犠牲も責任を取るのも大嫌いだ。無責任な立場で文句ばっかり言ってれば、それが適当に取捨選択されてその採用率に合わせた報酬が貰える仕事があると一番自分の性格には向いていると思うのだが(なにぶん、他人の仕事を貶すのは私の魂に刻まれた仕事だ)、そんなもんがその辺に転がっているほど世の中は甘くない。探せばあるのかも知れんが。
 iPhotoもあることだし、明日はFinePix片手に外に出てみるか。なんか無茶苦茶寒い上に、平日の昼間からカメラ片手にうろつく中年というのは怪しさ大爆発だが。


2002/01/09

 新iMac、デザインが変だという意見もちらほら見られるが、機能という点ではほぼパーフェクトに近いものがあると思う。
 別にこれは私がApple信者だから言ってる訳じゃなくて、例えばあれがIntelアーキテクチャマシンとして出てきても「おぉ」とか「やられた」とか思っただろうと思うくらい、私はあのデザインを高く評価しているのだ。
 旧iMacは、ファッション性という点では評価できたのだけれども、機能面では「安かろう悪かろう」の見本であった。誰かに「iMacを買おうと思うのだがどう思うか」と相談を受けたとすれば、予算によほどの制限があるならともかくとして、そうでないなら即座に「止めときなさい」と答えただろう。
 Cubeはファッション性に走りすぎ、またG4アーキテクチャの停滞期に当たってしまい、製品の品質問題にもぶち当たって結果として大転けしたが、これが転けたのは「無理もない」と思うのである。20th Anivrsery Macが全然売れなかったのと同じ。
 しかしながら、この新iMacが売れなかったとしたら、私には納得がいかない。というか、画面の大きさを除けば私が今欲しいと思えるコンピュータはこの新iMacである。PCIスロットなんざ、普通は使わんのである(Etherも付いてないようなAT互換機とは違う)。結局、私はYosemiteにATA66カード以外のPCIカードは挿してない。これも初代YosemiteのマザーのATA33バスが不安定じゃなかったら導入していなかっただろう。
 それなのにそれなのに。あぁ何故にジリジリと下がりますかApple株。やはりQuickSilverが思いっ切り食われちゃってるのが問題なのか。……問題だよなぁ。G4はまた停滞してるしな。IBM様、お願いだからG4に戻ってきてください。

 昨日iPhotoをインストールした時に起きたことなのだが。
 Desktopのアイコンを整列させない設定にしてるにも関わらず、新しいボリュームをマウントする時にいちいちDesktopのアイコンを再整列させてんじゃねぇよ>OS XのFinder
 しかもご丁寧にDockを避けてくださると来たもんだ。
 DockとDesktopのアイコンが重なっていいかどうかを判断するのは、コンピュータを使う人間様の私であって、使われるコンピュータであるところのお前じゃない。主従を弁えろ。それともどうあってもDesktopにアイコンを表示させないための嫌がらせか。


2002/01/10

 こいつは一体何が言いたいのか?
 翻訳記事であることを割り引いて考えても、趣旨が首尾一貫していなくて、読みにくいこと夥しい記事であることは確かだ。
 どうもこの筆者は机の下に設置したPCの各種ポート(大概は筐体の裏側にあると思う。というか私が使ったことのあるAT互換機はみなそうだった)に、机の上のiMacの裏(横に持ってくることだって可能だ)にある各種ポートよりも素早く簡単にアクセスする画期的方法を知っているようなのだが、読者である我々には教えてくれないけち野郎である。単に私が並外れた無知で、PCユーザの方々には説明するまでもない常識なのかもしれないが。
 また、10Kg近い重量を持ち、なおかつその重量は基部に集中している電気スタンドなどという、変わった家電製品も使っているようだ。単に慣性の法則という初歩的な物理の知識を持ち合わせていないという可能性もある。いやいや、まさかZDNetでコラムニストをやっているような人間が、中学生だって知っているような基本的な自然法則を知らないなんて! きっと米国の電気スタンドは悉くそのような性質を備えているに違いない。
 きっとアングロサクソンである彼は、我々貧相な日本人とはかけ離れた膂力を持っているのだ。どうか新iMacを電気スタンドのごとく倒して倒して倒しまくる様子を見せていただきたいものである。
 閑話休題。
 要するに、最後のパラグラフに書かれていることに対する鬱憤を晴らしたいだけなのではないか。だったらストレートに「Timeだけ優遇しやがって! 許せん!」とでも書けば、共感してやらん事もないのに。Jobsが戻ってきてからのAppleの秘密主義の徹底ぶりには我々ユーザもほとほと呆れているのだから。

 実は歩いて10分程度しか掛からない距離にある氷川神社に行ってみる。
 大宮に移り住んでしばらく経つが、行ったことがなかったのである。
 iPhotoを実際に使ってみる、という名目を自分に対して立てたので、FinePix2900Zでいろいろな場所の写真を撮ってたら、本殿への門を閉ざされてしまった。
 門の横の掲示をみると、冬季は本殿への門を16:30で閉めるとある。……ちょっと早くないか?
 やはり三回行かないと本殿へは通してもらえないとかそういうオチがついたりするのだろうか。
 ちなみに、iPhotoでは画像サイズの縮小=データ量の縮小という操作ができないので、Webで公開するにはちょっと片手落ち気味。1600x1200なんてデータをそのまま見せるなんて厚顔無恥なことはできない。


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