あー、満員電車に揺られるのはやっぱ体力を無駄に消耗する。
本当にぎゅう詰めといレベルには程遠い(押されているという感覚を持たずに立っていられる)ので、昔に比べりゃ全然マシなのだが。
それよりもなによりも、スーツで一日過ごす方が疲れるかも。もう無理すんのやめよ。
昼間はなんともないのに、夜になると冷え込んだにも関わらず鼻水が止まらなくなる。
今のところ、外出する時にだけ花粉症の症状がでていたので鼻炎薬は朝だけの服用でとどめておいたのだが(意外とこの部屋の気密性は高いらしい)、これは朝晩の服用に切り替えよということなのだろうか。それとも、単なる風邪か。
VAIOの環境が一度ぶっ飛んでから、まじめに環境整備をしていなかったので、必要になってから泥縄式に環境を整備する羽目になる。
コンピュータの環境整備というのは、意外と時間がかかるし手離れも悪い。OS XとかUNIXとかって、OSをインストールするとGNUが一式揃ってるってだけでも偉大である。
なんで民主党の議員は「まともそうに見えるの」と「明らかに逝っちゃってるの」の両極端に別れるのだろうか、と言ってみるテスト。
いや、単に旧社会党出身の連中は……とか言ってメールボムを送られるのも嫌なので述語は敢えて書かないでおこう。
他のはよう知らんが、ドラゴンランスはAD&Dであり、D&DとAD&Dは厳然として違うゲームだ、などという突っ込みができるような人間がいるようならD&D日本語版は未だに入手可能だろう。
そもそも、ASCIIは日本でのRPG黎明期にAD&DとD&Dを思いっきりごっちゃにした紹介記事をLOGiNでやらかした会社なので、実は同じものだと信じていて疑わないのかもしれぬ。
藤沢晃治「「分かりやすい表現」の技術」(ブルーバックス)[bk1で購入]読了。
まずは世の中に溢れる「分かりにくい」ことどもを紹介し、続いて認知科学の見地から「分かる」ということを分析し、それを元にして非常に単純な分かりやすい情報発信を行うための心得を導きだしている本。
人間、他人との意思疎通を行わずに生きていくのはなかなか難しいので、口を糊する手段が他人との意思疎通に依存している人は読んでおいて損はないだろう。中身はごく単純なことしか書いていないので、読むのに苦労するということはないと思われる。
これからPCを買うと、Windowsを別に買ってこない限りはぺけぽんを使うことになるのだということに気付かされる。
見るもおぞましきLunaアピアランスを即刻止め、Classic、タイトルバーは一色、ウインドウ背景を0xffffffから明度を若干落とした色とする。メニューのアニメーションも即刻オフ。
どこにあるんだかさっぱり分からんことを除けば、要らんと思われる機能を片っ端から切っていけるWindowsの柔軟性は、OS Xの頑さに触れた後では有り難く思える。OS XのFinderよりはExplorer使い易いし。
AVEXの社長は公然と自分の主要顧客層を泥棒呼ばわりしていたという事実を知る。
こういう会社は潰してしまって、どちらが偉いのかを解らせてやった方がいいんでないの?
普通の人ってのは、「タウ・ケチ」と聞いて、「クジラ座τ星」だという連想がすぐには出てこないんだろうなぁ。
ましてや、人類の他恒星系の探査といえば「タウ・ケチ」が定番、なんていう知識は、70年代くらいにSFに浸かってない人には全く思いも寄らない発想なのだろう。私、リンク先の記事を読んですぐに「タウ・ケチ」のことだと解ったんですが、なんか変ですかね?
時雨沢恵一「アリソン」(電撃文庫)[bk1で購入]読了。
「キノの旅」程、実も蓋もないわけではないが、展開が速いことも加わり、なんとなく薄い印象の話であった。
叙述トリックは、ここぞという場所で使う方がいいと思う。何度も何度も使われるとちと興醒め。
そういえば、文庫の発売予定表では「星の、バベル」の下巻が出ているはずなのだが、書店店頭では確認できなかった。いつものように遅れているのだろうか?
MeadowでUTF-8の英文テキストファイルが化けるのは、一体何が悪いのだろうか? emacs-20.1を導入してみたりもしたのだが、日本語タイプフェースのデフォルトが使い物にならないだけでなく、そのデフォルトを.emacsで変更する方法が判らずに挫折。.emacsは他人が用意してくれたものを使い回していたので、emacs-Lispに付いてはほとんど何も知らないという体たらくなのである。
工学の先生などが結構信奉している(と私が勝手に思っている)言葉に、「神髄は細部にこそ宿る」というものがあるのだが、この記事はその傍証くらいにはなっている記事だと思う。
工学の常でそれはヒューリスティックスであり、証明はされていないし、できる見込みもほとんどない(認知などを研究している人は、何故そうなるのかに対して仮説を立てることはできるかもしれない)。世の中で、他者から見た場合に信仰とも思えるような強い支持を受けているものは、細部にまで気を使ったものであることが多いように思える。
自動車産業とPC/AT互換機産業を対比してみる見方は、なかなか理にかなったものに思えないこともないが、実際の自動車産業ではメーカが自由に設計できるユーザへのフロントエンドは、PC/AT互換機ではMSに握られてしまっているのである。これは例えば、内装の設計は自由にできない自動車産業みたいなもので、そんな業界に明るい未来を私は見い出すことができない(実際、AT互換機を作っているハードメーカに就職する気はない)。
床屋に行く。
F1マレーシアGP。
予選に関しては、別段言うことなし。フェラーリ、ウィリアムズ、ちょっと遅れてマクラーレン、第二グループは、ザウバー、ルノー、ちょっと離れてホンダ勢、トヨタという感じか。トヨタとホンダ勢の差はほとんどないも同然。
で、決勝。
許すまじモントーヤ、とフェラーリ原理主義者としては思うのだが、あれくらいでピットスルーとはいえペナルティというのはさすがにやり過ぎなんではないか。
映像を見る限りでは、接触の原因を作ったのはモントーヤのように見えるし(車のベクトルからしてもモントーヤがM.シューマッハの出口を塞ぐように動いているように見えたし、あの位置関係では首を回さない限り、モントーヤにはM.シューマッハのマシンが見えなかった筈である)、結果としてM.シューマッハの方が大きく順位を落とすことになったのだけれども。ペナルティがあろうがなかろうが、順位には大きな変動はなかったと思われるが。
それにしてもウィリアムズのマシンは速い。速い上に昨シーズンではどちらかのマシンが壊れていたのに、今回はどちらも完走。どちらもマシントラブルで消えてしまったマクラーレンと対象的である。
んが、R.シューマッハのピットイン時のタイヤを見ていると、ミシュランのタイヤはどういうからくりでルールに適合しているのか不思議で仕方がない。新品の性能が低い代わりに、溝がなくなるまでの性能の低下のグラフがごく浅い角度を取るようになっている、というのが素人考えで推測できる範囲だが、実際のところはどうなのか。そもそも、タイヤがルールに適合しているかどうかをどうやって試験しているのだろうか。
閑話休題。
M.シューマッハとモントーヤが同時に順位を落とすことで、棚ぼた的にトップの位置を占めたバリチェロだが、40周でエンジンブロー、リタイア。フェラーリエンジンは信頼性が要の一つだと思っていたのだが、どうもバリチェロは運から見放されている感じ。目の前でライコネンのマシンがエンジンブローをやらかして、派手にオイルを吹き出したのに巻き込まれたのが影響しているのか。同じような印象なのがクルサードだが、マクラーレンの信頼性が低いのは昨シーズンに続いてだから、余り目立たない。
ウィリアムズの1,2に、ルノーのバトンが続き、M.シューマッハは最後尾から4位まで上げてきたけれども、バトンには20秒近く離されており、表彰台は無理かと思われたのだが、ファイナルラップでバトンのマシンが突如ペースダウン、シューマッハは易々と躱して3位表彰台をもぎ取った。うーん、流石。これでフェラーリチームの予想通り、雨が降っていたらどうなっていたことやら。
佐藤は2周目でチームメイトのフィジケラに追突し、2台揃ってピットイン、佐藤はフロントを交換してすぐに出ていったが、フィジケラは一度マシンを降りてしまうという場面があった。それがなければポイントを狙える位置にいただけあって、そりゃ怒るわな。予選まではいま一つセッティングがしっくり来ていない印象だったのが、決勝前のフリー走行で良い感じに仕上がってきていた、という話だけに残念。今後の奮起を期待する。
トヨタは、一度、サロがピットに入ってきてそのままガレージに入れてしまうという状態だったのだが、いつの間にかサロはレースに戻ってきていて、マクニッシュが7位、サロは12位完走。マクニッシュのピット作業で、タイヤが用意できていないというミスさえなければ、ポイント圏内だったのが残念ではあるが、今期初参加とはとても思えない上々の結果である。それだけにホンダ勢の不甲斐なさが目立ってしまう結果になるが。ジョーダンはそれなりに仕上がってきているようだが、BARは昨シーズンに続いてパッとしない感じだ。
なんかフジの放送はだんだんひどくなってきているような気がする。レースの知識なんか全くないゲストを呼んできて変な日本の映像を流す暇があったらサーキットの絵を流せっつーの。長坂アナはしょっちゅうドライバーの名前を間違えるし。そろそろボケが入ってきてるんではないだろうか。