02年9月下旬の世迷い言


2002/09/26

 読む必要のあったコードが、話には聞いていたがまさか本当に存在するとは思わなかった、全ての関数入出力を大域変数で行なうコードであった(しかも当然のごとくまともなドキュメントなど存在しないし、コード中にまともなコメントなどあろう筈もない)ために、モチベーションががくんと下がり、それが昨日まで回復しなかった。
 その気力がない状態でちまちまとトレースをしていたわけなのだが、ようやくキーになる変数配列の存在に気づき、少しだけ前進(この変数配列とは別に、ファイルを作って情報をやり取りしているのでそれに幻惑された、と言い訳しておこう)。問題は、この仕事の締め切りが今月中だということだけである。

 徳間デュアル文庫の怒涛の新刊攻勢。
 上遠野浩平「あなたは虚人と星に舞う」、神林長平「ラーゼフォン 時間調律士」、小林めぐみ「宇宙生命図鑑」の順に読了。
 面白かった順に並べると、「宇宙生命図鑑」、「あなたは虚人と星に舞う」、「ラーゼフォン」か。
 別に「ラーゼフォン」が特別つまらないというわけではないが、神林長平の作品のレベルで言えばかなり下の方に位置する出来ではないか。具体的に言うと光文社の文庫から出た一連の作品くらい。私はアニメは変動しまくる放送時間についていくのが面倒になって途中で視聴を放擲してしまったのだが、たぶんこの本とは全く関係ない話なのだろう。無理矢理そこに配置されている印象がぬぐえない用語の数々が涙を誘う(例えば「D1アリア」とか。これがまたすごく唐突に出てきてほとんどフォローもないのである)。
 「あなたは……」はナイトウォッチシリーズの新作。このパターンは飽きたので他の展開を希望するものである。以上。
 「宇宙生命図鑑」は、人類がある程度広範囲の宇宙に植民していて知性のある地球外生命体もそれなりにいるという、スペオペの王道を行く設定(WWWAがあるかどうかは知らないがトラコンはいるらしい)で、人類ではない異星生命体のラブストーリーであるらしい。
 まあそんなことは私にとってはかなりどうでもよろしい。ストーリーのバックグラウンドである「図鑑」とか「神の獣」とかのSF的というよりはスペオペ的ガジェットにわくわくする。
 先にどうでもよろしいと書いたラブストーリーも、例えば「闇の左手」などを引き合いに出して、生殖行動と切り離された新皮質主導のラブストーリーというものを突っ込んで考えてみるといろいろとネタになりそうではあるのだが、そういうことを考え始めるとどんどんと不愉快な方向へ行ってしまうような気がして途中で止める。
 この作品中で語られていることは、ちょっとそれはいくらなんでも単純すぎるだろう、と突っ込みを入れたくなるほど素朴なものなのだけれども、これもあとがきに生物学云々とか書いてあるから気になるのであって、スペオペだと思って読む分には問題ないと思う。
 さっさと続きを読ませれ(そういや、宇宙博物誌シリーズはどうなったのだろうか?)。

 新城カズマ「星の、バベル」下。
 上下巻の割にはなんかえらく間が空いたが、新城カズマの続き物にしてはすばやく刊行されたほうなのだろう、たぶん。
 宇宙からの侵略者であるところのCANTORの話と、言語学的フランケンシュタインの怪物であるところのヴィナの話(とそれにまつわるネシア民族独立の話)がモザイクのように入り組みあっているが、それが一つの模様を描き出しているかといえば、それはとても疑問(少なくとも私には)。
 2次元配列に3次元構造の情報をどのようにして情報の劣化なしにコピーするのかとかいろいろと突っ込みたいところがあるのはやはり黙っておくべきなんだろうか。一次元であるDNA配列に三次元構造であるタンパク質のコードが入っているのだからそれと同じ原理だと思ったのだろうか(私はそんな単純なものではないと思うのだけど)。
 もう一回くらい上下巻を通して読むとまた評価が変わるかも知れず。

 香山リカ「ぷちナショナリズム症候群」。
 なんつーか、「ぷちナショナリズム」というものの定義が非常に曖昧なままで話が進むので、すごく納得できない感がつのる本である。
 自分の国や文化を愛することと、他の国の人や文化を排除することはリニアにはつながらないと私のような単純な人間は考えてしまうのだが、それへの反証が全くない。
 これまでの愛国と排他主義は全てリニアにつながっていたのだ、という例でも挙がってればまだ納得はしないまでも腑に落ちることはあるかもしれないのに。
 いろいろと文献を引用したりしているけれども、その点に関しての詰めが甘いので、ただの感想にとどまってしまっていると思う。

 北朝鮮の諜報機関が日本語の学習のために邦人を拉致していたという話に反応して、金賢姫の会見の日本語の下手糞さ加減(というか訛りだな)からして諜報活動に耐える日本語教育のレベルにはなっていない、と評して、これならば日本の放送をずっと見せた方がよほどマシなのではないか、と唐沢俊一の日記にあったが、そんなことをしたら、あっという間に日本に亡命してしまうんではないかと思う私は、組織に対する忠誠心というものを低く見積もりすぎなのだろうか。


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