そんなこんなで上映開始。
……これって、ガキ映画なんですか? 聞いてないっすよぉ〜。
最初のシーンで、ひび割れたロイド眼鏡にタキシード、背中にエレキギターを背負った主人公が、野党に襲われている親子を助ける……じゃなくて、襲われている方を特に気にせず、野党に襲いかかってほぼ一方的に斬り伏せるのだが、そこで母親は死んでしまい、残されたガキが主人公にまとわりついてストーリーが進行するのだ。つまりストーリーの中心にガキが据えられているので、ガキ映画なのである。
もう、そのガキ映画としての徹底ぶりは筆舌に尽くしがたいものがあり、ストーリーの全編に渡って、ガキの暗い影が作品を覆っている。おかげで軽快なチャンバラ(つっても、日本の殺陣ではなくて、西洋風の刀をぶん回して何度も打ちつける形式だけど)の魅力も7割方減だ。
まー絵は綺麗だったけどね(って俺が今年観る映画はこんなんばっかしかいっ)。
そーいや、ジェフ・ゴールドブラムがでているiMacのCMが、最後に出てくるのがiCandyになっているというマイナーチェンジをされてまた放映されているようだ。
うーむ、AppleのCM戦略ってよく判らない。
この宇宙で一番面白いWeb上公開日記ではないかと評判の、田中哲弥氏の日記の4/12分に、ワープロが趣味だというよく判らん爺さんがいる、という記述がある。
が、プロの物書きや、プログラマなど、一番キーボードを使う人種は、なかなか気づきにくいのだが、実は人類にとって「キーボードを使って何かを入力する」という行為は、たいへん気持ちの良い行為なのである。
何故にプロの物書きやプログラマがその事実に気づかないかと言えば、彼らは何か自分の頭脳から絞り出した結果を入力しているからである。何かを入力する前段階であるところの「自分の頭脳から絞り出す」行為があまりに苦しいため、その後に感じる快感がスポイルされてしまっているのである。
すなわち、氏の日記で言及されているところの、有り物の文章をワープロに入力し続けるという行為は、キーボードの快感のみを追及した大変に趣味性の高い行為だと言える。
まあ、通常の精神の持ち主には、その行為があまりに非生産的な行為だと感じられやすいので、快感もスポイルされ気味になると思われるが。
給料がでたので、久しぶりに贅沢をして、DROUGHT GUINESSを買ってくる。
美味い。まあ、一月に一遍だから飽きなくていいんだろうね。
早見裕司「世界線の上で一服」読了。
あんまり集中して読んでなかったんで(別にこの作品がつまらんというわけじゃなくて、たぶん私の個人的な理由による)、具体的なことは言えないのだが、なんというか、このネタならもう少し上手い展開があるんじゃないか、という気分がすごくする小説だった。
たぶん、ネタ的には私の好みなのだが、描写的には私の好みから外れている、とかそういう理由だろう。
猫はほうれんそうと一緒に炒めたハムは食べないことが判明。
んで、こんな時間まで起きているのだから本末転倒というかなんというか。
電話代のあまりの高さに、回線開設当時からサービス内容に非常に不満を感じさせ続けるNTTにはもうなるべく金は払わないようにしよう、と思い、市外通話はとりあえず申し込みのいらないKDDに切り替えたのだが、今日になってその請求がやってきた。
NTTよりかなり安いのは当然として、別料金もめんどくさい申し込みも必要なしで、最初から通話記録が添付されているのに感心した。
やはり元役所(のような所)の独占というのは、あまりに弊害が大きすぎると実感した次第。一刻も速く郵政省は取りつぶして、アメリカ資本の通信会社に市場を開放し、どんどんサービス競争に持ち込んでいただきたいものである。
とりあえず、KDD法はさっさと廃止もしくは改正して、全ての電話会社のサービスを、申し込みなしで使えるようにしていただきたいものである。
なんかポストに、ものみの塔のパンフレットが入っていたので、暇にあかせてざっと目を通す。
巻頭特集が不老不死なのだが、キリスト教圏の人々は一様に不老不死を願っているものなのだろうか。
多感な少年期(そういうこともあったのだ)に、銀河鉄道999なんぞを読んでしまった身には、不老不死って必ずしも良いものだと感じられないのだが、どうだろうか。
仏教思想においても、魂の不滅は、苦しい修行の場であるところの現世に縛りつけられた状態である、という定義で、そういう言及は見たことがないのだが、不老不死はむしろ忌むべきものだという認識なのではないだろうか。
ただ不老不死だ、というだけで幸せだと感じられるとはとても思えないのだが、このパンフレットではそういう懸念は、非常に能天気な言及でしか否定されていない。こんな能天気な言葉で説得されてしまう人々も、説得しようと試みる人も、どうにも知能が低いとしか思えないのだが、これは単なる偏見だろうか。
∀ガンダム、作中でも"髭"呼ばわりされているのは、それがリアリティというものだ、として受け入れるべきなのだろうか。
CVGSの出荷差し止め判定が下りたらしい。
あらま。一体全体、どういう根拠でそのような判断が下されたのか、非常に興味がある。
私は、この判決について「まったく違った機構を用いて、とある製品と同じ動作をする製品を実現し、それを配布する行為」それ自体が違法である、という判断がされたと認識するが、それって違法か? ということは、仕様が公開されていない製品と互換性のある製品は全て違法なのか? そりゃ、元の製品と同じ方式を使ってれば違法(というかコピー製品)になるだろうけどさ。
私はCSSが嫌いだ。
私は、CSSを「ページ作成者が閲覧者に対して見栄えを強制するための仕組み」と理解している。
HTMLは文章の論理構造を記述するための言語である。HTMLを使ってドキュメントに論理構造を記述しておけば、後はそれに合わせてブラウザが適切な表示形態を選ぶ、というのが本来のWebの姿であるはずだ。Lynxなどのテキストベースのブラウザは、別に酔狂で作られたものではなく、あって当然のブラウザなのだ。
出版関係の人などで、自分の作ったページの見栄えを非常に気にする人がいるが、HTMLはそういう目的で作られた規格じゃないのだから、見栄えまで制御したかったら、Acrobatを使えば良いのだ(別にFlashだって、Mapped GIF/JPEGだってなんだって良い)。
闇雲に機能を取り込んで巨大化していく昨今のアプリケーションは、こうした適材適所という言葉を忘れたユーザーの愚かな意見を無批判に受け入れてきた結果である、と私は考える。その製品の目的とするところをきちんと踏まえ、その機能だけは限りなく安定して高速に動く、そのような製品こそ私は使いたい。機能なんか増やさなくて良いから、デバッグとブラッシュアップを!
今日は、とあるお祝い(ヒントは23日発売の某雑誌にある)のために、関係会社から女性スタッフの方が2人来て、晩飯を作ってくれた。
普段から鍛えられて大食になっている我々の胃袋をもってしても余るほどのパスタ(シャケのクリームソースとトマトとモッツァレラとバジリコソースの2種類)とサラダ。さらには、ビール、ワイン、などもでて、最後の締めくくりは代官山で買ってきたという苺のケーキだった。
内容が良いのはもちろん、タダ飯なのが良いねぇ。
隔月刊GUIN SAGA65「鷹とイリス」読了。
諦めてしまって、もう無意識にフィルターを掛けているのか、文章の壊れっぷりはあまり気にならなかったり。
話は相変わらず収拾の時期なので、特に感想はなし。