人生に客観的意味を求めるのは馬鹿げたことだと思う。
この宇宙に起こる事象の全てには(人間が勝手に付けた以上の)意味などないのだから、事象の一つである生命活動にも客観的意味などある筈もない。(自分自身の人生に、主観的意味を定めることは否定していないことに注意)
ある人間が社会に貢献しているなら、彼(もしくは彼女)が生きている価値はあるだろうが、そうでないなら、少なくとも社会的には生きている価値はない。
社会に貢献しようという意欲のある人間なら、今現在、社会に貢献していなくても、その人間が収まるべき席が空けば、いずれは貢献するだろう。そういう意味では、今現在、社会に貢献しているかどうかをその基準にするのは間違っている。
しかしながら、現代社会においては、誰かが占めている席が空いてしまったとしても、即座に誰かがその席に収まるであろうことを考えれば、人間の社会的価値というのは、程度の差こそあれ、代替可能なものでしかない。かけがえのない存在などは、宇宙そのもの以外には存在し得ないのだ。
ここで一つの疑問が出てくる。今現在、社会に対して何らかの貢献をしているが、社会に貢献する意欲を失ってしまった人間が自殺することを、社会が良しとしないのは何故なのだろうか。
それを禁止しておかないことには、全ての人間が自殺をしてしまいかねないからなのだろうか。それほど、人間が自分自身の生きている意味を自分だけに求めるのは難しいことなのだろうか。
それとも、現代においても、死ぬことを禁止しなければならないほど、生きていくことは辛いことなのだろうか。
公共の福祉に反しない限り、死ぬ自由は認められる筈で、誰かが死のうとしていたら、自分の利益に明らかに反するのでなければ、止めるのはその人の自由を侵害していることになるのではないだろうか。
24日に休みを貰えるのかどうか、再度聞いてみたら、作業の進捗を聞かれた上で、OKを貰うことができた。
やったー。ありがとう、社長。(現金)
その後、今週末の軍資金を下ろしがてら、大宮駅周辺をぶらつく。
ついうっかり、そごうの中にある三省堂書店に行ったら、ゲド戦記が同時代ライブラリでない、新しいシリーズとして出ていたり、知らなかった恩田陸のハードカバーが出ていたりと、思い切り散財してしまう。いーのか、こんなことで。
そんなことをやっていたら、何時の間にやら予定を1時間も過ぎていた。
慌てて部屋に戻り、支度をして調布の友人宅へ向かう。明日のコミケにサークル参加するために、一緒に有明に向かうのである。
近所のロイヤルホストで夕食をとり、カタログチェックなどして就寝。
会場内では、荷物を片づけ、カタログチェックの続きを行いつつ、開始を待つ。
私は、友人の奥方に店番を任せて、開始と同時にチェックしたサークルを回る、いわゆる「出たきり同人」と化す。
しかしながら、今回はいつもの冬と違って3日間開催のため、チェックしたサークルがごく少ない。なんと午前中に全て回り終えてしまった。
新刊の「MAGIUSエリーのアトリエ」も、12:15には完売してしまい(買えなかった人、ごめんなさい)、懸案だった「S.U.P.P.O.R.T. RPG System」の在庫も全て捌けた。
売るものがほとんどなくなってしまったので、少し早めだったが、14:30に撤退することにした。
手伝ってくれた友人夫妻と、新宿のスパゲティ屋で夕食をとる。
本当は、新宿にある食べ放題のしゃぶしゃぶ屋に行く予定だったのだが、17:00からの営業だったので諦めたのだ。
店を出て友人夫妻と別れ、ふらっとTUTAYAに入る。
捜していた「Talking Marimba」(TAMAO)他のCDを発見し、急ぎ保護する。
家に帰ってきたのは19:00頃。シャワーを浴びて、頭を乾かして、倒れるように寝る。
適当にぶらついてから、帰ろうとして上野で高崎線列車の発車を待っていたら、やまいし氏から電話。
なんでも、当初、奥方と行く予定であった、五島プラネタリウムでのZabadakの新譜「IKON」の試聴会に、明日の準備のために奥方である石岡和巳氏が行けなくなってしまったので、行かないか、とのお誘いであった。
一も二もなくOKし、慌ててアパートに戻って速攻でシャワーを浴び、再び出かけて今度は渋谷へ。
「IKON」は、これまで契約していたPOLYSTARから、再びBiosphareに復帰した、一作目である。
Bioshare所属第一作だった「音」がすばらしい出来だったことを考えると、とても期待できる。
前説に現れた吉良さんの説明では「新人に戻った気になって作った」そうである。どんな出来になっているのか、期待と不安が高まる。
そして、館内が暗転し再生が始まった。
1曲目はインストゥルメンタルだった。ちょっと面食らったが、前作「はちみつ白書」も1曲目はインストゥルメンタルだった。しかし「はちみつ白書」の1曲目である"100 AKER FOREST"に比べて、非常に「格好良い」曲だった。
続く2曲目もインストゥルメンタルだった。だが聞き覚えがある。これは、演劇集団キャラメルボックスの「怪傑三太丸」のために書かれた「三太丸」を改題した曲らしい。非常に良い曲なので、インディーズとはいえ、一応CD屋にも並ぶCDに収録されたのは喜ばしい。
結局、このアルバムに収録されている曲は半分以上がインストゥルメンタルであった。「光り降る朝」よりも割合としては多い。以前「光り降る朝」を買いに行ったときに仕入れてなかった田町のCD屋の店長の言葉によれば、インストゥルメンタルアルバムは、あまり売れないそうなのだ。(だから、アニメのサントラとかでも帯に(歌詞付き)などと書かれていたりする)
しかしながら、「IKON」の曲達はとても格好良い、しびれる曲ばかりなのだ。最近はちょっと大きめのCD屋なら、インディーズコーナーをもうけているところも多い。是非とも入手して、聞いてみて欲しい。2000年1月20日発売だそうだ。
そうそう。このアルバムは、鈴木光司の「楽園」にインスパイアされて作られたものなので、鈴木光司ファンの人も聞いてみよう。
……と、宣伝してくれと吉良さんに頼まれたのである。(^_^;
今日チェックしたサークルはかなり多かったのだが、順調に回ることができ、念願の「と学会」の本も入手できた(唐沢俊一が店番をしていたのには驚いた)。
全てのサークルを回り終えたのは、14:30頃だ。しかし、大手の本でも午後になると完売しているところが増えたような気がする。晴海でやっていた頃は、ほとんどの大手では15:00くらいまで買えたと記憶しているのだが、記憶の美化作用が働いているのだろうか。
荷物を置かせてもらっていたやまいし氏夫妻のブースに戻り、閉会の16:00まで店番を手伝う(邪魔をしていただけという話もないことはない)。
やまいし氏夫妻とともに、昨日同様、ゆりかもめで新橋に戻り、ライオンで夕食。料理もビールも美味であった。
家に戻ったのは21:00少し過ぎ。久々に湯船に湯を張り、疲れ切った足を休め、買ってきた本を適当に読む。就寝は0:00頃。
昼に家賃を払いに銀行へ。
年末なので、妙に混んでいる。時間潰しの本を持ち歩いていなかったことを悔やむ。
んで、ATMの目の前までやってきた私をまず襲ったのが「振り込み通帳の期限が切れています」との表示。どうも振り込み通帳には期限があって、それは1年らしい。どういう理由で期限が切ってあるのか、全然判らない。
しょうがないので、振り込み通帳の過去の記載事項から、振込先の口座番号を打ち込み、金を機械に入れたところで次に私を襲ったのが、「投入金額が足りません」の表示と共に、入れた金が戻ってくるという現象であった。
何度やっても埒があかないので、ATM備え付けの問い合わせ用電話を使って話を聞くと、新券ではそういう事が起きるらしい。対応策は「何度も折り曲げて新券でないようにしろ」とのこと。……なんじゃそりゃ。
たまたま、金を下ろすために使ったATM(引き出し手数料と振り込み手数料をそれぞれ無料にできるため、違う銀行を利用した)が、お年玉用だと思われる、新券が補充されたものだったので、手元には新券しかなかったのだ。
1/4まで折り曲げたがやはり受け付けられず、「むきーっ!」と叫んで頭をかきむしりつつ、ATMを蹴りまくりたい衝動に駆られるが、危ういところで自分を押さえ、1/16まで折り曲げて再度試したところ、無事に受け付けられた。
そりゃ、投入された全ての札が新券だった場合に、受け付けられないような技術的問題があったとして、それが実運用上で問題になることはあまり多くはないだろう。しかし、それを秘密にしておくというのは頂けない。札を投入する場所には、札がしっかり残されているのだから、センサで感知するのも簡単なはずだ。そのセンサに反応した場合には、「足りない」というメッセージとは違うものを用意しておくべきだろう。
無駄なことに時間を使ってしまって、とても空しい気分になった。
午後になって、会社で付き合いのあるMac使いの絵描きさんから「Macからガラスの割れるような音がして起動しなくなったが、これはなにか?」という質問の電話がある。
その音は、私もPM8100/100にメモリを増設した時に聞いたことがある。何らかのハードトラブルで、起動直後の自己診断でエラーが発生したことを示す音だ。私の場合は、ビデオカードがきちんと刺さっていなかったのが原因だったので、すぐさま回復したが。
というわけで、それはハードに何らかのトラブルがあったことを示す音であることを教え、最近、なにかメモリを増やすなどの作業をしたか、と聞いたのだが、否定的な回答が返ってきた。
それは、本格的に壊れた可能性が高いので、Quick Garageに持っていくようにと指示したが、どこにあるのか判らないとの返事。
仕方ないので、会社にある乏しいMac関連雑誌を当たってみたが、情報は見つからない。折悪しく、プロバイダ側の問題でネットワークも使用不能であった。
結局、他の人に当たってQuick Garageの連絡先は判ったらしいが、その後に起動してみたら、何事もなく立ち上がったらしい。
趣味で使っているものならそこでめでたしめでたしになるが、仕事に使っていて、しかも正月は休む気がないらしい。しばらく使いつづけて様子を見るか、不安ならQuick Garageに相談してみるといい、とアドバイスしてその場は終わった。
この絵描きの人は、HDDも矢鱈とクラッシュするわ初期不良率が無茶苦茶高いわで、とても不幸な人なのだが、会社に居る間ならともかく、家に居る時に相談の電話を掛けてきて、延々と愚痴を聞かされたりするので、こちらにもその不幸が飛び火している形になっているのである。
この程度の社会のしがらみは甘んじて受けるべきなのだろうが……。
24日に「Talking Marimba」と一緒に買ってきた、上野洋子プロデュース「Nursery Chimes」は、上野洋子作曲以外の曲は、吉野裕司が手がけており、実質的にVita Novaのアルバムであると言えることが判明した。
これは、「賢治の幻灯」にも言えることだが、朗読の部分さえなければ仕事中の愛聴盤になりうるのだ。実に惜しい。MDを買ったんだから、自分で編集すればいいという話もあるが。