002  ピッケルの長さ

 アドバイスというものは、自分の経験を越えてはできない。
 Tさんが今シーズンから雪山をはじめたという。ピッケルを買いに山の店を訪れたら、短めがいいとアドバイスされた。背の低いTさんの場合、50cmくらいがいいということでその店に在庫がなく、取り寄せになって今待っているところだ、という話であった。
 ピッケルの長さは短めがいいというアドバイスが間違っている、というつもりはない。アドバイスというものは、自分の経験を越えてはできないものだが、相手のレベルや登る山を考えてしないと、小さな親切、大きなお世話になってしまうのではなかろうか。
 ぼく自身も10年前までは、ピッケルは短めがいいとアドバイスする派であった。昭和山岳会に6年間在籍して登山の基本を学び、それから蒼山会同人を創立して活動し、その経験をベースに無名山塾を誕生させた1981年頃は、入塾してきた本科生に「ピッケルは短めがいい」とアドバイスしていた。
 雪山入門のレクチャーで、背が低いということもあるとして、50cmのピッケルを手にかざしながら、短い方がいざというとき使い勝手がいいものです、なんて説明していた。
 急な雪稜の登下降や雪面のトラバースでは、ピッケルは短い方が手がかりとして使い易い。長いピッケルでは上方へ埋め込みづらいし、下りでは早めに埋め込めるという利点はあるものの、引き抜くのが容易ではない。積極的な雪山登山であれば、ピッケルは短めの方がいいのは自明である。80年代の入塾生たちは3年も修行すると自立して、積極的に雪山登山をするようになったから、短いピッケルは有効であった。
 1983年11月、サンシャインシティ文化センターで企画された「中高年のための山歩き入門教室」に講師として招かれた。これがきっかけとなっって、無名山塾の中に「中高年と女性のための山の遠足」というプログラムを新設し、受講生を中心にして遠足倶楽部というグループも誕生した。
 「中高年と女性のための山の遠足」は次第にエスカレートして、80年代後半からはスノートレッキングと称するメニューが数を増やしていった。
 北八ヶ岳の北横岳、縞枯山、高見石、しらびそ小屋から中山峠越えなんかも、スノートレッキングの名コースといってよい。このあたりまでなら、軽アイゼンとストックで問題なく楽しめる。このレベルを横にひろげて、冬の上高地とか美ヶ原でスノートレッキングを楽しんでいれば安心なのに、日本の高度成長経済を支えてきた中高年の方々には、ネームバリューを追いかけて難度をあげていくという悪いクセがある。
 次なる目標は天狗岳、それから硫黄岳、赤岳へとエスカレートしてゆく。そうであるなら8本爪以上のアイゼン(冬山専用の靴とワンタッチアイゼンの組合せが望ましい)とピッケルを装備しよう、その使い方にも習熟しようと指導方針を明確にした。
 80年代後半の「中高年と女性のための山の遠足」プログラムで「天狗岳」に参加した方々は、ぼくのアドバイスに従って短めのピッケルを用意された。一緒に行動してみて、短いピッケルがこの程度の雪山には余り効果的でないことに、すぐ気づかされた。
 スノートレッキングよりワンランク上、しかし、それほどリスキーではなく中高年の方々に無理なく楽しんでもらえる雪山は数多い。二月中旬に登った西吾妻山、三月中旬に登った根子岳と四阿山、下旬に登った安達太良山、これらの矢まで使うピッケルは、杖として効果的に機能してくれることが重要で、行動中に手がかりとして使うことはまずない。だとしたら、ピッケルの長さは短めより杖として機能しうるほどよい長さがベターということになろう。
 登山のグレードがさらに上がって、硫黄岳、赤岳、谷川岳、平標山、仙丈岳レベルになっても、コース全体の九割は杖、一割が手がかりというのがピッケルの役割だから、このレベルの山でもというか、このレベルの山が楽しみうる最高グレードになる登山者には、短めよりほどよい長さのピッケルがベターということになる。
 以上、自分の経験をベースに、80年代に入ってから雪山初心者に対してするピッケルの長さについてのアドバイスは、「杖として役に立つ程よい長さがいい」というものに変更された。
 しかし、このアドバイスは登山者のスタンダードになっておらず、主流は短め、のようではある。ということで、最後に「ほどよい長さ」について説明しておこう。
 ほどよい長さとは、手をまっすぐおろしてピッケルの頭部を握ったとき、石突が地面につくかつかないかくらいの長さ。この長さだと、平地では杖にはならないが、斜面が増してくればころばぬ先の杖として頼り甲斐のあるものになるし、使い方に習熟してくれば、前述した赤岳や谷川岳でてがかりとして使いたいとき、長すぎて使いにくいというほどのものではなく、充分使える長さだということも体得できるはずだ。

2000/03/20 記

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