battle26(3月第2週)
 
 
[取り上げた本] 
  
1 「本格ミステリーを語ろう!(海外篇)」 芦辺拓ほか           原書房 
2 「私が見たと蠅は言う」      エリザベス・フェラーズ        早川書房 
3 「金庫と老婆」          パトリック・クェンティン       早川書房 
4 「青猫の街」           涼元悠一               新潮社 
5 「地球儀のスライス」       森博嗣                講談社 
6 「ディオニシオスの耳」      湯川薫                徳間書店 
7 「私が彼を殺した」        東野圭吾               講談社 
8 「フリッカー、あるいは映画の魔」 セオドア・ローザック         文芸春秋 
 
 
Goo=BLACK Boo=RED 
  
「なんだかここんとこ忙しそうね〜」
「ayaさんだってバタバタしてるじゃないですか。今度、海外取材ですって? いーなぁ!」
「旅行本の取材だもん、シンドイだけだわよ」
「どっちにしろ、忙しくいわりにはてんで儲かりませんよねえ」
「そうね、ギャラの水準が以前の半分になっちまったからね。倍働いてようやく前と同じアガリっちゅう感じ」
「時々、なにやってんだかわけわかんなくなります」 
「ま、グチなんぞ垂れても、だぁれも助けちゃくれないんだからさ」
「そうですね、やるだけやってそれでもダメなら、まいっか、と」
「そーそ。さー始めましょ!」
「たまには、評論書もいいかなと思いまして」
「ふむ、「本格ミステリーを語ろう!(海外篇)」か。たまにはいいんじゃない」
「ポーに始まるミステリ、ことに本格ミステリの歴史を俯瞰し、読んでおくべき古典的名作を座談会形式で紹介する。ありそでなかった本ですよね」
「そうね。いくつか似たような試みはあったけど、現代的な視点で、しかもこれだけまとまった形で古典が概観され紹介されたケースはなかったかも」
「論者も、クイーンファンの有栖川さん、カーらぶらぶの二階堂さん、バランスの取れた芦部さんに、百科全書的な知識を誇る秀才型の小森さんと、それなりにバランスが取れているようですし、選ばれている作品も妥当といえますよね」
「でもさあ古典〜黄金期への言及が大半を占め、そこから現代へつながる時代の作家の紹介が速足になってしまった点は、ちょっと物足りないかなぁ」
「それは全体のボリュームからして仕方がないでしょう」
「んー、でもなんつうか、いちばん見過ごされやすい作品群なんだから、ここもきっちりやってほしかった気がしないでもないなあ」
「その反面、古典に関しては怠りなくマイナーなものまで拾い上げていますよね。おかげでぼくもあらためて読んでみようと思った作品がたくさん出てきました。こういう試みはどんどんやってほしいですね」
「今度はぜひ「日本篇」を!」
「それにしても、この人たちの記憶力は大したものですねえ。彼らに内容を紹介されて「ああ、そうだった!」とようやく思い出すことのできた「名作」の多さといったら!」
「キミ自身の老化現象だよ、それは……」
「ヤな言い方だなあ。じゃ、次です。「私が見たと蠅は言う」。98年度GooBoo 本格BESTの海外編No.1に輝いた「猿来たりなば」のフェラーズの旧作ですね」
「なんでまたいまさら……「猿」以前に日本へ紹介された唯一のフェラーズ作品ではあるけど」
「ベスト10などに選ばれることはないけど、欧米の本格ミステリ史なんかを紹介する文章では、さらっと言及されることが多い作品ですよね。ポケミスでこれは復刊されたのかな? ともかく「猿」人気で再び注目が集まっているであろう……ということで、再読してみた次第です」 
「意味ないと思うけどな〜」
「え〜、さて。怪しげな人物ばかりが暮らす場末の下宿屋の一室で、ガス工事中の床下から拳銃が発見される。警察が調べてみると、それは数日前に発生した殺人事件の凶器であることが判明し、さらにその被害者が「拳銃の発見された部屋」の元・住人であることがわかった。いずれも一癖あり気な下宿人たちにターゲットを絞った警察が捜査を進める一方で、下宿人たちは互いを疑い不審な動きを始める……」 
「タイトルからして「マザーグース」を使った見立て殺人かと思うけれども、これはほとんど関係ないのよね〜。語り手であるヒロインと名探偵約の警官が、この「マザーグース」の一節を引用しながらやり取りする場面があるというだけで、見立てでもなんでもない! という」
「冒頭に謎が配置され、その謎解きに絡めたどんでん返しなども用意されています」 
「でもさ、「猿」なんかに比べれば謎解きはごく薄味。伏線もおざなりだし、どんでん返しも容易に想像がつくでしょ? 再読する意味はないわよね」 
「カットバック等を使ってサスペンスを盛り上げているじゃないですか」 
「そーゆーことなどからしても、おそらく作者は本格味のあるサスペンスといった路線を狙ったんじゃないかな。でも、いずれも中途半端ね。推理部分同様、サスペンスとしてもあまり切れ味はよろしくないわ」
「う〜む」 
「まあ、これじゃあ人気は出なかっただろうし、続けて紹介されなかったのも当然だろうな、という程度のできだわね〜」
「時期的には「猿」より後に書かれたものなんですけどね」
「おそらくこの作家は、初期のトビー&ジョージ・シリーズで燃え尽きたのよ」
「でも、だとしたら、一体全体なんで日本初紹介にこんな凡作を取り上げたんでしょうねえ?」  
「そうね。その時「猿」が訳されていたら、その後のこの作家に対する扱いも、ずいぶん違ったものになっていたかもしれないわね」
「そう考えていくと、他にもこういう「あえて優れた作品を外して凡作を紹介されたきり忘れられた作家」ってのが、たくさんいるのかもしれません」
「ほんとほんと。それはいえてるわ」
「じゃあ、ポケミスの復刊ものを続けていきましょうか。「金庫と老婆」はパトリック・クェンティンの作品。クェンティンというと「二人の妻を持つ男」とか「愚か者の失楽園」とか。初期は本格味の強いものを書いていたけど、いま読めるのは後期のサスペンスものだけですね」 
「この作家は2人の作家による共作名義だけど、ややこしいのは後にコンビが解消されて、片割れの1人がペンネームを継承したってことね」
「ちなみに代表作の「二人」はその1人が書いたもの。どうやら、本格志向の強いほうが「降りた」ようですね」 
「この短編集も後期の単独&サスペンス時代のものな。つまり収録された9篇に本格は1篇もないんだなあ」
「ま、そういうことになりますね。基本的にはたいへん上品なサスペンスといいますか。高級雑誌に掲載されているような、軽いブラックユーモアにさりげないどんでん返し。あざとい仕掛けはありません」 
「上品だけどぉ、いささか以上に食い足りないのよね。クェンティンという作家のイメージからすると、ひねりにもキレがないし。平板な印象ばかりが残っちゃうのよ。ひねりのないダールというかさ」
「でもぼくは巻末の表題作はすごく面白かったなあ」
「あー、富豪の老嬢が姪の夫に自宅の金庫に閉じ込められる、ってやつね?」
「そうそう。小悪党の夫によって金庫脱出の望みが次々と断たれていく過程が、ありきたりだけどすごくサスペンスたっぷりで、これは一気読みしてしまいました」
「ステレオタイプだけど、己の魅力に絶大な自信を持つ小悪党のジゴロはけっこう印象的だったわね。でもまあ、どうやらクェンティンという人は、力を発揮するのにある程度まとまった枚数が必要だったようだわね」
「ちなみにこの短編集、63年のMWA特別賞を受賞しています」
「じゃ、次は国産ものの新刊いきましょ」
「はいはい。じゃ「青猫の街」なんかいかがですか? 第10回ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作品ですが」
「ファンタジー大賞がなぜここに出てくるのよぉ」
「とはいえミステリのスパイスが、たっぷりかかってる気がしたんで」
「ま、いーけどさ。この作家はどういう人なのかしらねー。妙な話を思いつくものよね」
「名前からすると男性のようですが、コバルト出身の作家さんらしいですね。いえ、べつにコバルトだから女流と決まったものではないですが」
「それにしてもさあ、あたしゃこの本文横組みっていう組み方が、読みにくくて仕方なかったけどね」
「内容がインターネットやBBSの世界の話ですからねぇ、この方が自然なのかもしれませんよ。ぼくも最初は違和感がありましたが、すぐに気にならなくなったし」
「つまりそれだけ面白いといいたいわけね?」
「ええ、まあ。ともかく、物語は古典的なハードボイルド風に始まります。ソフトウェア開発会社に勤務するSEである主人公の元に、旧友の消息を尋ねる電話がかかってきます。気になった主人公がその旧友の家を訪ねると、家はもぬけの殻。なぜか一台の旧型PC・PC9801VMが残されています。あれこれとつてをたどって彼の行方を追ううちに、主人公は「青猫」という意味不明の言葉に出会います。それをきっかけにインターネットや草の根BBSの迷宮めいた世界に足を踏み入れた彼は、「青猫」がクラッカーの間で「青猫暗号」と呼ばれる「禁断の暗号」であることを知り、やがて青猫からの不気味な「警告」が……」
「そのあたりまでは本当にファンタジーというよりリアルな「電脳ハードボイルド」という感じの展開よね」
「裏ネットや草の根BBSの迷宮めいた世界の探索行がとてもリアルでスリリングでしたよね。SEの仕事の描写なんかも、さもありなんという感じで興味深く読むことができますし、webやコンピュータおたく、SFにまつわる楽屋落ち風のネタもたくさんあって、好きな人はすごく楽しめると思います」
「ふむ。得体の知れない「青猫暗号」の不気味さもなかなかのものだったしね」
「WebやBBSを扱ったミステリ、SFはこれまでもいくつかありましたが、コトこの部分に関しては、これがいちばんできがいいんじゃないですか?」
「そうねえ。でも、いざ「青猫」の正体があきらかになってみると、(この正体の割れ方もとってつけたようでつまらないんだけどさ)やっぱガッカリしちゃうでしょ〜」
「まあねえ……。まあ、そのあたりがファンタジーなんじゃないですか」 
「う〜ん。それってズルイよなぁ。たしかにさあ、作者の「狙い」はよくわかるし、「だからこそ」のファンタジー大賞なのだとは思うけど、前半のサスペンスが抜群だっただけに、なんとも破綻した「軟弱な」結末の付け方に思えてしまうのよね。いっそこのままラストまで電脳ミステリ風に突っ走ってほしかったってのが実感だわ」
「ま、たしかにミステリとして読めばラストの弱さは否定できないと思いますが、前半部の面白さも捨てがたい気がするなあ」 
「それにねえ、個々のエピソードは非常に魅力的なのに、いまひとつ「統合されてない」という感じもあるのよね。伏線が張られたまま放り出されてるような」
「ふむ」 
「途中までミステリ書いてたんだけど、まとめられなくなっちゃったから仕方なく「文学的」な結末つけてファンタジー大賞に出すことにした……なぁんてことはないわよね?」
「まっさかあ」 
「じゃ、次。森博嗣さんやるんでしょ? 「地球儀のスライス」ね」
「ですね。10篇ほどの短編が納められています。犀川ものは2篇だけですね」 
「あとはひねくれたサスペンスと、ミステリ「風」の味付けをされたよくわからない感傷的な・オトメちっくな・青春小説、のようなもの。頼むからこのあたりの作品については聞かないでほしいわ」
「ようするに嫌いなんで読み飛ばしたんですね?」 
「わかってるなら聞くなッて」
「ふふ。え〜、犀川ものはようするにパズルですね。作中人物が「日常の不思議」を謎々として出題する、というスタイルですが、いわゆる「北村学派」と違うのは、そこに「人間性の謎/不思議」という要素が含まれていないという点でしょうか」 
「食傷気味の「北村学派」よりは楽しめるかと思ったけど、実際に読んでみると、なんだか謎にも謎解きにも「膨らみ/広がり」が感じられなくて、意外とつまらないのよ。まさしく「ちょっと手の込んだ」無味乾燥なパズルという印象ね」
「う〜ん。「人間を描くコト」不要論者のぼくとしては全面的に矛盾しちゃうんですが、ぼくもその点にはモノタリナサを感じましたねえ。まあ、ネタそのものにオドロキがなかったせいかもしれないので、とりあえずこの問題は保留にしておきます。その他の作品についてですが……」 
「だから、聞くなって!」
「まあ、そういわずに。こういうタイプの作品の方が好きという方もたくさんいらっしゃるんですから」 
「ったくもー。まあね、比較的「ミステリ味」の強いものについては、意図的にだか結果的にだかわからないけど、ちゃちな仕掛けを作者お気に入りの「オトメちっくな」な「耽美ちょっと入ってます」的ウダウダでゴマかしてるという印象ね。その他はそこから「ミステリ味」を抜いたものって感じ」
「ひょっとして、作者は「最後のやつ」みたいなものがいちばん書きたいのかも」 
「それはあるかもね。「理数系ミステリの書き手」という看板とは裏腹に、この人の本は後になるほどこの手の「ウダウダの香り」が強く立ちこめているもんねー。つまりこの作家なりに「人間を描く」とこうなるということなのかもよ?」
「だとしたら、やはりこの人には「人間を描く」のは向いてないのかも」
「まあ、波長が合う人もいるんでしょうけど、少なくとも私は他人のマスターベーションを見せられているようでウンザリしてしまったわ」
「う〜ん。それは言い過ぎだと思うけど……理系のヒトはどう感じるんでしょうね」
「理系だから、違った感想を持つってもんでもないと思うんだけどね」
「なんせ周りにいるのが文系人間ばっかなんで、見当も付きません。じゃあ、次は「ディオニシオスの耳」。これまた鳴り物入りのデビューですね」
「ああ、例の「理系本格の新鋭」ってやつね。でもこの人、東大理学部卒だけど学者じゃないみたいよ」
「サイエンスライターらしいですね」 
「まー、ともあれ徳間さんとしては「第2の森博嗣」に育てたいんでしょーね」
「さて、物語はカナダの大学に留学中の日本人学生仲間の物語から始まります。ある晩、仲間の1人の女性が殺され、その全裸死体が教会の避雷針に突き刺されて放置されるという猟奇事件が起こります。事件は同地で続いていた連続殺人犯の犯行とされ、十年が経過します。ある晩、かつての仲間の一人が企画したコンサートに招かれ、彼らは最新地下イベントスペースに集まります。やがて演奏が佳境にさしかかったとき、観客が地震だと騒ぎだし会場はパニック状態になりますが、コンピュータ制御された会場出入口は閉鎖され電話も不通になってしまいます。高まるパニックの中、仲間は次々と殺され、人工的な閉鎖空間の中で必死の犯人探しが始まります……」
「なんとも派手なお話ではあるわね。でも、有り体にいえばこれは、程度の低い雑多なアイディアを、無秩序に放り込んだ玩具箱のようなシロモノね」
「なかなか大胆なトリックを使ってらっしゃるじゃありませんか」
「どーこーがー! ともかくねー、ストーリィもアイディアも構成もキャラクター描写も、全てがやっつけ仕事のまま雑駁に放りだされているって感じなのよね。それでも「理系本格」と名乗るだけの「個性」があれば、それなりだけどさ。一体全体どのあたりが「理系」なのか、あたしにゃわかんなかったわね〜」
「……殺人トリックのアイディアじゃないですか?」 
「あのさあ、あれは理系的なアイディアというより、どう見ても単に陳腐で出来の悪い「機械トリック」というべきでしょ?」
「じゃ、主人公が大学の講師という点……とか。なんか、いってて哀しくなってきたな」 
「たしかに犀川さんを俗っぽくしてような「名探偵」が、美貌の女学生引き攣れて登場するけどね。まあったく個性というものを欠いた、平板な俗っぽいキャラクターよね」
「う〜ん」 
「理系ミステリの凡作、というより、ごく平均的なダメ本格というべきよね」
「まあ、そうですねえ……わりと派手めなシーンが多いですから、マンガの原作なんかには向いてるかも」 
「キミ〜、それけっこうキツイ言い方かも。まあね、「柳の下」を狙うには、それなりの人を連れてこないと、という教訓ね〜」
「じゃ、次は口直しに「私が彼を殺した」を。手を変え品を変え、意欲的に本格ミステリの様々な可能性を追求する東野さんの新作長編です」 
「ふむ。これは「どちらかが彼女を殺した」と同じく、結末のないリドルストーリィ形式のパズラーね。名探偵役の刑事が「犯人はあなたです」と指摘したところで、それが登場人物の誰かははっきりされないまま終わるという。ミステリを読み慣れてない人が読んだら面食らうだろうねー」
「いわば、手がかりはすべて作中に用意しておいたゆえ、犯人の名前は読者が推理すべし! という趣向なんですね。つまりこの作品に限っては、読者には「作者に騙される喜び」も「名探偵の快刀乱麻な推理ぶりを楽しむこと」も許されないわけです」
「しかもさあ、読者は自分の結論が正解かどうか、確認する術を持たないわけだから、推理し結論をえた後も「当てた」ヨロコビすら味わえないわけ。まさに読者は「推理することそのもの」を楽しむ以外に道はないのよね。ピュアといえばこれくらいピュアなパズラーはないわねー」
「そうですよね。パズラーの場合は創作の作業そのものがたいへんなものなんでしょうけど、同時に作者に相当の自信がなければこんな試みはできませんよね」
「ま、いちおうアラスジも」
「こういう趣向の作品だけに、登場人物はごく少なめですね。マルチな才能を持つ売れっ子小説家の穂高誠を中心に、そのマネージャー役をつとめる駿河、婚約者の神林美和子。そして美和子の兄の貴弘。担当編集者の雪笹。で、穂高と美和子の結婚式の前日、穂高が捨てた女が服毒自殺してしまう。穂高と駿河は外聞を気にして死体を彼女のマンションへ運び結婚式に臨むが、穂高はバージンロードを歩いている途中で毒殺される……」
「毒薬を手に入れるチャンスと動機は、神林貴弘、駿河、雪笹の全員にあった。犯人は誰か? と」
「純粋なパズラーとはいいながら、さすがに小説としても読みごたえがありますよねー。傲岸不遜な穂高が、「全員」の恨みをかっていく過程を実に巧みに描いて飽きさせないし」
「ああいうシチュエーションを書かせたら、ホンッと巧いわよねー」
「鬼面人を驚かすような派手な謎や奇現象はカケラもないけど、緊密な構成で一気に読ませてくれるってゆーか」
「とはいうものの、作品の狙いからいって、やはりこれは謎解きをしないことには始まらないんじゃない?」
「ふむ。じゃあ、2人で考えてみましょうか(当然、全面的にネタバレです。くれぐれも読了された方だけこちらへ)。どうか読者のみなさんも、この本を読んで推理を巡らせてみてください!」
「でもさあ、その意味では「作者からの解答/正解の発表」が欲しいところよねえ。別冊とか、Webとか、雑誌とかさ。リドルストーリィという試みはともかく、パズラーなんだからさ、やっぱ解決は必要でしょ?」
「ま、それはそうですが」
「というところで。いきますかね〜、問題の作品に」
「はい、「フリッカー、あるいは映画の魔」は、みなさんごぞんじ昨年度の「このミス」海外部門ベスト1作品ですね」
「おそらく「このミス」史上、もっとも売れなかったであろうベスト1作品」
「え? 本当ですか?」
「知らないけどさ。そーなんじゃないかなーって」
「ったくてきとうなこと言わないでください! まあ、4000円近いお値段だし、いかにもスノッブな「現代純文学風味」のタイトルだし、ボリュームも圧倒的だし。敬遠した人は多かったかも」 
「でしょ!」
「でも、実際に読んでみると、読みやすい・わかりやすい小説ですよね」
「そうそう、内容も退屈ってわけじゃなくて、むしろめちゃくちゃ面白い」
「ですね。映画とミステリという、ぼくにとってはいちばん吸引力のあるテーマなんですが……にも関わらず、正直いうと……やはり手強かったですね」
「そうそう。読み応えがありすぎちゃうってゆーかねー」
「面白いからクイクイ読むんですけど、読んでも読んでもなぜか頁が進まないって感じで。ボリュームが在るといっても2段組で550頁くらいだから「現代」の「大作」としてはたいしたことがないはずなのに、結局読み切るのに一週間近くかかってしまいました」
「面白いのになかなか読み進めない、というのはたまにあるわよね。これはその本が速読を許さない・精読を要求する本だからというケースが多いかも」
「まさにこれがそういう本なんですよね。なんちゅうか、物語の隅々にまで映画と映画理論、映画史、さらには古代キリスト教や中世史に関する、虚実取り混ぜたおそろしく興味深い記述がぎっしり埋め込まれてて。それがもう全部めちゃくちゃ面白いわけです。で、結果としてそれらに足を取られて読書スピードが遅くなってしまうという。映画好きにとっては、まさに魔物のような魅力をもった「危険な書物」であるかもしれない、なんて」
「じゃ、まあアラスジいって。大変だと思うけどさ」
「……物語は映画マニアの青年の回想というスタイルで語られます。主人公の青年は大学で映画理論を学びながら、とある場末の名画座の若い女館主の愛人兼雑用係として働きはじめます。映画に関する百科全書的な知識と鋭い批評眼をもつ女館主の指導よろしきを得て、主人公は鑑賞眼を養っていきます」 
「この女館主てぇのは後に映画評論家になるんだけどさ、あきらかに「あの」ポーリン・ケイルがモデルだわね」
「ところがひょんなきっかけで、主人公は映画史から抹殺されたB級(どころかZ級)ホラーの監督であるマックス・キャッスルの初期作品の未公開フィルムを観て、それに魅了されてしまいます。その映画は一見低予算のガラクタ映画と思えましたが、観る者すべてに奇妙な不安と恐怖を与えるのです。変哲もない映画フィルムに隠された「謎」の解答を求めて、主人公は散逸したマックス・キャッスルの作品を捜索し、生き残った関係者の取材を進め、やがてキャッスル作品の撮影を担当した老キャメラマンから、フィルムに隠された映画史を塗り替えるような技術が明らかにされます」 
「そこまででようやくプロローグって感じかしら、そこから物語はさらに大きくスケールを広げてくわけよね」
「えーっと、キャッスルの驚異的な撮影テクニックと彼がフィルムに潜ませたメッセージの秘密を追ううちに、主人公は「キリスト誕生以前から存在するキリスト教団」の壮大な陰謀を察知するという……」 
「まあ、ストーリィ的にはその陰謀小説風サスペンス風がメインになって行くわけだけど、だからって欧米のブロックバスター系のはちゃめちゃサスペンスにありがちな大ボラとはひと味もふた味も違うのよね」
「ですねー、なんせ作者の筆は詳細緻密かつインテリジェンスにあふれ、とてつもない話を奇妙なほどリアルに読ませてくれるわけですよね」 
「悔しいけど傑作、というしかないわよね。ミステリとしては根本的なところが破綻しているんだけど、それでいて近年これくらい「ミステリな愉しさ」を味合わせてくれた作品もないんだから」
「ふふ。全面降伏ですか。「このミス」で1位に選ばれたのも、ま、当然ですかねえ」 
「まーね。知的で、マニアックで、かつめちゃ面白いという、批評家がいちばん好むタイプの、しかも上出来の作品なんだからねえ。しかし、繰り返しになるけど、これがミステリかというと、う〜む」
「ミステリアスではあるし、謎解きもあるし……歴史ミステリといえばいえるのでは?」 
「でもねえ、ミステリ的な期待だけで読み切るのはやはりつらいんじゃないの?」
「そうだとしても、このべらぼうな面白さは誰もが魅了されると思うんですが」 
「それはちと疑問だわ。やっぱ、映画に興味がないとしんどいと思う。逆に映画好きにとっては、たぶん古今最高のミステリであるかもしれない」
「ま、その点は同感です。もしあなたが「映画好き」ならば、これは滅多に出会えない恐ろしく魅力的な贈り物ですよ!」
 
 
#99年3月某日/某ロイホにて
 
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