第1回 新本格は死んだか?/VS Mr J-BOY
今回のお客様 Mr J-BOYさん のProfile
MAQと同じく東京で活躍中のライターさん。ソフトな人柄とは裏腹に、GOO-BOOのAYAさん以上にカゲキな本格原理主義者で、欧米の古典的な本格ミステリについても広範な知識をお持ちです。 |
M 「新本格は死んだか」・・・って、のっけから過激なお題ですね。
J まあ、タイトルくらいトンがってないと、読者が読んでくれないでしょ?
M たしかに最近、新本格の作家の方々に元気がないようにも思えますが、摩耶さんは
「鴉」を出したし、有栖川さんも火村シリーズをコンスタントに書いてる。
本家本元の綾辻さんだって今年中には「暗黒館」出してくれるんじゃないですか?
J 個別に見ていけばそうした動きはむろんあるけど、ムーブメントとしての新本格は、
もう終わったと思う。
M 京極さんたちの活躍ぶりについては、どうです。
J それがね、実は僕は逆に彼の登場そのものが、新本格ムーブメントの終焉を告げる
ものだったと見ているんです。
M どういうことでしょうか?京極さんにしろ、
新本格ムーブメントを踏まえて登場してきた才能だと思いますが・・・。
J えっと・・・それにはまず、新本格とは何だったか、を検証しておいた方がわかり
やすいかも知れないな。
M じゃ、一応。・・・島田荘司の推薦によって、講談社から次々デビューした若手作
家たちによる、本格ミステリの復興ムーヴメント、いわば本格ルネッサンスってと
ころでしょうか。
J ルネッサンスってのは大げさだけど・・・まあそんなところだろうね。当然、その
後を追って登場した東京創元社のグループなども含まれるけど。
M 大まかに括ってしまえば、彼らの共通項は大学のミステリ研出身だという点ですね。
J そう、言い方は悪いけどミステリおたくだよね。オタクだけあって、彼らは古典も
きちんと読んでいる。それどころか、彼らの創作の基盤には、欧米の本格ミステリ
黄金期の傑作群があるわけだ。
M クイーン、カー、クリスティ・・・。クリスティという人は少ないか。
J つまり、本格の歴史とか古典を踏まえた彼らなりの「本格」が新本格だった、と。
これは当たり前のようだけど、けっこう大事なことだったんだよね。・・・MAQさ
んも本格読みだからわかるだろうけど、本格って文学としては異常なほど制約の多
いジャンルでしょ?
M そうですね。謎、トリック、論理。いずれもきわめて制約が多い、というか、その
制約/ルールそのものが、本格のコアをなしているといえるのかも。
J そう。しかも、それらのルールは、いわゆる「文学」としての完成度よりも優先さ
れなければならないものなわけだ。むろん両立できれば最高なんだけど、それがで
きるのは天才だけだからね。当然、どちらをとなれば、「文学」を犠牲にする。そ
れが本格なんだよ。
M 本格ミステリとは、文学である以前に本格である、わけですね。
J だからね、本格風の味付けをした「文学」は書けるでしょう。同様に本格風の味付
けをしたミステリもね。でもそれは絶対に本格じゃない。逆に文学風の味付けをし
た本格は・・・これはありえると思う。本格として成立するね。・・・こんな言い
方するとかえってわかりにくいかな。
M いえいえ、そんなことないです。茶木さんいうところのミステリ・トンカツ論です
よね。何を肉と考えるか。そのスピリットというか、作者の姿勢が本格であるかど
うかを決める、と。
J そういうこと。本格を書くなら、古典を読み、ルールを知り、さらにそのルールを
最優先で尊重しなければならない。そうでなければ本格は書けない。
M ははあ、わかってきましたよ。古典を踏まえて書いた綾辻さんたちは本格派だけど、
古典を踏まえずに書いている人たちの作品は本格たりえない、ということですね。
J そういうこと。どうも話が回りくどくてすいませんね。
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M ・・・しかしいかにも極論ですね。僕自身はそうまできっぱり割り切れない気がし
ます。たとえば京極さんなんかどうです。彼は欧米の古典も読んでるそうですよ。
J 読んで知っているのと、それを創作で実行するのとは別のことだよ。京極さんが本
格のルールに縛られているとは思えないし・・・そもそも彼自身、本格ミステリを
書いているつもりもないんじゃない?
M うーん、謎があり謎解きがあり、本格としての体裁は整っているように思えますが
・・・確かに「いわゆる本格」とは違う。少なくとも古典的本格の制約からは自由
ですね。
J でしょ?ヘンな話だけど、ああいう閉鎖的な世界を描いているのに、僕は京極さん
の作品からなぜか非常に自由なものを感じるんだよ。本格、という制約/ルールに
頓着しない自由さ?が作品世界を広げてるんだね。そのために結果としてある種の
普遍性を獲得したんではないか。だからこそベストセラーとなったのではないか、
と思うわけ。
M なるほど、面白い仮説ですね。じゃあそれをさらに敷衍して・・・そんな彼の成功
が、ジャンル小説としての本格のフィールドを広げることになった・・・とはいえ
ませんか。
J それなんだよ、僕が一番危惧しているのは。もちろんそれが京極さん一人の責任だ
とは思わないけど、彼はその象徴的な例だといえるんじゃないかな。
M なんか、京極ファンの反感買いそうな発言ですが・・・それにしても本格のフィー
ルドが広がるのがそんなにいけないことですか?
J 境界線というものは、いったん広がりだせば際限なく広がっていくものでしょう。
拡散し浸透し融合し、様々な亜種を生み出し、やがてその核が見失われていく、と。
・・・かつての日本SFがそうだったようにね。
M なんというか、悲惨な想像だなあ。でもそういうものかも知れない。
J これからも「新本格」を書こうという人はどんどん出てくると思う。だけど、その
人たちが手本にするのは、京極作品であり、綾辻作品であるわけで。たぶん欧米の
古典なんか読んだこともない人が中心になるんじゃないかな。
M なるほど。それはちょっとコワイことですねえ。でも一方で、既成概念に捉われな
いユニークな作品が登場する楽しみもありそうですが。
J それが果たして本格か、といえば、否定的にならざるを得ないんだなあ。
M ・・・ペシミスト。
J リアリストといってほしい。
M けれど、僕は思うのですが、それはそれで仕方ないことなんじゃないでしょうか。
ジャンルの栄枯盛衰は世の習いってやつで。さらにいえば一定のサイクルで栄枯盛
衰を繰り返すことによって、ジャンルとしての活力が維持されてるんじゃないか、
という気もします。だいたい新本格の登場までは、本格だってほとんど絶滅状態だ
ったじゃないですか。で、逆に現在は社会派推理の方が絶滅状態。・・・かつて一
世を風靡した松本清張さえ、今じゃほとんど読む人もいないって感じですし。
J MAQさんの方がよっぽどペシミストって気がしてきたなー(笑)。本格の衰退も、
じゃあ歴史的必然っていいたいわけ?
M そういってもいいでしょうね。でも、そんな停滞期にあっても、書き続ける人は書
き続けるんですよ。かつての本格派冬の時代もそうだったように。
J いたよね、そういう人。鮎川さんとか土屋さんとか・・・本格の灯は消えず、だな。
考えてみれば、もともと本格ミステリというのはエンタテイメントの主流になるよ
うなジャンルではないもんね。すんげえベストセラーが生まれたり、毎月何冊も新
刊が出たりする方が異常なのかも知れない。
M そうだと思いますよー。J-BOYさん自身がおっしゃったじゃないですか。本格はエ
ンタテイメントとしては異常なほど制約が多いって。・・・つまり文学としてはお
そろしくイビツなシロモノなんですよ。本格というのは。
J たしかにおよそ一般的とはいえないジャンルだからね。当然ながらそれを愛好する
ファンも、少数派であるわけだ。
M ですね。だから書くべき人にきちんと書いてもらって、僕らはそれをきちんと読み、
楽しみ、応援する。それでいいんじゃないでしょうか。
J 悟っちゃってるねえ。だけどそれにしても、古典を知らないまま「新本格」だけを
手本にして、「新・新本格」を書こうというヤカラには危惧を覚えるんだよ。本格そ
のものを変質させかねないっていうか。
M その危惧はわかるけど・・・僕はやっぱり信じたいですね。わかってる人にはわかっ
てる、と。数は少なくても書き続ける人、本格の灯を守り続ける作家は、いつの時
代もいるはずだと。既成の作家のなかにも頑張ってくれる人はいるでしょうし、今
後登場するであろう「新・新本格作家」のなかにもいるんじゃないかな。
J まあね。でもさ、やっぱ冬の時代なんてヤダな。読みたいんだよね。バリバリの本
格ってやつを。
M ま、そりゃそうなんですが・・・高望みするとロクなことにならない(笑)。
J そりゃそうだ(笑)。しかし、いずれにせよ本格は、これから衰亡期に向かうとい
うことだよね。
M 「いわゆる」本格はそうならざるを得ないでしょう。ただ広義の本格・・・京極さ
ん等に代表される本格はこれからますます多様化し、活発化するんじゃないですか?
J-BOYさんにいわせれば、それは本格の変質ということになるんでしょうが。
J うーん。こだわってないで、楽しんじゃった方が得なのは、十分わかってるんだけ
どね。とりあえず僕はこだわり続けたいな、「いわゆる」本格というものに。
M 頑固ですねー(笑)
J このエピキュリアン(笑)
(talk in january 1998)