battle99(2003年5月第4週)
 
[取り上げた本]
01 神のロジック 人間のマジック 西澤保彦        文藝春秋
02 桃源郷の惨劇 鳥飼否宇        祥伝社
03 吸血鬼の壜詰 物集高音        講談社
04 ミステリアス学園 鯨統一郎        光文社
05 赤ちゃんがいっぱい 青井夏海        東京創元社
06 仔羊の巣 坂木 司        東京創元社
07 クレイジー・クレーマー 黒田研二        実業之日本社
08 黒猫は殺人を見ていた
  (The Cat Saw Murder 1939)
D・B・オルセン     早川書房
D.B.Olsen
09 イエスのビデオ
  (Das Jesus Video 1998)
アンドレアス・アシュバッハ 早川書房
Andreas Eschbach
10 手紙 東野圭吾        毎日新聞社
11 重力ピエロ 伊坂幸太郎       新潮社
12 秘密(トップ・シークレット) 2 清水玲子        白泉社
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●西澤保彦に脱帽せよ!……神のロジック 人間のマジック
 
G「文藝春秋の“本格ミステリ・マスターズ”から新刊です。西澤さんの長編『神のロジック 人間のマジック』は、この叢書の中でも期待の一冊ですね。ヘンな言い方ですが、タイトルからして “狙ってきた”感じ」
B「この作家さんの作品系列でいえば、基本的にはノンシリーズのSF本格モノに属するんだろうけど、本作はさらにそこから1歩踏み込んだカタチ。従来のそれがSF的なガジェットという特殊ルールを導入した世界観の中で展開されるパズラーだったのに対して、今回はその“異世界そのものの謎”を解くことがテーマになっているんだな。意欲作であり、力作であり、傑作だと思う。しかし少々お気の毒だったのは、その“異世界そのものの謎”の中核をなすメインネタが、ちょっと前に刊行された……」
G「ストぉ〜ップ! ネタバレ注意です〜ッ!」
B「わかっとるわ、バカ! ……ちょっと前に刊行された某問題作とモロにかぶっちゃった点で。むろん刊行のタイミングからいっても、どちらがまねをしたわけでもなく偶然なんだけど、これはもう最悪に運が悪かったよな。もちろんネタの使い方はまったく違うんだけど、そのネタによってメインのサプライズを生み出している点は同じ。刊行時期が近いだけに、その某作を先に読んでた読者にとって、フィニッシングストロークの一撃は読後かなり減殺されてしまうんだよね」
G「たしかにこれは両方の作品にとって非常に運が悪かったですよね。どちらを先に読んでも、残る一方を読んだときサプライズを味わった直後に“あ、カブってる”ということになる。……こういうことってあるんですねえ」
B「ただしこのネタを“本格ミステリの素材として”徹底的に活かしきっているのは、あくまで西澤作品だと私は思うね。刊行の順番は後になっちゃったけど、私は絶対にこっちから読むべきだと思う。しかし、だからといってその“後回しにすべき作品”が何か、というのもここではいえない。匂わせることすらできない」
G「辛いとこですよね〜。こりゃもう読者さんそれぞれの運に賭けるしかありません。ともかく皆様の幸運を祈りつつ、内容のご紹介と参りましょう」
B「ふむ、では……いつのまにか、ぼくはこの<学校>(ファシリティ)にいた。ぼく、マモルは11歳の少年だ。11歳のぼくが、なぜ、どうやって、ここに来たのか。その経緯は覚えていないけど、気付いた時にはもうここにいたんだ。何処とも知れない、見渡す限りの荒野に囲まれたこの寄宿学校に。ここはとても奇妙なところだ。神経質な白衣の女校長(プリンシパル)、黒服の老料理人ミズ・コットン、そして小太りの中年寮長(RA)といた職員たちの指導(監視?)のもと、ぼくはたった5人の同年代の仲間たちと一緒に、ここで暮らし、授業を受けている。その授業も変っているんだ。もちろん普通の学科もあるけど、中心にあるのはRAが作った奇妙な課題の実習――おかしな謎が含まれたシチュエーション/台本の役柄を演じながら、ぼくら自身が謎解きをしていく実習なんだ。まるで名探偵の訓練みたいに……だから仲間はてんでにここが何の学校なのか推理している。秘密探偵の養成学校、開発中のバーチャルゲームの仮想空間、輪廻転生した能力者の研究機関……でも、本当は何もわからない。ただ、奇妙な授業が毎日続くだけだ。そういえば仲間の一人は、ここには“変化を嫌がる恐ろしい怪物”がいるなんていってた。だから新しい転校生が来た時はとても“危険”なんだ、と……」
G「そしてある日、とうとう新しい転校生がやってきた。仲間たちはみんな怯えて体を固くして、いつの間にかぼくまでが激しい頭痛と悪寒に襲われていた。“変化”が起こると、何かが目覚める……それは本当だったのか? 転校生はいつの間にか学校から姿を消し、仲間や職員たちが次々と奇怪な状況のもとで殺され始めたんだ。なぜ、何が起こったんだ? “変化を嫌がる恐ろしい怪物”っていったい何? 生き残ったぼくたちは、必死で“この世界の謎”解きを始める。……というわけで。繰り返しになりますが、この“異世界の謎解き”の答が作品としてのフィニッシングストロークとなっており、そのメインネタが某話題作と被っているため、若干その効果が薄れています。がしかし! そのトリックとしての価値はいささかも減じていません。さりげなくその答えが呟かれる一瞬の驚き。まさに世界が反転し崩壊するその瞬間の強烈さといったら! んもー久方ぶりに、虚心坦懐に“えッ!?”と唸ってしまいました」
B「たしかに非常に効果的な使われ方だったよね〜。その真相、すなわちこの謎に満ちた“異世界”を成立させているトリック自体は、単体で見ればきわめて強引きわまりない手なんだけど……ディティールの充実、そして計算し尽くされた手がかり/ミスリードの巧妙をきわめた配置によって、この一見突拍子もない真相がまさに“これしかない真実”として成立している。悔しいけれど脱帽だ」
G「いや、別にayaさんが悔しがる必要はないと思いますが(笑)」
B「ともかく私は悔しいのッ!」
G「はいはい。ちなみに前述の、ネタがかぶった某話題作と比較すると、同じくフィニッシングストロークが印象的な両作品ながら、“異世界そのものの謎”という謎の提示が明快に行われているという一点において、非本格である某作とは逆に、本作品は本格ミステリとして正当な地位を請求する権利を持っているといえるでしょう」
B「まわりくどいなー、この作品はまぎれもなく現代の本格ミステリだよ。それも確実に年間ベスト級のね」
G「おおおお!」
B「なんだよ」
G「いや、てっきり……いえ、なんでもないです。とりあえず本格ミステリとしてみていくと、作者お得意のディスカッション形式の推理は、じつは今回は抑さえ気味なんですよね。たしかにアラスジでご紹介した“実習の課題”でも、“異世界の謎解き”でも、主人公たちは繰り返し謎解きを行ないディスカッションするんですが、たとえば『聯愁殺』などに比べるとその密度はむしろ低めです。しかしながら“だからこそ”パズラーとしてはこちらの方がはるかに完成度が高い」
B「そういうことだね。『聯愁殺』などの作中で行われる謎解きディスカッションでは、読者はそれに参加するというよりも、作中人物の謎解きを“鑑賞して楽しむ”タイプだった。お得意の三段跳び論法をはじめ、机上の空論ならではの奇矯な推理の数々を“見て楽しんだ”わけだ。しかしこの新作では、そこで行われる謎解きディスカッションも含めて、全ての謎-謎解きがこの“異世界の謎”解きのための手がかりとして連動している」
G「つまりこの作品においては、読者は謎解きに参加し、“名探偵”とともに“異世界の謎”解きを行うことができるわけですね。しかも前述のとおり、作中の手がかりだけで導き出されるその真相は、まさに異世界ならではの“これしかない”真実として成立しているわけで。……異世界本格として、パズラーとして、洗練を極めた作品だといえるでしょう。とはいえもちろん、百戦錬磨の読者さんにもコレは容易には解けないでしょうね。作者が展開するミスリードテクニックは、幾度も使われる手がかりとミスリードのダブルミーニングをはじめ、まことに巧妙を極めていますから」
B「ま、その意味でもやっぱし脱帽っつーことだな!」
 
●川口浩探検隊!……桃源郷の惨劇
 
G「2001年に『中空』で横溝正史ミステリ大賞の優秀賞を受賞しデビューされた鳥飼さんの、これは4冊目の本ということになりますね。『桃源郷の惨劇』は祥伝社さんの400円文庫から。今年(2003年)の2月ごろに出たものです」
B「そうか〜、この作家さんももう4作目になるんだねえ」
G「ですね。1作目の『中空』では老荘思想を奉じる不思議な村、2作目の『非在』では“人魚の棲む島”、そして3作目の『昆虫探偵』ではタイトル通り昆虫の世界を舞台にするという調子で、一貫して“異世界”を舞台にした“異世界本格”を書き続けてらっしゃる異色の本格派ですね」
B「まあ、今回の新作もまた、ヒマラヤ奥地の“桃源郷”めいた架空の村という異世界が舞台。とはいえ、400円文庫というメディアのボリューム制限もあってか、これまでの3作ほどの強烈な異世界感覚はないね。描写が淡白、というか薄っぺらなせいあもあってか、あくまで現実と地続きの異界という感じだなあ。同時にミステリ的な仕掛けの方もてんで薄口。水を入れすぎたカルピスみたい――薄っぺらなのになあ」
G「なんとなくですが、400円文庫ってそういうことが多いような気がしますね。凝縮されてるっていうより、短編を緩く書き伸ばし薄めた、みたいな」
B「岩波文庫の★ひとつとは違うってことか。たしかに値段は安いのに、読了後のお得感なんてものはあまり感じたことがないな」
G「まー岩波だっていろいろですけどね。ともかくアラスジとまいりましょう。ヒマラヤの奥地、外界から途絶した場所にひっそり眠るようにしてある僻村、トクル村。そこは美しい花が咲き乱れ、日本人によく似た顔つきの純朴な人々が暮らす平和な村でした。誰もが笑顔を絶やさず押しなべて長寿で、まさにこの世の桃源郷というべきこの村で、新種の鳥が見つかります。このニュースに目をつけた日本のテレビ局、たちまち “人跡未踏の桃源郷トクルに謎の神鳥を追う!”という怪しげな番組の企画を立て、撮影隊を送り込むことになります。んー“川口浩探検隊”みたいなものですかね」
B「ふ、ふる〜。誰も知らないってば、川口浩探検隊なんて!」
G「そ、そうかなあ。けっこう好きだったんですけどね。ほら最近、藤岡弘さんを新隊長に迎えて新しく作ったりしてたし、ってまあどうでもいいですね。で、ともかく。トクル村を訪れた撮影隊一行、村人たちは彼らを暖かく迎えいれ、撮影にも協力的な姿勢を示します。村の長老からつけられた注文はただ1つ……“神の領域を侵してはならない”」
B「村人の語る神とは、実は“イエティ”(雪男)であり、カンムリキジはその神の使いなのだ……という通訳の説明に、色めき立つ撮影隊。長老の警告を無視し村人の目を盗んで秘かにカンムリキジの生息地にカメラを向ける。やがてそこが濃い霧に包まれたとき、何者かが彼らを襲い、カメラマンは惨殺される。現場では身の丈3メートルはあろうかという巨大な人影が目撃され、後には巨大な足跡が残されていた……まさか本当に“イエティ”が出現したのか。神罰なのか?」
G「というわけで島田荘司ばりの怪異が語られるわけですが、この謎はむろん合理的に解明されます。中編程度のボリュームにもかかわらず伏線はきちんと張られていますし、解明の論理も明快。ささやかながら複数の推理が語られる多重解決の趣向も盛り込まれていますね」
B「ふん、趣向はともかくさ、本格ミステリとしての結構は全体にひどく幼稚で薄っぺらだな。怪異を演出するトリックは、そりゃまぁいかにも異世界本格らしい趣向ではあるものの、根本的に発想がお手軽で幼稚。まあ、そもそもイエティにまつわる怪異自体、描かれるそばからタネが割れていくようなレベルだから、謎解きも含めてサプライズはひどく乏しいんだ」
G「ううむ。たしかに読者が最初に思いつく推理がまんま正解、という感じはありますね。これはやはり400円文庫としてのボリューム制限による演出不足かなあ」
B「いや、根本にあるアイディア自体がお粗末なんだよね。いまどきこの程度のネタで勝負するか? って感じでさー。謎の設定にも、その解決にも、発想自体にジャンプ力つーもんがまるでないんだよな。誰でも思いつくような、しかも思いついても恥ずかしくて使えないようなネタを、何の工夫もなくそのまま使っている」
G「でも、いささか唐突ですが、ラストでは某泡坂作品を思わせる“ある仕掛け”が仕込まれていて……これはちょっと驚きました」
B「そうか? これこそ“仕掛けのための仕掛け”であって、何の必然性もありゃしないじゃん。だから仕掛け自体が物語から浮いてしまってる。ま、仕掛けとしてのネタ自体もつまらないしね。……なんだかねぇ、思いついてノートしておいたネタを適当に突っ込んでみました、みたいな安直さが全編に漂ってるんだよ」
G「ううむ、400円文庫というメディア自体が、この作家さんには向いてなかったんでしょうかね」
B「 “向いてる”作家さんがいるもんなら、教えてほしいもんだけどね!」
 
●口裂け女の口はなぜ裂けたか……吸血鬼の壜詰

G「物集高音さんの新刊が出ていますね。『赤きマント』に続く、『第四赤口の会シリーズ』の第2短編集、『吸血鬼の壜詰』です。この人にはもう一つ昭和初期の帝都東京を舞台にとった『大東京三十五区』シリーズ(『冥都七事件』『夭都七事件』)がありますが、あちらが江戸趣味あふれる怪談を合理的に解明する本格ミステリ短編の体裁を取っているのに対して、こちらはぐっと趣味性の強い、妄想&蘊蓄炸裂の机上歴史伝奇推理譚というところでしょうか。こちらは現代のお話なんですが、文体が例によってきわめて個性の強い疑似講談調なので、とてもそうは思えません」
B「まあ、それがこの人の持ち味なのだろう。“第四赤口の会”と呼ぶ奇人変人趣味人が集まる倶楽部で、一人が持ち込んだ奇妙な遺物……それはそれこそ“吸血鬼の壜詰”だったり“花咲爺の播いた灰”だったりするわけだが……をネタに、様々に妄想推理を戦わせ、トンデモ系の歴史的民俗学的解釈を下す。この趣向は、ちょいと鯨さんの『邪馬台国はどこですか?』を思わせるね」
G「ですね。まあ妄想度はあちらより若干低めの印象ですが、これはayaさんが例で上げているモノからもお分かりの通り、ネタ自体が“妄想度の高い”ものであるせいかな。推理自体は(比較的)地に足がついたものとなっているわけですね。かてて加えておっそろしく幅の広い、多岐にわたる蘊蓄は『邪馬台国はどこですか?』よりもはっきり上で。ことにオカルティズムや民俗学、歴史学を縦横に駆け巡る蘊蓄披露はとても楽しめます」
B「本書に収録されたのは、『メフィスト』誌掲載の3篇(2002年1月・5月・9月号)に、書き下ろし1篇を加えた計4篇。内容、行こうかね。まずは『花咲爺の灰』だ。“第四赤口の会”に持ち込まれたのは、“花咲爺の播いた灰”と称する木灰だった。これはいったい何の灰なのか、そも“花咲爺”の物語の意味するものとは何か?」
G「まるで北森さんの“蓮杖那智モノ”を思わせる民俗学的謎解き譚ですね。むろんこちらは基本ヨタ話なんですが、短い枚数のなか、妄想と推理が案配よく排されて、読みやすい1篇です」
B「バランスがいいぶん、ちょっと妄想のジャンプ力が不足している感じで。出される結論は少々月並みだったけどな」
G「続きましては『手無し娘の手』。この元ネタは、ぼくは知らなかったんですがグリム童話なんですね?」
B「そーだよ、グリムの中でもけっこうポピュラな話だと思うけどな。継母に嫌われ手を切り落とされ、捨てられた娘を主役にした因果応報譚だ。ちょいと残酷な話だから子供には読ませないのかもな。まあともかく、その物語に隠された真のメッセージは何か? というのが『手無し娘の手』だね」
G「そんなわけで元ネタを知らなかったので、解釈のインパクトはいまひとつだったんですが、非常に奇麗な謎解きでしたね。説得力もじゅうぶんあるし。つづく『吸血鬼の壜詰』はタイトルを見れば分かる通り、ヨーロッパを席巻した“吸血鬼”伝説は何を象徴するものなのか? という謎解き」
B「これはちょっとストレートすぎるなあ。そのわりに説得力もう一つだし……」
G「んー、そうですかね。吸血鬼伝説が蔓延したころのヨーロッパの歴史的観察から人々の恐怖の焦点を探り出し、それとこの“壜詰の中味”を結ぶ推理は飛躍と緻密のバランスが美しく取れていた気がしますけど。まあ、“壜の中味”だけ見ればそりゃちょっとばかしストレートな感じはしますけどね。あくまでこれは推理の過程が面白いんです」
B「いやいや、平凡なようで意表をついているという点では、ラストの書き下ろし『口裂け女のマスク』が1番だろう。まあ、自分もよーく知ってる都市伝説がネタってのもあるけどね」
G「ですね。ぼくもこれは大好きです。口裂け女の口はなぜ裂けているのか? なぜポマードの匂いを嫌うのか? なぜ深夜でなく夕方や夜も浅いうちに、それも子供ばかりを狙うのか? ぼくたちが実際に体験した口裂け女伝説の様々なネタが、実にきれいに1本の糸に繋がれて解釈され、まことに意外なその正体を示す。……いや、これは凄いですよ。この“正体”は実に“なるほどぉ!”という感じで膝を打ちましたね」
B「まあ、キミは都市伝説大好き人間だからねぇ」
G「前述のように語り口に非常に強いクセがあるので、なかなかきわどく読み手を選んでしまう気はしますが……ぼくはこのシリーズ、好きですね」
B「一作ごとに蘊蓄を傾け、新説をひねり出すというこの仕事は、作家にとってずいぶん手間のかかるモノだと思うけど、作者はとても頑張っている。むろん出来に善し悪しはあるし、読者にすれば独特のスタイルに好き嫌いはあろうが、手抜きの無い丁寧な仕事ぶりには好感が持てるな。ま、当然ながら共に謎を解いていくパズラーの楽しみやストーリィの面白さなんてものはほとんどないんだけどね」
G「いえいえ、むしろぼくは謎解きの課程を楽しむことだけに徹した潔さがいいと思いますよ。アイディア勝負の設定だけに作者さんは大変でしょうが、長く続いてほしいシリーズですね」
 
※読者様のご指摘により「物集さんがメフィスト賞作家という誤記」を修正しました。申し訳ありません。ご指摘ありがとうございました。(2003.08.25)

 
●そんなに急いで何処へ行く……ミステリアス学園

G「毎度同じ書き出しで恐縮なんですが、相変わらず怒涛のペースで新刊を刊行し続けてらっしゃる鯨さんの『ミステリアス学園』、行きましょう。これは雑誌『ジャーロ』に2001年〜03年にかけて連載され、つい先日完結したばっかの作品ですね」
B「連載当時は、挿絵が素晴らしくダサかったのが印象に残っている。まるで20年くらい前の中間小説誌の挿絵みたいで……光文社っぽいといえば光文社っぽかったんだが」
G「ちなみに単行本化に際しては、その挿絵は使われておりませんね」
B「そうそう、実写版になってる」
G「実写版って……まあ、そうなんですが。要するにモデルを使い(劇団の方らしいですね)、セットを組んで(ていうかどこかの部屋を借りて、それらしく飾り付けたんでしょうが)撮った写真が、ヴィジュアルイメージとして使われている。面白い試みですね」
B「とりあえず大学のミス研という設定にしては、全般にモデルさんたちのヴィジュアルがお歳を召しすぎているように見える気がする」
G「そうかなあ、そんなことないと思うけどなあ。ま、ともかくです。そんなヴィジュアル演出にふさわしく、内容的にも今回の作品はなかなか凝った工夫が盛り込まれておりますね」
B「ミステリアス学園という妙な名前をもつ大学のミステリ研究会(通称:ミスミス研)に入部した新人・湾田乱人(わんだ・らんど)は、実はミステリと名のつく本は『砂の器』(松本清張)しか読んだことがないという豪快な人物。ミスミス研では、部員のそれぞれがハードボイルド、社会派、冒険小説などそれぞれ異なるジャンルのミステリを愛好しており、各自が自派の優位性を主張して覇権争いを続けており、支持者の少ない本格ミステリ派はいまや消滅の危機にあった。――そこでノンポリな新人の湾田を自派に引き入れるべく、部員による“ミステリ講義”が始まったのであーる」
G「まず取り上げられたのは、お決まりの“本格ミステリとは”。しかし、その講義の直後、部員の1人が不審な死を遂げたのだった……というのが基本的なスタイル。以降、“トリック”“嵐の山荘”“密室”“アリバイ”“ダイイング・メッセージ”“意外な犯人”と、1話ごとにミステリ(本格ミステリメインですけどね)講義が行われ、直後に“その講義内容を象徴/連動したような”事件が起こり、部員が死ぬ。事件は1話ごとに解決されるんだけど、結果的に毎回部員が減っていくという“そして誰もいなくなった”風の趣向があります」
B「さらに面白いのは、先の物語が次の物語に次々とメタ的に取り込まれていく“無限メタ”というか、“入れ子ドミノ”構造だな……仕掛けとしてはかなりアクロバティックなものではあるが、それが作品総体としてミステリ的な仕掛けとして機能しているかというといささか疑問。正直、“ヘンなことを思いついたので試しにやってみました”レベルの域を出ていない。ちなみに、どーも最近同じような仕掛けを読んだなあという気がしていたんだけど……『九十九十九』だね。舞城さんが同時期に出した例のJDCトリビュート本。あれと同じような趣向なんだな」
G「出版のタイミングを見ると、これはおそらく偶然でしょう。どっちかが真似したというわけではないんじゃないかな」
B「まあ、ミステリ的には趣向どまりでしかないのはどっちも同じだけど、作品の狙いとマッチして効果を上げているのは舞城作品の方だろう。もっとも、だからって『九十九十九』がミステリとして上等だというつもりはまったくないが」
G「……とりあえず今回は『ミステリアス学園』評ということで、『九十九十九』評はまたの機会にいたしましょう。で、そんな風に特異な仕掛けと構造をもつ『ミステリアス学園』ですが、作中で展開されるミステリ講義はさほどマニアックではないし、斬新な説が展開されるわけでもないんですが、よく整理されてバランスが取れ、分かりやすいと思いますね。軽く読めてそこそこ勉強になるという意味では、これはこれで悪くない読物です。また、ミステリ的にも個々の事件にはかなり面白いアイディアが盛り込まれていて、ぼくはけっこう楽しめました」
B「あれらのアイディアは、それぞれのミステリ講義のテーマを追究していくなかで、作者がひねり出したものなんだろうね。いずれも前衛的だったり、バカミスだったり、通常の本格ミステリの枠には収まりきらない掟破りなネタが多いんだが……まあ、そもそもこの作品自体、“ミステリアス学園”や“湾田乱人”といった戯けたネーミングや、前述の“入れ子ドミノ”趣向などからもわかるとおり、バカミスもしくはコント、パロディとして書かれているものなのだろう。真剣に本格として読む必要はないのだから、これはこれでヨシという感じだな」
G「最後のエピソードの“部長の正体”とか、究極の“意外な犯人”とか、面白いですよね」
B「面白いちゅーても、これはあくまで“ネタとして”の面白さでね。それがミステリ作品としての面白さ・楽しさに昇華されているとはとてもいえない。だいたいこの作家さんは根本的にユーモアセンスに欠けているし、妙なところで男女のドロドロなんて生臭いリアルを投入してくるような無神経なところがあってね。バカミスやコント、パロディとしては全般にセンスが悪すぎるんだ。やっぱ結局、今回も思い付きを安直手軽に作品化してみただけという感じで、作品総体としての練りこみだの計算だのが決定的に不足している。アイディアがいくら上等でも、これじゃ“思いつき”の域を出ないと思うよ」
G「“思いつき”としては、しかし悪くないと思うんですけどねえ」
B「まぁなあ。……いつも思うことだけど、なんでこう書き急ぐのかなあ。思いつくそばから文章を書き始めるようなこのやり方は、刊行ペースが異常に速くなること以外、いいことなんか一個もない気がするんだけどね。まあ、作者さんが自覚してそういうやり方をされているなら、べつだん何もいうことはないんだけど」
G「……って、もうさんざんいい尽くしたって気がしますけどね」

 
●リーダビリティ相応の本格度……赤ちゃんがいっぱい
 
G「自費出版の『スタジアム 虹の事件簿』が出版社の目にとまり商業出版へ、という幸運な経緯でデビューされた青井さんの第三作は、前作『赤ちゃんをさがせ』に続く“助産婦さんシリーズ”。でも『スタジアム 虹の事件簿』『赤ちゃんをさがせ』は連作短編でしたから、この新作は初の長篇ということになりますね」
B「“プロ野球”、そして“出産”と、ネタは違えど日常の謎系短編を書き継いできた作家さんだけに、長篇と聞いたときはちょっとビックリしたね。シリーズものとはいえ、これは作者にとってはチャレンジだったろう」
G「まずは軽くシリーズ設定を。語り手/ワトソン役は駆け出し助産婦の陽奈ちゃん。ベテラン助産婦の聡子さんと共に、毎回いろんな産婦さんの家で不可思議な事件に巻き込まれ、大先輩の“伝説的なカリスマ助産婦”明楽先生が、安楽椅子探偵よろしく謎を解く……というのが前作『赤ちゃんをさがせ』の基本パターンでした。ところが直接の続編にあたるこの新作では、冒頭いきなり聡子さんは妊娠休業し、陽奈は助産院をリストラされ、失職の身となってしまいます」
B「まあ、長篇化するには今までの設定のままじゃ無理だからね……なんてことはどうでもいいか……ともかく陽奈は聡子さんの紹介で“ハローベイビー研究所”なる研究機関に就職することになる。“胎内育児”の重要性を説くこの機関、かつて2人の天才赤ちゃんを育てたという実績がモノをいい、若い妊婦さんに結構な人気なのだ。しかし陽奈が実際に勤務してみると、その実態はやはりどこか怪しげだ。不審に思いつつ勤務していた陽奈だったが、値打の無いものばかり盗むこそ泥が暗躍し、続いて見知らぬ赤ちゃんが置き去りにされるという事件が発生する」
G「ところがなぜか所長は警察への届け出を拒み、陽奈にこの赤ちゃんの世話を押し付けてしまいます。好奇心の赴くまま陽奈が調べていくと、じつは18年前にも同じような赤ちゃん置き去り事件が起こっていたが明らかに……時を隔てて発生した2つの事件を結ぶ糸は? 連続盗難事件の意味は? 姿を消した天才赤ちゃんたちの行方は? 陽奈の向こう見ずな冒険が始まります!」
B「見るからに胡乱な“悪の組織”に、見るからに怪しげな悪役、してまた敵味方不明の美形青年という協力者に向こう見ずなヒロイン……曲のない定番アイテムばかりを集めたマンガチックな筋立ては、いささか以上に古臭く、新鮮味に欠ける。中途の展開もゴテゴテしてもたつく感じだな」
G「でも、視点人物の陽奈ちゃんの歯切れのいい行動が物語を力強く引っ張ってくれるので、多少のごたつきもあまり気にならないというか。最後までクイクイ楽しく読まされてしまいますよね。ユーモアというほどではないけれど、暖かみのある筆致もいい感じです。おっしゃる通りあまり新鮮味のない題材であり、プロットですが、これだけ読ませてくれればノープロブレムだと思います」
B「本格ミステリ的には、一見“日常の謎”を数集めただけってパターンなのかと思ったけど……うん、これは結構考えられていたな」
G「細々したたくさんの小謎が実はそのままパズルのピースとなって、最後の明楽先生の絵解きで“大きな一枚の絵”を描き出す。これには思わず膝を打ちました。ユーモア重視の軽本格っぽい外観に惑わされていると、その精密なパズルワークや緻密に張られた伏線にびっくりすると思いますよ」
B「とはいえ本格ミステリとしては、細部の詰めがいかにも甘い。真犯人の犯行計画は行き当たりばったりでリアリティに欠けるし、明楽先生の謎解きも憶測に次ぐ憶測で論理のカケラもない。説得力、ないのよね。真相は確かに意外なものではあるけど、“見事に騙された!”という感嘆の溜め息よりも、“フーン、そういう風に解決を付けたわけね”という諦めの溜め息の方が先に出てしまうな」
G「前半〜中盤の探偵冒険譚風の展開からすれば、びっくりするくらいきっちりした本格ミステリ的終盤になっていたと思いますけどね」
B「まあ、そりゃそうだけどなあ。いかんせんユルイ。ユルすぎる」
G「こういうプロットならば、逆にこれくらいのゆるさの方がジャストバランスなんじゃないかな。いわば探偵冒険譚としてのリーダビリティに相応な本格度、みたいな」
 
●本格嫌いのツボ……仔羊の巣

G「坂木さんの新作が出ました。『仔羊の巣』は、いろんな意味で話題を呼びまくった『青空の卵』に続く“ひきこもり探偵”シリーズの第2作です」
B「“甘えたい時期に甘えることが許されなかった”ため心に深いキズを負い、ひきこもり状態になってしまった青年・鳥井。しかし実は彼は鋭い推理力をもつ名探偵だった。そんな鳥井が唯一心を開く友人・坂木は、鳥井を深く気遣いながら、彼の身近で起こった“日常の謎”を鳥井に解かせ、その謎解きを通じて少しずつ鳥井を“外の世界”に連れ出していくのであった――と、まあそんな感じで。基本的には“善人しか出てこない日常の謎”派の、しかも謎的にも謎解き的にも魅力を欠いた“造りのユルい憶測系”。……つまり本格ミステリ的にはまったくどーでもいい作品なんだけどね。話題を呼んだのは、もっぱらこの名探偵・ワトソンコンビの関係の(ホモネタとかそーいうことでなく)歯が浮きまくる“優しい”共依存が、強烈に薄気味悪かったから」
G「まあ、読んだ人が全てそう感じたわけではないと思いますけどね。素直に感動し、いいなーと思った人も当然いらっしゃるわけで。これこうして2作目も出たわけですから、むしろそうした支持者の方が多数派なのかもしれませんね」
B「ふむ。あまり考えたくない話ではあるな」
G「しかしこの新作での記述を見ると、ayaさんがおっしゃるような読者の反撥は作者さんも意識してらっしゃるようで。特に2人のホモ疑惑(といういい方はどうかと思いますが)は、これをきっぱり否定する趣旨の文章がけっこう長々と書かれていたりします」
B「相変わらず語り手は、優しげな口調でやたら押しつけがましい独白を吐きまくってるし、“実はいいヒト”パターンが飽きもせず繰り返されるのは前作と同じだけどね。まあそれはともかく、鳥井君を気遣って残業休出の少ない会社に就職し、彼が“危なく”なると早退してすっとんでく坂木君の行動パターンは、こりゃどうみても恋愛感情にしか思えないし……。それこそきっぱりホモセクシャルつーことにしちゃったほうが、もろもろすっきりすると私は思うのだが――そのあたりどうよ。そうするとなんか問題でもあるんだろーかね」
G「海外ミステリにはホモセクシャルの探偵っていましたよね。それもハードボイルド系だったんじゃないかな。まあ、今回の新作では“はた目にはホモセクシャルに見えるけど実は友情”という設定が、ミステリとしてのネタにもなっているわけですから。これはまあ、いちおう必然性がある、ということになるのでしょう」
B「まあどうでもいいや。とっとと内容に行こう。第1話は『野生のチェシャ・キャット』。語り手の坂木君が勤務する外資系の保険会社の同期に、体育会系筋肉男の吉成と出来る美女系の佐久間がいる。3人は仲良くしているんだが、どうもこの頃、才女・佐久間の様子がおかしい。心配した吉成の頼みで、2人は彼女の行動を監視するのだが……」
G「いったんは“自白”によって明らかになった“乙女心の真相”が、名探偵の推理でさらに一転。全ての事象の意味がくるりと置き変わって、ふいに語り手自身に重い真実がぐいと突きつけられる。オーソドックスなパターンですが、この謎解きのどんでん返しと鳥井・坂木コンビにまつわるバックストーリィの展開が巧く連動して効果をあげていますね」
B「日常の謎派としても珍しいくらい面白みを欠いた謎の設定もどうかと思うが、平凡な“見せかけの真相”がさらに陳腐な“真の真相”に置き換えられるだけ、の陳腐で切れ味なく説得力皆無の推理にさらに脱力。憶測に継ぐ憶測であるにも関わらず“飛躍の面白さ”さえないというのは、救いようが無い。このシリーズの“かんど−的なココロの触れ合い”に興味を持てない向きには、どうにも楽しみどころを見つけられない作品だろう」
G「どうでもいいけど救いようが無い云い方をしますねー。じゃ次。『銀河鉄道を待ちながら』。地下鉄駅の不審な少年。毎日のように同じ地下鉄駅のホームの端で、ヨーヨー(水の入ったゴム風船のやつ)を手に立ち尽くす少年は何を見つめているのか? ささいな出来事から“事件”の影を読み取り、さらに切ない人間ドラマを引っ張り出す名探偵の推理は、今度はジャンプ力も十分でしょう。第一話の小さな挿話が伏線となっているのもお見事です」
B「ジャンプ力というよりも荒唐無稽の三段跳び論法。しかも例によってこの真相には根本的に説得力がない、つーか不自然なんだよな。憶測だらけのユルさはもう諦めるけどさ、不自然さを“かんどーの1手”でごまかすやり口のあざとさが鼻につくんだよ。“まず人情譚ありき”の謎解きならば、心理的に不自然なものをそのまま放置するのは大きすぎる手抜かりだろう」
G「ラストは『カキの中のサンタクロース』。バカが付くくらいのお人よしである坂木君が、なぜか見知らぬ女子高生の恨みを買った? 頻々と続く小さな嫌がらせの意図は? これまた第1話第2話のエピソードが伏線となっていますね。名探偵が読み解く女子高生の不審な行動の真相は他愛ないものですが、八方丸く収まってふんわりきれいにまとめるハッピーエンドは、クリスマスストーリィにふさわしい暖かさを持っています」
B「――どうしてこんなに簡単に決めつけられるのだろう。しかもどうしてこんなに簡単に“正解”になっちゃうのだろう。名探偵の推理を読んでいる間中、そんな“禁断の問い”が消えない。たしかにミステリにおける名探偵の謎解きは“名探偵の謎解きであるがゆえにつねに正解”であるわけだが、こうも無邪気に無神経にしかも粗雑に扱われてしまうと、その“口に出してはいえない”本格ミステリの急所が、嫌になるくらいあからさまにさらけ出されるようで……どうにも気分が良くないんだよね」
G「ううん、作者にはそんな意図はないと思いますが」
B「あったら困るよ。でも、天然だからこそもっと困るという部分もあってさ。結局のところこれは“善人ばかりの閉ざされた世界”と“その原理を支配する名探偵”という世界を描くことによって、本格ミステリというジャンルがもつ不自然さ・弱点ってもんを、期せずして浮き彫りにしちゃっているんだな。なんちゅうか、本格嫌いの人が上げる“嫌いなポイント”を凝縮したような……といったらいいすぎかもしれないけどね」

 
●激走するオンボロ車……クレイジー・クレーマー

G「黒田さんの新作長篇が出ていますね。『クレイジー・クレーマー』……そんなタイトルのゲームがありましたが……内容的には関係ないようですね」
B「そういうタイトルの映画もあったような気がするぞ」
G「それは『クレイマー・クレイマー』のことですか? いい映画ですけどまったく無関係ですよ。映画の『クレイマー・クレイマー』は離婚した夫婦が子供の親権を争う話、つまり“クレイマー氏対クレイマー夫人”って意味ですもん。対してこの小説の“クレーマー”は、商店などに対してクレームをつけてくる人間のことなんですね」
B「どこかでこの作品には作者の経験が活かされている、みたいな話を聞いたんだけど……だとしたら“クレーマー”ってのはそのスジの専門用語なのかな」
G「どうでしょう? ともあれ“作者の経験”が活かされただけあって、今までにない迫真の描写って感じ。むっちゃスリリングなサイコスリラーに仕上がっていますよね。もちろんこの作家さんのことですから、それだけでは終わりません。ラストではあっと驚く超絶技巧などんでん返しも、みごとに決めてくださっています。ともあれ内容に行きましょうか」
B「全国展開している大型スーパー・チェーン“デイリータウン”。語り手にして主人公の袖山剛史は、その緑ケ丘店にエレクトロ課マネージャーとして勤務する青年。緑ケ丘店は売上も優秀で、主人公は部下の信頼も厚く美乃という恋人も得て充実した日々を送っていた。しかし、その平和な日々はある日を境に暗転する。主人公の前に2人の“敵”が出現したのだ。1人は万引き常習犯の“マンビー”こと“大かいとうX”、そしてもう1人は執拗なクレームを繰り返す中年男の“クレーマー”、岬だ」
G「大胆不敵な“マンビー”の犯行に苛立った主人公は、岬のクレーム処理にも失敗し、岬から思いも寄らぬ逆恨みを買ってしまいます。やがて始まったクレイマー・岬の陰湿かつ悪質な嫌がらせ。それは徐々に、そして際限なくエスカレートし、ついには主人公自身からその恋人の美乃にまで危機が及びはじめます。追い詰められ、疲れ果てた主人公は、ついに“敵”の抹殺を決意します……」
B「スーパーの平和な日常から、いかにもな“敵”の登場による暗転。そしてエスカレートする嫌がらせ……前半から中盤にかけての展開がすんげえ読ませる。こうしたジャンルのお話としては、この前半〜中盤の展開はさほど新味のあるものではないし、むしろ一本調子なんだけど、気のせいかディティールがいつになくリアルで。リーダビリティはまさに強力無比だね」
G「ですね。カタストロフに向けて畳みかけるようにして盛り上げていく展開は、目も眩むような疾走感にあふれています。……で、その疾走感のままに読んでいると、たちまち作者の術中に陥るという仕掛け。終盤、お得意のダークで不条理な謎の連発に目を白黒させていると、突如襲いかかってくる圧倒的などんでん返しに吹き飛ばされて、“世界の崩壊”を目の当たりにして愕然……いやあ、これにはやられました! 多くは申せませんが、まさに“サイコスリラー”そのものだな、と」
B「要するに最初から最後までトップギアとゆーか。読者に一切“間”や“ゆとり”を与えないことで、強引にサプライズを生み出しているタイプの作品だね。私が連想したのは小説ではなく映画、デ・パルマのスリラーだな」
G「ああ、それはいえてるかも! たしかにデ・パルマの、それも後年の大作路線じゃなくて前期のB級スリラー路線にそっくりですね。……とんでもなく無茶なアイディアをベースに、委細構わぬスピード感とあざといまでの仕掛けでとにもかくにも見せきってしまう。そしてラストには“そこまでやるか”ってくらいの臆面もないサプライズを叩きつける。うーん、いいなあ。デ・パルマだなあ。B級なんていうとロクでもないシロモノと思われそうですが、ぼくはデ・パルマのB級スリラーが大々好きなんですよね!」
B「わかったわかった。まあともかくその最盛期のデ・パルマ作品を彷彿させる、これ見よがしのケレンや独特の眩暈感、そしてアンフェアギリギリのサプライズが、ぎっしり詰め込まれている……んだが。正直いうと展開が忙しすぎて、肝心カナメのサプライズの勘所が、いまいち分かりづらくなってしまった嫌いがあるな。本格ミステリじゃないから謎解きのディティールについてはごちゃごちゃいわんけど、伏線の配置やその強調の仕方にはもうひと工夫ほしいし、後半完全に忘れられちゃう“マンビー”ももっと活かしてほしかった気がするぞ」
G「ミステリ的に多少のキズがあっても、現代のスリラーとしてはこれくらい疾走感がある方がいいでしょう。いわゆるひとつのノンストップ・スリラーつうか、ジェットコースター・スリラーつうか」
B「そりゃそうかもしれないけどね。なんだか道々いろんな部品を落っことしながら無理矢理突っ走るおんぼろ車、って感じで。どうも心もとないというか危なっかしいというか。もうあとホンの少しでいいから、物語の呼吸に立引きや緩急を付けてディティールをブラッシュアップすれば、小説としてぐっと奥行きが出ると思うんだけどね」
G「なにいってんですか。落ち着いたデ・パルマなんて面白くないですよう! ぶっ壊れながらでも突っ走る、その無茶さ加減がとてつもないスリルなんです!」
※賢明なる読者様より「クレーマー」はわりと普通に使われている造語というご指摘がありました。あうあう、2人して赤っ恥。ご指摘に感謝します。

 
●通俗に徹した老嬢探偵スリラー……黒猫は殺人を見ていた

G「この作家さんは本邦初紹介なのでしょうか。D・B・オルセンの“幻の本格ミステリ”『黒猫は殺人を見ていた』がポケミスで出ました」
B「いや、たしかこの作家の作品は同じポケミスからむかし出たことがあるよ。いまもあるかどうか知らないけど、『泣きねいり』とかっていうハードボイルドっぽいスリラーだった。ただしドロレス・ヒッチェンズという別名義だったけどね」
G「ああ、なるほど。しかしオルセンという作家さんは、欧米でもこの『黒猫は殺人を見ていた』に始まる本格ミステリ“レイチェル”シリーズの方が有名らしいですよ。なのに、なんでわざわざその『泣きねいり』だけがポツンと紹介されてたんでしょうね」
B「ふむ。よーわからんが……森さんの『世界ミステリ作家事典<本格派篇>』の記述によれば、 “名無しのオプ”シリーズで有名なネオハードボイルドの書き手・プロンジーニが『泣きねいり』を“女性の手で書かれた最高のハードボイルド”と評したらしい。古風な本格ミステリっぽい“レイチェル”シリーズよりも、プロンジーニお墨付きの女性ハードボイルドの方が売れると、当時(1963年)は判断されたんだろう」
G「なるほど。ともあれ、そんな遠回りをしながらも、こうして近年の本格ミステリブームの流れに乗って“レイチェル”シリーズが登場したというわけですね。ひとことでいってしまえば、好奇心旺盛で探偵ごっこが大好きなレイチェルと臆病で保守的なジェニファーという老嬢姉妹、そして猫のサマンサが繰り広げる軽本格冒険譚。探偵役はレイチェルで、ジェニファーが止めようとするのを振り切って無理やり探偵仕事に首を突っ込んでいく――という設定みたい。冒険するのも推理するのもレイチェルの担当で、猫のサマンサはレイチェルの冒険の彩り程度の存在にすぎません。猫が探偵役を務めるわけではないんですよね」
B「このシリーズのタイトルにはすべて“Cat”が入ってるようで、表紙裏のキャッチコピーにも“元祖猫シリーズ”なんて書いてあるけど、だからといって“三毛猫ホームズ”(赤川次郎)や“正太郎”(柴田よしき)“ココ”(リリアン・ブラウン)、あるいはアキフ・ピリンチの作品に出てくる探偵猫たちのような活躍をするわけではない。むろんサマンサも事件には深くかかわるし、猫絡みのあるエピソードが謎解きのきっかけになったりもするわけだが……それにしてもサマンサはあくまでただの猫。探偵役ではないし、もちろん魔女でもない(笑)」
G「前置きが長くなりましたね。まずはざっくりアラスジを。えー、ある朝マードック姉妹のもとにかかってきた一本の電話。それは姪のリリーからのもので、彼女はただならぬ様子でレイチェルに救いを求めます。しかしなぜか理由は言わず、すぐに来てくれと繰り返すばかり。その様子にいたく“好奇心”を刺激されたレイチェルは、慎重居士のジェニファーが止めるのを振り切って、猫のサマンサと共にリリーの家に向かいます。再会したリリーが案内してくれたのは、怪しげな人物ばかりが暮らすみすぼらしいアパート。リリーは十分な財産を持っていたはずなのに、なぜこんなところで暮らしているのか? いよいよ不審の念を深めるレイチェルでしたが、なぜかリリーは口を開きません。間もなくアパートでは不審な事件が続発し始めます」
B「そしてある晩、ついに惨劇が発生する。リリーが撲殺されて血の海に倒れ、その脇ではレイチェルまでもが毒を盛られ、瀕死の状態になったのだ。……手当ての甲斐あってようやく九死に一生を得たレイチェルは、果敢に事件の謎解きに挑んでいく。老嬢の向こう見ずな冒険を主題に置いた展開は、どこか“海の上のカムデン”シリーズを思わせるね」
G「そうですね、そのあたりはたしかに似ている。冒頭からショッキングな事件が連続する筋立てはまるでスリラーみたいですが、じつはフーダニットとしての結構もちゃんと整っているんですよね。伏線もきれいに張られているし、犯人絞り込みのキーとなる手がかりの出し方・生かし方も明快。単純といえば単純ですが、分かりやすい」
B「謎があり、容疑者がいて、手がかり&伏線が配置されて謎解きも用意され、たしかに形は整っているんだが――全体として謎解きのつくりははっきりいってユルユルだな。キーになる手がかりも含めて、本格としてのレベルはせいぜいテレビの火曜サスペンス劇場程度だと思うね。というか、むしろほんの少し謎解き風味を加えた通俗スリラーと考えた方が、私はぴったり来る感じだよ」
G「そりゃまあレイチェルの謎解きは他愛ないものですが、軽本格と考えればじゅうぶん練られているし、過不足ない出来だと思いますよ。ま、読みどころはあくまで、“海の上のカムデン”の老嬢たち以上に向こう見ずな、レイチェルの探偵ごっこぶりなんでしょうけど」
B「不思議なのは作者の筆にユーモアがない、というかほとんど全く感じられない点だ。元気いっぱいの老嬢の冒険というコンセプトからすれば、もう少しユーモアがあっていいと思うんだが……キャラクタの描き方も主役級を除くとごく通り一遍でだれもかれも魅力に乏しいし、連発するセンセーショナルな事件もいかにも作り物めいている。作者はごく通俗的な、手垢の付いた不気味さを強調することにばかり熱心で、小説としての奥行きはほとんどないんだね」
G「まあ作者にとっても初期の作品ですから、若書きだったのかもしれませんね」
B「もうひとつ気になったのは、なぜか冒頭から“後になって思い返している”回想スタイルの物語になっている点だな。作者はポイントポイントで“この時○○は後に○○になるとは思いもしなかったのである”とか挿入しているわけで。なんだかこれって“HIBK派”みたいなんだけど――サスペンス、ぶち壊しだよな。いくらヒロインが瀕死の重傷を負っても“助かること”が最初っからわかってるんだもの」
G「“HIBK派”かあ……いわれてみればそういう気配もありますね。オルセンも女性作家ですから“そういう血”も引いているのかも。発表年代(1939年)からいえば、古典本格黄金時代の末の頃なんですけどね。まぁ、裏返せば、そのあたりの影響を想像しながら読むのもまた一興なんではないでしょうか」
※ちなみに“HIBK派”というのは、以前もお伝えしましたが“Had-I-But-Known”派。つまり“もし……していれば”というちょっぴり頭が弱いっぽいヒロインの独白が、たっぷり挿入される通俗スリラーのことです。

 
●ビデオ化待ち……イエスのビデオ

G「ちょっと遅れてしまったんですが、ドイツミステリという珍品なので紹介しておきましょう。この2月に出たアンドレアス・アシュバッハさんの『イエスのビデオ』は、ドイツのエンタテイメント小説の最高峰であるらしいクルト・ラスヴィッツ賞品を受賞した、ポリティカル・スリラー風SF風冒険小説です」
B「なんなんだよ、ポリティカル・スリラー風のSF冒険小説ってさ……ようするにトンデモ系ってことじゃん。なんでこーゆーイロモノを無理に紹介しようとするかなあ」
G「だって面白いじゃないですか〜。ドイツのミステリっつーと重っ苦しく分かりづらいデュレンマット(『嫌疑』)とか、シュリンク(『ゼルプの欺瞞』)とか」
B「アキフ・ピリンチ(『猫たちの聖夜』)なんて作家もいるが?」
G「あ、まあピリンチはちょっと違いますけどね……。それにしたってこのシュバッハくらい臆面もなく、ハリウッド映画タイプというか、ブロックバスター狙いというか。ともかくそれ風のエンタテイメントを書くドイツ人作家がいるなんて、思いもしませんでしたし」
B「ま、そういう意味では珍品かもなあ。しかし、あちらではSFやSF的な味付けのエンタテイメントの書き手として相当の流行作家らしいね」
G「そのようですね。たしか、かの『ペリー・ローダン』シリーズ(複数の作家が書き継いでいるものすご長大なスペースオペラ長篇。日本版は早川書房から刊行中です)にも参加してらっしゃったとか。お馴染の作家さんでいえばさしずめマイケル・クライトンというところでしょうか。もちろんクライトンほど巧くはないんですけどね、バカミスぶりではこちらの方が上でしょう」
B「っていうか、クライトンだったら、たとえ思いついても捨てるんじゃないだろうか。こんなネタ……」
G「ま、そうともいえますが、とりあえずそんなアホなネタを無理矢理力技で大長編のエンタテイメントに仕上げてしまった作者の剛腕は取りあえず本物だと思いますよ。というわけでアラスジですが。タイトルからして怪しさ満点なんですが、そのタイトル通りの内容なんですよね〜。……イスラエルの首都エルサレムで遺跡の発掘を行なっていた発掘隊の一員・フォックス。実は彼は自らソフトウェアメーカーを経営する青年実業家なんですが、冒険と刺激を求めて遺跡の発掘に参加しています。彼らが発掘しているのはおよそ二千年前の地層、すなわちイエス・キリストの時代のエルサレムです。やがて、フォックスはその2000年前の地層から、人間の遺骨と共に奇妙な遺物……折りたたまれた紙片……を発見します。それは、なんと“まだ発売されていない”SONYの新型ビデオカメラの取扱説明書でした!」
B「さらに調査を進めると、一緒に発見された遺骨には現代の歯科医によるものとしか思えない“治療痕”が残っていたことまでもが判明する。もしや彼は、時間旅行者だったのではないか? そしてもし彼が時間旅行者なら、2000年前のこのエルサレムの地で、何を撮ろうとしたのか? ……この驚くべき知らせに大金の匂いを嗅ぎつけ、発掘隊のスポンサーである巨大メディアの総帥・カウンがやってくる。世紀のスクープを求め、専門家を集めて大がかりな探索活動を開始するカウン。めざすは“ナザレのイエスの生映像”だ。しかしその作戦は厳重に秘匿され、発見者のフォックスも蚊帳の外に置かれてしまう。反撥したフォックスは遺物と共に発見し秘匿していた別の文書を手掛かりに、独自の調査を開始するが、一方では秘かに情報をキャッチしたカトリック教会もまた教皇直属の闇の組織を送り込んできた。時間旅行者はイエスのビデオを何処に隠したのか。そしてそこには“何”が写っているのか。世界を震撼させる謎の応えを求め、凄絶な三つ巴の争奪戦が始まる!」
G「えー、ビデオテープが2000年も保つわけないとお思いでしょうが、一応新開発の非常に耐久性に富んだ録画形式ということになっております」
B「はっきり書いてはいないが、これはDVDっぽいね。ま、それにしたって無茶な話なんだけど、お話の方はさらに無茶な進み方をするわけで……徒手空拳の冒険野郎である主人公は、世界的なコングロマリットやらカトリック教会の闇の組織を敵に回してインディ・ジョーンズばりの大活躍を展開する。波乱万丈、奇想天外の大冒険ではあるんだけどね。そのそれぞれのアイディアがどこか少ーしずつチープで現実味に乏しく、ストーリィはやはり少ーしずつユルくて緊密さを欠き、プロットも少ーしずつありきたり。むろんベースには“ナザレのイエスの生録画”というおバカなアイディアがあるわけだけども、それを緊迫したリアルな冒険物語に仕上げるには、いささか作者の技術が足りてない」
G「たしかにB級のクライトンという印象で、どこまでいってもB級っぽさを抜けられない嫌いは残りますね。ですが、なんたって“ホンマモンのイエス”という飛び切りのヨタがストーリィを強烈に引っ張ってくれる。少なくとも読んでる間のリーダビリティには不自由しませんよね。しかもラス前には、これはかなり意外などんでん返しまで仕掛けてあって……よくできたB級スリラー大作程度には楽しませてくれると思います。クライトンには及びもつきませんが、“パチもん”ならではの、ある種のいかがわしさが良い味付けになって、これはこれでじゅうぶん楽しめるエンタテイメントとなっています」
B「うーん、たしかにアメリカンなベストセラーをよーく研究してるとは思うけどなぁ。はっきりいっちゃえば“ナザレのイエスの生録画”というアイディア以外、オリジナリティなんぞカケラもない。B級大作の教科書通りの作品ともいえる。……映画でいえば、劇場で観たら腹立てるけどビデオで見たのなら諦めもつく、そういうレベルだな」

 
●罪と罰……手紙

G「東野さんの新作長篇『手紙』が出ました(今年3月のことです)。でも、ミステリじゃありません。かといって『秘密』のような路線のSFファンタシィでもない。普通小説、というのもヘンな呼びかたですが、ちょっぴり重たくて感動的な“泣ける”ヒューマンエンタテイメントというところでしょうか」
B「なんやねんヒューマンエンタテイメントって。まー素敵に面白く読めて、いろいろ考えさせてくれる小説ではあるけど、泣けはしないだろ。むしろ作者はそういう“泣き”の演出を極力抑えようとしているような気がするぞ。――ま、それでも泣くんだろうけどね、きみは」
G「いやいや涙ぐみはしましたが、泣いてはいません!(きっぱり)」
B「そんなことでイバるな、あほたれでんがく」
G「おっしゃる通り“泣かせる”シチュエーション、シーンはいっぱいあるのに、作者はあえてそういう場面ほど描写を抑えてますよね。これっていうなれば東野版“罪と罰”ですもんね。テーマ自体がとても重いものをもった作品だけに、安易な“泣ける感動”に流れてしまうのを、作者さんご自身が嫌ったんではないかって気がしています」
B「それはそうかもね。ともあれまずは内容をご紹介しよう。……たった一人の弟を大学に行かせること――それが無くなった母親の夢であり、剛志自身の夢でもあった。不器用な剛志は弟の学費を稼ぐために必死で働いたが、無理をしすぎて腰を痛め、仕事も失って、いまや兄弟2人が喰うだけで精一杯。弟を大学にやるなど不可能だ。懊悩の末、剛志は思い余って資産家の家に押し入ったあげく老婆を殺してしまい、思いがけず強盗殺人で15年の懲役刑を宣告されてしまう。……こうして兄の愚かな暴走により、突然独りぼっちになってしまった弟・直貴。強盗殺人犯の弟に世間の目は冷たく、アルバイトをしながら高校は卒業したものの、まともな就職先さえ与えられず、ようやくもぐりこんだゴミのリサイクル会社で、鬱屈した日々を送っていた」
G「“強殺犯人の兄”の存在ゆえに行く先々で理不尽な差別を受け、チャンスを奪われ続ける直貴。月一度、刑務所から送られてくる兄・剛志からの手紙を恨み、やがてその兄の存在をひた隠しに隠しはじめます。しかし、それでも一途に弟を気遣う兄の手紙はどこまでも彼を追いかけ、結果的に次々と彼の夢を奪ってしまいます。音楽への夢、恋人との将来、かないかけた未来への夢は、いつも兄とその手紙によって壊されていくのです。何もしていない自分が、なぜこんな目に。……どこまでも追い詰められ、傷つけられた直貴が選んだ、あまりにも苦い最後の選択とは」
B「エンディングはともかくとして――わたしが凄いなと思ったのは、直貴が“世間”から被る理不尽きわまる差別の連続や、苦悩の末に彼が選ぶ苦すぎる結論とかに、小説的なご都合主義や予定調和なんてものがカケラもないってトコロだね。なんちゅうか、すべてにまさにこうもあろうという苦い現実感ってやつがある」
G「作者さんは理想論を絶対に語らないんですよね。それをいくら語っても主人公はけっして救われないし、都合よくその理想を体現した救いの手なんてものもむろん現れない。作者はあくまでその理不尽な差別という現実から目を逸らさず、正面から見つめながらごく普通の人間である主人公にぎりぎりの選択を迫るわけで。……主人公が、誠実とはいえごく普通の弱い人間であるのもいいですね。“自分のために罪を犯した”兄を憎み、保身のために嘘をつき、ごまかし、心を歪めもするし理不尽な世間を恨みもする。そんなふうに等身大で描かれた主人公だからこそ読者もすっと感情移入できる。そして“罪と罰”すなわち“犯人の家族への理不尽な差別”というテーマが、非常にダイレクトに、重たいものとして胸に響いてくるんです」
B「まあ、そこまでいうと持ち上げ過ぎのような気もしないではないけどね。ただ、こういう重たいテーマにも関わらず、口当たりはさらりとして簡潔的確で。リーダビリティの高さは驚くほどだ」
G「もともと毎日新聞に連載された新聞小説らしいですね、それだけにプロットは波乱に富んでいるのですが、こうしてまとめて読んでもほとんど破綻が無い。隅々まで作者の計算が行き届いているのは、さすが東野さんという感じです」
B「まあ、よーく考えると、エピソードの積み重ね方が丁寧かつ巧いだけで、物語自体にはさしたる工夫もないストレートかつシンプルなお話で。考えようによっちゃ通俗ですらあるんだけど……それでもなお独特なクールな品格みたいなもんを失わないのが、この作者の持ち味だろうな」
G「キャラクタもいいですよね。特に印象的だったのは、主人公の数少ない理解者として登場する、家電販売会社の老社長。あの“思いやりあふれる、それでいて徹底したリアリスト”ぶりが、すごくよかった」
B「“差別はね、当然なんだよ”だっけか。あの社長の一言は、普通一般の常識のまさに逆をいってるんだけど――目からウロコがダダ落ちだった。隠微な、しかし峻烈な、逃れようの無い差別。その差別を、作者は社会や人間性の問題として安易に否定することをしないんだ。凄いなと思ったよ」
G「ですね。なんかこう、陳腐な常識に呪縛された自分の思い込みを、すとんと壊されたような感じで……あれってものすごく強力な“犯罪抑止”フレーズでもありますよね。ともかくとても面白く読みながら、いろいろいろいろ考えさせられてしまう小説です。罪と罰ということ、犯人家族への差別ということ、償いということ、社会と犯罪ということ……そういった問題に興味がある方にはお勧めです。それともちろん、面白い小説が好きな方にもね」
B「文部省推薦図書みたいな、こっぱずかしいカバーイラストが付いてるが……頼むからあれを見て引かないように(笑)」

 
●オイシイブンガク……重力ピエロ

G「非・ミステリが続きます。ただいまブレイク中の伊坂幸太郎さんの最新長篇『重力ピエロ』と参りましょう。売れてるみたいですねー」
B「ふーん、売れてるんだ? でもなんちゅうかさー、やっぱりミステリは腰かけだったのかよー、みたいな感じよね」
G「いや、まあ。そりゃあ前作前々作に比べれば、ミステリ濃度はかなり薄くなって、青春小説というかブンガク濃度が濃くなっているとは思いますけど……だからって、いきなりそれはないでしょう」
B「(聞いてない)ミステリに思い入れがないんだったらさぁ、無理にいてもらわなくてもいいや、って私は思っちゃったけどなー。でも、だからって文学としてすげーのかってぇと――そいつもねぇ。この新作を読んだかぎりでは、怪しいもんだと個人的には思うな。そもそもこのあっちゃこっちゃからエートコドリしたみたいな、チープなブンガク趣味はナニ? みたいな」
G「うわ、そんないきなり地雷源を全力疾走するみたいな発言を!」
B「じゃゆっくり進めばいいのか? どっちにしても私にとっちゃ、これは思いっきし地雷本なんだもんね!」
G「……カンネンしました……。まー、とりあえず内容だけでも紹介しておきましょうよ。えーと。主人公で語り手の“私”は遺伝子の検査を行なう、仙台市内のハイテク企業に勤務しています。おりしも仙台市では連続放火事件が発生していたのですが、“私”にとって他人事だったはずのその事件が、“弟”からの1本の電話をきっかけに他人事ではなくなってしまいます。弟の“春”は放火魔の次の標的が“私”が勤務する会社であることを予言し、その予言が的中してしまったのです。――そのことをきっかけに“私”もまた放火事件の謎を追い始め、さらには癌で入院中の父親までもが犯人の正体について推理を巡らし始めます」
B「なぁーんて紹介の仕方をすると、まるきりミステリみたいなんだけどねぇ。……実際、放火現場には決まって奇妙なグラフィティ(渋谷や原宿なんかの街頭に描かれる意味不明の落書き)が残され、そこには暗号が秘められていたりするし、放火魔追跡のメインプロットの影には“私”や“弟”の隠された意図や、明白には語られないサブプロットがあったりして、ミステリ的趣向が揃っているのはたしかなんだよな。だけど、にもかかわらずそこにミステリ的な楽しみはほとんど無いんだな」
G「うーん。そうなんですかねえ」
B「そうだよぉ。グラフィティに隠された暗号の正体は底が浅すぎるし、兄弟の隠された意図だって同じ。いずれも伏線があまりにあからさますぎて、とてもミステリ的な隠蔽になっちゃいない。メインプロットの向こう側が透け透けに見ちゃうんだよね」
G「しかし、『ラッシュ・ライフ』であれだけ入り組んだエピソードの重層構造を自在に描いて見せた作者だけに、そういう面での技術的な不足があるとも思われません。だとすると見え見えなのは意図的なのかもしれませんね」
B「そこがわかんないんだよなあ。サプライズを狙っているとはとても思えないし、だからといってサスペンスストーリィとして捉えたらヌルすぎる。むろん謎解きなんててんから成立してないしねぇ。じゃあなんだ、っていわれると……いちばん似てるのは、ミステリっぽいお話を書いてる時の村上春樹さんだろうかね」
G「ああ、たしかにそういう雰囲気はありますねぇ」
B「深刻さや悲惨さがてんでない、かといってスリルもサスペンスも謎も感じられない、まるっきり他人事みたいな放火事件。グラフィティ消しという奇妙な“仕事”を続ける“弟”。やっぱり他人事みたいな絵空事めいた“ストーカーの思い出”。……現実を描きながら少しも現実感の無い、口当たりのいいこじゃれた世界観やエピソード、セリフは、まさしく村上春樹風味といっても過言ではない」
G「でも、小説としてのテーマはむしろ重いもので、これは村上さんとは随分ノリが違うと思うのですが。だって、これって結局テーマは“家族”であり、“血筋”であるわけでしょ? “私”と“春”は異父兄弟。実は“春”は“私”の母親がレイプされて生まれた子供で。そのレイピストの“血筋”を引いていることと家族であるということの相克が、物語全体の通奏低音みたいなものになっているわけで」
B「そうそう、つまりテーマ自体は舞城王太郎作品にも通じる非常に古臭い、ある意味古典的な“家族と血のつながり”のモノガタリなのよね。つまりこの作品ちうのは、舞城的なテーマを村上風味に口あたりよく処理した美味しいトコドリのブンガク作品だと思えるわけよ。冒頭の“ジョーダンバット”のエピソードなんてもー、まさに舞城プラス村上のエピソードだよなー」
G「んー、それはあまりにも穿った見方ではないですかねえ。ラストで明らかにされる“春”の真意なんて、けっこう感動的だと思うんだけどなあ」
B「べつだんそれが悪いとはいわないよ。感動する人だって、そりゃまあいるだろうさ。ただ、私はそんなもん読みたくもないわけでね。……ほどよくセンセーショナルでほどよくこじゃれててほどよく口当たりがいいブンガク風味なんてそんな小器用なだけの人工甘味料、ともかくあたしゃご免なのッ!」

 
●パーフェクトプロット……秘密2

G「今回の10番目の席、というか今月は12番目の席になっちゃいますが、コミックを取り上げます。清水玲子さんの『秘密2』ですね。これは『月刊 メロディ』誌に断続的に連載されている近未来サスペンスというか、SFミステリの読み切り中編シリーズで。この第2巻には2002年2月号と、翌03年の同じく2月号に掲載された2篇のエピソードが収録されています。ぼくは全然知らない作家さんだったのですが、第1巻が出たときにお友達に勧められて読み、ぶったまげた次第です。ayaさんも面白かったでしょ?」
B「私も全然知らなかったんだけどね。ああ、ビックリしたよ、最近のミステリ系のコミックではベストじゃないの? いやまあ、ミステリマンガはたいして読んでないから何とも言えないけどさ。こんなにクオリティの高い作品がそうそうあるとは思えないし……特にこの第2巻は素晴らしい」
G「プロローグというかプレストーリィ的な第1巻の第1話を除いて、同じキャラクターたちが登場するシリーズですから、それぞれ独立したエピソードとはいえ、1巻から読んだほうがよいのは確かなんですが……1巻ではまだシリーズの核にある“或るギミック”が、十分活かされてなかった印象であるのに対し、この2巻ではそれが縦横に、実に鮮やかに活用されて間然とするところがない。溜め息が出るほど素晴らしいですよね。どっちか1冊というなら、ぜひこの2巻から読んでほしいな、と思った次第です」
B「というわけで内容だが、まずシリーズ全体の核にある、その“或るギミック”というやつを紹介しなくちゃな」
G「舞台となるのは2060年頃の日本。MRI捜査と呼ばれる特殊な技術で凶悪犯罪の捜査に携わる“科学警察研究所 法医第九研究室”――通称“第九”の捜査官達が主人公です。つまり、このMRI捜査で使われる“MRIスキャナー”というのが、SFミステリとしての“或るギミック”になります」
B「作中の設定によれば、MRIスキャナーとは、死亡後一定時間に取りだされた損傷の無い脳から“その脳の持ち主が生前に見たもの”(過去五年間以内)をスキャニングして取りだし、鮮明な映像(音は無し)として再現するという装置。……つまり被害者の脳でそれをやれば、犯人の顔や犯行を含め、被害者が目撃した全てが再現できる、という魔法のようなシステムなんだな。捜査手法としてはある意味万能に近いわけで、だからこそ逆にミステリでこれを主役に据えるのは結構難しいように思える。だってさ、“見ちゃえば”OKなんだからね。謎も謎解きもやりようがない……と思ったんだが、作者はこの万能マシンにあれこれと縛りをかけ、巧みにミステリ化しているんだよな」
G「ですね。では、まず第1話『秘密 2002』。第九に送り付けられてきた、差出人不明の臓器運搬用キャリーケース……中には慎重に摘出され保存された、人間の脳が収められていました。添えられたカードには『SEARCH MY BODY』――この脳の体を探せ――とのみ。やがて被害者が判明し、MRIスキャナーがかけられますが、被害者は犯人を目撃する直前に殴られて気を失い、犯行時は眠らされたままだったのです。つまり被害者は何も見ていない。手掛かりは何もない……かに思われましたが、主人公(第九の若手スタッフ)はちょっとしたきっかけから、唯一手掛かりとなりえる“ある映像”がその脳の中に存在することに気付きます!……てな感じでどうでしょ、これならネタバレになってませんよね?」
B「ふん、まあぎりぎりセーフだな。まー、この2巻のエピソードは、どんでん返しに次ぐどんでん返しときてるから、スジを紹介するのもホネが折れるよなあ」
G「まったくです。ともかく“何も見ていない脳が見ていた手掛かり”というアイディアは秀逸ですよね。ここから組み上げられていく謎解きは単純ですが実に美しく、しかもその演出が見事なので、謎解きのシチュエーション自体が非常なサスペンスにあふれているんですよね」
B「その手掛かりー謎解きのセットを配置し直せば、まんま本格ミステリになったと思うんだけど……作者は敢えてそれをせずに、サスペンス的な文脈で描いている。本格読みとしてはちょいと残念なんだが、エンタテイメントとしての完成度は高いしね、これはこれで正解だろう。作者はアイディアと語り口のバランスを全て計算し尽くしているんだろうな。ラストも深い余韻があって見事だ」
G「いやー、あのラストには泣きましたよー。前述のアラスジ紹介では意図的に省いてありますが、これはヒューマンドラマとしても一級品でして……ベタベタはしないんですが、なんちゅうかこう、しみじみ痛切な痛みが胸に迫ってきます」
B「しっかし、キミはすぐ泣くよなあ! ナミダモロイのはトシのせいか? んじゃま、第2話『秘密 2003』だ。……一家3人を惨殺し、その遺体を切り刻んだ殺人鬼が死刑を執行された。むろん犯人の自供と多くの物証でその犯行は疑問の余地無く立証されていたが、被害者が全員頭を潰されていたため、MRIは使えなかったのだ。そこで各種の事実の確認のため、主人公はその死刑囚の脳をMRIスキャニングするよう命じられる。プライバシー保護のため、部内に対してさえ完全な箝口令が敷かれた作業の最中、主人公はその脳から信じられない映像を発見する……ううむ、お話的にはようやくオープニングというところなんだが、これ以上は云えないなぁ。ったく何をどう云ってもネタバレになりそうだよ!」
G「たしかにそうですよね〜。第2話は第1話以上にどんでん返しの連発ですからねえ。……まあ、とりあえずそれが生者か死者かはともかくとして、第2話ではシリーズ最強の敵というべき殺人鬼が登場し、第九スタッフと凄絶な知能戦を展開するお話です。MRIの弱点を知り尽くした殺人鬼の、悪意と狡知に満ちた挑戦に第九は徹底的に翻弄されるわけで、このせめぎ合い自体にもサプライズがぎっしり仕込まれていますし、最後の最後で主人公が見つけ出す“見るべきもう一つの脳”というアイディアもあっと驚く盲点で、膝連打もんですよね」
B「だな。まず、そのサプライズの連打の仕込みが、全てMRIというガジェットを活かしたアイディアとなっている点が素晴らしい。でもって、さらにその殺人鬼の“動機”にまつわるエピソードや、サブストーリィである主人公自身の家族に待つわる悲しい疑惑のエピソードが、全て“暴いてはならない秘密を暴くもの”としてのMRIスキャナーという、シリーズ全体を貫くテーマを強く、重たく浮かび上がらせてくる仕掛けで。……だからこそ、この美しすぎるラストが切ないものになるんだよなあ。ううむ参ったなー、これは傑作だよ。泣いたんだろ、きみはまた」
G「はあ、すみません。泣きました」
B「しよーがねーなー。ところで、傑作とはいっても、何しろ脳とか内臓とかバリバリ取りだすし、事件自体も凄惨なヤツが多いし、作者はそれをヘンにぼかさず正面から描くからな。生理的にキツい人にはキツいかもしれないね」
G「でも、ペンタッチは非常に硬質な、無駄の無いクールな線ですし、画力もあるから、汚らしい感じとか全然無いんですよね。皮膚をはがされた死体とか、詳細緻密にしかも大ゴマで描いちゃうんですが、一種の精密なアートみたいで……とりあえずぼくは、気持悪さはあんまし無かったです」
B「まあ、そのあたりは個人差あるからね。……面白いのはさ、大ゴマで死体を描くとき、この作家さんって“花を添える”のな。少女マンガでヒロインや色男がアップで登場するときみたく、死体に花背負わせてるの。これぞ笠井さん云うところの“二重の光輪で祝福された死体”というやつ?(笑)」

 
#2003年5月某日/某スタバにて
 
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