battle100(2003年6月第4週)
 
[取り上げた本]
01 被害者は誰? 貫井徳郎        講談社
02 模倣密室 黒星警部と七つの密室 折原 一        光文社
03 九十九十九 舞城王太郎       講談社
04 天使はモップをもって 近藤史恵        実業之日本社
05 風水火那子の冒険 山田正紀        光文社
06 Angels―天使たちの長い夜 篠田真由美       講談社
07 首切り坂 相原大輔        光文社
08 迷宮百年の睡魔 森 博嗣        新潮社
09 怪盗クイーンの優雅な休暇 はやみね かおる    講談社
10 とんち探偵一休さん 謎解き道中 鯨 統一郎       祥伝社
11 死が招く
  (LA MORT VOUS INVITE 1988)
ポール・アルテ     早川書房
PAUL HALTER
12 テンプラー家の惨劇
  (The Thing at Their Heels 1923)
ハリントン・ヘクスト  国書刊行会
Harrington Hext
13 捕虜収容所の死
  (DEATH IN CAPTIVITY 1952)
マイケル・ギルバード  東京創元社
Michael Gilbert
14 分岐点 古処誠二        双葉社
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●ずらした重心……被害者は誰?
 
G「貫井さんの、それも本格ミステリ系の作品は、なんだかずいぶん久しぶりであるように思えます。『被害者は誰?』は、『週刊アスキー』と『メフィスト』に掲載された作家探偵・吉祥院慶彦を名探偵役とする短編連作シリーズ。書き下ろし1篇を加えて、総計4篇が収録されています」
B「新本格系の作家さんではあるけれど、個人的には貫井さんにはあまり本格プロパーの作家というイメージはないんだよね」
G「でも、『鬼流院殺生祭』に始まる“明詞”シリーズは、あれはどう見たってバリバリの本格ミステリでしょ」
B「そりゃそうなんだが、その“明詞”シリーズは2作まで出て、随分続きが出てないし――その他は“症候群”シリーズを含め、むしろ本格ミステリ的ガジェットを駆使したサスペンス、スリラーというイメージなんだよね。本格への愛はあるけれども、それに縛られるつもりはサラサラないって感じで。この新作に関しても、まあたしかに(変則的ながら)本格ミステリとしての要件は押さえられているものの、作者の狙いはやはり本格としての謎解きロジックよりも、サスペンスとしてのどんでん返しやサプライズ演出にあると思う。――もちろんそれがいいとか悪いとかってことではないよ」
G「ふむ。一作ごとに趣向を変え、内容はかなりバラエティに富んでいますし、しばしば変則的ではありますが……フーダニットパズラーであるのは間違いないと、ぼくは思いますけどね。とりあえず一作ずつ見ていきましょうか。まずは基本的なシリーズ設定です。主人公は人気ミステリ作家であり名探偵でもある吉祥院慶彦。彼のもとに事件を持ち込むハチ兼ワトソン役は捜査一課の桂島刑事です。吉祥院は名探偵といっても依頼を受けて捜査するわけではなく、仕事の気晴らしに桂島の話を聞いて謎解きするという安楽椅子探偵なんですね。ただ、その推理があまりに見事なため、学生時代の後輩である桂島刑事がこっそり謎解きを頼んでいるのを、警察も黙認している――という設定です」
B「一発目は表題作である『被害者は誰?』。ある夫婦ものの家から発見された身元不明の白骨死体。家の持ち主はその正体について黙秘を続けるが、同時に発見された日記から、3人の被害者候補が浮かび上がる。白骨死体はその3人のうち誰なのか――日記の記述から死体の正体を推理する、というごくシンプルな謎の設定なんだけどね」
G「ですね。そうしたシンプルな謎であっても、作者はたとえばストレートな消去法のような謎解きロジックは使いません。ミスディレクションを駆使し、どんでん返しとサプライズもたっぷり用意して読者に挑戦します。謎解きがメインなのに非常にトリッキーな印象なんですよね!」
B「そうね。これは他の作品にも言えることだが、そうしたサプライズ重視の姿勢が、逆にフーダニットとしての謎解きロジックの甘さ・緩さにつながりがちなのが弱点なんだな。たしかに騙されるし、驚かされるんだが、落ち着いて考えるとどうも無理筋っぽかったりするわけよ。次の『目撃者は誰?』も同じだね。こちらの作品では“安楽椅子探偵方式”ではなくて、いきなり事件関係者の視点で物語が始まる。――同じ社宅に暮らす同僚の妻と情事にふけっていた男の元に脅迫状が舞い込んだ。金は払ったもののどうにも腹立ちが収まらない彼は、推理を巡らして脅迫者を絞り込んでいく。一方、同じ頃その社宅で“心当たりの無い旅行券が届く”という奇妙な事件が続発していた。桂島刑事の話から旅行券の謎を解いた吉祥院は、事件の裏に隠されたもう一つの事件をもあぶり出していく」
G「一見とても結びつきそうもない2つの事件を、読者には予想もつかない意外な角度で結びつけ、さらにどんでん返しを炸裂させる。後者の事件など、ミステリ読みならすぐに察しが付いちゃうんですが、作者は巧みなミスリードでもって、さらにその上を行く。まさに作者に翻弄される喜びが堪能できる1篇です」
B「まぁなあ。作者はミステリの基本パターンをとことん裏返しひねり回して、ともかく読者を騙す、引っかけることに全精力を注いでいるんだな。その手口は相当にあざとく、お世辞にもスマートとはいえなくて――作り物臭さが時に鼻につく。面白いちゃ面白いんだが、奇麗な謎解きものの面白さとは明らかに違うよね。次は『探偵は誰?』。かつて自分が遭遇した事件をネタに、吉祥院が若き日の自分自身をも別名で登場させたミステリ作品を書いた。モデルエージェンシー社長の別荘で起こった殺人事件を描いたパズラーだ。問題篇の原稿を読んだ桂島刑事に、吉祥院は問いかける。“解決篇の名探偵役、すなわちオレは誰だ?”」
G「フーダニットパズラーという意味では、これが一番ストレートといえるのではないでしょうか。とはいえ、やはりその解法にはやはり一筋縄では行かないギミックが仕込まれていますから、読者が解くのは難しいでしょう。ここは素直に読んで驚くのが正解かも」
B「ミスディレクションを総動員という印象で、密度の高さは認めるがこれまたあざとい。もちろん私だって仕掛けは大好きだけど、読者を騙すためだけの仕掛けという印象が先に立つのは、本格として捉えるとどうも腑に落ちないんだよな。アンフェアとはいわないでおくが、正々堂々たるフェアプレイともいえないだろう。パーフェクトに騙されても爽快感がないのは、そのせいではなかろうか。ラストは書き下ろしの『名探偵は誰?』。交通事故に遭ってしまった先輩。加害者は楚々たる美女とて、さすがの先輩も落ち着かない。しかし気の毒だけど、美女には別の目的があったようだ……まあ、新本格らしいサプライズ狙いのボーナストラック。最後の最後まで驚かせてくれるのは確かだね」
G「おっしゃる通り、総じてパズラーとしては無理筋も多いのですが、サプライズ重視の系列の本格ミステリ作品集としては、ひじょうに質が高い。稀に見る純度の高さというか密度の濃さだと思いますね」
B「かといって、それが本格ミステリとしての密度の高さかというと、私は疑問だ。あくまでこれは、本格ミステリ的な技巧を駆使したサプライズ狙いのミステリというべきだと思う。少なくとも作者は読者を騙し、驚かせることに全精力を注いでいるわけで――読者に謎を解かせようなんて気はハナっから無いだろう。何度もいうけどそれが悪いというわけじゃないよ。本格ミステリとしては、重心の置きドコロをズラした異色篇だというべきだってこと」
G「非常に技巧的というか人工的な、サスペンスと本格ミステリのハイブリッド……北川歩実さんの一連の短編に近い印象ですかね」
B「うん、フーダニットとしてのひねり方の元ネタは、むろんマガーだろうけど、総体的な印象はそんな感じだね。その意味ではこれも、けっこう読み手を選ぶ作品かもしれない」
G「“被害者当て”の変形フーダニットなら、ぼくも書いたことがありますが……」
B「論外!」
 
●道を誤った巨匠……模倣密室
 
G「折原さんの新作が出ました。といっても叙述トリックものではありません。久しぶりの黒星警部シリーズの短編集――つまり密室パロディモノのユーモアミステリ集です。このシリーズが、ぼくは好きなんですよね〜」
B「折原さんといえば叙述トリックものの大家……というか、叙述モノしか書かないヘンなミステリ作家さん(笑)というイメージが強いかもしれないが、じつはデビュー作の『五つの棺』(後に2篇が追加されて『七つの棺』として東京創元社から刊行)は、この黒星警部ものの密室パロディ短編集だったんだよな」
G「そうですね。このシリーズの主人公である黒星光警部は、本来は警視庁捜査一課に所属する敏腕警部なんですが、その一方でミステリ、ことに密室を異常に偏愛するミステリマニアで、どんな事件でも“何が何でも密室殺人にしようとして”しまうんですね。そのため、しばしば単純な、フツーの事件をややこしく縺れさせたあげく失敗を繰り返す……というのが基本的なパターン。『五つの棺』(『七つの棺』)以降は、長篇の『鬼が来たりてホラを吹く』(1989年 後に『鬼面村の殺人』と改題)、『猿島館の殺人』(1990年)『黄色館の秘密』(1998年)に登場しましたが、今回久々にデビュー作と同じ短編連作で復活したわけですね。本作では埼玉県の白岡署に左遷されて逼塞中の身ですが、事件らしい事件が起こらない白岡でも反省の色は全くなく、事件が“密室っぽく”なってくると“ウヒョッ”と喜びの声をもらすクセも相変わらずです」
B「ちなみにこれまでの黒星ものでは『五つの棺』(『七つの棺』)と『鬼が来たりてホラを吹く』(『鬼面村の殺人』)がベストだろうな」
G「そうですね。ぼくもそう思います。――で、今回の新作は前述の通り『五つの棺』の系列に属する密室パロディが7篇。雑誌『ジャーロ』に2001年から2003年にかけて掲載された作品が中心になっています。相変わらずトリッキーかつパロディ精神旺盛な密室ものが中心なのですが、『五つの棺』よりバラエティに富んでいて面白いですね」
B「まあ、そうなんだが……これまで以上にひねくれた、ほとんどバカミス領域の作品も多くて。これはやっぱマニア向きという気がしないではないけどね……。じゃ、簡単に内容を紹介していこう。まずは『北斗星の密室――「黒星警部の夜」あるいは「白岡牛」』。牛の脱走事件というミステリのカケラもない事件の通報を受けた黒星警部。イヤイヤ現場に向かう途中で消防隊に遭遇し、これ幸いと同道したが、着いてみるとくだんの現場は火事の様子もない。ところが突如納屋に火の手が上がり、密室状態の邸宅からはバラバラ死体が!」
G「心理的に無理が多く実効性もきわめて疑わしいんですが、ともかくきわめて大胆かつ残酷、そして巧妙な密室トリックは、まさにバカミスの傑作ですね。こういう“非人間的なトリック”の発想が折原ミステリの最大の特長でしょう」
B「面白いには面白いが、説明が省略されすぎていて若干分かりづらい感じ。演出も手抜きが多くて、せっかくのトリックがいまひとつ活かしきれてないね。もったいないよなあ。次、『つなわたりの密室』は、取り壊し寸前の幽霊マンションで発生した密室殺人。窓以外出入りが不可能な3階の部屋に残された男の惨死体と別人の生首という不可能犯罪に、大喜びで挑戦する黒星警部だったが……無理のある設定だよなあ。他の収録作にもいえることだけど、パズラーとして読者が謎解きするのは、多分ほとんど不可能だよな」
G「なにいってんですか。そもそも黒星ものにそんな期待をしちゃいけません。バカミスはだしの奇想天外な謎解きに大喜びすれば、それでいいわけで。もっとも作者の悪意は単純にマニアを喜ばせてくれるほど生易しいものではないのですが……ちょっとバークリイっぽいかも(笑)。続く『本陣殺人計画――横溝正史を読んだ男』は、タイトル通りあの名作のパロディです。“旧本陣で密室殺人を起す!”大胆な殺人予告に大喜びで現場へ向かった黒星警部。なんと“あの名作そのまま”の本陣があり、離れがあり、そこで新郎新婦が初夜を過ごすのだという。……なんと倒叙形式でモノした“名作パロディ”という珍品。折原さんにとっては手慣れたテクニックが、ひとひねりした用法によっていちだんと効果をあげています」
B「まーこういうことを考え、しかも実行しちゃうのは折原さんくらいだろうねえ。パロディ本格の体裁だが、どっちかといったらサプライズ狙いだろう。それは次の『交換密室』も同じ。妻が死ねば金が入る、金が入れば傾いた事業もなんとか盛り返せる……酒場の独白を盗み聞きした男が持ちかけた、交換殺人計画。やがて妻は本当に密室の中で死体になっていた。いったいどうやって? 密室をミスリードに使ったどんでん返しはいかにもあざといが、この作家さんの場合、あざとければあざといほど面白いね。年季の入ったミスディレクションテクニックが鮮やかなサスペンスストーリィだ」
G「本格味は薄いのですが、おっしゃる通り作者のテクニシャンぶりがじつによく現れた一作ですね。マニアのツボを突きながら逸らし、外し、しゃあしゃあとサプライズを仕掛ける作者の手つきは、どこまでも冷徹です。続いて『トロイの密室』。会社社長が阿漕な手口で買い取り、改装した洋館で、そのお披露目をかねたパーティが開かれた。洋館には、その部屋で寝ると必ず死ぬと噂される寝室があるという。ところが宴の最中、洋館の元の持ち主から“棺”が届けられた……」
B「カーを思わせる大仰な設定だが、基本的にはこれもバカミス。短編のボリュームでこれをやるのはいささか無理な話で、仕掛けが活かしきれてない感じがする。むしろ、次の『邪な館 1/3の密室』くらいバカミスに徹した方が面白いね。まあ、超絶のバカ密室トリックは、設定が人工的すぎるだけに逆に分かりやすいともいえるのだが……実業家として巨額の財産を築いた老女傑が病を得て死期を悟り、日頃は疎遠にしていた3人の血縁者を呼び寄せた。誰が相続人に相応しいか、みずからテストするというのだ。3人の思惑が交錯したとき、とても信じられないような奇怪な事件が発生した」
G「この大バカトリックは凄いですよね〜。フツーの作家さんだったら、たとえ思いついても作品化はためらうのではないでしょうか(笑)。ラストは表題作でもある『模倣密室』。逃げ出した猿の捕獲に駆りだされ、うんざりしていた黒星警部。ひょんなことから管轄外の春日部市で起こった奇妙な密室事件に首を突っ込むことになります。ミステリ読みなら、すぐ察しがつくと思いますが、なんとまあ“あの作品”のひじょうに大胆なパロディです。折原さんにはタヴーが無いのか? 面白ければ何をやってもいいのか? ……いいんですね、この人の場合は(笑)」
B「まあ、無茶な話(笑)。これを面白がれるのは、マニアだけだろうなあ。――というわけで全7編。どれもこれも無茶すぎてほとんどシュールの域に達しているトリックや仕掛けのアイディアと、それとは裏腹な安モノドラマ風の超・通俗的な演出がまことにアンバランスで“とてもいい”。トリッキーではあるがストイックではなく、マニアックではあるがきわめて通俗。本格ミステリ的ではあるが、それでいて邪道。この独特の味わいはまさに折原さんならではのもので、他では決して賞味できない。なんちゅうか、最大の敬意を込めてこう呼びたいね。すなわち、道を誤った巨匠(笑)」
G「あんまりな言われようですが……言い得て妙ですね、それ」
 
●舞城流ミステリ神話……九十九十九

G「今年上半期の話題作の1つである『九十九十九』、行きましょう。今をときめく舞城王太郎さんの最新長篇です。これはせんに紹介した西尾維新さんの『ダブルダウン勘繰郎』と同じく、“JDCトリビュート”企画として書かれた作品ですね」
B「“JDCトリビュート”つーのは……また、説明すんの?……元祖脱格派ともいうべきメフィスト賞作家、清涼院流水さんの代表作に“JDC”シリーズというのがあって。ま、平たくいえば“必殺ワザをもった名探偵がー、ひと山幾らでざらざら出てきてー、万人単位で密室殺人を犯すようなー、途方もない悪人と闘うー、なんでもありの字で描いたマンガ――もとい小説、のごときもの”」
G「しまいに殺されますよ、そういうことばっかいってると。ともかく、脱格の先達であるこのJDCシリーズへのオマージュ(?)として、そのJDCの設定を借りて若手脱格派が書いた“それぞれのJDC”っていう感じの企画作品です」
B「いまんとここの企画に参加したのは、西尾さんと舞城さんだけだっけ。脱格派ってもっと他にもいなかった? ま、どうでもいいが、個人的にはそもそも脱格なんてジャンルは実態のあるものとは思えないし(だいたいあの三人が一つの“派”で括れるかっつーの!)、まして舞城さんが清涼院作品の影響下にあるとも思えない。強いていうなら共通点は“なんでもあり”っていうとこだけだね」
G「いや、他にもあるでしょ。ある種のトテツモナイ過剰さとか、本格ミステリ的なルールを片っ端から踏みつぶして驀進するスピード感とか……」
B「ま、そーゆータワゴトはともかくだ。舞城さん自身が、どういうおつもりでこの企画に乗ったのかはわからないけど、とりあえずこの作品は“JDCシリーズ”へのリスペクトもオマージュも感じないし、パスティーシュでもパロディでもない。ただの、堂々たる、チョー売れ線の、舞城作品そのものだ。ことさら“JDC”を意識してないし、読者の側もそれを気にする必要はむぁったくといっていいほどない」
G「まあ、ね。ことあらためて原典の流水作品を予習する必要はなさそうですけど、でも、“JDC”を読んで、九十九十九というキャラクタの設定をあらかじめ知っておいても、損はないかもしれませんよ」
B「個人的には“たいそう苦痛な時間を過ごすことになる”という大きな損があるような気がするが――ま、好き好きだからとやかくはいわない。あくまでここでは舞城王太郎作品としての『九十九十九』を論じるからね」
G「はいはい。じゃ、内容です。生まれた時から途方もない・想像を絶した美貌に恵まれていた九十九十九は、それゆえ誕生直後からトラブルに巻き込まれます。医者や看護婦は余りの美しさに卒倒し、美貌に目が眩んだ看護婦に誘拐され、美しすぎるので目玉をえぐり取られるなどなどなど。残酷で悲惨で滑稽で馬鹿馬鹿しい、常軌を逸した事件を、その意に反して巻き起こし続けます。やがて、そうした途方もない遍歴を重ねながら成長した九十九は、これまた常軌を逸した事件に次々に遭遇し、これを片っ端から解決していく名探偵となります。ありとあらゆるミステリガジェットをちりばめたようなそれらの事件は、やがて『聖書』創世記や黙示録を思わせ、次々と“次の”物語に飲み込まれながらさらに加速。究極の渾沌を目指して驀進していきます……」
B「……いままでいちばんわけわからんアラスジだな」
G「ううッ。だって難しいですよ、この作品のアラスジって。だいたいアラスジを語ってもほとんど意味が無いんだもの」
B「まあ、いいけどさ。そーいうわけでこの作品は、一言でいってしまえば、途方もないスピードで語られる舞城流ミステリ神話というところだな」
G「神話? というと?」
B「つまりだなー、これはあらゆるミステリガジェットを取り込んでぐっちゃぐちゃにかき回した渾沌を、神話的・寓話的なエピソードに載っけて、超高速度の口語体で喚き散らしたような作品というか。個々のエピソードのナマナマしい・タブーのない・リアルな描写とか、ミステリのお約束をせせら笑いながら突き崩すスタンスとか、一見いかにも強烈に見えるけど、お話の骨格は実は意外と古風なシロモノ。面白いっちゃ面白いが、刺激的なだけだったとしたらすぐ飽きる」
G「しかしこの圧倒的としかいいようのない筆力は、凄まじいばかりですよね。……なんちゅうか、よくわからないけどスゴイ、としかいいようがない。ミステリ的にも、例の“入れ子ドミノ構造”や“幻影城パズル”など、突拍子もない仕掛けがたっぷり詰まってて非常に刺激的でした」
B「ま、それもこれもあれもどれも“ネタ”以上のものではない――何よりもまず作者自身にとってそうなんだと思う。ともかくあらゆる意味でなりふり構わず・周囲の全てを/自分自身をぶっ壊しながらも全力疾走で走り続ける、その語り口が全てなんだよね。うかつに読者がストーリィがどうのキャラクタがどうの仕掛けがどうの時代性がどうのなんていってると、耳元で作者の高笑いが聞こえてくるんじゃないか? ……読み手を選ぶのは確かだが、まあ、読んどけと。読み終えたら廃棄してタダチに忘れろと。そーいう感じなんだよな」

 
●軽すぎるミステリ小咄……天使はモップをもって

G「近藤史恵さんの新作が出ましたね。『天使はモップをもって』は、1997年〜2001年にかけて雑誌『週刊小説』誌に断続的に掲載された7篇に書き下し1篇を加えた連作短編集です」
B「早い話がさしたる工夫も無い、これといって面白みも無い日常の謎派、と」
G「……出合い頭に往復ビンタですか。たしかに“日常の謎”派ではありますが、まったく没個性というわけではないでしょう。名探偵役のキャラクタと、その名探偵が活躍する舞台がいささか変っていて――これがシリーズの大きな特徴となっていますよね」
B「名探偵役を務める“キリコ”はオフィス清掃のプロフェッショナル。二十歳そこそこのうら若い美女なんだが、たった一人で七階建てのビルの清掃を任され、これを完璧にこなしているという。なんちゅうか(半年にいっぺんくらいしか掃除をしようとしない)キミの会社にぜひ欲しい人材(笑)。でまあ、そんな彼女がそのオフィスで遭遇した奇妙な出来事=日常の謎を解いていく、というのが基本的な設定だな」
G「ついでにいえば、語り手/ワトソン役は彼女が清掃しているビルにオフィスを置く会社の新入社員、大介で。この大介クンとキリコのほのかな恋の行方が、シリーズ全体のバックスト―リィでして、これがラストの書き下ろしに繋がる連作短編ならではの仕掛けです」
B「ま、そのタワケた・都合のよすぎる・胸くその悪くなるような、恋物語の行方については後で論じるとして。簡単に内容を紹介しよう。第一話は『オペレータールームの怪』。入社早々、女の園であるオペレータールームに配属された大介クン。皆に可愛がられ(オモチャにされ?)る大介だったが、なぜか彼が預かった書類が連続して無くなるというトラブルが。誰の嫌がらせなのか? ……つまらない謎がしょーもなく解かれる、まことにどうでもいい話」
G「次は殺人事件ですね。『ピクルスが見ていた』。キリコを手伝って深夜に清掃作業を行なっていた大介クン。ところが2人が気づかぬうちに、非常階段で出入りの生保会社社員が殺されていた……ミステリとして他愛ないネタといえばそれまでですが、事件の構図は意外なほど複雑で、容易に先を読ませません」
B「っていうか無理矢理な話なだけよね、それ。次は『心のしまい場所』。秘かに流行の兆しを見せるマルチ商法。そんなものに引っ掛かりそうもない、しっかり系の女性社員が、なぜかそれに興味を示すのはなぜ? これまた登場人物の心理が不自然すぎて、作りもの臭さの方が前に立つ」
G「続きましては『ダイエット狂想曲』。オペレータルームでダイエットが流行し始めた。ところが派遣社員の女性はなぜか拒否反応。彼女に隠された秘密とは何か――まあ、謎もツイストも他愛ないもので、真相もすぐに察することができちゃう素直さなんですけどね。他の作品もそうですけど、軽いミステリコントとして読めば楽しめます」
B「それでいいのかねえ。『ロッカールームのひよこ』はロッカーでの盗難騒動の話。ロッカーの中で生きたヒヨコが見つかるという妙な謎があるけど、これも不自然というか、根本的に無理のある話だね。それは次の『桃色のパンダ』も同じだな」
G「ふむ。上司がデスクに置いていたマスコットのパンダが“殺される”という謎は、ありきたりですが魅力的でしょう。いうまでもなくトリックは“あの古典的名作短編”のバリエーションですが、応用の仕方が面白いし、キリコの解明の論理もなかなかスマートです」
B「そうかねえ。この程度で喜ばなきゃいけないのかな。ラス前の『シンデレラ』は、キリコに向けられた悪意――始業前のトイレを墨汁で汚すやつは誰だ? ストレートだよなあ。謎-解決がびっくりするくらい一直線。枚数的な制限はわかるが、もう少しなんとかならないのか? というわけで。物語の舞台を1つの会社の中に限定したところがアイディアといえばアイディアなんだろうけど、作者にはその縛りを謎解きに活かせるほどのイマジネーションもテクニックも無かったという感じ。『天使はモップをもって』なーんていう軽やかなタイトルとは裏腹に、謎解きとしても物語としても窮屈というか、不自然なものになってしまっているね。謎解きに対する配慮を欠いたまま、キャラクタ優先で書くとこういうことになる」
G「そうはいいますけどね、初出の媒体や与えられたボリュームからすれば、謎解きの比重が軽めでサラサラ読めるというのは、まあ作者が意図した通りの仕上がりなんではないかなあ。単行本化に当たっては、書き下ろしの後日談、『史上最悪のヒーロー』を付けていわゆる連鎖小説の体裁も整えているし、悪くない読物だと思いますけどね」
B「問題はその『史上最悪のヒーロー』における、キリコ・大介のラブストーリィのオチの付け方だよ。簡単にこの書き下ろしの内容を紹介しておくと――母親が病気になったため、急遽結婚した大介。ちょうど同じ頃キリコは仕事を辞めて姿を消し、数ヶ月が経っていた。新婚にも関わらず妻との距離を感じ、思わず“あの頃のキリコ”を探してしまう大介。ところがそんな彼の前に別の会社で掃除をしているキリコが現れる、というわけで。大きなサプライズが仕掛けてあるお話なので詳しくは説明できないんだが……このサプライズ演出はちょっとズルいとは思わんか?」
G「え、そうですか? 非常に大胆かつ巧妙で、しかもきわめて意表を突いた落し方でしょ。ぼくは非常に感心しましたよ。トータルな連鎖小説としての体裁も奇麗にまとまった感じだし」
B「アホか! あれのどこがトータルにまとまっているんだよ。あのどーしようもなく陳腐でツマラナイ、しかも男の論理に絡めとられたような結末は、前段で念入りにこさえたキリコのキャラクタのユニークを台無しにしてるじゃないか。はっきりいって、あの書き下ろしに登場するキリコはそれ以外の作品のキリコとは全くの別人としか思えない。どうしてあーんな通俗極まる予定調和のエンディングに当てはめなきゃならんのか……まったくさぁ、物語にはそれぞれ必然的な終わり方っつーものがあるはずだ。読者がみんな予定調和のハッピーエンドで喜ぶと思ったら大間違い! 少なくともわたしゃ心底がっかりしたよ。ついでにいえば、あのサプライズ演出も納得しがたいんだけどね」
G「そ、そうかなあ。びっくりしたけどなあ」
B「アホか! ほんまにアホか君は! 視点人物の語り方がなんぼなんでも不自然すぎるじゃんよ! サプライズが欲しいばっかりに、無理に無理を重ねた作者の不細工極まる演出じゃん。彼にはそうする必然性なんて何もないのに……なんぼ何でもあざとすぎるというか、あれじゃ読者を欺いているといわれても仕方がないだろう。読者はだれでも驚されれば喜ぶと思ったら、大間違いだよ!」

 
●邪険な扱い……風水火那子の冒険
 
B「思うのだが。本格ミステリというのは、基本的に楽しいものであるべきだと思うんだよな。どんなに悲惨な・悲劇的な事件を語っても、どんなに重たい話になっちゃっても、本格ミステリであるかぎりはそれはやっぱり楽しいものであるべきなんだ。――もちろん例外は多々あろうし、あくまで極論すればの話なんだけどね――ともかく基本、楽しいものでなくちゃいけないって気がするの。なぜなら本格ミステリというのは、人の死をネタに洒落のめして遊ぶ、ある意味不謹慎極まるエンタテイメントだから。だからそれが中途半端に深刻だったり憂鬱だったりすると、ひどく興醒めしちゃうというか……つまり洒落にならない、んだよな」
G「な、なんですか、いきなり。今日は山田正紀さんの新刊『風水火那子の冒険』をGooBooするんですよ!」
B「だからだよ。だから、私はいつも山田さんの書く本格ミステリに対して点が辛いの。本格としてのアイディアや仕掛けはすんげー面白そうなのに、どうしてこういつもいつもじつにつまらなそうに書くんだろう。重ったるく憂鬱になっちゃうんだろう、ってね。で、この新刊『風水火那子の冒険』も、やっぱりそうなんだよなあ」
G「ふむ。ま、ともあれデータを述べておくならば、これは雑誌『GIALLO』に2001年冬号から断続的に掲載された中編シリーズ“風水火那子”ものをまとめた一冊。卓越した推理力を備えたさすらいの新聞配達人・風水火那子の活躍を描く本格ミステリシリーズです」
B「じゃあ順番に見ていこうか」
G「ええ、ではまずは『サマータイム』。舞台は夏の終わりの海水浴場です。閉店も間近い海の家のシャワールームで、女性の全裸死体が発見されます。しかし店員のだれ一人、彼女に見覚えが無い……被害者の正体は? 特に派手な謎の演出もないシンプルなフーダニットなんですが、理詰めの謎解きが前面に出たパズラー色の強い作品。山田さんの本格としては驚くくらいまともです」
B「丁寧ではあるが、謎解きロジックのポイントになっている箇所がいずれも脆弱で、推理全体に切れ味がないんだな。どこか微妙にロジックのツボを外している感じで……一見いかにも緻密風なのに、ちっとも本格ミステリのロジックとしての緻密さになっていない気がするんだよ。例によって、本格ミステリが本格ミステリらしさをもっとも発揮するパーツを、実につまらなそうに書いているんだよね。犯行動機に関わる犯人の哀切な思いも、どうもそれじたい間が抜けている感じで、もう一つ伝わってこないな」
G「じゃ次。『麺とスープと殺人と』。7軒もの郷土ラーメン屋が軒を連ねしのぎを削るラーメン横丁で、取材に訪れた料理評論家が殺された。その直前、評論家は、あちらの店ではトッピングだけを、こちらの店では手も付けず、かと思えばあちらでは全てを平らげるという、いかにも奇妙な食べ歩きをしていたという。被害者の行動の意味はなんだったのか。さてまた彼が死の直前に呟いた“真相が……ソーキ……”という言葉の意味は?  これはバカミスでしょうね。ナンセンスな設定にバカ推理も次々飛びだし楽しい一編になっています」
B「楽しいかなあ。私にはちっとも楽しくなかったなあ。バカミスな設定でありプロットであるのに、作者はそのネタをなんとも憂鬱そうに退屈そうに、ユーモアのかけらもない筆致で語っていくんだ。発想はバカミス、筆は社会派というところだろうか。眉間に深い皴を刻まれたままおフザケのバカミスネタを語られても、興醒めするばかりだね。その意味では、まだしもその語り口が内容にフィットしていたのが『ハブ』だね」
G「こちらは一転してサスペンスあふれる、刑事物アクション風ですね。疾走するリムジンバスの客席に爆弾が仕掛けられた。客が立ち上がれば即爆発というその爆弾シートに、座っていたのは風水火那子だった。他の乗客を退避させ、爆弾処理班の到着までつきそうことになった刑事に対し、火那子はヒマつぶしに“おもしろそうな事件”の話をリクエストします。……ヒロイン自身には緊迫感などみじんもないんですが、極限状況下での安楽椅子探偵という、ちょっと面白い趣向ですね」
B「刑事の話す“おもしろそうな事件”は、これまた被害者の残した奇妙な一言から推理を巡らせるフーダニットパズラー。『麺……』もそうだったが、言葉をネタにしたトリックやロジックが、この作者さんは好きらしい。でも、謎解きのキーポイントにするには、この手はもう一つ説得力に欠けるのが困りもの。ミステリ中の謎解きとしては、回りくどく複雑な割に効果が弱いんだよね」
G「でも、その“作中作”の謎解きの、さらにその先にある“額縁の事件”のどんでん返しが実に鮮やかですよね。三段跳び論法の強引な推理に基づいたどんでん返しですが、これには見事に意表をつかれ、思わず膝を打ちました」
B「まあ、あそこはたしかに奇麗に決まっていたよね。ああいう変則技の方が得意なのかな、やっぱ。ラストの『極東メリー』はいわゆる“メリーセレスト号もの”。航行中の船舶から乗員が1人残らず消失し、密室状態の船室には死体が一つ。ついさっきまでそこにいた気配だけが所々に残っているという怪異だ。いかにもタイムリーなネタなのはわかるけど、トリッキーな謎解きメインの話のなかでは、この“背景”が逆に邪魔臭い気がする。密室トリックもしょうもないしねぇ」
G「ですが、たとえば食器や食べ物が温まっていたのは何故か、船員が全員姿を消したのは何故か、という“メリーセレスト号もの”としては定番の謎に関するこの作品の解釈は新鮮で、なかなか面白かったですよね」
B「まあ、そうなんだが……この密室トリックのネタと組合せると、いささか矛盾が出てくる気もするなあ。まあとりあえず、そういうわけで本格としてのアイディアには面白いものがいっぱいあるのに、なぜかそれが活かされていない。というより、何度も言う通りわざわざ矮小化し、“つまらないもの”としていわば邪険に扱っている感じがしちゃうんだよな。もはや大ベテランの域にある巨匠に対して僭越きわまるいい方だけど――このネタで他の若い作家さんに書いてほしい。なーんて思っちゃったぞ!」
 
●見せながら隠す……Angels―天使たちの長い夜

G「正直いって篠田さんの作品の、ぼくはあまりよい読者ではないので、実は氏の作品の中での位置づけとかよくわからないのですが……なんか“本格ミステリしてるゾ!”みたいな話を聞いたので読んでみました。篠田真由美さんの新作長篇『Angels―天使たちの長い夜』です」
B「これは“建築探偵桜井京介の事件簿”シリーズの番外編だな。このシリーズのレギュラーキャラクタの1人である“蒼”こと薬師寺香澄の、高校で起こった殺人事件のお話。たしかにシリーズ本編よりも本格ミステリ色が強いということはいえるかも。ま、あくまで相対的に見てそういえるだけなんだけどね」
G「するとシリーズ読者にとっては、この“蒼”こと薬師寺君の活躍がお目当てになるんでしょうかね。実際には薬師寺君は視点人物ではないし、名探偵役を務めるわけでもないんですが」
B「そうねえ、薬師寺君はこの物語の中では、期せずして事件の方向を決定的に変えてしまうキーパースンってトコかな。ちなみに視点人物は、薬師寺君の親友である結城翳というキャラクタだ。んじゃま内容を」
G「はいはい。えーっとぉ、舞台は夏休みの高校のキャンパスというか校舎内です……夏休みのある日、それでもクラブ活動や様々な所用でけっこうな数の生徒が登校していた私立向陵高校で、仕出し弁当を食べた教師たちが食中毒で倒れてしまいます。教師たちは揃って病院に運ばれ、結果として学校は奇妙な大人不在の“無政府状態”に。もちろん多くの生徒は指示にしたがい下校したんですが、様々な経緯で15人の生徒が居残っていました。やがて彼らは見知らぬ中年男の刺殺死体を発見し、その直後、防犯システムが作動して門扉が閉まります。さらに監視カメラが周り始め、とうとう死体と共に学校に閉じこめられてしまったのです!」
B「むろん、本気で抜け出そうとすれば脱出は容易い――が、カメラに映った姿を見られれば痛くもない腹を探られることになるだろう。後難を怖れた彼らは、考えたすえ翌朝の開門時間まで校内で一夜を過ごすことを決める。だがくだんの中年殺しの犯人が、自分たちの中にいることに気づいた時、15人は“自分たちのけじめとして”犯人の正体を探るべく、推理を闘わせ始めるのだった。……殺人を教唆するアジビラ、家庭内で起こった陰惨な殺人の噂、1人の生徒の呪わしい過去、そして、そんな彼らの鬱屈した感情を操る謎めいた存在、“Angel”……縺れはじめた推理の行き着く先に、それぞれの心の闇が暴かれていく」
G「一夜限りの閉鎖状態のなか、犯人も探偵もその15人の高校生たちの中にいる。そして15人は、夜明けまでのうちに真相を突き止めようと推理を闘わせる。――というわけで、これは変則的ではあありますが、いわゆるミス研ものによく似た構造を持った、クロースド・サークルものの本格ミステリといえますね」
B「まあ、学校ものパズラーの典型的なスタイルを衒いもなく踏襲したプロットといえるだろうな」
G「生徒たちが推理を闘わせる多重解決的な趣向も用意されていますしね」
B「とはいえ、実際にはそれらはあくまで趣向という以上のものではない。謎解き論議自体の面白さなんてほとんど無いしさ、名探偵役の推理もまた行き当たりばったり。犯人自身の証言における矛盾の指摘が唯一決定的な手掛かりとされて――後はごくありきたりの手掛かりが、ごくありきたりに組み合わされていくだけ。閃きもなければ面白みもない、ごくごく陳腐な謎解きなんだよな。まあ、そもそも犯人の計画にもトリックらしいトリックなぞありゃしないし、ミスリードなどの仕掛けもほとんど行われていない。犯人の隠し方もごくごくシンプルときては、そうなっちゃうのも仕方ないのかもしれないけどね」
G「ま、おっしゃる通り謎解き自体はごく単純なものなので、読者が実行犯を指摘するのはさほど難しくないですしね……謎解きに関しては少々物足りないかもしれません。ただし、事件の陰で糸を引いている“Angel”という謎めいた存在がスパイスとなって、ミステリとしてのリーダビリティはけっして低くありません。“Angel”自身の正体も、これはかなり意外でしたしね。ぼくは期待していた以上に楽しめましたよ」
B「んーまあそうなんだけど、“Angel”の正体に関する推理も、これまた矛盾指摘方式の一点突破で……謎解きとしてはやっぱおおいに物足りないよなあ。まあこの作家さんの作品では、わりとありがちなことだけどね」
G「でもですね、たとえばその“Angel”の正体に関する手掛かりの提示の仕方、というか組合せの仕方はなかなか気が利いていたとぼくは思ったんですよ。なんちゅうか、読者に“見せつけながら隠す”というテクニックが奇麗に決まっている。真相を読んだときには思わず膝を叩きました」
B「きみのアタリ判定は甘いからなあ。まあ、基本的には若い理想や屈折や鬱屈といったウダウダが絡み合う青春の物語っつーところが、作者の書きたかったトコロなんだろうからねぇ。あまり本格としてどーのこーのいっても仕方がなさそうだ。もっともわたしは青春小説としてもあまり感心できなかったけどね。なんかこう手垢のついた通俗的なネタが、さしたる工夫もなく、しかし書き方だけはやたら大仰に描かれてて……これもやっぱり、むちゃくちゃ興醒めだったなあ、と」

 
●好対照……首切り坂

G「新人さんのデビュー作と参りましょう。相原大輔さんの『首切り坂』は、光文社の新人賞“Kappa-One登龍門”の受賞(?)作品。相原さんはこの“Kappa-One登龍門”の第2期生としてのデビューということになります」
B「“Kappa-One登龍門”というのは、差し詰め“メフィスト賞”の光文社版。既成作家の審査などを排して、同社の編集者が直々に審査・育成にあたる新人賞であるらしいね。ちなみに今回が第2期ということになっているけれども、第1期は同社のアマチュア短編公募本『新・本格推理』の常連投稿者から選ばれた4人だったから――まあ新人賞としては、今回が事実上の第1回というべきなんだろうな」
G「ライバル会社と同じようなコンセプトの賞を作っても仕方がないような気がするのですが、そこはそれ。『首切り坂』を読んだ印象では、“メフィスト賞”の受賞作とはだいぶん雰囲気が違いますね。若さと破壊力が売りのあちらに比べ、“Kappa-One登龍門”はぐっとオトナの成熟した読物が売りなのかな、と思いましたよ」
B「多少は差別化を意図したのかもしれないけどね。でも、この賞だって続くラインナップを見ればそうでもないようだな。なんせ求めるのは“21世紀の新たな地平を拓く前人未到のエンターテイメント作品”だそうで……要するに何でもありってことだろう。ま、どうでもいいじゃん。内容いこ内容」
G「了解です。舞台となりますのは、明治も末頃の帝都・東京。ある晩――神経衰弱の気がある一人の銀行員が、寝つかれぬ身を持て余して深夜の散歩に出かけます。人気の無い夜道をあてどなく歩くうち、フト差しかかった坂道。何の気もなく上り詰めると、粗末な祠に四体の地蔵が並んでいます。いずれも無惨にも毀たれ、首を無くした地蔵……しかし、おかしなことにそのうち一体だけに、なぜか首がある。不審に思った男がさらに見つめると、無惨。切り落とされた男の生首が載せられていたのです」
B「かくて帝都を震撼させる連続首切り殺人が発生する。次々と切られた首はなぜかきまって地蔵の首に乗せられ、さらに付近には謎めいた狐面の怪人までもが出没する。じつはこの地蔵、江戸の昔から“同じような事件”を起していたのだ。人か、魔か。人ならばなぜ首を斬り、それを地蔵に載せるのか。物語は驚愕のラストに向かって驀進する――!」
G「明治末とはまた難しい舞台を選んだものですが……この新人さんは達者ですね。新人らしからぬかっちりした筆で時代色もよく出ていますし、過去の怪談噺をからめつつ行なう怪談風の演出も堂に入ったもの。本格ミステリとしては、じつは1アイディアの、それも相当に人を喰ったバカミス系のネタが核になっているのですが、ハウダニット、ホワイダニット、フーダニットをバランスよく排して、しかも、そのポイントをずらすミスディレクションによってきれいに騙し、どんでん返しを決め、着地もスマート。端正にまとめあげていますよね。最近の本格ミステリ系の新人としては上の部と見ますが、いかがですか?」
B「まあ、先輩格の“メフィスト賞”は、ライノベ・青春エンタはいざしらず、本格分野に関してはどうも地盤沈下が著しいからなぁ。相対的によく見えちゃう、というか、まともに見えてくるのも仕方ないだろうな。しかし、本格ミステリとしてみると、少々コンパクトすぎるというか。バカミスなネタの割には、妙にちんまり小さくまとまりすぎて、オープニングのただごととでない怪異譚ぶりからすると、落とし所はがっかりするくらいセコい。なんかこう、“大失敗したときのカー”みたい」
G「まあ、たしかに核にあるバカミストリックは、明かされてしまえば、“あああれか”というくらいの誰でも知ってるネタなんですが、作者はそれをホワイダニットのベールでくるんで巧みにミスリードさせています。よく考えられているじゃないですか」
B「ていうか無理だろう! アレ。どう考えてもああはなるまい。しかもそれが連続するなんて、ありえねー! って感じ――バカミス調で書かれていれば納得もできたかもしれないが、なまじ達者な筆で“マジ書き”されてるもんだから、ラストのコレには思わず脱力しちゃうんだよね。名探偵の謎解きだってトビキリの三段跳び論法で、論理もくそもありゃしないし」
G「ネタと調理法がフィットしてないってことですかね。構造的には確かにそうかもしれないんですが、ぼく自身はさほど違和感は感じませんでしたよ。むしろ、無茶なネタを作品世界に巧みに取り込んで消化していると思ったけどな」
B「たしかにそうなんだよね。裏返せば、そうすることで作者はこのバカミスネタの臭みをとことん抜いてしまったわけでね。本来もっと強力であって然るべきこのネタの破壊力を、どーにもチャチな落咄にしちゃった嫌いがないではない。作品としての完成度は高いけど、本格としてミステリとして、突き抜けていくものがないのよね。その意味で、メフィスト賞の一部の作家さんたちとは、じつになんとも好対照といえるかもしれないね」

 
●どこまでが人間なのか……迷宮百年の睡魔

G「森博嗣さんの新作長篇が出ていますね。その新作『迷宮百年の睡魔』は、2000年に出たSFミステリ長篇『女王の百年密室』に続く“女王シリーズ”(なのかな?)第2作。筆の早い森さんにしてはずいぶん間が空きましたよね」
B「だねえ、てっきり前作はノン・シリーズの単独作品かと思ってたよ」
G「この新作は主人公ら数人のキャラクタが共通しているだけで物語としては独立していますから、こちらだけ読むことも不可能ではないんですが……じつはけっこう“深いところ”で前作とのリンクがたくさん張ってあって。だから前作『女王の百年密室』を読んでおいた方がより楽しめるでしょうね」
B「だな。内容的には、前作と同じ世界観――科学技術の進歩によりエネルギー問題が永久に解決され、戦争などの紛争がほとんどなくなった未来。国家という枠組みもほとんど消滅し、人類はそれぞれ民族や文化圏ごとに独自のサークルを作って、変化も刺激もない平和な日々を生きている――のもとで展開される“ミステリ仕立ての異世界SF”ということで、これも前作と同じだ」
G「最近の森作品の中では、個人的にはいちばん楽しめる作品でした。首無し死体という定番的ガジェットを配した異世界本格としても、また、巨大な秘密を蔵した“閉ざされた迷宮の島”を舞台にした異世界SFとしても、よく練り込まれ、過不足の無い充実した仕上がりだと思います。森さんとしては珍しくアクションシーンもあるし、細かいトリックや仕掛けも豊富。単純なリーダビリティという点でもかなり上位の作品なんじゃないでしょうか」
B「森作品といえば、ここんとこワンアイディア・ワントリックのシンプルな仕掛けで勝負する、“スマートだけど食い足りない”作品が多かったからね。それらに比べれば、たしかにこの新作はネタは豊富だし仕掛けも多い。相対的な充実度は高いといえるんだけど、さて、それが読了後の満足感に繋がったかというと――どうだろうね。まあまずは内容をご紹介していこう」
G「ですね。では――『女王の百年密室』事件から数年後。エンジニアリング・ライターのサエバ・ミチルは、新たな取材対象として謎と伝説に包まれた島、イル・サン・ジャックを選んだ。そこは600年前に建設され“地理的にも孤立し、情報公開を拒絶した完全閉鎖型のサークル”。周囲を海に囲まれ、たった一本の道で陸地と結ばれた迷宮の島だった。数百人の住人は、閉ざされた宮殿モン・ロゼのオーナーに統治され、外界との接触を断っている。……しかし、それまであらゆるマスコミの取材を断ってきたこのイル・サン・ジャックが、なぜかミチルの取材依頼に応じたのだ。早速ミチルはパートナーのロボット・ロイディと共に、この地へ向かう」
B「陽光に包まれた島は、しかしひと気がなく、わずかに見かけた住人も奇妙なほど口数が少ない。訪れた宮殿で、女王メグツシュカと会ったミチルは、自分が女王に招かれたことを知るが、しかしなんのために招いたのか――女王の意図はわからない。やがて深夜、再び宮殿に招かれたミチルがメグツシュカの“息子”である若い王と話しているとき、事件の知らせが届いた。宮殿の僧侶長クラウド・ライツが、自身が長年かけて描いていた大きな曼荼羅の砂絵の上で首無し死体となって発見されたのだ。この地では前例の無い大事件に興味を持ったミチルが秘かに捜査を進めるうち、あるトラブルから彼自身が事件の容疑者にされてしまう。潔白を証明するには真犯人を捕まえるしかない……」
G「まず、このイル・サン・ジャックという舞台は、これはやはりフランスのあのモン・サン・ミシェルがモデルなんでしょうね。読んでいてすぐにあの風景が思い浮かびました」
B「まあ誰が読んだってそう思うだろうね。モン・サン・ミシェルは超有名な観光地でもあるし。あそこ自体、見るからにミステリやファンタシィの舞台に相応しいカタチと来歴をもっているもんなあ。でも、実際にはモン・サン・ミシェルを舞台にした小説なんて読んだことがないし、あそこでロケした映画ってのも見たことがない……そういう作品ってあるのかね?」
G「どうでしょうか。モン・サン・ミシェルがフィクションの舞台になったという話は、ぼくも聞いたことが無いですね」
B「まあ、ともあれ。森さんはこの架空の島イル・サン・ジャックを、現実のモン・サン・ミシェルを遥かに超える数々の巨大な謎と伝説で包み込み、強烈な“世界の謎”を創りだしているね。ロボット・ロイディのシステムを狂わせる怪現象。街を囲んでいた森が一夜にして海になり、海は一夜にして砂地になるという奇蹟。そしてその奇蹟に“疑問というものを感じない”無表情でよそよそしい住人たち。隠された女王の意図、“王”の主人公への異常な執着……」
G「そして、なぜ首を切ったか? どうやって首を切ったか? なぜ主人公の来訪と同時に事件が起こったのか?――といった、本格ミステリとしての定番的な謎もひっくるめて、“全ての謎”がこのイル・サン・ジャックという魅力的な舞台の“世界の秘密”という一点に集約されている。さらにいえば、前作とも関連してくる“主人公自身の秘密”とも密接にリンクしてたりして。……この縦横に張り巡らされた伏線と、それを見事に活かした精密無比なプロットワークの美しさは、はっきりいってタダゴトではありません」
B「ただ、小説としての構造はあくまでSFとして、というかそのためのそれであってね。裏返せば、そのSFとしての達成のために本格ミステリとしての仕掛けはかなりの部分が犠牲になっている。キミのいう通りミステリ的には“なぜ首を斬ったか?”というホワイダニットがメインの謎となるわけだが――これは有り体にいって、本格ミステリ的な文脈では解決しにくいだろう。つまりアンフェアに近いんだよね」
G「いや、そんなことはないでしょう。アンフェアってことはないと思うな。SFミステリという前提に立てば当然“アリ”ではないですか」
B「そうだとしてもさ。そうだとしても、読者が与えられる手掛かりは十分とはいえないし、そのための伏線もまた不足しているように思える。そもそも謎解きは、わたしら凡人には持ちえない直感と思考によって行われるわけだしね。ともかくそうやってホワイダニットの解決をSF的な文脈で行ったがゆえに、ハウダニットとフーダニットの解決は本格ミステリとして“やっちゃいけない”レベルの卑小な解決にならざるをえなかったわけで。本格ミステリ的な意味でのサプライズは、最初からほとんど無効化されているということになるわけだ」
G「うう〜ん、そーかなあ。でも、それは逆なんじゃないかな。本格ミステリとしての“そのアンフェアさ”や“やっちゃいけないレベル”をあえて使うことによって、この作品は、SFとしてきわめて興味深いテーマを効果的に打ちだすことに成功している――そうもいえるんじゃないでしょうか」
B「そうか? いや、たしかに『女王の百年密室』同様に、これはミステリ的な体裁を取ったSFだと思うけどさ。作品の中核にある“世界の秘密”は、それ自体SFネタとして斬新なものとはいえないと思うぞ」
G「ええ、そうですね。アイディアとしては、むしろ使い古されたものでさえあるかもしれません。そういう単純な意味でのサプライズは、SFとしても本格としても、だからさほど強烈ではないでしょう。でも、このように“ミステリを犠牲にしたミステリ的意匠”を採用することによって、そのSF的アイディアの“意味”を深く、鋭く追求したユニークな作品となったのは間違いないと思うんですね。繰り返しになりますが、“このテーマ”が“こういうカタチで”饗されることによって、非SF読みの読者にも、わりとすんなりSF的視点を得ることができる……そんな気がするわけで。これってけっこう大きいことなんじゃないかな」
B「ふむ。どこまでが人間なのか。いや、人間とはどこからどこまでをいうのか。身体感覚ということへのこだわり……か。森さんの年来のテーマという感じだな。その意味で私も、森さんの作品群においても重要な一作と認めるのにやぶさかではないけどね。そうそう、“今は不思議でも、いずれ明らかになります。不思議とはつまり、将来の理解への予感ですね”――なーんてセリフを吐くこの作品の“女王”は、まるでもうひとりの真賀田四季のようで、とても魅力的だったね」
G「ですね。ともあれ、こーゆー小難しい議論を抜きにして、これが素敵によくできた・素敵に面白いSFミステリ・エンタテイメントであることは確かです。SFが苦手というミステリ読みさんにぜひお薦めしたい一作ですよ!」

 
●弛めの怪盗モノ・コミック風味……怪盗クイーンの優雅な休暇

G「はやみねさんの“怪盗クイーン”シリーズの第二作が出ましたね。『怪盗クイーンの優雅な休暇』、前作と同じく講談社の“青い鳥文庫”からです」
B「周知の通りこの方はもともとジュブナイル畑が専門の兼業作家さんだったんだけど、同じ叢書から出ている“名探偵夢水清志郎事件ノート”シリーズで絶大な人気を博し、最近作家専業になられた。“怪盗クイーン”シリーズも、もともと“夢水清志郎”モノの一作に登場したサブキャラの“怪盗クイーン”が分離・独立して始まったシリーズだ」
G「タイトルを見ればわかるとおり、コミックやアニメはいざ知らず、小説の世界では昨今たいへん珍しい怪盗ものですが、たとえば乱歩の“二十面相”もののような名探偵VS怪人のストレートなタイプとはまったく違いますよね」
B「妙な言い方になるが、怪人色・ミステリ色は薄いよね。乱歩のジュブナイルの怪しさ・いかがわしさなんてものはないし、“夢水清志郎”モノみたいなトリッキーさもない。コミカルでマンガチックでロマンチックな怪盗サスペンスというところか。」
G「ジュブナイルらしからぬマニアックな仕掛けの充溢する“夢水清志郎”モノが、いささか子供向けの域を逸脱しがちであるのに対し、こちらはあくまで子どもが楽しく気楽に読める冒険ものに仕上がっています。当然、ミステリ的な興趣はほとんどないのですが、気楽に読めるエンタテイメントとして、これはこれで悪くない気がします」
B「じゃまあ簡単にアラスジを――不可能を可能にする・神出鬼没の・スタイリッシュな怪盗として世界に名を馳せる怪盗クイーン。拳法の達人である助手のジョーカー、世界最高の人工知能RDと共に、スーパー飛行船トルバドゥールで世界を駆け巡る彼のもとに、豪華客船クルージングへの招待状が届く。招待状の主はかってクイーンに苦汁を飲まされた大金持ち。罠の香りがぷんぷんする招待だが、おりしも“今年はもう三回も仕事をしたから休暇を取りたい!”と駄々をこねていたクイーンは、これ幸いと大喜びで出発した」
G「かくて豪華客船に乗り込んだクイーン一行。美貌の伯爵夫人に変装し、のんびり休暇を楽しむつもりでしたが、そうは問屋がおろしません。船内にはおとりのエサとして飛び切りの宝石コレクションが用意され、ご丁寧にクイーンの知らぬうちに犯行予告状まで到着済み。しかも宝石を守るのは名探偵の誉れも高い探偵卿ジオット、そして刺客として雇われた謎の暗殺集団やクイーンの名を語る“怪盗”まで登場し、まさに危険が一杯。絵に描いたような罠に、“だからこそ挑戦するのが怪盗の美学”と嘯くクイーンの華麗な活躍やいかに!」
B「アラスジを読めば解るとおり、実になんとも賑々しく華やかで盛りだくさんの内容。――とはいえ個々のエピソードにはさしたる工夫もなく、キャラクターもひっくるめて全て“いつかどこかで見た”ような既視感あふれる展開で、正直意外性などかけらもないんだな」
G「たしかにこのシリーズは、の怪盗モノの定番をなぞりつつそれをややマンガチックにデフォルメした感じではありますね。ですが、だからこそ気負いのない筆致はあくまで軽快。ジュブナイルとしては結構な大冊もスイスイ読めちゃって、これでなかなか楽しい読書経験でしたよ」
B「まあ、軽さというか他愛なさがウリみたいなシリーズだからなあ。細かいこと云うても仕方がないのだが……それにしてもいくらなんでも主人公は超人過ぎないかねえ? たしかに“不可能としか思えない危機”を “涼しい顔でスマートにクリア”するのは怪盗ものの定番というべきお楽しみだけど、クイーンの場合あまりにも超人過ぎ、エピソード自体もご都合主義すぎてるんだよな。だから作者がどんな大仰な危機を用意しても、それが“ちっとも深刻な危機に見えない”んだ。結果、サスペンスもスリルもてんで盛り上がらないというわけで。とびきり派手な設定が用意されている割にはびっくりするくらい平板な印象だよ」
G「んーでも、暗殺集団との連続バトルや探偵卿との知恵比べなど、トリックや仕掛けは、軽いながらもたっぷり用意されていたじゃないですか? 怪盗らしい機知もそれなりに発揮されてたと思うんですけどね」
B「だから、そのあたりの作り込みがすっごく緩いのよ。あのマニアックな“夢水清志郎”モノと同じ作家が書いたとは思えないくらい幼稚なアイディアばっかしで、とても満足できるものではないなあ」
G「いや、だってこれはそもそもジュブナイルなんですからねえ。これくらいの緩さの方が、子どもには多分わかりやすいはずだし、“夢水清志郎”モノの方がイレギュラーなんじゃないかなあ」
B「キミね、子どもをバカにしちゃいけないよ。特にいまどきの子はアニメやコミックで“濃いもの”にたっぷり触れて鍛えられているんだからね。こんな緩さじゃ鼻で笑われちゃうわよ!」

 
●自ら止めたシリーズの息の根……とんち探偵一休さん 謎解き道中

G「相変わらずとてつもない健筆ぶりを発揮してらっしゃる鯨さんの新作(今年5月のことです)は、『とんち探偵一休さん 謎解き道中』。これは以前出た『金閣寺に密室(ひそかむろ)』に続く、“とんち探偵一休さん”シリーズの第2作ということですね」
B「このクオリティで、しかもこうもしこたま出版されるということ自体、一つの壮大な冗談にしか思えない今日この頃。見るからに脱力感漂うその著作ラインナップのなかでは、くだんのシリーズ前作はまだしも読めないではない作品だったね――あくまで相対評価だけどさ」
G「ですね。一休さんという誰もが知るキャラクタを名探偵役に据えた、わりとストレートなユーモア本格ミステリでしょうか。まあ、一休さんという歴史上の人物を主役に据えてはいるものの、歴史推理というよりはトンデモ系のトリッキーな謎解きものという印象の強い作品でしたけど」
B「まあ、なんせ作品に登場するのは少年時代の一休さん。一休和尚の逸話と伝えられるエピソードもたくさん取り入れられてはいるけど、実在の人物というよりこれはあのアニメの方の一休さんだわな。ただし、アニメ版より性格は悪そうだけどね」
G「ぼくはアニメ版は見ていないのでなんとも。ともあれこのシリーズ第2作は、京が舞台だった前作とは打って変わり、一休さんら一行による道中記の体裁で描く連作短編になっています。設定としては前作にも登場しました、建仁寺に寄宿する少女・茜の行方不明となった両親を探すため、一休と茜、そして一休の押しかけ弟子である問注所検使官・新右衛門が旅に出たという……」
B「微かに残された茜の両親の消息を尋ね、3人の道中は難波、大和、伊勢と続いていく。そして、その旅の先々で奇妙な事件に遭遇する、という仕掛けだな」
G「ある意味ワンパターンになりがちな短編連作の、目先を変える方法としては、悪くない趣向ですよね」
B「そうだね。ま、ありきたりっちゃありきたりだが――でもさ、それもまた作者自身に、“その設定”を活かそうという気が無ければ話にならない」
G「道中記の設定をいかす工夫?」
B「そう。つまり、その土地その土地の風物人情やそれを活かした物語を描くという、ごく当たり前の工夫だよ。……そりゃ多少手間はかかるだろうけど、作家ならべつだん難しいことじゃないはずだ。というか、道中記を名乗るなら、エンタテイメントとしてはむしろ最低限の工夫だと思うんだが。例によって作者は、そういった最低限の手間をかける気さえ全く無かったようだね。どの国に行ってもみーんな同じ。出てくる固有名詞が違うだけというんだから恐れ入る。結局はいつも通り、例によって例の如き“セリフ”と“ト書き”で構成されたシナリオみたいな小説モドキ。信じがたいほどパターン化されたしょうもない謎解き小咄が並んでいるだけ、というお粗末だ」
G「うーん。まあ、たしかに“道中記モノ”としての楽しさは控え目ですが、連作短編がある程度パターン化するのは、べつだんそれほど悪いことではないと思いますが」
B「ふん。いちおうそのパターンを紹介しておこうか。(1)旅先で奇妙な事件に遭遇し謎解きを決意 (2)捜査を妨害され“難題”を持ちかけられる (3)“難題”をトンチでクリアし手掛かりゲット (4)謎解き……というわけで、一休というキャラクタの特性を活かすための(2)〜(3)の仕掛けが特徴なのだろうが、どうして事件のカギを握るやつが揃いも揃って戯けた“難題”を持ちかけるのか。ものすごく不自然で強引な展開というだけでなく、1つ1つのネタが余りにも幼稚だったり粗雑過ぎたりするので、そのパターン自体のマンネリ化が異常に早いんだな。全部で8篇も収録されているんだけど、2つ3つ読んだら、んもー心底ウンザリという感じね」
G「しかし、ごく短い短編の中に、本筋の事件の謎解きがあり、さらにトンチによる“難題”解決もある。そりゃまあ個々に見ていけば粗っぽい感じですが……一種のお得感みたいなものはあるでしょう」
B「アホか。しょうもないものを幾らたくさん見せられたって、ウンザリするだけだろ」
G「メインの謎は、密室やら家屋消失やら派手めな不可能系がたんと出てきますよね」
B「まあな。だけどまあ、要するにこの作者のいつものアレ。ワンパターンの脱力系バカミスネタ。一方“難題”の方はどうかっていうと、たとえば、明(中国)の景色を再現しろと言われて月を見せたり(月は日本も中国も同じだから!)、むっちゃ広い庭を作れと言われて、表札を逆に付けたり(外→庭 庭→外!)……いずれもアホかというような答だ。しかも、んな答に悪党がたちどころに恐れ入ってしまうのだからイヤになる。まったくアホの国か、ここは。とぉーもぉーかく! 残念ながら作者さんは、このシリーズ第2作でみずからシリーズの息の根を止めちゃったんだよ!」

 
●しゅーしゅーぱちぱち……死が招く

G「アルテさんの新刊が出ておりますね。『死が招く』は、日本初登場の『第四の扉』と同じく“ツイスト博士シリーズ”の長篇です」
B「『死が招く』が紹介された時は、ごぞんじ“フランスのカー”という惹句をはじめ猫も杓子も“アルテすげー”てな調子で。それこそアルテを読まずんば本格者にあらず! みたいな雰囲気すら漂ってたものだが、去る者日々に疎し、というか。この第2作に関してはネット界・非ネット界ともにごく冷静で、当時の興奮が嘘だったみたいにクールな評価が多いやね。まあ、相変わらず無闇に興奮しまくってらっしゃる方もいらっしゃるようだけど――解説の二階堂さんとか」
G「うーん。『第四の扉』の騒ぎの時も、また今回の二階堂さんの“絶賛解説”もそうですが、あまりにも派手に持ち上げられすぎると見てる方は逆に冷めちゃうってのはあるかも知れませんね。ただ、この方がクラシックかつトリッキーな、本格らしい本格を書く作家さんであることは間違いないし、この新刊のクオリティも本格読みが安心して読めるレベルを維持しているのは確かでしょう。いささか拡大しすぎて百鬼夜行みたいになりつつある本邦の本格ミステリ界にあっては、読者にとってむしろ貴重な安全牌という気もします」
B「まあ、この作家さんが新本格1期生の一人だとしても全然違和感ないしな。ていうか、なんじゃかじゃ煩い日本の本格ムーブメントとまったく無縁なぶん、すげー素直に“クラシカルな本格を遊ぶ”ことができるのかもしれないね」
G「てなわけで、内容をご紹介しておきましょう。ある夜、頑固に古風な本格ミステリを書き続ける斯界の巨匠・ヴィカーズの邸を、若き敏腕刑事・カニンガム部長刑事が訪れました。ヴィカーズの娘の婚約者でもあるカニンガムは、その日ヴィカーズから(娘にも内緒の)秘密の晩餐会に招待されたというのです。ところが作家は自室にこもったままで音沙汰無く、夫人も晩餐会の予定など聞いていない様子。やがて同じくもう1人の招待客が訪れるに及び、不審に思った人々がヴィカーズの部屋を訪うと、中から何かを料理するような匂いが漂ってきます。さては秘かに料理の準備を? ……しかしいくらノックしても返事はなく、仕方なく3人がドアを打ち破ると、そこには驚くべき光景が!」
B「密室状態の部屋のなか、テーブルの上には晩餐の支度がなされ、しかし、作家はその傍らで自らを料理する死体へと変わり果てていたのだ。奇妙なことに死体はすでに死後24時間が経過し、しかもその異様な現場は作家自身が構想していた新作ミステリのそれに酷似していたのである。やがて警察の捜査により、海外で暮らすヴィカーズの双子の兄弟が姿を消していることが判明し、事件はいよいよ混迷の度を深めていく。死体は作家なのか、その双子の弟なのか。なぜ新作ミステリ通りの見立てがなされたのか。いかにして密室は構成されたのか。そして招待状を出した犯人の意図は……二転三転する事件の様相に、さしものツイスト博士も苦悩の色を隠せない!」
G「今回は特に大胆不敵な犯人隠蔽の仕掛けを核に、ホワイダニットの謎とフーダニットの謎を巧みに連結した、変化に富んだプロットワークが冴えわたっていますね。もちろんおびただしいトリックや仕掛けをちりばめているのも前作同様。例によって謎解きや個々の仕掛けそれ自体は物足りないのですが、この徹底して軽快かつスピード感あふれる“軽やかなてんこ盛り”の読み心地は、本邦本格界でもなかなか味わえない楽しさにあふれているといえるでしょう」
B「アラスジだけ聞くとまさにカー・パスティーシュなんだけど、実際に読んでみるとゼンゼン別物っつーのは前作同様。なんというか徹底して軽量化を図り、口当たりの良さのみを最重視して作り上げたような……いってしまえば“クラシカルな本格のプロモビデオ”みたいな1作だね。名探偵を含め“ただの1人も印象に残るキャラクタが存在しない”という、作者の、ある意味潔すぎる書きっぷりもあろうが、ここには緻密な伏線を賞味する楽しみも、入り組んだ謎を解き明かす喜びも、考え抜かれたパズルがぱしぱし嵌まっていく膝を打つ快感もありゃしない。なんだかな、という感じだね」
G「ううん、たしかに腰を落ち着けて謎を解くという感じではありませんが、万華鏡を覘いているようにくるくる変わる事件の様相やおびただしいトリック&がジェットの氾濫は、これはこれでいかにも今風の現代本格ミステリのありようの1つだという気がします」
B「っていうかさー。これってただもうシューシューぱちぱち賑やかな、炭酸の泡みたいな儚い刺激がホンの一時味わえる、というだけの嗜好品なんだよね。差し詰め読み飛ばし読み捨てるペーパーバック本格、というところだろうか。たしかにこういう本格もアリだとは思うが……“これこそが本格だ”とは、わたしゃ意地でもいいたくないな!」

 
●運命の足音……テンプラー家の惨劇

G「それにしても、フィルポッツ/ヘクストを読んだのなんて、いったい何年ぶりでしょうね〜。『テンプラー家の惨劇』は、ごぞんじ“世界探偵小説全集”の第42巻としての刊行です」
B「ちなみにヘクスト=フィルポッツ、あの『赤毛のレドメイン家』や『闇からの声』のフィルポッツの別名義だということは、いうまでもないわよね。まあ、いまどきあらためて『赤毛』を読もうという方もさほど多くはないと思うけど――」
G「かつてオールタイムベストに名を連ねていた『赤毛のレドメイン家』の、その後の凋落ぶりについては、本書の解説に詳しいですよね。まあたしかに“本格ミステリの古典”として読んでしまうと、がっかりすることが多いであろうような作品ではあります。にも関わらず、ベスト1級とされることが多かった原因は、もっぱら乱歩の“偏愛”の影響ということらしいですが……だからって読まなくていい作品というわけではないですよね。ぼくは小学生の時、乱歩の評価とか全然知らないまま例のあかね書房版で読んだのですが、非常に怖い、むっちゃスリリングなスリラーとして夢中で読みふけった記憶があります。その後、マニアな知恵を付けてから創元版で読み返したときはがっかりしちゃったんですけどね」
B「もともとフィルポッツ/ヘクストはミステリプロパーの作家さんではないから、本格ミステリというかミステリ書きとして捉えるとやはり相当に“脇が甘い”。フェアプレイの意識とか、謎解きやトリックへのこだわりなんてのは、ほとんど全くないんだよね。ただ、この人ってやっぱ小説書きとしては抜群に巧くてさ。色彩豊かな筆で描かれるキャラクタたち、よくよく練られたプロット、そして悠揚迫らぬ語り口のアンサンブル。これらがツボに嵌まると、凄まじいまでのサスペンスを生み出すんだな。ベストは、まあやっぱ『赤毛』かな。それと『医者よ自分を癒せ』とか」
G「ぼくは『闇からの声』も大好きです。あれってたしか、むかしNHKの少年ドラマシリーズでドラマ化されて……そちらもすっごい面白かったなあ。あと『怪物』もいいし。で、これらに共通しているのは、フィルポッツに関してよくいわれることですが、迫力満点の“悪人の肖像”がテーマになっているという点です。そして今回の『テンプラー家の惨劇』は、この“悪人の肖像”テーマにおける傑作。その異様なまでの迫力は『赤毛のレドメイン家』と並ぶ、と評されることもあるほどです」
B「とはいえ解説にもある通り、その評価に関しては毀誉褒貶相半ばする観がある。たとえば先般出たシモンズの『ブラディ・マーダー』ではけちょんけちょんに評されていたよな。ま、ミステリとしては当然の評価ではあるけど……ともかく内容のご紹介と行こうか」
G「ですね。といってもこれはあまり詳しく紹介しないほうがよさそうですね。では……英国南部の豊かな自然が広がる丘陵地に広壮な屋敷を構える名門・テンプラー家。由緒正しい血筋と大きな資産を背景に、迫り来る時代の波もどこ吹く風と繁栄を謳歌するこの一族を、とつじょ襲った魔の手! 何処からともなく現れた黒衣の殺人鬼が、一族の後継者を次々殺しはじめたのです。遺産争いか、復讐か。警察は必死の捜査を進めますが、神出鬼没の犯人には名探偵すらなす術を知らず、怪人は彼らを嘲笑うかのように次々その面前で一族の人間を屠っていきます。運命の歯車のように進行していく“一族皆殺し”――犯人の狙いはいったいどこに!」
B「ミステリとしてだけ読んじゃいけない、なあんていっておきながらこう評するのはなんなんだが……ミステリ的なガジェットやトリックは、例によってごくささやかなものしか用意されていないし、アンフェアな記述も見られるしで、やはりミステリとして見るべき点はほとんどないな。また、ジェノサイド・ストーリィとしても、たとえば現代のシリアルキラーものなんかと比べるとサスペンスや意外性の点で比べ物にならないレベルだ。たしかに黒衣の殺人鬼の正体は“当時”は意外性があったのかもしれないが、現代の読者からすればむしろあからさまというべきだろう。また作者がいちばん描きたかったであろうその動機についても……たしかに異様ではあるんだけど、それが現代の読者に対して驚きや衝撃を与えるものかと問われると、これも心もとない。結局フーダニットとしてもホワイダニットとしても食い足り無さの方が先に立つ感じだなあ」
G「んー、ある意味、荒唐無稽ともいえる域に達した、途方もないお話だと思うんですよ。ですが、のどかな美しい田園とシュールなまでの連続殺人劇の対比が一種異様なサスペンスを生み出し、終いにはこの一大悲劇が時代相とも相まって“運命そのもの”にも思えてくる。このあたり、まずミステリではめったに味わえないような奥行きを感じさせてくれますよ。また、メインテーマであるところの“異様な動機”“悪人の肖像”についても、一歩間違えばバカミスにしかならないネタなんでしょうが、作者の悠揚迫らぬ語り口がそれを一代の悲劇に昇華しているわけで。ええ、何とも異様な迫力を持った傑作だと思いますね。訳文もこなれていますし、フィルポッツ入門書としてもよろしいのでは?」
B「んん。いかにもヘクスト/フィルポッツらしい作品であるとはいえるし、異様な迫力というのもその通りだと思う。しかし、それが現代の読者にストレートに伝わるかどうかというと……わたし自身はかなり疑問にも思えるなあ。フィルポッツ作品としても、相当異色な部類なんじゃないかね。だとすれば、入門書としてはいかがなものか。ま、若い方の感想を聞いてみたいのは、確かなんだけどね」

 
●フーダニット+脱獄スリラー……捕虜収容所の死

G「まだまだ続く古典復古ブームの流れに乗って、今度はマイケル・ギルバードさんの“埋もれた傑作”(植草甚一の言葉 1976)が登場しました。もっともこの方は存命ですし、現役作家でらっしゃるわけですから少々事情が異なりますが、いずれにせよ復古ブームが無ければこの作品の刊行は難しかったでしょうね」
B「長命な作家さんだからなあ。この人の場合、欧米では巨匠クラスの扱いで、そのせいもあってか邦訳もそれなりの数が出ているし、幻の作家扱いしちゃ気の毒だ。もっとも、それでもいまいち人気が弾けないというか定着しなくて……いまや邦訳作品は入手難のものがほとんどらしいね」
G「その理由は、本書の解説にもありましたが、この作家さんが非常に守備範囲の広い方だからなんでしょうね。本格からスリラー、警察小説、ポリティカルスリラーに経済サスペンスと、もうなんでもあり。だからいくら読んでもいまいちミステリ作家としての輪郭がつかみ難いというか。ちなみに既存の邦訳作品の代表格は……そうだなあ。植草さんご推薦の『ひらけ胡麻!』はいわゆるオフビートというか、ヘンな話で、正直あまり面白くなかったし……やっぱ『十二夜殺人事件』になるんでしょうかね。本格テイストをもった警察小説というか、スリラーというか」
B「刊行当時は本格として読んでしまったせいか、私はあれもあまり感心しなかったなあ。テンポはいいんだが、実に渋い陰鬱な話で。他の作品もそうだけど、本格テイストは味付け程度に使われていることが多く、ミステリとしての基本はちょっと捻った渋めのスリラーなんだと思う。そこに警察小説や経済小説、etcの香辛料を振りかけて守備範囲を広げているって感じ。……ただその作品ラインナップの中でも、この『捕虜収容所の死』はかなりの異色作ということになるだろうね。作品としてもこれまでの中でいちばん面白かった」
G「ですね。非常にユニークな設定の、本格ミステリ+脱獄ものスリラーです。内容をご紹介しますね。えー、舞台は第二次世界大戦末期のヨーロッパ、イタリア北部の第127捕虜収容所。捕虜として収容されている連合軍兵士たちは、監視兵の目を盗み、秘かに脱出用トンネルを掘っていました。実は間もなく収容所はドイツ軍に引き渡されるという噂が流れており、もしそうなれば監視が強化され、脱出計画などとても実行できなくなってしまうのです。考え抜いた計画と工夫、そして抜群のチームワークで着実に掘り進める捕虜たち。しかし、ある日トンネルで天井の崩落が発生。監視への露見は辛くも逃れたものの、捕虜達は崩れた土の下から殺人死体を発見してしまいます」
B「被害者はかねてよりイタリア側のスパイを疑われていた男。しかし収容所だけにそのまま死体を隠すわけにも行かず、仲間たちは死体を既に破棄された別の脱出トンネルに移して事故を装う――だが敵もさるものひっかくもの。イタリア側の指揮官はそんな彼らの企みを見抜き、殺人事件の発生を看破して捕虜仲間の一人を拘束し、処刑しようとする。秘かに進む壮大な脱走計画が進むなか、“名探偵”は首尾よく謎を解いて処刑を防ぐことができるのか!」
G「捕虜収容所という一種の“雪の山荘”を舞台に展開される、二重三重の不可能状況に包まれたフーダニット。そして映画『大脱走』ばりの脱獄作戦もの。この2つの要素はほぼ当分のボリュームでもって扱われ、しかもそこへ、“処刑までに謎が解けるか”“ドイツ軍到着までに脱走できるか”という2重のタイムリミットまで設定されるなど、特異な設定ながらエンタテイメントとしては何とも充実した、スキのない構成といえますね。これにより、ややもすれば平板になりがちなフーダニットストーリィを、実に緊密なサスペンスあふれる物語に仕立て上げている。さらにいえば、こちらはネタバレに近接するので内容には触れませんが、実は謎解きはもう1つ大きなものが用意されているんですね。で、これに関してラストでは見事などんでん返しが炸裂し、意外な真相が最後の最後に用意されている――実にスミズミまで考え抜かれた、作者のベスト作品の1つといえるでしょう」
B「特異な設定と、それを活かしたプロットの妙については私も同意見。さらにいえば膨大な数の登場人物を、要領よく、しかもそれぞれ印象深く書き分けるキャラメイクのセンスも一流といえるだろうね。でも、フーダニット部分はいささか平凡すぎるだろう。不可能犯罪を成立させているメイントリックは、その現象の派手さの割にがっかりするほど陳腐だし、ウンザリするくらい現実的。謎解きロジック自体にも特に見るべきところはなさそうで。本格ミステリ的な部分に限っていえば、やはり巨匠の手すさびっぽい印象だな」
G「でも、全体としてみた場合、これはやはりベストなバランスだと思うんですよね。基本的にはこれは異世界フーダニットというより、フーダニット要素も持った波乱万丈の脱出スリラーというべきで。スリルもサスペンスも全てこの一点に集約される仕組みとなっている。――そう考えれば、フーダニット部分の仕掛けが軽めにしてあるのは意図的なものでしょう」
B「まぁ、もともとこの作家さんの本格テイストは薄口だからなあ。こんなもんっちゃこんなもんなんだろうけど、なにせ冒頭で提示される不可能犯罪の設定が、実になんとも魅力的なんでね。本格読みとしては、どうしてこれをメインにしてくれないのか、と。無理な注文をつけたくなるわけさ」
G「この作家さんの“ストレートな本格ミステリ”は初期作品に集中しており、実はまだほとんど邦訳されていないのが実情ですからね。この人の本格ミステリ的な実力については、ですからそのあたりの初期作品、たとえば間もなく邦訳が出る『スモールボーン氏は不在』(既に刊行済みです)とかを読んでからでも遅くはありませんよ。楽しみに待とうじゃありませんか」

 
●掌の上の戦争……分岐点
 
G「古処さんの新刊(今年五月のことです)『分岐点』がでました。雑誌『小説推理』誌に2002年に約一年間にわたって連載された作品ですが、にもかかわらずやはりミステリではありませんでしたね」
B「『ルール』に続く二次大戦ものということになるんだろう。今回は第二次大戦末期〜終戦に至る日本国内を舞台に銃後の人々の暮らし、ことに軍国少年たちを描いた物語だな。要するにミステリ的な趣向がまったく無いわけではないけど、その趣向じたいほとんど非ミステリ的な扱いで。ミステリ度は『ルール』以上に希薄。……ここんとこミステリはほとんど出ていないし、やっぱり危惧したとおり“あっち側”へ行ってしまわれたような感じだな」
G「べつだんそうと決まったわけではありませんけど、そんな雰囲気はやはりありますね。ayaさんの予言が当たったようです(笑)」
B「当たって嬉しい予言ではむろんないけどね。ま、そんなこと云々しても仕方がない。とっとと内容の紹介と行こう」
G「第二次大戦末期、急速に悪化していく戦況とともに米軍による本土への爆撃が激しさを増していきます。やがて主人公の中学生・智が暮らす町も大規模な空襲を受け、全市が火に包まれ……降り注ぐ焼夷弾のなか、母親は死に、智自身も間一髪のところを同級生の成瀬に救われます。辛くも生き残った智でしたが、軍の命令により成瀬ら同級生とともに勤労動員され、米軍の上陸が予想されるエリアの山里で、陣地作りの作業に従事することになります」
B「食料や資材の不足はいわずもがな、指揮する古参兵士の横暴に耐えて蛸壺掘りに勤しむ中学生たち。しかし繰り返される米軍の圧倒的な攻撃のもと、誰の目にも明らかな敗戦の予感と無力感、冷酷でしかも矛盾した軍の指令への反感が徐々に蓄積していく。そんななか、しかし優等生の成瀬は、ただ1人皇国臣民として日本の勝利と軍への信頼を失わない。徐々に不満を募らせる級友を軽蔑し、一途に軍に尽くそうとする。だが、米軍機の執拗な攻撃のさなか、事件は起こった。智たちを指揮していた兵士の1人が、何ものかに刺殺されたのだ……」
G「というわけで。ミステリ的にいえば、戦時下の銃後の日本での殺人。しかも勤労動員された中学生たちを巻き込んだ事件ということになるわけですが、実際には犯人の正体は冒頭から明示されており、フーダニット的な興趣はありません。では、なにが謎かというと、“なぜやったか?”、つまりホワイダニットの謎ということになります」
B「そのホワイダニットの謎は、しかしミステリ的趣向というより、あくまで戦争小説としてのテーマを明確に打ち出すための仕掛けだよね。実際、その真相はまことにストレートかつシンプルなもので、しょうじき意外性など欠片もない。というか、伏線も豊富に張られているから、ミステリ読みなら容易に見通すことができちゃうだろう。まあ、そういう意味での面白さなど期待する方が、野暮というものなんだろうけどね」
G「まあそうですよね。クライマックスの“刺殺事件”は、それ自体きわめて象徴的というか、寓話劇・象徴劇の趣さえあるんですよね。結果として……紋切り型な言い方になりますが……“戦争の狂気”というやつが生み出した悲劇、という本作のテーマが、これ以上ないくらいくっきりと浮かび上がり読者の胸に迫ってくる」
B「たしかにそうなんだが、そしてこれがきわめて良心的な力作であることも確かなんだけど、申し訳ないが私は『ルール』同様、やっぱりこれも“出来過ぎた話”という感じがして仕方がない。今ひとつ胸に迫ってくるものがないんだよな」
G「それは――リアリティに欠けるということですか? しかし作者は戦時下の日本の現実を、これでもかというくらいきめ細かく、ディティールにこだわって描いているし、悲惨なエピソードにも事欠かないと思いますが。女高生が死ぬとことか、ごっつ胸に迫るシーンもいっぱいあったでしょ」
B「うーん、そうなんだよね、そうなんだけど、やはり、これまで私が読んできた戦争体験者である文学者の書く“戦争”とは、どこか根本的に違うように思えて仕方がないんだよ。べつだん戦争体験者じゃなければ戦争文学が書けない、なんていうつもりはないが。少なくとも戦争はこんなに“理屈の通った”分かりやすいもんじゃないだろう、と。どうしても思っちゃうんだよな。プロットも仕掛けもキャラクタも、非常に明快で計算されていて……どこまで行っても、しょせん作者の掌のうえ。予定調和の世界における戦争なんだ」
G「ううん……たしかに“体験者”じゃなきゃ書けない部分というのはあると思いますけど、体験してないからこそ書ける書きかたってもんも、やっぱあるんじゃないかなあ。これは戦争を知らない古処さんだからこそ描ける、“戦争の狂気”であるわけで。戦争そのものを描いて伝えることも大切ですが、戦後生まれの筆という一種のフィルタを通すことで、より分かりやすく明快にメッセージを通えることも重要なんではないでしょうか」
B「まあ、そうともいえるか。戦争文学なんて最近めったに見ないしな」
G「でしょ。多くの人に読まれるべき、貴重な仕事であることは間違いないと、ぼくは思いますよ」
 
#2003年6月某日/某スタバにて
 
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