ミステリのヨモヤマ話を楽しむ
 
【その1】
 
 
「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」 植草甚一 晶文社 初版1972年
ジャズとミステリと映画について独特の文体で膨大な数のエッセイを書いた編集者にしてライター。 
というより、なんでも知ってて何でも読んでて素敵に話が面白い、お洒落で粋なおじさんという感じのこの人。 
その蔵書量、読書量、そして幅広い知識はミステリ界ではもはや伝説となっています。 
ちなみにかのポケミスの最初の50冊はこの人が田村隆一さんとお二人が選んだそうで、いわば、戦後の日本の海外ミステリ紹介の方向性を決定づけた先駆者といえるでしょう。 
この本はそんな作者が(当時の)日本未紹介の作家・作品の中から面白いものを紹介する、というのが基本的なスタイル。実はこの本そのものが古いものですから、現在ではすでに邦訳が出てしまっているものもたくさんあるのですが、(それはそれで楽しいし)仮にそうしたことを割り引いても、植草さんの語りの魅力は少しも減じません。 
「・・・そう書いていてふと思い出したのだが・・・」と次から次へと八方に広がっていく作者の筆に運ばれていくのはなんとも心地よく、また楽しく、ミステリファンにとって文字通り至福の一時であるに違いありません。
 
 
「決定版 深夜の散歩」 福永武彦・中村真一郎・丸谷才一 講談社 初版1978年
(元版は早川書房から1963年に刊行。これに加筆し数編のエッセイを追加したものがこの決定版です) 
ごらんの通り日本を代表する純文学作家が3人そろって、いかにも愉しげにミステリ談義を繰り広げています。 
もとはいずれも「EQMM」(エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン)に連載されていた、3人のエッセイを合本したものでありまして、実際に雑誌に連載されていたのは昭和33年〜38年頃のこと。 
ですから、ずいぶん昔に書かれた文章ばかりなのですが、なにせいずれ劣らぬ名うてのミステリ読みであり小説読みである3人の文章でありますから、いま読んでも少しも古びた感じはありません。 
実際、3人そろってミステリに関する造詣はたいしたものですし、それぞれに個性あふれる達意の文章とともに、生半可な評論家なぞとても太刀打ちできない豊潤な味わいがあります。 
(ちなみにご存知ですか?福永武彦には別名によるたいへん優れた本格ミステリ短編があるんですよ) 
ともあれ、ミステリを読むことがどれほど私たちの人生を豊かにしてくれるか。 
あるいはそれの無い人生がいかに索漠としたものとなるかを、教えてくれる一冊であります。
 
 
「書斎の旅人」 宮脇孝雄 早川書房 初版1991年
作者は欧米のミステリ・SFの翻訳家としてたいへん著名な方。 
副題に「イギリス・ミステリ歴史散歩」とある通り、この本は翻訳者としての作者の広汎な経験を踏まえて描かれた、英国探偵小説の歴史エッセイです。 
もっとも、内容的にはそうした言葉から連想されるよりはるかに肩の凝らない気楽な読み物ですから、無理に構えず気楽に読んでいただいてよいでしょう。 
ともあれ、古きよき英国世界をあちらこちらと逍遥し、時にスノッブに蘊蓄を語り、解けない謎をひねくり回す。 
自在に飛び回る作者の筆はまことに軽妙洒脱。 
かつ滋味に富んでおり、その洒落たリズムを楽しみながら、知らずしらずのうちに英国ミステリおよび大英帝国そのものに関する蘊蓄が身に付くというぜいたくな効用も期待できそうです。 
特にかの「エドウィン・ドルード」(ディケンズによって書かれた「ミステリ史上初?の長編ミステリ」。 
作者は結末部分を残し絶筆したので、真犯人を含めラストに関する議論が絶えません。 
創元推理文庫にて入手可能です)の謎に迫った一編は、謎解きファンにとって興味の尽きない1篇といえましょう。
 
 
「ミステリー倶楽部へ行こう」 山口雅也 国書刊行会 初版1996年
現代新本格派の旗手である作者が、早大在学中に「ミステリ・マガジン」に連載を開始した名コラム「プレイバック」を中心に、創作を除く氏のミステリ関連の文章を集成した本。 
このコーナーとして取り上げるには異例なほど新しい本ですが、すでに十二分に「殿堂入り」に値するクオリティをもった一冊です。 
内容的にはエッセイ、ガイド、書評、解説などなどバラエティに富んでいますが、多くのファンを古書店に走らせたという伝説を持つ古典ミステリガイド「プレイバック」や、あの!クリスチアナ・ブランドからディクスン・カーの思い出話を聞くイギリス紀行、そしてもちろん御贔屓のクイーン論・カー論等々、それぞれに興趣の尽きない文章揃いでありまして、とくに本格ミステリファンにとってはお楽しみの多い本であることは間違いありません。 
他の本とは違い、まだほんの2年前に出たものですから、新刊書店で見つけることができるかも知れません。 
新刊で2000円なら間違いなくお買い得の一冊。見つけたら、逃さず買いましょう。
 
 
「『ブラウン神父』ブック」 井上ひさし編 春秋社 初版1986年
こういうコーナーをお読みになっているのですから、よもやブラウン神父を御存じないという方はいらっしゃいませんよね。 
古典的本格派黄金時代の一方を代表する名作中の名作。ユーモアと逆説と奇想天外なトリックにあふれた「ブラウン神父」シリーズは、かの「シャーロック・ホームズ」同様、全ミステリファンのバイブルに他なりません。 
この本は、「ブラウン神父」ファンとしては人後に落ちぬマニアの方々が、それぞれに神父の魅力を語り作品を分析したファンブック。 
とはいえ、書き手の錚々たるメンバーと言ったら! 
お得意の逆説的なロジックでホームズ・ブラウン神父・マーロウの3大名探偵を比較した別役実氏や亜愛一郎とブラウン神父の関連を語った泡坂妻夫氏、はたまたブラウン神父のトリックを美学的記号学的に分析した海野弘氏等々、それぞれまことに見事な「芸」を見せてくれています。 
巻末にはブラウン神父ものの「旧かな訳」の短編2編まで付され、まさにいうことなし! 
ファンなら何を措いてもぜひ入手しておきたい1冊です。
 
 
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