3 機能から美意識へ、うつりかわる価値観
さて、ハードな任務に命を賭ける男たちを中心に、ミステリー界NO1の人気を獲得したロレックスだが、
飛びきりお洒落な上流階級の人々にいわせれば、
もはやロレックスなぞヤボの骨頂らしい。
もうロレックスでもパテック・フィリップでもない。今やどこもかしこもブルガリ。
ニューベリー・ストリートの店なんかもう気ちがいみたいにブルガリを売ってるわ。
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などといささか刺激的なセリフが飛び出すのは、
R・ボイヤーのいっぷう変わった冒険ミステリー「幻のペニー・フェリー」。
ボストンの口腔外科医チャーリーとその妻メアリーが挑むマフィアがらみの殺人事件は、
ひねりにひねったマニア好みのストーリィが売り物だ。
ブルガリといえばイタリアの高級宝飾店。数年前までは知る人ぞ知るという感じのブランドだったから、
こんなセリフを嫌みなく口にすることは、ただの小金持ちにはできないはずだ。
この例など、機能よりも美しさ・希少価値といったステイタスを時計に求め、
作者はそこに登場人物の美意識を反映させようとしているのだろう。
そうなってくると、最近、時計の世界で主流となりつつある高級宝飾店の時計が登場するケースも増えてくる。
代表的なところでは、やはりカルティエだろう。
彼は贈り物の包みを開いた。
それはむろんベルからのもので、カルティエ・タンクの腕時計だった。
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プレゼントされたのはニューヨーク市警察16分署の署長マックス・カウフマンで、贈ったのは妻のベル。
T・チャスティンによるスケールの大きな警察小説シリーズ第四作「16分署乗取り」の一節だ。
2500万ドル相当の強奪を狙う国際的犯罪組織の大胆不敵な犯罪計画と闘う、
カウフマン署長と警官たちの姿を描いたこの作品は、
まさにページをめくるのがもどかしくなるような興奮を与えてくれる。
けれど、問題はカルティエだ。
だいたい公務員ともあろうものが、こんな高価な時計を身に着けていいのだろうか。
……お読みになった方はご承知のとおり、実はカウフマン署長は親の代からの大富豪で、
そのぜいたくな暮らしぶりは上司も部下も公認のものなのである。
無論、妻のベルも同様の育ちの女性であり、趣味の良さは折紙付きなのだ。
面白いのは、十六年も連れ添ったおしどり夫婦でありながら、この二人がけっしてベッドを共にしないこと。
初夜の晩にカウフマンの体毛の濃さにおそれをなしたベルが、彼を敬遠しているのである。
だが、同情は無用。
カウフマンにはとびきり素敵な愛人までちゃんといて、
その心の交流が物語に大きなふくらみを与えるというオマケまで付いているのだから。
スケールの大きさといったら、R・ラドラムの作品を忘れるわけにはいかない。
当たり外れの大きい作家だが、「暗殺者」は安心しておすすめできる。
この作品はシリーズ化されたが、後年の作に一作目なみの面白さを期待すると大いに裏切られるだろう。
無論、一作目の「暗殺者」がそれほど面白かったということだ。
記憶を失い身一つで放り出された主人公が、自分の過去を探るうちに
ある巨大な謀略に巻き込まれていく。
その追跡行の途上、旅費を作るために主人公が貴族から強奪するのが、
財布とジャガー、そしてジラール・ペルゴーだ。
だが、この宝飾時計は極限状況にある彼にとって、その金額以上の意味はなかったようだ。
セイコー・クロノグラフと八百フランに取って代わられていた。
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……と、そっけなくも売り飛ばされる。
十年前の話にしても八百フランとは安すぎた。ジラール・ペルゴーがいささか気の毒だ。
やはりこの手の時計は、持ち主の美意識の象徴としてそれなりに扱ってほしい。
そこで紹介したいのが、J・アーチャーの痛快なコン・ゲーム小説「百万ドルをとり返せ!」だ。
大物詐欺師にだまされて合計百万ドルを失った四人が、
頭脳を武器に華麗な奪回作戦を展開する極上の知的エンタテインメントである。
その登場人物の一人、ニューボンド街で画廊を経営する青年がピアジェを身に付けている。
グッチの靴や、イブ・サン・ローランのネクタイや、
ターンブル・アンド・アサーのワイシャツや、ピアジェの時計などを見ると、
人は、とりわけ女性は、彼がおしゃれのなんたるかを心得た人間であることを疑わなかった。
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まさに、ピアジェは、彼の洗練された趣味をものがたっているのである。
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