※敬称略。発表年代順。新しいものほど下(後)に配置してあります。「本格ミステリ」という呼称自体に異同がある場合は、カッコ付きで補っています。また、発言の年月は、書籍からの引用の場合は基本的に当該書籍の初版刊行日に準じています。
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戦後〜新本格(1946〜1986)
●「……そして、安楽椅子に座って静かに新作探偵小説に読みふける、あなたやわたしのような人間は、昔ながらのゲーム、最高のゲーム、地上最高のゲームを、満ちたりた思いでつづけることができるのだ」
●「探偵小説への飢餓をうつたへてゐる私は、探偵小説のなかでも最も探偵小説らしい探偵小説、つまり本格的なものをもとめてゐる。……巧妙な雰囲気だとか、描写だとか、新鮮味だとかさういふ調味料は一応飢餓がみたされてからでよい。私はいま何よりも米の飯が食ひたいのである」
新本格〜(1987〜) ●「僕は推理作家でいる限り、本格派であろうと思う。推理以外の小説を書く時はともかく、推理小説を書く限りは、常に、広い意味で本格の枠内に入るものでなくては意味がない。むろん狭義の意味での本格も、何作かにひとつの割で書き続けよう。僕が力つきて本格を離れる時は、それは推理作家を辞める時である」
●「正々堂々とやりましょう。あなたと私とがよき「盤面の敵」であることを信じつつ――さぁ、ゲームを始めましょう。先手は私です」
●「そして残ったのは高木彬光氏と土屋隆夫氏、それにわたし。プロの作家はわずか三人に減っていった。わたしはペシミストのせいか、本格物を書ける作家はこの三人でおしまいになるものと考えていた。……中略……島田荘司氏の登場を皮切りに綾辻氏の処女作が紹介され、陸続として後継者があらわれて来たのである。戦前の慣用句を以ってすればわたしは欣喜雀躍した。これは夢なのかそれともうつつなのか」
●「ポオが死に、ヴァン・ダインが死に、クイーンが死に、乱歩が死に、正史が死んだ。しかし、推理小説は死なないであろう。彼等が落とした無数の種子は、推理小説の大地の中で、萌芽のときを待っている」
●「ミステリーが行き詰まったなんて、それこそ、もう半世紀も前から言われていることではないか。いや、もともとミステリーとは「不可能性」を孕んだ小説形式なのであり、その不可能性を引き受け、果敢に挑む者こそがミステリー作家だったのではないか」
●「ところで最近、自分の作品をミステリと呼ばれることや、自らをミステリ作家と呼ばれることに抵抗を示す人が多いが、ミステリを「何か劣ったもの」とでも思っているんだろうか」
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