ZAPPING TALK BATTLE
 
 
迷走するカリスマ
 
〜2001年:島田荘司を総括する〜
 
ゲスト:YABUさん
今回ゲストにお招きしたのは、年来の島田荘司ファンであるYABUさん。当サイトの読者さんにとっては、『名探偵の殿堂』のクイズ作者としておなじみですし、島田荘司ファンにとっては、同氏の責任編集になる御手洗パロディ・パスティーシュ集『御手洗潔攻略本』に掲載された御手洗パスティーシュ『感音楽』の作者としても知られています。
 
[取り上げた本]
●「季刊 島田荘司 vol3」(原書房)●「石岡和巳攻略本」(原書房)●「パロサイ・ホテル」(南雲堂)●「ハリウッド・サーティフィケイト」(角川書店)●「ロシア幽霊軍艦事件」(原書房)●「21世紀本格」(光文社)
 
CAUTION!
本稿では上記のうち「ハリウッド・サーティフィケイト」「ロシア幽霊軍艦事件」の2冊についてネタバレしています。この2冊を未読の方には、【ノン・ネタバレ・バージョン】をご用意しましたので、よろしければそちらをどうぞ!


 
■2001年型島田荘司のパースペクティヴ
 
M「今回、ZAPPING TALK BATTLEで取り上げるのは島田荘司さんの“いま”。島田さんは今日の本格ミステリ隆盛のいわば礎を築き、現在もなお本格ミステリ界の旗手として創作・言論その他の活動により、本格ミステリシーンに多大な影響力をもっています。そんな同氏の“いま”を2001年に出た作品個々を検証しながら総括し、さらにそのめざす方向を考えていくことで、今後の本格ミステリシーンの1つの方向性を考えることにつなげられるのではないか。……そう考えています」
Y「なんかスゴイ話になっていますね(笑)」
M「いや、まあオープニングはこれくらいブチあげないと(笑)……というわけで、今回は長年にわたる島田荘司ファンであり、当サイトでは“名探偵の殿堂”のクイズ作者としてもお馴染のYABUさんに出馬をお願いしました。どうも、お久しぶりです」
Y「こんにちは、お久しぶりです」
M「YABUさんは島田さんが編纂したアンソロジー(『御手洗潔攻略本』)にも、作家として参加された経験をお持ちですよね。今日はその当たりの経緯も含めて、じっくりお話をうかがいたいと思っています」
Y「承知しました。現在の島田さんについては、話したいことがたくさんありますし、じっくり行きましょう」
M「では、まず最初にいくらか整理をしておきましょうか。島田さんの場合、創作だけでなく……いや創作自体の方向もいろいろですし、ともかく非常に幅広い分野にわたる活動を展開してらっしゃいますからね。とりあえず2001年度の著作ベースで分類してみましょう」
Y「そうですね。今年は『季刊』は出ませんでしたが、どうします?」
M「いちおう2000年末の『vol3』だけ含めましょう。あれは島田さんにとっては創作活動の1つの柱でしょうから」
Y「そうですね。氏の幅広い活動ぶりを、ひととおり概観できる雑誌ではありますね」
M「では、まず大分類として、本業(であってほしい)の本格ミステリ作家としての仕事では『ハリウッド・サーティフィケイト』。そして『ロシア幽霊軍艦事件』の2長篇ですか」
Y「これはいずれも書下ろしではありませんね。前者は雑誌への連載ものですし、後者は2000年に『季刊』に書き下ろした中編に加筆したもの」
M「ですね。『ハリウッド』は御手洗シリーズのサブキャラであるハリウッド女優・レオナが主人公を務める作品で。ぼくは個人的には、本格ミステリ的なアイディアを盛込んであるものの、基本的にはハイテクスリラーと呼んだ方がしっくり来る気がしました。YABUさんはいかがですか?」
Y「私もまったく同感です。とっても面白く読めた作品なんですが、本格ミステリ的な謎の部分で楽しんでいる訳ではありませんでしたもの」
G「なるほど、まあ詳しくは後ほど細かく語っていただくとして……ともかく2001年に関しては、どこぞで長篇を連載をしているという話も聞きませんし、島田さんの本格ミステリ面の仕事は『幽霊軍艦』の加筆部分と短編のみという感じですか……まあ、書下ろしの長篇を書いてらっしゃるのでしょうけれど、やはり少々物足りないかな」
Y「短編って、『21世紀本格』収録の『へルター・スケルター』と『季刊 vol3』収録の中篇『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』の2編ですよね? 私としては『セント・ニコラス』は少しも面白いと思わなかったので、かなり物足りないですね。もっとも、実質的に今年書いた作品ではないとしても、傑作と呼んでも差し支えのない2つの長編を読ませてもらっておいて、物足りないというのも欲張りすぎな気もしないではないですけどね(苦笑)。ま、これは次の話が……だからこそ、なんですけども」
M「そう、『セント・ニコラス』は、まあ読者サービスのクリスマスストーリィでしょうね。……では続いて、ファンサービス関連の仕事。こちらは今年も盛んでした。まずは、まさか出るまいと言われていた『石岡和巳攻略本』が出ました。これは御手洗シリーズのワトソン役である石岡君の……なんでしょう、ファンブック? 島田さんによる石岡君の架空インタビュー記事を中心に、島田さんの弟子格のファンライターが書いた石岡パロディ、石岡君の料理レシピ等々」
Y「『吉敷竹史攻略本』も予定されているとか。……まったくもって、言葉がないんですが」
M「『吉敷竹史攻略本』は、本当に出るんでしょうか。いや、そんなこといってると、たいてい本当になってしまうから恐ろしいんですが。あとは問題の『パロサイ・ホテル』です」
Y「これは以前出た『御手洗パロディ・サイト事件』の続編、という体裁を取った御手洗パロディ集ですね。プロ作家と半プロ、それに一般ファンの作品を並べ、それをサンドイッチする形で島田さんがプロローグとエピローグを付けている」
M「おっしゃる通り『パロサイ・ホテル』の執筆者は大半が島田さん以外の方なんですが、にもかかわらずある意図から“島田荘司編著”でなく“島田荘司著”で出版されたことが、一部で議論を呼びました。これについてもじっくりお話しましょう」
Y「了解です。で、後は本格ミステリのアジテーターとしての活動ですかね。2001年末に出た島田編のアンソロジー『21世紀本格』も、“21世紀のあるべき本格ミステリ”の1つの方向を、先端科学知識の応用というコンセプトで提示しようとしたものでした」
M「これは非常に戦略的なアンソロジーだと思います。私見ですが、このアンソロジーで提唱された“21世紀本格”のコンセプト/方向性は、前述した『ハリウッド』『幽霊軍艦』の2長篇のアイディアにも多大な影響を与えていますね」
Y「『ハリウッド』はともかく『幽霊軍艦』もですか? 私にはあまりピンとこないです。ぜひじっくり聞かせていただきたいです」
M「わかりました……といっても、まあいつもの妄想ですが。そうそう、他にもう一つ、言論人として社会批評家としての島田さんの仕事というのもありますね。お得意の“日本人論”“死刑廃止論”“冤罪論”、あと先端科学ウォッチャー的な仕事もしてましたか。こっちの方面は、ぼくもつかみきれてないのですが、2001年はさほど活発な動きはなかったように思いますが」
Y「そうですね。本来は『季刊』が、ことに“日本人論”を中心とする、社会批評家としての島田さんの主張を入れ込む器として企画されたものだったわけですが、2001年は出ませんでしたし」
M「そうですね。2000年暮の『vol3』以来出てないことになります。だいたい『vol3』にも日本人論は載ってませんでしたよね。その日本人論をテーマに据えた(と思しき)時代小説『金獅子』の連載も落ちてたし……1回落ちたぐらいでどうこういうべきもんじゃないのかもしれませんが、『季刊』自体出てない現状は、やはり少々ペースダウンの印象があるなあ」
Y「この2001年に『季刊』が出なかったという事実は、私的にはかなり問題だと思っています。この件についても、後ほど話しましょう」
 
■“21世紀本格”への助走
 
M「ひと通り概観してみたところで、ではいよいよ各分野を見ていきましょう。まずは本格ミステリ領域ですが……2001年はやや仕込みの時期という印象ですが、これはもう理論も固まり練習も終わり、いよいよ島田流21世紀本格誕生への助走に入った感じがしています」
Y「それが『ハリウッド』末尾で予言されていた“大事件”の話につながるのかもしれませんね」
M「おそらくそうなるでしょう。で、前述した通り『ハリウッド』『幽霊軍艦』の2長篇は、一見スタイルは全く異なりながらも、いずれも『21世紀本格』で示された、次世代本格ミステリのコンセプトに基づいて書かれている気が、ぼくはしているんです」
Y「先ほどもMAQさんはそう仰ってましたね。そこんところの真意を教えていただきたいな」
M「まず『ハリウッド』の方ですが、この作品は主に2つのストーリィラインが複合する形で構成されていると思うんですね。女優殺しの謎を追うレオナの地獄巡りめいた、ハードでダークでノワールな香り漂う冒険探索行のシークェンス。そして、腎臓と子宮を盗まれた記憶喪失の女・ジョアンによる迷宮巡り風の本格ミステリ風シークェンス。前者には臓器売買や幼児ポルノ等といった時事的な話題も取り込んで、社会批評家としての作者の視点が活かされていますし、共に事件の背景には作者が近年お気に入りの脳科学に関する知識情報が活かされています。ある意味、近年の氏の多角的な活動が漏れなく盛込まれたゴージャスな作品といえるでしょう。YABUさんのご感想はどうでした?」
Y「非常に面白く読みました。現代のもっとも大きな問題の1つである遺伝子操作技術の一側面までもうまく物語に取り込んだストーリィが、松崎レオナというこれ以上にないヒロインを得て、スケールの大きいダイナミックな物語になっていますね。でも、そうであるが故なのか、私は本格ミステリとしては読んでいませんでした。MAQさんは本格ミステリとしての『ハリウッド』の新しい試みに気付かれたとか?」
M「いやいや、そんなたいそうなモンじゃないです。後者の本格ミステリパートでは、前述の脳科学を使った叙述トリックが使われていましたよね。要するに“記述者犯人”のトリックなんですが……あれって新趣向といってもよいのでは?  つまり、ある理由があって犯人は“自分が犯人であること”を完全に忘れている。だから犯人の一人称視点で“他に犯人はいる”と独白しても、犯人は“読者に”嘘をついたことにはならないわけです。斬新といえば非常に斬新で、従来だったら確実にアンフェアとされるのが確実だったこの叙述トリックが、脳医学知識の応用でアンフェアではなくなっているわけです」
Y「なるほど。正直いって私はまったく気付きませんでしたよ。もう、荒ぶる急流のようなストーリィの流れに翻弄されていただけで、謎って何かあったっけ?  状態でしたね(苦笑)」
M「いや、もうぼくの場合、“本格ミステリ病”が病膏肓に入っておりまして(笑)。“本格としての仕掛けはないか”と慢性的にウノメタカノメ状態ですから……なんか浅ましいですねー(笑)。まあともかく、ここから生まれるラストのサプライズはかなり強烈だし、本格の新しい可能性を開いたともいえないではないわけで。21世紀本格の方向性を示す作例の1つになりえると思いました。さらに展開が派手で印象に残りやすいレオナのパートが、一種のミスリードにもなってるんですが……ただ、やはり叙述トリックもののフーダニットパズラーとしては、ぎりぎりアンフェアという気もしちゃうかな。非常に微妙なんですけど、やはりあのラストのサプライズは、本格ミステリのテクニックを縦横に駆使しながらも、スリラーとしてのそれになっているような気がします」
Y「その方がしっくりしますね」
M「レオナの地獄巡りパートも、さすがの筆力でガンガン読ませるし、日本人にしてハリウッドのスター女優というレオナのキャラクタも非常にリアルかつ魅力的で。全体として非常な重量感があり、それでいてスピード感にあふれている。傑作だと思いますね」
Y「まったくその通りだと思います」
M「これに比べると『ロシア幽霊軍艦事件』はきわめてオーソドックスな本格でした。箱根の芦ノ湖に巨大なロシア軍艦が出現した、という非常にインパクトの大きい、不可能興味万点の謎を冒頭に配置し、そこから史上有名な旧ロシア皇帝息女アナスタシアの歴史的な謎解きにつなげていく……1アイディアで芦ノ湖に巨大軍艦を出現させるトリックも、アナスタシアを騙る偽物とされた実在の女性の謎……従来、彼女が偽物であることの証拠とされていた事実の数々を、例の“21世紀本格”の手法により脳医学知識の応用で鮮やかに引っ繰り返す手際は島田魔術の真骨頂ですし、謎解きがそのまま歴史の裏に隠されたスケールの大きな悲劇を語っていくあたりは、ストーリィテラーとしての島田さんの剛腕ぶりもよく出ています。ぼくは好きな作品ですね。今回、単行本化にあたってかなりの加筆がされているわけですが、YABUさんは読み比べていかがでしたか?」
Y「加筆部分がアナスタシアとクラチュワの恋物語にあたる部分ということで、物語がより重厚になり、島田荘司の長編にふさわしい満足感を与えられる作品になったと思います。このあたりは流石の上手さですよね」
M「ただ、この作品の2つのメインネタ……幽霊軍艦の正体であるドルニエ飛行艇とアナスタシアの悲劇、およびアナスタシアの偽物に関する物語を知らないと、やはり少々取っつきにくいかもしれませんね。つまり、作者/作品世界との間である一定の共通基盤を持ってない読者には、少々敷居が高いかもしれないなと。いきなり大正時代の芦ノ湖に、軍艦にみえる飛行機が出現、といわれても、そういう飛行機の存在を知らなければなかなか腑に落ちにくいし、アナスタシアの悲劇を知らなければ、あのあたりの記述は読んでいてもなかなか実感しにくいでしょう。ぼくは幸運にも両方とも知ってたので、楽しむことができましたが」
Y「私はアナスタシアの悲劇については一般的なレベルで知っていましたが、ドルニエ飛行艇に関してはまったく知りませんでした。ですので、この解決は当然私の予想を遥かに超えたものではあった訳ですが……」
M「まあそれが普通ですよ。でもドルニエ飛行艇って、ヒコーキファンにとっては、なんちゅうか1つの定番なんです。ええ、じつは昔ぼくは飛行機ファンでもあったんです。だからこの名前が出てきたときは、アレが来たか! って感じで……でもそうすると、YABUさんの場合は、やはり歴史的なものが背景だったこともあって地味に感じられたとか?」
Y「地味という言葉は、まあ御手洗さんの奇行が見られなかったからでもあるんですが、やっぱりネタがアナスタシアということで。日本人にはそれほど馴染みのない題材ですよね。まあ、日本で同じような題材があるかと言われれば、特に思い当たらないので、仕方がないのかもしれませんけど。もちろんドルニエ飛行艇……飛行艇を幽霊軍艦に見せる手腕は凄いと思います。それは分かっているんですが、今ひとつきれいにやられた時の爽快感が感じられない。そんな飛行艇知らんよ! という思いが、ちょびっとだけ残る。こんなちょっとしたことが、どことなくこの作品を今ひとつ推しきれないものにしていると思います」
M「なるほどなるほど。ついでにいえば、そういった作品世界と読者の知識/理解の程度の乖離が作品の面白さの充分な理解を妨げるというのは、先端科学知識を謎解きやトリック応用する場合も同じことがいえると思うのです。つまり、コレコレの場合はコレコレの現象が起こるんだ、という謎解きのテコの部分を読者の理解が及びにくい先端技術分野に求めてしまうと、どうしても“説得はされても納得はしにくい”。素直に腑に落ちにくい感じがするんですね。つまり理屈では理解しても、感情的な理解にはなかなか及ばない。本格ミステリにおけるサプライズエンディングというのは、理屈が常識を超えて感情を圧倒することで発生する反応ですから、感情的に納得できない理屈にはなかなか反応しない。サプライズが減速しちゃうんですね。そのあたりが島田さんの提唱する“21世紀本格理論”の弱点の1つであるように思います」
Y「確かにMAQさんの言われる通りだと私も感じます。ただ、私は島田さんが“21世紀本格理論”を提唱したことの裏には、別の理由も存在するのではないかと考えています」
M「というと?」
Y「これは、島田さんの日本人論にも繋がるのですが、“日本人よ、もっと自分で考えろ!もっと個人の考えを持て!”という、島田さんのメッセージなのではないかと」
M「ふむ。そのあたりをもっと詳しくお願いします」
Y「とかく日本人はお上から与えられたルールを従順に守るだけで、自分の判断基準を持たない。そのことは罪悪だ、と、これまでも島田さんは主張されてきたと思います」
M「そうですね。小説であれエッセイであれ、そのことはずっと一貫して主張してらっしゃいます」
Y「しかし、21世紀になって、脳科学の分野や遺伝子操作技術の分野では、全体としての倫理基準をつくることがとても難しい問題が発生してきています。これらの問題を、個人の問題として真摯に考えず、国が定めた倫理基準に唯々諾々と従ったり、もっと小さく言えば医師個人の倫理基準に従っているだけではいけない。これらは、個人1人1人が自分の主張をはっきりさせておいた上で、それに合った行動や処置を選択できるような社会になっていかないと、第二次世界大戦時のファシズム国家のような世の中になってしまうよ、と島田さんは考えている。そして、世間一般の人がこれらの問題について考えるきっかけの1つに本格ミステリがなれば、と思っておられるのではないか。……そんな風に考えることもできるのではないかな」
M「なるほど、一種の啓蒙活動として本格という器を利用しようということですね。しかしそうしますと、島田さんの“21世紀本格理論”は本格ミステリの発展、進化とは何の関連もない理論ということになりますか?」
Y「いえいえ、そうではありません。島田さんの日本人論的見方をすれば、こういう風にも考えられるのではないかということであって、“21世紀本格理論”はやはり本格ミステリに新しい発展をもたらすと信じています。ただ、それにはまだまだ時間がかかるのではないでしょうか?」
M「しかし、島田さん自身については、ぼくは既に仕込みの時期は終わってらっしゃるように感じますよ」
Y「それは島田さんをはじめ、『21世紀本格』に作品が収録されている各作家さんたちの準備が整った(島田さんの見込み違いの方も数人見受けられますが)、つまり書き手が先端科学知識を本格ミステリのネタとして応用することの準備が整ったということだと私は思っています。読み手側の準備はまだまだ整っているとは言い難いのではないかな」
M「つまり“21世紀本格”が提示する作品世界と読者の知識/理解の程度が、まだまだ大きく乖離しているということですね」
Y「そうです。やっぱり作品の中でくどくどと先端科学知識の解説をされては、ミステリとしての面白さを損なってしまうことになります。その程度を軽いものとし、作品で必要な最低限の解説が適切な分量で済ませられるようになるためには、読者の共通知識、ひいては一般社会の共通知識が必要だというのが私の考えです」
M「そうですね。それはたしかにおっしゃる通りだと思います。いわゆる異世界本格、特殊ルールものと呼ばれる本格については、同様なことがいえるかもしれませんね」
Y「ええ、極端な例ですが、山口雅也さんの『生ける屍の死』もそうですね。この作品は、死者は生き返らないし動かない、という共通知識を引っくり返し、死者が生き返る世界を構築した上で、その必然性をメイントリックに据えているという点があるからこそ、新しいミステリの地平を開拓した傑作となったのだと思います。しかし、死者は生き返らないという“常識”を捨てられない人にとっては、この作品が死者が生き返ることをくどくどルール付けしているのは鬱陶しいだけであり、どこが新しいミステリの形なのかはまったく理解できないのではないでしょうか」
M「うーん、そうかも知れませんねえ。ぼく自身は、YABUさん同様、大好きな作品ですが」
Y「それと同じことが先端科学知識にも言えると思うんですよ。今の最先端技術がどこまで他人の脳を操ることができるのか、遺伝子操作をすることによってどんな生物を生むことまで可能なのか、ほとんど一般の人は知りません。作品内で書かれている先端科学知識の説明と現実の相対的関係を計れないため、結末も説明にしか感じられなくなってしまう、と。これはMAQさんの持論であるポスト・モダン・ディティクティヴ・ストーリィ/PMDSにも関係してくるかもしれませんね。PMDSは作品だけの独自の世界の中で独自の理論に基づいてミステリを展開するものだと私は思っていますが、それもやはり一般の共通知識、つまり現実との相対的関係を計れてこその独自の世界だと思うのです。でも、先端科学知識の世界ではそれが現時点では曖昧であるため、まだまだPMDSたりえないのかな、と」
M「PMDSというのは、本格ミステリの前提となるフェアで徹底した論理性の追求が結果として論理的矛盾を生んでしまうという問題を、なんらかの新しい手段発想によって回避もしくは解決した/するであろう本格ミステリです……っていうか、ぼくはそう考えています。したがって、その作品を支配する世界観……論理観とでもいうべきものが、作品の都合に合わせて恣意的に合理的に構築されることで実現できる、という予測も無論建てられますね。そう考えれば先端科学知識という“未知のロジック/未知の世界観”をベースとする21世紀本格が、PMDSたりうる可能性は十分あるといえるでしょう。が、たしかにおっしゃる通り、それには読者側の充分な準備も必要になるでしょうね」
Y「何にせよ、読者1人1人が先端科学知識に関して、興味を持って知って欲しいというのが島田さんの意図だと思うんです。このことを私が主張するのは、日本人論的にも本格ミステリの発展的にも、その必要性があると思っているからなんですが、ま、普通の人はモーニング娘。の新メンバーが誰になるのかや、今日の巨人の勝敗の方が気になって、そんな勉強どころではないんですよね(笑)」
M「うーん。普通一般のミステリ読みにとっても、それはけっして低いハードルではないかもしれませんよ。まして、島田さんほどの天才的な語り部なら容易いことであっても、普通の作家にとっては先端科学知識を面白く読ませるというのは、かなり困難な作業でしょう。それはこの『21世紀本格』というアンソロジーを読んで、ぼくが痛感しことでもありますが……その意味で1つのムーヴメントとして、“21世紀本格のコンセプト”を盛り上げていくのは、容易なことではない気がしています」
Y「そうですね。実際、私も『21世紀本格』の中で一番面白かったのは、従来の手法を先鋭化した麻耶さんの作品だったりしますもんね」
M「ああ、ぼくも同じですね。瀬名さんや森さんの作品も刺激的ではあるんですが、本格としての満足感となると……」
Y「でしょ。あとは島田さんと柄刀さんを除けば、本格ミステリとしてはもう一歩頑張って欲しいな、という感じが拭えませんでした。もちろん単純に小説としては他の作品も面白かったんですが、それが本格ミステリとしての面白さになっているかという点で物足りないんですよ」
M「しかし、本格ミステリ自体を、ある種啓蒙の器に使うというのは……正直、ぼくは少々抵抗がありますね。先端科学知識を使うのはいいけど、それはあくまで本格ミステリとしてより高度な達成を行うための“手段”であってほしいと思います。YABUさんはそういう抵抗感は感じませんか?」
Y「抵抗感がまったくないと言えば嘘になります。私だって単なるミステリバカですから、あまり変な思惑はなしで、単純にミステリを楽しんでいたいだけですし。でも、島田さんが意識しているにせよ、していないにせよ、社会批評家としての島田さんの意思が、本業の方にも影響を及ぼしているというのは考えられないことではないと思います」
M「たしかにそれはいえますねー。しかもそのハイブリッドの成果をクイクイ読ませてしまう力を、島田さんは持っているからなあ……まあ、氏のいう21世紀本格の全容は、おそらく『ハリウッド』の続編、というか正編にあたる長篇で明らかにされるのでしょうから、これについてはそれまで保留にしておきたいですね。いずれにせよ、本格ミステリの新たな領域に挑戦するチャレンジャーとしての島田さんは、まだまだ大いに期待できる存在であることに変わりはないわけで。長篇が2篇本になりましたけど、2001年は実質的には助走の年であって、21世紀本格の担い手としての氏の真価が発揮されるのは2002年以降だと思います」
Y「まさにその通りですよね。そんな島田さんのスピードについていけるように、我々読者も頑張る必要があるということなんですよ」
M「うーん、やっぱり勉強しなければならんのか(笑)」
 
■ファンサービス本の功罪
 
M「ともあれ本格ミステリ作家としての、“21世紀本格”のコンセプトを核にした活動は、本格ミステリ界のアジテータとしての島田さんにとっても、今後1つの核となっていくことは確かだと思います。ただ、以前に比べるとその影響力はいささか小さくなっているような気がしないではない。たとえばアンソロジー『21世紀本格』で実際の呼びかけが何人の作家になされたのかはわかりませんが、実際にこうして本になった顔触れを見ると、新本格の作家からは実質的には麻耶さん1人で。企画の趣旨からいって外せない、先端技術ミステリの柄刀さん、理系ミステリ(という呼び方もいいかげんどうかと思いますが)の森さん、SFの瀬名さんあたりはともかく、他の3人はやはり“ネオ島田学派”みたいな印象で。これだったら、SF本格の西澤さんや殊能さん、三雲さん、あるいは山田正紀さんあたりに依頼したほうが、遥かにチャレンジャブルで刺激的なアンソロジーになったんじゃないのでしょうか。特にどう見たって未だプロの域に達してない松尾さんのような方を引っ張ってくるとのは、いかがなものか。イヤな言い方ですが身内に甘いと言われても仕方がないんじゃないかと思ってしまいます。そのあたり、どうしても一連のファンサービス本と関連づけて考えてしまいたくなるんですが」
Y「麻耶さんはデビュー時に島田さんの推薦を受けてますし、柄刀さんも『パロサイ1』や『御手洗潔攻略本』に作品をのせているぐらいの人ですから、見ようによっては身内と呼べるかもしれませんね。まあ、新本格系の作家さんたちは、単純に『21世紀本格』のコンセプトに合い辛かっただけだとは思いますが。WEB上で島田さん本人が、このアンソロジーでは自分が21世紀を担うと思っている作家さんたちに執筆を依頼するとおっしゃってましたけど……その結果がこれですか? という思いは若干ありますね。単に身内に甘いだけなのか、それとも島田さんの感覚が一般の読者の感覚とずれているのか……島田さんが推薦する作品は面白くないのが多い、というのは昔から言われているようですしね(苦笑)」
M「まあ新本格第一期生の頃はそうでもなかったと思いますが。最近はやはり本格自体の多様化が進んで、新本格の頃の“本格ルネッサンス”みたいに、ひと括りにアピールしアジテーションすることが難しくなってきたんじゃないかな。早い話、島田さんが提示した“21世紀本格”というコンセプトに素直に賛同し、その通り書く作家さんはさほど多くないと思いますね。一家をなした作家はもちろん、新人と呼ばれる人でも、いまは“自分のスタイル”というものに以前とは比較にならないほど自覚的になっている気がします。もはや1つの時代を決定づけるような作家や潮流みたいなものが生まれにくい環境なんじゃないかなー。多極化ってやつですね」
Y「普段からミステリを読んでいるファン以外の人たちを巻き込まないと、時代の潮流とはなり得ないということですね。“21世紀本格”がそこまでの流れを作れるのかどうか……他の作家たちにこれを利用しようという気持ちをおこさせるだけの影響力が、島田さんになくなってきていることの証明でもあるんでしょうか」
M「多極化の結果として、相対的に低下しているということはいえるかも。もうそういう時代ではないのかもしれませんね。……ファンサービス本というのも、その多極化の流れから生まれてきたものといえるのかもしれません。が、だからといって等閑視するわけにはいかないわけで。たとえば例の『石岡攻略本』です。これって、ファンサービス本の典型で。本の冒頭に100ページ近い文章を載せて、普通の島田ファンの購買意欲を誘っているわけですが、どうもこの100頁もの文章って、ミステリ的にも島田荘司ファン的にも全く意味が無い文章でしょう? 要するに石岡君への架空インタビューなんですが、そこで発される質問って、どうやらファンクラブの人たちのそれをそのまま質問しているという設定らしい。読むとこれがじつに愚劣な・どうでもいい質問ばかりに思えて、どうにも情けなくなってきちゃうんです」
Y「WEBの掲示板をみると、自分の質問が答えられているとか言って喜んでたりしてましたよね。もう理解不能な世界です……」
M「もし強いてこういう企画をやるなら、島田さんが将来のシリーズへの伏線として、あるいは石岡君というキャラクタをより深いレベルで描くための“作品”であるべきでしょう。ところが現実にはコレですからね。こういうものは、たとえば非売品のファンクラブ会報等で秘かに掲載すべき、お遊びのファンサービスであって、堂々と本にして販売するというのは、あまり格好よくない気がします」
Y「でも、こういう攻略本の出版は島田さん関連だけではなく、例えば京極さんとか菊地さんのものなんかも出てますよね。今の時代の流れなんですかね?」
M「まあ、そうとも言えるかもしれません。しかし、他の攻略本のことはよく知りませんが、この『石岡攻略本』ほど、程度の低いお遊びだらけのものがあるとは思えません」
Y「はは、まったく返す言葉もありませんね(苦笑)。しかし、何ですね、どうしてあのファンクラブの連中なんかは、あんなくだらないことを知りたがるんですかね。昔は知りたくても手段がなかったから、自分で想像するしかなかった訳ですが……その方が面白いと思いますけどね。そんな風に何でもかんでも作者に教えてもらうことはないでしょう」
M「そうそう、それこそが同人誌の原点なんですからね。で、あの方向が極まってくると『パロサイ・ホテル』みたいな問題も生まれてくる。あれは結局、左前になった出版社を救済するために“島田荘司著”で出されたわけですが、中を見れば明らかに島田さんは“そのための体裁を整える”ための最低限の文章しか載せていない。文庫にする時は、“著”でなく“編著”にするという説明がありましたが、それまでは明らかに“看板に偽りあり”の状態が放置されるわけです」
Y「WEB上でかなり問題になってましたね。私は議論の経過をほとんど読めなかったのですが、“著”は偽りだと訴えてきた人の言い分の方がやっぱり納得できますよね。私はWEBから情報を仕入れていて知っていたから良かったものの、知らなかったらどう思っていたか……短編となっている部分も全て島田さんが文体を色々変えて書いていると思ったりして……それだったらそれで凄いことなんですが(苦笑)。やはり本自体に、きちんとした説明があってしかるべきだと思いますね。でも、これまた島田さんはじめファンクラブの方たちは島田さんの説明で納得できないなんておかしい、心が狭いかわいそうな人だとでも言わんばかりのニュアンスに、私には感じられました。こういう風に感じている私も彼らから見れば、心の貧しいかわいそうな人の1人なんでしょうか」
M「あの手の人たちのお得意の論理ですよね。センセイが口を開いた段階で思考停止してしまう。いうまでもなくそれはファンというより信者の反応です。信じていればいい、と。だから説明は不要ということになっちゃう……こういうのって、ぼくは生理的に苦手なんです」
 
■ファンと信者の感覚の違い
 
Y「その意味では、私の拙作をのせていただいた『御手洗潔攻略本』を見た時も思ったのですが、余りにも内容に関する説明が無さ過ぎだと思いませんか? 『御手洗本』なんかはテーマ別に作品を募集したのに、採用された作品がどういったテーマで書かれたものなのかの説明は一切なし、どういった方たちが書いた作品なのかも一切なし、更にはその作品の採用に際して島田さんがどう感じたのかも一切なし。これでは島田さんがこの本で何を伝えたいのかがまったく分かりません」
M「そうですよね。それはぼくも思いました。結局、“いわなくても分かってくれるファン”……つまり、信者しか相手にしない、ということなのかもしれませんね」
Y「じつはこの件に関しては、私は出版元に対してメールも出したんですよ」
M「ほう! それで反応は?」
Y「返信は一切ありませんでした。……出版業界というのは、お客様(この場合はむしろ共同制作者とでもいうのでしょうか)からの質問にも何も答えなくていいのが通例なんですかね」
M「……それは、とんでもない話ですね。ファンメールならともかく、作品を提供してもらった作家の1人が問いあわせているのに返事も出さないというのは、どうも信じがたい。出版社の常識を疑います。そのあたりも、先ほどの趣旨説明を欠いた構成という点も含めて、どうも出版側は、これらをマトモな本として扱ってない気がしませんか?」
Y「悲しいかな、そういうことだと思っちゃいますよね。ファンクラブ系の人たちによる購買数で利益がでるように、最低限の工数で本を仕上げる。これほど利益の計算しやすい商売もないんでしょうね。でも、これらの本に対する姿勢は出版社だけでなく、実は……という不安もあるんです。たとえば『パロサイ・ホテル』の島田さんが書かれている部分で、各パロディ短編に対する島田さんの感想が石岡君と里美ちゃんの口によって語られているじゃないですか。MAQさんはこの部分を読んで頷ける感想ありました?」
M「いや、あれはヨイショばかりでしたね。それもかなり程度の低いやつ。“非常に分かりやすい”ファンサービスでしょう」
Y「私、『呪われたカラオケ館』の感想を読んだときに特に思ったんですが、何だか内容と乖離している感想がちらほらとあるんですよね。『呪われたカラオケ館』って笑える作品でしたか、MAQさん?」
M「苦笑いも笑いといえるんですかね?(苦笑)」
Y「私には何がおかしい部分なのかもさっぱり分かりませんでした(苦笑)。この作者の今までの作品は、全てユーモアタッチのものばかりでした。だから、島田さんもついついそういう感想を書いてしまった……一部の人は無条件で採用されていて本当は読んじゃいないんじゃないか、なんて勘ぐりたくもなってしまいましたよ。まあ、仮にも出版元のHPで公募していたんですから一般の作品はきちんと選ばれた作品だと信じたいですがね。『パロサイ・ホテル』の霧舎さんと『パロサイ1』の柄刀さんはどうなんでしょうね? 何となく島田さんから依頼されているような気もしないでもないですね」
M「あれ? 松尾さんの名前が出てませんよ?」
Y「あの人もプロ……ですよね。でも、あの人の場合は修行を兼ねて、島田さんが書かせているように思いますよ(苦笑)」
M「なるほど〜(苦笑)。しかし、修業の過程を販売するというのもイカガナモノカ。しかし、そもそもこの一連のファンサービス本を見ていると、書いている人の顔触れなんかに、どうしてもある種の意図を感じてしまうんです」
Y「ですね。『パロサイ1』収録の22編と『パロサイ・ホテル』収録の25編で、両方に採用されている一般の方が9人いらっしゃいます。さらに、同じように一般からの作品を公募して『パロサイ1』と『パロサイ・ホテル』の間に出版された『御手洗潔攻略本』の11人も見てみると、『パロサイ1』にも採用されている方が4人で、『パロサイ・ホテル』に採用されている方が5人、3つともに採用されている方が2人となっています。さらにさらにここに『石岡本』を加えると、これに作品をのせている2人の方はそれぞれ、『パロサイ1』、『御手洗本』、『パロサイ・ホテル』全てにのせている方と、『御手洗本』、『パロサイ・ホテル』にのせている方でもある、と」
M「ほう、あらためて数えてみると、かなり固定化したメンバーが書いてるように思えちゃいますね」
Y「この数が普通なのか、多いのかは議論の別れるところだとは思いますが、ここで重要なのは、この複数の出版物に作品が採用されている方たちの顔触れですよね、MAQさん」
M「そうなんですよ。どうもぼくなんぞから見ると、島田さんのファンクラブ周辺のべたべたのファンライターが並んでいるような気がする」
Y「ですよね。要は本自体、企画自体が一般の作家志望の方などには、あまり注目されていないということでしょうか」
M「真剣な作家志望者は、あれに応募してもメリットがないと思っているのか。……でもそれは正解だと思いますよ。だって……つまりこれって全部同人誌ってことなんです。いや、別に同人誌を書店で売ったっていいんですよ。でも、それならそれで“島田荘司著”はないですよね。“編著”というのもどうかと思う。名を惜しむ、というのかな。早い話がこんな橋にも棒にも掛からない、素人仕事以上のナニモノでもないしろものが島田荘司著作リストに載る、載ってしまう。それで、いいんでしょうかね。このあたりのファンの人の感覚が、ぼくはどうにも不思議でならないんですよ。センセと一緒に名前が並んで嬉しい。それでいいのかな、と。だいたいパロディが本家と並んでどうする、っていうか。毒抜きの、人畜無害のパロディなんて、何の意味があるのかな。むしろ作者本人の介入なんぞこっちからお断りする。同人野郎なら、パロディストなら、それくらいの誇りがあってほしいと思うんです。また、創作志望ならパロディがいくら達者になっても、仕方がないですよね。それでは永久にファンライターの域を出ない。本気でミステリを書きたいなら、公募の賞が幾らもあるわけですから、そちらで力を験すべきです。まさかそんなタワケたことを考えてるはずはないと思いますが……島田さんの力で出る同人誌の常連になって、そこからなし崩しにプロデビューしようなんて考えてるんなら、考え違いも甚だしいと思います」
Y「私も一応、『御手洗潔攻略本』に作品をのせてもらっているという訳で、同罪のような気がします。ほんと、申し訳ありません」
M「いえ、そういう意味ではありませんよ。YABUさんの目的は理解してたつもりですし」
Y「いいんです、いいんです。実際、私も『パロサイ1』を読んだ時には愕然としましたね。ああいう本ならああいう本として出版すること自体はいいとして、内容の余りの低レベルさに怒りが湧いてきたぐらいでした。こんな本は二度と出版して欲しく無かったです。でも、そんな時に聞こえてきたのが、『御手洗潔攻略本』の企画だったんですよ」
M「その応募の経緯は、この際きちんと説明しておいた方がいいですよ」
Y「そうですね。そう、その時点で私が聞いたのは、『御手洗潔攻略本』でも同じように一般の作品を公募するという話でした。で、また、『パロサイ1』みたいな作品ばかりだったらまずいと思ったんですよ。島田荘司ファン全体のレベルが、あの程度だと見られてしまうのは我慢がならなくて。そこで、自分の現段階での精一杯のレベルで、自分なりにパスティーシュを書いて応募したんです。それが『感音楽』でした。あんなお遊びのパロディ小説まがいのものを1つでも蹴落とすことができればと。……その思いは、取り敢えず成し遂げられて良かったです」
M「いや、あれはパスティーシュとして良い作品だと思いますよ。ぼくは好きな作品です」
Y「ありがとうございます。それにしても、私もMAQさん同様、この手のファンの方々の気持ちが理解できないです。島田さんが断筆して御手洗物の新作を読めないという状況ならともかく、実際にはそうでもないわけですから。どうしてあんな主人公の名前が御手洗潔であるだけの素人の拙い作品や、個人の勝手な解釈で好き放題にキャラクタの性格を歪めて書かれたものを、喜んで読んでいるんでしょうね? そんなものは島田さんが作りあげた御手洗潔の世界とは別物ですよね。その世界を補完するものにさえ断じてなってません。単純に、“御手洗潔”という同じ記号を使っているだけのものです。そんなことすら彼らには分からないんでしょうか? 不思議でなりません」
 
■季刊は“3号雑誌”で終わるのか?
 
M「その問題に関しては、島田さんご自身についても、ぼくは不満があります。つまり、いったい島田さんにとって“大切にしたいファン”ってなんなんだろうと思っちゃうんです。身近で大騒ぎしてくれる連中/信者しか、見えてないんじゃないのかという……。ファンサイト掲示板にかきこみもせず、ファンレターも書かず、パロディを応募もしない……だけど、ただひたすら新作を楽しみに待ち続け、出ればいの一番に買うという“声を出さないファン”の方が、実際にははるかに多いはずです。正直、そういうファンの1人として、島田さんにはそういうくだらない雑事からは一刻も早く手を引いて本業に専念して欲しい。それで少しでも早く少しでも多くの新作を読ませてくれるのが、一番のファンサービスだと思うんですよ。狭い世界の中でじゃれあってるみたいな今の有り様は、ぼくは生理的にも好きになれません」
Y「私が最初の方で『季刊vol3』についても、大きな問題があると言いましたが、それもここんところに関わってくるんですよ。WEBからの断片的な情報を見る限り、『季刊vol3』はLAのクリスマスの様子をファンの方々に見せてあげたいという思いから、クリスマス前に刊行を間に合わせたように見受けられます。これっておかしくないですか?」
M「うん? とっさには、それほど変な話でもないと感じますが」
Y「MAQさんがおっしゃっていたように、『季刊』は島田さんが書き続けているお堅い日本人論を御手洗物とセットで出すことによって、1人でも多くの方に読んでもらうことを目的とした雑誌という形でスタートしています。でも、『vol3』にして、既に日本人論はどこかにいってしまって、ファンの方にLAのクリスマスの風景を見せたいから……となってきた訳です。これまた馬鹿にされているように感じてしまいます。島田荘司のファンは小難しい日本人論なんか読みたくない、視覚的に楽しいクリスマスの風景を見たいだけなんだという訳ですか? どうせファンサイトの掲示板で書かれた内容から、島田さんがそう思われたんでしょう。なんだか彼らの他愛無い言動に、島田さんが振り回されているような気がしてなりません」
M「たしかに島田さんという方は、まわりの期待に過剰なまでに応えようとするトコロがありますね。まあ、『季刊』の場合は出版側からの要請というのも、あったかも知れませんが」
Y「しかし、肝心の日本人論はなくしているわ、御手洗物はどうしようもない低レベルなクリスマスストーリーだわで、どうにも内容の薄い一冊になってしまっているじゃないですか。そもそも私は『季刊』と銘うった時点で、嘘つきになるのが目に見えていて嫌だったんです。逆に本当に季刊ペースを守るのならクオリティは下がる一方になるだろうな、と」
M「発行頻度については、島田さん自身『vol1』で年に2〜3回出せればと書いてますし、それほど目くじらをたてることもないんじゃないですか?」
Y「2001年に1冊も出てないのも、しょうがないとおっしゃるんですか? それぐらいならきちんとした『Vol3』を2001年に1冊だけでも、出版してほしかったです」
M「うーん。まあ、その点は責められても仕方がないですね。現状では絵に描いたような“3号雑誌”になってしまっていますし」
Y「そう言えば『vol1』には将来的にはこの雑誌の編集自体、後進の人に譲りたいというようなことが書いてありましたね。その後進って……心配のタネは尽きないような気がしますね」
M「ファンライターの方たちのやってることは、結局どこまでいってもお遊びに過ぎないとぼくは思ってます。『季刊』の跡継ぎなんて……まさかでしょ! 前述したように、なし崩しにプロデビューなんてさせちゃいけません」
Y「いや、ところがその危険性もない訳ではないんですよ。現にお1人の方はNYの紀行物かなんかを講談社文庫で出されるみたいですし、別の方は島田さんと共著で電脳世界を舞台にした作品を書かれてらっしゃるとか。また別の方は何やら島田さんが出版を後押ししている海外作品の翻訳を受け持たれているようですし、『パロサイ』シリーズの装丁は公式サイトの管理人の方ですよね」
M「え! そ、そうなんですか。実はぼく、公式サイトとかあのあたりってあまりにもキモチワルイんで、最近はそばによらないようにしてるんですよ。……しかし、まいったなあ」
 
■SSKはモーニング娘。である
 
Y「甘いですよ、MAQさん。そもそも『パロサイ・ホテル』から堂々と本に“SSKノベルズ”の文字が印刷されていますが、“SSKノベルズ=Shimada Souji Kingdomノベルズ”。つまり公式ファンサイトに集まっている方々で作り上げる作品というような意味なんでしょうが、この動き自体がMAQさんが危惧されている状況そのもののような気がします」
M「うわ、そうか、そうだったのか。すいません、それ、全く気づきませんでした。なんか……とんでもないことになってるなあ。しかしこうなってくると、いよいよもってこの方面の島田さんの活動は、百害あって一利無しだと思えますね。島田さんにとってもファンにとっても、いいことは一つもない。強いていえば、得をしたのはそれを売って泡銭を儲けた出版社くらいでしょうか。ファンと作家の距離が近くなりすぎた弊害の1つですね。なんかこう、ますます島田さんの気持ちがわからなくなってきました」
Y「普段から日本人論で批判していることを島田さん自身が実践しているように私には思えますが……でもですね、島田さんはこのような批判が出ることは分かった上で、今のようなファンサービス活動をしているはずです。だとすれば、そこにはやはり何らかの意図があるはずだと思うのです。私も灰色とは言えない脳細胞を使いましたですよ(苦笑)……それで、私が考えたのは、島田さんは出版界のモーニング娘。を作ろうとしているのではないか、ということです」
M「モ、モーニング娘。ですか?」
Y「そうですそうです。で、島田さんはつんく」
M「なんなんだ……ちょっと説明して下さい」
Y「モー娘。の人気を支えている要因として、オーディションから始まって、実際のCDを売り上げていく過程を見せていくことで、ファンもその成長ストーリィを共有し親近感が湧くという点があります。また、本当にどこにでもいるような女の子が一気にスターになっていくのを見て、次は私がああなるんだという成功への憧れの促進。……こういったことも挙げられるでしょう。今、島田さんがやっている“SSKノベルズ”もまさに同じような手法ではないでしょうか?」
M「なるほど……ファンライターというモーニング娘。を選抜して、プロに育てようというわけですか。で、その過程自体が1つのイベントとして状況を盛り上げていく?」
Y「そうですね。SSKが関わっている作品の状況や活動の広がりは公式ファンサイトで手に取るように分かりますし、昨日まで単なるファンだった自分も掲示板にカキコしたり、パロディ作品を送ったりすることによりサクセスロードが始まるように感じられる。これによって島田さんは今まで賞への公募ぐらいしかなかった作家への道に、新たな入り口を作ろうとしているのではないでしょうか」
M「うーん、たしかに理屈は通っちゃいますね。しかし、そうなってくると、それは明らかに本格ミステリ界のバックアップということとは、全然別次元の活動ですよね」
Y「当然、そのことは島田さんも理解してるでしょう。プロ作家として最低限のレベルにも達しない作品を、活字にせざるをえない状況を招く……それを重々承知しているからこそ、これらの同人本(と呼ばせてもらいます)に関する宣伝や説明を、インターネット上の公式ファンサイトぐらいでしかやっていないのではないでしょうか」
M「うーん、ムチャクチャ穿った見方だなあ」
Y「そうしておけば、事情を知らない人たちは自然とこれらの出版物から遠ざかっていき、意図的に狭い世界を作ることができる。そうして作った狭い世界の中でモー娘。メンバーたちに経験を積ませ、その中から本当に才能ある人をちゃんとした作家の世界へと送り出していく。まあ、それにはもう少し建設的な作品批評の場が欲しいですけどね。少なくとも掲示板では気色悪い賛辞の言葉しか書かれてませんでしたから。とにかく、こうしてデビューした方には最初から固定ファンがついているということになり、出版社側のリスクも少なくすることができる。……こうして考えていくと、出版物自体に何の説明もないのは分かっている人だけ読んで下さいという姿勢の表れなんではないか、と。MAQさんと対談しながら考えました(笑)」
M「……ファンと作家の距離が異常なまでに、不必要なほどに接近しているという状況は、たしかに実感しますし、必ずしもジョークとばかり言い切れないあたりは、おっかないですねえ」
 
■全てを並立させてしまう剛腕な天才の行方
 
M「というわけで、かなりゴチャゴチャの議論になってしまったんですが、とりあえずこうした混沌とした状況を踏まえて、最後に2002年以降の島田さんを占っていきたいと思います」
Y「そうですね……2002年以降、しばらくは何となく島田さんが本格ミステリシーンに帰ってくると思いませんか? 少なくとも『ハリウッド』の続きの事件は姿を見せてもらわないといけない、いえきっと姿を見せると思いますし、『季刊』による御手洗物もあるでしょう。そして、これらの作品を前面に押し出して、久しぶりに本格ミステリ界に“21世紀本格理論”をアジテートしていくんでしょうね。これには本格ミステリ作家倶楽部がどう反応していくのか興味あるところです。新本格ムーブメント以来の大論争へと発展していく可能性はないですかね?」
M「どうでしょうねえ。あの『21世紀本格』の内容を見るかぎりでは、そのコンセプトを実戦レベルで使いこなしているのは、前述の通りそれこそ島田さん自身くらいしかいなかったし……その意味では、島田さん自身がかなり活発に、作品を通じてムーヴメントを盛り上げていかないと難しいような気がしています。さっきもいいましたが、多極化・分極化というのが現在の本格ミステリシーンを表すキーワードの1つだと思うんです」
Y「そうですね。でも、“21世紀本格理論”から生み出されるであろう本格ミステリと、本格ミステリ作家倶楽部の中枢をなす新本格一期生などが考える本格ミステリには微妙な匂いの違いがあるように思えます。そうなってくると、その違いに論理的な側面だけでなく、感情的な嫌悪感も加わって議論となる可能性もあるのではないでしょうか」
M「仮にそうなれば、たしかに論争として発展する可能性はありますね。刺激を与えあって建設的な議論となるなら、それも大いに歓迎したいところですが……」
Y「ともかく、この動きがどのように推移していくのか、来年以降の要注目点なのは確かでしょう。そして、そうなったとき島田さんの同人本活動が、アキレスの踵になっていくことも十分考えられます。……でも、それでも島田さんは続けていくんですよね、この同人本活動を(苦笑)」
M「それは、たしかにその通りでしょうね。そういった部分の損得で動く人ではないし、あれだけたくさんの人に支えらているのですから、いまさら後には引けないでしょう。ぼくは、それでも止めるべきだと思いますけど」
Y「島田さんという人は、本当に私たちなど及びもつかないほど多方面への興味を、確実に形にしていく人ですから。結局は全てを並立させちゃうわけですよ」
M「そうなんですよね。とにもかくにも剛腕でもって両立させてしまう。これで、創作がヘロヘロになったりすれば、大声でやめろ! といえるんですが(って、ぼくは臆面もなくいっちゃってますけども)、きちんといいものを書いてくるからなあ……」
Y「私にとって、島田さんの話は某氏とするプロ野球の話とまったく同じなんです。プロ野球も、色々納得できない問題を抱えています。それは分かってはいるんです。でも、某氏は阪神の、私は横浜のファンであることから、おそらくもう逃げられない。だからいつもそれを前提で話をしていて、結局論理的におかしくなってしまう」
M「愛ってやつですね! それはもう、ぼくも全く同じ気持ちです。だからこそ貪るように読みつつも、苦言は、それはそれできちんと発信していきたい。たとえ矛盾しててもね」
Y「結局、行き着くのはそこで……島田さんの作品を好きで、読み続けることも、私は一生やめられないでしょう。だから、どんなに不満があっても、論理的におかしな点があっても、島田さんを擁護しつつ作品を読み続けていきます! これはMAQさんも、あと某氏も同じでしょうが、彼は私たちより優しいんですよね。世代の違いでしょうか?(笑)」
M「いや、実は彼がいちばん熱いんではないかと……ぼくはヒソカに睨んでいる。だって彼ときたら、島田さんの文庫落ちした新装版も全部揃えるとか揃えないとか……さすがにぼくもそこまでは(笑)。YABUさんは?」
Y「いやー、私もさすがに……でも、カーでは似たようなことやってたりしますけど(苦笑)。彼は私たちの対談を読んで、どういう感想を持ちますかね?」
M「それは……後で聞きに行きましょう。で、事と次第によっては小一時間ほど問い詰めたい(笑)。ちなみに一説によると、今年の新刊は『龍臥亭2』と『吉敷攻略本』だそうですが……いかがです(笑)」
Y「だ〜か〜ら〜、買っちゃうんですってば(笑)」
 
(2002.1.21/脱稿)

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