荒海山

 荒海山 1581m
 山域:会津

記録
 山行日1999年5月30日(日)
 ルート八総鉱山跡→荒海山(往復)
 コースタイム0945鉱山跡 → 1005 登山口 → 1040 稜線 → 1210/35 荒海山頂(三角点峰往復10分) → 1400/10 稜線下降点 → 1430 登山口 → 1450 鉱山跡 → 1540 袋口 → 1600 会津高原駅
 天候晴れ

田代山・帝釈山に登ってから5年が経ち、南会津の山には随分ご無沙汰してしまっていた。よくドライブに出かけた会津だが、ゴールデンウィークに久しぶりに観光で訪ね、意外と近いということを再認識したので、南会津の山にまた登ってみようと、栃木県境の秘峰である荒海山登山を計画し、初めて乗る野岩鉄道で会津高原へと向かった。

朝一番の東武の快速電車から乗り継いだ野岩鉄道は、男鹿山塊の西側を谷筋に添って走っていく。晴天のもと、高原と清流のあるあまり人の手が入らない森が続き、清々しい気分であった。会津高原駅に1台止まっていたタクシーで登山口の鉱山跡に向かう。抜けるような青空の下の荒海川の谷に沿ってタクシーは走り、鉱山跡の鉱滓のボタ山の横で止まった。下車して、さっそく林道の続きを歩き始める。しばらくは車でも進むことができ、登山届の箱のあるあたりまでは入れそうだ。それより先は荒れた道となり、真ん中に鉄骨の桟がある堰堤のあたりになると、人の歩く幅以外は草に覆われる様になって、その幅のまま道は林道から別れて登山道となって沢に下っていった。

山道に入って2つ小さな沢を渡ったあと、流れのある小沢に沿って登っていく。やがて、右から堰堤を越え再び沢に降りる。すぐ伏流になり、石のゴロゴロした沢を詰めると、木に標識のかかった所から沢と離れて、左岸をロープに掴まって急登し、あとは山腹を絡みながら高度を上げていった。
見上げると新緑の林の先に、稜線が近くに見えているような気がするが、すぐには辿り着く訳もなく、山腹の急登をこなすうちに、再び沢の源頭部に降り立った。ここからは、濡れた沢の源頭の急登となり、沢から抜けて斜面を登り始めると稜線はすぐで、涼しい風が通り抜け一気に様相が明るくなった。地形の変化があり、かなり行動した気分だが、実は林道から3〜40分くらいしか経っていないのである。

稜線上はほとんど樹林の中で展望は無いが、時折樹林の薄いところから廻りの山が見える。荒海山も左前方に1度全貌を表した。新緑の明るい道をしばらく歩くと、北側の展望が開けたところがあり、七ヶ岳が不思議な形で横たわっていた。道は稜線の少し西側に下がったところを終始進んでいき、やがてブナ主体の林から、暗い針葉樹が出てきはじめる。道も暗く湿ってきて、木の根を踏んだり越えたりの歩きにくい道になってきた。時々見えていた荒海山は手前のピークの陰に入って見えなくなり、やがて木の根に掴まって登ったりトラバースしたりでこのピークを越えていくこととなった。そして、木の間の荒海山が近くに立ちはだかる壁の様に現れてくると、程なく急斜面の登りとなり、視界が開けてくる。滑りやすい道を登って行くと、笹や、ちょうど桃色の花をつけているシャクナゲなどの背丈ほどの灌木帯になる。日が照りつけ、暑くなってきた中で急登を登り切ると、山頂はさらにもう一登りした先で、最後はがんばって登りきり、小さな避難小屋の脇を辿れば待望の山頂に出た。
山頂は360度の展望で晴れ渡った日でもあり、周辺の山を充分楽しむことができた。駒、朝日から燧の雪の稜線、会津や男鹿の山、そして磐梯に吾妻と久しぶりに見る山々を楽しむことができた。三角点峰への往復は藪をかき分けて踏み跡を辿っていくが、こちらは静かな狭い山頂で、単独の方が1人だけだった。

帰路は、泥の急斜面や木の根の踏み越えが多くてスピードが出ず、結局下降点までは登りとほぼ同じ時間がかかってしまった。下降点が近くなってくるとブナ林が美しくなり、道がだんだん歩きやすくなってくるが、登り返しも多くなってくる。下降点からは、沢を一気に下ると、登山口までの20分はあっという間で、行きの疲れが情けないくらいであった。あとは、林道を頑張って会津高原駅まで歩く。青空の元で、荒海川の清流を眺めながら平坦な道を1時間ほど歩き、国道を進むと電車が出発していくのが見えたので、ちょうど目の前にあった夢の湯で一風呂浴びて駅に向かうことにした。

荒海山は登山道は変化に富み、展望も良く、美しい森の静かな良いコースだった。また、華やかさはないが、その県境に屹立する姿は名山の名に恥じず、厳しく風格のある山である。


参考図書・地図
ブルーガイド 東京付近の山(1998年第1刷)
栃木の山120(随想舎1997年)
会津百名山ガイダンス(歴史春秋社1998年)
25000図 荒海山
50000図 糸沢

稜線から山頂をのぞく
その他のコース
本コース以外には一般コースはありません。
交通機関
会津高原尾瀬口駅(野岩鉄道)より徒歩またはタクシーとなります。
駅〜登山口は徒歩90分
タクシーは鉱山跡までとなります。


Nifty FYAMA 投稿文

荒海山(太郎岳)

No.1999-11

会津の山に登るのは随分久しぶりです。尤も猫魔ヶ岳に最近遊びに歩いたのですが、これは観光ついでの話で、ちゃんと計画して行くのは5年前の田代山・帝釈山以来になります。それに加えて東京から行くにはそこそこの計画が必要な山に、単独で臨むのも久しぶりの様な気もしますので、今回はガイドブックや地図をじっくり研究してから、準備を整えて出発しました。

【日 程】99年5月30日(日)
【目 的】旅と自然の濃い山を楽しむ
【天 候】晴れ
【コース】0945鉱山跡 → 1005 登山口 → 1040 稜線 → 1210/35 荒海山頂
     (三角点峰往復10分) → 1400/10 稜線下降点 → 1430 登山口
     → 1450 鉱山跡 → 1540 袋口 → 1600 会津高原駅
【山 名】荒海山(太郎岳) 1581m
【メンバー 】単独
【山 域】会津?
【参考書】東京付近の山(実業之日本社)
     25000 荒海山
     (他に、会津百名山・栃木の山120 などを参照)

朝一番の東武の快速は浅草を6時20分に出発する。これに乗るには、武蔵野線から乗り継いで春日部から乗るのが、うちからは最も速い。混んでいるか、ちょっと心配だったが、なんとか座ることができた。ゴルフ客も多く、新栃木や新鹿沼、新高徳(何でこう新のつく駅だらけなんだろう)とだんだん乗客は減り、結局野岩鉄道まで乗り継いで行った人は1車両10人もいなかった。初めて乗る野岩鉄道は、男鹿山塊の西側を谷筋に添って走っているが、高原状と清流のある地形であまり人の手が入っていない森が続いている。中三依駅あたりから左手奥に三角形の山があるのが気になった。
会津高原駅は、かつて国鉄会津線の会津滝ノ原駅といわれていたころ1度来たことがある。国道沿いの小さなという記憶があったが、土産物屋が出来たくらいで、周辺の状況は基本的には変わっていないようだ。降りると駅前にタクシーが1台止まっていた。運転手がいないが、予約車かな?と思って、土産物屋の中で探すと単なる客待ちであった。ということでタクシーで鉱山跡に向かう。通常タクシーは1〜2台しか無いとのこと。また電話で予約すると結構な回送料をとられるらしい。従って、タクシーが待っているのに賭けるというのが安くあげる為にはいいようだが、リスクがある....
抜けるような青空の下の荒海川の谷をタクシーで走っていく。結構、山菜取りや釣りの人もいるようだ。車が数台とめてある、鉱山跡の鉱滓のボタ山の横でタクシーを降り、さっそく林道の続きを歩き始める。ガイドブックには荒れているとはあるが、鉱山跡よりもうしばらくは車でも進むことが出来、駐車スペースもある。車高のある車なら、登山届の箱のあるあたりまでは入れると思う。そこからは、道の上を沢が流れたり、崩壊があったりで車の通行は不可能となり、真ん中に鉄骨の桟がある堰堤のあたりになると、人の歩く幅以外は草に覆われる様になって、その幅のまま道は林道から別れて登山道となって沢に下っていった。
山道に入ってから、2つ小さな沢を渡り、小沢に沿って登っていく。当初はある程度流れのある沢に沿って登る。水は堰堤の上でも確保できるが、どうもゴミが入りやすく、堰堤の手前で確保した方が良さそうである。やがて、右から堰堤を越えて、再び沢に降りる。再度流れがあるがすぐに伏流になり、石のゴロゴロした沢を登っていく。そして木に標識のある所から沢と離れて、小沢の左岸をロープに掴まって急登し、あとは山腹を絡みながら高度を上げていった。稜線がすぐ近くに見えているような気がするが、そんなにすぐには辿り着く訳もなく、山腹の急登りをこなすうちに、若干の崩壊があって再び沢の源頭部に降り立った。ここからは、濡れた沢の源頭の急登であるがロープがある。そして、水がかれると最後の詰めに入る。このあたりで、あまり予期していなかった超ミニ沢登りの急登に疲れてちょっと休む。再び動き始めると、稜線はすぐで涼しい風が通り抜け、一気に様相が明るくなった。しかし、いろんな地形の変化があって、かなり行動した気分だが、実は林道から3〜40分くらいしか経っていないのである。
稜線上に出ると、基本的には樹林の中で展望は無いが、樹林の薄いところから廻りの山が時折見える。荒海山も左前方に1度全貌を表す。右の方は雪を被った山が時折眺められる。いずれにしても樹林の中ではあるが、明るい道である。しばらく歩いていくと、後ろが開けている地点にでた。七ヶ岳が不思議な形で横たわっていた。来週登る予定にしているが、面白そうだ。その時にまた荒海山の全貌を見ることにしよう。
道は稜線というよりは、稜線の少し西側に下がったところを通っており、やがてブナ主体の林から、暗い針葉樹が多くなってくる。道も暗く、また湿ってきて、木の根を踏んだり越えたりの道になってきて、かなり歩きにくい。左手に時々チラチラしていた荒海山は手前のピークの陰に入って見えなくなった。稜線を歩き始めてから、最後の200mの登りがあることを考えて、大変だなぁとかいや、最後に楽しみがあるんだとか、考えていたが、その前に手前のピークの100mの登りがあることに気づいたので、ちょっと気分を立て直しに休憩した。さて、結局木の根に掴まって登ったりトラバースしたりでここは過ぎていったが途中初めて下ってくる10人くらいとすれ違った。結局この日この山に登っていたのは、10人弱の3団体に加え、2人組と単独が3名で全部である。首都圏と比べればかなり静かな山である。
やがて木の間の荒海山が近くなって立ちはだかる壁の様に現れてくる。こちら側は大きく切れ落ちているのである。最後の登り口をまだかまだかと進んで行くとやがて急斜面の登りとなり、視界が開けてきた。滑りやすい道を登って行けば、だんだん木が低くなって、自分の身長と同じくらいになり、笹や、桃色の花をつけているシャクナゲなどの灌木になる。但し日が照るので頭上が暑い。明るくなった道を登り切ると、山頂はさらにもう一登りした先だった。最後はがんばって登って、小さな避難小屋の脇を辿れば山頂に出る。
山頂は360度の展望で晴れ渡った日でもあり、周辺の山を充分楽しむことができた。会津朝日、駒から燧の雪の稜線、あまり名前はわからないが、会津や男鹿の山、特徴的な那須に磐梯に吾妻と普段はあまり見慣れない山を楽しむことができた。三角点峰への往復は藪をかき分けて踏み跡を辿っていくが、こちらは静かな山頂で、単独の方が1人だけだった。
さて、帰路は結局、泥の急斜面や木の根の踏み越えが多くてスピードが出ない。おまけに稜線を通っていないので暑さを感じてきた。たまに稜線に出ると風が一瞬通って涼しい。しかし、登り1時間30分下り1時間25分というコースタイムは、いかに下りにくいか(あるいは下りが下手か)ということである。
下降点が近くなってくると、登り返しが多くなってくるが、道がだんだん歩きやすくなってくる。また、ブナ林が美しい。下降点から沢を一気に下る。登山口までの20分はあっという間で、行きに疲れた....なんて思っていたのが情けないくらいであった。あとは、帰りのタクシーを予約している訳ではないので林道を頑張って会津高原駅まで歩く。青空の元で、荒海川の清流を眺めながら平坦な道を1時間ほど歩くと、あと10分で駅というところで電車が出ていくのが、見えた。次の電車は1時間後だったので、たまたまちょうど目の前にあった夢の湯(500円)で一風呂浴びて駅に向かった。
帰りの東武の電車は満員でしたが、下今市で日光からの電車を連結したら、ブレーキが抜けなくなったとのことで、車両整備を行い、結局後ろに連結するのを止めて前に連結したらうまくいって50分遅れで発車しました。しかし、運転は新栃木で打ち切られ、後続の快速も30分以上遅れており、私は、どうせ最後は準急に乗るので、新栃木発の準急に乗って帰りました。みんな新栃木で降ろされたのですが、北千住や浅草まで乗る人たちは、快速なんて待っていられるかと、次に来た全指定の特急に、ザックを背負った人たちが、ドドドドと乗り込んでいました。無事特急料金を払わず乗れたのかどうか....陰ながら応援はしていましたが。
で結局1時間30分帰りは余計にかかり、10時30分に着きました。思えば、あの温泉に入るまえに出ていった電車に乗れていればというところですが....
さて、荒海山は風格もあり、登山道は変化に富み、展望も良くてなかなか良いコースでした。中部地方の山と比べて華々しさはなく、どちらかと言えば渋いコースではありますが、なかなか歩きがいがあります。結局下りで誰ともすれ違わなかったので、最後の登山者だったようですが、東京を朝の電車に乗ってここにくるのは、あまり一般的ではないかもしれません。
また、今回はどうも調子が出なかった様に感じたのは、やはり道が終始歩きづらいことが一因かもしれません。よく足をぶつけましたし、腕にも2つ3つ傷ができていたりしました。一般コースでもやはり東京近郊の山とは違います。
最後に交通費です。浅草〜会津高原2540円
タクシー:会津高原〜登山口 1720円
タクシー入れて、往復6800円は、この距離にしては安いかもしれません。