西御荷鉾山

 西御荷鉾山 1286.2m 若御子山南峰 891m 北峰 890m
 石尊山 954m 桐ノ城山 1042m
 山域:西上州

記録
 山行日2012年2月26日(日)
 ルート万場→若御子尾根→西御荷鉾山→法久バス停
 コースタイム0742 万場 → 0806 林道入口 → 0826/32 若御子尾根登山口 → 0915 若御子山南峰 → 0925/37 若御子山北峰 → 1001 石尊山 → 1036/45 桐ノ城山 → 1058 秋葉峠分岐 → 1112 西御荷鉾登山口 → 1149/1207 西御荷鉾山 → 1235/1300 投石峠 → 1340 石神峠 → 1409 法久(舗装路)分岐 → 1440法久(中心部) → 1457 法久バス停
 天候曇り

御荷鉾山といえば、尾崎喜八が思い出されますが、常々御荷鉾山を登るときは万場から登ってみたいと考えていました。この名山を林道利用で山頂部だけ登るのは、いかにももったいないと思ったのです。山頂部に林道が出来たおかげで麓から登るルートは廃道化が進み、ガイドブックにもなかなか見当たりませんが、ネットで調べると、近年毎年秋に「神流マウンテンラン&ウォーク」という大会が行われ、若御子尾根コースが開かれているとのこと。これは丁度いいと、万場に宿泊し、御荷鉾山に向かったのでした。

万場の宿は尾崎喜八の宿泊した今井屋旅館としました。古くからの旅館で、今でも当時の風情を保っています。歌に出てくる万場の泊まりを過ごしたあと、朝食をいただいて早速朝の冷たい空気の中を出発しました。
神流町役場の前に位置する今井屋旅館から少し上流側に進み、群馬銀行の角を、小さな標識にも導かれて入りました。最初は民家の間の登りですが、いきなりの急坂で、集落がいかに急峻な斜面に開けているかがわかります。道なりに登ると町はあっという間に下に見えるようになり、丘の上にある老人ホームの先からそれを回り込むように細い舗装路に入ると、再び広い道と交わるところが林道の入口でした。
未舗装の林道は適度な傾斜でつづら折りに登りますが、ちょうどいいウォーミングアップです。ゆっくりと何度か折り返して進むと尾根の末端で登山道の入口になります。登山道は、出だしは普段あまり歩かれていないのか、それほど明瞭ではありませんが、ずっとイベントの標識とテープがつけられており、安心して歩けます。スタートから尾根に乗り、傾斜が急な所は巻いたりしながら登る道を、緩急繰り返しながら登っていきました。そろそろずいぶん登ったと思える頃、落葉樹の急斜面を大きく巻いたあとで、斜面を登ると広い尾根となり、若御子山南峰に着きます。このあたりから一部に雪が現れるようになりました。
南峰を過ぎると、尾根は狭まり、植生も低木の常緑樹に変わりました。このあたりは樹木の美しいところでした。一旦下って、再び登り返すと今度は狭い北峰山頂で、ここで休憩としました。
北峰からは再び大きく下り、急斜面を登り返していきます。これを登りきると石尊山ですが、道は右側を巻いていく為、山頂への登り口に標識があります。明確な踏み跡はありませんが、木をつかんでよじ登り、山頂部に出て高い方に行くと石尊山の標識があります。ここは全くの潅木の中のピークです。山頂から先は岩に阻まれ、そのままは降りられないので、再び登り口に戻り尾根を登っていきますが、ここから先はピークを左右に巻いていくことが多くなりました。また、このあたりから露岩も多くなってきます。桐ノ城山の直下に出ると、小さな石の祠が3つ並んで尾根の斜面に置物のように鎮座していました。
桐ノ城山も右側を巻いていきますが、このあたりから一つ東側の尾根が良く見えます。尾根の中腹には、尾根を削った段々畑のようなゴルフ場があります。クラブハウスがやたら立派ですが、今は休止状態にあり、荒廃しているような雰囲気です。立地も悪いし、コースも無理やり作ったような感じで、ちょっと無理があったのではないでしょうか。
桐ノ城山へは先の鞍部から戻るように登ります。静かな樹林に囲まれた山頂ですが、小さな石の祠があり、紀元2600年奉納の文字が読めました。再び鞍部に戻りあとは緩やかな尾根を登っていくと、鳥居をくぐり秋葉峠との分岐になりますが、秋葉峠方面は少々藪が深そうです。分岐からは荒れた未舗装の林道を下り気味にしばらく進むと、みかぼ高原荘を経て登ってくる車道に出て、これを辿れば頂上直下のスーパー林道に出ました。
林道を横切り、山頂部の登りに入ります。今日は曇り空でも、南面は比較的穏やかだったのですが、稜線に出ると北風が強く、かなり肌寒く感じます。ここからは道は雪に埋まっていますが、深くもなく、乾いた雪なので快適に歩くことが出来ます。最初は緩やかな登りですが、やがて緩急繰り返すようになり、最後は急斜面をつづら折りに登って行くようになりました。そして頂上直下の最後の登りにかかった頃、なんと法螺貝の音が聞こえ、。信仰登山の老若男女の50人くらいの団体が六根清浄を唱えながら下ってきました。この2日で出会った唯一の登山者でした。
山頂に着いたときには薄日が射していました。しかし素晴らしい展望ではあるのですが、曇り空ですっきりはしませんでした。南にはやはり両神山がひときわ目立っています。北は遠望が利かない中で、赤城、榛名がゆったりと見えていました。山頂には大きな不動明王が、北向き南向きにそれぞれ立っていました。
山頂からは投石峠に下りました。こちらはほとんど植林地の急坂となり、峠まで一気に下りましたが、下るほどに前方の東御荷鉾山がどんどん高くなり、さすがに麓から登った疲れもあって、さらに250m以上登り返す気力もなく、時間的にもそろそろリミットになってきているので、東の方は次回の楽しみとしてしまいました。
東御荷鉾山の登山口で休憩したあと、下山は法久に下るべく、時折雪に埋まる、冬季閉鎖中のスーパー林道を石神峠目指して歩きます。途中愛宕山林道がわかれ、東御荷鉾山の反対側の登山口に出たところで、北側の三波川に下る道がありました。その先に下山する国道を示す道標があったのですが、ピンクのプラ板の作りが、古いうえになんとなく胡散臭かったことと、道がかなり藪に覆われていたので、もう少し先に、正しい下り口があるのだろうと勝手に解釈して通過し、林道をかなり進んでしまいました。しかし、いつまでたっても下山路は現れず、先ほどのピンクの標識が正しい下山の道だと気が付いたのですが、地図をみると林道をさらに進んだところで小さな車道が降りているようだったので、そのまま進みました。やがて、地図通りに狭い私道の車道が現れ、この急坂を下っていくと、なんと先ほど見送ったピンクの標識が再び現れ合流してきました。これで一安心です。
正規の道に復活し、法久に下る沢の左岸の山道をどんどん下っていくと、法久の集落の一番上にある神社に出て、そこから法久の山里へと入っていきました。法久は清流と急斜面にある桃源郷でした。かつてはかなり栄えたのでしょう。集落の中心部にはかつて小学校だった建物や、かつてよろず屋だった風情の建物もありましたが、今はその機能は無くなっているようです。法久の集落を抜けると、沢の左岸沿いの少し広い山道の下りになりました。今や車道が対岸に出来ていますが、かつては集落に入るにはこの道を通ったことでしょう。沢の流れは幾つかの小滝を掛けて美しく、下るうちに頭の中に、集落の女性が、「昔この道を登ってお嫁に来たのよ」と言っている情景が浮かんできました。やがて右岸に橋を渡ると国道はすぐで、タイミングよく3分後に新町行きのバスがやって来ました。

これで、秩父から万場に抜けた2日間の旅を終えました。神流川流域はどこまでも左右の山が切り立って、狭い渓谷の中で、数々の集落が点在していました。集落の交流は、秩父や佐久につながる幾多の峠を越えて行われて来たようですが、今ではほとんどが登山者のみの通る道となっているようです。いろいろな集落と峠を彷徨ってみたいと、そんな気持ちになるような所でした。願わくば、鉱山やダムなどの開発の波に押し流されず、静かな山里の風景が続くことを。

本文中の写真

  • 若御子山南峰付近の広い尾根
  • 若御子山北峰付近の常緑樹の林
  • 桐ノ城山南面の石の祠
  • 山頂の不動明王
  • 法久集落にある小学校跡らしき建物

  • 参考図書・地図
    ヤマケイアルペンガイド 奥日光・足尾・西上州(2000年初版) 昭文社エアリアマップ 西上州・妙義(1995年版)
    25000図 万場
    50000図 万場

    山頂への登りから両神山の展望
    その他のコース
     南面 不動橋から投石峠(未舗装林道利用)
     北面 三波川 不動尊から石神峠
     スーパー林道からは本文の2つのコースの他に、
     中コース(大の字に沿う)があり、最短です。
    交通機関
    新町駅より日本中央バス奥多野線「上野村ふれあい館」行き「神流町役場前」下車
    詳細時刻は、日本中央バスをご参照ください。