新しい年になり、新世紀になり、最初の山にふさわしい山ということで朝熊ヶ岳を選んだ。理由は単純で、初詣がキーワードである。天気予報は晴れ時々曇りということで、気合いを入れて早朝出発したが、残念ながら天候にはあまり恵まれなかった。
朝熊ヶ岳へはたくさんの道があるが、朝熊岳道は最もポピュラーなコースで、近畿自然歩道としても整備されている。登山口には広い駐車場や真新しいトイレも設置されていた。登山道は幅が広く、少し岩が出たりすると、手摺りが設えてある。だいたい植林の中を行くが、比較的頻繁に出現する丁目石がいい目安になる。全部で22丁、石は古くからあるものから、最近立てられたものまであるようだ。途中、9丁、10丁への分岐があるが、そちらは行き止まりで、道は新しく付けられた道を11丁まで飛ばしていく。その間、戦前に造られて運行されていたケーブルカー跡を通る。まだコンクリートの路盤がしっかりしているのが見える。一つの夢の跡である。
さて、天気は予報にかかわらず曇ったままで、ちょっと肌寒い感じだ。15から16丁目あたりにかけて北側の展望が開けるが、津や松阪の方は晴れているのに、このあたりだけ曇っている。重く黒い雲でどうもすぐには消えそうにない。ここからは、局・白猪・堀坂の伊勢三山が見える。なるほどよく目立つ山で、かつて船で航行するときにこの三山を目印にしたというから、概ねこちらの方から眺めていたのであろう。
やがて道は少し傾斜が出てくると程なくスズタケと石垣の間の道になり、22町目の朝熊峠に到着、ここからは舗装路となった。朝熊峠には、とうふ(東風)屋という全国に名の知られた旅館があり、かつて繁栄したという。また、ケーブル終点から金剛證寺までバスが運行されていたとのこと。ここにもかつての観光事業にかけ、繁栄した夢の跡があった。
舗装路を辿り、分岐点から折り返すように山頂へ。山頂には立派な八大龍王社と大きな電波塔群が並んで同居している。すぐ横にぴたっと並ばれると妙に違和感がある。風が強いので、八大龍王社の中に入りお詣りして少し休んだ。
八大龍王社の裏手からそのまま下れば再び分岐に降り立つ。左右に道が分かれていたので右に行ってみると、しばらくして経塚群に後ろ側から入っていくようになる。こちらの方が、登り返さなくていいので正面から入るより楽である。この経塚群は平安時代のものという。林立するそれらは不思議な光景であった。
植林の中を下っていくと、金剛證寺の境内に出る。なかなか立派なお寺である。しかしますます寒くなってきた。相変わらず日は照らず風は強い。ついに小雪が舞い、凍った池の上に落ちる。今日はあまり山に歓迎されて無いようだと思ったりするのは、晴れのつもりで登ってきたからかもしれない。
奥の院まで行ってみる。奥の院までの道には所狭しと大きな塔婆が立ち並んでいる。墓石もぎっしりである。かなり寒いので売店の中に入ってみた。ここからは鳥羽の海を展望することができた。海の方は晴れているのが見える。
さてどうしようかと迷ったが、展望台を往復することにした。ものすごい強風で舗装路上はよけいに風が通る。しかし山上はこんな天気だが、回りは晴れているのでかなり遠望が効いている。目を凝らしていると富士山の影が見えたような気がした。何度も同じ所に見えたのでたぶん間違いないだろう。
帰路は宇治岳道を下る。しばらく舗装路を下り、直進しないといけないところをそのまま曲がって下ってしまったので、しばらくスカイラインを歩くことになってしまったのは失敗であった。すぐにまた合流するだろうと思って歩いたら、かなり先の切られた尾根のところで復帰した。再び山道に戻ると雑木林の中のいい道で、前半部分をパスしたのは悔やまれる。晴れていればいい日溜まりハイクになりそうな道だ。この道も丁目石があるが、かなり飛んでいたり、シリーズによって違う間隔で立ててあったりする。道は長いが概ね緩やかに下る自然林の道で、最後の方は岩がゴロゴロして歩きづらくなるが、それを過ぎれば内宮は近い。舗装路に出て角を曲がると、神宮司庁の建物にでて、そのまま突っ切ると大勢の参拝客でごった返す参道に合流し、そのまま参拝してきた。神社を出てバスで五十鈴川へ。丁度普通電車がやってきたので一駅乗って朝熊で降り、駐車場まで歩く。10分そこそこの道のりであった。
山頂の八大龍王社
参考図書・地図 | その他のコース |
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分県ガイド 三重県の山 三重の自然を歩こう 伊勢文化舎 25000図 伊勢・鳥羽 50000図 伊勢・鳥羽 |
本文中の 朝熊・宇治コースの他に、古くから堅神・庫蔵寺・五知のコースが開かれているとのことである。 他にもいくつかのコースが、地元の「テクローかい」によって整備されているとのことである。 |