下の廊下

 山域:北アルプス

記録
 山行日1997年10月18日(土)〜10月19日(日)
 ルート欅平駅→志合谷→阿曽原小屋→仙人ダム→半月峡→十字峡→白竜峡→別山谷出合→内蔵助谷出合→黒四ダム→ダム駅
 コースタイム1日目 欅平から阿曽原・東谷出合
0943 欅平駅 → 1030 水平歩道 → 1200 志合谷 → 1325 オリオ谷 → 1500/1515 阿曽原小屋 → 1610 仙人ダム → 1625 東谷出合
2日目 東谷出合から黒四ダム
0450 東谷出合 → 0540 半月峡 → 0640/0710 十字峡 → 0830 白竜峡 → 0855/0905 別山谷出合 → 0940/0955 新越沢出合 → 1115/1155 内蔵助谷出合 → 1240/1245 黒四ダム下 → 1315 ダム駅
 天候1日目:晴れ時々曇り 2日目:晴れ

下の廊下のことを友人に聞いたのは4年前くらいだろうか。ごく限られた期間しか歩くことができず、一般コースの中でも屈指の難ルートであるという話に、当時は実力的に無理かと思いつつも、いつか是非出かけてみたいと思っていた。今年は雪が少なかったこともあり、比較的早く通行可能になった。また剣・槍と歩いてきて、ここを歩く実力も備わってきたと考え、紅葉の真っ最中にでかけるべく友人と計画を練り、夜行列車の客となった。幸い2日間ともいい天候に恵まれ、遠景に2500m以上の雪をかぶった稜線を眺めながら一面の錦秋の中を行くという最高の条件で楽しむことができた。

長期予報は初日の天気の悪いこと告げていたので、欅平から遡行し2日目に核心部を歩く計画とし、急行「能登」で出発した。ところが、北陸を走る夜行列車から夜明け前の空を見ると雲一つない朝の空であった。魚津の駅を降りても寒さを感じるほどではなく、今回の山行が恵まれたものとなることを約束されたようだ。
急行「きたぐに」で先に四日市から到着していた友人たちと魚津駅で合流し、列車を乗り継いでトロッコ列車の客となった。満員の団体の乗った特別車にザックを持って4人紛れ込んで、小さくなりながらゴトゴトと山間の鉄路を進と、乗っているうちに、回りの素晴らしい紅葉の渓谷の風景やテープの案内、観光団体の雰囲気やらに影響されて、だんだん登山気分から観光気分になってきてしまう。観光地としても素晴らしい所である。
欅平駅前の登山口からさっそく登りにかかる。しじみ坂の急登だが、1時間くらいで水平道に入れることでもあり、それにもまして黒部の紅葉と晴天に気分も高揚しているので、苦もなく楽しく登っていった。標高を上げる毎に紅葉も本格的になり、本当に来て良かったと感じる。やがて水平歩道に入ると、道幅は6〜70センチの断崖沿いとなり、また谷の形に応じて忠実に回り込んでいく。奥鐘山の西壁を正面に観ながら、2回ほど小さなトンネルを通過し、正面に谷の出口を見てどんどん谷奥に入って行くと、志合谷のトンネルに着く。ヘッドランプの光だけが頼りのトンネルは、思った以上に長く続きぞくぞくする気分だ。前方に光が見えてくるころには正直ほっとした。次ぎに折尾谷を大きく回り込んで、ひたすら阿曽原を目指す。いずれにしても、渓谷美といい最盛期の紅葉といいまた、奥鐘山西壁を代表とする大岩壁や、遠くに見える雪の積もった白馬への尾根や後立山の稜線など、歓声をあげるのに暇のないほどの風景であった。
やがて水平歩道から離れて道は下りはじめ、眼下に阿曽原小屋が見えてくる。幾分疲れ気味の足に長い下りは厳しいが、少しづつ小屋も近づき阿曽原に到着した。今日は、翌日の行動時間なども考え、さらに先に進むことにした。吊橋のある東谷出合でのビバークを考えて再び阿曽原に下った分の標高差を登っていく。ここから仙人ダムまでの間、かなりの団体とすれ違う。仙人ダム周辺から黒四発電所までの間は、巨大な人工の構築物が展開し、まさに深山の秘密の要塞の様な風情である。黒四発電所の谷に向かって開いている穴から、戦闘機でも出撃して来そうな雰囲気であった。

翌日は3時半に起床し、まだ日の登らない5時前に出発する。真っ暗な吊橋を渡ると道は登りになる。鉄塔の横を通ったりするので、ヘッドランプの明かりを頼りに歩いていると巡視路に迷い込んだかという不安がよぎるが、やがて道は回りこんで再び左に黒四発電所が現れ、回り込みながら高度を稼いでいただけであるのがわかる。少しづつ明るくなりつつある断崖の道を注意しながら進んで行くと、S字峡、続いて半月峡と過ぎていき、ゴルジュの急流も迫力がある。明るくなってくるにつれて紅葉が鮮やかさを増してくるが、対岸上方の宿舎の灯はまだ輝いている。やがて左に急流で落ちてくる沢が見え、立派な滝だなと思っていたら、吊橋の上に出てそこは十字峡であった。
十字峡の景観は下の廊下の代表的な景観とされているだけあって素晴らしい。岩の上に降りてこの風景をしばらく堪能する。黒部川本流の水はエメラルドグリーンだが、ここに流れ込む剱沢の水の青いこと。本当に透き通った色で水量も多かった。十字峡には5張りほどのテントがあったが次々と撤収しているところであった。我々も白竜峡を目指して出発する。朝日が高くなり、上方の紅葉の山肌が日に照らされる様になり目映いばかりに輝きはじめる。白竜峡にさしかかると、最初は白いゴルシュの間をゆったりと流れる淵の様だが、空中にかかる丸太2本の桟道で大きな岩を回り込むと怒涛の急流が現れた。なるほど白竜峡である。やがて、だんだん谷も明るくなり、時折見える後立山の稜線の雪の輝いているのも見えるようになると、程なく明るい雰囲気の黒部別山谷に到着した。新越沢を見るころにはすっかり谷の中まで日が射し込む様になり、昨日より遥かに濃い青空と、朝の光でキラキラと輝く紅葉に彩られた山々は燃える様で、これから内蔵助谷までの間、満腹状態までに堪能した。特に大タテガビンや、丸山東壁の偉容と紅葉と青空の組み合わせは最高の思い出となった。また、晴天のもとTシャツ1枚での山行に変わっていた。この時期これだけ条件のいいのは本当に恵まれていると思った。そして、最後の締めくくりは黒四ダムからの急登であるが、2日間の素晴らしい景観のあとのハイな状態でもあるので、結構調子良く登りきり、そこで初めて銀色に輝く立山連峰を見て山行を終えた。

本文中の写真(順に)

  • 十字峡
  • 大タテガビン付近の紅葉
  • 紅葉の黒部別山

  • 参考図書・地図
    フルカラー特選ガイド 立山・剱岳を歩く(1996年4月改訂7刷)
    昭文社エアリアマップ 鹿島槍・黒部湖(1996年版)
    25000図 欅平 十字峡 黒部湖
    50000図 黒部 立山

    紅葉を纏う丸山東壁
    交通機関
    欅平へは、
    黒部峡谷鉄道でご確認下さい。
    黒部ダム周辺は、
    立山黒部アルペンルートでご確認下さい。


    Nifty FYAMA 投稿文

    最高の条件での下の廊下

    かねてより懸案の一つとなっていた下の廊下に出かけました。今回の山行は、珍しく用意周到に急行券を確保しておいたのですが、前日の天候の具合からルートを変更することになりました。当初計画では、急行「アルプス」で大町から入る予定でしたが、土曜雨、日曜晴れの天気予報を見て、急行「能登」で入って遡行することにしたのです。結果は両方ともいい天気でした。
    それにしても行程は残雪の障害もまったく無く、抜けるような青空の中、遠景に2500m以上の雪をかぶった稜線を眺めながら一面の錦秋の中を行くという最高の条件での山行ができました。


    【日 程】97年10月18日(土)〜19日(日)
    【目 的】下の廊下
    【天 候】18日 晴れ時々曇 19日 快晴
    【コース】18日
         0943 欅平駅 → 1030 水平歩道 → 1200 志合谷 → 1325 オリオ谷 →
         1500/1515 阿曽原小屋 → 1610 仙人ダム → 1625 東谷出合
         19日
         0450 東谷出合 → 0540 半月峡 → 0640/0710 十字峡 → 0830 白竜峡
         → 0855/0905 別山谷出合 → 0940/0955 新越沢出合 →
         1115/1155 内蔵助谷出合 → 1240/1245 黒四ダム下 → 1315 ダム駅
    【山 名】槍ヶ岳3180m 大喰岳3101m 中岳3084m 南岳3033m 長谷川ピーク2841m
         北穂高岳3106m 屏風の耳2565m
    【メンバー 】会社の仲間4名
    【山 域】北アルプス
    【参考書】昭文社エアリアマップ 鹿島槍・黒部湖
         ガイド 立山・剣を歩く


    1.欅平〜阿曽原

    1日目は天気の悪いことを予想していたが、夜行列車から夜明け前の空を見ると、雲一つない空だった。魚津の駅を降りても寒さを感じるほどではなく、今回の山行が恵まれたものとなることを約束されたようだ。
    今回は会社の仲間での4人編成で、メンバーは東京から2人・四日市から2人四日市からのメンバーのうち一人は初めて同行するが、他のメンバーは今年は八ヶ岳と槍ヶ岳で各々同行してもらっている。急行「きたぐに」で先に到着していた四日市組と魚津駅で合流した。
    宇奈月温泉からのトロッコ列車は1本待ちで満員の出発。富山地鉄の1番列車で着いても黒部峡谷鉄道の1番列車には満員で乗れないということは、ほとんどバスの団体客で埋まっているんじゃないかと思う。2番列車も一般車は満員で乗れるのは特別車のみであった。
    団体の乗った特別車にザックを持って4人紛れ込んで、こりゃ3人しかすわれないなあと思う椅子に4人がけさせてもらって、小さくなりながらゴトゴトと山間の鉄路を進む。乗っているうちに、回りの素晴らしい紅葉の渓谷の風景やテープの案内、観光団体の雰囲気やらに影響されて、だんだん登山気分から観光気分になってきてしまった....観光地としては最高のシチュエーションなのだ....
    さて、欅平に着くとさっそく荷物の分担をして、駅前の登山口から登りにかかる。いきなりのしじみ坂の急登であるが、1時間くらいで水平道に入れることでもあり、それにもまして黒部の紅葉と晴天に気分も高揚しているので、苦もなく楽しく登っていった。標高を上げる毎に紅葉も本格的になり、今日本当に来て良かったと思う気持ちが強くなる。そして道は鉄塔の脇を通り過ぎて、間もなく水平歩道に入った。道幅は6〜70センチの断崖沿いの道となり、また谷の形に応じて忠実に回り込んでいく。奥鐘山の西壁を正面に観ながら進んでいくと2回ほど小さなトンネルを通過し、正面に回り込んでくる谷の出口を見ると、どんどん谷奥に入って行き、志合谷のトンネルに着く。ヘッドランプを装着して入ると、思った以上に長く続き、何だかぞくぞくする気分だ。前方に光が見えてくるころには正直ほっとする。今度は黒部川に向かって突き出た尾根を回りこむが、ここで随分歩いたわりには欅平駅が近くに見えてしまう。直線距離は近いが道は遠いのである。次ぎに折尾谷を大きく回り込んで、ひたすら阿曽原を目指す。この間いずれにしても、渓谷美といい最盛期の紅葉といいまた、奥鐘山西壁を代表とする大岩壁や、遠くに見える雪の積もった白馬への尾根や後立山の稜線など、歓声をあげるのに暇のないほどの風景であった。
    水平歩道から離れて道は下りはじめ、眼下に阿曽原小屋が見えてくる。幾分疲れ気味の足に長い下りは厳しいが、少しづつ小屋も近づき阿曽原に到着した。

    2.阿曽原〜東谷出合

    今日は、翌日の行動時間とか、たくさんの大町からの団体とのすれ違いの場所とかいろいろ相談して先に進むことにした。吊橋のある東谷出合でのビバークを考えて再び阿曽原に下った分の標高差を登っていく。ここから仙人ダムまでの間、かなりの団体とすれ違うがこれらの人が今日阿曽原に宿泊するということは殺人的混雑になるのではないかと思う。150人は少なくともすれ違ったが、これに仙人池の方から下ってくる人も入れるともっと数は多いであろう 黒四発電所の下の東谷出合に着いても、もう4時30分というのにまだまだ阿曽原めがけて人が吊橋を渡ってくる。日が暮れても吊橋の上をヘッドランプを付けて通過して行く人もいる。大町からは人によってはとても時間がかかってしまうのだろう。仲間が水を汲みに仙人ダムまで行って帰ってきたが、そこには、暗くなった仙人ダム周辺の建物の通路で座り込んでいる人も結構いたらしい。夜道を再び水平歩道に上がって阿曽原に向かうことを考えるとダム施設や宿舎や高熱のトンネルのあるあの周辺で座り込んでしまうのは良くわかる様な気がする。

    3.東谷出合〜黒四ダム

    3時半に起床し、まだ日の登らない5時前に出発する。上弦の月明かりでボーっと浮き上がる黒四発電所を見ると、秘密の大要塞という雰囲気である。真っ暗なまま吊橋を渡ると道は登りになる。鉄塔の横を通ったりするので、ヘッドランプの明かりを頼りに歩いていると、鉄塔の巡視路に迷い込んだかという不安がよぎるが、やがて道は回りこんで再び左に黒四発電所が現れ、回り込みながら高度を稼いでいただけであるのがわかる。
    さすがに少しづつ明るくなりつつある断崖の道を注意しながら進んで行くと、正面にS字峡が見えてきた。「だいたい川はS字に流れるものだ」なんて言いながら、半月峡にさしかかると、ここはゴルジュの急流で迫力があった。
    だんだん明るくなってきており、それとともに紅葉が鮮やかさをだしてくる。ただ、対岸上方の宿舎の灯はまだ輝いている。やがて左に急流で落ちてくる沢が見え、立派な滝だなと思っていたら、吊橋の上に出て、そこは十字峡であった。
    この景観は下の廊下の代表的な景観とされているだけあって素晴らしい。黒部川本流の水はエメラルドグリーンだが、ここに流れ込む剱沢の水の青いこと。本当に透き通った色で水量も多かった。この景色を岩の上でしばらく堪能した。十字峡には5張りほどのテントがあったが次々と撤収しているところであった。我々も白竜峡を目指して出発する。朝日が高くなってきたのか、上方の紅葉の山肌が朝日に照らされる様になり目映いばかりに輝きはじめる。白竜峡にさしかかると、最初は白いゴルシュの間をゆったりと流れる淵の様だが、空中にかかる丸太2本の桟道で大きな岩を回り込むと怒涛の急流が現れた。なるほど白竜峡である。ここで2人の青年とすれ違ったが、スーパーの袋に食べ物を持って他にはザックも持たずスニーカーで十字峡の方へ歩いて行った。阿曽原まで行くのだろうか....
    ここを過ぎるとだんだん谷も明るくなり、時折見える後立山の稜線の雪の輝いているのも見えるようになった。程なく黒部別山谷に到着しここで初めて黒四ダム側からの団体とすれ違った。
    新越沢を見るころにはすっかり谷の中まで日が射し込む様になり、昨日より遥かに濃い青空と、朝の光でキラキラと輝く紅葉に彩られた山々は燃える様で、これから内蔵助谷までの間、満腹状態までに堪能した。特に大タテガビンや、丸山東壁の偉容と紅葉と青空の組み合わせは最高の思い出となった。
    別山谷から内蔵助谷までの間にたくさんの団体とすれ違った。このあたりは非常にすれ違いやすく、逆に白竜峡周辺で次々とすれ違うことを考えるとゾッとする。また、晴天のもとTシャツ1枚での山行に変わっていた。この時期これだけ条件のいいのもすごいことではないかと思った。ただ、距離も長く足だけは非常に疲れているのは間違いない....
    そして、最後の締めくくりは黒四ダムからの急登であるが、2日間の素晴らしい景観のあとのハイな状態でもあるので、結構調子良く登りきり、そこで初めて銀色に輝く立山連峰を見て山行を終えた。

    帰りは薬師の湯に立ち寄り、信濃大町から千葉行きの特急に乗って一気に帰ってきました。風呂を出てから松本で四日市組と別れるまでの間、ビールを飲み続けたことは言うまでもありません。そして今は出来てきた写真を見ながら再び楽しんでいる所です。