皇海山 | ![]() |
皇海山 2143.6m |
山行日 | 1996年7月13日(土) |
ルート | 皇海橋→不動沢のコル→皇海山(往復) |
コースタイム | 0835 皇海橋 → 1005/1010 不動沢のコル → 1043/1128 皇海山 → 1158/1207 不動沢のコル → 1305 皇海橋 |
天候 | 快晴 |
皇海山。とても響きの良い名である。加えて深田久弥の「篤志家向けの山」という表現も気になり、いつか登ってみたいと気にかかっていた山だった。皇海橋から登れば日帰りで楽に登れるという情報もあり、快晴の夏の日皇海山を目指した。 皇海橋へは、追貝より長い林道を通って到着する。皇海橋への道は根利側からではなく、追貝から入るように看板・ゲートにより指導される。 |
参考図書・地図 アルペンガイド奥日光・足尾・那須(1993年7月改訂第2刷) 25000図 皇海山 50000図 男体山 |
![]() 皇海橋から見上げる皇海山 |
その他のコース 銀山平〜六林班峠、または鋸山〜皇海山 松木川〜皇海山 以上のコースは伝統的な皇海山への登路ですが、ロングコースになります。 | |
交通機関 皇海橋へはマイカー利用となります。 |
不動沢から皇海山 土曜日は快晴の予報です。今週末の候補として作成した計画書を3種類持って車に乗りました。時刻は金曜日の22時30分。候補は北アルプスの展望をということで燕岳、久恋の山である荒沢岳、そしてこの皇海山でした。出発時刻も大分遅くなったので皇海山を選びました。大沼小沼さんがこの前RESで行ってみては?なんて書かれていたこともありますし、深田久弥の「篤志家向けの山」という表現も気にかかるのです。3つの中で最も近いと思っていたら、登山口は果てしなく遠かったのでした。 【日 程】96年7月13日(土) 【目 的】皇海山(1996年16回目) 【天 候】快晴 【コース】0835 皇海橋 → 1005/1010 不動沢のコル → 1043/1128 皇海山 → 1158/1207 不動沢のコル → 1305 皇海橋 【山 名】皇海山 2144m 【メンバー 】単独 【山 域】足尾山塊 【参考書】ヤマケイ・アルペンガイド 奥日光・足尾・那須 1.登山口は遠かった(千葉〜皇海橋) 金曜の夜、千葉を出発したもののすぐに事故渋滞で停滞、いかにもさい先が悪い。その後沼田インターまでは順調に来るが、すでに1時半くらいになっていた。仮眠する時間が欲しいので登山口へと急ぐ。とりあえず根利に向かい、集落を抜けて林道に入るとゲートが閉まっている。「皇海山への登山口は追貝ですのでそちらへ回って下さい。このゲートは作業が終了すると閉鎖します」とある。いまさら追貝まで戻って入り直す気にもなれず、また丁度地元の人?が開いて入っていったのでその後ろを続く。皇海橋まで行ければ追貝に下ろうという算段である。 根利からの道は落石が激しく、段差も多くて走りにくい道である。途中鹿にあうこと3〜4頭、野兎も飛び出してきて走り去っていく、これも3〜4羽。まだまだ野生の豊富な地域である。暗い林道を延々と走るがなかなか着かない。時計はもう3時を回ってしまった。仮眠なしかなあとあきらめかける。 やっと皇海橋に到着。なんと、ここにもゲートがあるではないか!!向こうは車が数台停まっている。テントもある。車は人間の足で一歩の反対側にいる。心配性なので、もし根利のゲートをしめられたら大変!と思い、また大丈夫にしても不安があるまま登っていきたくないので、わずか一歩の距離の為に再度追貝から入り直すことにする。この時は朝3時半、すこしずつ山の稜線がはっきりしてくる時間である。とにかくすっとばして根利に戻り、大きく回り込んで追貝の集落にはいる。この時は5時。ここでも試練が.... 追貝の集落から林道への道が見つけられず、ありとあらゆる細道を試すことになる。図体の大きい私の車を操るのはこういう時は大変なのである。変に行き止まると長い距離をバックしてこないといけないのである。朝5時というと追貝でも朝の早い人は玄関先に出始めている。何となく恥ずかしい。やっと正しい道を見つける。「利根テレビ中継所」の看板に沿って行けばすんなりと林道に入っていった。 追貝からの林道も長い。6時を過ぎており眠くなってきたので、林道脇に車を停め、仮眠する。8時ころ目が覚め再び発車すると程なく早朝いた場所に到着。皇海橋周辺には10台くらいの車が停まっている。一歩の距離のために4時間以上かかったのであった。 おまけに、ゲートの根利側にも2台くらい車が止まっている。たぶん大丈夫なんだろうなあと思う。がまあいいか.... さて、全然山行報告が始まりませんね。お待たせしました。 2.不動沢から皇海山 皇海橋から少し林道の支線を登っていくと左に表示があり、そこから山道に入っていく。道はすぐに不動沢に降りて右岸に渡り、しばらく樹下の笹の道を歩く。この道は不動沢に降りたり、また笹の中に入っていったりするが、概ねぴったり沢に寄り添ってついており、よく踏まれた道で看板やペンキや赤テープはふんだんにある。皇海橋の入り口には立派な案内板もあったし、歴とした一般コースなのである。沢沿いの道は涼しげで気分が良い。だんだん沢が小さくなってくると、沢の中を歩く様になる。といっても石を飛んだり沢の脇を歩いたりなので、足はよほどヘマをしない限り濡れない。 だんだん明るい道になり空の青が眩しい。源流になる程に傾斜は増し、水の流れている所を登る様になってくる。急登で足が滑りやすいか、石を落としやすいという難点はあるがはっきりした道であり、着実に高度を稼ぎながら詰めていく。ついに道は沢から離れ、背の低い密集した針葉樹林の中のよく踏まれた道を急登すると、程なく不動沢のコルにでた。 不動沢のコルはよく風の通る場所で涼しく、鋸山の展望がある。落ちつく場所である。ここまで、3パーティーを追い越してきた。歩行時間が短いことがわかっているので、結構強気なのである。 不動沢のコルから皇海山までは県境の稜線となる。最初は、道の上に倒木もあり、鬱蒼とした雰囲気の、まるで原始の森の中を登って行くような部分だ。その後少しの間なだらかな笹原を歩く様になるが、ここからは振り返ると鋸山の稜線の眺めがよい。すぐに再び道は暗い樹林の中に入ると最後の急登が始まる。といっても胸を突く程でもなく、一歩一歩登るうちに大きな岩の間を抜け、少し道がなだらかになると、頂上である。 3.皇海山山頂 山頂の展望は所々立木に遮られるため、一つの山が障害物なしに全部見えるということはない。南側は鋸山や、南に向かう県境稜線が見える。太陽の向きもあり、もやもでているので遠望は効かない。 北の斜面を2〜3メートル降りてそこに腰を落ちつけることにした。こちらは順光になり、もやもないので木の間越しに北の山々がはっきりと美しく見える。 右端が日光白根山で、そこから左に奥鬼怒の山、燧岳や至仏山、国境稜線の山などなど。地図を持っていなかったのではっきりわからなかったが、平ヶ岳や会津駒や越後の山々も見えていたのかもしれない。こんどカシミールで調べてみよう....北の山々にはもう7月も半ばになるというのにまだ雪が残っている。今年の残雪は本当に多い。 休んでいると、途中で抜き去ったパーティーがどんどん登ってきて、私の頭上で山座同定合戦が始まってしまった。それはいつしか、最近行った山談義に変わり、百名山をいくつ登ったかという話題に変わっていった....そう、ここは百名山なのである。 皇海山の様な、絶景がある訳でもなく、しみじみと深い山と森の雰囲気を味わう山は、喧噪の許容量がきわめて小さい。まわりの声が大きくなってきたのでそっと頂上を抜けだし、下山することにした。 4.下山 不動沢のコルまでは急坂の下りとなる。何組かの頂上を目指す人たちとすれ違う。あの狭い頂上は30人くらいの人出になるのだろうか。この山の山頂が一度に受け入れられる人数はせいぜい4〜5人かな、と思う。静かな山でこそ、引き立つ山だと思う。幸いにも歩行中は一人だ。不動沢のコル周辺の原生林の重厚さがとても気に入りしみじみと楽しみながら歩く。 不動沢に再び降り立つ。最初はとても滑りやすい、石も落としやすい急下降が待っている。そこを慎重に過ぎると、せせらぎの涼しい音を聞きながら、石を飛び、水に手を浸しながら皇海橋まで一気に降りた。皇海橋から見上げる皇海山は頂上部分が顔を出しているが、さすがに風格のある立派な山様なのである。 関越沼田から帰宅。幸い大きな渋滞は無く18時には帰着しました。もしも、朝の4時あのまま登り始めたとしたら、8時半にはもう下山していた勘定になります。それだけ不動沢のコースは短時間で登れるコースでした。 一方、皇海山は庚申山・鋸山とセットで登って、初めて皇海山に登ったということになる様な気もします。あまりにも簡単に行ってしまったので、少々複雑な心境ではあります。 しかし、朝4時スタートにしたらもっと静かな山だったかもしれないなあ....なんて、後から考えているところです。 |