南大菩薩縦走

 大蔵高丸 1781m 破魔射場丸 1752.0m 大谷ヶ丸 1643.8m
 コンドウ丸 1392m オッ立山 1301m 大鹿山 1236.1m
 山域:大菩薩

記録
 山行日1997年11月1日(土)〜11月2日(日)
 ルート景徳院前→湯ノ沢峠避難小屋(泊)→湯ノ沢峠→大蔵高丸→大谷ヶ丸→大鹿峠→景徳院前
 コースタイム1日目 2135景徳院前→2200龍門橋→2230焼山沢林道分岐→2335/2340旧林道終点→0025湯ノ沢峠避難小屋
2日目 0545湯ノ沢峠→0618大蔵高丸→0645/0655破魔射場丸→0730天下石→0745/0750米背負峠→0805/0820大谷ヶ丸→0915/0945曲沢峠→オッ立山往復→1000大鹿山→1020大鹿峠→1125景徳院前
 天候快晴

山行回数もついに99回となり、次の百回目をどこにするかと結構悩んでしまった。例えば、百がつくから越百山とか百蔵山とか、それともどこかこだわりのある山にしようとか。そんな中で、たまたま相模湖あたりでの所用もあり、以前から気になっていた南大菩薩なら自分としても百へのこだわりを満足出来そうだと思って前日の夕方に湯ノ沢峠を目指して出発した。

大蔵高丸

大蔵高丸・大谷ヶ丸を初めて知ったのは、尾崎喜八の「山の絵本」によってであった。その穏やかな名前と実際その文章から読める楽しそうな稜線は、自分の中にほのぼのと続く茅の原のイメージを形作っていた。そして何度かガイドブックを読んでは訪ねてみたいと思っていた山であった。
夜明けの時刻には稜線にいたかったので、前日初鹿野を出発し湯ノ沢峠に泊まることとした。景徳院付近の駐車場に21時30分頃着き、湯ノ沢峠を目指して林道を歩き始める。月の無い夜で明るくはないがその分星がたくさん輝いて素晴らしい。星明かりを便りに、時折現れる自動販売機の光や、民宿のあかりを目標にしつつ、道の脇の白線にそってヘッドランプは点けずに歩き、約1時間で焼山沢林道の入り口に到着した。
さて、いくら舗装路であっても夜1人で歩くのはいろいろと不安である。周囲が真っ暗で心象だけの世界で行動しているので、いろいろなことを考えるものである。そんな時に出来上がった話が怪談として伝えられるのだろうか。八大龍王社という夜の神社の前を通る。真っ赤な旗がたくさんはためいている。ゾクゾクしながらも山行の無事を祈った。さらに焼山の廃村の中を歩いていく。何かの理由でみんな集落を打ち捨てて出ていったものであろうが、それほど山深いという程でも無いような気がする。集落のあった時代も今の様な時間に歩く村人はあまりいなかっただろう。焼山を過ぎればあとはひたすら星明かりの歩きである。満天の星空は素晴らしく、丁度主稜線の方からオリオンが上ってくるところだ。張りつめた冷たい空気で顔は凍てつき吐く息も白い。ひたすら歩いて車から2時間、道は分岐しており湯ノ沢峠への道標のある旧林道終点に到着した。ここから林道を歩くと相当な遠回りとなるので、柳木場沢を歩くことにする。しばらくは堰堤をいくつか越える広い道を辿ったあと、細い沢沿いの道にはいる。清流に沿う道は昼間だったら素晴らしい道ではないかと思った。丸木橋を何度か渡るうちに時々道を失うが、山の中にいれば車道を歩いている時の様な変な不安感がなく、いつもの山歩きの状態に戻って、なぜか逆に安心してしまっている。さすがにヘッドランプの明かりだけで小沢を渡ったりするのは道を失い易いが、なんとか五感を総動員して進んでいった。だんだん源頭に近づいていくころには明かりで照らす地面が星の様にキラキラ輝きはじめた。そろそろ霜が降りつつあるのだ。やがて階段の道になり、間もなく避難小屋の正面に飛び出す。小屋の前まで来ると中なら大きな鼾が聴こえてきた。そっと戸を明けると3人見えるがなぜかみんな布団を被っている。どうやら隅にも積んであるところを見ると布団付きの避難小屋らしい。とりあえず、シュラフを出して明朝を期待しつつ空いているスペースに潜り込んだ。
朝5時に小屋から外に出てみたがまだあたりは暗く、防寒着を着込んで朝の張りつめた空気の中で出発準備を整えた。天候は申し分なく、今日の山行はとても期待できそうだ。夜明け前の峠に出ると、少し明るくなりはじめた中で、背後の黒岳が大きい。また、めざす大蔵高丸はゆったりしており、やはり朝の稜線は素晴らしく、昨日の夜の林道歩きが報われる時であった。大蔵高丸へは広いカヤトの高原を進んでいく。広々として最高の幸福感のある道である。日の出るあたりがかなり明るくなって来はじめた。大蔵高丸への登りの途中で日の出となりそうだ。少し下って大蔵高丸へは急登で上がっていく。今日初めての登りで息を切らして行くと左手から一条の光が差してきた。冬枯れの樹間からの日の出を完全に出てしまうまで足を停めて眺めた。再び登りはじめると今度は強い赤い光線にすべてが照らし出された。自分の手足も赤くなっている。太陽は真っ赤で大きい。頂上に近づくころには普通の朝の光に変わっていった。わずか15分程度の山で見る日の出からの光の移り変わる時刻はいつも感動的である。
大蔵高丸に着くと真っ先に目に飛び込んでくるのは富士山である。三つ峠を前景に遥かに高く聳える富士がとても大きくしかも唐突に姿を見せる。加えて湯ノ沢峠から歩いてくる途中でも見えていた、南アルプスや八ヶ岳、奥秩父も素晴らしい。特に南アルプスは稜線が一直線にならび壮観であった。なかなか言葉に尽くせぬ情景であるが、先の尾崎喜八は「山の絵本」の中で、大蔵高丸の様子を文庫本2ページを割いて言葉を尽くしている。特にここから眺める南アルプスに対して、尾崎喜八は歌の翼にたとえ、夢にたとえ、幻とよび、「大自然の春が吐いて中天に凝らした、霊妙な精気の漂い」という。同行の河田君は「瞬間に一つの神を見たと思った」そうである。そして、「言葉はそれぞれ違っても、われわれは結局「言いつくし難きもの」のことを言っているのだ。われわれは常にこれに憧れてこそ高きへ来るのだ。」と結んでいる。読んだ者をこの山に誘わずにはいられない表現ではなかろうか。そして、大いなる期待を持って私は今日ここに来たのであった。
まだ肌寒い時刻でもあり、南に向かって早々に出発した。破魔射場丸までの間は大きな登り下りはなく、ゆったりとまた広々とした正面に富士を見ながらの高原が楽しめる。大蔵高丸からは見えなかった河口湖の湖面も見える様になる。ここから富士までの間には大菩薩連嶺が高度を落とし、右に回り込んで御坂山塊と接続し、さらに頂上のアンテナでそれとわかる三ツ峠に至る稜線が見える。これらすべてを通して歩けばさぞ面白かろうと思う。このあたりの縦走路は、すっかり木の葉は落ちて冬枯れとなり、草原の草も全く枯れて葉は真っ白に霜が降りている。振り返れば縦走路の右に雁ヶ腹摺山が堂々と黒々とした姿を見せているが、是非金山鉱泉から登ってみたい。

大谷ヶ丸

破魔射場丸の山頂で簡単に朝食をとったあと、道はどんどん下っていく。ガレた斜面を下り笹原の中を行ったあと小さな登り下りを繰り返すが、一面ススキの鞍部があり枯れた白い穂が太陽に照らされて美しいところだ。天下石を見たあと少し長い登りで1626mのピークを越える。ここから米背負峠に降りていくが、この道はなんとも素晴らしい冬枯れの落ち葉の降り積もった道であった。米背負峠から登った大谷ヶ丸は、樹林の中の静かな山頂で、南アルプスの方だけ展望が開けていた。しかし冬枯れの林からは、滝子山のどっしりした姿などものぞむことができる。いままでの縦走を思い出しながら少々休憩した。
これからの縦走は冬枯れの低山の静かなコースとなる。大谷ヶ丸からは滝子山を正面に見ながらの一気の長い下りとなる。そして傾斜も緩やかになるとコンドウ丸の穏やかな高まりであるが、残念ながら山頂には気づかす通過してしまった。このあたりはカラマツ林の植林がでてくるが、同じ植林でもカラマツ林は美しく、今の季節は黄色く紅葉している。展望が有るわけではないが、樹間に青空をのぞかせつつ、明るい冬枯れの道が続く。振り返ると大谷ヶ丸は随分と大きく高くなっていた。曲沢峠に出てゆっくり腰を落ちつけつつ空身でオッ立を往復した。道は山腹を巻いていってしまうが、このオッ立山の山頂には立派な大和村の作った標識が立ててあり、樹間から大谷ヶ丸やお坊山などの山を見ることができた。このあたりはからは、標高も低くなっているので、紅葉末期の風景となる。山腹の巻き道を通って進み、今度は大鹿山に登る。道はまたも巻いていってしまうが、大鹿山へは道標がある。急登の後の大鹿山山頂周辺は意外と木もまばらで展望が良く、大谷ヶ丸から大菩薩嶺までの主稜線や、日川尾根などを一望する事が出来る。大鹿山からの下りは急斜面で、深く積もった落ち葉はうっかりすると滑りやすく、まるで石車に乗ったように転んでしまう。大鹿峠を目指して下っていくとすぐに、尾根を辿る方向に向けて初鹿野の標識がある。峠はもっと下だと思い、とりあえず稜線を巻いている道を下っていくと大鹿峠に着いた。ここは、初鹿野側は大きく崩壊してえぐれており道は無かった。どうやら先の看板の意味が理解できた。それに、オッ立や大鹿山を巻いていくこの道はどうやら作業道のようだ、もともと登山道は尾根を忠実に辿ったのだろう。しかしいまや主流ではない様だ。但し、大鹿峠まで作業道を下ったのは徒労でもなかった。なぜならその道沿いにいろんな種類の赤の紅葉が見られたからである。
今度は稜線沿いに急登を5分戻ると、田野方面への分岐になる。この道は、送電線にからみながらほぼ尾根を下っていく。紅葉の残る広葉樹の尾根道は、退屈な下りを楽しい道に変えてくれた。途中現れるススキも稜線のものとは全く違って、まだ枯れてはいない。今日は、朝の初冬の空気から、冬枯れ、晩秋を経て紅葉までたどり着いたのである。これだけ季節をはっきり感じられるのは、この時期の山行ならではであろうか。最後に暗い檜林に突入すると間もなく氷川神社の境内を通り田野集落に出る。民家の庭を横断して、庭に柿のなる家々の間を歩いて行くと、ちょうど昨日車を停めた駐車場の前に降り立った。

下山した時刻はまだ12時前だったので、車で湯ノ沢峠まで往復してみた。夜歩いたため全く風景が解らなかった林道沿いは、概ねカラマツの植林地が多く全山黄色で美しい道であった。旧林道終点から湯ノ沢峠まではダートの長い道であり、車やタクシーで来た場合でも旧終点に車を置いて沢沿いに歩くことをお勧めしたい。
今回は季節も良く、天候も良くと百回目の山行を飾るに相応しい素晴らしい一日だった。これからもまた次の区切りを目標に長く楽しんで行きたいと思う。

本文中の写真(順に)

  • 朝の大蔵高丸からの富士
  • 雁ヶ腹摺山
  • 大鹿峠付近の紅葉

  • 参考図書・地図
    アルペンガイド奥多摩・奥秩父・大菩薩(1992年8月第1刷)
    エアリアマップ 大菩薩連嶺(1994年版)
    25000図 笹子 大菩薩峠
    50000図 都留 丹波

    大谷ヶ丸と富士
    その他のコース
    湯ノ沢〜湯ノ沢峠(東面から)
    滝子山〜大谷ヶ丸
    田野〜曲沢峠
    笹子〜曲沢峠(東面から)
    田野〜大鹿山
    交通機関
    甲斐大和駅から甲州市営バス、天目行き乗車、景徳院入口下車。 また、終点の天目付近は焼山沢林道への入口付近となります。
    時刻・運行状況については、甲州市ホームページでご確認下さい。


    Nifty FYAMA 投稿文

    夜明けの大蔵高丸から大谷ヶ丸 【100回目記念】

    山歩きを初めて前回で99の回山行に出かけました。下の廊下から帰ってから次ぎ の100回目をどこで飾ろうかとずっと考えていました。候補にしたのは、百がつ くということで、越百山(伊那側から登るとすればしっかりした靴がいるが、修理 中であるのでボツ)百蔵山(あまりにあっけなさそうなのでボツ)、なんかこだわ った山にしたいと思って不動岳(計画書まで作ったが千葉から浜松ICまでの遠さに めげてボツ)と考えてみましたが、いろいろ逡巡しているうちにとにかく100は 早く終わらせて通常に戻りたいと思うようになりました。
    11月2日の相模湖でのオフにあわせてその周辺ということでいろいろと地図を見 ていましたが、以前から気になっていた南大菩薩に目が行き、これなら自分として も百へのこだわりを満足出来そうだと思って前日の夕方に出発しました。目標は湯 ノ沢峠です。


    【日 程】97年11月1日(土)〜2日(日)
    【目 的】南大菩薩縦走
    【天 候】快晴
    【コース】1日
         2135 景徳院前 → 2200 龍門橋 → 2230 焼山沢林道分岐 →
         2335/2340 旧林道終点 → 0025 湯ノ沢峠避難小屋
         2日
         0545 湯ノ沢峠 → 0618 大蔵高丸 → 0645/0655 破魔射場丸 →
         0730 天下石 → 0745/0750 米背負峠 → 0805/0820 大谷ヶ丸 →
         0915/0945 曲沢峠 → オッ立山往復 → 1000 大鹿山 → 1020大鹿峠
         → 1025 下降点 → 1125 景徳院前
    【山 名】大蔵高丸 1781m 破魔射場丸 1752m 大谷ヶ丸 1643.8m
         コンドウ丸 1392m オッ立山 1301m 大鹿山 1236m
    【峠 名】湯ノ沢峠 米背負峠 曲沢峠 大鹿峠
    【メンバー 】単独
    【山 域】大菩薩
    【参考書】昭文社エアリアマップ 大菩薩連嶺
         アルペンガイド 奥多摩・奥秩父・大菩薩


    1.夜歩く

    大蔵高丸・大谷ヶ丸を初めて知ったのは、尾崎喜八の「山の絵本」によってであった。その穏やかな名前と実際その文章から読める楽しそうな稜線は、自分の中にほのぼのと続く茅の原のイメージを形作っていた。そして何度かガイドブックを読んでは訪ねてみたいと思っていた山であった。
    今回の計画の要点はとにかく夜明けとともに稜線にいることである。その為のアプローチの方法としては、
     1.前日昼または夜に初鹿野を出発し湯ノ沢峠に泊まる。または、旧林道終
       点付近で幕営する。(場合によってはタクシー利用も可)
     2.夜明けの3時間くらい前に初鹿野を出発し歩き始める。
     3.車で湯ノ沢峠に行き、あとでタクシーで車を回収に行く。
    が考えられるが、特に決めずに出かけた。ただどの方法でも対応できる装備は持っていった。(冷え込みの中でビバークが出来る程度の装備/タクシーに乗る現金等)
    夕方6時に自宅を出るが、高速に乗るまでモーターショウの関係かものすごい混雑で一苦労し、高速に乗れば事故渋滞で錦糸町で降りて新宿まで地道を走る。こういうことをすると首都高速代を2回払わなくてはいけないので損である。新宿からは順調に走り、大月で降りて笹子トンネルを越えると、初鹿野の道の駅に着いた。ここに車を置いて歩くことも考えたが、少し距離があるのでもっと先に進む。嵯峨塩・裂石林道に入りしばらく走ると景徳院の近くにトイレや観光案内のある広い駐車場があった。場所的にも丁度良さそうなのでここから歩くことにした。
    時計は21時30分頃である。とりあえず今から行けば避難小屋に着いてもまだ寝るだけの時間はあると考えて歩き始めた。今日は月の無い夜で明るくはないがその分星がたくさん見えて素晴らしい夜である。しばらくは時折自動販売機の光や、民宿のあかりなどが現れる。ヘッ電は極力使わず道の脇の白線を目印にして歩いていく。予備電池はあるが、予備電球を持っていないのが不安である。車の音が近づくとヘッ電を点灯するが、あとはごくたまに地図を参照する時くらいだ。
    田野鉱泉の民宿街を過ぎ、緑の村の自動販売機で1リットルのウーロン茶のPETボトルを持ち歩き用に買ったりしながら(1リットルのものは初めて見た)真っ暗な道を登っていくと、そこだけ昼のように明るいトンネルを抜け、やがて歩き始めて1時間で焼山沢林道の入り口に到着した。
    さて、いくら舗装路であっても夜1人で歩くのはやはりいろいろと不安である。周囲が真っ暗で心象だけの世界で行動しているので、やはりいろいろなことを考えるものである。そういう時にいろいろな怪談がでてくるのだろうかと考えたりしながら、細くなった林道を歩いていく。基本的にずっと焼山沢沿いなので水の音は常に聴こえている。八大龍王社という夜の神社の前を通る。電灯が点いており、真っ赤な旗をたくさんはためかせている。ゾクゾクしながらも山行の無事を祈る。今度は焼山の廃村の中を歩いていく様になる。何かの理由でみんな集落を打ち捨てて出ていったものであろうが、それほど山の中という程でも無いような気がする。集落のあった時代も今の様な時間に歩く村人はあまりいなかっただろうなあ..とか、鞠を持ったおかっぱの少女が立っていたらどうしよう..とか、たわいもないことを考えながら進んでいく。ここを過ぎるとあとはひたすら何も無い闇夜の歩きである。満天の星空は素晴らしく、丁度主稜線の方からオリオンが上ってくるところだ。また、張りつめた冷たい空気で顔は凍てつき吐く息も白い。山のシルエットを見ながら、先を目指していくが、風景が無いところをただただひたすらに歩くだけなので、時々冷たいウーロン茶を気付け薬にして進んでいった。
    ひたすら歩いて、車から2時間。道は分岐となっており湯ノ沢峠への道標のある、旧林道終点に到着した。ここから林道を歩くのが安全ではあるが、時間は相当かかりそうだ。柳木場沢を歩けばコースタイムで40分である。いずれにしてもそろそろ今日の歩きは終わりにしたかったので無理だったらビバークをすることとして、柳木場沢に進んでいった。しばらくは堰堤をいくつか越える広い道を辿ったあと、細い沢沿いの道にはいる。清流に沿う道は昼間だったら素晴らしい道ではないかと思った。中には朽ちたものもある丸木橋を何度か渡るうちに時々道を失うが、山の中にいれば車道を歩いている時の様な変な不安感がなく、普通の山にいる状態に戻ってなぜか、逆に安心してしまっている。でも、さすがにヘッ電の明かりの範囲しか見えない時に小沢を渡ったりするのは道を失い易い。むりやり沢の端を突き進むと再び道に合流したりした。
    足の裏の感覚で、踏まれた道かそうでないかなどと判断しながら道を歩いていると、だんだん源頭に近づいていく。ヘッ電で照らす地面が星の様にキラキラ輝きはじめた。そろそろ霜が降りつつあるのだ。こういう光景は初めてなので、なるほど..と思いつつ上っていく。やがて階段の道になり、これなら迷いようがないなとほっとすると間もなく、避難小屋の正面に飛び出した。
    人がいるかどうか?寝られる場所はあるか?などと不安であったが、小屋の前まで来ると中なら大きな鼾が聴こえてきた。そっと戸を明けると3人見えるがなぜかみんな布団を被っている。ひょっとして車で布団をもってきたのか?とも思ったが、どうやら隅にも積んであるところを見ると布団付きの避難小屋らしい。とりあえず、シュラフを出して明朝を期待しつつ空いているスペースに潜り込んだ。
    夜は冷え込み、ちゃんと着替えたりセーターを着たりせず歩いてきたままの状態で寝たため、シュラフの中が一気に湿り寒くてしかたがなくなったが、面倒なのでそのまま寝てしまった。真剣に寒いのではっきりとは眠れなかったが、布団を崩して上にかけたりした。寝る前に一応それなりの用意をして寝るべきだと大いに反省した。また先客の鼾は削岩機の様で、よくこれでみんな起きないものだと感心した。。

    2.朝の南大菩薩縦走

    朝5時に小屋から外に出てみたがまだ暗い。寝ている時の続きで寒く体がふるえて仕方が無いので、湿った木綿のシャツを脱いで合繊の上下の下着(長ズボン)を着込み、セーターを着たらだいぶ寒さがやわらいだ。要するに寝る時からそうすべきだったのである。よくもガマンしていたものだ。
    さて、朝の張りつめた空気の中で出発準備を整える。小屋のあたりも霜がおりており、まだ先客は寝たままである。峠付近でテントを張っている人達もいて、こちらは朝食の準備にとりかかっている。
    夜明け前の峠に出ると、少し明るくなりはじめた中で、背後の黒岳が大きい。また、めざす大蔵高丸はゆったりしている。やはり朝の稜線は素晴らしい。昨日からこれを求めて頑張ってきたわけだし、それが報われる時でもある。
    大蔵高丸へは広いカヤトの高原を進んでいく。広々として最高の幸福感のある道である。まわりがだんだん明るくなって日の出るあたりが特に明るくなって来はじめた。大蔵高丸への登りの途中で日が出るかなと思った。一旦少し下ると大蔵高丸へは急登で上がっていく。今日初めての登りで息を切らして行くと左手から一条の光が差してきた。冬枯れの樹間からの日の出を完全に出てしまうまで足を停めて眺めた。再び登りはじめると今度は強い赤い光線にすべてが照らし出された。自分の手足も赤くなっている。太陽は真っ赤で大きい。頂上に近づくころには普通の朝の光に変わっていった。わずか15分程度の山で見る日の出からの光の移り変わりはいつも感動的である。
    大蔵高丸に着くと真っ先に目に飛び込んでくるのは富士山である。三つ峠を前景に遥かに高く聳える富士がとても大きくしかも突然に姿を見せる。加えて湯ノ沢峠から歩いてくる途中でも見えていた、南アルプスや八ヶ岳、奥秩父も素晴らしい。特に南アルプスは稜線が一直線にならび壮観であった。
    なかなか言葉に尽くせぬ情景であるが、先の尾崎喜八は「山の絵本」の中で、大蔵高丸の様子を文庫本2ページを割いて言葉を尽くしている。特にここから眺める南アルプスに対して、尾崎喜八は歌の翼にたとえ、夢にたとえ、幻とよび、「大自然の春が吐いて中天に凝らした、霊妙な精気の漂い」という。同行の河田君は「瞬間に一つの神を見たと思った」そうである。そして、「言葉はそれぞれ違っても、われわれは結局「言いつくし難きもの」のことを言っているのだ。われわれは常にこれに憧れてこそ高きへ来るのだ。」と結んでいる。読んだ者をこの山に誘わずにはいられない表現ではなかろうか。そして、大いなる期待を持って私は今日ここに来たのであった。
    さて、少々風が強くまだ肌寒い時刻なので南に向かって早々に出発した。途中の山腹では早くから来て写真を撮っている方もいた。破魔射場丸までの間は大きな登り下りはなく、ゆったりとまた広々とした正面に富士を見ながらの高原が楽しめる。大蔵高丸からは見えなかった河口湖の湖面も見える様になる。ここから富士までの間には大菩薩連嶺が高度を落とし、右に回り込んで御坂山塊と接続し、さらに頂上のアンテナでそれとわかる三ツ峠に至る稜線が見える。これを見るにつけ、三ツ峠は富士を見るのに絶好のポジションにあるなとつくづく思った。
    このあたりの縦走路は、すっかり木の葉は落ちて冬枯れとなり、草原の草も全く枯れて葉は真っ白に霜が降りている。振り返れば縦走路の右に雁ヶ腹摺山が堂々と黒々とした姿を見せているが、是非金山鉱泉から登ってみたい。
    破魔射場丸の山頂で簡単に朝食をとったあと、一旦道はどんどん下っていく。ここでもカメラを構えている人がいた。ガレた斜面を下り、笹原の中を行ったあと小さな登り下りを繰り返すが、一面ススキの鞍部があり、枯れた白い穂が太陽に照らされて美しいところだ。天下石を見たあと少し長い登りで1626mのピークを越える。ここから米背負峠に降りていくが、この道はなんとも素晴らしい冬枯れの落ち葉の降り積もった道であった。
    米背負峠から登った大谷ヶ丸は、樹林の中の静かな山頂で、南アルプスの方だけ展望が開けていた。しかし、冬枯れの林からは、滝子山のどっしりした姿などものぞむことができた。いままでの縦走を思い出しながら少々休憩した。

    3.静かな山の縦走

    ここまではカヤトの高原の縦走が主体であったが、ここからは冬枯れの低山の静かな縦走コースとなる。大谷ヶ丸からはこれから行かない滝子山を正面に見ながらの一気の長い下りとなる。そしてある程度下ったあと傾斜も緩やかになるとコンドウ丸らしい。残念ながら山頂には気づかす通過してしまった。このあたりは一部植林らしいカラマツ林がでてくるが、同じ植林でもカラマツ林はなんとなく好きである。黄色く紅葉した林となっている。ずっと展望が有るわけではないが、樹間に青空をのぞかせつつ、好ましい冬枯れの道が続く。振り返ると大谷ヶ丸は随分と大きく高くなっていた。300メートルくらい下ったのだ。初めて登ってくる人に会うと、やがて曲沢峠にでた。
    曲沢峠に越しを落ちつけながら、空身でオッ立を往復した。道は山腹を巻いていってしまうが、このオッ立山の山頂には立派な大和村の作った標識が立ててあり、樹間から大谷ヶ丸やお坊山などの山を見ることができる。とりあえず得した気分になる。このあたりは標高も低くなっているので、紅葉末期の風景となった。山腹の巻き道を通って進み、今度は大鹿山に登る。道はまたも巻いていってしまうが、大鹿山への道標がある。急登を登ると大鹿山山頂周辺は意外と木もまばらで展望が良く、大谷ヶ丸から大菩薩嶺までの主稜線や、日川尾根などを一望する事が出来る。大鹿山からの下りは急な斜面で、落ち葉のせいで道が良く解らない。深く積もった落ち葉はうっかりすると、落ち葉雪崩を起こし、まるで石車に乗ったように、落ち葉車に乗ってスッテーンとやってしまう。なんとか道に合流したが、こちら側は大鹿山への道標が無かった。ここを下ってくる途中に登ってくる人が見えたが、巻き道の方へと通過していった。
    大鹿峠を目指して下っていくとすぐに、尾根を辿る方向に向けて初鹿野の標識がある。峠はもっと下だと思い、とりあえず無視して稜線を巻いている道を下っていくと大鹿峠に着いた。ところが、初鹿野側は大きく崩壊してえぐれており、道は無かった。先ほどの看板の意味が理解できた。それから、オッ立や大鹿山を巻いていくこの道はどうやら作業道のようだ、もともと登山道は尾根を忠実に辿ったのだろう。しかしいまや主流ではない様だ。大鹿峠まで作業道を下ったのは徒労でもなかった。なぜならその道沿いにいろんな赤の紅葉が見られたからである。随分標高が下っているのだ。
    今度は稜線沿いに急登を5分戻ると、田野方面への分岐になる。この道は、送電線にからみながらほぼ尾根を下っていく。紅葉の残る広葉樹の尾根道は、退屈な下りを楽しい道に変えてくれた。途中現れるススキは稜線のものとは全く違って、まだ完全には枯れていず、まだ緑も充分残っている状態だった。今日も、朝の初冬の空気から、冬枯れ、晩秋のほぼ落葉してしまった木々を経て紅葉までたどり着いたのである。これだけ季節をはっきり感じられるのは、この時期の山行ならではの楽しみである。最後に暗い檜林に突入すると間もなく氷川神社の境内を通り田野集落に出た。民家の庭を横断して、庭に柿のなる家々の間を歩いて行くと、ちょうど昨日車を停めた駐車場の前に降り立った。

    下山したのはまだ12時前で、まだまだ相模湖まで行くには時間があるので、車で湯ノ沢峠まで行って来ました。昨日夜歩いたため全く風景が解らなかったのですが、概ねカラマツの植林地が多く、全山黄色という感じでした。
    焼山は廃村になってからまだそんなには時間が経っていないような気がしました。湯ノ沢峠は車がたくさん駐まっていて、小屋の前でバーベキューをやっている人たちもいました。
    旧林道終点から湯ノ沢峠までは車で通っても長い道です。歩く場合は勿論ですが、車で来た場合でも旧終点に車を置いて沢沿いに歩くことをお勧めします。沢沿いのゆったりした道ですし、林道の方は結構でこぼこのダートです。この道はやがて大菩薩鉢巻林道となって、小金沢連嶺の斜面をずっと削って上日川峠に至る道となるのでしょうが、今でも、嵯峨塩裂石林道があることですし、環境保全の為にも旧林道終点以遠は一般車通行禁止にしておいた方がいいのではないかと思いました。

    蛇足
    これで、100回目の山行を達成することが出来ました。以下ここまでの自己満足データです(^^;;
    1回目の山行:1991年7月高水三山
    山域毎の回数:奥多摩・奥秩父・大菩薩 20回、鈴鹿・美濃 15回、房総 14回、アルプス・八ヶ岳 14回、上信越 12回、丹沢道志富士 12回、北関東・東北 10回、四国 3回
    年間最多:1996年で27回。最も多く登った月 8月で22回。
    一つ一つが大変思い出深い山行でしたが、その中でも特に思い出深い山行は....
    92/07伊吹山から北尾根(夜行登山と熱暑と乾き)・92/08鎌ヶ岳雲母尾根(1時間以上の彷徨)92/08日本コバ(鈴鹿)(強烈な薮こぎ)・92/09竜ヶ岳(鈴鹿)(素晴らしい笹の草原)94/08剣山(ここも素晴らしい草原)・95/08苗場山(山頂の風景に絶句)・96/04堂岩山(春山の大雪原)・96/07鳳凰三山(展望と日帰りの充実感)・96/08立山・剱岳(確かな手応え)
    最も好きな山:剣山(地元に近い)、苗場山(地元という意識を除けば)
    最も素晴らしいと思った山:剱岳

    最後の2つは時とともに変わるでしょう。

    長文の上、変な自己満足データまで付けてしまって失礼しました。
    また、ここまでやってこれたのもFYAMAの皆様のおかげですし、50回近く REPも書かせていただきました。皆様ありがとうございました。